第三話 米国の動向と暗号解読

 米軍の勝利の鍵は情報戦略によるものが大きい。一つは探知能力としてのレーダーの役割。もうひとつは、日本軍の使用する暗号を解読して日本軍の作戦行動を知ることである。

 ミッドウェー島は一八五九年に米船「ガンビア号」の船長ブルックスにより発見されたアメリカ合衆国の領有権を主張したのに始まり、一八六七年米海軍軍艦「ラッカワーナ」(スループ船)が来訪して合衆国の領有を宣言した。その後給炭所を建設する予定であったが失敗し、しばらくは無人の島であった。


 日本は明治維新後、南洋の孤島でのアホウドリの羽毛を採取する事業を手がけており、太平洋の島々を探索するうちにミッドウェー島にアホウドリが生息しているのを発見し、合衆国政府への借入問題が検討されたが、合衆国は主権を主張し、一九〇三年には米海軍の管理下に置かれた。

 それにより、海底電信線が敷設され、灯台の建設や少数の海兵隊が駐留していた。


 ミッドウェー島には余り知られてはいないが、ワシントンに赴任する来栖大使が中継地として利用したことである。回想録「泡沫の三十五年:外交秘史」によれば、飛行機の発動機故障で二日間滞在したという。そしてこの間にチャーチル首相の演説ニュースで「不幸にして米国が日本との戦争に巻き込まれた場合には、英国は一時間を出ずして日本に宣戦を布告するだろう」という内容を知り、今後の日米交渉に英国の斡旋を期待する考え方は断念したという。


 ミッドウェー島の航空基地としての価値を米軍は認め、一九四一年八月海軍航空基地が開設され、シマード中佐が初代の司令官に任命され、サンド島には水上機基地と港、油槽タンクなどが、イースタン島には長さ五千三百フィートの滑走路が建設完成していた。上空から見ると、島全体が滑走路のように見える。

 日米開戦の十二月七日十八時四十二分(現地時間)日本の駆逐艦からの砲撃を受けて、水上機格納庫や倉庫が消失し、カタリーナ飛行艇一機が大破、守備隊四名が死亡し、十名が負傷した。

 米海軍は十二月クリスマス前までに、「ヴィンディケーター」偵察兼爆撃機十七機と戦闘機を派遣した。

 開戦当時、ミッドウェー島には民間の建設作業員が多数いたが、その連中は西部のあらくれ者であったが、日本軍の艦砲射撃を浴びるや散々に逃げ惑い掩体壕を掘り意気消沈していたという。


 米機動部隊のうちハルゼー提督ひきいる第十六機動部隊は珊瑚海へと急いでいたが、戦場には間に合わず、「レキシントン」沈没の悲報をうけていた。彼らは日本海軍部隊への復讐を願い、日本部隊を捕捉するために西方に向かったが、ニミッツ提督は真珠湾への帰投命令を出していた。真珠湾に到着したのは五月二十六日であった。ニミッツがハルゼーを迎え出たが、その容姿の変貌に驚愕した。痩せ衰え目は落ち窪み、皮膚炎か赤と白の鱗状の発疹が吹き出ていた。ストレスからくるものの間違いなかった。「戦闘性ストレス」によるものだった。ニミッツはすぐさま海軍病院行きを命じた。

 代わりの司令官として後釜として浮かんだのはハルゼー指揮下の巡洋艦部隊指揮官であるスプルーアンス少将であった。ハルゼー自身が推薦したもので、ニミッツも彼を高く評価していた。それが間違っていなかったことは、後の戦歴が証明することになる。


 珊瑚海海戦で損傷した空母「ヨークタウン」が真珠湾に入港したのは五月二十七日十四時三〇分であった。外見上大きな損傷は見当たらなかったが、それは応急修理の仕事がすばらしかったからであるが、内部はかなりやられていた。燃料タンクに亀裂が入り、燃料は漏れ航跡として油膜を引いているのがわかった。見立てでは約三ヶ月を要する修理だった。しかし、さしせまった戦況はそんなことは許されなかった。ドックに入った「ヨークタウン」は作業員が外部を調べ、内部に入って調査をした。修理は出港を予定している四日後には終了していなければならなかった。早速突貫工事が始まった。千四百名に及ぶ作業員が修理にあたり、昼夜交代で働いた。乗組員も普通であれば休暇が与えらえるが、上陸は許可されず、食糧の補給、弾薬の補給にあたっていた。

