第十二話 空襲と被害

 各機の行動は「日米全調査 ドーリットル空襲秘録」(柴田武彦・原勝洋著 PHP研究所)に詳しい。


 ドーリットル中佐機は茨城久慈付近の海岸から水戸を経て南下し江戸川上空から西方に進み、十二時十五分ごろ目標の第一陸軍造兵廠と思い爆弾を投下したが、そこは牛込区早稲田で搭載爆弾四個を投下した。造兵廠は関東大震災後移転しており、軍事施設は何もなかった。米軍は古い地図を参照していたのだ。爆弾は小石川区関口水道町から牛込区戸山町付近に落下した。それも飛散した焼夷弾は早稲田中学付近に落下し、中学四年生小島茂君と通行人一人が死亡した。重軽傷者十九名、家屋五〇棟に全焼および半焼の被害が出た。焼夷弾の威力は日本家屋には威力を発揮した。まだ若い少年を亡くした悲しみは、同じ校内にいた生徒に恐怖を与えたであろう。戦犯が逆であれば、中佐はその対象となったであろう。

 同機は立川方面から厚木を経て茅ヶ崎から海上を西へと脱出した。途中陸軍の九七式戦闘機が発見して追跡したものの追いつくことはできなかった。

 午後七時一〇分頃に中国沿岸に達し、夜間であり天候も悪化して午後八時十五分頃全員バラシュート降下で脱出し、中国軍に保護され、本国へと帰還した。

  一番機搭乗員

    Pilot         LTCOL James H. Doolittle

    Copilot        LT Richard E. Cole

    Navigator       LT Henry A. Potter

    Bombardier      S/SGT Fred A. Braemer

    Flight Engineer    S/SGT Paul J. Leonard


 二番機は指揮官機と同じ目標を爆撃するために侵入したが、ドーリットル機を追い越す形で本土に進入し、元来の目標であった火力発電所や陸軍造兵廠を確認できずに結局、荒川区尾久九丁目の旭電化工場を爆撃した。民家全焼四三戸、全壊九戸、半焼半壊十四戸の被害をうけ、死者十人、重軽傷者四十八名に及んだ。

 これほどまでに多くの民家が被害を受けたのは、通常爆弾よりも集束型焼夷弾という爆弾で、多くの弾子がとびちって広範囲に被害をもたらすもので、クラスター焼夷弾であり、いうなれば日本の木造家屋を焼き払うものであった。人道上問題のある爆弾であった。当時は毒ガス兵器は禁じられていたが、クラスター爆弾などは問題視されていなかった。

 二番機は池袋から南へ変針し、横浜の西方を回って東京湾から海上を中国めざした。ドーリットル機と合流して飛行し、寧波付近の沿岸に不時着して、全員帰国した。

  二番機搭乗員                            

    Pilot        LT Travis Hoover

     Copilot       LT William N. Fitzhugh

Navigator      LT Carl R. Wildner

Bombardier     LT Richard E. Miller

Flight Engineer   SGT Douglas V. Radney


 三番機は九十九里浜より進入し、房総半島を西進して千葉付近を通過して荒川沿いに東京に入り、埼玉県川口市にて日本ディーゼル工業に対し一発目の爆弾を投下した。同工場はちょうど昼食後であったが、爆弾は第三倉庫の屋根を貫いて床上で爆発し、死者十二名、重軽傷八十八名の大きな被害を受けた。倉庫は全壊、ほかに八棟が半壊した。火災により第二倉庫も延焼した。「川口市史通史編下巻」には次のように記されている。


