第十六話 空母レキシントン撃沈

 菅野機の先導により米機動部隊攻撃に向かっていた攻撃隊は〇九〇五に数条のウエーキを発見した。やっと見つけた敵空母だった。


 江草大尉の手記よりその時の様相を拝借すると、

『驟雨性の雲の切れたあたりに敵機動部隊輪形陣の、之の字運動の白い航跡が、濃紺の海面に筆先でサッとひいたほどの大きさで目にはいった。尚もいきもののようなその白い航跡に目をこらすと、先頭にゴマ粒ぐらいの黒い艦が認められた。敵を見た瞬間、サッと全身が引緊るのを覚え、心の中で武運を祈り、わが爆弾の必中を期した。

 総指揮官機より突撃命令が下った。

 艦爆隊は突撃の命と共に、指揮官機を先頭に単縦陣となった。

 艦攻隊は、雷撃体勢をとるためにぐんぐん高度を下げていった。戦闘機も、上空に残るもの、高度を下げるものなど、予定の掩護位置についてゆく。

 艦爆隊は敵機動部隊の左真横に攻撃位置をとった。そこから、高度三千五百メートルぐらいまで高速接敵してゆき、まさに急降下爆撃に絶好の体勢となった。』


 攻撃隊は天候に恵まれ米空母上空は晴れていた。攻撃隊指揮官高橋少佐は〇九一〇「全軍突セヨ」を下令した。攻撃隊は二手に分かれた。艦攻隊と零戦隊はそのまま直進し、艦爆隊は左に針路をとりつつ米空母の風上側に占位するよう動いた。

 艦攻隊はさらに二手にわかれた。瑞鶴隊の八機は右に向きをかえ、翔鶴隊の十機は左に向かった。空母を挟撃する態勢をとるためであっる。

 瑞鶴の艦攻隊には瑞鶴の零戦隊九機の内三機が掩護にあたり、翔鶴の艦攻隊には翔鶴の零戦隊九機と瑞鶴の六機が掩護にあたった。


 米軍の上空を警戒する戦闘機は輪形陣の外側上空で待ち構えていた。レーダー探知により早くから発進して十分な態勢で待ち構えていた。上空には戦闘機だけでなく、空戦性能のよいSBD爆撃機をも援護のために配置していた。日本の九九式艦爆も爆弾を投下したあとならば、相当な空戦性能を発揮したのと同じである。


 米空母の上空直衛管制は「レキシントン」の管制指揮官によって行わていた。

 上空にはグラマン戦闘機十七機が哨戒配備され、九機が甲板上で待機していた。ほかにSBD十六機が上空にあった。

 日本機のレーダー探知により、待機していた戦闘機がレキシントンから五機、ヨークタウンから四機が発進した。


 レキシントン隊は、全速で日本機の侵入方向をめざした。ラムゼー少佐は四機の部下を率いて一万フィートの高度で、部隊を二つにわけ二機に雷撃隊阻止に向かわせ、自らは艦爆隊にむかった。雷撃隊攻撃のために低空へ舞い降りた二機のグラマンは掩護する零戦に攻撃を阻まれた。ラムゼー少佐の方は、二〇〇〇フィート上空を母艦へと向かう艦爆隊を発見したが、攻撃阻止する位置にとりつくことは不可能だった。


 少佐は母艦に宛てて、

「敵機、高度一七〇〇〇フィート、九機あて四編隊、戦爆連合」と送った。


 一方ヨークタウンの戦闘機隊はどうだったか。前掲書「空母ヨークタウン」からみてみよう。

『フラットレイ戦闘隊は定められた地点についたが、付近の空中には何も発見できなかった。フラットレイは気づかなかった。その時すでに日本空襲隊は、フラットレイ隊の上空一〇〇〇フィートを飛行中だったのだ。

