第二九話 加藤部隊長散華す

   エンジンの音 轟々と

   隼は往く 雲の果て

   翼に輝く 日の丸と

   胸に描きし 赤鷲の

   印はわれらが 戦闘機


 「加藤隼戦闘隊」の戦隊歌である。昭和十六年当時准尉であった田中林平により作詞された歌である。当時は隼装備ではなく、「飛行第六四戦隊歌」と呼ばれていた。歌が世に紹介されたのは「同盟ニュース映画」による配信であり、後に映画「加藤隼戦闘隊」の主題歌ともなった。レコードはビクター所属の灰田勝彦により収録された。灰田は「空の新兵」「ラバウル海軍航空隊」もレコーディングしている。

 この歌については粕谷俊夫著「加藤隼戦闘隊の最後」(朝日ソノラマ文庫)にも詳しく記載されている。

 それによると、昭和十五年部隊が南支で作戦行動中、田中林平准尉が丸太中隊長に部隊歌を作ったらどうかと提案をし、隊員に募集を募り、やはい田中准尉が一番となり、懸賞の酒一升瓶二本を頂戴したという。作曲は広東に戻った際に、南支の軍楽隊隊長の守屋五郎の依頼してできあがったものという。


 四月二十日、第六十四戦隊に戦死した安間大尉の後任として黒江保彦大尉が赴任した。黒江大尉は同じビルマ戦で独立第四十七中隊にあったが、四月十八日の東京初空襲によって、同中隊は急遽本土防空のために呼び戻された。しかし、黒江大尉は移動で第六十四戦隊に移ってきたのである。黒江大尉はその後エースとして活躍して戦死することなく戦いぬいた空の勇士の一人である。


 着任後の挨拶のことを自身の著書「あゝ隼戦闘隊」(光人社NF文庫)の中で次のように綴っている。


『私は第三中隊の天幕にはいった。

 みんながいっせいに立ち上がって、親愛感と信頼を顔に見せて挨拶してくれた。

「よろしく。みんなご苦労さま、仲良くやろうぜ」

 ただ、それだけでよかった。若いパイロットたちの瞳が笑って私を見た。その瞳のかげには、つい先日、戦死した安間克巳中隊長の人徳を偲ぼうとする回顧の情と、後任の私に寄せる期待があったようだ。剛勇にして、しかも戦のかけ引きを心得た前中隊長は、マレー、スマトラ、ジャワ、ビルマと戦ってきた歴戦の猛者である。いずれも他の中隊長が戦死して二代目となっていたのに、彼は全戦線を通じてつねに中隊をひきい、最少の損害で最大の戦果をあげつづけてきた。加藤部隊長の信頼もっとも厚く、その片腕としてかけがえのない人物であったが、中盤戦にさしかかったとき、まったく予想もしない空中戦で敗れなければならなかった。

 北ビルマ、ロイウィンの攻撃で、高位からの優勢な敵の攻撃をうけて、彼は散ったのである。部下にとって、信ずるにたる隊長の戦死ほどショックをあたえるものはない。

 黄色の矢印を、垂直尾翼にえがいた第三中隊の憂色は濃かった。そこへ私が着任してきたのである。それゆえに、彼らにとって、私に寄せる関心は大きかった。だから、ただ簡単なひとことの、「よろしく、ご苦労さま、仲良くやろうぜ」だけで、みんなの心に共感の火花が、ぱっとかよいあったのだ。

 〈部下たちは疲れている。彼らに対して、まず私がしてやらなければならないことは、みんなの心のシコリをほぐしてやることだ〉

 私は肌でそう直感した。

 中隊の先任将校遠藤中尉が、みんなを天幕の前に整列させた。私はみんなの前に進み出て、今日から自分の部下となる操縦者と整備員、約五十名を、右から左へ、左から右へとにらみまわした。荒々しい眼つきだった。