「昭和十七年四月十八日午後零時四〇分頃、突如東京市西新井方面より来襲せる敵機は、部内弥平町二五三番地所在軍監理工場日本ディーゼル工業株式会社川口工場を空爆し東京赤羽方面に遁走したるが、投下弾は同工場第三倉庫中央部に命中し、即死五名、重傷五四名(内病院収容後死亡せるもの七名)、軽傷四一名、計一〇〇名の犠牲者を出したるの外、第三倉庫全壊全焼、第二倉庫大破、第一倉庫中破、造兵検査場小破、機械工場三棟小破、物品倉庫小破、組立工場小破、便所大破し、損害見積六十七万円の損傷を受けたるが、右第三倉庫は命中弾の爆発に依り同時に火災発生し全焼、更に隣接せる第二倉庫に延焼せるも同工場特設防護団並に川口警防団の活動に依り半焼にて消し止むることを得たり」


 同機は左旋回し次の目標に向けたが、タイミングがずれ民家に焼夷弾を投下、民家二七戸が全焼し一戸が半焼した。焼夷弾による死傷者はいなかったが、機銃掃射により一名が重傷を負った。北東方面へ変針した同機は草加手前で南東方面に針路をかえ、爆弾と投下しながら機銃掃射も加えた。葛飾区の水元国民学校へ銃撃を加えた。米機は学校に設けられていた防空監視用の櫓を軍事施設と判断して銃撃を加えたようだ。その銃弾の一発は避難しようとして廊下を走っていた高等科一年の石出己之助君に命中して尊い命を奪ってしまった。このことは「増補葛飾区史下巻」にもとりあげられている。爆弾の一発は畑におち、もう一発は金町駅付近におち、直径十二メートル、深さ三メートルの穴をあけたが、人員の被害はなかったのが幸いであった。同機はその後も機銃を発射し、女性一人が死亡している。そして南下しつつ房総半島を抜け海上へ達しそこから中国本土目指すが、乗員はパラシュートで脱出した。しかし、機関士兼機銃手のファクター伍長は降下に失敗して死亡している。

  三番機搭乗員

   Pilot        LT Robert M. Gray

   Copilot       LT Jacob E. Manch

Navigator      LT Charles J. Ozuk Jr.

Bombardier     SGT Aden B. Jones

Flight Engineer   CPL Leland D. Faktor  死亡


 四番機は房総半島の南方沖合を西進し、三宅島を視認したことにより北上し東京をめざしたが、相模湾の北上中に一番機を視認したが、後方に日本軍戦闘機を発見し、迎撃してものと判断、機銃故障で応戦不可能な状況から海中に爆弾を投棄して離脱中国本土へ向かった。乗員はパラシュート脱出した。同機はなにも戦果を挙げなかった。

  四番機搭乗員

    Pilot         LT Everett W. Holstrom

    Copilot        LT Lucian N. Youngblood

Navigator       LT Harry C. McCool

Bombardier      SGT Robert J. Stephens

Flight Engineer    CPL Bert M. Jordan 


 五番機は房総銚子の北方から進入し、房総半島を南下して観音岬沖の海上に一旦でたあと北上して東京を目指そうとしたが、川崎付近で七番機が爆弾を投下しはじめた。本来の爆撃目標は芝浦地区の三菱重工業や芝浦製作所であったが、なぜか自分も一発目の爆弾を投下していた。投下したのは日本鋼管川崎工場大島ちくの貯鉱所であったが、実際にはかなり外れ、施設のない場所に着弾した。

 五番機は東側から反転して工場上空に引き返すと再び爆弾を投下した。爆弾は六管工場の建物に命中し、爆弾は屋根を貫き地上で爆発した。休憩時間を過ごしていた社員に死者十二名、重軽傷十一名の被害を受けた。焼夷弾は離れた場所に落下したが、施設人員に被害はなかった。最後に投下した爆弾は、日本鋼管西隣の横山工業所に落下爆発した。爆弾が落ちたのは倉庫であったが、中にいた事務員に死傷者はなかった。だが、爆発の威力はすさまじく隣接していた工場にあった工員十五名が死亡し、十一名が重傷を負った。爆撃を終えた機は東京湾へ出たあと、海上を中国に向い、乗員はパラシュートで脱出した。

