第十一話 陸攻隊米濠艦隊を攻撃

 五月三日午前ラバウルにおいて護衛隊と陸軍部隊との作戦打合せがあり、午後にはRZP攻略部隊の作戦打合せが「夕張」にて行われた。


 MO主隊に空母「祥鳳」と駆逐艦「漣」が追加されたほか、MO機動部隊として第五戦隊と第五航空戦隊が追加された。


MO機動部隊 司令官 中将 高木武雄

   第五戦隊 司令官 中将 高木武雄

     重巡  妙高  羽黒

     第二十七駆逐隊 駆逐艦 時雨、夕暮、有明、白露

     給油船  東邦丸

   第五航空戦隊 司令官 少将 原 忠一

     空母  翔鶴  瑞鶴

     第七駆逐隊 駆逐艦 潮、曙


米軍編制

第十七機動部隊  

  指揮官 少将 フランク・ジャック・フレッチャー

 機動部隊第二群

  指揮官 少将 トーマス・C・キンケード

    重巡  ミネアポリス

    同   ニューオーリンズ

    同   アストリア

    同   チェスター

    同   ポートランド

    駆逐艦 フェルプス

    同   デューイ

    同   ファラガット

    同   エイルフィン

    同   モナガン

 機動部隊第三群 

  指揮官 英海軍少将 J・G・クレース

    濠重巡  オーストリア

    重巡   シカゴ

    濠軽巡  ホバート

    駆逐艦  パーキンス

    同    ウォーケ

 機動部隊第五群

  指揮官 少将  オーブレイ・W・フィッチ

    航空母艦  ヨークタン

      第四十二戦闘機中隊

      第五爆撃機中隊

      第五哨戒機中隊

      第五雷撃機中隊

    航空母艦 レキシントン

      第二戦闘機中隊

      第二爆撃機中隊

      第二哨戒機中隊

      第二雷撃機中隊

    駆逐艦  モーリス

    同    アンダーソン

    同    ハマン

    同    ラッセル

 機動部隊第六群

  指揮官  大佐  ジョン・S・フィリップス

    油槽船  ネオショー

    同    ティッペカヌー

    駆逐艦  シムス

    同    ワーデン 

 機動部隊第九群

  指揮官  中佐  ジョージ・H・デボウン

    水上機母艦 タンジール 

第四十二任務部隊(濠洲東岸潜水艦部隊)

  指揮官  少将  フランシス・W・ロックウェル

  任務部隊第一群

   潜水母艦  グリフィン

   第五十三潜水隊

     潜水艦  S四二号

     同    S四三号

     同    S四四号

     同    S四五号

     同    S四六号

     同    S四七号

   第二〇一潜水隊

     潜水艦  S三七号

     同    S三八号

     同    S三九号

     同    S四〇号

     同    S四一号


  フィッチ少将指揮下の空母「レキシントン」は五月一日午前六時十五分、エスピリト・サント島の西南西約二五〇浬の地点で空母「ヨークタウン」を基幹とする機動部隊と合同して、フレッチャー少将の指揮下に入った。

 フレッチャー少将は油槽船「ネオショー」より洋上給油を開始し、フィッチ少将に対しても西方より南方にわたる数浬の地点で油槽船「ティッペカヌー」より給油を受けるよう指令した。同地点では重巡「シカゴ」と駆逐艦「パーキンス」にたいし合同して給油を行うよう指令していた。



 ポートモレスビー攻略部隊は、四日一六〇〇ラバウルを出撃した。「夕張」「津軽」、駆逐艦五隻、掃海艇一隻、輸送船五隻および南海支隊の輸送船五隻計十八隻からなる護衛船団は、途中で吾妻山丸、京城丸、朝香山丸と合流する予定で航行した。第二航行隊形にて八節で南下した。夜にはセントジョージ岬付近で護衛部隊が潜水艦を発見し攻撃したが効果は不明であった。


 四日空母「祥鳳」はツラギに来襲した敵機動部隊を求めて急速南下して探索したが何ら敵情は不明のまま二十一時に反転北上した。

 空母「祥鳳」と駆逐艦「漣」は五日〇七〇〇頃、MO主隊と分離したのち西進し、ポートモレスビー攻略部隊の視界内に達して戦闘機を発進させ、日没まで船団上空の哨戒任務にあたった。その後「祥鳳」と「漣」は補給のためにショートランドにむかい「石廊」から補給を受け、翌六日早朝MO主隊とともに同地を出発し、攻略部隊の船団に合流掩護任務につく予定であった。

