第十九話 史上初の空母戦

 五航戦司令部は空母「レキシントン」を撃沈し、空母「ヨークタウン」も撃沈確実だと考えていた。


 南洋部隊MO機動部隊の戦闘詳報には、次のように記載されている。


『朝来屢々断続スル「スコール」アリ 〇八五〇頃ヨリ一〇二〇頃迄ノ間ニ敵機多数(六〇機以上)数次ニ分レテ来襲主トシテ視界比較的良好ナル方向ニアリシ翔鶴ニ攻撃ヲ集中 急降下爆撃及雷撃ヲ以テ攻撃シ来レリ 5sf戦斗機及各艦砲撃ニ依リ撃墜又ハ撃攘ニ努メ壮烈ナル戦斗ヲ展開ス

翔鶴ハ巧ニ敵ノ来爆撃ヲ回避シタルモ爆弾三発命中至近弾八ヲ受ケ火災ヲ生ジ相当ノ損傷アリ 其ノ他ノ各艦被害ナシ 我ガ攻撃機隊ハ〇九二〇頃敵空母ヲ捕捉戦斗機及砲火ニ依ル猛烈ナル敵ノ反撃ヲ冒シ突撃ヲ決行忽チニシテ「サラトガ」型一隻ヲ撃沈「ヨークタウン」型一隻撃沈確実ノ戦果を挙ゲ帰途ニ就キ一一〇〇頃ヨリ一三〇〇頃迄ニ帰着瑞鶴ハ翔鶴機ヲ併セ収容シ爾後ノ作戦ニ必要ナル兵力整理ヲ行フ』

 

 撃沈した「レキシントン」はまだ実際は浮かんでいた。速力も二十五ノットが可能であったし、傾斜も水平に戻りつつあった。致命的な損傷はなかったと応急指揮官のヒアリー中佐はシャーマン艦長に報告し、艦長も安堵していた。しかしそれも束の間突然の大爆発が艦内で発生した。命中した魚雷の爆発によりガソリンタンクに亀裂が入っており、液体は艦外に流出していたが、一部は気化してたまっており、発電機の火花によって点火爆発したのである。その爆発は数回続いた。艦内の連絡網はズタズタになり、応急班のいる中央指揮所は吹き飛び、ヒアリー中佐も吹き飛ばされていた。それでも「レキシントン」は強靭ぶりを発揮して二十五ノットで航行していた。飛行機の着艦も通常どおりに実施されていた。だが最初の爆発からおよそ二時間後再び大爆発を起こした。今度は重大な爆発で機関室と機械室の換気装置を大破してしまい、艦の行足は止まってしまった。火災は手がつけられない状況になり、消火作業も断念せざるを得なくなった。そして、シャーマン艦長は最後の命令「総員退去」を発した。


 前掲の従軍記者であるジョンストン氏は手記に次のように記している。


『時のたつにしたがって、ガソリンの臭気が艦内に浸透していった。上部では、艦の傾斜を修正しつつ、防御に必要な飛行機だけを収容していた。

 前方の火災は鎮火せしめる術もなかったが、ヒーリー〝おやじさん〟はいっこう気にもかけていなかった。彼はシャーマン艦長とあの火災はやがて止むであろうと語り合っていた。帰艦して来たパイロットたちは、最後の空襲に関する打ち合わせのために士官室に集まりはじめていた。

 ちょうどそのとき、レキシントンに、いままで経験したこともないほどの大震動が、二、三回起こった。それは、艦内ふかく滲透していたガソリン・ガスの爆発によるものであった。この爆発で、ヒーリー中佐をふくむ応急作業員のほとんど全部が倒れた。そして、さらにこの爆発で艦首方向の電気装置と、電話装置の全部が使用不能になってしまった。

 爆発がつぎつぎに起こり、火災は拡がる一方だった。火災は思うままにつのり、応急員は火災に通ずる空気路を遮断し、各防水扉を完全に閉鎖した。しかし、高熱は隔壁鋼板を赤くするくらい猛烈なものになって行った。弾火薬庫も、つぎつぎに爆発した。

 あらゆる消火作業が必死につづけられた。しかし、午後四時ごろ、ついに艦内通風装置が全部停止してしまった。全主機械室が放棄された。

 航海長はもっとも近い陸地までの距離を測定していた。オーストリアのタウンスビルが西方約三五〇カイリのところにあったが、正規の航路を通るわけにはいかなかった。

 夕闇のせまるすこし前、航海艦橋において、フィッチ司令官とシャーマン艦長と間で会議がひらかれた。その結果、生存している者をできるかぎり無事に救出することに意見ん一致を見た。彼れはレキシントンを戦列外に取りのぞくことを決めた。いまだ見捨ててしまうことは考えていなかった。

しばらくし甲板によじ登ったとき、私はそこのセリグマン中佐を見つけた。彼は、自分の乗っていた艦が、なおも燃えさかり、絶え間ない爆発のために震動を起こしつづけている姿を、悲痛な面持ちで見まもっていた。

