第十三話 空母祥鳳沈没す

 空母「祥鳳」は剣埼型潜水母艦「剣埼つるぎざき」として建造されたが、後に航空母艦へ改造され、開戦直後の昭和十六年十二月二百二十二日竣工した。基準排水量一一、一六三トン、全長二〇五・五m、幅二〇m、五万二千馬力、速力二八ノット、一二・七センチ連装高角砲四基、二五ミリ三連装機銃四基、搭載機常用二一機、補用七機。

 「祥鳳」は第六戦隊の重巡四隻と駆逐艦漣の護衛をうけて、攻略部隊の輸送船団を掩護する形で航行していた。


 フレッチャー少将は索敵機を発進させ、日本軍部隊の行方を探索した。そのうち「ヨークタウン」の偵察機の一機が〇八一五日本軍部隊を発見し「航空母艦二隻及び重巡洋艦四隻発見」と報告し、位置は南緯一〇度〇三分、東経一五二度二七分で、「ヨークタウン」から北西に約二二五浬の距離にあった。

 フレッチャー少将は、主たる攻撃目標である日本機動部隊と判断して攻撃を加えるために速力をあげて目標にむかい進んだ。もう一つの空母「レキシントン」は報告された位置より南東方約二〇〇浬の地点に達していたため〇九二六に攻撃隊の発進を開始した。「ヨークタウン」も三〇分後には攻撃隊の発進を開始した。

 「レキシントン」からは爆撃機十五、哨戒機一〇、雷撃機十二、戦闘機一〇、哨戒爆撃機三の五〇機、「ヨークタウン」からは哨戒機一七、爆撃機八、雷撃機一〇、戦闘機八の四三機で合計九三機が目標を目指した。

 だが、この報告は間違ったものだった。偵察機が帰還したが、それで判明したのは通信暗号文の不備のために、実際は「重巡洋艦二隻と駆逐艦二隻」であることが判明したのであった。空母は発見していなかったのである。

 「レキシントン」のオールト中佐率いる爆撃隊が、十一時頃にルイジアード諸島中のタグラ島を通過したあと、ハミルトン少佐機は、右手二五浬か三十浬付近に航跡を認め、確認すると空母一隻、重巡二隻ないし三隻、駆逐艦一隻乃至二隻からなる部隊発見したのである。幸運であった。これこそ五藤少将率いる「祥鳳」以下の艦隊であった。「祥鳳」側でも、この航空部隊を視認していた。以下「祥鳳」の「戦闘詳報」である。


『〇八五〇頃左舷一一〇度方向四万米に敵飛行機(十五機以上)を発見す 次で敵は二隊に分進し本艦上空に来襲し来れるを以て、〇九〇七頃取舵に転舵爆撃回避運動を開始す

〇九一〇先ず敵三機艦尾約八五〇〇米に進入せるとき砲撃を開始し内一機を撃墜す 他の二機は進入高度三五〇〇米乃至四〇〇〇米にて急降下に入り投下高度約一〇〇〇米にて我を爆撃し至近弾一を認む 次で他十数機の艦爆右舷側より来襲同様の要領にて我を爆撃せるも概ね四、五十米以内(内二十米以内数発)に弾着し何等の被害なく回避撃攘せり

〇九一七艦戦三を発艦中後続敵飛行機隊(爆撃機雷撃機戦斗機各二十機以上)我に来襲し来るを認め発艦終了と共に取舵転舵す 次で右舷に敵雷跡を認め面舵に転舵中0920飛行甲板後部昇降機前方に爆弾命中し飛行甲板大破上部格納庫後部に火災を生起す 間もなく右舷後部に魚雷命中し動力電源破損操舵装置故障し人力操舵行わんとするも続発する爆弾魚雷の被害に依り人力操舵も不能となり艦内通信装置亦殆んど不能となる

当時既に船体機関の被害類発し速力漸次減退すると共に砲身破損するものあり又随所に死傷者多発するもすこしも屈せず防戦防火防水に必死の努力を尽せり 然れども〇九三〇迄には別図第二の如く(被弾箇所をあらわす図、省略)爆弾魚雷自爆敵機の命中に依り満身創痍船体爆煙火災に包まれ浸水亦装填砲甲板に達し茲に全く運動の自由を失するに及び万策尽たるを以て涙を呑みて総員退去を令す 時に午前九時三十一分なり

