第十八話 「翔鶴」被弾炎上

 空母「レキシントン」は六時二十五分十八機もの偵察機を発進させた。フレッチャー中将は昨夜日本軍機が誤って母艦に接近着艦を試みたことを考え、日本の機動部隊は東方ないし西方に位置することは考えられたが、はっきりとした位置は掴めていなかった。八日の索敵で発見して攻撃の先制を仕掛けることが勝負の時であった。

 ただ、天候は前日とかわり悪天候の中から晴天への区域へと米艦隊ははいっていった。

 〇八二八時、偵察機の一機スミス中尉機が空母二隻、重巡四隻、駆逐艦三隻からなる艦隊を発見したが、位置は不明であるが、その後の報告でレキシントンからの方位二八度、一七五マイルの位置であった。

 

 両空母から攻撃隊が発進した。

  「レキシントン」

    爆撃機二二、雷撃機一二、戦闘機九

  「ヨークタウン」

    爆撃機二四、雷撃機九、戦闘機六

 日本艦隊との距離は一六五浬あると予想され、それは米雷撃機にとっては遠すぎる距離であったが、距離を詰めたいと思ってもレーダーが日本軍機を探知しており、これを迎撃する必要があり、距離を詰めるのは困難であった。


 「レキシントン」の哨戒爆撃機はディクソン少佐が率いて一足先に発進していたが、少佐も日本の機動部隊を発見確認した。少佐はしばらく艦隊に接触を続けたが、燃料の欠乏により「レキシントン」に帰還する必要があった。

 フレッチャー少将は日本艦隊発見の報告を受けるや、すぐさま両空母にたいして攻撃命令を下した。


 一万七千フィートの高度まで上昇して接敵しつつあった急降下爆撃隊が速力の遅い低空を飛行中の雷撃機を待ち受けるため雲の遮蔽下で旋回飛行を続けている間に、空母「翔鶴」は風上に転じて直衛戦闘機を発進させ、「瑞鶴」とその護衛艦艇はスコールの中に姿を消していた。米軍の航空部隊は、日本軍と違い戦爆連合での行動様式が異なる。米軍はそれぞれの飛行速度が違うために、ある程度行動はともにするが、かなり離れて行動する。日本軍は低速の部隊に合わせる形式でそれぞれが視認できる状況で飛行する。なので、米軍は同時攻撃にならない場合が起きる。のちのミッドウェー海戦がいい例だ。雷撃隊の行動に気をとられたあと、急降下爆撃隊にやられたのだ。

 

 空母「翔鶴」は九機の上空直衛機を発進させていた。

  第一小隊 一番機  岡部健次二飛曹

       二番機  田中喜蔵三飛曹

  第二小隊 一番機  南 義夫一飛曹

       二番機  一ノ瀬 壽二飛曹

  第三小隊 一番機  宮沢武男一飛曹

       二番機  小町 定三飛曹

       三番機  今村幸一一飛

  第四小隊 一番機  安部安次郎特務少尉

       二番機  川西仁一郎一飛曹


空母「瑞鶴」は一〇機の上空直衛機を発進させていた。

  第一一小隊 一番機 岡嶋清熊大尉

        二番機 小見山賢太一飛曹

        三番機 坂井田五郎二飛曹

        四番機 黒木実往二飛曹

  第一二小隊 一番機 住田 則飛曹長

        二番機 佃 精一一飛曹

        三番機 藤井孝一一飛

  第一三小隊 一番機 岩本徹三一飛曹

        二番機 伊藤純一郎

        三番機 前七次郎一飛


 まずは、上空直衛戦の模様を岩本徹三一飛曹の手記から引用してその様相をみてみよう。

『攻撃隊発進後、敵機動部隊に接触中の索敵機からも、敵空母より、ただいま攻撃隊発進中の報がはいった。敵味方とも、ほぼ同時刻に、それぞれの母艦よりスタートしたのである。あと、一時間半もすれば、敵攻撃隊は来襲する。味方機動部隊の安否は、われわれ上空直衛隊の双肩にかかっている。