 この間に敵哨戒機により「祥鳳」や第六戦隊の重巡が発見され、単独航行中の吾妻山丸も発見されたことが、敵の報告からも認知された。


 五日、横浜空の大艇一機哨戒線区四番線が一六三〇になっても帰投せず行方不明となったことが、不安と緊張をもたらした。米側によれば、戦闘機四機を発進させ、飛行艇は被弾し発動機から炎をあげながら洋上に墜落したという。浦田清之助大尉指揮の飛行艇で十名が戦死した。浦田機は敵艦隊を認めていなかったようで、電報を発信する暇もなく撃墜された。

 また、陸軍機からの空母発見の報により、フレッチャー少将は燃料補給の作業を中止し、北西に艦首を向けた。


 六日、ツラギの発進した大艇五機のうちの一機がついに敵機動部隊を発見して接触をつづけ、次々の詳細な報告を送ってきた。

「〇八一〇 敵ラシキモノ見ユ、大部隊、基地ヨリノ方位一九二度、四二〇浬」

「〇八三〇 敵ラシキ空母一、戦艦一、重巡一、駆逐艦五見ユ針路一九〇度、速力二〇節」

「〇八三五 付近天候晴、視界五〇粁、雲量四〜五、雲高一〇〇〇米」

「一二〇〇 敵ノ航行序列、重巡、戦艦、空母、駆逐艦五ハソノ前方三粁に捜索列ヲ張ル 各艦ノ距離五〇〇米 空母ノ甲板ニ飛行機三〇機アリ」

「一二二〇 我接触ヲ失フ 帰途ニツク、付近天候曇リ、視界一〇粁、雲高三〇〇米」

 接触の機会を失った大艇にかわり、ツラギから大艇一機を発進させ、推定敵位置付近にたっしたが、米機動部隊の発見はならなかった。


 MO機動部隊は、五月一日〇四〇〇「トラック」を出撃し、「トラック」南方四〇浬付近にて五航戦の艦載機をトラック基地から収容し、ニューアイルランド島北方海面に向かった。

 二日午前ラバウル北方一五〇浬付近にてラバウルに空輸して台南空に引き渡す零戦九機を発艦させたが天候不良により途中より引き返し母艦に収容した。翌三日も再度発艦したが、この日も天候不良で密雲を突破できずに帰還した。一旦補給のために空輸は中止して、北西方に移動して四日早朝より洋上補給を実施した。しかし、まもなくしてツラギに敵艦上機が来襲したとの通報があり、駆逐艦三隻への給油で作業を打ち切り、ツラギへと針路をとった。索敵機を発進させて敵機動部隊の探索を行なったが発見にいたらず、敵の所在は不明であった。五日未明にはソロモン群島の南東に達し、さらに索敵を実施したがなおも敵発見には至らなかった。

 六日〇五〇〇、ツラギの西方約一八〇浬付近で東邦丸と会合、第二次補給を開始し、その補給中に横浜空大艇の通信を受信した。

 第五航空戦隊は既に補給を終了していた駆逐艦「有明」「夕暮」を随伴し、一〇〇〇針路一八〇度、速力二〇節で南下を開始した。大艇の報告から敵の位置はその南方三六〇浬付近にあると判断された。十二時頃には横浜空も敵を見失い、日没時までに敵部隊を捕捉することはないであろうと判断し、明日以降の行動を考え、再度補給実施のために北上して一七時頃より補給を開始し二二三〇に補給を終了して予定海域に向かった。

