第二話 四空陸攻隊壊滅とラエ・サラモア上陸

 この二十日、横浜空は米艦隊を発見する。〇四三〇ラバウルを発進した九七式大艇三機は五〇〇浬の哨戒にあたった。三機は敵を発見することなく一四二〇に帰投したが、同じく〇四三〇に発進した大艇一機が七五度から九〇度の哨戒任務についていた坂井登中尉指揮の大艇は〇八三〇敵部隊を発見して打電した。


「敵大部隊見ユ、地点ラバウルノ七五度四六〇浬針路三一五度」


 しかし、このあと消息を断った。〇六〇〇に発進した林飛曹長機が敵艦隊に接触したが行方不明、一二〇〇に発進した牧野予備少尉機も行方不明となり、二十九名が行方不明となった。

 

 米機動部隊は第十一任務部隊の空母レキシントンの部隊であり、その編制は次の通りである、

  第十一任務部隊

     指揮官 ウイルソン・ブラウン中将

      空母 レキシントン  艦長 シャーマン大佐

      重巡 インディアナポリス、サンフアンシスコ、

         ミネアポリス、ペンサコラ

      駆逐艦 ハル、エイルウィン、バグレイ、

          ドライトン、パターソン、マクドナー、

          デウェイ、デラ、フェルプス、クラーク


 二月十日、第四航空隊は編成されて第二十四航空戦隊に編入された。第四航空隊は戦闘機二十七機、陸上攻撃機二十七機を定数とする部隊で、司令は森玉賀四大佐が任命され、十四日森玉大佐は陸攻三機を率いてラバウルに進出した。当初戦闘機は九六式であったが、十七日空母祥鳳が零戦六機をラバウルに輸送して、別に送られていた三機の零戦が加わり第四航空隊の戦力は増強した。

 そんなおりに、敵機動部隊の発見の報告が入り、第二十四航空戦隊司令官後藤中将は四空に攻撃命令を発令した。

 しかし、魚雷がまだ到着していなかったため、全機に爆装を命じての出撃となった。また距離も遠く、掩護するにも、増槽もまだなく、掩護戦闘機なしの出撃となった。各機が二五〇キロ爆弾二個を搭載した。


 第一中隊  指揮官 伊藤琢蔵少佐  計八機

  第一小隊  伊藤少佐 直卒   三機

  第二小隊  三谷明中尉     三機

  第三小隊  前田耕司一飛曹   二機 

 第二中隊  指揮官 中川正義大尉  計九機

  第一小隊  中川大尉 直卒   三機

  第二小隊  小野津特務少尉   三機

  第三小隊  川崎政雄飛曹長   三機


 一二二〇ラバウルを発進。敵部隊を発見したのは第二中隊が先で一四三五「敵主力部隊発見」と打電し爆撃針路に入った。上空にはグラマンF4F六機があり、さらに六機が迎撃にあがっていた。中川大尉が部隊を発見する十分以上前にはレーダーで日本軍機を探知していたのだ。


 第二中隊長中川大尉機は敵戦闘機の攻撃を避けながら、レキシントンへの爆撃コースに入った。しかし、グラマンの攻撃に中川大尉機は右発動機から発火し、ついには空中分解をして砕け散った。二機が撃墜され七機が投弾したものの、命中弾はなく、全機が対空砲火と戦闘機に撃墜された。

 第一中隊は少し遅れて一五〇〇現場に到着、一五二〇に伊藤少佐は「敵輪形陣中央に占位せり、敵航空母艦を爆撃す」と打電し、爆撃コースに入った。しかし、グラマン戦闘機の攻撃をうけ、エンジンから出火、その後爆弾を投下してレキシントンに突っ込もうとしたが、海面に激突四散した。第一中隊は爆撃前に三機が撃墜され、爆撃後に一機を失った。二機が被弾して一機がヌグノリア諸島のヌグーバ島に不時着、もう一機はラバウルまで帰り着いたもののシンプソン湾に不時着した。帰還したのは第三小隊の二機だけであった。報告では空母一、巡洋艦一を撃沈し、敵戦闘機八機を撃墜したとしたが、実際米艦船に被害はなく、グラマン戦闘機二機を喪失しただけであった。


