第十一話 東京を爆撃せよ

 四月二日、空母「ホーネット」は重巡一、軽巡一、駆逐艦四隻に護られて出港した。出港後、ドーリットル中佐は隊員を集めて、作戦目的を告知した。


「諸君、われわれは日本へ直行する。われわれは東京、横浜、神戸、名古屋を空襲するのだ。海軍は可能な限り地点まで、われわれを運んでくれる。言うまでもないことが、われわれは本艦の飛行甲板から出撃する」


 四月一三日朝、ホーネット隊は空母「エンタープライズ」重巡二、駆逐艦四からなる護衛部隊とミッドウェー島と西部アリューシャン群島の中間地点で合流し、第十六任務部隊は太平洋を日本目指して航行した。


 その編制は次のようになっていた。

第十六任務部隊

 司令官  海軍中将 ウイリアム・F・ハルゼー・JR

 空母 エンタープライズ 

     艦長 大佐 ジョーデ・D・ミュレー

     第六爆撃中隊(ドーントレス)    一八機

     第六戦闘中隊(ワイルドキャット)  二七機

     第六雷撃中隊(デバステーター)   一八機

     第三爆撃中隊(ドーントレス)    一八機

    (空母サラトガの爆撃中隊)

 空母 ホーネット

     艦長 大佐 マーク・A・ミッチャー

    攻撃航空隊 ミッチェルB25h双発爆撃機 一六機

     隊長 中佐 ジェームズ・H・ドゥーリットル

 巡洋艦戦隊

  司令官 少将 レイモンド・A・スプルーアンス

    重巡洋艦  ノーザンプトん

    重巡洋艦  ソルトレーク・シティ

    重巡洋艦  ヴィンセンス

    軽巡洋艦  ナッシュビル

 第六水雷戦隊

  司令官 大佐 リチャード・L・コナリー

  第十二駆逐隊

    駆逐艦  バルチ

    駆逐艦  ベンハム

    駆逐艦  エレット

    駆逐艦  ファニング

  第二十二駆逐隊

    駆逐艦  グレイソン

    駆逐艦  グウィン

    駆逐艦  メレディス

    駆逐艦  モンセン

 油槽艦  セービン

 油槽艦  シマロン


 四月十七日、哨戒線上では監視艇隊の哨戒交替が行われていた。東経一五五度線上で、それまで配置についていた第二哨戒隊の特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「安川丸」「興和丸」および監視艇二十隻は釧路に向かい、代って第三哨戒隊の特設巡洋艦「浅香丸」特設砲艦「第一雲洋丸」と監視艇十六隻が哨戒線上に散開した。


「戦闘詳報」には経過について次のように記す。


『第二監視艇隊(母艦安州丸及特設監視艇第五恵比寿丸他十九隻)は四月八日「ル」「ヲ」哨戒線に到着爾後該線上にて哨戒行動に従事中なりしが四月十七日一二〇〇第三直哨戒隊と哨区に於て交代を了し整備補給の為釧路基地に向け回航せんとしつつあり』


 第二監視艇隊の各監視艇は監視船上から交代で帰途についてまもない時であった。「第二十三日東丸」は北側に「第二旭丸」南に「海神丸」という配置で警戒しながら釧路に向かっていた。

 翌十八日、第二哨戒隊の「第二十三日東丸」は午前六時三〇分、北緯三六度、東経一五二度一〇分の地点で敵艦上機と見られるものを発見し打電した。

「敵飛行艇三機見ユ針路南西」

「敵飛行機二機見ユ」

「第二十三日東丸」は昭和一〇年に建造された底引網漁船であり、速力七ノットを出した。

 艇長中村盛作兵曹長以下十四名が乗組んでいた。六時五〇分、第三電として「敵航空母艦三隻見ユ」と報告した。続いて、

「敵駆逐艦見ユ」

「敵大部隊見ユ」

 五電を次々と発した以後、音信は途絶した。

(註・戦闘詳報には六電とあるが、一通の内容は不明である)


 つまりは東に監視についた第三監視艇隊をすりぬけた格好になった米空母部隊は、任務を終えて帰投する第二監視艇隊の監視の目にふれてしまったのである。日本側としては通常の倍にあたる監視艇が存在することで、強力な網を張った情況となり、偶然にも敵部隊を発見したのである。小さな漁船で荒波で視界も悪い中、巨大な米空母を発見したのである。


 空母「エンタープライズ」の戦闘報告によると、〇三一〇にレーダーにより水上艦艇を二五五度方向距離二一〇〇〇ヤードに発見したが、進路変更後敵艦の姿はスクリーンから消えた。

 その後〇五〇八に哨戒機と偵察機を発進させ、偵察機は〇五五八に北緯三六度〇四分、東経一五三度一〇分に敵の哨戒艇を発見し、こちらも目撃されたことを報告した。さらに〇七四四に敵の哨戒艇を方位二二一度、距離一万ヤードで発見し、「ナッシュビル」に対して撃沈命令を出した。米司令部は自分たちの部隊を発見したことを通報したと考えた。