「名中隊長安間大尉のあとをうけて、私はただいま着任した。ごらんのとおり、眼つきの悪い強そうな大男である。が、オレは、根は極めてやさしい男である。誤解しないでくれ。安心してよろしい」

 私の最初の言葉で、みんなが微笑して私を見た。そこでさらにつづけた。

「しかし、空中戦はつねに勝たねばならん。諸君は、めいめいの持ち場で、この上とも一生懸命、努力せよ。操縦者は、空で戦うときは、おたがいに助けあって、けっして戦友を見殺しにしてはあいならぬ。オレはこういうボロなやつだが、いざというとき、諸君のたのみがいのある隊長でありたいと思っている。満身の情熱をもって、オレは諸君とともに団結してゆくつもりだ・・・いいか!」

 荒々しい声を打ち切った私は、信じ、愛する部下たちをさらに見据えた。一瞬の沈黙があって、みんなの若い瞳がじいっと私の睨みにこたえている。

 灼けつくような陽光の下で、第三中隊は、いまや完全に私という、一つの生命を中心にまとまったと思われる。』

  

 四月二十八日、九七式重爆二十四機の護衛に第六十四戦隊の隼二十機がマグエを出撃し、ロイウィン爆撃に向かった。

 このときの模様を安田曹長は手記に綴っている。片岡中尉機が敵P40戦闘機四機を右前上方千メートルほどにいて、重爆隊を狙っていた。


『突然、平野保軍曹が編隊を離れ、サッと敵の二番機にとびかかっていった。

「危い!」

 思わずそう叫んだ。彼は私たちの死角になる後下方に、まだ敵二機がいることに気がつかないのだ。

 二番機を狙えば、その後の三番機から射たれる。こういう時は最後尾機から攻撃していくのが原則である。

 二番機に対してまっしぐらに突進する平野機目がけて、敵の三番機から猛然と火が吐いた。

 平野機から忽ち白煙がどっと流れた。そしてそのまま降下旋回に移った。そこへ更に敵の四番機が襲いかかった。

 平野機は、白煙の長い螺旋形の帯を引きながら下へ落ちていく。

 出来ることなら、手をのばして平野機を引戻してやりたい思いだった。胸を緊めつかれる思いでみつめる平野機に、再び、四番機が射撃を加えようと迫った。

 ところが、どうしたことだろう、その四番機が、平野機の上にかぶさった。瞬間、二機はバラバラになって空中に飛び散った。舞い落ちる機体の破片がキラキラと反射していた。

 グラリ、グラリと、大きく回転して、落下する二機の胴体から、殆んど同時に黒い塊が放り出され、スルスルと白い帯が延びたかと思うと、パッと二つの落下傘が開いた。

 一つは純白、一つは黄色だった。

 ジャングルの濃緑色を背景にして、くっきりと鮮かに浮び出た。白は平野軍曹のパラシュートだった。

 空中衝突したので、平野軍曹は先ず死んでいる公算が強いと思った。

 平野軍曹にばかり気をとられてはいられない。忙しく上空を探した。

 右手から新たな敵二機が、私たちの編隊の前を、長い首を突き出すようにして下方に突っ込んで行った。

 狙っている!

 敵機の方向を辿ると、隼が一機飛んでいる。しかも敵機に気付いていないふうだ。

「敵だ!」

 思わず怒鳴ったものの聞こえるはずもない。敵機は、ぐんぐん迫って行く。

 火箭が伸びた。その隼は、私たちの目の前で忽ち火を吹き、クルクルと錐揉みになって墜ちていった。あっ気ない墜落だった。

 これが、最初に敵発見を報せた片岡中尉の最期であった。』

 

