第二七話 第五十六師団ラシオ攻略

 第五十六師団は、四月十二日主力部隊はケマピユ、モチ間の地区で爾後の突進の準備にあたっており、一部をもってケマピユ北方のパサウンを占領していた。

 十五日早朝、ロイラー、ラシオに向け進撃を開始した。


 歩兵第百四十八連隊第三大隊を主力とする先遣隊は、ツーチャンに向かったが、敵の抵抗が激しく、先遣隊の攻撃は停滞した。そこで第二梯団であった歩兵第百十三連隊第一大隊が戦闘に加入することにより、英印軍は後退をはじめ、ツー河の渡河に成功した。先遣隊は前進をすすめ、ツーチャン東方に稜線上に進出し、後続の上田大隊、師団工兵隊も十七日朝にはツーチャン北方三キロの地点まで進出した。そこで、退却中の英印軍と増援部隊と交戦に及び、英印軍を撃破して大打撃を与えることに成功した。

 先遣隊は一八日正午にはボークレイクを占領し、さらに北上した。

 第百四十八連隊の一コ中隊は、別行動でナンペ橋梁の確保のために行動し、敵の背後に進出して、増援部隊を含む敵をこうげきして敗走させ、橋梁も無事に確保した。先遣隊もその後ナンペ付近に十六時頃には進出し、師団司令部も到着した。


 師団司令部は敵に立ち直る余裕を与えないためにも、夜を徹して進撃することを考え、先遣隊にさらなる前進を命じた。やはりまもなく敵の抵抗線に遭遇し、夜間になっても銃砲声が続いた。先遣隊の平井大佐は、夜襲の実施を考え、装甲車に歩兵部隊を乗車させ、敵陣地の強行突破を行い、敵の障害物や抵抗を突破して進撃をつづけ、十九日〇九〇〇にはロイコー南方一〇粁の地点にあるグエダウンまで進出した。

 後続部隊も続々と午後には到着した。

 

 トングーで分かれた左側支隊は、山路を切り開きながらぜんしんを続け、途中には敵を撃破しながら、十九日夜明けにはリユソウ付近に達し、敵の退路を遮断して十時頃には本隊に追及して合流した。


 師団はロイコー南方で爾後の攻撃準備を行い、松本部隊(第百四十八連隊主力とする速射砲、野砲を含む)をモンパイ方面からロイコー北方に進出させて敵の退路を遮断させ、松井部隊(第百十三連隊基幹とする部隊)をナンパレー、ロイコー、ホーポン道に沿う地区から北上して攻撃するよう下達した。松本部隊は二十日朝、モンパイ橋梁に達して、重慶軍第四十九師団の一守備隊を急襲して、橋梁確保に成功した。


 師団主力は東進中、第四十九師団の約一コ大隊と交戦撃破し、二十日昼にはロイコー北岸の市街に突入し、一部はロイコー南岸市街を占領した。ロイコー橋梁は炎上中であったが、工兵隊および防疫給水部隊が消化活動に入り消し止め、夕方には補修作業を終えていた。

 

 ロイコー付近は山地帯であったが、その北方は疎林から平原地帯となっており、部隊は自動車部隊をもって一気に進撃速度をあげ、なおかつ敵部隊とも遭遇なく順調に進撃した。


 第十五軍が四月二十日頃に集めた敵情判断は次のようになっていた。


一 第六軍の情況

⑴ 暫編第五十五師団の主力は、わが第五十六師団の攻撃により、ロイコー南方で

 大打撃をうけ、北方に退却中。

⑵ 第四十九師団は、依然その駐留地(マウクマイ)移動の情報に接していない

 が、四月二十日ロイコー北方で第五十六師団の得た死体中に第四十九師の第百

 四十六団第三営の連長が発見された。

 それにより、一部はロイコー北方の防備を担当しているのではないかと判断さ

 れた。

⑶ 第九十三師団については次の情報がある。

 ㋑ 第二百九十七団はタウンギーに移動を命ぜられた(四月四日A情報)

 ㋺ 第二百七十九団は四月十一日ケンタン発タウンギーに移動中、七五〇名は

  十五日ホーボン到着の予定(四月十二日A情報)