   五番機搭乗員

    Pilot        CAPT David M. Jones

    Copilot       LT Ross R. Wilder

Navigator      LT Eugene F. McGurl

Bombardier     LT Denver V. Truelove

Flight Engineer   SGT Joseph W. Manske


 六番機は五番機とほぼ同じルートで進入し、午後十二時四〇分ころに川崎上空に達した。多摩川上空で反転すると、川崎の日本製鉄富士製鋼所前の道路上に爆弾が落ちた。直径十メートル、深さ二・五メートルの穴をあけた。爆発により付近の民家七戸が全壊し、一一戸が半壊したが、死者はなく重傷者も一名だけであった。

 二発目は日本火工(現・日本治金工業)に落下、工場に命中して屋根を貫通してコンクリート床を貫いて爆発。工場は吹き飛ばされたが、若干の軽傷者がでた程度ですんだ。

 一旦海上に出た六番機は横浜市上空へと向い、ここで焼夷弾を投下した。たくさんの弾子が家屋に命中したが、全焼が三戸にとどまった。被害が少なかったのは、住民の防火訓練によるものが大きかったと言われる。負傷者も三名にとどまった。しかし、こちらでも機銃掃射により外にいた幼稚園児の中村由郎君が若い生命を落とした。機は南西方向から海上へ脱出し、中国本土で不時着した。その際ダイター軍曹とフィッツマーリス伍長が死亡した。三名はのちに日本軍に発見され捕虜となった。

  六番機搭乗員

    Pilot        LT Dean E. Hallmark 

    Copilot       LT Robert J. Meder 

Navigator      LT Chase J. Nielsen

Bombardier     SGT William J. Dieter  死亡

Flight Engineer   SGT Donald E. Fitzmaurice 死亡


 七番機は五番機に続いて川崎に進入した。一発目を日本鋼管川崎工場に投下したが、爆弾は脇の運河の岸壁付近の海中に落ちて爆発したため被害はなかった。二発目は同工場の貯鉱所に命中してコークスの山を吹き飛ばしたにとどまった。

 同機は右旋回すると再び工場内に三発目を投下したが、こちらも敷地内であったが、施設から離れた土中にて爆発したため大穴をあけただけだった。

 次の投下したのは焼夷弾で日本鋼管鶴見造船所だった。不発弾が多かったせいもあるが、火災はすぐに消し止められたが、重傷者二名、軽傷者一名をだした。

 同機は横浜上空を通過し、平塚から海上へぬけ、中国本土の海岸に不時着し、乗員は全員脱出して生還した。

  七番機搭乗員

   Pilot         LT Ted W. Lawson

    Copilot        LT Dean Davenport

Navigator       LT Charles L. McClure

Bombardier      LT Robert S. Clever

Flight Engineer    SGT David J. Thatcher


 八番機は鹿島灘から進入したが、エンジン燃料系統のトラブルにより、中国本土までたどりつくのは困難と判断して、ロシアに行くことを決め、霞ヶ浦上空から那須そして新潟上空をとおり日本海にぬけた。爆弾投下といっても目立った施設もなくたまたま見つけた西那須野町の駅舎に爆弾を投下。しかし、近くの畑に落ちて大穴をあけたにすぎなかった。二発目以降の爆弾の目標も見つからず、阿賀野川の鉄橋にむけて投下した。投下した二発のうち一発は中洲へ、もう一発は水田に落ちて爆発した。焼夷弾も投下したが、阿賀野川の中へほとんどが落ちたと考えられた。日本海にぬけた同機はウラジオストックへむかい不時着し、ロシア側に拘束されたが、のちに米国に戻ることができた。