然れども乗員は尚退去するものなく砲員は折れ残りたる残砲を以て身水中に没する迄上空に残存する敵機の砲撃を撃続し又其の他の配置にありても身浸水するに至る迄戦闘配置を去らず奮戦の闘死力を尽して尚已まず為に上甲板以下の配置員は概ね退去の暇なく戦闘配置に就きたる儘沈み行艦と其の運命を共にし壮烈無比の戦死を遂げたり時に午前九時三十五分頃なり

此の間我が戦闘機六は克く衆敵と交戦奮闘し敵機を撃墜し戦闘後三機は「デボイネ」に不時着せるも他の三機は消息不明なり』


 祥鳳は被弾してから約二十分後には波間から消えていた。轟沈に近い状況であった。敵機の一方的に乱打された結果であった。


 「空母ヨークタウン」の著書からその時の様相を見てみよう。

『「レキシントン」の攻撃隊がまず敵艦艇を発見した。陸兵輸送船団は視界内どこにも見えない。しかし眼下には巡洋艦四、駆逐艦一に直衛された一隻の大型空母、実は一万四〇〇〇トンの軽空母「祥鳳」がいた。「祥鳳」は「レキシントン」の二七機からなる急降下爆撃隊が後方に迫るにつれて、できる限りの蛇行と旋回を試みた。この単純な回避分銅で十分だった。「レキシントン」隊はわずか一発命中させたにすぎず、しかもその一弾は「祥鳳」の艦尾部に落下したようだった。」

 このレキシントンの急降下爆撃隊の爆撃効果は祥鳳の戦斗詳報とほぼ一致する。

『今や、戦闘の様相が進展するにつれて、予定の計画ではなかったが、「レキシントン」の雷撃隊と「ヨークタウン」の急降下爆撃隊とが同時攻撃をする形になった。第二雷撃隊は「祥鳳」の左舷に魚雷を三本命中させた。ビル・バーチ少佐指揮の急降下爆撃機十六機が殺到し「祥鳳」に十二発の爆弾を命中させた。スタン・ヴェジャッサ大尉はバーチ隊長の直後につづいていた。大尉は語る。

「隊長は敵空母の飛行甲板のど真ん中に爆弾を直撃させた。それは実にすばらしかった。そのあと私が直撃させた。ヒュー・ニコルソンもアート・ダウンニングもロジャー・ウッドハルもチャーリィ・ウェアーも、みな命中させた」

 「ヨークタウン」の第五偵察隊が離脱するかしないうちに、第五爆撃隊が殺到した。四人のパイロットージョジョ・パワーズ、ウィン・ロウレイ、ビル・クリスティ、ベン・プレストンが、それぞれ爆弾を命中させた。(中略)

 第五爆撃隊が離脱するのに引きつづき、ジョー・テイラー少佐の率いる「ヨークタウン」の雷撃機十機が攻撃運動に入った。十機は「祥鳳」に近接するにつれて散開し「祥鳳」の右舷側に長い弧状隊形を作り、機首をめぐらせて「祥鳳」のアイランド型上部構造物を目標に殺到する。

 「それは決して本物の戦争における、みごとな魚雷の散布帯と言ったものではなかったと思う」と、その時のパイロットの一人であるトム・エリソンが主張している。「・・・私たちは、激しい対空砲火をくぐって五〇ないし六〇フィートの高度で突入して行き、六〇〇フィートまで近接して魚雷を発射しただけだった」

 エリスンは電動投下装置を信頼していなかったので、手動投下装置を力いっぱい引いた。機首をひるがえしながら、自分の魚雷が「祥鳳」に向かって真っすぐに驀進して行くのが見えた。「祥鳳」は、その時すでに攻撃隊の蝟集を回避することができないくらい機能を失っていた。

 (中略)

 「祥鳳」は本当に沈んでいた。「レキシントン」の第2偵察隊長ボブ・ディクソン少佐は「祥鳳」撃沈の興奮のあまり無線封止を破ってしまった。

「フラット・デッキ、一隻消した」とディクソンはどなった。』

 

 米攻撃隊の損害はドーントレス艦爆二機とデバステーター雷撃機一機であった。日本側の直掩機も三機が撃墜され、残り三機も母艦がなくなったため、海上に不時着した。

 「祥鳳」の人員の損害は総員名簿紛失のため不詳ではあるが、戦死は准士官以上三十一名、下士官兵約六百名とみられ、負傷者は准士官以上三名、下士官兵は六十九名にのぼった。