 ㋩ 四月二十日ホーボンで第五十六師団と交戦したのは第二百七十九団であ

  る。

 ㋥ ケンタンから泰緬国境に至る自動車道は徹底的に破壊された模様である。(A情報)

二 第五軍の情況

⑴ 第二百師団の主力はトングー付近で大打撃をうけ、残余はタウンギー北方に

 敗退した。

⑵ 第九十六師団および新編第二十二師団は、交互にわが進撃を阻止しながら、

 北方に退却中であり、トングー北方地区は新編第二十二師団、ヤメセン、ピン

 マナ間は第九十六師団、ヤメセン以北はふたたび新編第二十二師団が当面し

 た。

三 第六十六軍

 第六十六軍は主力をもってビルマ領内に進出したらしく次の情報がある。

⑴ 新編第二十八師団、第三十八師団は、四月七日興義を出発して、ビルマ領内

 に進入した模様(A情報)

⑵ 新編第三十九師団はすぐにはビルマに入らず霑益、曲靖の警備を担任させら

 れるという情報がある。

⑶ わが第三十三師団がエナンジョンで交戦した敵のなかに新編第三十八師団の

 部隊が混入していた。

四 第七十一軍の情況

 第三十六師団は移動中の模様である。

 同軍は以前入緬部隊として昆明付近に駐屯していたもので、前記の情報によ

 り、その移動先は判定し得ないが、同軍の行動は注目を要するであろう。

五 英軍部隊の情況

 すでに受けた打撃は大きく、第七機械化旅団は、ペグー、ぷローム付近でわが

 軍のため捕獲され、または擱座したものは戦車八三、装甲車六九にのぼり、マ

 グエ付近でその残余もほとんど潰滅したものと判断される。

六 インド軍の情況

 第十三旅団および第十七師団に属する第四十六、第四十八、第六十三旅団は、

 いずれもエナンジョン、マグエ付近で潰滅的な打撃を受けたようである。第十

 六旅団に関しては新報を得ない。

七 ビルマ軍の情況

 第一旅団はマグエ付近でほとんど潰滅したものと判断する。

 第二旅団はマンダレー南方地区にいるようである。

八 空軍の情況

 三月下旬の航空撃滅戦以来、蒋軍が北方から転用したと思われる大型一五、

 六機は、主としてローウィン、一部をラシオ付近に進出させ、そのうちの数

 機で、速力を利用してゲリラ戦法に出ているが、まだ捕捉するに至っていな

 い。


 軍はこれらの情況に基づき、二十日今後の会戦指導に関して軍隊区分の部署を次のように配置した。


軍隊区分

 第五十六師団

   欠如部隊  

     混成第五十六歩兵団

   配属部隊

     独立速射砲第一大隊の一中隊

     独立速射砲第六中隊

     野戦重砲兵第三連隊第二大隊、同連隊段列二分の一

     野戦重砲兵第十八連隊(第二大隊及

                同連隊段列二分の一欠)

     野戦高射砲第五十一大隊の一中隊、

           同大隊段列三分の一

     独立工兵第四連隊

     渡河材料第十中隊の主力

     独立無線第五十六小隊

     独立自動車第六十一大隊 

 第十八師団

   欠如部隊

     歩兵第五十五連隊第二大隊

   配属部隊

     独立速射砲第一大隊

     戦車第一連隊

     野戦重砲兵第三連隊(第二大隊及

               同連隊段列二分の一欠)

     野戦重砲兵第十八連隊第二大隊、

               同連隊段列二分の一

     独立混成第二十一旅団工兵隊        

     独立工兵第五中隊

     架橋材料第二十一中隊主力

     軍無線一小隊

     独立輜重兵第五十一大隊の一中隊

     独立輜重兵第五十二中隊

 第五十五師団

   配属部隊

     独立速射砲第一大隊の一中隊

     野戦重砲兵第二十一大隊(一中隊欠)

     野戦高射砲第五十一代隊(二中隊及

                 同大隊段列三分の二欠)

     独立輜重兵第五十一大隊の二中隊

     独立輜重兵第五十五大隊

 第三十三師団

   欠如部隊

     歩兵第二百十三連隊第二大隊

   配属部隊

     独立速射砲第五中隊

     独立速射砲第十一中隊

     独立混成第二十一旅団砲兵隊

     野戦高射砲第五十一大隊の一中隊、同

                    大隊段列三分の一

     独立工兵第二十六連隊(一中隊欠)