 私たちは暫時待機の位置で、刻々にはいってくる敵情を聞いていたが、やがて艦長の命を受けて、機上の人となった。

 本日の上空直衛は、指揮官岡島大尉以下、優秀なる搭乗員をもって編成されていた。

 始動したエンジン音のなかで待つことしばし、敵機の到達予定時間二十分前になって、私がまっさきに発艦し、列機もくびすを接してつづいてくる。

 僚艦の「翔鶴」からも、直衛機が一機また一機と発艦中である。

 わたしはまず高度二千メートルで列機を集合させ、なお高度をとった。

 母艦より、敵は高度五千メートルないし六千メートルで来襲する算大なりとの報告である。わが中隊は高度七千五百メートルまで上昇し、母艦との連絡をとりながら哨戒をつづけ、敵来襲と思われる方向を注視する。第二小隊は高度八千メートルに待機する。

 敵侵入予定方向の水平線には、高度千メートルから四千メートルくらいまで、密雲が断崖にように立ちふさがっている。

 発艦後、十五、六分もすぎたろうか、この密雲の上空にチラチラと黒点をみとめる。同時に母艦から、何度方向、敵機発見の報がはいる。

 黒点は刻一刻と数を増し、やがて雲霞のごとき大群となって、わが艦隊上空に向かって接近してくる。

 敵機の高度はだいたい五千五百メートルから六千メートルくらいで、その上空二百から三百メートルくらいのところに見える数群は、直衛の戦闘機であろう。

 彼我の距離は約三十キロ、敵の第一陣は急降下爆撃隊だ。そして前方二群は編隊をとき、単縦陣の接敵隊形となる。急降下開始の一歩手前である。

 上空の敵戦闘機に対しては第二中隊を向かわせ、私の中隊は、単縦陣で接敵を開始しようとしている敵一番機に向かって突進する。

 敵の戦闘機はグラマンF4F、艦上爆撃機はSBDドーントレスである。

 優位の高度から、急降下に移ろうとするSBDに対する二十ミリの近接射撃は、こころよい手ごたえがあった。一連射で、一番機はパッと火を吹き、煙の尾をひきながら爆弾を抱いたまま急角度で下方に落ちていった。

 つづいて列機の襲いかかった敵二番機も、つづけざまに火を吹く。「翔鶴」の戦闘機隊も、獅子奮迅の活躍である。戦場となった上空は火を吹くもの、あるいは白煙をひくものなど、壮絶な光景であった。

 しかし、いかに一機当千の搭乗員でも、つぎつぎに来襲する敵機の数には勝てない。われわれの攻撃の間をぬって、急降下にはいる敵機がある。

 もちろん、わが空母も対空砲火で懸命に応戦するが、全部には手がまわらない。

 私たち戦闘機隊は、目にはいるかぎりの敵機に食いついて行き、バタバタと落としたが、喉もからからになって、何機落としたか、それもわからない状況となった。気がついてみると、いつのまにか高度はぐっと下がっている。投弾後、引き起こして退避しようとする低高度の敵機をねらう。

 そのうちに敵の攻撃も一段落した。味方空母は大丈夫かと下を見れば、何十機突入したか知らぬが、わが艦は一発の被弾もなく、いつも見なれている姿のままである。』

 その後、岩本一飛曹は、零戦二機がグラマン四機と空戦中なるを発見して、このグラマンを攻撃し一機を撃墜する。そして燃料欠乏に気づきスコールのなか「瑞鶴」に着艦する。

 燃料補給して待機後、敵の第二群が接近中との報せにより発艦して上空にあった。

『列機もつぎつぎと集合したので、あたりを警戒しながら、高度六千メートルに達した。視界中にいまだ敵機はない。母艦から、とくに低高度で接近してくる雷撃機の攻撃を警戒するよう注意してくる。

 第二中隊も補給を終わって、スコール雲から一機、二機と飛び出してくる。「翔鶴」隊も母艦上空高度四千メートル付近を旋回している。

 やがて母艦から敵らしき大群が見えたと、その方向もあわせて知らせてきたので、ただちに変針する。

 前方五千メートルくらいのところに黒点の群れを発見する。高度を七千メートルにとりながら接敵した。黒点の数は、前回よりやや少ないようだ。

 母艦から約四十〜五十キロの付近で敵機群を捕捉し、上位優位より攻撃に入る。敵は第一群より技量が劣っているのがすぐにわかった。そのうえ、護衛戦闘機の数も少なく、われわれは前回よりはるかに楽な攻撃ができた。

