第五話 台南空の戦い⑴

 台南空が進出するまでの三月十一日から三月末まで第四空の行動調書からポートモレスビー攻撃に関連する事項を抽出してみた。


 三月十一日 ラエ上空哨戒

  吉野一飛曹 二機発進 ハドソン一機発見

       敵機山に激突 撃墜

 三月十三日 ポートモレスビー攻撃

  河合四郎大尉指揮 零戦五機 ラエ基地発進

    モレスビー飛行場銃撃 大型機一機炎上

    ハドソン一機 空戦撃墜

    カイルク無線電信所 銃撃

 三月十四日 ホーン島攻撃

  山縣茂夫大尉指揮 陸攻 八機 ブナカナウ基地発進

    ハリケーン戦闘機一機と空戦

    飛行場爆撃 二機爆破

    損害 二機 被弾

  河合四郎大尉指揮 零戦 十二機 ラエ発進

    第一中隊  飛行場銃撃 二機炎上 一機爆破

    第二中隊  P40約一〇機と空戦

          撃墜 八機(内不確実二機)

          自爆 岩崎信寛中尉機

            大石源吉一飛機

 三月二十日 ポートモレスビー攻撃

  河合四郎大尉指揮 零戦四機 モレスビー飛行場銃撃

  河合平八飛曹長機 陸攻一機 飛行場爆撃

 同日   ラバウル上空哨戒

  後藤龍助三飛曹 二機発進

      B17 一機撃墜

 三月二十二日 ラエ基地上空

  石川清治三飛曹 二機発進

     スピットファイア 九機と空戦 撃墜三

 同日    ラエ基地上空

  菊地敬司三飛曹機    空戦自爆戦死

     ハドソン一機 撃墜不確実 

 三月二十三日 ポートモレスビー攻撃

  吉野一飛曹 三機  

     地上銃撃 スピットファイア四機炎上 二機大破

     吉井恭一二飛曹機 地上砲火により被弾自爆

 三月二十四日 ポートモレスビー攻撃

  西澤廣義一飛曹指揮 零戦三機

     スピットファイア一機撃墜 一機撃墜不確実

 三月二十七日 ココダ飛行場攻撃

  長谷川亀市飛曹長指揮 陸攻 四機

       二番機新井武志一飛曹機 行方不明

   吉野一飛曹 三機 

       モレスビー上空 敵戦闘機二機空戦 二機撃墜

 三月二十八日 ポートモレスビー攻撃

  山縣茂夫大尉指揮 陸攻五機(内二機発動機不調引返す)

  西澤廣義一飛曹指揮 零戦五機

     スピットファイア四機と空戦 三機撃墜

(スピットファイアはモレスビーには進出していないので、P40キテイホークの誤りであろうと思われる)

 

 三月末までの攻撃に関する調書である。まだまとまった機数は揃っていないので、爆撃機戦闘機とも十機以内である。


 四月一日第二十五航空戦隊がラバウルにて、台南航空隊、第四航空隊、横浜航空隊をもって編制された。司令官は海軍少将山田定義である。第四航空隊の零戦と搭乗員は台南空に移動となった。