 当時、空母「翔鳳」に搭乗していた朝日新聞特派員の天藤明氏の手記があるので、そちらを参考までに引用したい。


『七日、敵の攻撃圏内に入った輸送船団は一時北のほうに危険を避けることになった。その上空を護るのが、わが空母のおもな仕事となった。

 東の空がまだ白む前から、機は次々と艦を飛び立って警戒飛行をつづけた。

 朝七時五分「敵機動部隊らしきものロッセル島南八十二マイルに見ゆ」という第一報が索敵機の一機から出された。

 ラバウルの基地航空隊から、攻撃隊がぞくぞく舞い上がった。雷撃機についで爆撃機も飛び立った。

 その編隊群に「敵機動部隊の位置は、バニート島の東南百六十五マイル」という飛電が、七時四十分に入った。しかし、この部隊はうまく敵を捕捉できなかったらしく、戦果をあげることはできなかった。

 このころ祥鳳は、敵機五十機に襲われていた。

 それは、朝の九時ごろだった。敵機が来るまでひと休みと私は士官室におりていった。機関長、軍医長、主計長が、やっぱりひと休みといったようすで、お茶を飲んでいた。しばらく雑談が続いた。

 キュン、キュン、キュン、空襲警報がけたたましく鳴り響いた。

「総員配置につけ」

 兵隊たちは一瞬の間に部署についてしまった。

 報道班員には艦長から命令された配置というものはない。しかし、戦いを報道するのが役目であるいじょう、この目で見なければならない。

 艦橋へすっ飛んだ。士官室を出ようとしたところで、ポンと背中をたたかれた。機関長岩清水中佐だった。

「元気でやれよ」

 童顔が笑みをたたえていた。そして小柄なまるまる太った体をゆすって機関室の指揮所へ降りていった。これが機関長との最後の別れだった。

「敵機左舷八十度、高角四度、六機見えまーす」

 見張員のはちきれそうな声が聞こえてくる。艦のスピードは相当出ている。黒潮をわたる風が、ここちよくほてった頬をなでる。

 南のかなた、海と雲の間からアブのような敵機が見え出した。やがてツバメの大きさとなり、トビのようになった。そして早くも艦の上にのしかかってきた。

 ところが、どうしたことか、こちらの高角砲も高射機関銃もなりをひそめている。不安になった。故障ではあるまいか。

 敵は急降下爆撃隊だった。編隊が解かれた。一番機がぐっと機首を下に向けた。

 その瞬間だった。わが対空砲火が、一斉にうなり始めた。急降下に移ろうとする敵機に向かって激しく打ち上げられた。一番機が煙をはいた。糸のように細い白い煙をはきながらまっさかさまに落ちてくる。まるで自分の頭の上に落ちてくるようだった。艦は、おもかーじ、とりかーじと、右に左に、ぐい、ぐいと激しく回って、稲妻形に体をかわしている。落ちる敵機が右に見え、左に見えしていたが、はるか艦尾のほうの海に落ちていって一メートルほどの火焔がぼっと上がっただけだった。

 目を上空に移すと、もう二番機が赤い火に包まれ、ぐらっ、ぐらっとよろめいた。真白い煙を、青い空にはきながら、またもまっさかさまに落ちてきた。

 初弾命中は、初めて見ることだった。ラバウルにいる間に、前後百二十回を超える爆撃にあい、対空砲火は見飽きていたが、なかなか当たらないものだという結論だった。それがこの日は初弾命中、次の弾丸も命中というすばらしさだった。またたく間に二機をたたき落としていった。空母の射手の優秀さに舌を巻いた。

 基地と空母とでは、これほど質が違うものかと、改めて感心した。

 やがて艦は水柱に包まれてしまった。稲妻形に逃げるのを追って、つぎつぎと爆弾を落としてきたからだ。右舷に、左舷、艦尾の近くにと、三、四メートルの水柱が立った。むくむくと水柱がのびる。ちょうどそのとき、艦がぐっとカーブを切る。水煙をざあっと頭からかぶる。

 吉岡写真班員は、はじめ望遠レンズをつけて写真をとっていたが、余りの間近で、スケールの大きな戦闘場面がひろげられ出したので、望遠レンズでは入らなくなり、はずしてしまった。写真も白兵戦といったところだ。