 フラットレイが「ヨークタウン」に指示を求めると折り返し、ただちに反転し機動部隊の直上に展開するように返事がきた。フラットレイほか三機は引き返しながら、やっとのことで九〇〇〇フィートまで上昇した。そこで、攻撃準備中の日本の爆撃機と雷撃機を二機以上撃墜した。その時、フラットレイは「ヨークタウン」が対戦哨戒に配備していた爆撃機にたたかっている零戦数機を眼下に発見し、即座にこの零戦攻撃に機首を向けた。そして、その一機を撃墜し、ほかの数機を蹴散らした。

 フラットレイに随伴していたディック・クロメリンは、六〇〇〇フィートまで降下して一機の零戦にからみついた。この二番目の零戦を撃墜して気がついてみると三〇〇〇フィートまで降下していた。クロメリンは上昇をはじめた。間もなく第三の零戦の後尾に入りこんだ。一連の射弾を送りこむと、零戦は黒煙を吐きながら機首を下げて落ちて行き、間もなく海面につっこんだ。クロメリンがその零戦の墜落していくのを見ているうちに、別の零戦に近いづいていることに気がついた。方向舵を切り昇降舵を下げて、零戦の背後にまわりこむ。第四の零戦は、錐揉みになって海面に突っこんで行った。突如、第五の零戦が背後に現れた。クロメリンは乗機を急降下させて、スピードをつけ離脱した。急降下から引き起こすと、零戦群の真っ只中に入りこんでいた。敵機が死に物狂いに攻撃位置につこうとしている間、照準器をかすめる敵機を片っ端から射撃した。離脱しようとしたが、上昇をはじめようとすると別の零戦が向かい合っていた。そこで再び急降下に移り、やっと離脱に成功した。(筆者註・制空の零戦は被弾はあっても自爆未帰還はなく、一機が被弾のため不時着して搭乗員は救助されている)

 急降下から機首を引き起こすと、眼に入るには「ワイルドキャット」だけだった。が、主翼からのオイルの流れが尾を曳いていた。零戦の機銃弾が冷却器のオイル管を切断したのだ。クロメリンはスロットルを絞って近い方の母艦「レキシントン」に機首を向けた。しかし母艦に着かないうちにエンジンが止まったので、海面に不時着して駆逐艦に救助された。

 「ヨークタウン」の戦闘機乗りアート・ブラスフィールドとエド・マトソンは、フラットレイ隊が交戦をはじめるやいなや、その戦闘に加わった。しかし二人は、二機の零戦に背後にまわりこまれるために飛びこんだようなものだった。ブラスフィールドは、愛機を乱暴に横滑りさせて零戦に空を打たせ、これを撃墜した。数秒後、下方に一機の日本爆撃機を発見し、これも撃墜した。降下姿勢から引き起こした時、まだ零戦三機が自分にたかっていることに気がついた。一連の七・七ミリ機銃弾が計器盤の時計を打ち砕きガラスの破片を浴びた。次の連射が左足をかすめる。雲の中に逃げこんで離脱した。マトソンは三機の零戦の背後に潜りこみ一機ずつ攻撃したが、別の一機が背後に迫っているのに気がついた。零戦一機に損害を与えたが、自分も尾部をひどくやられた。

 戦闘機が空戦を演じている数千フィート下では、雷撃機の攻撃から「ヨークタウン」を守るために展開した爆撃機八機の長であるロジャー・ウッドハル大尉が問題を抱えていた。爆撃機を対雷撃機防禦に使用するのは、応急処置としては最上の手段だった。飛行長オスカー・ペターソン中佐をはじめ多くの搭乗員は、日本艦隊に対する雷・爆攻撃隊と空母自体とを十分に防衛するためには、空母はさらに多数の戦闘機を持たねばならない、という議論をだいぶ以前からしていた。この二つの任務を同時に実施しなければならない場合、両者とも適切を期するためには戦闘機の数が十分でないということを、事態が明らかに示した。戦闘機増強の必要性は、珊瑚海における数多くの戦訓のなかで特筆すべきものとなった。』


