第二五話 マンダレー会戦に向けて

 第十五軍は重慶軍の押収書類や動向によって、三月十五日に策定した作戦計画の一部を変更することになった。タウンギー、メイクテイラ、エナンジョンの会戦発起線を、ロイコー、ヤメセン、エナンジョンの線に修正したのである。


 三月末の敵情判断をもって、三月十五日に策定されたマン会戦計画は四月三日次にように改定された。


   マン会戦計画

   第一 方針

 軍は有力なる兵団を以て「ラシオ」方面の敵退路を遮断せしめ主力を以て「トングー」ー「マンダレー」道及「イラワジ」河に沿う地区より重点を右翼に保持して「マンダレー」方面に向い前進し敵軍主力の両翼を包囲し「マンダレー」以西の「イラワジ」河に圧倒撃滅す

 爾後軍は「ラシオ」「バーモ」「カーサ」の線以西に於て残敵を捕捉撃滅すると共に機を逸せず有力なる一部を以て怒江の線に追撃す

 軍主力の「マンダレー」付近進出は五月上旬とし「ビルマ」領内残敵掃滅の終了は五月下旬と予定す

   第二 指導要領

一 第五十六師団は四月二十日頃「ロイコー」を発進し「ロイコー」ー「ライ

 カ」ー「ラシオ」道に沿う地区を「ラシオ」付近に向い突進し敵の退路を遮断

 すると共に爾後の機動を準備す

 同師団の「ラシオ」方面進出は五月十日頃と予定す

 泰国軍若し攻勢に出づる場合に於ては第五十六師団の「ロイコー」発進と共に

 「ビルマ」に進攻せしめ「ケンタン」及「マウクマイ」方面の重慶軍を撃破せ

 しむ

二 第十八師団は「マンダレー」ー「トングー」鉄道以東の地区より「マンダレ

 ー」東側に向い突進し「マンダレー」ー「ラシオ」道を遮断すると共に敵軍主

 力の左翼を包囲し「イラワジ」河に圧倒撃滅す

 状況に依り(「ミンダン」ー「タウンギー」ー「ナウンキオ」道又は「タウン

 ギー」ー「ラシオ」道の景況等)「ミンダン」より有力なる一部又は主力を以

 て「ナウンキオ」又は「ラシオ」方面に迂回せしむることあるを顧慮す 其の

 決定時機は「ヤメセン」進出迄とす

三 第五十五師団は「マンダレー」ー「トングー」鉄道以西の地区より所在の敵

 を捕捉撃滅しつつ「マンダレー」西南側地区に進出し敵軍主力を「イラワジ」

 河に圧倒撃滅す

四 第三十三師団は主力を以て「イラワジ」河東岸地区を先づ「ミンギャン」に

 向い突進し引続き敵軍主力の右翼を包囲しつつ「マンダレー」付近に敵を圧倒

 撃滅す この際有力なる一部又は師団の主力を以て「ミンギャン」付近より

 「イラワジ」河北岸地区を「マンダレー」北側地区に進出せしむることあるを

 予期す

 本会戦間適時一部を以て「イラワジ」河西岸地区を「バーモ」に向い急進せし

 め「バーモ」「カーサ」及「シュエボ」付近の退路を遮断す

 西北方に退避せんとする英印軍に対しては之を包囲圏内に併せ捕捉する如く勉

 むるも脱逸せるものに対しては一部を以て撃攘し主作戦の遂行に支障なからし

 む


 第五十六師団は軍の作戦命令に基づき、トングーに進出して第五十五師団の戦場にかけつけ、兵力を集結させたのち、最初の目標地ロイコー付近に向かう準備を整えた。ロイコー南方には重慶軍の第五十五師団が進出していると予想され、これを撃滅して北上する計画をたてた。

 四月一日、先遣隊の捜索連隊長平井大佐はトングーを出発した。先遣隊の兵力は歩兵第百四十八連隊の第二大隊を主力とする部隊で、自動車四百両に及ぶ自動車部隊の編成であった。しかし、当初は順調であった新軍は、途中橋梁の破壊により、自動車を降り徒歩行軍となった。

 昼間の行軍は暑さのため水も欠乏しており、夜行軍に変更して前進したが、道路も破壊され、地雷埋設にも進軍は滞り、敵の抵抗ともあいまって、将兵の疲労は極限に達しようとしていた。平井大佐も疲労のため担架に載せられての前進となった。先遣隊は二日、四日、六日、八日、十日と敵と交戦しながら前進し、遺棄死体二五二、捕虜四二の戦果を収めたが、先遣隊も戦死七、戦傷三三名の損害を受けた。


