第七話 台南空の戦い⑶

 二十一日、四空の陸攻隊八機がブナカナウを出撃した。この日は零戦隊もラバウルから陸攻隊を護衛してポートモレスビーに向かった。


  陸攻隊 指揮官 特務中尉 荒金宗男

    第一小隊  一番機 荒金宗男特務中尉

          二番機 湯谷守夫二飛曹

          三番機 井上一三一飛曹

    第二小隊  一番機 木庭魁夫特務少尉

          二番機 服部 香一飛曹

          三番機 大山千春一飛曹

    第三小隊  一番機 古関正吉飛曹長

          二番機 関根徳郎二飛曹

  台南空零戦隊 指揮官 大尉 山下政雄

    第一小隊  一番機 山下政雄大尉

          二番機 太田敏夫二飛曹

          三番機 本田敏秋三飛曹

    第二小隊  一番機 山口 馨中尉

          二番機 有田義助二飛曹

          三番機 久米武男三飛曹

    第三小隊  一番機 半田亘理飛曹長

          二番機 遠藤桝秋三飛曹

          三番機 本吉義雄一飛

    第四小隊  一番機 笹井醇一中尉

          二番機 和泉秀雄二飛曹

          三番機 河西春男一飛


 零戦隊は発進後まもなく半田飛曹長機がエンジン不調で引き返し、ポートモレスビー上空に達する頃に山口中尉機が不調で引き返した。上空に迎撃にあがっていたキティホーク八機の攻撃を陸攻隊がうけたが、台南空の第二小隊有田二飛曹機と久米三飛曹が空戦に入り、残りの機は空戦もなく、陸攻隊をまもって帰途についた。爆撃隊は敵戦闘機二機撃墜(内一機不確実)を報じたが、零戦隊は戦果なしと報じた。迎撃にあがったキティホークは九機であったが、零戦二機の妨害にもあい、爆撃機一撃墜、戦闘機二機撃墜と報告したが、実際は両軍に損失はなかった。陸攻隊は高射砲弾と敵戦闘機により三機が被弾していた。


 二十二日、ラバウルにBー17が二機ずつ襲来して在泊艦船を爆撃したが命中弾はなかった。哨戒中の零戦六機が追跡したが、攻撃するまでには至らなかった。米軍の記録では六機が爆撃にむかったが、爆撃に成功したのは一機だけで残り五機は目標を確認できずに帰投した。

 ラエではマローダー一機が来襲し、哨戒中の有田三飛曹の小隊三機が同機を追撃したが、高速にものをいわせて遁走していった。

 

 二十三日、四空の陸攻隊八機が、台南空の零戦隊とラエで合同してポートモレスビー爆撃に向かった。

 陸攻隊 指揮官  大尉 小林國治  八機

  第一小隊  一番機 小林國治大尉

        二番機 外山徳広一飛曹

        三番機 小南良介二飛曹

  第二小隊  一番機 後藤 長飛曹長

        二番機 貝和 磐二飛曹

  第三小隊  一番機 小関俊勝中尉

        二番機 西村 清飛曹長

        三番機 小沢敬次一飛曹

 台南空 指揮官  中尉 山口 馨

  第一小隊  一番機 山口 馨中尉

        二番機 有田義助二飛曹

        三番機 久米武男三飛曹

  第二小隊  一番機 宮崎儀太郎飛曹長

        二番機 一木利之三飛曹

  第三章隊  一番機 太田敏夫二飛曹

        二番機 熊谷賢一三飛曹


 攻撃隊は敵機との遭遇なく爆撃を完了させ全機被害なく帰還した。零戦隊は敵機の存在を確認したが空戦なく帰投した。

 爆撃により滑走路に二箇所炎上を認めた。

 第一次の攻撃隊はポートモレスビーに達する頃、ラエ基地より半田飛曹長率いる零戦三機が飛び立った。反復攻撃による撃滅作戦である。半田小隊は敵飛行場上空で艦爆二機を発見してこれを撃墜して帰還したが、濠軍での記録には損害はない。

そして第三次として和泉二飛曹と本田三飛曹が出撃したが、上空には敵機十八機があり、多勢に無勢と雲を利用して離脱帰投した。

 ラバウルでは三機のマローダーが襲来して爆撃を加え、桟橋付近の倉庫一棟が炎上した。零戦三機が迎撃にあたり二機が黒煙を引いていたが逃げられてしまった。零戦も一機が被弾のため負傷し着陸時に転覆大破してしまった。


