第六話 図上演習と不安

 五月一日から四日間に亘り、「大和」にてミッドウェー作戦の図上演習と第二期作戦の打ち合わせが実施された。宇垣纏参謀長の「戦藻録」にもその旨が綴られている。参謀長は統監兼審判長兼青軍指揮官の役目であり、戦艦日向艦長松田千秋大佐が赤軍指揮官を担任した。これに関する正確な資料は残されていないが、出席者の記憶からはほぼ次のようだったという。


 図上演習がはじまり、ミッドウェー攻略の戦闘開始後、米空母群が出現しての海戦がはじまり、日本側空母の大被害をもたらした。戦果判定はサイコロである。その場に居合わせサイコロを振った奥宮少佐は著書「ミッドウェー」の中で語る。残っている図上演習の計画書を見ると、両軍の戦力からはじまり、作戦計画、行動図など本戦闘計画書と同様なもので行なっており、戦力係数も一定の数値より判断されたものが採用されている。残念ながらミッドウェーに関するものはないのが残念ではある。

『その爆撃命中率を定めるためにサイコロを振った。そして演習審判規則に従って命中弾九発と査定した。そばで見ていた宇垣総監は同少佐を制して、「今の命中弾は三分の一とする」

 鶴の一声である。沈没すべき赤城は小破と宣告された。このようなお手盛りの審判にもかかわらず、加賀の沈没が決定的となった。驚いたことには、沈んだはずの加賀が再び浮かび上がって、次のフィジー、ニューカレドニア作戦に参加させられた。空中作戦でも同様なことが行われた。」


 宇垣中将の「戦藻録」にも、「図上演習を実施す」と簡潔にしか書いていない。

 図上演習については源田実氏もその著書「海軍航空隊始末記・戦闘編」の中にも判断的に誤りがあったと指摘する。


「この図演は、その出発点に於いて二つの大きな誤りを犯していた。

 第一は、我軍の機密は暗号の解読に依って相当の部分が敵側に漏れて居り、敵は我軍の企図や行動を予め察知して居たのにかかわらず、我軍は自分達の機密は完全に保たれているという誤判断の上に立っていた。

 第二は、開戦以来の戦闘経過から推して、敵側の戦意は極めて低いものであると思っていた。

 演習に於いては、敵方の指揮官をつとめる人々も同じ日本海軍の軍人であるから、その兵術思想なり、情況判断なりは、そんなに違うものではない。

 右のような誤判断の上に組立てられ実施せられた図上演習に於いては、連合艦隊の対敵配備が持っている本質的な欠陥は露呈すべくもなかったが、それでも或一部の人からは、主力部隊が機動部隊の後方三〇〇浬に占位することに就いて相当の異論があった。

 そもそも、戦艦群を中核とする主力部隊と航空母艦を中核とする機動部隊とを前後に相当の距離を置いて配備する思想は、前進部隊的兵術思想の流を汲んでいる。前進部隊とは巡洋戦艦や甲級巡洋艦を中心に、精鋭にして機動力のある水雷部隊を配して編成せられたものであって、第一次世界戦争以前から一流海軍国が好んで採用していた兵力配備である。

 第一次世界戦争のジュットランド海戦に於いては英独共にこの思想に依って戦った。その趣旨とするところは、厖大な艦隊が会敵して愈々決戦に入らんとする場合は、通常の警戒航行序列から戦闘序列に隊形を変更しなければならない。このことを展開という。

 展開の良否は艦隊決戦の帰趨を決する重要な因子である。当時の太陽の方位、高度、風向、風力、海上視界、友軍潜水艦の散開待機場所等を考慮に入れ、敵の先頭に対し、我が主力各艦の射距離が成る可く同一となり、而も敵の前程を押えるように展開することが望ましい。日本海海戦に於いて東郷元帥の執った丁字戦法の如きは、その理想的なものである。

 展開は敵を見てから始めたのでは間に合わない。決戦海面の数十浬手前から準備しなければならない。そうかと言って余り早過ぎると展開方向の変更は至難のことであるから、誤った戦闘態勢を採らしむるようにすることを第一の任務とする。

 我海軍に於いてはワシントン条約によって押付けられた主力艦米六割の比率を打破するために、前進部隊に敵主力漸減の任務をも付加していた。日本人の特性に合致した夜戦、殊に水雷戦は敵主力漸減を目的とし、概ね決戦の前夜行われていた。