 二十時にはMO機動部隊指揮官高木中将は電令作第三号を発令した。


MO機動部隊電令作第三号

一、MO機動部隊ハ明七日〇四〇〇地点ケハレ00(A点)ニ達シA点ノ一七〇度ヨ

 リ二七〇度間二五〇浬圏内ノ索敵ヲ行ヒ特ニ敵情ヲ得ザル場合ハ概ネ西進シ敵ノM

 O攻略部隊攻撃ニ備フ

二、東邦丸ハ「ニュージョージア」及「イサベル」両島間等適当ナル海面ヲ機宜行動

 待機

三、本隊ハ補給点ヨリ針路二二〇度速力二四節乃至二六節ニテA点ニ向フ


 二五航戦では四空に対し次の命令を下した。


 機密第二九〇番電

明七日第二部隊ハ左ニ依リ敵機動部隊ノ索敵攻撃ヲ実施スベシ

一、索敵隊陸攻三機〇四三〇発進基点RR進出距離七〇〇浬

 索敵針路一八〇度一七〇度一六〇度測程右折六〇浬

二、攻撃隊陸攻十二機(雷装)〇五三〇発進進撃針路一六五度進出距離六〇〇浬攻撃

 目標敵空母


 まず重巡衣笠の索敵機が〇五五八に敵艦隊を捉えた。

「敵航空母艦ノ位置味方航空母艦ヨリノ方位一八度距離二一六針路三〇度速力一六節」

 つづいて〇六四〇には

「戦艦一巡洋艦二駆逐艦七航母ラシキモノ一、針路三〇度速力二〇節」

 と詳しい艦種を報せてきた。さらに

「我敵ニ触接ス、敵針三三〇度敵速不明付近天候薄曇雲高四〇〇視界一〇粁」

 四空の陸攻三機がブナカナウ基地から索敵に出発し、そのうち二番機が〇七二五ついに敵艦隊を捉えた。つづいて三番機が〇七三八に敵発見の報を打電した。

 この部隊は第三群の巡洋艦部隊である。MO攻略部隊を攻撃するために別働として向かっていたものだ。


 敵部隊発見の報により、雷装準備を整えていた四空の一式陸攻十二機が飛び立った。そして陸攻一機に誘導された台南空の零戦十一機が発進した。敵は大艦隊であり、マレー沖海戦で出撃した陸攻隊に比べあまりにも少かった。四空は小林大尉を指揮官機とするわずかに十二機であった。


 四空攻撃隊 指揮官 大尉 小林國治

         九一式魚雷改  一二

  第一中隊

   第一小隊 一番機  小林國治大尉   自爆

        二番機  外山徳広一飛曹

   第二小隊 一番機  後藤 長飛曹長  自爆

        二番機  貝和 盤二飛曹  自爆

   第三小隊 一番機  西村 清飛曹長

        二番機  小沢敬次一飛曹

  第二中隊  

   第一小隊 一番機  小関俊勝中尉

        二番機  及川正雄一飛曹  自爆

   第二小隊 一番機  田中美幸飛曹長

        二番機  宮崎晄三一飛曹 

   第三小隊 一番機  岡部一雄飛曹長 

        二番機  杉井 操一飛曹

 台南空 誘導

    四空   古市 治特務少尉

  台南空  指揮官  少佐  中島 正

   第一中隊

    第一小隊 一番機  中島 正少佐

         二番機  大島 徹一飛曹

         三番機  水津三夫一飛

    第二小隊 一番機  吉野 俐飛曹長 

         二番機  國分武一一飛

   第二中隊

    第一小隊 一番機  河合四郎大尉

         二番機  吉田幸綱二飛曹

         三番機  山本健一郎一飛

    第二小隊 一番機  山口 馨中尉

         二番機  石川清治三飛曹

         三番機  新井正美三飛曹


 陸攻隊は〇七一五ブナカナウ基地を発進した。陸攻隊は高度三千メートルで予定地点へ飛行した。少し離れて誘導機に先導された台南空の零戦十一機が続く。しかし、航続距離は陸攻には及ばない。燃料ギリギリまで飛んだが引き返していった。

 陸攻隊はロッセル島の西方海上の予想地点に到達したが、敵の姿はない。陸攻隊は高度を下げて付近の捜索を行うこと約一時間。帰りに燃料が心配になってきた。突然指揮官機がバンクをしている。白いウエーキが見え、対空砲火の砲煙が上がっている。台南空の零戦隊であった。偶然とも言えた。対空砲火の砲煙がなければ見つけられなかったかもしれない。

 十二時半、小林大尉は「トツレ」を下令した。編隊は降下しつつ、第一中隊は左舷へ、第二中隊は右舷から接敵を開始した。単縦陣となって突入していった。

 敵艦隊はレーダーで捕捉しており、対空射撃を猛烈に浴びせかけた。第一中隊はその猛烈な対空砲火の餌食となり指揮官機の小林大尉機をはじめ、二機が散華した。第二中隊も及川機が火を吹き火炎に包まれて海中に没した。各機はそれでも突入し、計器速度二四〇ノット、高度一〇メートル、距離八〇〇で魚雷を投下した。双発大型機で高度一〇メートル、ともすれば海面スレスレであるから、相当な操縦技術がなければ無理である。これでけ接近して魚雷を発射すれば、そう簡単には回避はできないはずである。米軍などは千メートル以上の距離から発射し、投下高度も二〇〇メートルという。モリソン戦史によれば、発射された魚雷は八本。これは撃墜された四機を除けば数は一致する。「シカゴ」に四本、「オーストラリア」に三本、「ホバート」に1本が向かったが、全部回避に成功したという。避退する陸攻機からは命中の水柱と火炎を見たというが、敵艦に被害はないというから、見たものは何であったのか不思議でもある。戦果報告は小林大尉が戦死したため、第二中隊長の小関中尉が戦果をまとめ報告した。