 米海軍の爆撃機は対日本雷撃機にたいする防衛手段として珊瑚海海戦で使用された。それは自軍のデバステーターと同じく低速であるという思い込みであった。だが、実際その眼で日本の九七式艦攻がデバステーターの二倍近い速度で飛行している姿であった。邪魔をする予定の米機は眼前を突進していく雷撃機を眺めるのが精一杯だった。逆に掩護する零戦に攻撃される運命となり、八機のうち四機が撃墜され全員が死亡した。


 零戦隊はこれらの米軍機と交戦し、翔鶴隊はグラマン二十四機を撃墜、爆撃機を五機撃墜したと報告し、瑞鶴隊はグラマン十五機、爆撃機十四機の計二十九機(内三機不確実)を撃墜したと報告した。

 だが、実際に両空母が上空で喪失した機はF4F戦闘機が六機、SBDドーントレス爆撃機が十五機である。


 左に回った翔鶴隊の雷撃機十機は「レキシントン」に向かっていった。艦爆隊は風上側に向かい、翔鶴隊の一九機は「レキシントン」に、瑞鶴隊の一四機は「ヨークタウン」に向かい、高度四〇〇〇メートルより急降下を開始した。

 攻撃時間は九時二十分ころ、雷撃機と急降下爆撃機による同時攻撃が開始された。日本海軍機が得意とする攻撃法である。これはタイミングが大事で、敵艦は空と海からの同時攻撃に対応できるのは難しく、被弾する可能性が大であった。


 この様子は当時「レキシントン」に乗り組んでいた従軍記者のションストン氏の手記がある。


『午前十一時五十二分、敵機群が、水平線上にあらわれ、レキシントンに向かって、やや変針しながら近づいてきた。ちょうどそのとき、わが空母は、巡洋艦、駆逐艦群の外側に位置していた。そのために、基本位置に復帰するには、左舷を敵にさらす態勢とならねばならない。一時的にもせよ、敵によき目標をあたえることになった。左舷艦首に準備された海兵隊の五インチ砲が、防御戦の先陣をうけたまわった。つぎの瞬間、つまり正午、全砲門が一斉に火ぶたをきった。左舷砲は低角度を、右舷砲は高角度をもって、日本機に応戦した。

 日本の急降下爆撃機は、約四十五度から五十度の角度で攻撃をくわえてきた。正午を一分すぎる時刻まで、敵の雷撃機は、われらから約一千メートルの地点で、水上六十メートルの高度から魚雷投下を実施していた。彼らは、きわめて快速に行動し、方向転換をもって退却することもせずに直進して突っ込んでくる。

 一弾が、わが左舷のマリン砲員室に命中した。砲員のほとんどがたおれ、つづいて弾薬室と揚弾室に火災が起こった。

 海空の戦闘は激しくつづいていた。シャーマン艦長は、敵機の雷撃をたくみにかわしていた。だが、ついに最初の魚雷をくらった。四万四千トンのおおきなずう体に、未曾有の大震動が起こった。右舷艦首、治療室の真下に直径十メートルの大穴があいた。このとき、わたしは貧弱な手摺のついた航海甲板にいた。後方には航海事務室兼信号旗室があり、ラジオをベチャクチャ何か喋っていた。が、それはたいてい味方の飛行機からのもので、つぎからつぎへ伝えてくる日本機に対する警戒の声であった。ブーブー唸る音、キーキーと鋭いひびき、そして他のいろいろな雑音が、そこここに充満していた。

 やがてしばらくの間、沈黙が起こり、あたりは静けさにつつまれた。日本機は去ったのである。わが発砲は止んだ。時まさに午後十二時三分ー。

 しかし、その沈黙も、じつはほんのしばらくにすぎなかった。ラムゼー中佐は、なおも上部甲板にあって、他の敵機ー雷撃機および急降下爆撃機ーの接近を警戒していた。

 レッキスは、たとえ艦首に命中魚雷をうけても、三十ノットを持続しており、舵機は十分にその機能を発揮していた。艦首方面の火災は、止みはしなかったが、艦橋から見ると大した損害もないように思えた。しかし、このとき敵空襲の第二波がやってきた。