 二十四日は零戦隊だけの出撃で敵戦闘機の撃滅である。〇九一五零戦一四機はラエ基地を発進した。

  台南空 指揮官 大尉 山下政雄

  

   第一中隊 第一小隊 一番機 山下政雄大尉

             二番機 有田義助二飛曹

             三番機 本吉義雄一飛

        第二小隊 一番機 半田亘理飛曹長

             二番機 熊谷賢一三飛曹

             三番機 河西春男一飛

        第三小隊 一番機 久米武男三飛曹

             二番機 小林民夫一飛

   第二中隊 第一小隊 一番機 笹井醇一中尉 

             二番機 和泉秀雄二飛曹

             三番機 遠藤桝秋三飛曹

        第二小隊 一番機 宮崎儀太郎飛曹長

             二番機 一木利之三飛曹

             三番機 羽藤一志三飛曹


 発進後、有田機と一木機は故障のために引き返したため一二機となった。

 一一〇五頃第一中隊はPー40を認めたが姿を見失ってしまった。しかしその五分後第二中隊は爆撃機六、Pー40十五機、Pー39一機を発見して空戦に入った。

 濠洲側の記録によると、監視所から未確認機五機が南下中、その後多数が航続中との報告により、キティホーク四機が離陸した。キティホークは第二中隊の笹井中尉の編隊と空戦に入った。


 バトラー軍曹は零戦に追撃を受けているときに、シャノン少尉が撃たれ浜辺に突っ込んだ。軍曹もまたその直後被弾して草原に不時着し機は大破した。クロフォード軍曹も零戦二機に追い立てられ被弾して燃料タンクを射たれ、海上に不時着した。シャノン少尉は戦死し、二人の軍曹は救助された。飛行場上空では、飛行場から退避するために上がったマローダー四機のうちカースティング中尉機が零戦の攻撃をうけ被弾したもののなんとか基地に着陸した。上空の敵機を排除した笹井中隊の五機は飛行場へ降下して機銃掃射を開始した。地上にはマローダーとB−17があった。マローダー一機が炎上、一機は破壊され、さらにB−17一機も炎上した。


 台南空の戦果報告は笹井中尉がPー40一機撃墜(使用弾数九一〇発)、和泉二飛曹がBー26一機、P−39一機、P−40一機撃墜(使用弾数一、一一〇発)、遠藤三飛曹が申告なし(使用弾数七一〇発)宮崎飛曹長がP−40一機撃墜、PBYー4一機撃破(使用弾数六一〇発)、羽藤三飛曹が撃墜不確実Pー40一機(使用弾数五一〇発)と報告したが、実際はPー40キティホーク三機撃墜、爆撃機二機炎上、一機撃破であった。Bー17炎上は零戦隊は確認してないようで、調書に記されなかった戦果であった。

 四空隊の陸攻は荒金特務中尉が率いる九機が「ツラギ」への爆撃に向かったが悪天候のために引き返している。

 二十五日に再び荒金特務中尉が九機を率いて「ツラギ」に向い、電信所、軍事施設などを爆撃して帰還した。

 台南空は再び零戦十五機をもってポートモレスビーへの航空撃滅戦に飛び立った。


 台南空 指揮官 大尉 山下政雄        

   第一中隊 第一小隊 一番機 山下政雄大尉

             二番機 有田義助二飛曹

             三番機 本吉義雄一飛

        第二小隊 一番機 山口 馨中尉

             二番機 熊谷賢一三飛曹

             三番機 河西春男一飛

        第三小隊 一番機 半田亘理飛曹長

             二番機 久米武男三飛曹

             三番機 松田武雄三飛曹

   第二中隊 第一小隊 一番機 笹井醇一中尉 

             二番機 和泉秀雄二飛曹

             三番機 日高武一郎一飛

        第二小隊 一番機 太田敏夫二飛曹

             二番機 一木利之三飛曹

             三番機 羽藤一志三飛曹

 台南空は〇六一五ラエを発進、〇七〇五モレスビー飛行場を銃撃し、B−26五機とPー40三機を炎上させ、Bー26一機撃破した。その後上空哨戒中のPー40七機を発見して空戦に入り三機を撃墜、三機の撃墜不確実を報じ帰途にはキド飛行場を偵察して全機ラエに帰還した。濠洲軍では地上で破壊されたのはB−26一機だけだとしている。上空では四機のキティホークが零戦隊との空戦を繰り広げたが、ウエッターズ少尉機が被弾、コウ軍曹機が被弾して着陸時に大破したのみで、撃墜された機はなかったとしている。戦果報告の確認は難しいことがわかる。零戦側は有田二飛曹機、本吉一飛機、河西一飛機、松田三飛曹機がそれぞれ一発被弾していた。


