第十四話 無念!敵空母は眼下にあり

 広大な珊瑚海において、日米両軍は主力同士の戦闘ではなく、海軍陸攻隊による米濠艦隊の襲撃、五航戦によるタンカー、駆逐艦の撃沈、米機動部隊による祥鳳撃沈という部分的な戦闘となった。だが、肝心な日米主力空母はまだお互いに発見できずにいたのであるが、発見は時間の問題と言えた。


 みつからぬ敵機動部隊を捜索するために、第六戦隊の巡洋艦部隊からの索敵、神川丸の索敵、第五空襲部隊の陸攻機および横浜空の大艇などが必死に探した。その甲斐があってかようやく敵部隊を発見した。

 

 神川丸 〇九〇五

『〇八三〇「ロッセル」島西南九〇浬サラトガ型一隻及艦型不明ノ空母一隻』

 続いて

『一〇二〇 「デボイネ」ヨリノ方位一七〇度八五浬敵針三〇〇度、速力一六節』

『一〇三〇 敵ノ兵力ハ戦艦一、巡洋艦二、駆逐艦三ナリ速力一八節』

『一〇四〇 「デボイネ」ヨリノ方位一七五度針路三一〇度速力二〇節』

 と報じてきた。陸攻機も敵空母発見を報じてきた。


 MO機動部隊においては、これらお情報から部隊と敵空母との距離は四三〇浬、敵戦艦部隊との距離三八〇浬ほどと推定し、二〇ノットの速力で西寄りに航行していたことから、攻撃隊に発進には、航続距離の長い日本機でも離れすぎており日没までに攻撃できる見込みはなかった。五航戦の原少将の意見具申もあり、機動部隊指揮官高木中将はこの日の攻撃を断念するにいたった。


『距離ノ関係上本日五航戦ノ飛行機ヲ以テスル攻撃ハ遺憾ナガラ見込ナシ、当部隊一二〇〇南緯一三度四五分、東経一五八度一三分』


 しかし一二〇七に青葉機が発信した

「敵ハ反転ス針路一二〇度」

 の電報を受信したことにより状況は一変した。


 五航戦は一三一五各艦四機ずつの索敵機を発進させ、二二〇度から二九〇度にかけて進出距離二〇〇浬を捜索させた。

 それから約一時間後、攻撃隊を発進させたが、当然薄暮攻撃になり、帰還時は夜間となり、夜間航法及び着艦の経験者の操縦者が必要であり、司令部ではどうするか議論された上で攻撃を決断した。原少将は命を下した。


「本隊は珊瑚海北方に出現の敵有力機動部隊に対し薄暮攻撃を決行す。各艦は練達の搭乗員をもって艦上爆撃機六機、艦上攻撃機九機ずつを編成し、準備出来次第速やかに発進、決死の攻撃を敢行すべし」

 といっても敵の所在地は明らかでない。先に飛び立った索敵機が敵空母を発見することを祈るしかない。


 瑞鶴と翔鶴では人選が行われ、搭乗割が決まり、左記のようになった。

 

