第二四話 加藤隼戦闘機隊
翌日の四月九日日のことである。偵察の結果、敵機はまだローウィンにいることが判明したため、加藤戦隊長は優秀者を選抜してローウィン攻撃を決意した。十日未明、戦隊長は部下を率いて出撃した。このときの模様を檜中尉の手記から引用してみよう。
『「中尉どの。三時であります」
という当番の声に、私ははっと目をさました。きょうこそはローウィンを前進基地とする、恨みかさなる米義勇軍を相手に、亡き安間大尉以下の葬い合戦をやる日である。
私は洗顔とパン食を軽くすませると、いそいで戦闘指揮所へ出むいた。加藤部隊長は、もう気象班の将校から熱心に話をきいていた。
部隊長の考えは、夜間航法をもってローウィンに進入し、敵をまず在地で撃滅することのあった。
月齢は二十三日、眉毛みたいに細い月が出ていた。計器の不備な戦闘機で、昼間進攻も困難なところへ、夜間進攻六百有余キロを飛んでいこうというのである。
夜間飛行の経験の浅い私は、心中ひそかに期するところがあった。
タイ国の三時は夜中である。
飛行場では、試運転の排気が青白く点滅している。全員が心配そうな顔を暗い電灯の下に集めて、話し合っていた。
「命令!」
闇をつらぬく凛とした声ー。きょうはまた、一段と冴えわたっている。おそらくは、加藤部隊長もまた期するところがあったのだろう。
「部隊はただちに出動、夜間航法をもって、ローウィン飛行場を攻撃、敵機を地上において捕捉撃滅せんとす。航法だに成功すれば、敵殲滅の確信を有す」
五時四十五分だった。私は部隊長僚機として、編隊離陸した。後を振り向いたが、他の機影は見えない。偏流をなくすために、エンジン全開でふっとばしていたので、他の僚機は追いつけないらしい。どこを見ても錯覚を起こしそうになる。部隊長機と衝突しては大変だ。極度の緊張をおぼえて、翼灯をたよりに夢中でついていった。
やがて、部隊長の大きな頭の格好が、ぼんやりと見えはじめた。飛行機はサルウィン河のひだを低空で縫っていた。山と山とのあいだを、たくみに旋回してゆく。
部隊長の顔がはっきり見えてきた。うしろを振りむくと第一中隊の片岡正中尉の一個編隊がつづいている。遠藤中尉の編隊は、途中から引き返したらしい。部隊長と私と片岡編隊の五機である。
八時五分、高度三百メートルで薄もやにつつまれた滑走路を発見した。部隊長は、急激に翼をふって攻撃を下令し、まっ先に突進した。なんとトマホーク二十三機が、カバーをかぶせたまま、ずらりと並んでいる。
「思い知ったか!」
と、地上四、五メートルくらいまで降下して、反復攻撃をくわえた。
地上からなにも射ってこない。八時五分といえば、まだうす暗く、眠っている時間だ。飛行機の胴体と翼に、攻撃ごとに頭が入るような穴が、いくつもあいた。およそ全部やっつけたと思ったころ、部隊長の翼が、大きく集合の合図をしている。部隊長の僚機の位置にピタリとつくと、はじめて部隊長が、後を振り向いて白い歯を出して、にこりと笑った。』
帰還した加藤戦隊長は、疲労の顔を見せながらも第二撃の出撃を企図していた。檜中尉は帰還後激しい嘔吐をもよおし苦しんでいたが、集合命令により本部前に向かった。
『本部前には、疲労の色のこい加藤部隊長が立っている。
「やあ、けさはご苦労であった。・・・命令を下す。部隊はただちにローウィンに第二撃を指向し、残敵を空中にもとめてこれを撃滅する」
(中略)
九機でがっちり組んだ編隊は、ローウィンめざして全速で駆けていった。任務必遂のためには、私事を考えぬ部隊長の信念である。
あと四十分で目的地に到着する。私は機上で、加藤部隊長の黒眼鏡をかけた顔がふり向いて、歯が白く光ったとき、私の脳裡に、突如、反省の気持がわいてきた。
そして、部隊長の姿を見ているあいだに、目頭が熱くなってくるのをどうすることもできなかった。
敵は地上でやっつけても、飛行機を補充すればいいので、いまこれでやめれば、いままでの苦労は水の泡となるのだ。
要は敵の空中勤務者をやっつけねばならない。