 〇八三〇ラエ基地にマローダー一機が来襲し、高度四百米から爆弾を投下送信所が直撃弾により炎上したが死傷者はいなかった。上空哨戒中の遠藤三飛曹機はこれをモレスビー付近まで追撃したが、撃墜することはできなかった。遠藤機は一発被弾していた。


 二十六日、この日は陸攻隊と零戦隊との戦爆連合であるが、今回は第一次で零戦隊七機が先行して敵地上空の制空をおこない、その後陸攻隊と掩護の零戦が敵飛行場を攻撃するという計画であった。


 第一次攻撃隊    七機

   台南空指揮官 中尉 山口 馨

     第一小隊 一番機 山口 馨中尉

          二番機 久米武男三飛曹

          三番機 遠藤桝秋三飛曹

     第二小隊 一番機 太田敏夫二飛曹

          二番機 小林民夫一飛

     第三小隊 一番機 有田義助二飛曹

          二番機 前田芳光三飛曹

 山口中尉率いる七機の零戦は、モレスビー飛行場に達すると地上にあったPー40戦闘機三機を撃破したのち、上昇すると南東方面上空に五機の戦闘機を発見し空戦に入った。バトラー軍曹機は執拗に零戦に追い回されたが、無傷で帰還した。アサートン少尉も二機の零戦を振り切り帰還し、ウエッターズ少尉は燃料不足で草原に不時着したあと、燃料を補給してもらい帰還した。

 零戦隊はPー40三機を撃墜、地上で同三機を炎上させたと報告した。

 そのあとに陸攻隊と掩護の零戦隊が到着した。


 陸攻隊 指揮官 大尉 小林國治  九機

   第一小隊  一番機 小林國治大尉

         二番機 外山徳広一飛曹

         三番機 小南良介二飛曹

   第二小隊  一番機 小関俊勝中尉

         二番機 小沢敬次一飛曹

   第三小隊  一番機 後藤 長飛曹長

         二番機 貝和 磐二飛曹

   第四小隊  一番機 西森 清飛曹長

         二番機 森永忠男二飛曹

 掩護零戦隊  四機

   第一小隊  一番機 宮崎儀太郎飛曹長

         二番機 松田義雄三飛曹

   第二小隊  一番機 熊谷賢一三飛曹

         二番機 羽藤一志三飛曹

 陸攻隊は敵機の邪魔を受けることなくキラ飛行場を爆撃し、Aー24爆撃機三機が破壊された。四空の行動調書でも三機炎上と報告している。掩護の零戦隊も敵機とまみえることなく帰投したが、これは第一次で迎撃したキティホークが燃料弾薬補給のために発進が間に合わなかったからで、離陸をした時には遠くにある編隊を眺めるだけであった。

 台南空の零戦は四機が被弾しており、二名が負傷したことになっているが、誰が負傷したかは不詳である。

 第一次が発進した直後、ラエ基地にBー25爆撃機三機が来襲した。日本側はロッキードとなっている。第一回哨戒担当の和泉二飛曹と日高一飛が迎撃し、一機を撃墜したと報告したが、実際は失われていない。爆撃隊は地上の爆撃機二機を撃破、戦闘機一機を撃破とし、空戦により一機を撃破したとした。