 第四航空隊は戦闘機部隊と陸攻隊部隊との混成であったが、陸攻隊と輸送機のみの部隊となった。


 二十五航戦は次にあげた作戦計画をたてた。


一、形勢

 イ、敵は開戦以来第一段作戦概成の今日まで、打ち続く敗戦に専ら守勢にあった

  が、国内与論に抗し難く、二月上旬以来外南洋、ソロモン沖、ウエーク、南鳥

  島、ラエ方面に機動作戦を実施しつつあると認められるが、いまだ陣容整備する

  に至らず、本格的反攻に出る気配はない。今後同様の機動作戦を反覆し、政略的

  宣伝に利用しようと企図していることは確実である。

 ロ、当方面に対する敵空軍は、ポートモレスビーを拠点として、ビスマルク諸島方

  面に反撃を企図している模様で、その勢力は戦闘機約二〇機、爆撃機約十数機程

  度と認められる。敵はわが連続積極的攻撃を続行している間は、おおむね摺伏し

  ているが、しばらく攻撃を中止すれば再び反撃してくる。

 ハ、豪州には米国陸空軍が増援されつつあるが、その詳細は不明。増援軍は各個に

  捕捉撃滅する必要がある。

 ニ、ラエはポートモレスビーから約一時間航程にあって、最も激烈な航空対峙戦の

  前線基地となっている。わが攻撃に便であると同時に、敵にとってもまた好個の

  攻撃目標で、彼我随時奇襲を実施しうる。ラエはわが占領地であるが、敵は領土

  であった関係上、地理的には彼に著しく有利である。航空対峙戦の間、攻撃兵力

  の大部をラエに常駐させることはきわめて不利で、本格的進攻作戦準備を完了

  し、ポートモレスビーの敵航空兵力を制圧するまでは、中継基地として使用する

  のを有利と判断する。

二、計画

 イ、軍隊区分

  台南空司令はラバウル方面に進出するまで、第二空襲部隊指揮官をして、当方面

 所在戦闘機の作戦に関し指揮させる

   第一空襲部隊  台南航空隊司令  ラバウル東

                    ラエ

   第二空襲部隊  第四航空隊司令  ラバウル西

                    ラエ

   第三空襲部隊  横浜航空隊司令  ラバウル

   特務隊     最上川丸艦長(最上川丸)

 ロ、作戦準備

  当方面の航空対峙戦はすこぶる激烈にして、敵空襲の機会きわめて多く、基地

 施設特に掩体、防空壕、引込線の整備を促進する

  当方面に所在する麾下航空部隊は、編成後、激烈なる航空戦により消耗きわめて

 多く、機材、搭乗員の不足並びに訓練程度の低い者が多いことにかんがみ、すみや

 かに機材の補給を受けて整備するとともに、内地からの空輸の機会を利用して、短

 時日に効果ある訓練をあわせて実施させ、すみやかに戦力の増強を企図する。

 ハ、作戦要領

 ⑴当方面に策動することあるべき敵機動部隊に備え、日施哨戒を実施する。

  P区  ラバウル   四五度〜七五度 

  Q区  ラバウル   七五度〜一〇五度

  R区  ラバウル  一三五度〜一六五度

  Y区  ラエ    一三〇度〜一六〇度

  Z区  ラエ    一六〇度〜一九〇度

  ( 進出距離 六〇〇浬、各区二機使用)

  但し敵情に応じ哨区並びに使用機数を増減する。

 ⑵敵機動部隊出現の場合は、R方面基地航空部隊命令作第一号により捕捉撃滅す

 る。

 ⑶すみやかに兵力を整備し、大兵力をもって英領ニューギニア方面基地航空作を開

 始し、同方面敵航空兵力を撃滅する。このため、英領ニューギニア方面の敵航空中

 枢基地たるポートモレスビーに対する攻撃を強化し、これによって敵をおおむね撃

 滅したのち、ホーン島に攻撃を加えてその目的を達成する。従ってラエを主として

 戦闘機隊の作戦基地とし、陸攻は哨戒に必要な一部兵力を進出せしめ、陸攻隊主力

 の作戦基地は当分ラバウルとする。

 ⑷ポートモレスビーとラエとは現用機の一時間航程をもって対峙し、激烈な航空戦

 が行われることは明らかである。わが兵力の消耗を極限し、最大の成果をあげるた

 めには正奇の法を併せて実施する必要がある。しかるにこれが実施にあたり重要な

 要素となる天候の予知がほとんど不可能で、かつしばしば激変するため、攻撃時機

 に制約を受けることは、はなはだ苦痛とするところである。


 ここからは、二十五航戦の「戦時日誌」台南空、第四空の行動調書、坂井三郎著「大空のサムライ」、「台南海軍航空隊」(大日本絵画)をもとに、五月初旬までの航空戦の経過を辿ってみたい。


 新しく二十五航戦が開設されたが、それぞれの各航空隊の保有戦力は全然整っていなかった。

一日現在の各航空隊の各地の使用可能機は次のようであった。


ラバウル西(RRE)

  台南空  零戦   四  九六戦  八

  四空   一式陸攻 三

  一空   九六式陸攻九

ラエ(RZM)

  台南空  零戦   六

  四空   一式陸攻 五

ラバウル東(RRA)  ゼロ

ラバウル水上(RR)  

  横浜空  九七式大艇 一三


 最前線はあまりにも少ない稼働使用機数である。四空の搭乗員は一空から九組、木更津空から五組が編入され、機材は内地から補充の予定であったが、一空の搭乗員は一式陸攻での訓練が必要で、木更津に派遣して訓練をしたのち、一式陸攻を空輸してラバウルに帰投する予定であった。

 台南空は四空の戦闘機搭乗員および機材を編入し、さらにバリ島にあった台南空本隊は小牧丸でラバウルに進出。補充機は五州丸にて四月三日にラバウルに入港。ほかに二十四機が特設空母春日丸でラバウルに中旬までに到着する予定であった。

