第二話 ラバウル占領

 南雲機動部隊はビスマルク諸島方面攻略への協力を要請され、一月一日に機密機動部隊命令作第十七号により、南方方面への作戦行動を明らかにした。


「機動部隊(第二空襲部隊欠)は整備補給完了次第「トラック」方面に進出 南洋部隊に協力して「ビスマルク」諸島及付近敵航空兵力及基地を覆滅し我が南洋に於る作戦拠点を獲得せんとす。

 第二空襲部隊は速に「ダバオ」方面に進出 南方部隊の作戦に参加し「アンボン」方面敵航空兵力の撃滅に任ず」


 機動部隊は整備補給完了後、一月八、九日にわたり柱島および呉から出港し、十四日トラック基地に進出した。


 機動部隊の編制は次のようである。


 機動部隊  指揮官 南雲忠一中将

  第一空襲部隊

   第一航空戦隊  

     空母  赤城  加賀

   第五航空戦隊

     空母  翔鶴  瑞鶴

  警戒隊 指揮官 大森仙太郎少将

   第一水雷戦隊 

     旗艦 軽巡 阿武隈

     第一七駆逐隊 駆逐艦 浦風 磯風 谷風 涼風

     第一八駆逐隊 駆逐艦 霞 霰 陽炎 不知火

     駆逐艦 秋雲

  支援部隊 指揮官 三川軍一中将

   第三戦隊  戦艦 霧島 比叡

   第八戦隊  重巡 利根 筑摩

  補給部隊

   第一補給隊  極東丸  神国丸  日本丸

   第二補給隊  日朗丸  第二共栄丸  登光丸


 尚、第二空襲部隊の第二航空戦隊の空母蒼龍、飛龍と第七駆逐隊の駆逐艦曙、潮、漣は「アンボン」方面の敵航空兵力撃滅のため別行動となっていた。

 

 南雲機動部隊は十七日〇七三〇トラックを出撃して南下し、二十日進出予定地点に達した。

 二十日一〇〇〇、四隻の空母から攻撃隊が出撃した。


赤城 指揮官 淵田美津雄中佐

    九九式艦爆 二十機  二五〇㌔×二十

    零戦     九機

加賀 指揮官 橋口 喬少佐

    九七式艦攻 二七機   六〇㌔×一六二

    零戦     九機

翔鶴 指揮官 高橋赫一少佐 

    九九式艦爆 一九機  二五〇㌔×一九

瑞鶴 指揮官 坂本 明大尉

    九九式艦爆 一九機  二五〇㌔×一九

    零戦     六機


 爆撃機八十五機、戦闘機二十四機の合計百九機は一一四〇ラバウルを攻撃し、敵戦闘機五機中四機撃墜、一機を不時着させ、地上施設に損害をあたえたが、加賀の九七式艦攻の杉原一飛曹機が被弾自爆、浜野二飛曹機が帰還時に海上に不時着、翔鶴の九九式艦爆中川三飛曹機が母艦付近まで帰りついたものの墜落して乗員は戦死してしまった。

 この攻撃後、第二次攻撃隊の出撃は中止されてしまったので、五航戦は東部ニューギニア方面に向い、一航戦は、翌日爆撃機三十四機、戦闘機十八機でカビエンを空襲して、敵施設に損害を与えた。

 二十二日、一航戦は再び爆撃機三十四機、戦闘機十二機をもってラバウルを攻撃し、残存していた施設に損害を与えた。

加賀の九九式艦爆二機が帰途不時着したが、搭乗員は二組とも救助された。


 攻略部隊を乗せた輸送船団は、第十九戦隊の「沖島」「津軽」らに護衛され、十四日一三三〇出航しした。途中、十七日、メレヨン東方にて、トラックを出航した六水戦と第四部隊の「静海丸」「黄海丸」「高瑞丸」と合同し南下を続け、二十二日二二〇〇攻略部隊はラバウルの沿岸に達し、上陸作業を開始した。


 一方、連合国側はビスマーク諸島、ニューギニアの防衛は豪州が担当しており、ラバウルには指揮官としてスキャンラン大佐を置き、歩兵二コ中隊、現地義勇兵、戦車砲隊などと、六インチ海岸方二門、三インチ高射砲二門からなり、空軍としては、ハドソン型四機、ワイアラウエイ型十機からなり、その総兵力は約千四百名であった。


 一一四〇楠瀬部隊を載せた上陸用舟艇が一斉に発進し、夜行虫の光る海面を陸岸へと進んだ。のちに花吹山と呼ばれる火山の火明かりで、目標地点は確認できた。

 楠瀬部隊の次は桑田部隊で、西飛行場占領の任務を帯びていた。こちらの上陸正面は低い丘陵地となっており、明かりもなく目標地点の確認には困難をきわめた。第九中隊は、西吹山の北方に上陸したが、海岸陣地があり鉄条網で防御されていた。豪州兵は逆に浮かびあがる日本軍をよく識別できた。日本軍が上陸するまで発砲せず、上陸し終わるや、全火器を集中した。

 第九中隊は射撃を避けるため南に移動したが、集結をすると再び豪軍の射撃、砲撃を受けた。中隊があげた信号弾を目標に撃ってきたのである。


 大隊の主力部隊は上陸後密生しているジャングルのなかを切り開きながら進んでいたが、第九中隊への銃砲撃を第一大隊へのものと思っていた。密林から出たときには明るくなっていた。これとは別に第八中隊は南崎占領の任務があり、上陸後少数の豪軍兵を撃破して南崎占領に成功し、一コ小隊をココポへ派遣した。