 敵は突入前に二群に別れ、その一群はスコール横を航進中の「翔鶴」に向かい、他の一群はスコールの中にはいっている「瑞鶴」に向かうのであろう。

 「瑞鶴」の姿は上空よりは見えず、敵攻撃隊も目標を発見できなかったのだろう、とまどった形で、スピードを落として無駄な旋回をした。すかさず私たちは、この一群に襲いかかった。一方では敵戦闘機の掩護を排除しつつ、一方ではこのSB

D急降下爆撃機群に攻撃を加えた。

 列機も先刻の空戦で自信を得たらしく、攻撃動作は満点で、敵機はわれわれの肉薄射撃の前につぎつぎと落ちていった。最初は四十機ぐらいの敵攻撃隊も、またたくまに三分の一を撃墜され、ついに目標をかえ、左下にいる巡洋艦に向かった。しかし、すでに戦意を失っていたのか、急降下も乱れた隊形になった。

 列機は、この突入中の敵機を葬ろうと追尾に入ったが、私は電話で中止を命じ、スコール上空の指揮官機に集まるよう信号した。

 数分後に一、二中隊あわせて、十二機が集まってきた。私はこの機数で、新たな敵機の来襲に備えて、警戒飛行をつづけた。

 ふと、下方の「翔鶴」を見ると、飛行甲板に被弾したらしく、艦首と艦尾から黒と白の煙が吹き上がっている。しかし、戦闘航海にはさしつかえないらしく、依然として高速で航走している。あれだけの敵機が来襲したのだから、わが空母二隻とも撃沈されたとしても不思議ではないが、「翔鶴」だけが軽い損傷ですんだのは、なんといっても幸運であった。輪型陣もいまの攻撃でかなり乱れており、巡洋艦、駆逐艦にも被害が出たようである。

 下方のはるかかなたに、攻撃を終了した敵機が、金魚の糞のようにつらなって、単縦陣で避退していくのがよく見える。これに対し味方戦闘機が数機攻撃中で、上になり下になり、さかんに空戦している。

 私もこの敵機を攻撃しようと思ったが、まだ敵の雷撃機があらわれないところから、味方艦隊上空の直衛の方が大切だと思いなおし、高度を四千メートルにとりながら、哨戒飛行をつづけた。

 そのうちSBDの来襲方向とは正反対の方向で、しかも高度千メートルぐらいに数十機の編隊が、接近してくるのを発見した。急いで接近してみると、ずんぐりした胴体の雷撃機である。最初、艦爆で直衛戦闘機を引きつけておいて、その留守のあいだに雷撃しようという魂胆らしい。

 幸い、私たちの中隊が、艦隊上空から敵雷撃隊を発見したときは、わが空母との距離は十数キロもあった。敵は千メートルから五百メートルに高度を下げて侵入してきた。私が反航接敵で攻撃を開始したときも、味方艦隊までは七、八キロもあって、魚雷投下までに、数回の反復攻撃ができ、その大半を撃墜しえたのである。』


 この後、岩本一飛曹は深追いせず、警戒をしていると、敵戦闘機を発見した。敵機は味方の零戦を狙っているようで、救援に二中隊を向かわせると、敵機はそれに気づいたようで、避退していった。哨戒を続行したが、燃料も乏しくなり、敵機の来襲もないようなので、翔鶴隊の零戦も含め、瑞鶴に着艦した。

 「翔鶴」の零戦隊は、戦闘機五機、急降下爆撃機九機、雷撃機三機の合計十七機を撃墜したと報告。自爆したのは、一ノ瀬二飛曹、宮沢一飛曹の二機で、ほかに四機が不時着した。

 宮沢一飛曹は、敵雷撃機が翔鶴に迫る中、後方より体当たりをして味方空母の危機を救った勇士でもあった。後日の調査では雷撃機ではなくグラマン戦闘機であるとのことで、なぜかというとこのひ喪失した雷撃機はゼロだからである。