 五州丸は八、五九二トンの特設航空機運搬艦として徴用された。特設空母春日丸は日本郵船が保有する春日丸(一七、一二七トン)を建造中だったものを特設空母として改造され完成した。開戦後は九六式戦闘機と九六式爆撃機を搭載して、哨戒任務や航空機輸送に使われていた。後八月三十一日には航空母艦大鷹として改名され数々の任務にあたった。


 四月四日〇六一〇敵一機、一五五五にも敵戦闘機五機がラエに来襲して銃撃をうけて、零戦二機が炎上、八機が被弾した。また陸攻も被弾九機にたっしたが、こちらはどうにか修理が可能であった。戦死一名をだした。払暁の一機は濠洲第七五飛行隊長ジョン・ジャクソン少佐で爆撃機三機の損傷を与えたとし、午後にも参加。少佐以外はレス・ジャクソン大尉、バリー・コックス中尉。オズワルド・J・シャノン少尉。ジャック・ペテット軍曹が参加。爆撃機四機と戦闘機一機を炎上させ、爆撃機七機、戦闘機三機の損傷を与えたと報告した。まだ機数が揃っていない日本軍にとって手痛い打撃であった。


翌五日陸攻七機と零戦四機はポートモレスビーに攻撃をかけた。

 陸攻隊の編制は出撃時は次の三コ小隊九機であった。

  第一小隊 一番機 小林國治大尉

       二番機 外山徳廣一飛曹

       三番機 小野弘介一飛曹

  第二小隊 一番機 小関俊勝中尉

       二番機 小沢敬次一飛曹

       三番機 湯谷守夫二飛曹

  第三小隊 一番機 木庭魁夫特務少尉

       二番機 大山千春一飛曹

       三番機 服部 香一飛曹

   

 陸攻隊は〇六一〇にブナカナウ発進し、〇八五五にラエ上空の台南空の河合四郎大尉指揮の零戦四機と合流しポートモレスビーに向かったが、〇九五五第三小隊の木庭機と服部機が発動機不調のために引き返し七機となって敵飛行場を目指した。

 だが、濠軍の沿岸監視隊がこの爆撃隊を確認してポートモレスビーに警告を発した。それにより第七五飛行隊はキティホーク七機、レス・ジャクソン大尉が率いて発進していった。

 爆撃隊は高度五千メートルが六〇キロ爆弾七十八発を投下した。行動調書には「相当なる効果を収む」とあるが、テント一張と燃料補給車一台が破壊され、兵一名が軽傷を負ったにすぎなかった。キティホークは高度七千メートルで爆撃隊を発見し、その前方高度六千メートルに零戦二機、後ろ上方高度七千二百メートルに別の零戦二機を発見した。ジャクソン大尉は零戦一機がキティホークを急降下して攻撃するのを見て、これを追跡して一連射を浴びせると、炎上して飛行場の南西に落ちていった。吉江卓郎二飛曹の最期であった。が、濠洲の観測兵が落下傘降下するのを目撃し、濠洲兵が確認確保のために落下地点を捜索すると、バラバラになった機体と落下傘は発見したが、吉江二飛曹の姿はなく、捜索を続けたが結局行方不明であった。吉江二飛曹はどうなったのかいまだもって不明である。濠洲軍は爆撃機一機と零戦一機を撃墜したと報告したが、陸攻隊はまったく損害なしであった。二十五航戦の戦時日誌には戦闘概報として