 落された爆弾の数は、まず何十発というところだった。だが、不思議と当たらなかった。この間、空中では、早朝から飛び立って警戒していた戦闘機三機が、数倍の敵を相手に追いつ追われつしていた。艦上では納富大尉らの三機が空をにらんでいた。

 頭の上で空中戦が展開されているというのに、艦上にくぎづけされたくやしさに、歯をくいしばっている。操縦桿をぐっと握りしめ、いつでも飛び出せる姿勢だ。エンジンはごうごうと鳴っている。

 敵は去った。第一波が過ぎたのだ。やがて第二波が来るにきまっている。今のうちだ。上空の三機に、艦上の三機が加わるチャンスは、今をおいてない。

 だが、艦上の三機を飛び立たせるには、艦を風に立て、充分な風速を得てからでないと出来ないことだ。その間に、敵の第二波が押し寄せたらどうする。まっすぐ走る艦はねらいやすい。寝ているのを射つようなものだ。といって戦闘機をむざむざ艦上におく手はない。

 艦長は飛行士たちの顔を見た。「なぜ出してくれないのだ、艦長」ー彼らは、そう訴えているようだった。まなざしは、もう血走っていて空をにらんでいた。操縦桿を握る手がエンジンの響きでふるえていた。飛行機は今や生き物に見えた。

 艦長は一瞬目を閉じたように見えた。

「風に立てえ」

 ついに艦長の断が下った。艦は二十五ノットのフルスピードで一直線に走り出した。敵を目の前にして大ばくちである。見事、敵のくる前に三機を飛ばし切れるか。

 全乗組員はかたずをのんでいる。艦はぐんぐん走る。

びゅうん。

納富大尉の一機が飛び立った。海面すれすれの低空から、ぐうんと大空へ舞い上がったころだ。びゅうん。

二番機が飛び立った。この間、三十秒くらい。つづいてまた三番機。ついに三機を大空に送り出した。

 無事送り出したと思った瞬間、敵機はもう上空に来ていた。

 黒い物が空から落ちてくる。それはもう敵機ではなく爆弾だった。無気味にうなりながら、ぐんぐん大きく近づいてくる。

 敵機は四方八方から寄ってきた。ものすごい数だった。飛び立ったばかりの、わが三機の姿はその編隊群にかき消されてしまった。爆撃隊ばかりではなかった。雷撃隊も加わっていた。それらを戦闘機を護衛していた。

 早くも艦のまわりには、水柱が何本も立ち始めた。頭の中を、いろんなことがかすめて過ぎる。旅順港の入口をふさぎにいって、敵弾の吹き飛ばされた広瀬中佐の古い話が、ふっと浮かんだ。飛び散る肉片が見えるようだった。

 弾丸から逃れようと考えた。だがすぐさま空母という敵にとっては申し分のない目標物に乗っていることに気づいた。陸地と違って、どちらへ逃げても同じことだと気づいた。自分に弾丸が当たらなくとも艦がやられれば、みんな同じ運命ではないかと、自分にいいきかせた。

 艦がブルンと揺れていたような気がした。真っ黒に焼けた木の破片らしいものが、艦橋にいるわれわれの目の前を、かすめて過ぎた。

 敵の爆弾が艦に当たったのではないかと、不安だった。

 またたく間に、鉄のとびらを力いっぱいたたきつけるような音に包まれてしまった。そんなはずはない。敵機の破片に違いない。そう信じようとした。だが、やがてこれが命中弾だったことを知った。しかもカジをやられたのだ。

 カジを故障した艦は、もう稲妻形に逃げる力を失った。ただ単調に、まっすぐ走るしかなかった。敵機はここぞとばかりに、この半身不随の空母に踊りかかってきた。猛烈な勢いで踊りかかってくる。間近に迫ってから爆弾を落とす。そして、そのまま突っ込んでくる。われわれの頭をかすめるように舞い降りる。そのまま海に突っ込んだとみる間に、ぐうんと引き起こしてゆく。なかなか勇敢だった。内地で教えられていたような、ふやけたアメリカさんではなかった。

 鞭で頭と脚をビューンとなぐられたような感じがした。きな臭いにおいが鼻や耳をつく。うしろの鉄のとびらに、弾丸の破片が砕けて落ちる音が、まるで雨のようだ。その破片は頭の上をかすめてゆくように思われて、頭を上げることができなかった。そっと見ると、まわりには兵隊がいっぱい倒れていた。とうとうやられた。それは命中弾の三発目か四発目だった。間近に落ちたと感じた瞬間、ものすごい爆風にあって、甲板にたたきつけられたのだった。