 基地では悲痛な持ちの夜を迎えていた。二人の戦士を失ったから当然であった。部下を失い放心状態の黒江大尉を加藤部隊長が呼んで次のように語ったという。


『黒江君、いいか、敵を撃墜するだけが戦闘機の任務ではないんだ。ときには、自分がやっつけられても、僚機がやられても、われわれの最終目的がなんであるかを忘れてはならないよ。今日は、それが、おれたちの任務だった。だから僕は、君らがうしろで空中戦をはじめたのを知っていたが、知らぬ顔してロイウインまで行ってきた。ね、いいかい、そこだ。これから辛いこと、悲しいこと、腹の立つこと、自分を情けなく思うこと・・・いろいろあるだろう。だが、大きな目的のために、われわれは自分を見失ってはいかん。君はきっと、八田君と平野君の最後を見てガックリしているのだろうが、それは、すぐ忘れてくれ。そしていつでも、全航空部隊のために、われわれが、どう役立たなければならないか、それだけをいつでも肚の底で忘れないようにしれくれたまえ。いいかい、けっして戦果を誇ったり、派手に動くことを、考えるのじゃないよ』

(黒江保彦 前掲書)

(筆者註・八田中尉は一月二十日シンガポールにて戦死しているので、記憶違いと思われる)


 その後、偶然にも五月四日になり墜落戦死したと思われた平野軍曹は敵中をさまよい帰還を果たした。

 また、この翌日の二十九日、ラシオにむけての落下傘部隊のの護衛で十六機が出撃した。ラシオ上空の手前で増加タンクを投下していったが、安田曹長機はタンクを落下させたものの、燃料が噴出しはじめた。何かの故障であった。安田曹長機のことが心配になり黒江中隊長は付き添って飛んだが、エンジンの回転数は落ち、安田曹長はジャングルのなかにわずかな草原地帯をみつけて不時着する。安田曹長は敵中を三日さまよい、敵兵を避けながら、前線の陸軍部隊に収容され五月二日帰還した。


 五月二十二日運命の日を迎えた。加藤部隊長はアキャブに進出していた。二十一日、敵機空襲をうけて離陸して敵機を追撃したが見失い、その後清水准尉機が機体に異常が発生したのか、落下傘降下した。加藤部隊長は清水准尉の捜索のために、ふたたびアキャブに着陸した。

 安田曹長の前掲手記には、当日おなじく出撃しているので、加藤部隊長の様子がよくわかる。


『昼過ぎまで待てば、清水准尉の消息について、何等かの手がかりを捜索隊がもたらしてくれるだろうというのが、部隊長初め私たちの考えであった。

 アキャブは何といっても最前線だった。情報を待つ間も、敵機来襲に備えて、ピスト付近に屯ろしていた。戦友たちと雑談を交わしているとき、部隊長が呼んだ。

「安田曹長、一寸こちらへ来い」

 私は部隊長の傍に直立した。

「安田、昨日はなかなか頑張ったな。御苦労さまだった。どうだ、記念に一つ写真を撮そう」

 意外な言葉に、私は恐縮した。部隊長のカメラは自慢のもので、寺内大将に随行してドイツに渡ったとき買ったものだった。

 光線の方に向き直った私を、カメラで狙いながら、部隊長は云った。

「照準線にこの通り収まったら、安田曹長機忽ち撃墜だね」

 珍しく、そんな冗談をいう戦隊長に、周りの者がドッと哄笑するのだった。

 写真を撮り終って、戦隊長がピストに入った直後だった。

「敵飛行機!」

 見張りの兵が叫んだ。

「廻せ、廻せ」

 そう叫び、戦隊長は逸早く航空帽を冠りながら、愛機のそばへ駆け出した。

 私たちも部隊長に遅れじと駆け出した。

 走りながら、敵機の来そうな北の空を探した。高度七百ぐらい、双発機が我々の基地から五粁ほど離れたアキャブ本飛行場上空へ侵入して行くところだった。

 私たちのいる仮説飛行場は、アキャブの本飛行場の北の田圃の中にこっそり設けられていた。本飛行場は毎日偵察を受け、爆弾を落とされるからだった。そこの滑走路は南北に向いており、私の乗機は北の滑走路のはづれに置いてあった。