     渡河材料第十中隊の一部

     独立輜重兵第五十一大隊(三中隊欠)

     独立輜重兵第五十三中隊

     水上勤務一小隊

 軍飛行隊

     第八十三独立飛行隊主力

 軍直轄部隊

     砂子田大隊(歩兵第二百十三連隊第二大隊主力及

           山砲兵第六中隊)

     アキャブ派遣隊(歩兵第二百十三連隊第五中隊及

             機関銃中隊半部)

     歩兵第五十五連隊第二大隊

     戦車第二連隊第一中隊

     野戦高射砲第三十五大隊

     野戦高射砲第三十三大隊

     野戦高射砲第二十三連隊第四中隊

     独立工兵第二十連隊

     独立工兵第十四連隊第三中隊

     第十五軍通信隊

     第二十一固定通信隊

     架橋材料第二十二中隊主力


 同日、軍は次の命令を下達した。


一 軍は一兵団を以て「ラシオ」方面敵退路を遮断すると共に主力を以て「ヤメ

 セン」ー「マンダレー」道及「イラワジ」河に沿う地区より「マンダレー」方

 面に向い突進し敵軍主力の両翼を包囲し之を「イラワジ」河に圧倒撃滅せんと

 す

二 第五十六師団は「ロイコー」ー「ライカ」ー「ラシオ」道に沿う地区を「ラ

 シオ」方面に向い突進し敵の退路を遮断すべし

 独立第五十六歩兵団は「ヤメセン」ー「ミンダン」ー「ロイレム」道を前進せ

 しめ師団長の指揮下に復帰せしめる予定

三 第十八師団は「ヤメセン」東側地区に進出したる後「マンダレー」方面に突

 進し、敵主力の退路を遮断し之を捕捉撃滅すべし

四 第五十五師団は「ヤメセン」西側地区に進出したる後「マンダレー」西南方

 地区に向い突進し敵軍主力を「イラワジ」河に圧倒撃滅すべし

五 第十八師団、第五十五師団間の作戦地域は「ヤメセン」、「ミヨサ」鉄道と

 す

 但し「ピンマナ」ー「マンダレー」道の使用に関しては両師団協定すべし

六 第三十三師団は「ミンギャン」付近を経て「マンダレー」方面に向い突進し

 敵軍主力を捕捉撃滅すべし

 別に一部を以て「バーモ」に向い急進し「バーモ」及「カーサ」付近の退路を

 遮断せしむべし


 ラシオ進攻に際して、南方軍はパレンバンでの空挺部隊の成功にかんがみ、他の地区への投入を考えていたが、ビルマ作戦の展開に伴い、ラシオ方面に使用して退却する重慶軍の退路遮断のために投入する案が出て、第五飛行集団と第十五軍との間では了解が成立していた。だが、問題点もあった。効果は期待できるかであり、地上部隊の進出とのタイミングであった。地上部隊が進出に遅延をきたせば、空挺部隊は危険にさらされることは必定であった。


 四月二十八日、第五十六師団がラシオ南方二〇キロに迫ったことを確認し、飛行師団長の小畑中将は空挺作戦の決行日を四月二十九日に決定した。

 空挺部隊の挺進第一連隊の空挺隊と輸送機五〇機がトングー飛行場にて準備を整えた。

 だが、作戦実施日の前日、敵地上空の天候偵察のための百式司偵が地上滑走中、離陸しようとしていた襲撃機と衝突して、両機とも炎上した。このために、ラシオ上空の天候偵察のための偵察機の出発が遅れた。

 トングーに待機していた輸送機隊は天候報告を待ってからでは白昼の強襲となり、作戦に支障をきたすために敵地上空の天候が不明のまま離陸させた。天祐を祈ったのである。

 しかし、偵察機から入った報告はラシオ付近は雲に覆われ降下には適せずということであった。小畑師団長は挺進隊に対して「攻撃中止!帰還せよ」と命じた。

 挺進隊は反転し帰途についたが、二機がエンジン故障のため不時着し、別の一機は片発となって帰還したが、滑走路の西側の林中に墜落し乗っていた十五名が殉職を遂げた。

 ラシオは第五十六師団が占領したしまったため、挺進隊の作戦行動は中止となった。


 ラシオは重慶軍部隊の重要な要点であり、援蒋ルートの中間地点として膨大な軍需品が集積されていると軍・師団司令部は判断していた。ラシオ付近は新編第二十八師団が主体となって守備していると思われた。