 翔鶴隊  九九式艦爆六機 九七式艦攻六機

 艦爆隊指揮官  少佐 高橋赫一

  第二〇小隊 一番機 操縦 高橋赫一少佐

            偵察 野津保衛特務少尉

        二番機 操縦 篠原一男一飛曹

            偵察 染野文夫一飛曹

  第二一小隊 一番機 操縦 山口正夫大尉

            偵察 中 定次郎特務少尉

        二番機 操縦 上島 初一飛曹

            偵察 甲田 力一飛曹

  第二二小隊 一番機 操縦 松田幸徳飛曹長

            偵察 野辺武史一飛曹

        二番機 操縦 池田 清二飛曹

            偵察 長沢重信一飛曹

  艦攻隊指揮官 大尉 市原辰雄  

  第四一小隊 一番機 操縦 市原辰雄大尉

            偵察 斉藤政二飛曹長

            電信 宗形義秋一飛曹

        二番機 操縦 進藤三郎飛曹長

            偵察 矢野矩穂大尉

            電信 伊林順平二飛曹

        三番機 操縦 沖村 覚一飛曹

            偵察 浮田忠明飛曹長

            電信 戸沢 博二飛曹

  第四二小隊 一番機 操縦 米倉久人飛曹長  機上戦死

            偵察 萩原 努大尉   未帰還

            電信 相良栄吉二飛曹  未帰還

        二番機 操縦 辺見達弥三飛曹  自爆戦死

            偵察 白井福次郎一飛曹 自爆戦死

            電信 下道義一二飛曹  自爆戦死

        三番機 操縦 村上長門一飛   自爆戦死

            偵察 高橋 弘一飛曹  自爆戦死

            電信 児玉照視一飛   自爆戦死


 瑞鶴隊  九九式艦爆六機 九七式艦攻九機

 艦爆隊指揮官  大尉 江間 保

  第二一小隊 一番機 操縦 江間 保大尉

            偵察 東 藤一飛曹長

        二番機 操縦 稲垣富士夫一飛曹 自爆戦死

            偵察 小山 茂飛曹長  自爆戦死

        三番機 操縦 江種繁樹一飛

            偵察 藤岡寅夫二飛曹

  第二二小隊 一番機 操縦 安藤二郎一飛曹

            偵察 大塚禮治郎大尉

        二番機 操縦 福永政登飛曹長

            偵察 石川重一一飛曹

        三番機 操縦 酒巻秀明二飛曹

            偵察 井塚芳夫飛曹長 

 艦攻隊指揮官  少佐 嶋崎重和

  第四一小隊 一番機 操縦 嶋崎重和少佐

            偵察 新野多喜男飛曹長

            電信 吉永正夫一飛曹

        二番機 操縦 八重樫春造飛曹長 

            偵察 姫石忠男一飛曹

            電信 大内公威一飛

        三番機 操縦 野沢吉朗二飛曹  自爆戦死

            偵察 川原信男一飛曹  自爆戦死

            電信 本田信廣一飛   自爆戦死

  第四二小隊 一番機 操縦 村上喜人大尉   自爆戦死

            偵察 馬場常一飛曹長  自爆戦死

            電信 宮田長喜三飛曹  自爆戦死

        二番機 操縦 横枕秀綱三飛曹

            偵察 貴志 億二飛曹

            電信 佐藤敏雄二飛曹

  第四五小隊 一番機 操縦 坪田義明大尉   自爆戦死

            偵察 小坂田 登飛曹長 自爆戦死

            電信 遠藤多作一飛曹  自爆戦死

        二番機 操縦 杉本 諭一飛曹  自爆戦死

            偵察 小島新八三飛曹  自爆戦死

            電信 長谷川清松一飛  自爆戦死

  第四六小隊 一番機 操縦 佐藤善一大尉

            偵察 大谷良一一飛曹 

            電信 吉田 湊二飛曹

        二番機 操縦 田原幸男一飛曹  自爆戦死

            偵察 大西久夫二飛   自爆戦死

            電信 兼藤二郎三飛曹  自爆戦死


 万全を期して艦爆一二機艦攻一五機は敵空母を求めて飛び立った。掩護戦闘機は夜間となるため同伴していない。それが後に悲惨な運命をもたらすことになる。

 一四一五瑞鶴隊は発艦を開始、一四三〇翔鶴隊は発艦を開始、上空で編隊を組むと西に針路を向けた。

 駆逐艦「有明」は索敵に出ていた翔鶴の艦攻二機が不時着した乗員の救助に「インディスペンザブル」礁に向かうために分離していった。

 両空母から発進した索敵機は敵部隊の発見にいたらず帰還してきた。頼みは本隊が発見してくれることだが、薄暮と雲がたれこめ視界も不良のため敵を発見できず飛行していたが、一六一〇頃突然敵戦闘機による攻撃を受けたのである。