 空母レキシントンの第三戦闘飛行隊の指揮官であるジョン・サッチ少佐は、対ゼロ対策として「サッチウイーブ」を考案した人物である。それに所属するエドワード・オヘア中尉は、今回の戦闘で、五機撃墜の認定をうけ、初めてエースの称号を得たパイロットとなった。

 しかし、陸攻隊の多くの犠牲は、ブラウン中将にラバウル空襲攻撃を断念させたことで報われた形とはなった。


 聖川丸の零式水偵一機は一二三〇に敵部隊接触のために六十二度方向四七〇浬に向けて発進して、一六一五に敵主力部隊発見を報告し、その後追跡していたが、二二四〇以降行方不明となった。しかし、ラバウルには発進できる爆撃隊はなく、翌朝横浜空の大艇六機が索敵攻撃のために発進したが、敵部隊は発見できなかった。米機動部隊は一旦離脱していったのだ。


 宇垣纏中将の「戦藻録」には次のように記している。

『大部隊と云い、有力部隊と云い、或は主力部隊と云い其の敵の内容に就ては何等述ぶる所なし。之なきに於ては高級統帥部の適当の処置に迷うなり。結局するに戦艦一、空母一、巡洋艦三、駆逐艦なることに帰着するが如し。

 此の敵に対し午後三時過ラボールより中攻十七機攻撃せるが帰還せるもの僅に二機、敵の遠距離精度良好の対空射撃と戦闘機に葬られたるなり。而も与えたる損害巡洋艦か駆逐艦一を航行停止せしめたるのみ。遺憾千万とか云わん。敵の一三五度変針避退は電報の誤りにして三一五度なり。夜に入りて多少の変針せることより矢張り来るか、来るなら今度こそ思うが攻撃機の被害至大なるは如何にも残念なり。』


 この突然起きた米機動部隊の攻撃により、日本軍はすこし掻き乱されたが、第四艦隊は再びラエ、サラモア攻略の準備を再開した。二十五日各部隊の通知を発令した。


  南洋部隊電令作第一〇九号

一 S日を三月八日と予定す

二 SR作戦関係各部隊は敵機動部隊の出現に対し警戒しつつSR作戦に応ずる

 如くすべし

三 潜水部隊は機密南洋部隊命令作第十号に依る作戦任務を実施すべし

四 基地航空部隊指揮官は現に「トラック」に在る一空陸攻隊中約一ケ分隊を残

 し他は便宜「ラバール」に移動すべし

五 吾妻山丸、五洋丸、呉鎮第三特陸、第十設営班(乗船三隻)は当分の間「ト

 ラック」に於て訓練を行い諸準備に従事すべし


 攻略の日程は決定通知された。

 二月二十八日南海支隊堀江少佐はSR作戦に関する大隊命令を下達した。


  八作命第三号

    堀江部隊命令    二月二十八日十三時

              南海支隊司令部

一 (省略)

二 堀江部隊は「サラモア」攻略部隊となり三月八日未明「サラモア」海岸に奇

 襲上陸し速かに飛行場及「サラモア」を占領せんとす

 部隊戦闘遂行の要領付図第一、第二、第三、第四の如し

三 諸隊は別紙第二及付図に基き行動すべし

四 予は三日以降上陸迄横浜丸に在り

  第五中隊と共に第一回上陸し爾後主力の先頭を飛行場に向い前進す

              部隊長 堀江少佐

別紙付図第一(地図省略)

  方針 部隊は三月八日未明「佐」南側海岸に奇襲上陸し速かに先づ飛行場を

 占領す 爾後一部を以て同飛行場をを警備せしめ主力を以て成るべく速かに

 「佐」を次で「ケラ」付近を占領したる後付近一帯を掃蕩す

別紙付図第二(不明)

別紙付図第三(地図省略)

  方針 状況特に風浪の関係に依り「サラモア」西側海岸に上陸し第二回部隊

 の上陸を待つことなく先づ無線所付近を確保したる後速かに飛行場を占領す 

 爾後一部を以て飛行場を警備せしめ主力を以て速かに「サラモア」を攻略す

別紙付図第四(省略)

別紙第二 (省略)