 エンタープライズ機が銃撃を加えたあと、軽巡「ナッシュビル」の砲撃を受けて、全乗員とともに艇は沈没した。

「戦闘詳報」から抜粋してみる。


『〇八一〇支援艦粟田丸より敵飛行機三機北緯三六度〇分東経一五三度四〇分に発見敵一機増援し我と交戦中との報を得たり

 粟田丸は〇八三〇敵機を撃退索敵の為南西に向えり』

『麾下監視艇より頻々として敵機襲撃の報を得たり

 母艦の正午位置北緯三九度一〇分東経一五二度一〇分に在りて専ら作戦指導及通信連絡の任に当りたり

以下襲撃を被れる各艇よりの報告を掲記するに左の如し


 ⑴ 海神丸は一一四〇北緯三五度三〇分東経一五三度三〇分にて敵一機の攻撃を

  受く

 ⑵ 長久丸は一一二〇北緯三七度一〇分東経一五二度五〇分にて敵一機より爆

  撃を受く

 ⑶ 第三千代丸は一二〇〇北緯三七度四〇分東経一五二度一〇分にて敵一機より

  爆撃を受く

 ⑷第二十一南進丸は一三一五北緯三六度四〇分東経一五二度一〇分にて敵一機

  より爆撃を受く

 ⑸栄吉丸は一二〇五北緯三六度東経一五一度四〇分にて敵一機より爆撃を受く

 ⑹第五恵比寿丸は一七一五北緯三五度四〇分東経一五一度三〇分にて敵一機よ

  り爆撃を受く

 ⑺第一福久丸は北緯三七度四〇分東経一五一度五四分にて敵一機の爆撃を受く


○尚爆撃の為通信器に故障を生じ当時不明なりしも後刻判明せるもの次の如し

 ⑻第二旭丸は一一〇〇北緯三六度三〇分東経一五二度五〇分にて敵一機の爆撃

  を受く

 ⑼ 第二十六南進丸は一一五〇敵一機の攻撃を受く(地点不詳)