 無理だと思われた工事は二十九日の十一時頃には大方終わり、ドックに海水が満たされ、ドックから出た。工事はまだ続けられていた。午後には燃料補給がはじまった。修理は完璧とはいえなかったが、充分な修理であった。そのことは海戦での耐久力で証明したのである。

 次の作戦に参加できる資格を得たわけである。米海軍としては空母二隻と三隻ではおおいに違っていた。

 艦載機の方は、空母「サラトガ」の第三飛行隊が「ヨークタウン」の第五飛行隊と交代した。「ヨークタウン」の艦載機は珊瑚海海戦で大きな打撃を受けて、再編成を必要としていたので大きな力となった。


 ニミッツ提督の「太平洋海戦史」には次のようにある。

『米国は日本の暗号電報を解読できたので、日本の計画に関する情報はきわめて完全であった。ニミッツ提督が得た情報は、日本の目的、日本部隊の概略の編成、近接の方向ならびに攻撃実施の概略の期日に関するものである。

 このように敵情を知っていたことが米国の勝利を可能にしたのであるが、日本の脅威に対処するにはあまりにも劣勢な米兵力の点から見れば、米国の指揮官にとって、それは不可避な惨事を事前に知ったようなものであった。

 ニミッツ提督が直面した最初の決定は、アリューシャン列島を放置するか、それとも中部太平洋を犠牲にしてアリューシャン方面を強化するか、ということであった。彼は後者を選び、巡洋艦五隻、駆逐艦一四隻、潜水艦六隻の兵力をアリューシャン方面に派遣した。これら兵力は、陸上基地飛行機も指揮した海軍少将ロバート・A・セオボルトの指揮下にはいった。

 中部太平洋についていえば、ミッドウェーそのものは、切迫している大きな攻撃を撃退するに足る充分な兵力を保持するには、あまりに小さな島であった。真珠湾から約一、一〇〇マイルにわたるハワイ諸島の北西端に位置するミッドウェーという小さな環礁は、サンゴ礁でとりかこまれた二つの島からできている。この二つの島のうち大きいほうのサンド島でも長さはわずか二マイル、一方、滑走路のあるイースタン島はサンド島の半分強の大きさしかなかった。しかし、ミッドウェー防備強化のためには、あらゆる手段がつくされた。水際とその付近近海には機雷が敷設された。海兵隊の守備兵力は増員され、高射砲は増強された。最後に、航空兵力は島の施設が許す限度にまで増強された。哨戒用としては、約三〇機のPBY飛行艇が配備された。ミッドウェーとオアフ島の間には絶えずB17が連絡に任じ、、六月三日には、その一七機がミッドウェーにいた。海兵隊の飛行中隊は、より近代的な装備をもつ空母機で編成された。海兵隊は攻撃当日、防御用として二六機の戦闘機を保有していたが、大部分は旧式のブルースター・バッファロー機であった。そして攻撃用としては三四機の索敵爆撃機を有し、それは大体ダグラス・ドーントレス機と、ヴォート・シコルスキー・ヴィンディケーター機に分かれていた。

 これは飛行機のパイロットは。飛行学校出たての者が多く、まだ急降下爆撃の訓練を受けていなかった。四機の陸軍B26があり、この機種は適当でないにもかかわらず、魚雷攻撃用に応急に改装された。この島における唯一の本当に有効な飛行機は、初めて太平洋正面に配備された六機のTBFアヴェンジャー雷撃機であった。こうした雑多な飛行機は、準備のできていない国家が重要な地点を防衛するために集め得た最上のものであった。』


 ミッドウェー海戦における勝敗の鍵の一つは暗号解読にあったとも言われている。

 米海軍にとって日本海軍が使用する暗号を解読することは自分たちの作戦を構築していくうで最重要課題の一つであった。外交暗号は日米開戦前にはほぼ解読に成功していたと言われるが、海軍の使用する「D暗号」は解読について開戦頃にはかなり解読が進んでいたが、十二月初旬に改訂され解読不能に陥った。新しい暗号は五桁からなるもので、日本海軍が解読不可能と信じてつくりあげたもので、四万五千個の五桁数字からなり、さらにそれぞれ五万個の五桁乱数を加えて強度を高めた二部性の暗号であった。