 三月一日実際作戦にあたる南海支隊と護衛にあたる第六水雷戦隊との間に陸海軍協定を堀江大隊長、田中参謀と海軍梶岡少将、榎尾参謀との間にラバウルで締結した。


 南海支隊長、SR護衛艦隊間

    SR作戦に関する協定覚書

       南海支隊長 陸軍少将 堀井富太郎      

       護衛艦隊指揮官 海軍少将 梶岡定道

    第一 作戦方針

 海軍SR方面攻略部隊及南海支隊は相協同して三月八日未明南海支隊の一部 (堀江少佐の指揮する歩兵一大隊を基幹とす以下堀江部隊と呼称す)を以てSa方

 面に海軍陸戦隊(宮田中佐の指揮する銃隊一大隊を基幹とす以下宮田部隊と呼

 称す)を以てLa方面に奇襲上陸を決行SR方面敵要地を攻略し所在の敵を撃滅

 すると共に速に航空基地を設定す

    第二 作戦準備

一 南海支隊及SR護衛艦隊は三月一日南海支隊司令部に於て陸海軍協定を行い

 同二日要すれば之を補備す

二 三月二日迄にSR作戦関係陸海軍部隊は南海港に集合す

  集合点に於ける主なる行事左の通予定す

  (表省略)

三 海軍航空部隊はSR作戦前概ね「ポートモレスビー」及SR方面所在敵航空

 兵力を撃滅し敵防備を撃破す

    第三 輸送船隊区分、航行隊形及出発期日

一、輸送船隊区分

 第一部隊  Ⅰ 横浜

       Ⅱ チャイナ

 第二部隊  Ⅲ 天洋

       Ⅳ 金剛

       Ⅴ 黄海

二、航行隊形

 イ、第一航行隊形(図省略)

 ロ、第二航行隊形(泊地進入隊形)(図省略)

 ハ、漂泊用意にて右側駆逐艦は船列の後方に占位す

三、輸送船出発期日

  甲案  三月五日一三〇〇

  乙案  三月五日〇五〇〇

   第四  海上護衛

一、泊地進入前は護衛艦隊全力を以て泊地進入後は夕張、第二十九駆逐隊を以て

 海上護衛を行う

二、Sー一日昼間は概ね第二十四航空戦隊の戦闘機二を以て其の他は聖川丸水偵

 二を以て対空(対潜)警戒を行う

三、予定航路付図第三、第四の通(省略)

   第五 泊地及上陸海岸

一、堀江部隊

       漂泊地       上陸海岸

  第一案  Sa町東方約五浬   Sa町南方海岸

  第二案  Sa町北北西約六浬  Sa町西側海岸

         (北東又は東風強き場合)

  第二案への変更を要する場合はSー一日日没時迄陸海軍協議決定す

二、宮田部隊

  漂泊地   La市南方四浬

  上陸海岸  La市東南東及西南東海岸 

 (第六以降省略)


 六水戦司令部による敵情の把握は次のように「戦闘詳報」に記載されている。


『一、敵情

 イ、陸上防備

 ⑴ 「サラモア」「ウアウ」及「ラエ」方面に在る敵義勇防備軍は銃隊約二個中

  隊機関銃一個小隊程度にして其の後増援されたりとの情報ありしも最近の情

  況は不明なり

 ⑵ 航空写真偵察に依れば陸上防備兵力は不明なるも数個所陣地類似のものあり

 ロ、航空関する動静

  敵空軍は当方面に多数の飛行場を有し就中「ラエ」「サラモア」「ウアウ」

 を基地とし「ポートモレスビー」「クックタウン」「タウンスビル」と緊密な

 る連絡の下にR方面に対し策動中なりしも其の兵力は飛行偵察の結果を綜合す

 れば大型小型各十機以内にして最近の行動は活発ならず 但し各所に移動分散

 し根絶困難なるを以て注意を要す

 ハ、米国機動部隊の南洋方面に対する策動再企の疑あり当方面機動の算少しと

 せず

  又敵兵力は我新嘉坡攻略南印度方面進撃に伴い東漸蝟集の傾向あり』

  米機動部隊の動きに警戒するようしているが、上陸作戦にあたってはそれが

 現実のものとなった。

 