 その夜は真の闇だったが、当番艇はすでに活動を開始し、レキシントンの生存者を、一人一人、海中から救い上げていた。レッキスの人的損失は、四百五十名以内の見込みである。

 セグリマン中佐は、フィッチ長官が、この巨体を沈めるために、駆逐艦一隻を呼ぶように発令した、と私に語った。

 レキシントンは、いまや浮かべる炎の塊である。

 味方駆逐艦が、レッキスめがけて、魚雷を発射した。私は、この魚雷命中を見た。それは四発であった。まもなく右舷の方に、小山のような水柱が持ち上がるのを見た。あたかも火炎に向かって、ナイアガラ瀑布がぶつかっていくような感じである。やがてこの現象も、ようやく止み、水面は平静に帰したが、レキシントンは、いぜん燃え続けていた。

 十分ほどたつと、艦は目立って浸水しはじめた。レッキスはしだいに沈みつつあった。しかし、ひっくり帰ったり、艦首は艦尾を水上高く突き上げるようなみにくいまねはしなかった。その最後のときにさえ、信号旗が航海甲板上にはためいていた。その信号は、「ワレ本艦ヲ放棄ス」であった。』


 さて、珊瑚海海戦の影の功労者は、偵察担当であった菅野飛曹長機の三人の勇者たちであるといってもよいであろう。

 索敵による貢献偉業で山本連合艦隊司令長官から全軍布告と二階級特進が発表された。これは特例ともいってよい出来事であった。


「連合艦隊布告

               『翔鶴』索敵機

                海軍飛行兵曹長 菅野兼蔵

                海軍一等飛行兵曹後藤継男

                海軍一等飛行兵曹岸田清次郎

 昭和一七年五月八日、偵察機トシテ珊瑚海海戦ニ参加、敵機動部隊ヲ発見、隠密裏ニコレガ接触ヲ確保シ、刻々ニ的確ナル敵情ヲ報告シ、友軍攻撃隊ノ来攻ニ会スルヤ、自己機ノ燃料不足ニシテ帰還不可能ナルヲ知リツツ、再ビコレヲ敵方ニ誘導シ、ソノ適切ナル運動ニヨリ、攻撃機隊戦闘ヲイチジルシク有利ナラシメタルモ、爾後、敵戦闘機ト交戦シ、被弾ノタメ壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタリ。

 ヨッテココニソノ殊勲ヲ認メ全軍ニ布告ス。

   昭和十八年一月一日           連合艦隊司令長官」

       

 福地少佐はその手記のひとつ「海軍くろしお物語」(公人社NF文庫)の中で、この三名のことを詳細に伝えている。

 特に悲壮なのは、電信員であった岸田清次郎一飛曹である。彼は大正十一年四月二十七日生まれというから、この時二十歳になったばかりの青年であった。近江八幡市に生まれ膳所中学に学ぶ岸田は予科練を志願して見事合格。第三期甲種予科練習生として昭和十六年秋に卒業し、空母「翔鶴」の搭乗員として乗艦した。

 氏の手記には、岸田の両親に宛てた便りが紹介されているが、これを読むと二十歳とは思えぬ文脈と心情が綴られており涙を誘う。


 攻撃隊の指揮官としての高橋赫一少佐も華々しく散った将校である。高橋は明治三十九年十一月徳島県現在の三好市に生まれる。大正十五年海兵五六期として入稿。昭和三年卒業して、翌四年少尉に任官。昭和六年中尉に任官し、霞ヶ浦航空隊で飛行学生となる。卒業後昭和九年大尉に任官し、翌十年空母「加賀」乗組となる。その後、大村空、十三空などを経て、昭和十六年八月、空母「翔鶴」飛行隊長として赴任し、真珠湾攻撃をはじめ各海戦に指揮官として活躍する。


 高橋少佐もその活躍によって山本長官から全軍に布告が行われ、その功績を讃えた。

『 布告

                翔鶴飛行隊長  高橋赫一

 攻撃隊指揮官トシテハワイ、ポートモレスビー、インド洋方面ノ各作戦ニ従事シ、珊瑚海海戦ニオイテハ攻撃隊ヲ率イテ薄暮敵ノ機動部隊ヲ索メテコレヲ発見スルニ至ラズ、帰還ノ途上タマタ敵航空母艦ヲ発見スルヤ、悠々敵ノ動静ヲ偵知シテ夜間帰投シ、疲労大ナル部下ヲ鼓舞激励シ、翌日更シ敵機動部隊ニ殺到シサラトガ型敵航空母艦痛撃撃沈シ際シ敵弾ヲ受ケ、壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタリ。ヨッテココニソノ殊勲ヲ認メ、全軍ニ布告ス。

                   連合艦隊司令長官    』


 ニミッツはその著「太平洋海戦史」のなかで次のように珊瑚海海戦の意義を述べている。


『かくして、相対抗する両艦隊が互いに相手の艦を視界内に入れないで行なわれた、歴史上最初の海戦であり、戦争における最初の空母による戦闘は、日本軍が戦場を保持し、米軍が退却することによって、その幕を閉じたのである。