 航空機と航空戦術の発達に依って、母艦群を中核とする機動部隊が前進部隊のやるべき仕事の大部分をやるようになり、更に進んで機動部隊自体が決戦兵力の主体を占めるようになりつつある時に戦争が勃発した。太平洋戦争は丁度海軍戦術の一大変革期に始まった訳である。このため海軍部内に於いても、ほんの極く一部の人々を除いては、在来型の海軍戦術思想に執着していたのも或は已む得ないことであったかも知れない。

 その現れが、この待敵配備に於ける機動部隊と主力部隊の距離三〇〇浬である。戦闘に於いては、我が全攻撃力を同時に発揮して、敵の一角に集中することを要訣とする。この意味に於いて、三〇〇浬という距離は余りにも開き過ぎている。いうまでも無く、当時の母艦の決戦距離は一五〇浬乃至二五〇浬であり、大口径砲を主兵とする戦艦の決戦距離は、せいぜい一五浬乃至二〇浬である。補助部隊に至ってはそれより遥かに短い。而も、航空母艦は自分の持っている飛行機を以て、敵を発見したならば、機を逸せず即座に攻撃を指向しなければならない。巡洋戦艦や、甲級巡洋艦を中核とする前進部隊は、優速を利用して敵主力に対し不即不離の対勢を維持し、これを右軍主力の方向に誘致することも不可能ではないが、母艦部隊に関する限り、そんな器用なことは出来ない。愚図愚図して居れば自分がやられてしまうのである。

 母艦部隊が三〇〇浬前方で決戦を交えているので、これを支援しようとして主力部隊が全速力で進撃しても、自分の大砲が敵に届くようになるまでには少くも十五時間はかかる。母艦群の戦闘は、両軍の主攻撃隊がお互に一撃加えれば、勝敗の大勢は決してしまうのが通例で、せいぜい長くて六時間程度のものである。随って、機動部隊の勝敗が決した時に於いて主力部隊は尚二〇〇浬も後方に居る訳である。これでは支援しようにも手の施しようがないのである。

 若し端的に言うならば、戦艦部隊が母艦部隊の前方一五〇浬乃至二〇〇浬に占位して、母艦の航空攻撃と戦艦の主砲攻撃とが同時に敵に集中し得るように配備するのが理想であろう。尤もこの場合、味方の母艦群がぼんやりして居れば、戦艦群を見殺しにする結果ともなりかねないので、この配備も当時の一般思想からして実行不可能であったであろう。」


 さすがに航空参謀であった源田実氏の卓見である。だが、次において作戦計画は「極めて平凡なもの」であったとして反省もしている。ミッドウェー空襲の間に、横合いから殴り込みをかけられた場合の不安があったといい、やはり索敵をおろそかにしてしまったこと、つまりは作戦は失敗しないであろうという自己満足的な自信が、結果として最悪なものを生み出してしまったことになる。


 従軍記者であった牧島貞一氏の著書には興味深い話が豊富にある。「ミッドウェー海戦・太平洋戦記」からまとめてみよう。


 「大和」で開催された作戦会議から帰ってきた赤城の飛行隊長村田重治少佐は赤城に帰ってきたが、ちょっと様子がおかしい。

「おい、こんな人をくった作戦があるかね。われわれ機動部隊を、さきに出しておいてさ、大和は三〇〇カイリもうしろから、ついてくるという・・」

 副長の鈴木中佐がそれを聞いてすかさず相槌を打つように言った。

「大和が三〇〇カイリさきにいく、というなら話はわかりますがね」

「とにかく、あんな役にもたたねえ大砲をもったやつが、航空母艦のうしろからついてきて、なにができるかね。そのくせ、おれたちにも獲物を少し残しておいてくれよ、とGF参謀でいっていたやつがあったが、あいつら、戦争を見物にくるつもりらしい」

 と村田少佐は憤慨していた。その毒舌を聞いていた総指揮官の淵田中佐も口を開いた。

「まったくだ。三〇〇カイリさきに出て、敵と交戦するのなら、あの大砲も役にたつだろうし、あとからいく機動部隊の飛行機も活躍できるさ。しかし、大和が、われわれのあとからついてくるとは、どう考えても、戦争する意志がないとしか受け取れないね」