「暗号書は発受二冊制の数字五字符号のもので、使用規定、乱数表が別に準備され、暗号書による第一次暗号を、使用規定に基づいて乱数表によりさらに換字するものであった。・・

 信文を暗号化するのには、まず地点、地名、暦日を換字したのち、これを発信用暗号書で数字五字ずつの第一次暗号文とする。さらにこれを換字するのであるが、これには使用規定に定められたところにより乱数表を使用する。乱数表は数字五字からなる語が一頁一〇〇語で五〇〇頁ある。使用規定によりその乱数中使用開始の符号を選び、その符号から順序に第一次暗号に非算術的に乱数表の数字を加え、その結果が暗号文となる。翻訳の場合はその逆の手続きをとるのである。」

(宮内寒彌著「新高山登レ一二〇八」六興出版)


 例を示せば、連合艦隊を表す一次暗号文は72984である。これに乱数表の頁と座標を指定する。25208とすると、二〇五頁の縦軸0、横軸8が開始地点の五桁数字となる。その電文が何個目かにより決め、五番目のものであれば、30835と記入し、七二九八四と三〇八三五を足す。足すのは一桁ずつで一位のところを記入する。7+3=0、2+0=2、9+8=7、8+3=1、4+5=9で、02719となりこれが暗号電文となる。解読には乱数表が必需となる。この方法は暗号を作成するときに使用されたものも多い。たとえば、聖書だとかブリタニカ百科事典などを利用する手である。

 キーとなる開始を何ページのどこから始めるかスタートする字を決めておくのである。


 例えば、ラバウル攻略の際の「R攻略部隊支持特定信号」が部隊に規定配布されている。それには上陸時に使用する信号と意味が略語で表記されている。例でいうと、「セコ連送」が「上陸成功」「ルフタ」が「敵降伏」という具合である。気象通報については略語とその使用例が記入されている。

 略語   意味

 キセ   ROノ風向〇〇〇度風速〇〇米

 ヘンヨイ A地点付近舟艇泛水可能

 トヨ   A点付近漂泊中ノ動揺片舷〇〇度

そして例が示されている。

 意味 ROノ風向三一〇度風速五米、二一〇〇

 電文 キセ、三一〇、〇五、二一〇〇

 意味 A地点付近漂泊中ノ動揺片舷五度泛水可能

 電文 トヨ、〇五、ヘンヨイ、二一〇〇

電文だけ見れば何のことか不明であるが、事前に略語を設定し利用している。作戦時だけの限定版であるが、これも簡単な暗号である。


 ドイツ軍が使用した暗号は「エグニマ」と呼ばれるもので、タイプライター式の換字暗号機である。古代ではたとえばAをGとして、そこから換字、BはHというふうにであるが、エグニマは回転ローターが組み込まれ、行く通りかの換字で暗号化していくタイプで連合国軍の解読作業は難攻したといい、沈没した潜水艦からのエグニマの回収などをして解読作業をしたというが、ドイツ側の改善も頻繁に行われたため、暗号と解読は大戦中続けられた。

 

 暗号とは少し違いますが流通商品に付帯されているJANコードがありますが、これも十二桁+CD(チェックデジット)一桁の十三桁で運用されている、機械暗号みたいなものです。CDは十二桁の数字を特殊な方法で計算した結果を表したもので、その末尾が違っていれば当然弾かれるシステムです。その計算式を組み込まれたバーコードリーダーがなくては、レジシステムは動かない仕組みです。

 例えば、伊藤園おーいお茶345mlのバーコードは4901085193839です。

 先頭の十三桁目の4から奇数桁から加算していきます。4+0+0+5+9+8=26となります。今度は偶数桁を加算します。9+1+8+1+3+3=25となり、これを三倍すると75となります。結果の26と75を足します。101となります。末尾は1になります。10からこの1を引くと9となり、これが末尾のCDとなります。したがって末尾の数字が違っていれば、エラーコードとなります。瞬時に見分けるためにバーコードリーダーが存在しています。


 米国太平洋艦隊に直属する通信組織のうち「戦闘情報班」(CIU)とよばえるもので、ジョセフ・ジョン・ロシュフォート少佐が指揮をとり、トマス・ダイヤー少佐とウェズレー・ライトの専門家とともに、解読にあたった。あとは助手、書記、翻訳家からなるグループであった。