 戦術的に見るならば、サンゴ海海戦は日本側にわずかに勝利の分があった。日本側は米側より相当多数の飛行機を失い、人員の損失は米側の二倍であったが、三〇、〇〇〇トンの空母「レキシントン」の沈没は、一二、〇〇〇トンの軽空母「祥鳳」の喪失よりはるかに犠牲が大きく、そして日本側がツラギで失った駆逐艦と小艦艇は、米側の給油艦「ネオショー」ち駆逐艦「シムズ」の損失と、ほぼ匹敵するものであった。しかし、これを戦略的に見れば、米国は勝利を収めた。開戦以来、日本の膨張は初めて抑えられた。ポート・モレスビー攻略部隊は、目的地に到着しないで引き揚げなければならなかった。』


 宇垣纏参謀長は「戦藻録」の中で次のように記している。


『第四艦隊司令長官は午前の働きに対し見事なりと之を賞揚せるに関らず、機動部隊の攻撃行動を止め北上すべきを下命せり。其意甚不可解なるに依り参謀長宛進撃の必要なる処情況承知し度旨発電督促せり。然るに本電に対する回答を与えざるのみならずモレスビーの攻略を無期延期し、オーシャン、ナウル島の占領を予定通実施し各隊を夫々防守的に配備せんとす。茲に於て参謀連は憤慨して躍起となり、第四艦隊は祥鳳一艦の損失に依り全く敗戦思想に陥れり。戦果の拡大残敵の殲滅を計らざるべからずと参謀長宛電を以て迫る。今より引返すも時既に遅し、夫よりもモレスビー攻略の策を練る方有利ならずや。追撃の要は先電に依り明なり今更追立てても混乱を来すのみと考え、少々被害の言に考慮を求めたるが、其の精神は尊重すべき事勿論なるを以て遂に長官命令として四、六十一艦隊長官に発令せり。自隊の損害を過大視して追撃を鈍り、戦果の拡大を期するに遺憾の点往々にして見るは、昔も今も其の軌を一にす、本日午後第二次の攻撃は不可能なるにせよ、敵空母は全滅せしめあれば、ツラギよりの飛行艇又は五戦隊の水偵を以て触接を維持し、機動部隊は六戦隊六水戦等を合して之に近接、攻撃機の準備なるを以て随時攻撃を加え、又夜戦決行を為さば克く之等を全滅し得たりしならん。今後に於て深く銘記すべきなり。大本営は昨日来の戦果を今夕発表して第五次大詔奉戴日に大に意義ある贈物を為せり。国民大に喜ぶ所あらんも、余輩を以てせば不満足のもの胸底に横わりあるを如何ともし難し。』


 南洋部隊が敵残存の部隊を追撃して戦果拡大をすることなく、引き揚げてしまったことへの憤慨を綴っている。

 

 実際、南洋機動部隊は海戦後どう行動しよとしなのであろうか。「戦闘詳報」からみるに、機動部隊は艦隊の巡洋艦、駆逐艦の燃料が乏しくなっている関係上、燃料補給の上に兵力の整理をおこない攻撃の再興すべく行動をする予定であったが、南洋部隊指揮官より

「攻撃を止め北上せよ」

「MO作戦延期MO機動部隊は補給の上ソロモン群島北東海域に進出ナウル作戦間接支援に任ずべし」

 と命をうけ、東邦丸との会合点へと針路した。

ところが、その北上中八日二一〇〇に山本長官より

「此の際極力残敵の殲滅に努むべし」

との令があり、九日には南洋部隊指揮官より補給終了後残敵の索敵攻撃を準備すべしとの令がはいり、空母以外の艦艇の補給完了後南下を開始し、索敵を行ったが敵情なにも得る所がなかった。

 機会を逸したあとはもうどうにもならないものである。拙速を旨とすべしとはこの事を云い、逃した獲物は大きかった。


 空母「ヨークタウン」は爆弾一発の命中弾を受けたが、戦闘航海には支障なく、搭載機の発着艦も問題なかった。搭載機は海戦によりかなりの損失を蒙っていたが、「レキシントン」の搭載機を十九機収容しており、さらに十七機が修理を完了してある程度の攻撃可能機数を確保し、日本艦隊の追撃も可能であった。だが、それよりも重要なのは、積載燃料の不足であった。油槽船「ネオショー」が撃沈されたことで、どこかに投錨して燃料を補給する必要があり、日本艦隊が去った今、追撃どころではなかったのが現実であった。


 日米両艦隊ともいまひとつの押しがなかったといえる海戦であったが、やはりこれは見えざる敵との戦いであったという欠点でもあったといえよう。敵の情況を指揮官は眼でみることはなく、攻撃隊隊員の眼や索敵員の眼による情報で戦わざるを得ないという、初めての情況下での戦闘でもあった

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