 のちに日本政府はソビエト側に対し「日ソ中立条約」の観点から次の申し入れをしている。


『十八日本邦ニ来襲セル米機中一機ハ新潟上空ニ認メラレタルヲ以テ「ソ」領ニ不時着セルハ同機ナルベシト推断セラルルガ他ノ米機(複数)ガ中部支那方面ニ向イ遁走せルヨリ見ルモ右一機ハ故意ニ「ソ」連領を目指シテ遁入セルモノト認ムルノ外無シ而シテ「ソ」政府ガ同機及其乗員ヲ抑留セルハ一応中立国トシテノ義務ヲ履行セルモノト認ム可キモ米国側ガ故意ニ斯ル方法ヲ採リタル以上今後モ右ガ計画的ニ且大規模ニ繰返サルル可能性無シトセズ、サスレバ「ソ」連邦トシテモ欲セズシテ米空軍ニ依リ自国領土ヲ日本襲撃ニ利用セラルル形トナリ又右ハ米空軍ノ日本襲撃ヲ著シク有利且容易ナラシムルモノニシテ斯ル事態ガ今後繰返サザルニ於テハ米国ハ日本空襲ノ為故意且計画的ニ貴国領土ヲ軍事基地トシテ使用スルノ実質的結果ヲ招来シ帝国トシテ到底黙視シ難キニ至ルベク従ツテ日「ソ」間ノ従来ノ関係ニ重大ナル影響ヲ招来スル惧アリ米国亦正ニ其ノ点ヲ狙イ居ルヤモ知レズ

 「ソ」連政府ニ於テ其ノ屡次言明セラレタル如ク大東亜戦争ニ対スル中立的地位ノ厳守及日「ソ」間平和的関係ノ保持ノ方針ヲ堅持セラレ且第三国ニ対スル軍事的基地ノ不供与等ヲ約シ居ラルル以上第三国ノ策謀ヲ排シ且日「ソ」間ニ前記ノ如キ事態ノ紛糾ヲ見ルヲ防止スル為米国ニ対シ今後日本ヲ襲撃セル米国機ガ「ソ」連領ニ不時着スル如キ事再ビ起ラザル様措置方申入レラルル等有効適切ナル措置ヲ講ゼラレンコトヲ要望ス』


  八番機搭乗員

    Pilot       CAPT Edward J. York

    Copilot      LT Robert G. Emmens

Navigator     LT Nolan A. Herndon

Bombardier    S/SGT Theodore H. Laban

Flight Engineer  SGT David W. Pohl


 九番機は鹿島灘から進入し西進して東京に向かった。荒川付近で高射砲の射撃をうけたため、南に針路をとり一旦東京湾に出た後、やや西に針路をかえ大井町付近の日立兵器と日立航空機を目標としていたが、爆弾は芝浦マツダ工業に落ちた。一発目は木造の工場内で爆発、二発目は二〇メートルほど離れた地中で爆発して一〇メートルほどの穴をあけた。工員らは空襲警報により退避行動をとっており、空地へ避難しようと屋外に待機していた。爆弾投下とともに工員は四散したが、二人が爆発に巻きこまえれて死亡し、重軽傷者四十一名の被害を出した。建物は半壊が五棟であった。残る爆弾一発と焼夷弾は品川区大井瀧王子町の住宅街に落ちた。爆弾は民家に落ちると屋根、床を突き破り土中で不発弾となった。焼夷弾のほうは、民家一棟が半焼したのみで、他に被害はなかった。同機は海岸沿いを戸塚方面にすすみ、平塚上空から海上へでて中国にむかい、全員パラシュートで脱出した。

  九番機搭乗員

Pilot         LT Harold F. Watson

    Copilot        LT James N. Parker Jr. 