 桑田部隊は前進するなか、第八中隊に圧迫され後退する豪軍とラバウル方面から後退する豪軍と遭遇して遭遇戦となったが、戦意に乏しい豪軍は敗走していき、桑田部隊の先遣隊は午後一時十五分、西飛行場の一角に突入した。


 楠瀬部隊のうち、第一大隊は中崎砲台と東飛行場の占領任務を帯びていた。中崎砲台には十門の要塞砲があると情報を得ていたため、午前四時までに同砲台を占領できないときは、沖合に碇泊している輸送船を後方に後退させる必要があった。砲台占領の任務に向かう第二中隊長は「四時までに占領できないときは腹を切れ」と言われたという。二時十分に上陸点に達した第二中隊は砲台に向かったが、敵兵の姿はなく、海岸付近に日本海軍軍機によって破壊された砲二門を発見したが、残りの八門の所在を探した。午前四時になっても、砲台占領の信号弾はあがらず、海軍側は全艦艇にたいして予定の如く移動するよう命令したが、四時二十五分になってようやく占領を報せる信号弾があがった。結局砲十門というのは誤報だったので、存在していない砲を探していたのであった。


 南海支隊長の堀井少将は、横浜丸船上にあって第一回上陸部隊の様相を眺めていた。当初相当な抵抗があるのではと懸念していたが、上陸成功の信号弾があがり、堀井少将は舟艇に乗り移り騎兵中隊とともに上陸地めざした。

 堀井少将は一旦松島東方海岸に上陸したが、銃砲声が静寂なるを聞き、ラバウルに再び向い、ラバウル港第二桟橋に上陸した。堀井支隊長は第二大隊を求めて前進し、ラバウル市西端付近で会合した。第二大隊の戦況を承知した支隊長は、移動して連隊長、第一大隊長から戦況の報告を受けた。其の際、桑田部隊から電報が入った。

「八時二十分発。第三大隊主力は瀬戸山北側三叉路に於て飛行場より敗走する敵と交戦中にして飛行場の状況は不明なり」


 支隊長はすぐさま連隊長にたいし、第一大隊をすみやかに舟艇機動によって第三大隊方面に転進させるよう命じた。

 第一大隊はラバウル港を舟艇によってラバウル港から西吹山南海岸に上陸して西飛行場へ向かったが、その頃には第三大隊が飛行場を占領していた。


 一方、豪軍側の指揮官スキャンラン大佐は日本軍の輸送船団の接近とカビエンが攻撃を受けているという情報に接し、二十一日の午後次の指示を与えた。


一 部隊を全部地形的に暴露しているラバウル市西側の兵舎から他に移すこと

二 大尉の指揮する一コ中隊を臨時に編成して、南崎に派遣し日本軍の上陸に備

 えること

三 他の中隊は全部移動準備を完成すること、ただし兵員には「演習」として伝

 えること


 この第三項目の演習という言葉がいけなかった。兵員は食糧品などの携行せずに準備していたからだ。日本軍機の爆撃により、中崎砲台の砲は完全破壊され、飛行機もなく、飛行場は爆弾を埋めて爆破破壊した。工兵隊には爆弾集積所を爆発させたが、その爆風により、無線局の無線は故障して外部との通信は途絶されてしまった。

 日本軍の上陸に伴い配置についていた中隊は反撃したものの、戦力差から退却を始めた。豪軍は諸所で戦闘を交わしたが、大佐はもはや戦闘を続けても何の役にも立たないと判断して退却を命じ、できるだけ長く各々の線を確保するよう命じた。

 日本軍はラバウル南方方面と西方方面の掃蕩を始め、その後残兵を追っていたが、二月五日までに掃蕩戦は終わりとし、警備体制に入った。南海支隊の戦闘詳報によれば、

『「ラバウル」付近の敵は我が攻撃に依り主力は「ワイド」湾方面に南走し又有力なる一部は「アタリクリクン」湾を経て「ヴダル」川南方に壊走せるが如く此等の内我が掃蕩を免れたるもの或は所在に彷徨し然らざる者は二月五日以降続々我が方に投降し来れり』 

 とある。

 

 R攻略部隊はニューアイルランド島のカビエンの攻略も同時に実施した。上陸部隊は陸軍ではなく海軍陸戦隊が担当した。二十二日夜海岸に接近し、翌日午前二時三十分ごろ上陸に成功し、四時にはカビエン市内を占領した。

 カビエンには当初ウイルソン少佐指揮の豪軍が約二百名ほどいたが、上陸前には島の南東方面に逃亡しており、日本軍が上陸した時には豪軍どころか原住民もいなかった。

 三月十日までに判明まとめられた戦果損害は次の通りである。

豪軍

  戦死者 約三百

  俘虜  八百三十三名

  鹵獲品

   飛行機      八機

   要塞砲      二門

   高射砲      二門  

   速射砲     十五門

   迫撃砲     十一門

   機関銃    二十七挺

   軽機関銃     七挺

   小銃   五百四十八挺

   装甲車     十二両

   自動車    百八十台 

   オートバイ   十七台

   装甲艇      三隻

日本軍

  戦死  准士官以下   十六名

  戦傷  将校       三名

      准士官以下  四十六名

      斃馬    四頭

 輸送船部隊関係

   戦死     四名

   負傷    十八名

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