 牧島記者はその会話を聞き、先行きが不安になっていた。

「しかし二航戦の山口少将はえらいね。ちゃんと自分の考えていることを、GF長官のまえで言ったからね」

 と鈴木中佐が言うと、

「うちの長官はだめだよ、水雷屋だもの」

 と村田少佐が落胆した感じて答えた。

「しかし、まあいいですよ、勝つことは勝つから」

 航海長である三浦中佐が和らげるように言った。

 村田少佐は、牧島の方を向いて言った。

「あまり敵がいないのも、つまらんて。・・どうだ報道班員、今度はわしの飛行機に乗っていかんか。おもしろい写真がとれるぞ」

 少佐は牧島の顔をみてニヤついている。牧島はこれがチャンスと思った。そして、

「ええ、是非乗せて下さい」

と言うと、

「いや、おれの飛行機に乗っていけよ。ミッドウェーにおろしてやるぞ」

 と、ミッドウェーの航空隊司令森田大佐が言った。

「えっ、島へつれていってくれるんですか。そりゃいいですね。第一あそこへ降りなくちゃあニュースにならんですよ」

「島へおりて二、三日見物したらいいよ。帰るときは、飛行機で本艦まで送ってあげるよ」

 牧島はすっかりミッドウェー島に着陸することを決めていた。

 牧島は昼食を済ませたあと、ゆったりとした気持ちで煙草をふかしていると、通信長が忙しそうにして入ってきた。

「まったくやりきれん、きょうは電報だけで百五十、六十通もあるんだ。そのうえに、緊急電報が五、六〇通も割りこんできたものだから、もう無茶苦茶だ。朝受けつけたのも、まだ打てないしまつだよ」

「まあいいじゃないか。明日出港すれば、もう打ちたくても打てなくなるでしょう。そうしたらゆっくり休んでください」

 と鈴木中佐が言った。

「念には念を入れ、ということもあるが、わかりきったことや、不必要と思われることまでくりかえして打たれたんじゃ、やりきれんよ」

「ハハハハ、また、通信長のやりきれんがはじまった」

 牧島は過去に第一次大戦の戦記物を読んでいて、英国海軍がドイツ海軍の無電の数が多くなっているのを見て、近々艦隊が出港することを知ったという記事を思い出し、近くにいた千早大尉に聞いてきた。

「無電の数が今日は非常に多くて、明日になってピタリと少なくなれば、敵はすぐわれわれが出撃したと思うでしょうね」

「そうですよ。こんなことをすれば、すぐばれてしまいますよ。それに、もっと驚いたことには、呉のおでん屋や床屋の連中までが、もうわれわれがミッドウェーへ行くことを知っていることだよ」

 牧島はやはり当然のこととして聞き驚くことはなく、大尉にに報道関係のことを話した。

「われわれ報道関係のものは『よく知らぬは日本ばかりなり』といいますよ。日本の軍事外交の秘密は、日本人より外国人のほうが、よく知っていることが多いからです。また、外国に知れてしまっていることがわかっているのに、日本人に知らせないことがよくあるからです。たとえば、真珠湾攻撃にいった『特殊潜航艇』ですね。あれは敵が、すぐ引き揚げて写真に撮ったのですが、それがドイツの手に入って、ドイツから日本の同盟通信社に電送してきたのですよ。それを海軍省がさし押さえて、発表させなかったのですから」

 千早大尉は怪訝そうな顔で聞いていた。牧島は今回の作戦は米側に知れてしまっていないか心配になった。そして、牧島は親しくなった士官から多くの話を聞いて、嫌な予感をも感じていたが、皆は勝ち戦気分であることも気がかりではあった。ハワイ作戦に比べれば、秘匿性は皆無であったことが心の中に不安な心を潜ませていた。


 機動部隊は訓練も早々に切り上げての出撃となるわけであるが、作戦半年で搭乗員で戦死したもののおおく、内地航空隊への転勤もあり、各空母には新たに転入してきたものも多くあり、実際はあと一ヶ月は訓練が欲しいところであった。第一航空艦隊の戦闘詳報中に「作戦準備」の項があり、それには満足のいかない情況であったことが伺える。