 私は、既にプロペラが廻っている愛機に飛乗った。風は北から吹いていた。といって、今はいつものように南端まで機をソロソロ地上滑走させて行き、風に立って離陸する暇は無い。とにかく一秒でも早く飛び上るべきだ。風を背から受けたまま、滑走路の北端からスロットルを全開にして離陸に移った。

 なかなか機は浮かない。滑走路の南の端が近づいてくる。いけないぞと思ったとき、やっと滑走路の細かい震動が無くなった。

 敵の双発機は、本飛行場上空で旋回し始めている。垂直尾翼が一枚。英空軍の誇るブリストル・ブレンハイム中型爆撃機だ。

 私の離陸がトップだった。高度をとりながら敵に向った。

 風に立った正規の離陸で大谷大尉が二番目に飛び上り、加藤戦隊長が三番目だった。続いて伊藤、近藤両曹長という順序だった。

 空は昨日と同じように雲が多かった。敵機は本飛行場上空を半周した後、退路の北に針路を向けた。

 攻撃も私が皮切りだった。ブレンハイムは緩降下、スピードをつけて海上を逃げていく。私も後上方から過速にならぬように注意しながら突進する。戦闘機と違って目標はずっと大型だ。照準眼鏡で狙いながら、左手はレバーの機銃ボタンに当てている。

 二百五十米に迫った。私はボタンを押した。二条の曳光弾が伸びて爆撃機の胴体に届くのが、はっきり確認された。

 相手が戦闘機なら、百米まで近迫して射ち始めるのだが、ブレンハイムは、照準眼鏡をはみ出しそうだ。

 百五十米ぐらいに近づいたとき、後部の砲塔銃座から射ち出して来た。

 敵の曳光弾が、シューッと掠める。

 何糞とボタンを押す指先に力が入る。

 ガガーッ!

 耳もとで大きなショックがあった。

「やられた?」

 反射的に左足を蹴り、左手を倒し、レバーを一杯に押した。

 風が痛いように流れた。

 風防の真中に、大きな穴が開いている。枠に残った風防ガラスは目茶苦茶にひびが走っている。

 旋回操作しながら、チラッと目を走らせて機体を点検した。エンジンは好調である。先ず一安心だ。

 再び攻撃するため高度をとった。顔の表面が何だか変だ。汗が流れているような気がする。手袋のまま顔を拭った。拭った手袋に血がついている。血を見ると、急に顔が痛くなった。鮮血がポタポタと膝の上に落ちてきた。

 攻撃を断念して機首を陸地に向けた。今度は念入りに機体と身体を調べた。身体は顔の外に負傷は無かった。

 尾部を点検しようと振り返ったとき、二番目の攻撃に突進した大谷大尉機が、丁度攻撃終って機首を引き起そうとするのが見えた。と大谷機が突然ガソリンを吹き出した。翼タンクから滝のように流れ出ている。

「大尉殿、無事でいて下さい」

 心の中でそう念ずるより仕方がなかった。

 大谷機の状況を見届けている余裕がない。私はスピードを出して真直ぐ基地に飛んだ。

 (中略)

 愛機は、無事着陸した。

 機の誘導に駈けつけた整備員は、血で赤く染った顔を見て、驚いていた。

 二三分後に、大谷機も無事に滑りこんできた。

 やがて二機の隼が姿を現わした。しかし、その二機の中に、白線を二本引いた戦隊長機がいない。私たちは心配になった。

 地上滑走している機に向って、地上の搭乗員たちは走り寄った。

 二機は伊藤、近藤両曹長の機だった。二人の報告によって戦隊長の死を知った。私たちはただ茫然となるばかりだった。


 加藤中佐は大谷大尉に続いて三撃目に突進した。

 部隊長は、恐らく私と大谷大尉がやられたのをよく見ていた筈である。部下が簡単に二人も被害を受けたのを見て、あの情深い戦隊長は憤慨したに違いないのだ。

 いつも我々を指導していたように、加藤中佐は果敢に後上方から海面を匍う敵機に肉迫していった。隼から曳光弾が飛んだかと思うと、ブレンハイムからすぐ火が出た。

 隼は引起しにかかった。敵機は少しの間よろめいた。と、直ちに海面に激突し、ザーッと大きな水しぶきを上げて消えた。

 引き起しにかかった中佐機の翼端から、ちょろちょろと焔が出たと思うと、パーッと翼一杯に拡がった。近藤、伊藤両曹長は息を呑んで見つめていた。部隊長がちらりと後をふり向いたようだった。