『「カリフォルニヤ」型戦艦一隻轟沈、英国重巡「キャンベラ」型一隻傾斜大火災沈没の算大、英戦艦「ウォースパイト」型一大損害』と報告したが、重巡を戦艦と報告しているのも完全な見誤りである。台南空指揮官中島少佐は行動調書に「巡洋艦二駆逐艦三ヲ発見」としているので、観察眼は確かである。

 四空陸攻隊は四機自爆の他に、一機が被弾のため「デボイヌ」に不時着。さらに一機が被弾のために「エラ」に着陸した。被弾した機は五機であった。いかに激しい対空砲火であったかわかる。搭乗員は機上戦死した者を含め三十一名、重傷者一名、軽傷者一名に達した。


 四空の陸攻隊が敵艦隊に雷撃を行なっている時、戦場に遅れて発進した元山空の陸攻隊二十機が到達した。こちらは魚雷装備が間に合わず、二五〇キロ爆弾を装備していた。〇九〇〇にブナカナウを発進した二十一機は一機が途中発動機不調で引き返し、戦場で敵部隊を確認したのが、一二三二で戦艦二、巡洋艦二、駆逐艦二と判断した。海上では四空の一式陸攻が雷撃を敢行しているのが望見でき、対空砲火の弾幕が見られた。

 元山空の編成は次の通りである。

 元山空 指揮官 大尉 石原 薫  九六式陸攻

  第一中隊

   第一小隊  一番機  石原 薫大尉

         二番機  内山一孝二飛曹

         三番機  大竹典夫一飛曹  引返す

   第二小隊  一番機  長谷川荘伍飛曹長

         二番機  植村保治一飛曹

   第三小隊  一番機  小沼房之助飛曹長

         二番機  多田憲一一飛曹

  第二中隊

   第一小隊  一番機  二階堂麓夫大尉

         二番機  一ノ瀬倫也飛曹長

         三番機  村松利平一飛曹

   第二小隊  一番機  篠原則人中尉

         二番機  小川 衛一飛曹

   第三小隊  一番機  前川 潔一飛曹

         二番機  佐々木實男一飛曹

  第三中隊

   第一小隊  一番機  田中寅吉特務中尉

         二番機  平松 実飛曹長

         三番機  國澤 薫一飛曹

   第二小隊  一番機  金田吉一特務少尉

   第三小隊  一番機  板村 肇特務少尉

         二番機  田中喜作一飛曹


 爆撃隊は高度六千メートルで爆撃針路に入った。敵艦隊は雷撃隊に対して回避運動を行なっていたため、目標は二番艦から一番艦に変更され、指揮官機が投下すると同時に列機も一斉に爆弾を投下した。そうすることによって爆弾の網を海上に放るようである。弾着を見ると、二番艦の周囲に水柱と波紋が見えるが、全部甲板に一発命中して白煙が上がり、後部マスト付近にも命中弾を確認した。しかし、この二発も見誤りか、敵艦隊に直撃による損害はなく、至近弾による軽微なものだけであったようだ。


 この爆撃の様子は当時一中隊第二小隊二番機に偵察員として搭乗して村上益夫一飛曹(偵察)の著書「死闘の大空」に少し書かれているので、引用して確認したい。

『敵の位置はニューギニア南端の東南方、ラバウルより約七百浬、陸攻の行動半径ギリギリである。燃料搭載量を増して魚雷を持てば、地面の悪いラバウル飛行場では到底離陸は望めない。われわれの雷装は爆装に変えられて二五〇瓩の徹甲弾一発と六十瓩を二発積むことになった。(筆者註・行動調書には二五〇瓩三十三発として記載がないので、二五〇瓩二発搭載機と二五〇瓩六十瓩搭載機の混合があったかもしれない)一晩のうちに翼の上に積った火山灰を丹念に掃いて落す。そのままにして置くとスピードが落ちるからだ。地面も灰のためボクボクしてまことに汚い。

 石原大尉指揮の二十一機編隊は昨日に変る快晴の空を切って一路珊瑚海の機動部隊に向う。私は一中隊二小隊二番機である。途中ニューギニア東方海面を南下する味方輸送船団十数隻を認める。もレスビー攻略部隊である。

 珊瑚海の敵機動部隊を撃滅しなければこの船団の上陸作戦の成功は望めないのだ。

 編隊はニューギニアの山影を右に眺めて珊瑚海にかかる。晴れ渡った珊瑚海はまことに美しく、視界二五浬、水平線がはっきりと浮き出して見えるのだ。十二時頃、右前方はるか白い航跡らしいものをチラッと認めた。