 宮沢一飛曹は第三期甲種飛行予科練習生首席優等卒業生として、恩賜の銀時計を拝受する光栄に浴した青年であった。

 

 「瑞鶴」に着艦した三機も全て被弾していた。

 「瑞鶴」の零戦隊は二二機(機種不明)を撃墜したが、撃墜された機はなく、四機が被弾したにすぎなかった。


 この時の様子を航海長だった塚本中佐の手記からみてみよう。


『敵飛行機の攻撃は、まず爆撃からはじまった。おおむね七~八機ぐらいの編隊で、あいついで右から、また左からと急降下してくる。

 私は反航態勢に転舵を令し、回避につとめた。敵の攻撃は第三群までは命中弾がなく、回避に成功した

。第四群を回避したとき、すなわち面舵をとって右に回頭中、一弾が艦首に命中した。瞬発爆弾である。命中と同時に、爆風と焔は約百メートル離れた艦橋に噴きつけ、吹き上がってきた。

 私は思わず艦橋の窓から下方に頭を下げた。窓ガラスはあるいは吹き抜け、あるいは袋状にこなごなに砕けてしまった。

 そのときの感じでは、来るべき事がきたように思えた。

 つづいて後部に別の爆弾による破片が命中して、火災が起ったとの知らせがあった。艦首に命中した爆弾による火災は、風当たりが強いので意外に強く、なかなか消えない。

 その後、数群の爆撃はことごとく回避に成功したと思ったら、次は雷撃機の襲来である。見張員から「右何度・・・千メートル、雷撃機。左何度・・」と報告してくる。

 私はいずれを先によけるべきかをとっさに判断し、艦をその方に転針した。そして、雷跡と平行にして「宜候」を令した。

 魚雷はあるいは右舷、あるいは左舷にスレスレに航過していく。その魚雷をやりすごした間に、こんどは反対舷からの魚雷に向首する。なにせ三万数千トン、長さ二百六十メートルに近い大艦である。しかも最大戦速の三十五・五ノットの速力で回避中であるから、その操舵には独特の手腕と勘を要する。

 かくて、あいついで来襲する数群の雷撃隊による魚雷は、ことごとく回避に成功した。

 敵機の射程が二千メートル付近だったのと、左右挟撃の連携がいささかまずかったので、助かったわけである。とにかく、成功であった。

 かくして、空襲は終った。艦首の火災は延焼し、長官公室と格納庫に迫っているとの報告である。そこで速力を二十ノットに減速し、艦首を風下にして、その消化につとめた。

 幸い火勢は衰え、消し止める見込みがついた。そのとき、敵の第二波の攻撃隊が上空に現れた。薄曇で対空見張りには若干不利であった。

 見張員長の秋山上等兵曹が、私の耳元へと通じているボイスチューブを通じて

「急降下爆撃機!」

と大声で伝えてきた。私は、

「面舵一杯、急げ、全速急げ」

 を下令した。艦はおもむろに右に旋回を始めたが、とてもまどろっこしい。十度ぐらい回ったと思った瞬間、一大轟音とともに艦橋内は大震動でゆらいだ。とりつけてある物が落ち、爆煙でまっくらになった。

 艦橋後部の発着艦指揮所にいた飛行長などは、艦橋内部に吹き飛ばされてきたが、幸運にもコトなきを得た。次の瞬間、判明したことは、爆弾は艦橋後方の構造物に命中したことである。そのうち、

「格納庫火災!」

 の報告がある。これは重大な事態であった。

 敵急降下の第一弾は、艦の中部右舷に命中したのである。このため、艦内の重要通信、指揮系統はまったく途絶した。

 飛行甲板は波状を呈し、発着とも不可能になった。大砲も大部分は使用に堪えなくなる。信号は手旗信号しかできない。無線もアンテナの被害で、暫時、唖の状態になった。もっとも、一時間ばかりで応急修理が効を奏し、発信ができるようになった。

 格納庫の火災は、母艦としては致命的なものである。さきの艦首の火災はいまだに鎮火にいたっていなかった。おりから、この直撃で格納庫の火災である。艦はまだに重大なピンチを迎えていた。