 台南空の行動調書には被弾したことの記載はないが、二五航戦の詳報には、二機が被弾しており、工場で修理中の零戦一機が大破したとある。


 二十七日、この日は敵機の空襲もなく、モレスビーへの攻撃もなかった。


 二十八日、ふたたび陸攻隊と零戦隊でのポートモレスビー攻撃が行われた。

  陸攻隊 指揮官 特務中尉 荒金宗男 九機

   第一小隊 一番機 荒金宗男特務中尉

        二番機 井上進一一飛曹 

        三番機 羽生一己一飛曹

   第二小隊 一番機 木庭魁夫特務少尉

        二番機 磯貝 公二飛曹

        三番機 大山千春一飛曹

   第三小隊 一番機 田中光幸飛曹長

        二番機 長谷川千松二飛曹

        三番機 永山義雄一飛曹 引き返す

  零戦隊 指揮官 大尉 山下政雄  十一機

   第一中隊 第一小隊 一番機 山下政雄大尉

             二番機 太田敏夫二飛曹

             三番機 有田義助二飛曹

        第二小隊 一番機 半田亘理飛曹長

             二番機 本吉義雄一飛

   第二中隊 第一小隊 一番機 笹井淳一中尉

             二番機 和泉秀雄二飛曹

             三番機 河西春男一飛

        掩護隊  一番機 西澤廣義一飛曹

             二番機 久米武男三飛曹

             三番機 遠藤桝秋三飛曹


 五機のキティホークが迎撃した。零戦隊も七機の敵機を発見した。制空担当の山下大尉率いる零戦八機は敵機に対した。濠洲側のリポートによれば、ジャクソン少佐機とコックス中尉機は零戦隊に向い、マスターズ中尉機とブレレトン中尉機は陸攻隊攻撃に向かったが、マスターズ中尉は角度が急すぎて失速して錐揉み状態で落ちていき途中で回復水平飛行に移ったが戦闘機会を逸していた。ブレレトン中尉機は爆撃隊からの射撃で被弾して自らも軽傷を負った。ジャクソン少佐機とコックス中尉機は多数の零戦の攻撃をうけて、少佐も中尉も被弾して撃墜された。台南空の行動調書には和泉二飛曹が一機撃墜したと報告しているが、実際は二機を失っていた。七五飛行隊にとってジャクソン少佐の死は痛手であった。マスターズ中尉の回想には次のようにある。

「遠方の、私たちより約二、五〇〇m上方に銀色の点々が見えた。接敵するまでえにこちらが上をとる、あるいは同高度をとるのは無理だった。私たちは酸素マスクを着け、まだ全力で上昇中だった。私たちで緊密な編隊を組めていたのは三機だけだった。コッキー・ブレレトンとビル・コウの機は私たちのより調子が悪いようだった。ジョンはバリー・コックスと私が右に寄るように先導しながら、高度を稼いでいった。こちらが旋回して接近中のジャップへ正対するようになると、ジョンは私たちに感覚を開けさせながら彼らの側面に当たるようにした。下からなら爆撃機隊を上方のゼロから切り離せるので、これは絶好のチャンスだったが、ゼロたちは降下して私たちを妨害しにかかった。高度六、〇〇〇mで空気が薄く、私たちの機はどれも限界だった。ジョンは私たちを八機のミツビシ『ベティ』爆撃機へと先導した。かれはV字編隊の二番機をめざした。私たちは側面になったV字編隊の、バリーは指揮官機を、私は三番機を狙った。私が五〇口径ブローニング機銃六挺を撃てるまで目標に接近した時、私の機の姿勢はほとんど垂直だった。側面ブリスター銃座の機銃の後ろで私をにらむ銃手の顔が見えた。次の一瞬、すべてが起こった。私が操縦桿のトリガーを押すと、敵爆撃機の胴体下面と尾部に穴が開いていくのが見えた。と同時に、私の機は失速し、敵機の上方で裏返しになり水平スピンに入った。こうなると凄いGがかかるので、それからの数秒だが数分間、私は意識がある瞬間には機体を安定させてスピンから脱出しようと懸命になった。再びコントロールを取り戻したところ、そこは雲のなかで、私は状況を知るため再び上昇した、上方はるか彼方で空戦中の飛行機らしい、空に軌跡を描く四つの影が見えた。」(「台南海軍航空隊」より)


 陸攻隊の被弾は高射砲弾によるものとし四機が被弾した。

 零戦隊は制空隊に損害はなかったものの、陸攻隊掩護の任務にあたっていた西澤廣義一飛曹機がエンジンに被弾して不調となり、サラマウアの一〇浬東の海上に不時着して海上を漂流したが、僚機がサラマウア飛行場に着陸して哨戒艇を手配したため、西澤は無事救助された。後のエースが急死に一生を得た瞬間であった。


 この日、ラエ基地にはBー17五機が襲来した。五直担当は本田敏秋三飛曹と日高武一郎一飛だ。相手は重装甲のボーイングだ。銃撃を加えてもそう簡単には落とせない。追撃しようにも逃げられてしまった。そんな中、前田芳光三飛曹と有田義助二飛曹が緊急発進した。そこへ別のミッチェル爆撃機一機と出会いこれを追跡する。シュミット中尉機を二機が追うが、有田二飛曹は途中で引き返すが、前田三飛曹は追跡を続けた。二機はミッチェルを撃墜したとするが、実際は軽微な損傷を与えただけで、モレスビーへ帰還した。ラエ基地では前田三飛曹は行方不明未帰還とされた。しかし、濠洲側の記録では、前田機は不時着し朦朧としている所を現地人と監視所士官により捕虜となっていた。それよりも重要だったのは零戦のベールを理解するための機体であった。不時着だったので、大きな損壊もなかった。しかし、機体を回収するまでの間の部品の略奪や、回収時の機体の翼の切断などにより、復元するには困難な機体と成り果ててしまったのである。零戦の性能の解明は一部分しかできなかった。