 支援艦興和丸は一二〇〇北緯三四度〇分、東経一五一度〇分にて敵一機の爆撃を受け下士官兵戦死一名重傷八名との報を得たり


 各監視艇の戦闘情況の詳細をまとめると次のようになる。

「海神丸

 四月十八日一一〇〇敵艦上爆撃機一機左一四〇度付近に発見之と戦斗を開始す

 第一回左後部より飛来左舷艦首約十五米付近に爆弾二個投下。第二回右舷艦首

 約六米付近に爆弾二個を落し右舷外板にニ個の破孔を生ず

 第三回右舷後部より銃撃を加う、第四回左舷後部より銃撃を加う。大きな被害

 なし。」

「第二十六南進丸

 一二〇〇方位二〇〇より急降下し銃撃し、六回繰り返す。これにより戦死一、

 重傷二、軽傷三の被害。船体各部に破損。」

「第一福久丸

 一一三五左舷百六十度艦爆一機急降下爆撃、爆弾一個投下艇尾右一〇米に弾

 着。二回目の爆撃は左三〇度に弾着。さらに二回にわたり銃撃を受けるも命中

 被害なし。」

「第二旭丸

 一一〇〇敵一機は爆弾二個投下、一個は後方五米、一個は左舷中央真横一五米

 に落下。その後敵機は三回にわたり機銃掃射を行ったのち南西に去る。戦死

 一、艇長ならび下士官一名負傷。」

「第二十一南進丸

 一三一五敵一機発見、爆弾二個投下し、銃撃を受ける。爆弾による至近弾によ

 り浸水あり。戦死一」

「第三千代丸

 一一五〇より敵戦闘機一機の銃撃を五回にわたり受ける。戦死二名。船体に損

 傷をうける。」

「栄吉丸

 一二〇五爆撃機一機来襲し、第一回に爆撃にて左中央付近五メートルに至近弾

 にて船体損傷。二回目は右舷前方一米に落下、三回目は銃撃のみ。重傷者三名

 を出す。」

「長久丸

 一一一〇敵爆撃機一機、急降下爆撃にて爆撃、艇尾約四米の至近に爆発し、一

 一一五艇陽尾より二回目の爆弾は避ける。一一二〇三回目は機銃掃射を受け

 る、一一二十と一一二五二回にわたり銃撃をうけ、ガソリンタンクに被弾して

 炎上。戦死二名。

 その後火災鎮火するが漂流し、粟田丸艦長は処分沈没することになった。」


 第二監視艇隊の損害は、沈没したもの三隻、損傷したもの五隻に達し、戦死七名、行方不明十四名、戦傷者は十一名に及んだ。


 戦死者七名は左記の通りである。

 第三千代丸   三曹  竹林武男

  同      三機  前原勇雄

 長久丸     三曹  早川仁智郎

  同      一水  圓地明治郎

 第二六南進丸  一水  桑江良真

 第二一南進丸  一水  秦野勝喜

 第二旭丸    軍属  竹屋英夫 

 行方不明は第二十三日東丸の艇長中村盛作兵曹長以下十四名である。 


 第三監視艇隊は第一、第二、第三小隊は四月十三日横須賀を出撃、第四、第五小隊は釧路を出撃し、十七日夜半に監視海域に到着して、第二監視艇隊と交代した。

 十八日「第二十三日東丸」からの敵部隊発見の報告をうけ、警戒を厳にした。

 旗艦である「第一雲洋丸」が一三一〇右四五度距離五千から六千メートルに敵中型爆撃機を発見、全員配置についたが、敵機は飛び去った。

 第四小隊の「第一岩手丸」は一一二〇頃雲中より艦上戦闘機三機が高度三〇〇米より来襲して爆撃四回、機銃掃射を敢行して、被弾により機関室が満水して無電使用が不可能となった。艇長は至近弾により重傷を負い、ほかに二人が戦死し、船体は機銃掃射により穴だらけとなり、沈没に瀕しつつ漂流中、翌日十九日一七〇〇味方潜水艦伊号七十四潜により救助された。


 「長渡丸」は一三〇〇に我攻撃を受くの電報を発したあと、行方不明となった。「第一運洋丸」が漂流地点付近を探索したが発見に至らず、乗員含め十四名は壮烈なる最期を遂げたと判断した。米軍によると乗員五名は漂流しているところを「ナッシュビル」により救助され捕虜となった。

 第三監視艇隊の被害は、戦死二、行方不明十四、戦傷一にたっした。

 戦死者は第一岩手丸の一曹 下澤長共と一機 似内儀助の二人であった。

 米爆撃機の照準は悪く、直撃弾はなかったようだが、相手は漁船ゆえに至近弾と機銃弾で船体の被害はひどかった。


 エンタープライズは以後三時間にわたり付近を捜索して、監視艇を襲撃して、撃沈破していった。エンタープライズの「戦闘報告書」には五〇〇ポンド爆弾十二発、一〇〇ポンド爆弾二四発を投下し、一二.七ミリ機銃一二六、〇〇発、七.六二ミリ機銃八〇〇発を発射している。ナッシュビルの砲撃も加わり、「第二十三日東丸」「長渡丸」が沈没し、「長久丸」「第二一南進丸」「第一岩手丸」の三隻が放棄された。特設巡洋艦「粟田丸」、特設砲艦「興和丸」、特設監視艇「第三千代丸」「栄吉丸」「第二旭丸」「第二六南進丸」「海神丸」が中小破し、乗組員の被害は、戦死三十三名、負傷者二十三名を出した。

 空母「ホーネット」では五〇〇浬の地点でB25を発艦する予定だったが、これほどまで遠距離に哨戒線がるとは想像させしていなかった。空母部隊発見の電報は当然発信しており、あまり近づけば、今度は哨戒機に発見され、日本の誇る長距離爆撃機の攻撃を受けることは必定に考えられた。そのために、ドーリットル中佐は多少遠いが、発進する決意をし、午前八時二十分、六百二十三浬離れた地点からB25十六機が飛び立った。


 ドーリットル中佐機が最初に離陸した。以下続々と飛行甲板から飛び立った。

 〇八二五発 二番機  トラヴィス・フーヴァー中尉

 〇八三〇発 三番機  ロバート・グレイ中尉

 〇八三三発 四番機  エヴァレット・ホルストローム中尉

 〇八三七発 五番機  デヴィド・ジョーンズ大尉

 〇八四〇発 六番機  デイーン・ホールマーク中尉

 〇八四三発 七番機  テッド・ローソン中尉

 〇八四六発 八番機  エドワード・ヨーク大尉

 〇八五〇発 九番機  ハロルド・ワトソン中尉

 〇八五三発 一〇番機  リチャード・ジョイス中尉

 〇八五六発 一一番機  ロス・グリーニング大尉

 〇八五九発 一二番機  ウイリアム・ボワー中尉

 〇九〇一発 一三番機  エドガー・マクエロイ中尉

 〇九〇七発 一四番機  ジョン・ハイルガー少佐

 〇九一五発 一五番機  ドナルド・スミス中尉

 〇九一九発 一六番機  ウイリアム・ファロー中尉


 十六機は悪天候であったにもかかわらず、全機無事に発艦に成功し、日本本土のそれぞれの目標に向かって飛行を開始した。ドーリットル機から一〇番機までは東京が目標であり、十一番と十二番機は横浜、十三番機は横須賀、十四番機は名古屋、十五番機は神戸、十六番機は大阪の予定であったが、実際は名古屋を爆撃した。

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