 翔鶴の中央部にあがった爆弾の火柱を、遠く水平線に望見した瑞鶴では、思わず「翔鶴沈没」と叫んだそうである。これは後日、五航戦の機関参謀から聞いた話である。

 その後、あいついで二弾、三弾と受けたが、直撃弾はなかった。また、爆撃が終ると、例の雷撃である。これも、どうにか回避することができた。

 そもそも空中攻撃のやり方は、まず爆撃によって艦の操縦系統に被害を与え、しかるのちに雷撃を加える。これが常道のようである。しかるに翔鶴には合計三弾が命中したが、操縦系統に被害が全然なかったことが、一艦の運命を保全しえた要因であった。

 私は第二波の攻撃で、艦橋後方に直撃を受けたとき、操舵員長に「舵に異状ないか」と聞くと、

「異状なし」

 との力強い返事を聞き、これはしめたと思った。

 艦橋下の司令塔から艦尾の舵取機械までは、水兵垂直部分を合わせると、百七十~百八十メートルぐらいある。そこを無防備のままで水圧パイプが通っている。このパイプにちょっとでも孔があくとか、圧せられて詰まるかすると、舵はたちまち動かなくなる。これを予備装置に切り換えるには、数分間はかかるのである。その間、雷撃は回避できない。

(中略)

 格納庫の火災は、やがて鎮火をみた。このときほどうれしかったことはない。それは運用長福地周夫少佐の指揮する消化隊を先頭に飛行科、整備科員による決死の消化のたまものであるが、炭酸ガスや消火設備が有効に働いた結果であるとも聞いている。

 それで飛行機の発艦は完全にできず、防御砲火もほとんどダメで、もはや母艦としての機能を失ってしまっていた。艦首は破損し、投錨もできない。艦尾も破損して、燃料の補給も受けられなくなっている。(中略)

 私は、ひとまずソロモン列島近くに避退し、夜暗に乗じてブーゲンビル島の西側を通過、ソロモンの北方海面の脱出することを決意した。その旨を上司に進言し、その決裁を得て、右の通りの行動をとった。戦闘速報の原案は、通信長豊島重夫少佐の原案によるが、最後に私が一言「われ速力三十ノット」と付け加えた。』

  (塚本朋一郎著「翔鶴航海長の見た珊瑚海海戦」

丸別冊太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々 所収 潮書房)

 

 運用長福地少佐の手記には被弾の様相が詳しく記されている。

『応急指揮官である運用長の私と、負傷者の治療に当たる軍医長が戦況を見物している間は、戦いはどんなに熾烈に行なわれていても、艦は安泰である。私はこの状況がつづくことを祈っていたが、遂に来るべきものが来た。この二人が忙しくなったのだ。

 突然前部にドスンと地震のような震動を感じた。魚雷が当たったな、これは大変なことになったぞと思っていると、「前部応急班報告、前甲板爆弾命中火災」という第一報が来た。爆弾ならば沈みはせぬ。何とかなるものだ。ついで詳細の報告は入る。命中したのは艦首前甲板左舷側であった。そのため両舷の主錨は吹き飛ばされ、投揚錨装置は全部破壊、飛行甲板尖端は上方にまくれて飛行機発艦を不能にした。前部飛行機エレベーターは陥没して中途で動かなくなった。最も危険だったのは前甲板右舷下方にあったガソリン庫に火がついたことであった。ここには航空用ガソリン一万リットルが格納されている。それが猛烈な勢いで燃え出したので付近は火の海と化し黒煙は空を覆った。

 前部火災場の処置にかかっている時に続いて今度は後甲板に第二弾が命中した。このため後甲板に格納していた短艇類が火災を起こし、短艇の揚卸し装置全部が破壊され、爆弾炸裂によって機銃員、整備員等多数の死傷者を出した。工作室の後壁を突き抜けた弾片の一つは室内にいた三等工作兵曹柴田好一の左脚に突っ込み、その脚は膝から下がぶらぶらになってしまった。柴田は工作用の斧で膝から下を自分で断ち切ってなお奮闘を続けた。