「ちくしょう」

 怒りに燃えた声に驚いて振り向くと、一人の飛曹がほおをえぐり取られていた。それを両手でおさえているが、指の間から鮮血が漏れて流れ落ちていた。

 その近くに、右腕がちぎれ落ちそうになっている兵隊がたっていた。腰にくくりつけた手拭を左手で取り、片端を口にくわえて右手の血をとめていた。やがて彼は艦橋のうしろの電信室に入っていった。負傷者とは見えないほど、しっかりとした足どりだった。そして左手で電信室のキイをたたきはじめた。

 私の近くで、むっくり立ち上がった兵隊の脚を見て、ぎょっとした。ももの肉がえぐり取られ、白い骨がのぞいていた。よろめくたびに、真っ赤な血がどっとあふれ出た。望遠鏡の前に立った。両足をふんばってレンズをのぞき、大きな声で報告をはじめた。見張員だった。

 私はぐずぐずしてはいられなかった。このまま倒れていることがはずかしくなった。立ち上がると、戦闘のよく見える艦橋のほうへ歩いていった。その途中で帽子を探している中尉にぶつかった。

「おれの帽子を知らぬか」

 と大きな声で呼ばわっている。爆風で吹き飛ばされてしまったらしい。その声にさそわれて、私も頭に手をやった。ない。しかし、その手にぬるっと触れるものがあった。血だ。やっぱり頭もやられたのかと、そのとき初めて知った。元の場所に引返して帽子を探した。とびらの近くに落ちていた。その後、何度も吹き飛ばされて行方が判らなくなってしまった。

 爆弾と魚雷がなおも追いかけてきた。魚雷が当たると、地震の上下動と左右動が、いっしょにやってきたように揺れる。音はにぶいが、腰を引きずり出されるような気がした。

(中略)

 艦はいよいよ頭を海中に突っ込みはじめた。艦橋から艦橋甲板に飛び出した。吉岡写真班員が、ちょうどそこへ現れた。彼もはじめは私といっしょに艦橋にいたのだ。爆弾で立上る水柱や突っ込む敵機を写していた。戦闘がはげしくなってゆくうちに、別れ別れになってしまった。もう一つ上の飛行甲板にいって写真をとっていたのだった。

「報道班員、下へおりろ、危ないからおりろ!」

 何度も砲術長が注意したが、彼の耳に入らなかった。

「まだ生きていたか」

とちらからともなく手を握りあった。

「いこう」

「お、いっしょにいこう」

どこにゆくつもりだろう。恐らく「死ぬならいっしょに」というぐらいの気持だったのだろう。波がうずを巻いて目の前に迫ってきた。下の甲板はもう白い波に洗われていた。

 板や丸太棒を、やたらに海に放り投げている将校が目に入った。東大出の加藤主計長だった。これから始める漂流に備えて、浮きそうなものはなんでも投げ込んでおこうというわけだ。ところが、当の主計長は、これを最後についに姿を見せなかった。艦が沈もうとしているのに、兵隊たちは配置についたままだった。一人として飛び込もうとしないのだ。艦首がぐっと海中に突っ込んだとき、艦尾がぐうんとせり上った。スクリュウが空中で猛烈に回り続けていた。機関長以下、最後の最後まで部署についていた証拠だった。

 沈みかけるマストに登ってゆく兵曹がいた。軍艦旗をおろそうというのだ。そして旗といっしょの見えなくなってしまった。』


 氏はおよそ二百名と思われる乗員とともに漂流を続け、板切れや丸太に捕まりながら、寒さとフカの恐怖と闘いながら、十時間あまり、ようやく駆逐艦に救助され九死に一生を得た心持ちであったという。

 

 ニミッツの「太平洋海戦史」には、

『米攻撃隊は午前十一時ごろ、軽空母「祥鳳」に襲いかかった。そして米軍パイロットによって行なわれた最初の空母に対する攻撃で、一三個の爆弾と七本の魚雷を命中させ、「祥鳳」は二、三分のうちに海面から姿を消した。』

 と触れ、宇垣参謀長は「戦藻録」の五月七日の項で、

『早朝来吉報を待てるに六戦隊と共に在りし祥鳳は、敵機に攻撃を受け爆弾六魚雷三命中廿分にして八時半沈没の報あり。』 

 と記している。


日米機動部隊の本格的激突の時はもう間近であった。

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