 そして、爆弾や魚雷を投棄し帰途につき空母を発見したため友軍の空母とおもいきや敵の空母だったのである。前代未聞の遭遇といえたが、攻撃する爆弾と魚雷はなく、逆に攻撃を受けたので、むなしく飛び去っていくしかなかった。


 激戦を生き抜いた瑞鶴隊艦爆隊の指揮官江間大尉の手記がある。それにはこの時のことを次のように記されている。

『この日の天候は、驟雨が断続していて、視界はあまりよくなかった。

 雲の柱を縫いながら、攻撃隊が百マイルほど進出したころ、敵戦闘機群の追躡を受けたのである。

「敵の戦闘機、艦攻ニカカッテキマス」

 と、後部席の東兵曹長は私に伝えた。

 (中略)

 最後尾の艦攻は遥かに後方であって、敵戦闘機との交戦状況ははっきりはわからないが艦攻の動きによって推測するのである。艦攻が、今日のように掩護戦闘機なしで敵戦闘機につかれた場合、も早殆んど処置なしであった。艦攻は雷装しているので操縦が不自由であり、敵戦闘機の餌食であった。果して、偵察員の報告は後方艦攻の危急を告げていた。

「一機火ヲ吹イテイマス」

「マタ一機ヤラレマシタ」

「マタ一機火をフキマシタ」

 僅かの間に忽ち艦攻を四、五機墜されてしまったらしかった。飛行機には、翼にも胴体にも、あちこちに油槽があるので、命中した弾は、大ていどこかの油槽を貫き、それから噴き出した油に引火して火だるまとなるのであった。

 われわれ艦爆隊は、敵戦闘機につかれて遅れた艦攻隊を待った。艦攻は魚雷を投下して身軽になり、われわれ艦爆の腹の下にもぐりこんだ。

 敵戦闘機はつづいてわれわれ艦爆隊にかかって来た。だが艦爆に対しては、敵戦闘機の攻撃も遠慮勝であった。アメリカでは艦爆は爆撃兼戦闘機と言っていて、艦爆か可成りの空戦性能をもっていることを知っていた。当時の九九艦爆は七・七ミリの機銃を三挺装備していた。二つは固定、一つは旋回である。艦爆隊は、がっちりと編隊を組んだまま、敵戦闘機に対して旋回銃の集中攻撃で応戦した。敵の戦闘機はグラマンF4F十数機であった。しばらく撃ち合っている間に、敵グラマンはわれわれから離脱した。われわれはそれから尚も、敵空母を求めて索敵限度のところまで進撃した。敵戦闘機につかれたのであるから、近くに敵機動部隊がいるということはわかったが、どうしてもその所在を発見することはできなかった。

 高橋少佐が爆弾を投下するのを見たので、わが隊もそれにならった。そして、右に大きく旋回して帰路についた。それにしても敵戦闘機はいかにして、洋上のわが攻撃部隊を発見したのであろうか。その頃、敵艦がすでに電波探知機を使用していることを知らなかったので、私はそれを不思議に思ったのであった。

 すでに日はとっぷりと暮れていた。しかし南方の海は明るくて、夜でも直下あたりは肉眼でも見える程度である。

 敵戦闘機の攻撃を受けて、いくらか機数の減ったわが攻撃隊が、凡そ百七、八十マイルほど帰ってきたあたり、眼下に二隻の母艦を中心とした機動部隊を発見した。母艦は灯りを点じて飛行機の収容をしていた。

 私たちの攻撃隊は、灯りは消して、六機ぐらいがまとまって、前後バラバラに帰って来ていた。

 大たい味方母艦の位置を予想した付近だったので、近くまで母艦が迎えに来てくれたと思い、まづ翔鶴の艦爆隊長高橋少佐が自らの航空燈、編隊燈を点火した。そして、母艦に向って「着艦ヨロシキヤ」の信号をおくった。すると母艦からも応答の信号があった。これが偶然味方の信号と一致していたのか、又、間違っていたことに気づかなかったのか、これは私たちには判断できないが、恐らく高橋少佐には「着艦ヨロシイ」という信号に見えたのであった。