 三日、SR攻略部隊指揮官梶岡少将は、命令第三号を出して予定航路と出撃時間を令した。


   SR攻略部隊命令

SR作戦予定航路を甲案(南方航路)RR出撃時刻を一三〇〇と決定す


 さらに翌四日には出撃順序の令を下した。


  SR方面攻略部隊命令

明五日当部隊RR出撃に関し左の通定む

一、出港順序

 一二〇〇 第二十九駆逐隊、第三十九駆逐隊(望月欠)

 一三〇〇 夕張、津軽、天洋丸、金剛丸、横浜丸、

      チャイナ丸、黄海丸

二、出港後

 夕張は所定針路を概ね九節にて航進す

 各隊艦は逐次第一警戒航行序列に占位すべし

 但し第三十駆逐隊は「ガゼール」岬付近にて二番五番の位置に占位し海峡南口

 付近にて第二十九駆逐隊と共に所定の位置に就くべし

三、哨戒部隊及航空部隊は各指揮官所定行動を予定し報告すべし

                     (終)


 作戦協力する第二十四航空戦隊の第四航空隊は、二月二十二日より各方面の偵察および攻撃を開始した。

 二月二十二日 ポートモレスビー偵察  陸攻一機

   同日   ラエ、サラモア偵察   陸攻一機

 二月二十四日 ポートモレスビー攻撃  陸攻九機 

                    零戦八機

        陸攻隊指揮官 山縣茂夫大尉 

           六〇㌔×一〇八発 投下

           炎上大型二機、撃破四機

 二月二十五日 ポートモレスビー偵察

           大型八、小型一あり

 二月二十七日 マダン飛行場爆撃(天候不良によりモレスビーより変更)

        山縣茂夫大尉指揮 陸攻十一機

           六〇㌔×一二〇発投下

           施設爆撃 効果不明

 二月二十八日 ポートモレスビー攻撃 陸攻十一機

                   零戦 六機

        陸攻隊指揮官 山縣茂夫大尉

           六〇㌔×一〇〇発投下

           大型一爆破、兵舎爆撃

        戦闘機隊指揮官 岡本晴年大尉

          水上基地銃撃 飛行艇三機炎上

          永友勝朗一飛 自爆戦死

 三月一日 ブロロ方面偵察  陸攻一機

        ブロロ飛行場に六〇㌔十二発投下

  同日  ワウ方面基地攻撃  陸攻九機

        陸攻隊指揮官 山縣茂夫大尉

          六〇㌔×一〇八発投下

            施設 四個所に炎上を認む

 三月二日 ポートモレスビー偵察  陸攻一機

 三月三日 ポートもレスビー攻撃  陸攻九機

        陸攻隊指揮官 森玉賀四大佐

          六〇㌔×九六発投下

            小火災を認む

 三月四日 ニューギニア方面偵察 陸攻二機

 三月五日 ラエ飛行場攻撃  陸攻四機

      陸攻隊指揮官 宮崎 隆中佐

         六〇㌔×四八発投下

  同日  ラエ・ブロロ攻撃

      陸攻隊指揮官 山縣茂夫大尉

        六〇㌔×一〇八発投下

         大型機機三機を撃破

 三月六日 ニューギニア方面偵察 陸攻二機 

 三月七日 ポートモレスビー攻撃 陸攻一〇機

      陸攻隊指揮官 山縣茂夫大尉

        六〇㌔×一一八発投下

         大型機一機爆破

 三月八日 ニューギニア方面偵察 陸攻三機

 三月九日 ポートモレスビー攻撃 陸攻十一機

      陸攻隊指揮官 山縣茂夫大尉

        六〇㌔×一三一発投下

         滑走路、高角砲陣地爆撃


SR攻略部隊の船団は七日午後十時三十分、猛烈なスコールの中、サラモア東方泊地に進入漂泊し泛水作業に入った。南海支隊は風速六米、波高一・八米という悪条件であったが、移乗完了し、八日午前零時十五分舟艇はサラモア南東海岸に向かって進んだ。


 堀江部隊は何らの抵抗をうけることなく零時五十五分予定の上陸地点へ上陸集合し、前進を開始して飛行場を占領した。敵の守備隊が夜南方に退却したことは確実と思われ、サラモア及ケラ付近にも濠洲軍の姿はないようであった。午前四時三〇分サラモアおよびケラの占領を完了した。濠洲軍は情報蒐集の結果ワウに向かって退却した模様であった。捕虜はサラモアで五名を得ただけであった。

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