 しかし、捜索部隊の偵察の結果はラシオ付近には敵部隊の所在は皆無であった。


 四月二十八日、歩兵第四十八連隊の第二大隊(松岡大隊)をしてラシオ南西約一〇粁の地点まで進出させて敵情を捜索させ、一部を斥候隊として要点まで前進させた。敵は少数部隊による抵抗があるのみで、主力部隊をもって二十九日払暁より攻撃をはじめた。

 同日一〇時ころには、敵の第一線部隊は退却をはじめたので、松本部隊は追撃戦を開始した。正午頃には市街地を占領してしまった。

 挺進隊の使用をしなくても、敵を遮断する作戦は成功を収めたのである。

 案の定、ラシオには相当数の物資が集積してあり、それらを鹵獲した。大いに助かったのは不足気味であった燃料の確保ができたことであった。


 竹下作戦参謀の前掲手記からみてみよう。 


「師団は、四月二十九日の天長節にはラシオを攻略しようとして、果敢な前進をつづけていた。しかし、自動車の折り返し使用による兵力輸送を活発に実施した結果、燃料の不足がふたたび切実な問題となった。

 そこで八方手段をつくして、ロイレム、ライカ付近の山中に秘匿してある燃料の捜索収集に努力した結果、ようやく一挙にラシオまで突進できる量を入手できた。

 この五十六師団が行った迅速な機動により、長躯トングー~ラシオ間千余キロを走破する作戦が成功したわけだが、これに使用した多数の自動貨車の配当は、大本営作戦課長服部大佐によって実現したものである。そして、その貨車輸送により敵を捕捉超越する戦法は、師団の手によって編み出された。

 それに加えて燃料の補給問題が、敵のものを現地で取得することによって満たされたことは、予期せざる天佑ともいうべきものであった。

 ライカからめざるラシオまでは、まだ百五十キロほどもあるだろうか。師団は、すでに戦意を失っている敵を追って、ワンモン、ケシマンサン、マンカット等で敗敵を一蹴し、四月二十八日にはナンマ橋梁に達した。そして午前十時ごろには、マンビュエン付近に進出して、ラシオ攻撃を準備した。

 このころ、ラシオ付近には重慶軍六十六軍の二十八師が進出している模様であった。同地は重慶軍主力の重要な退路上の要衝であり、いままで蒋介石総統もしばしばこの地に来て、督戦していたとも伝えられる。

 また従来、援蒋物資の輸送上の中間基地として、膨大な軍需品が集積されていた関係もあり、この地では当然、頑強な抵抗が行われるものと、軍、師団ともに判断していた。

 そして、その陣地は地形上、ラシオ南側の外輪山の線または市街の直接防御か、とも考えられていた。しかし、捜索の結果、ラシオ付近には大した敵はいないようであった。

 これより先、南方軍では十五軍のマン会戦を支援するため、空挺部隊をラシオに降下させ、敵の退路を遮断させる作戦を計画していた。そして、その降下時期、地点等を細部を十五軍と打ち合わせていた。

 その結果、戦況の進展に伴い、四月二十九日払暁、ラシオ市東側地区と決定し、十五軍はその降下に策応して二十九日、攻撃を開始することに決した。

 当日朝、師団長以下が待っていると、やがて轟々たる爆音をとどろかせながら、数十機の空挺部隊が飛来した。しかるに折悪しく、そのへん一帯は濃霧がたちこめていたので、降下を断念して、飛び去ってしまった。

 師団は予定どおり攻撃を開始し、大なる抵抗をうけることなく、正午ごろにはラシオ市街を完全に占領した。これで任務の一端を果たしたわけである。

 ここで押収した援蒋物資は、膨大な量にのぼった。付近のジャングル内に隠匿されていた燃料も、少なくなかった。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る