「艦上機ハ四月下旬鹿児島(赤城)鹿屋(加賀)富高(飛龍)笠ノ原(蒼龍)岩国(爆撃嚮導機)ニ基地ヲ設営訓練ニ従事セリ。

水上機ハ五月五日ヨリ鹿児島ニ基地ヲ設営訓練ヲ開始セリ。

飛行作業ハ極メテ順調ニ経過セシガ相当広範囲ノ転出入アリシ為各術科共基礎訓練ノ域ヲ出デズ。特ニ新搭乗員ハ昼間ノ着艦漸ク可能ナル程度ニ達シタルニ過ギズ夜間攻撃ニ対シテハ旧搭乗員モ漸次技倆低下セルコト、又連合訓練ノ機会ナカリシ為触接隊照明隊攻撃隊ノ連繋意ノ如クナラザル為到底成果ヲ機(期カ)待シ得ザル情況ナリ。

㋑雷撃

 五月中旬横空委員成績調査ノ下ニ艦隊ニ対シ雷撃擬襲(一部実射)ヲ実施セシガ成績極メて不良ニシテ此ノ技倆ノモノガ珊瑚海ニ於テ斯ノ如キ成果ヲ収メタルハ不思議ナリトノ講評アリシヲ以テ更ニ五月十八日高速航行中ノ8sニ対シ実射セシニ三十節四十五度回避ニ過ギザリシガ成績又不良ニシテ特ニ水深四〇乃至五〇米ニ於テ約三分ノ一ノ失踪魚雷ヲ出セリ

㋺水平爆撃

 爆撃嚮導機ハ岩国ニ集中シテ摂津ニ対シ動的爆撃訓練ヲ行イ相当ノ技倆ニ到達セシガ編隊爆撃訓練ノ機会ヲ得ラレザリキ

㋩急降下爆撃

 摂津ノ行動海面内海西部ニ限定セラレ居ル為往復ノ費消時間多ク著シク他ノ基礎訓練ヲ妨グルヲ以テ動的爆撃訓練ハ一日一回ヲ出デズ。而モ飛行機整備ニ追ハレテ此ノ訓練サヘモ満足ニ出来アル実状ナリキ

㋥空戦

 戦斗機ノ空戦ハ射撃実射竝ニ単機空戦ノ所謂基礎訓練ヲ実施セルニ過ギズ

 編隊空戦ハ一部旧搭乗員ヲシテ三機程度ノモノヲ実施セリ

㋭着艦

 各母艦共整備中ナリシ為使用シ得ルハ加賀一隻ニシテ早朝ヨリ夜間迄実施シ新搭乗員ヲ着艦可能ナラシメ旧搭乗員ノ約半数ニ薄暮着艦一回ヲ経験セシメタル程度ナリ
㋬夜間飛行

 天候許ス限リ各基地共連日訓練セシガ整備ノ為機材少ク且日数短キ為若干者ニ対シ夜間飛行ノ概念ヲ与フル程度ニテ終了セリ

 一方各艦ハ補充交代ニヨリ個艦戦斗能力相当低下セルニ加ヘて、各母港ニ於テ出撃数日前迄整備シアリテ其ノ技倆低下ハ相当大ナルモノアリ

 隊トシテノ訓練モ亦日数ニ限リアリテ思フニ任セズ、新編制ノ10sノ如キ或ハ飛行警戒艦トシ或ハ対戦直衛艦トシ分離シアリテ綜合訓練ノ暇ナカリキ

 況ンヤ艦隊訓練ニ於テオヤ。敵情ニ関シテハ殆ンド得ル処無ク特ニ敵空母ノ現存数其ノ所在ハ最後迄不明ナリキ、之ヲ要スルニ各艦各飛行機共訓練不充分ニシテ且敵情不明ナル情況ニ於テ作戦ニ参加セリ


 機動部隊参謀や航空隊司令などからみれば、各種航空機の搭乗員の練度は中隊レベルでいえば全体的に低下していると見たのであろうが、米軍の艦載機に比べれば、はるかに優れたものであった。特に雷撃機は機体も雷撃態勢も格段に上まっていたことは誰もが認めることであろう。特に新任搭乗員の離発着や攻撃態勢はやはり訓練の回数が必要であり、一ヶ月未満では不充分であった。

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