『陸攻七機(六番八四)零戦四機R2Q攻撃陸攻隊は防禦砲火を冒し一〇二〇飛行場を爆撃戦斗機隊は敵戦斗機約一〇機と猛烈なる空戦を実施せり

 イ、成果 全弾飛行場に弾着地上大型一機中型一機を覆い損害を与えたる外施設一棟を爆砕空戦により敵戦二機確実に撃墜

 ロ、被害零戦一機自爆せる外被弾機なし』


 といことで、戦果の確認は両軍とも正確に把握するのは困難であったことがわかる。日本側は迎撃してきたキティホークを一機も撃墜できなかった。


 六日、基地航空部隊は明七日ふたたびポートモレスビー攻撃を実施するよう命令とだしたが、台南空側は掩護戦闘機の機数不足のため、五機程度しか出せないと応えている。

 陸攻隊九機は〇六〇〇ブナカナウ基地を発進した。


 第一小隊 一番機 荒金宗男特務中尉

      二番機 小開誠吉飛曹長

      三番機 實取忠輝一飛曹

 第二小隊 一番機 木庭魁夫特務少尉

      二番機 大山千春一飛曹

      三番機 服部 香一飛曹

 第三章隊 一番機 小川武雄飛曹長

      二番機 小野広介一飛曹

      三番機 外山徳広一飛曹

台南空 掩護隊

 第一小隊 一番機 吉野 俐飛曹長

      二番機 丹 幸久二飛曹

      三番機 國分武一一飛

 第二小隊 一番機 宮 運一二飛曹

      二番機 水津三夫一飛


 台南空零戦は〇八四五ラエ基地を発進して、陸攻隊と合同してポートモレスビーに向かった。

 陸攻隊は途中大山一飛曹機と小野一飛曹機が酸素漏洩と発動機不調で引き返したため七機となった。

 濠洲軍の迎撃に上がっていたのは、到着したばかりのP39エアラコブラとキティホークであった。キティホークは爆撃隊を狙い攻撃をしかけ命中弾を挙げたが致命傷を与えることはできなかった。二小隊三番機服部機の副操縦員の白井光一飛が機上戦死をとげ、ほかに一名が重傷を負った。爆撃機の被弾が広がらなかったのは掩護の零戦隊が邪魔したからであった。帰還後吉野飛曹長は二機撃墜、丹二飛曹は一機撃墜を報告し、協同で他に二機撃墜を報告した。が、実際はレス・ジャクソン大尉とエドマンド・ジョンソン少尉がエンジンに被弾したため不時着し二人は救助された。零戦隊は全機が被弾なく帰還した。


 この日ラバウルは爆撃機による空襲を受けた。B17三機、B26八機であった。B26マローダーの初陣であった。B17は三機のうち二機が故障の為引き返し一機だけの爆撃となった。そのあとにB26の部隊が爆撃をおこなったが、こちらも二機が故障のため離脱していた。基地にあった九六艦戦七機が迎撃にあがり、対空砲火を浴びせた。九六戦はマローダーを追跡することができず、対空砲火により被弾した一機がエンジンに被弾しており、トロブリアンド諸島付近の海上に不時着し、全員が無事カタリナ飛行艇により救助された。


『「R方面基地航空部隊戦斗概報第六号」

一 陸攻七機零戦五機RZQ攻撃陸攻隊は熾烈なる防禦砲火を冒し一〇一五飛行場を

 爆撃爾後敵戦斗機五機と空戦その三機を確実に撃墜せり戦斗機隊は敵約十機と空戦

 五機を確実に撃墜せり

 イ 成果爆撃(六番八四)飛行場東側に弾着効果少空戦により「スピットファイ

  ア」計八機を確実に撃墜

 ロ 被害 陸攻被弾機四機機上戦死一名負傷一名

 ハ 偵察情報飛行場上空敵戦斗機十五機地上に大型一中型一機(囮機の疑あり)を

  認む』


 七日早朝ポートモレスビーを発進した第八爆撃飛行隊のA24バンシー爆撃機八機はラエ飛行場の爆撃に向かった。

 ラエ飛行場では上空哨戒の第一直の丹幸久二飛曹と宮運一二飛曹の二機が上空にあり、〇六三〇この進入してくる爆撃隊九機を発見し攻撃に移った。A24爆撃機は米海軍のSBDドーントレスの陸軍向仕様である。

 ロバート・ルグ大尉に率いられた爆撃隊は〇七三五にラエ飛行場にたいして急降下爆撃を行った。飛行場には零戦五機と爆撃機七機があった。その爆撃機に対し五〇〇ポンド爆弾七発と二五ポンド焼夷弾十四発を投下し、爆撃機を破壊したと帰還後報告した。集合したとき一機足らなかった。宮一飛曹がヘンリー・シュワルツ中尉とジョン・スティーブン軍曹のA24を撃墜したのであった。丹二飛曹は別の爆撃機を攻撃中、被弾をさせたものの丹二飛曹も被弾して海中に没した。結局一機を撃墜したが、零戦も一機を失った。

 地上にあった陸攻は爆弾の破片により損傷をうけたものの修理が可能であり、損失したものはなかった。


 八日現在、日本軍基地の航空兵力は、大艇十一機(使用可能十機)、ラバウルに一式陸攻十二機(仕様可能七機)、九六戦十一機(使用可能十一機)、ラエに一式陸攻九機(使用可能二機)、零戦八機(使用可能六機)に過ぎなかった。

 零戦に関しては五州丸により到着する零戦が十二機ありその組立整備完了が二十日の見込みであるのと、十一日入港予定の春日丸にて零戦二十四機が到着するということであった。台南空も本隊の搭乗員が小牧丸が到着することが作戦にも支障をきたすことが懸念材料であった。