 四月三日、第一梯団の歩兵第百四十八連隊主力がトングーを出発、砲兵連隊主力が続き、歩兵第百十三連隊主力が後衛として出発した。ほかに左側支隊として歩兵第百十三連隊の第二大隊が山地内を前進したが、この道は牛車の道であり、行軍は炎暑と水の欠乏により疲労は蓄積した。また、道路事情により糧秣関係の補給は円滑を欠く状況であった。


 一方、第五十五師団の歩兵第百四十三連隊は、トングー方面に南下する敵を阻止するために、トングー西方にあるナンチャンに進出し、進撃してきた戦車四を有する敵兵千数百名と遭遇して、これを撃退したが、敵は続々とその兵力を投入してきており、榴弾砲を含む砲兵隊支援のもとに、約二千五百名の兵力をもって逆襲してきたが、わが連隊はこの攻撃を阻止して撃退することに成功した。

 敵は後退して陣地を構築して我が方の進出を阻止しようと図った。敵の兵力は約四千に達すると判断された。

 師団は野戦重砲兵第三連隊の一五センチ榴弾砲を展開して掩護射撃をさせ、歩兵第一四三連隊をもってこの敵を攻撃し、四月七日〇八三〇陣地を奪取した。連隊は敗走する敵を追撃したが、敵はその北方に陣地を構築しており、頑強に抵抗した。

 師団は八日両翼から包囲する形で敵陣地に対する攻撃を開始し、十日夜にようやく陣地奪取に成功し、追撃に移った。

 歩兵第百四十三連隊、歩兵第百十二連隊は追撃して敵を撃破しながら前進をすすめ、十五日にはタワチを占領していた。


 軍司令部は敵情判断にもとづき、第五十五師団と上陸して北上してきた第十八師団をもって、ピンハナ付近の敵を捕捉撃滅しヤメセン付近に進出展開する計画であった。


 前掲の軍参謀の竹下少佐の手記からみてみよう。

『五十五師団はトングー攻略後、本道に沿う地区を、頑強に抵抗する重慶軍の歩々の抵抗を撃破しながら前進中であった。しかるに軍司令官は、ピンマナ付近の陣地は五十五師団と新たにラングーンに到着した十八師団の両師団をもって攻撃し、これを捕捉撃滅したあとには、速やかに予定展開線たるヤメセン付近に進出させることに決した。

 そこで、第五十五師団にたいしては、四月十九日払暁から、敵主陣地の右翼方向に向かい攻撃すべきを命じ、ラングーン上陸後、北進中の十八師団にたいしては、十九日払暁までにシッタン河東岸をピンマナ地区北方に進出し、敵を捕捉撃滅すべきを命じた。

 こうしてピンマナ戦は、新来の十八師団にとっては、ビルマにおける緒戦となった。当時、ビルマの暑熱は堪えがたく、部隊は焦熱をおかして戦闘したため、落伍兵が続出して、苦しい戦闘となった。

 五十五師団は一四三連隊と一一二連隊とを併列して、十九日払暁、ピンマナ市街の西側地区を、その北側に進出した。市街にはもう大きな兵力はなく、同日午後三時ごろには市街の掃蕩を終わった。

 師団当面の敵は、重慶軍九十六師の主力で、ピンマナ防衛に戦意がなく、軽戦ののち退却した。その後、シッタン河東岸から遠くピンマナの背後にまわった十八師団のため、大打撃を受けることになった。

 一方、十八師団は軍命令にもとづき行動をおこし、その先遣隊(五十六連隊基幹、藤村益蔵大佐)は四月十七日、鉄舟によってミオラの渡河点でシッタン河を渡り、同河東岸地区を北進した。

 夜行軍中も酷熱、炎暑堪えがたく、落伍者が続出した。ピンマナ北側、その退路上の要衝イエジン付近に着いたのは、十九日払暁となった。

 ここで藤村大佐は、斥候の報告によって、キダウンガンおよぼその東方一帯には有力な敵部隊が充満していることを知った。そこで藤村大佐は、一部をイエジンに残してピンマナ方面の敵に備え、主力を率いて二十日四時に出発し、キダウンガンの攻撃に向かった。

 その地の敵は集落外周はもとより、集落内の道路上の要点にも掩蓋機関銃座を設け、その抵抗は執拗をきわめた。先遣隊は攻撃をはじめるや、たちまち損害が続出した。そのうえ、弾薬が欠乏し、しかも至近距離に敵と対峙しているため、炎天下に水を求める手段もなく、将兵はまったく苦境におちいった。