 ラエは爆撃を受けたために設営隊に数名の戦死傷者が出、家屋四棟が破壊され、南空に死者一名、四空に軽傷一名を出す被害を受けた。


 二十九日は第一次として戦闘機隊による制空、第二次として爆撃隊と掩護戦闘機との飛行場爆撃である。

 しかしこの日の朝混乱が生じた。早朝、B−17三機による空襲を受けたのである。実際は四機であったが、日本軍側は三機しか視認していない。高度六千メートルからの爆撃であったが、駐機してある新品の零戦五機が爆破炎上してしまった。他にも四機が被弾してしまい、多数機による制空計画は縮小せざるを得なくなってしまった。

 迎撃にあたった太田二飛曹が一時間も追撃して撃墜一を報告したが、実際にはボーイングは全機無事に帰還している。


 台南空 指揮官 中尉 笹井醇一

   第一小隊 一番機  笹井醇一中尉       

        二番機  和泉秀雄二飛曹

        三番機  河西春男一飛

   第二小隊 一番機  半田亘理飛曹長

        二番機  本田敏秋三飛曹

        三番機  羽藤一志三飛曹

   第三小隊 一番機  有田義助二飛曹

        二番機  熊谷賢一三飛曹

  四空陸攻隊 指揮官 大尉 小林國治

   第一小隊 一番機  小林國大尉

        二番機  外山徳広一飛曹

        三番機  井上 進一飛曹

   第二小隊 一番機  小関俊勝中尉

        二番機  前田耕司一飛曹

   第三小隊 一番機  後藤 長飛曹長

        二番機  貝和 磐二飛曹

   第四小隊 一番機  西村 清飛曹長

        二番機  永山義雄一飛曹


 台南空の掩護零戦五機の搭乗割はなぜか残されていない。

 笹井中尉率いる第一次制空隊は敵基地上空に敵機が在空していないのを確認して飛行場を銃撃し、Bー17一機を炎上させ、ほかにも大型機三機、戦闘機一機を大破させた。零戦隊は第三小隊の有田機と熊谷機が一発ずつ被弾をうけていた。

 濠洲側ではハドソン爆撃機一機が損害を受けたのみとしている。そのあと、陸攻隊が襲来して爆弾を投下したが、雲が多く目標確認ができず効果は不明であった。爆撃がおわったあと、掩護の零戦隊(内一機は燃料不足のため引き返す)は飛行場への機銃掃射をおこない、戦闘機三機炎上、Bー25一機大破したと報告したが、濠洲側はキティホーク二機とドーントレス一機が被弾した。零戦も三機が地上砲火により被弾を受けた。

 

 三十日早朝、またもやマローダー爆撃機三機がラエを襲った。積乱雲の中から突然現れ高度二〇〇米にて重爆撃を加えてきた。これにより零戦一機が炎上、一機が大破し、被弾した零戦は四機に達した。陸攻一機も被弾した。笹井中尉、和泉二飛曹ら七機が迎撃のために緊急発進した。笹井中尉と和泉二飛曹はしばらく追跡して攻撃を加えて笹井中尉はマローダー一機に相当な被害を与えたと報告したが、米濠軍側には損害の報告はない。

 その後、ホーン島攻撃のために陸攻八機、掩護零戦六機が向った。


  陸攻隊 指揮官 特務中尉 荒金宗男

    第一小隊  一番機  荒金宗男特務中尉

          二番機  井上一之一飛曹

    第二小隊  一番機  木庭魁夫特務少尉

          二番機  杉井 操一飛曹

          三番機  大山千春一飛曹

    第三小隊  一番機  田宮 敏一飛曹

          二番機  松本 博二飛曹

          三番機  関根徳四郎二飛曹

  台南空 指揮官 大尉 河合四郎

    第一小隊  一番機  河合四郎大尉

          二番機  大島 徹一飛曹

          三番機  米川正吉三飛曹

    第二小隊  一番機  山口 馨中尉

          二番機  吉野 俐飛曹長

          三番機  山崎市郎平三飛曹


 陸攻隊はホーン島上空に達し、敵機の妨害をうけることなく爆撃に成功し、四箇所に炎上を確認した。濠洲側はA20爆撃機一機が破壊され、一機が損傷したとしている。零戦隊は上空で退避行動しているマローダー数機を発見して攻撃を開始したが、執拗に追跡攻撃はせず、飛行場の銃撃を行い、戦闘機二機炎上、大型機一機撃破の戦果を報告している。台南空は吉野飛曹長が一発被弾していた。