 二人は部隊長の意図がすぐわかった。二百米の高度で、中佐機はいきなりくるりと反転した。機首が下になった。そのまま真逆様の姿勢で海中に突込んだ。水柱が立った。あっという間もない瞬間の出来事だったという。

 波の上に暫くの間炎々と焔が立ち昇った。二機は何回も何回もその上を旋回し続けた。敵機の油紋が少し離れた処に浮かんでいた。

 低空の反転操作自爆は、部隊長が我々に日常よく話していたことだった。低空の反転操作は確実に死ねるというのだった。

 負傷した私と、ガソリン・タンクに穴を開けられた大谷大尉とが、一足先に四百五十粁離れたトングーに帰った。

 トングーの滑走路は幅三十米、長さ千米あった。制動機やその他各所に弾を受けた愛機には三十米の幅は狭過ぎた。

 私は滑走路から十米離れた横を平行して掘られた排水溝に車輪を突込み、機を壊してしまった。これが長い私の戦闘生活での唯一の事故となった。

 報告のため、デング熱で基地に残っていた黒江大尉の前に行った。中隊長の顔には、私のまずい着陸への怒りが表れていた。然しすぐに血に汚れた顔に驚いたようだった。

 挙手の礼を終わった私は、衝動に耐えかね、異例にいきなり言った。

「部隊長殿が戦死されました・・」

「何にッ!」

 かみつくような声だった。

「ほんとか!」

 控所の者が一斉に立上り、私をとりかこんだ。』


 加藤部隊長を撃墜したのはハガード准尉機であり、他に二機に損害を与えたのであるから、大殊勲であったわけであるが、同機は被弾したものの墜落せずに無事帰還している。戦果確認の難しさがある。梅本弘氏の調査によれば、三月から五月にかけてのビルマ戦で、第六十四戦隊が落とした英軍機は十機であり、第六十四戦隊は九名が戦死している。


 南方軍司令官は加藤中佐の功績を讃え感状を授与した。


   感状      陸軍中佐 加藤健夫

 右者戦闘飛行部隊ヲ率イ今次作戦ニ従ウヤ新装備ノ戦闘機ヲ駆リ常ニ陸軍航空部隊ノ先鋒トナリ遍ク主要戦場ニ転戦シ果敢ナル攻撃ト卓越セル戦技トヲ以テ敵二百数十機ヲ撃墜破シむかウ所悉ク敵ヲ懼伏くふくセシメ戦局ノ帰趨に至大ノ貢献ヲナセリ又此ノ間遠距離進攻ニ将又地上攻撃ニ戦闘部隊ノ運用上幾多ノ新境地ヲ開拓セリ 部隊ノ赫々タル功績ニ関シテハ既ニ再度感状ヲ授与シテ顕彰スル所アリシガ其ノ戦功ハ一ニ中佐ノ特ニ高邁ナル人格ト卓越セル指揮統帥及優秀ナル操縦技能ニ負ウモノニシテ其ノ存在ハ実ニ航空部隊ノ至宝タリシニにわカニ壮烈ナル戦死ノ報ニ接シ痛措極マリナシ 茲ニ重ネテ感状ヲ授与シテ特ニ抜群ナル武功ヲ賞シ之ヲ全軍ニ布告ス

  昭和十七年五月三十日

      南方方面陸軍最高指揮官  伯爵 寺内壽一


 これが七度目の感状であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る