Navigator       LT Thomas C. Griffin

Bombardier      SGT Wayne M. Bissell

Flight Engineer    T/SGT Eldred V. Scott



 一〇番機は鹿島灘から進入し南下して松戸上空から荒川にさしかかったが、対空射撃をうけて一旦東京湾にでた。前方を見ると先行した味方機の爆撃による煙が見えた。クルーは無傷の目標を探して西へ進み、品川区東品川の工場を爆撃した。そこは東亜製作所で、一発目は岸壁におちて爆発したため被害はなく、二発目は寄宿舎に命中して吹き飛ばした。工員は空襲警報のために警防の持ち場にあったが、運悪く新人工員らは寄宿舎で待機させていた。このために十二名が死亡し、女子事務員二名も死亡した。

 つづいて投下した爆弾一発と焼夷弾は、同区西品川の鉄道省需品局被服工場に投下した。爆弾は少しずれ工場北側の民家に命中して数軒を吹き飛ばした。子供三人を含む六名が死亡した。さらに爆弾の弾片は工場の窓や壁を貫き、作業中の男性二名、女性三名が死亡し、ほかに七名が重傷を負った。焼夷弾は一棟が半焼しただけで死傷者はなかったようだ。機は日本軍機の追跡迎撃をうけたが、それを振り切って西進しそのまま中国本土めざし、パラシュートで脱出生還した。

十番機搭乗員

Pilot        LT Richard 0. Joyce

    Copilot       LT J. Royden Stork  

Navigator      LT Horace E. Crouch

Bombardier     SGT George E. Larkin Jr.

Flight Engineer   S/SGT Edwin W. Horton Jr.


 十一番機は水戸市東方から進入した。付近には陸軍飛行学校があり、戦闘機が迎撃したが九七戦では追いつけない。だが丁度試作戦闘機キー六一(のちの三式戦闘機「飛燕」)がテスト機として配備されており、梅川亮三郎少尉が飛び立ちB25を追いかけた。梅川少尉は敵爆撃機に対して銃撃を加えて白煙を噴かせたが、撃墜することはできずに梅川少尉は引き返した。グリーニング大尉は一旦海上にでようと南東に機種を向けた。爆弾を投下しようと目標を探していると、石油精製施設らしきものを見つけて爆弾を投下した。その目標は建設工事中であった香取海軍飛行場で、投下した焼夷弾により宿舎など六棟が全焼したが、人員の被害はなかった。同機は海上に抜けてそのまま房総半島を迂回する形で中国大陸をめざし、全員パラシュートで脱出した。

  十一番機搭乗員

    Pilot       CAPT C. Ross Greening

    Copilot      LT Kenneth E. Reddy  

Navigator     LT Frank A. Kappeler

Bombardier    S/SGT William L. Birch

Flight Engineer  SGT Melvin J. Gardner


 十二番機は久慈北方の那珂湊付近から進入して南下して霞ヶ浦から房総半島を南下して後西進して川崎を爆撃した。

 もうすでに爆撃したのとほぼ同地点にたいし爆弾を投下した。一発目は川崎日本由油化工場に落ちた。爆弾は陸軍の貯油タンクから三〇メートルほど離れたところで、他にもタンクが存在しており、直撃または至近であれば、大惨事になるところであった。直径七メートル、深さ一・五メートルの穴があいたほか、埋設管が破壊されたために、二週間ほど操業を停止せざるをえなかった。

 二発目と三発目は昭和電工川崎工場に落下したが、道路上に落ちたために、被害は皆無であった。隣接する日本鋼管にも焼夷弾が降り注いだが、工場施設一棟が全焼したにとどまった。

 同機は小田原付近から海上にでて中国本土をめざし、全員がパラシュート脱出した。

  十二番機搭乗員

    Pilot        LT William M. Bower

    Copilot       LT Thadd H. Blanton

Navigator      LT William R. Pound Jr.