「おれはいま二十二歳だが、加藤部隊長は四十歳。しかもいままでの戦闘の連続に、たとえ一機の場合でも、みずから出動して行かれている。おれたちとは、身心の疲れも比較にならない。なんたるいくじなしか、恥を知れ」
と、私はわれとわが心に鞭を打った。
もう敵地のも寸前に迫ってきた。翼に白だすきの加藤部隊長機は、闘魂烈火と燃えて突き進んでゆく。
十七時五分、ローウィン飛行場をはるか斜め左に見ながら、高度六千メートルで進入した。
午前中の天気とちがって、ふきん一帯は断雲でおおわれている。部隊長はしだいに高度を下げ、三千メートルぐらいになったときである。私は、前方を直角に接近してくる敵戦闘機四機を発見した。早暁の攻撃で、腹を立てて怒りに燃えている敵操縦者の粒よりにちがいない。
私は急激に翼をふり、速度を増した。
敵はあざやかな操作で、遠藤編隊に攻撃をしかけてきた。
私は、とっさに機首をこの敵に向け、赴援射撃をした。敵はそれに気がついて、中途で攻撃を断念して下へ突き抜けていった。
私は敵の編隊長機を追って、そのまま急降下に移った。射距離に入ろうとすると、敵はたくみに雲の中へ入る。私もまた雲の中を追う。十回ぐらい、雲を出たり入ったりした。後を向いても雲である。
いくら米義勇軍でも、これだけ雲を突っ切ってまで援護してくる僚機はあるまいと思った。が、これがそもそもの油断であった。
最後の大きな雲から出た瞬間、敵の後下方三十メートルくらいのところであった!射撃しようと思い、その前に念のために後方を見た。
しかし、そのときには、たしかに渦巻く白雲しか見えなかった。
だが、私が狙いをさだめて一連射うつのと、カンカンカンッと機体に命中音がするのと、同時であった。正面の計器盤がくだけ、顔は血だらけとなった。そして、左腕と左臀部に激しい衝撃を感じた。
右翼を見ると、ひとかかえもあるようなガソリンのもれる大きなすじが尾をひいている。
私はとっさに飛行場へ機首を向けて、格納庫に向かって突っこんでいった。
そのとき、どうしたことか、私の脳裡には、四月八日の戦闘で戦死された安間大尉機以下四人の戦果放送を、敵が誇らしげにやった、ということが浮かんできた。
「どこで死んでも同じだ。高度はあるし、山の中へ行って死のう」
そう決心して機体を引き起こし、機首を山の方へ向けた。落ちついて左手で顔をぬぐうと、べっとりと、血がついてきた。ガソリンの洩れはなくなっている。
後方で僚機の三砂曹長と、佐伯軍曹が、私に攻撃してくる敵とさかんに戦闘をまじえている。
私は翼を振って訣別を告げ、正面を向いた。
そのとき、一機の敵が、正面から射撃してきた。しかし、回避することもできなかった。呆然として、カンカンと、翼に弾丸が命中する金属性の音を聞いただけである。
もう追ってくる敵もない。
下を見るとサルウィン河の交差点の上空である。この河の水が、ずっとタイ国まで流れているのだ。これに沿って帰れば基地につく。私はそのとき生きようと思った。
どんなことがあっても生きよう。基地へ還ろうと思った。翼の両端は弾丸でくだけ、ぴらぴらしている。
尻の方が血でべっとりとする。少し落ちついてきた。燃料が心配だ。右タンクは排出して一滴もない。左タンクにも弾丸が一発当たっている。角度は浅いようであるが、果たして燃料がどこまで残っているか、これだけがたよりである。
基地まで二時間の飛行。それは長い死との戦いの飛行であった。エアポケットの動揺にも、どきんとした。もうエンジンが止まるか、もう燃料はつきるかと、時計とにらみ合わせ、神に祈りつづけて飛んだ。
チェンマイが見えはじめた。タイ領に入ったのだ。
私は、目から涙が出るのをどうすることもできなかった。飛行場上空で、燃料は完全に切れた。
私は滑空で着陸した。被弾二十一発。左の背中、心臓のまうしろの落下傘縛帯で鉄鋼弾がとまっていた。
私は、奇蹟的に生還できたのだ。ただ僚機の三砂曹長が帰らなかったことが、残念でならなかった。開戦いらい直接の僚機を失ったのは、これがはじめてであり、しかも、私の油断と不注意と、被弾がもとで僚機をなくしたことは、万死に値する。