 日本機は、レキシントンに近づくにつれてしだいに散開して、前方百八十度にわたって基本の扇形態勢をとってきた。これは、どっちに向かって変針しても、敵の魚雷攻撃を避けるわけにはいかない態勢である。

 敵機は、やがて突入し来たり、魚雷投下をくりかえしてきた。

 敵機のあるものは、われわれによって撃破され、火災を起こして海面に墜落したが、彼らはおおむね目的の任務を果たしたからといってさしつかえないだろう。なぜなら彼らは、さらに二本の魚雷をレッキスに命中させたからである。

 一方、敵爆撃隊の精鋭が、とつじょ、空中から突入してきた。しかしこの攻撃を、われわれはうまくのがれた。ところがこのとき、魚雷がレキシントンめがけて襲いかかってきた。私は、レキシントンに向かって、同時に真っすぐに進んでくる三本の魚雷の雷跡を見た。もう衝撃を感ずるに違いない、と思いつつ待っていた時、そのうちの一本が水上に頭部を出した。ちょうど魚が、獲物にむかって突進する寸前にちょっと頭を水上に出して見当をつけるときのようにーしかし、この海豚のような動作は、われわれにとって幸運の前兆でもあった。魚雷は三本とも命中せずに終わったのだ。だが、つづいてさらに、他の魚雷がレックスの両舷にあらわれた。二本は片舷を、他の一本は反対舷を、本艦と併行に進んでゆくのを見た。シャーマン艦長の空母幕僚ダックウオース中佐は、魚雷雷跡を監視中、この事実を見て興奮のあまり、小躍りして甲板上を舷から舷へ飛び回っていた。そして叫んだ。

「艦長、変針せずに現針路をつづけてください。本艦は、ただいま三本の魚雷と併行に進んでいます」と。

 後でシャーマン艦長は、十五本の魚雷が、レキシントンに向かって発射されたと報告したが、私の見たところでは、その数は二十本は下らなかったと思う。

 日本の雷撃機パイロットは、わが戦闘機やレキシントンの対空砲火にひどく苦しめられた様子だった。

 しかし、少なくとも四十五機は、われわれに向かってやって来、その半数以上が、魚雷を投下したものと思う。私は五発の命中魚雷を数えた。それは、最後の敵一機が立ち去るまでの時間、つまり十二時七分までの記録である。

 やがて電探が、敵機なしを報じた。レキシントンは、飛行機収容の準備をはじめた。レッキスは水線下に魚雷をうけ、数個の破孔を生じ、左舷に八度傾いていたが、燃料の移動によって傾斜を修正しつつ、なおも二十五ノットを保持していた。愛称〝おじさん〟と呼ばれる工作部長ヒーリー中佐は、シャーマン艦長に対して、本艦の推進装置および電気装置は、致命的損害をまぬがれたことなどをくわしく報告していた。』

   (T・ジョンストン著「空母レキシントン珊瑚海に消ゆ」

             雑誌丸エキストラ版第五二集 潮書房)


 瑞鶴の嶋崎隊のうち、佐藤大尉機の率いる四機が散開後にちょうど目の前にレキシントンの姿があった。嶋崎隊はヨークタウンに向かったが、佐藤大尉はこの機会を逃してなるものかとそのままレキシントンに突進した。しかし、上空にはグラマン戦闘機が二機あり攻撃をうけ、第二小隊の二機が銃撃をうけて、井手原二飛曹機が被弾し撃墜された。

 佐藤大尉はレキシントンを射程にいれ迫った、おびただしい対空砲火が機を襲うが必至の思いで雷撃態勢に入った。列機も続いている。が次の瞬間、二番機の山田一飛曹機が対空砲火をまともにうけて機体を吹き飛んだ。このことは「モリソン戦史」にも五インチ砲弾を蒙って空中分解し、その乗員の身体がブーンと抛り出されるのが目撃されたとの記載がある。佐藤大尉は魚雷を投下して艦首前方をすりぬけた。つづいて新野飛曹長機も魚雷を投下して避退した。しかし、この必中と思った魚雷はレキシントン艦長の操艦により外れることとなった。新野飛曹長機は無事に帰艦したが、着艦後後部座席の西沢二飛曹が前席の新野飛曹長を見ると血まみれで斃れていた。機体には七十数箇所の被弾の跡があったという。