 高橋少佐は高度二百メートルまで降り、解散の信号をし、着艦すべく誘導コースにはいった。

 高橋少佐が誘導コースにはいるのを見て、私も又別の母艦上に於て誘導コースにはいっていった。すると突然後部席の偵察員が、

「アッ、籠マストダ」

 と叫んだ。

  籠マストは米国の戦艦級のみにあって、日本の艦には見られないものであった。私は着艦せずに通り抜けた。そして首を出してみると成程どうも様子がちがう。これは敵ではないかと思ったとき、同時に敵も気がついたらしく、突如敵艦上の砲火が火を吹きはじめた。「あっ、やっばり敵だった」と思い、直ちに灯を消した。空中にあった収容中の敵戦闘機からも攻撃を受けた。後上方から敵機の曳痕弾がとんで来た。

 われわれ攻撃隊にとって、全く思いがけない事態だったので全機バラバラになって思い思いの方向に避退した。

 夜間ではあるし、燈火を消したので、敵の戦闘機も追躡を中止した。

 全く危いところであった。もしあのまま間違えて敵空母上に着艦してしまったら一たいどんなことになっているであろうか。思わず苦笑が浮ぶ。

 それにしても、爆弾を捨ててしまっていたので、敵空母を攻撃することができず、それが残念でならなかった。もし爆弾をもっていたら、それを一寸敵空母の上の置いてくれば大成功だったのにとくやまれた。

 だが、戦闘というものは、およそ過誤の連続であるのかもしれない。』

 江間大尉機は送信機の故障で電波が出せず帰投の困難が思われ、かつ燃料不足もあった。二番機が母艦の電波を捉え、どうにか母艦を発見し燃料ギリギリで着艦に成功した。

 

 攻撃隊は何ら戦果を得ることなく、逆に瑞鶴隊は艦爆一、艦攻五を失い、翔鶴隊は艦攻三を失った。機材も損害だが、夜間攻撃が可能な優秀な搭乗員を九組を失ったことは大きな痛手であった。

 特に悲惨な話は翔鶴の艦攻分隊長である萩原大尉機である。大尉機は敵弾をうけて操縦の米倉飛曹長が機上で戦死してしまったことである。機はまだ飛んでいたので、偵察席にいた大尉は機上を這って操縦席までたどりつき、操縦席の米倉飛曹長をどうにかおしのけて死体にまたがり操縦桿を握り

「操縦員戦死、われこれに代わって機を操縦帰還しつつあり」

 と打電して帰路についた。だれもがそんな芸当ができるとは思わなかったが、事実は必死に操縦席に移りまだ飛べる機を操縦したのであろう。しかし、大尉は翔鶴を発見できず、燃料不足のために海上に不時着して未帰還となり戦死した。


 高橋飛行隊長は着艦後、駆け足で艦橋へと急いだ。

「艦長、すぐそこに敵の空母がいます!すぐそこですよ」

 そしてその時の様子を説明しだした。

「帰ってくる途中、探照灯を点灯して飛行機を収容している航空母艦が見えるので、近づいてみたんですよ。そしたら、急に発砲しだしたので、これは敵の航空母艦だなと思って、びっくりして、急いで帰ってきました。爆弾を棄ててしまっていたので、惜しいことをしました。ほんとに、すぐそこにいますよ」