Bombardier     T/SGT Waldo J. Bither

Flight Engineer   S/SGT Omer A. Duquette


 十三番機は茨城沖を海岸沿いに南下し九十九里浜付近で房総半島を横断して横須賀上空にたっした。海岸に鎮座する「三笠」上空に達すると全爆弾を投下した。内一発は第四ドックに入渠して潜水母艦から空母へ改装工事中の「大鯨」(のちの空母「龍鳳」)に命中して火災を発生したため、火災はすぐ鎮火させたが、修理には五ヶ月を要する被害となった。

 ほかの爆弾焼夷弾は機械工場付近に落ち、工員一名が重傷、一名が軽傷を追った。ほかに機銃掃射により市民三名が負傷した。軍港であったために対空砲火も激しかったが、損害を受けずに相模湾へと脱出して中国本土をめざし全員パラシュートで脱出した。

  十三番機搭乗員

    Pilot       LT Edgar E. McElroy

    Copilot      LT Richard A. Knobloch  

Navigator     LT Clayton J. Campbell

Bombardier    M/SGT Robert C. Bourgeois

Flight Engineer  SGT Adam R. Williams


 

 十四番機は本州南岸沿いに西進したと、伊良湖岬を前方に確認すると北に変針して北上名古屋を目指した。同機は伊良湖の監視哨に発見されており、名古屋の高射砲陣地は来襲に備えた。

 同機は名古屋市内中心部に達したのを名古屋城を確認するとその周辺にある陸軍施設を爆撃した。目標は第三師団司令部や歩兵第六連隊の兵舎などであったが、投下された焼夷弾二発はそれて陸軍病院と糧秣倉庫であった。病院の入院患者は安全な場所へ避難済であったため無事であったた、糧秣は火の手がまわり一八棟が燃え上がり、鎮火は翌日になった。

 つづいて名古屋駅付近で焼夷弾一発を投下、機関庫付近で落下して、全焼五棟、半焼五棟の被害をだした。最後の一発は熱田区の陸軍造兵廠におち、一棟が半焼した。どちらも人的被害はなかった。高射砲の砲火による被害もなく同機は伊勢湾を南下して太平洋上にでて、中国本土へむかい全員パラシュートで脱出した。

 この名古屋空襲の被害一覧が遺っている。それには次のようになっている。


1 名古屋陸軍病院東練兵場臨時分院

  名古屋師団経理部馬糧倉庫

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約五〇 

               内不発   五

     軽傷  二

     病棟  六棟  全焼

     乾草馬糧7千万瓩消失

     損害約十六万六千円

2 名古屋鉄道局笹島貨物駅構内

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約四

               内不発  一

     死傷者  なし

     倉庫スレート瓦の一部損傷

  中村区百船町三丁目

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約七二

               内不発   三

     軽傷  一

     罹災者  男 一五 女二〇

     全焼 民家五 工場二 倉庫一

     半焼 民家一

     損害約二万円

3 名古屋造兵廠

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約六〇    

               内不発  三〇

     死傷者  なし

     倉庫屋根一部及廠内郵便局窓ガラス一部破損

     損害約百円

  東邦瓦斯株式会社

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約一三〇

               内不発   三〇

     死傷者  なし

     二万八千立方米瓦斯タンクに命中四十個所孔を生ず

     損害約千円

  品川製作所

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約二〇

               内不発   四

     死傷者 重傷 一 軽傷 一

     工場事務室の窓一部破壊

  中央度量衡検定所名古屋支所

     一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約二〇

               内不発   三

     死傷者  なし

     事務室窓二ヶ所破損

     損害約三十円

4 東邦化学工業株式会社

    一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約六〇

              内不発 約二四        

    死傷者  なし

    工場及機械室屋根一部破損

    損害約五百円

5 三菱重工業名古屋航空機製作所

    一・七瓩エレクトロン焼夷弾 約一五〇

              内不発   一一

    死傷者  死者 男 四 女 一 

         重傷 九  軽傷 二七

    型置工場機械工場食堂其他二工場の一部破損

    損害約五千円

6 庄内川河口名古屋港務所作業船光輝丸

    機銃掃射

    死者  男 一

7 日光川下流海苔採取船

    機銃掃射

    死傷者 なし

※外に高射砲の破片に因ると認めらるる負傷者重傷一軽傷八計九名あり

(「昭和十七年四月十八日空襲被害状況」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05020250900、種村氏警察参考資料第80集(国立公文書館)より)

 

 合計では空襲による死者六名、重軽傷者四十一名にのぼっている。機銃掃射は軍事施設関係なく河口にあった小さな船をも撃っていることである。

  十四番機搭乗員

    Pilot       MAJ John A. Hilger

    Copilot      LT Jack A. Sims 

Navigator     LT James H. Macia Jr.