 前部揮発油庫の火災はますます猛烈に燃えさかるばかりでなかなか消えない。それで揮発油庫後方の扉を十分に閉鎖して火災が艦内に燃え移るのを防いだ。そして私は後部の火災場に走って行った。飛行甲板を走り抜けて右舷十一番機銃座から後甲板に下りようとしたら、機銃のまわりに機銃員全部が折り重なって倒れている。血潮をとび散り、全員戦死と見えたが、それをたしかめるいとまもない。機銃員の死体を乗り越えて下方を見ると後甲板一面がまっ赤になって燃えていた。しかしそこは艦尾であるから前方に燃え広がる心配はない。』

 福地少佐は応急指揮所にはいりしばらくすると、第三弾が艦橋後方信号檣付近に命中した。

『艦橋後方にいた者は全部爆風によって吹き飛ばされ。或る者はどこも負傷はしなくて絶命していた。腰掛けて居眠りでもしているような恰好の者は近よって見ると皆息絶えていた。さきほど応急指揮所の入口で会ったばかりの神崎少尉候補生は、飛行甲板に出て途端にこの爆弾で海中に吹き飛ばされたらしく、後で探したが影も形もなかった。「神崎がいない」といって同じ隊の者が探しているのが夢のようであった。ついその数秒前に飛行甲板のすぐ下のところで話しをした彼がいなくなったのはほんとにアッという瞬間の出来事だったのだ。

 艦橋下の機銃指揮所では第二分隊長・機銃指揮官杉山寿郎中尉他全員戦死、その後方の一番機銃では射手が片手に引金にかけたまま、壊れた外舷の海上にぶら下がっており、他の機銃員は全部海中に吹き飛ばされていた。』


 「翔鶴」は杉山寿郎特務中尉ら一〇七名(戦史叢書には戦死一〇九名、重軽傷一一四名とある)の戦死者を出した。


 米軍の日本機動部隊にたいする攻撃はいかなるものであったか。モリソン戦史よりみてみると、

 空母「ヨークタウン」の攻撃隊三九機は、発進から一時間十五分後、日本軍部隊を発見した。空母二隻と巡洋艦二隻および駆逐艦二、三隻に守られていた。

 一万七千フィートを飛行する急降下爆撃隊は、低空を低速で飛行する雷撃隊を待つために旋回飛行をしていたが、その間に翔鶴は戦闘機を発進させ、瑞鶴はスコールの中に姿を消していた。


 第五雷撃隊指揮官のテイラー少佐は「翔鶴」に狙いをつけて襲撃に転じた。ワイルドキャットは零戦が雷撃隊を襲撃するのを阻止した。

 急降下爆撃隊は爆撃を開始した。雷爆同時攻撃であるが、雷撃隊はかなり遠くから魚雷を発射し、そのため「翔鶴」はなんなく回避しえた。爆撃隊もあまり芳しい爆撃とはいえず、二発を命中させることに成功したが、至近弾の水柱が林立したこともあり、雷撃隊は三本が命中したと報告し、爆撃隊も六発が命中したと報告した。

 「レキシントン」の攻撃隊は、途中ワイルドキャット三機が、雲中で爆撃隊を見失うヘマをやり帰還するしか方法がなかった。

 雷撃隊の一部は誤った位置情報により行動したので、現場には何も発見できずにあたりを探索するうちに燃料欠乏をきたし、急降下爆撃隊の雲中で視界が悪く日本軍部隊を発見できなかった。


 「レキシントン」が日本空母にたいし攻撃を開始する時には雷撃機十一機、急降下爆撃機四機、戦闘機六機にすぎなかった。

 ワイルドキャットが三機の犠牲で、零戦の攻撃隊にたいする攻撃を防いだので、攻撃はうまくいくと思われたが、雷撃隊はヨークタウン隊と同じように、遠距離からの発射となり、爆撃隊も一発を命中させたのに過ぎなかった。

 でも、かれらは「大型空母一隻を沈没させた」と報告した。

 これで米軍の攻撃は終わりを告げた。

 「ヨークタウン」は爆撃機三機喪失、大破九、損傷六で、雷撃隊も大破一、損傷二の被害を受けた。

 「レキシントン」は爆撃隊指揮官オールト中佐が被弾のため墜落戦死した。結局爆撃機三機と戦闘機三機を喪失した。

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