 この日、ラバウルからラエに移動する陸攻が天候不良のために二機が行方不明となり、二機が不時着大破した。戦闘でなくて十六名が鬼籍の人となった。


 八日は敵機の空襲はなかったが、九日ブナカナウ基地にマローダー爆撃機が正午前に来襲した。第二二爆撃群のマローダー八機が各四機のニコ編隊で港と飛行場を爆撃した。輸送船に投下した爆弾は全部外れた。飛行場への爆撃は陸攻機の駐機地域と格納庫に落下した。この爆発により一式陸攻一機が大破、数機が損傷した。格納庫は火災発生により九一式魚雷四本が爆発、二本が大破、七本が再調整を必要とした。戦死者は一名であった。九六戦二機が迎撃にあたったが追いつくことはできなかった。米軍は九機を破壊したと報告した。


 九日夜、二五航戦参謀より各基地に対して敵空襲に対する留意事項が届いた。それは、

「一、見張警戒

 ⑴基地に帰還する飛行機は基地到着時刻を基地に通報す

 ⑵各基地の進入航路高度を定め味方識別を厳守せしめること

 ⑶見張を強化するとともに友軍機基地発着を明らかにし彼我識別の速知に努む

 二、敵機の撃攘

 ⑴飛行機用機銃を活用し防禦銃火の威力発揮に努む

 ⑵戦闘機の上空警戒は中、低、高度の警戒をも併せ行うこと」


 という内容であった。最前線であり、まだレーダーがないのと対空砲火の絶対数の不足からいえばとるべき処置であった。


 十日ラエ基地では〇五一五に一直の哨戒として零戦三機が離陸した。

  一番機  宮 運一二飛曹

  二番機  後藤龍助三飛曹

  三番機  木村 裕三飛曹

 哨戒中飛行場に突入してくるスピットファイアと思われる敵機一機を発見した。これはジョン・ジャクソン少佐の乗機キティホークで、ラエへの偵察に来たものであったが、哨戒中の零戦に発見され、空戦となったが、ジャクソン少佐機は機銃が故障のために一方的に撃たれて海上に不時着して、陸上を歩いてワウ飛行場で救出され帰還した。

 十日四空陸攻隊は七機をもってポートモレスビー攻撃に出撃した。編制は次の通りである。

  第一小隊 一番機 小林國治大尉

       二番機 外山徳廣一飛曹

       三番機 小沢敬次一飛曹

  第二小隊 一番機 小関俊勝中尉

       二番機 原口信男一飛曹

  第三小隊 一番機 宮崎晄三一飛曹

       二番機 河原塚国守一飛曹

 護衛する台南空の零戦は六機であった。

  第一小隊 一番機 河合四郎大尉

       二番機 大島 徹一飛曹

       三番機 酒井良味二飛曹

  第二小隊 一番機 吉野 俐飛曹長

       二番機 伊藤 務二飛曹

       三番機 水津三夫一飛


 〇六〇〇陸攻隊はブナカナウを発進し、〇八一〇ラエ上空で零戦隊と合同してモレスビーをめざした。この編隊は濠洲監視兵に発見されモレスビー基地に打電された。モレスビー飛行場からはキティホーク九機が発進していった。

 陸攻隊は六〇キロ爆弾八四発を飛行場に投下。その後敵機の攻撃を受けた。エラートン中尉機が二小隊二番機原口機に射弾を浴びせ煙が見えたために命中ありと認め離脱し、遠方にいた零戦も撃ったがこちらは命中しなかった。クロフォード軍曹機も原口機を狙い射撃をあびせ右エンジンから白煙が出た。零戦一機が後方から射撃して被弾したため急降下して離脱した。バトラー軍曹機は右最後尾の河原塚機を攻撃。つづいてパイパー中尉機も同機に二撃を加え右エンジンから黒煙が噴き出したのが見えた。アサートん少尉機も同機に前方から攻撃し、離脱後同機が編隊から脱落しているのを見た。タッカー少尉機も同機を後方から攻撃した。タッカー少尉機には零戦一機がとりつき射弾を浴びせたため主翼に数発被弾した。河原塚機はココダ付近の山中に落下した。爆撃隊は敵機一機撃墜、零戦隊は二機撃墜、一機撃墜不確実を報告したが、実際は二機が損傷したのみであった。

 河原塚機の七名の搭乗員は全員戦死した。

   主操縦  芳屋 清三飛曹

   副操縦  斎藤 武三飛曹

   偵察   河原塚國守一飛曹

   先電信員 山岸 勉二飛曹

   次電信員 江野繁治一飛

   先搭発員 城内正治一整曹

   次搭発員 杉田正次三整曹

 

 小関中尉機はラエに着陸し、残りの五機はブナカナウに無事帰還し、零戦隊も全機ラエに帰還した。

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