Bombardier    S/SGT Jacob Eierman

Flight Engineer  S/SGT Edwin V. Bain


 十五番機は太平洋沿岸を進み、伊良湖岬沖から伊勢湾をぬけ、四日市市南側から西進して奈良北方を抜け甲子園球場上空を通り神戸に達した。途中奈良付近では大日本航空が運行している民間航空のDC三型と擦れ違った。

 神戸の秦東区東川崎町付近に一発目を投下した。ドック内に空母を確認したが、焼夷弾しかないために工場に投下し、一棟が半焼した。二発目は兵庫区西出町付近に落下し、死者一名をだし、一八戸が全焼、一一戸が半焼した。三発目は南逆瀬川周辺に落ち、全焼三戸、半焼二戸の被害をうけた。四発目は材木町付近におちたが、ほとんどは運河のなかに落ちて被害はなかった。同機は南下して紀伊水道を通って太平洋にでて中国本土に向い、不時着したが全員が帰還した。

  十五番機搭乗員

    Pilot         LT Donald G. Smith

    Copilot        LT Griffith P. Williams

Navigator       LT Howard A. Sessler

Bombardier      LT Thomas R. White

Flight Engineer    SGT Edward J. Saylor


 十六番機は十四番機の後を追うように飛行し、伊良湖岬を前方に確認して北上して名古屋市内に東側から進入、熱田区桜田町にある東邦瓦斯のガスタンクへ焼夷弾一発目を投下した。ガスタンクに無数の孔があきガスがもれ引火して火災をおこしたが、タンク内のガスを送り出したことにより大爆発はくい止めた。二発目は港区中川にある東邦化学工業へ投下したが、損害は軽微であった。残る二発は港区大江にある三菱重工業の名古屋航空機製作所に投下した。工場施設に焼夷弾は落ち、前掲にあげたように死者五名、重軽傷三十六名をだす、大きな被害をうけたが、航空機生産には支障はなかった。同機は伊勢湾岸を南西に飛行避退する途中、港湾や海苔や蜆採集の人々に機銃掃射を加えており、一名が死亡し、先の被害一覧にはないが、「ドーリットル空襲秘録」には女性一人が重傷を負ったことが記されている。また、四日市沿岸に達すると、海軍の燃料廠を機銃掃射し、紀伊半島を横断しながら紀の川に沿って紀伊水道に出て、中国本土に向かったが、南昌付近だったせいもあり、パラシュートで脱出したが全員が捕虜となった。

  十六番機搭乗員

    Pilot        LT William G. Farrow

    Copilot       LT Robert L. Hite 

Navigator      LT George Barr

Bombardier     CPL Jacob D. DeShazer

Flight Engineer   SGT Harold A. Spatz


※ 米陸軍の階級呼称  LTCOL 中佐、MAJ 少佐、CAPT 大尉、LT 中尉、2LT 少尉、CPL 伍長、SGT 三等軍曹、S/SGT 二等軍曹、T/SGT 一等軍曹、M/SGT 曹長


 こうして米軍機による日本初空襲は終了した。だが、離脱する米軍機の航路にあった日本の漁船の何隻かは、どの機かわからないが、機銃掃射をうけて一名が死亡し、三名が負傷している。おそらく、米空母から発艦するにいたった日本の監視艇が頭にあり、漁業操業中の漁船をも銃撃したのであろう。やみくもに一般市民に向けて銃弾を発射するのは辞めてほしい。国際法違反でもある。今回の空襲で軍人よりも一般市民の多くが死亡し負傷もした。

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