 右側から攻める岩村隊と左側からせめる市原隊がレキシントンに迫る。挟撃であるが、シャーマン艦長は巧みに操舵していたが、あまりに見事な攻撃に避けられるか疑問であった。レキシントンの図体はでかく、それだけに舵の効きが遅く小回りが効かないのだ。


 市原隊は六機が魚雷発射に成功するが、二機が被弾して撃墜された。そのうち矢野大尉機は発射後被弾してレキシントンの舷側に突っ込み砕け散った。シャーマン艦長は見事にその魚雷を避け切った。岩村隊はレキシントンが転舵したので追いかける形となり、巡洋艦と駆逐艦の対空砲の中をくぐりぬけて迫ることになった。


 四機のうち関藤一飛機が被弾墜落し、さらに岩村大尉機も炎に包まれ海中に没した。のこる二機が迫り魚雷を発射し、一一一八時に最初の魚雷が左舷五〇番フレーム付近に命中爆発し、二分後一発目の命中箇所より後方の七二番フレーム付近に命中した。強力な魚雷の命中爆発によりさすがの巨体も揺れた。そして機関室の第二、第四、第六のボイラーに浸水して使用不能となった。速力は二十五ノットまで低下し、左に七度傾いた。

 残念だったのは魚雷のうち二〜三本は艦底をくぐり抜けたようで、調定深度のミスか他の原因で吃水の深い大型空母の下をいったようだ。魚雷は投下後、水面下かなり下まで潜ったあとに浮上しながら調定した深度で走行する。有効射程距離は二千前後といわれる。雷撃機は狙った艦に近づいて発射する方が当然当たる確率も上がる。だが、近すぎても沈下深度があるから日本海軍の場合八百から千メートルが理想ともいわれ、投下高度三〇から五〇メートルが沈下が少ないので理想だが、操縦技術も高度なことが必要とされる。それ以下の高度で投下すると実験では水面上を飛び跳ねる可能性があるとされ、レキシントン雷撃でもその様子が乗員の証言があることから、かなり低い高度で発射した機もあったようだ。


 レキシントンは雷撃機による魚雷の回避行動中に、艦爆隊による急降下爆撃を受けた。高橋少佐機を先頭に続々と急降下に転じて激しい対空砲火の中爆弾を投下した。これは絶妙のタイミングで行われ、レキシントンの回避は遅れた。一発目は飛行甲板前部左舷の五インチ砲応急弾薬箱付近で爆発し砲塔を吹き飛ばし、砲員全員が死亡した。そして弾薬庫の五インチ砲弾を爆発させ、その火炎は付近一帯を覆い、多くの死傷者が発生した。二発目は煙突に命中し、五十ミリ機関砲座を破壊し、兵員たちを吹き飛ばした。さらに至近弾数発による爆発で舷側に被害を生じた。


 魚雷と爆弾による命中による火災が発生し、レキシントンは黒煙に包まれ、この様子を見た市原大尉は電信員に旗艦宛に発信を命じた。

「サラトガ撃沈」

 レキシントンは開戦後潜水艦により撃沈したことに日本側はなっていたので、当然同型のサラトガを撃沈したとした。だが、実際潜水艦により損傷したのはサラトガであり、今攻撃にさらされているのがレキシントンだった。

 高橋少佐機は被弾避退後、グラマンの餌食となったようだが、グラマンと対空砲火で翔鶴隊は艦爆七機を失った。

 

 レキシントンは雷撃による浸水で七度の傾斜をし、魚雷と爆弾によりエレベーターは運転不能となり、火災も発生していた。しかし、応急修理により、飛行機の発着艦ができるようになり、重油の移動などで艦の傾斜も水平に戻りつつあった。

 攻撃終了一時間後には航行は大丈なほど回復していた。さすがに巨艦であるのと、ダメージコントロールの復旧の速さである。

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