 改訂されたあと、新しい暗号の解読作業にあたり、その月のクリスマスまでには以前のものと同じ程度まで解読できるまでにはなった。が、解読内容はチンプンカンプンといえるもので、開戦後は日本海軍の通信量は当然増加し、人手不足に陥ってきた。そんな中真珠湾で大破した戦艦「カリフォルニア」の軍楽隊が配属されてきた。それが意外な効果をもたらした。解読になぜか光明がみえてきたのである。音楽と数学が関係あるのかわからなかったが、作業は順調にすすんでいった。根気のいる作業ではあるが、それを助けたのは最近開発されたIBMの計算機であった。膨大な資料を整理するには大いに役に立った。これは今にいたるまで色々な分野で貢献しているコンピューターであり、その草創期の代物であったが、何人の手伝いもこなしてしまう能力は魅力であった。


 五月の段階で日本海軍の無線の六割を傍受してそのうち約四割の解読を試み、なんとか一〇%から一五%の解読に成功していたというが、全文の解読は不可能だった。重要な語句が解読できれば、つなぎあわせてあとは空白を想像して埋めては直し埋めては直す作業が続いた。日本軍の狙いは南太平洋なのか中部太平洋なのか確信的なものは見つからないでいた。しかし、五月に入ってからトラック諸島からでなく、サイパンからの無線発信が増加傾向にあった。米海軍はこれはあらたな作戦が中部太平洋方面に向けられていると判断できるもので、その内容からサイパンへの燃料補給や、クエゼリンからの偵察飛行が増加したことも、作戦開始が迫っていることを察した。

 五月十三日に傍受した電文から大きな情報が解読された。一つはハワイ諸島一帯の海図の要請であり、もう一つは補給船の行動から将来の基地にAFという地点があることだった。ただ、AFという位置は不明であった。AFは暗号でなく地点を表す略語であったから解読はできない。ただ通信文の予想からハワイ諸島を含むアメリカのどこかの島であることは予想できた。ハワイに一番近く戦略的に有効な島といえば、ジョンストン島がミッドウェーしか考えられなかったが、部隊を派遣するにはどちらかはっきりさせておく必要があった。


 あと暗号解読に貢献したと思われるのが、一九四二年一月二十日米豪海軍に撃沈された伊号一二四潜水艦である。翌二十一日濠敷設艦「クッカバラ」は潜水艦の位置を確認し、その後潜水夫チームを潜らせ潜水艦内部を探索し日本海軍の暗号書を回収することに成功した。この時に回収した暗号書は「戦略常務暗号書D」「戦術暗号書乙」「航空機暗号書F」「商船用暗号書S」「漁船用暗号書Z」「補給用暗号書辛」などを引き揚げたというが、これがどれほど役立ったのか公表されてはいないので詳細は不明であるが、以後の作戦の解読に貢献した可能性は高いと思われる。


 ロシュフォート少佐ははっきりさせるために計略を考えた。ミッドウェーの指揮官に平文で「蒸留装置が故障して、環礁には真水が不足している」と報告するようにしむけたのである。

 その平文を傍受したウエーク島の通信隊はこれを軍令部に報告し、連合艦隊宛に「AFでは真水が不足している」と通信した。日本海軍は米海軍の工作にまんまと乗ってしまったのである。これで、AFとはミッドウェーを指すことと確定したのである。あとはいつ作戦が決行されるかである。日時が狂えば米海軍が出撃しても空振りとなる。

 作戦の全貌はほぼ暗号で解読されたが、攻撃開始日については解読できていなかった。そこでとった方法は、サイパン島から出港する五月二十七日と護衛部隊の到着日の六月六日から推理して逆算することであった。おそらく六月三日か四日にダーチハーバーとミッドウェーを空襲するであろうことを推論し、ニミッチ提督とその幕僚たちに説明した。ニミッツはロシュフォートを信じてさらに言及した。

「南雲の空母群はおそらく六月四日の朝にミッドウェーを攻撃するでしょう。彼らは北西の方位三二五度から接近し、ミッドウエーからおよそ一七五浬の地点で発見されるでしょう。その時刻は現地時間でおよそ六時ころです」

 ニミッツ提督は決断して、機動部隊に出動を命令した。万一南雲部隊が来なくても決して損はない賭けであった。暗号による情報はパーフェクトではなかったが、司令官として勝負にでることを決心したのである。

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