 こうして二十日夜もその態勢のまますぎ、二十一日には弾薬の補充がつき、重砲一中隊の加入もあったので、攻撃を再開した。しかし、頑強な敵の抵抗はなおやまず、先遣隊は同夜、夜襲を決行した。この夜襲によりさしも頑強な敵も退却をはじめ、約四百の死体を残して北方に敗走した。

 一方、師団主力の前衛は、二十日の正午ごろ、歩兵団長佗美少将の指揮によってイエジンに到着した。そして、この地を守備していた先遣隊の残置部隊から付近一帯の敵情を知り、さらに捜索を行なった。

 その結果、イエジンの北方六二四高地にも有力な敵がいることがわかった。そこでこの高地を東方から迂回攻撃するため、同夜イエジンを出発、二十一日払暁から攻撃を開始した。

 このころ、師団本隊の一コ大隊も南方から六二四高地の攻撃に加わり、午後四時ごろには、この高地はわが有に帰した。

 その占領にともない、牟多口中将も幕僚を引きつれてこの高地に登った。そのころ、まだキダウンガン方面の銃砲声は聞こえていたが、やがて五十五師団長竹内中将もこの高地に登ってきて、両将は堅い握手をかわした。』

 

 こうしてみると、意外な敵は英印軍、重慶軍よりも炎暑と水不足と伝染病との戦いでもあった。

 兵站と衛生管理が大変だったことがわかるが、敵を殲滅することが第一の目標であったために、兵隊自体の戦うための管理体制が欠如していてことがわかる。他国の軍隊であれば、これ以上戦うことなど戦意喪失していたことであろが、日本軍は強靭な精神力で補っていたと思うと、頭の下がる思いである。


 軍司令部は四月十九日、両師団に対し爾後の作戦行動について次のように命令を下した。

一 十八師団は「キダウンガン』「カズニン」間の地区に兵力を集結したる後

 『ヤメセン」付近に向い前進すべし

二 第五十五師団は「ピンマナ」付近の残敵を掃蕩し「ピンマナ」「セイクナン

 ド」「イワドウ」間の地区に兵力を集結したる後第十八師団に続行し「ヤメセ

 ン」付近に向い前進すべし


 さて、第三十三師団はプローム占領後、残敵を求めて北上し、プローム北方約五〇粁の地「アランミョウ」を占領して、兵力を整え、さらに北進の準備をおこなった。師団の占領目標地点は「エナンジョン」で、「アランミョウ」から北方へ約百粁の地点であった。この「エナンジョン」は豊富な油田地帯であったが、付近一帯は砂漠地帯でもあった。

 一九三八年の産油量は約一億一、二一八万ガロン(約四二四千トン)と記録されている。


 第三十三師団はエナンジョンに対する攻撃のために、次のような作戦計画を立案した。

    第三十三師団作戦計画

一 荒木部隊【歩兵団司令部、歩兵第二一三連隊(第二大隊欠)、山砲兵第三三

 連隊(第三大隊および第六中隊欠)、工兵第三三連隊主力、独立速射砲第五中

 隊、衛星隊(三分の二欠)】は、イラワジ河左岸に沿って前進し、まずマグエ

 を攻略す

二 原田部隊【歩兵第二一五連隊(第三大隊および第四中隊欠)、軽装甲車隊、

 独立速射砲第一一中隊、山砲兵第七中隊、独立混成第二一旅団砲兵隊、工兵一

 個中隊(一小隊欠)、野戦高射砲第五一大隊の一個中隊、同大隊段列の三分の

 一、衛星隊の三分の一】は、サットワ・トングウィンギ方面の連合軍に対し、

 師団の右側を掩護するとともに、連合軍をけん制して師団主力の作戦を容易に

 する

三 作間部隊【歩兵第二一四連隊(第一大隊欠)、山砲兵第三大隊(第七中隊

 欠)、工兵一個小隊、衛星隊三分の一、防疫給水部の一部属】は、極力企図を

 秘匿しつつ、一挙にエナンジョンを急襲し攻略する

四 師団直轄部隊(歩兵第二一四連隊第一大隊、歩兵第二一五連隊第三大隊)

 は、師団司令部とともに荒木部隊の後方を前進する。独立工兵第二六連隊はイ

 ラワジ河を躍進し、随時兵力輸送に当たれるように準備する

五 各攻撃部隊は、四月九日没後、一斉に前進を開始する。輜重兵連隊は自動車

 部隊をもって、作戦第一夜、まず作間部隊、次いで原田部隊の前進に協力する

六 作間部隊の攻撃が成功すれば、師団の全戦力を集中して戦果の拡張をはかる


 四月九日日没後、第三十三師団は行動を開始した。

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