 午後には新鋭のPー39エアラコブラの戦闘部隊がラエに襲来した。これが二十六歳のワグナー中佐率いる第八戦闘航空団で、第三五戦闘飛行隊と第三六戦闘飛行隊からなっていた。当初一四機での攻撃を計画していたが、三機は故障のため、十一機での参加となった。台南空の行動調書には十二機来襲とある。四直担当の笹井中尉と熊谷三飛曹、五直の奥谷二飛曹と遠藤三飛曹がエアラコブラと空戦に入り、緊急発進した半田飛曹長ら四機がこれにくわわった。零戦八機対エアラコブラ十一機の戦闘であった。遠藤三飛曹と有田二飛曹がそれぞれ一機撃墜を報じ、熊谷三飛曹と太田二飛曹がそれぞれ一機撃墜不確実を報じた。台南空は和泉秀雄二飛曹が被弾自爆していた。エアラコブラはデュラン中尉が撃墜戦死し、ほかにアンドレス少尉、ブラウン中尉、ベブロック中尉が不時着生還しており、四機を喪失したことになる。ワグナー中佐は三機を撃墜したとし、三六戦闘飛行隊の指揮官グリーン少佐は一機を撃墜したと報告している。台南空は和泉二飛曹が自爆したが、地上で銃撃により陸攻九機が被弾し、そのうち二機は大破しており、零戦も四機が被弾するという損害をうけた。補充がままならない日本軍としては大きな痛手となった。


 一日、二五航戦では四月中の総合戦果がまとめられ各管轄機関に報告された。


 戦果

 一、攻撃日数十五日、攻撃回数二三回

 二、敵機来襲日数(回数)

   RR 十一日(十四日)

   RZM 十四日(十八回)

 三、撃墜破機数計一〇二機(外に不確実一八機)

   括弧内不確実

  イ、撃墜戦闘機四九機(一二機)軽爆七機(一機)

    大型機八機(三機)

  ロ、炎上戦斗機十三機、大型機十機

  ハ、大破戦斗機六機、軽爆二機大型機七機(二機)

 四、被害及消耗計三十四機

  イ、自爆 零戦六機、陸攻四機(内三機事故によるもの)

     他機上戦死一名

  ロ、炎上 零戦八機、陸攻二機

  ハ、大破 零戦五機、陸攻二機

  ニ、事故による大破 零戦四機、陸攻二機

 五、被弾延機数 零戦二一機、陸攻三九機

 六、現状(使用可能機数修理中休業中を除く搭乗員組数)

  イ、零戦一八機(外に九六戦四機)六機三〇 

  ロ、陸攻一七機、一一機(内二機工廠修理中)二四

  ハ、大艇一四機、二機  一三

  ニ、陸偵 〇(三機空輸中)

       五(外に三組空輸中)

 

 ポートモレスビー方面の敵航空勢力はほとんど壊滅状態になったと思ったところ、三十日新たにPー39が相当数濠洲よりモレスビーに増援となったことが明らかになり、またBー25が発見されこれも米国より増援されつつあることが認められ、五月以降も引き続き航空撃滅戦が展開されることが予想された。

 また、戦果報告も誇大となりがちなのは、日本軍、米濠軍とも同じで、実際の戦果にくらべれば小さいものであった。特に米濠軍機は機体防御が強く、零戦の二〇ミリ機銃をもってしても簡単には落ちないのが、戦果確認が誇大となる要因であり、また、一気に急降下で離脱していくのを、撃墜と勘違いするパターンも考えられる。白煙を引いて落ちていっても機体を立て直すのは可能であり、零戦でも大きな被害を受けなければ機体を立て直すのは可能だからである。爆撃機に至っては、米濠軍側はあまりに多い被弾に悲鳴をあげたが、それにもまして防弾設備により助かるケースも多く、それが戦果判定を困難にさせた要因であった。五月、六月と航空戦は続くが、一旦MO作戦に話をもっていきたい。

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