ー三砂、すまない。
責任感が、ひしひしと私の心を痛めた。
三日後、三砂曹長の未帰還を知らされて、私は陣中日誌にこうしたためた。
「四月十三日・・・アア遂ニ我ガ親愛ナル部下ハ帰リ来タラズ。サルウィン河ノ水清ク、天澄晴レドモ予ガ胸中、実ニ安ラカナラズ・・・」と。
左臀部にうけた毛貫銃創が膿をもち、痛みが激しく、チェンマイの宿舎で寝ていたが、飛行場から帰ると真っ先に訪れてくる部隊長が、きょうはニコニコしながら入ってきた。
「どうだ痛むか?もう戦闘もおわった。しんぱいしないでバンコクの病院へ行ってこい。飛行機の準備がやっとついたよ」
部隊長のやさしい心づかいに甘えて、私は翌日、バンコクの病院に入院した。』
加藤隼戦闘隊は上空で待ち構えていたトマホーク四機とハリケーン四機との空戦となり、遠藤中尉と安田曹長が、ハリケーン隊のピーター少尉機とバリック軍曹機を撃墜したが、後藤曹長機と三砂曹長機が撃墜されてしまった。
安田曹長の手記にその撃墜模様がある。
『わが編隊は、四機の敵に向って突進した。
優勢な隼に喰いつかれたP40は、直に編隊を撹乱されてバラバラになった。
私は、すぐに一機の後にとりついた。敵は私を振り切ろうとして懸命にもがいている。しかし、旋回性のいい隼は、ジリジリと距離を縮めていった。
二百米、百五十米、まだ私は引金を引かない。
青天白日のマークが鮮かだ。
百米。射撃には自信があった。機銃のスイッチを押す。二条の赤い火箭が迸り出た。
弾はー翼に、胴体に、吸い込まれるように命中した。
と間もなく、わが機の十三粍機関砲が、バッタリと止まった。
「チェッ!」
思わず舌打ちした。残った七・七粍一挺だけが健気に火を吐き続けている。
P40は急旋回する。私はぴったり後にくい下がって、これを追う。追いながら十三粍砲の装填をガチャガチャやり直した。やっと弾が出始めた。
「よし、これなら墜せる!」
そう思って、私は再び徹底的に追躡した。十米、更に五米に近寄って射ちまくった。しかし敵機はなかなかしぶとい。墜ちる気配も示さない。
下は鬱蒼とした濃緑のジャングル。
あたりを大急ぎで見廻すと、わが機と、わが機を追う敵機の他は、敵も味方も一機も見当らなかった。
十三粍では致命傷を与えることが容易でないと痛感した。命中しながら墜ちない敵機を目前に見ているのは焦立しかった。
更にその上、今まで唸り続けていた七・七粍機銃が止まった。
「しまった!」
全弾を射ち尽くしたのだ。折角ここまで追い詰めながら、みすみす取り逃がすのかと思うと残念だった。と、その時、急に敵機の姿勢がおかしくなった。ちょっと頭を浮かしかけたP40は、くるりと機首を下にした。そしてすーっと墜ちていった。
私は旋回しながら、敵機がジャングルに突っ込むのを見届けて帰途に就いた。』
一式戦隼を保有する飛行第六十四戦隊にとって、過酷な空戦の日々であった。まだ当時の陸軍の主力は九七式戦闘機であって、英軍がバッファロー戦闘機が主力であったマレー戦ではよかったものの、ここへ来てハリケーン戦闘機が主体となっており、米義勇軍のトマホークが相手ではベテランパイロットならいざしらず、戦闘機の性能からいえば互角ではなく、隼が必要であり、広大な戦域をもつビルマ戦を戦うには隼の航続距離と空戦性能が必要であった。が、まだ隼は正式採用されてまもなく、機数の保有や補充も十分ではなかったのである。その中で飛行第六十四戦隊ー「加藤隼戦闘機隊」ーの存在は日本軍のみならず、連合国側にもその名を響かせる結果となっていくのである。
このローウィンを巡る空戦は、加藤戦隊長にとって苦しい緒戦の撃滅戦であり、優秀なパイロットを失った悲しみの戦いでもあった。
この先、アキャブ、チッタゴンとまだまだ苦しい戦いが待っていた。
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