 双眼鏡で綿密に覗いてみると、正しく艦の航跡である。しかも数条のものであることが解る。直ちに一番機に連絡する。

 編隊は右に大きく旋回して高度を六千メートルに上げる。近寄るに従って航跡の全貌は、明確にわれわれの視界に飛び込んで来た。

 大型二隻を中に挟んで、中型二隻、小型二隻の計六隻である。針路西北西、モレスビーの方向に向っている。相当長い航跡より見て二十五節程度のスピードと判断される。事前の連絡による味方艦隊の位置は、こんなところにはない筈だ。とすると、敵に相違ない。

 機動部隊とすれば空母が居る筈である。中隊長機より電話でケ連送。警戒配置に就けだ。ブザーで機内に連絡して全員機銃の配置に就ける。六隻の中には空母は見当らない。綿密に付近を捜索するが視界内にそれらしいものは認められない。機動部隊の別働隊というところか?

 六隻の中の二隻は戦艦、二隻は巡洋艦、二隻は駆逐艦であることを確認する。指揮官機よりト連送。突撃だ!そのまま追尾の形で爆撃針路に入った。今日の爆撃手は宮越一飛曹。

「しっかり頼みますぞ!」

 爆撃隊はガッチリ編隊を組んで目標に突進する。

 と、その時だ。われわれに向って噴き上げてくるものとばかり思っていた防禦砲火が、敵艦隊の左舷海面に向って猛烈な弾幕を張りめぐらした。凄じい茶褐色の爆煙が左海面を覆ったと見る瞬間、真紅の炎が海面から二カ所パッと立ちのぼり、一団の黒煙となって炎上した。

 飛行機の自爆だ!味方雷撃隊が突入しているのだ。そして今の瞬間二機が撃墜されたのだ。下の偵察窓から敵艦隊が見え出した。いよいよ投下点は近い。全神経をレシーバーをかけた耳と一番機の爆弾に集中する。

「用意!」

「打て!」

 投下法は艦船爆撃の一斉投下。弾と弾の間隔を明けずに一度に投下把柄を引いた。二十一機から放たれた二百五十瓩と六十瓩の徹甲弾は一団となって、まるで生き物のように青い海面に吸い込まれて行く。

 前方にはっきり浮き出した敵艦隊の姿!

 六隻が左右へ急激に回避する。中央の二隻の戦艦は一隻は左へ、一隻は右へ、一段と太く長い航跡は円く弧を画いて進んで行く。

 爆弾の群れは、手前を右に廻避する戦艦に向って吸い込まれて行く。

 当れ!当ってくれ!息詰るような何十秒。

 弾着!目を射る閃光と爆煙。ベタベタベタと凄く白い弾痕が戦艦の右海面に印されて行く。しくじったか!しかし、最後に奴が二発、後部砲塔とさらにその後方に直撃し、閃光と茶褐色の爆煙が噴き上った。

「やったぞ!」

 感激の声がこみ上げてくる。

 この頃から防禦砲火は上に向って噴き上げて来た。

 物凄い弾幕。われわれの爆撃前に雷撃隊が突っ込まず、全砲火をわれわれに集中していたとしたら、われわれの被害は甚大なものがあったであろう。

 戦場を離脱した編隊から、わたしはもう一度敵艦隊の状況を振り返ってみた。

 しかしふたたび集合、体形を整えた敵艦隊は矢張りくっきりと六条の航跡を引いて西進している。何回見直しても航跡は六本ある。爆撃前と同じ数である。』 

    (村上益夫著、「死闘の大空」鱒書房、一九五六)   


 この濠米連合部隊は再び爆弾の雨を浴びた。それは日本軍機ではなく、味方のBー17三機であった。狙われた駆逐艦「ファラガット」からみるに、四発の爆撃機であり、米軍機と思われた。指揮官クレース少将は、誤爆にいきどおり海軍部隊司令官のリアリー中将に苦情を申しいれたが、中将は曖昧な返事を回答し、米軍の陸軍航空部隊司令官は、そのような事実はないと回答してきたという。これだけの海上戦闘があったのだから、多少の損害や死傷者を生じたと思われるが、その資料がないので、不明であるとしか言いようがない。

 マレー沖海戦より小規模の陸攻隊による攻撃であったが、戦果は結果的には皆無であった。陸攻隊は逆に五機もの損失であったから残念でならない。尊い犠牲者に冥福を祈るしかない。


  一方で、日本側に、そして米軍の別の部隊に戦いの時が巡ってきたのである。

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