 敵機動部隊の位置は明らかとなった。

『 帰途ニアル艦爆隊ハ薄暮ノ視界内ニ敵機動部隊ヲ発見セリ 

 一六四五 敵ノ位置「ロッセル」ノ一六〇度一一〇浬

  敵兵力  「サラトガ」型空母一隻

       「ヨークタウン」型空母一隻

       戦艦一、大巡二、軽巡一、駆逐艦六

       針路一二〇度、速力不明ナルモ高速ニ非ズ   

       飛行機収容中ナルモノノ如シ

  航行序列 戦艦ヲ中心トシ各其ノ両側ニ巡洋艦各一

       両斜後ニ空母各一ヲ伴ヒ前方及各後方ニ各三隻

       ノ駆逐艦ヲ伴フ』


 両空母の使用可能機数は次のように報告された。

   瑞鶴  艦戦一九、艦爆一四、艦攻一二

   翔鶴  艦戦一八、艦爆一九、艦攻一四

 

前掲書「空母ヨークタウン」には次のように記されている。

『「ヨークタウン」は、レーダーで敵機をとらえはじめた。最初の報告は午後五時四十七分、敵機群が距離一八浬を西航中というのである。「レキシントン」の戦闘隊が最初の発艦し、その飛行機群が敵であることを確認したうえで戦いを挑んだ。「ヨークタウン」の戦闘隊も緊急発進した。

(中略)

「ヨークタウン」を発進した七機の「ワイルドキャット」が戦闘に加わった。死闘は五十二分つづき「ヨークタウン」と「レキシントン」のパイロットたちは、仲よく四機ずつ計八機を撃墜した。

 午後六時五十五分ころ、「ヨークタウン」は自艦の「ワイルドキャット」の収容を開始した。日没後数分たったころである。まだ数機が上空に残っていたがノーウッド・キャンベル大尉がふと気がついた。「ヨークタウン」の上空を旋回している飛行機の数が、多すぎるように思われるのだ。そのうちの三機が、あいついて「ヨークタウン」の艦尾方向から舞い降りて来た。しかし三機とも着艦に失敗して、それぞれ右舷に機首をひねった。それを見たキャンベルは、確かに何かおかしいと思った。アメリカの空母は全部艦橋構造物が右舷側にある。だからアメリカのパイロットは拘束索にフックをかけそこなった時は、いつも艦橋構造物を避けて左舷に機首をひねることにしている。しかし日本の空母は艦橋構造物は左舷にあった。だから日本のパイロットは、右舷によける習慣がついているのだ。(これが独断であるの注釈あり)

「ヨークタウン」の砲術長アーニイ・ディヴィス少佐は、情況を即座につかんだ。かれは高声令達器でどなった。

「着艦準備中の飛行機は味方ではない。繰り返す。着艦準備中の飛行機は味方ではない」

「ヨークタウン」の戦闘機は、着艦隊形から離れるよう指令された。デイヴィス砲術長は、恐らくアメリカ海軍将兵が一世紀以上も耳にしたことのない古い号令をわめた。

「総員、斬り込み隊の備えーっ!」

(中略)

 日本攻撃隊の脅威が去った後「ヨークタウン」戦闘隊で、まだ上空に残っていた連中が呼びもどされた。しかし神経過敏になっている砲員たちは、またもや砲門を開いた。ディック・エンライト少尉機が冷却器に命中弾を受けたが無事に着艦した。ウイリアム・バーンズ少尉はパラシュート包に一弾を縫い込まれ、唇に負傷して着艦した。ジョン・ベイカー少尉は、暗闇の中に消えて未帰還となった。』


 米軍はこの日本機迎撃で、レキシントンがポール・G・ベーカー中尉機を失い、ヨークタウンがレスリー・B・ノックス少尉機とジョン・ベイカー少尉機を失った。

 米空母の使用可能機数は

   レキシントン 艦戦一七、艦爆三四、艦攻一二

   ヨークタウン 艦戦一四、艦爆三二、艦攻九

 となり、やや米側が機数的には優勢であったた、両軍とも定数に比べかなり減少した作戦可能機数となった。


この戦いの詳細については、森史郎著「暁の珊瑚海」の第三章「予期せぬ会敵」に綿密に記されているので、詳しく知りたい方はこちらを読むことをお薦めします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る