第二三話 中部ビルマの航空撃滅戦

 三月七日、南方軍は第三飛行集団に対して、以下の航空部隊に対しビルマおよびタイへの派遣を命令した。


  第十五独立飛行隊  偵察部隊

  第十二飛行団

  第七飛行団

    飛行第六十四戦隊   戦闘機部隊

    飛行第十二戦隊    重爆部隊

    飛行第九十八戦隊   重爆部隊

    独立飛行第五十一中隊 偵察部隊

  第十八航空地区司令部

  第十七、第二十三、第九十四飛行場大隊の主力

  第三十六飛行場大隊

  第五飛行場中隊

   第七輸送飛行隊

   高射砲第二十連隊

   第十五野戦航空廠の一部

   独立自動車第二百八十中隊


 航空部隊の使用する燃料弾薬は海路ペナンを出港した小型商船四隻で輸送された。ラングーンに揚陸された物資は、五〇キロ爆弾二、五〇〇発、MG弾徹甲一〇〇箱(一三八、〇〇〇発)、同焼夷弾八五箱(一一七、三〇〇発)、保弾子二〇箱(一〇〇、〇〇〇個)、ヒマシ油二〇〇ドラム、鉱油一〇〇ドラムで、直ちにミンガラドン、レグー、マウビの各飛行場に輸送された。


 三月二十一日、マグエ、アキャブ地区にたいする攻撃が開始された。

 同日、飛行第三十一戦隊の軽爆十七機はムドン飛行場を飛び立ち、ミンガラドン飛行場に進出した。

 一〇四〇ミンガラドン飛行場にブレンハイム爆撃機九機が来襲し、爆撃により九七戦一機が直撃により爆破炎上した。続いてトマホーク三機が襲来して銃撃を加えてきた。第五十戦隊の石川戦隊長は数機の部下とともに離陸してこのトマホークを捕捉し三機を撃墜した。

 その後再びハリケーン戦闘機十機が襲来し、上空哨戒中の戦闘機と交戦したが、飛行場に駐機していた飛行機は銃撃により大きな被害を受けた。

 この日の損害は炎上二機、大破十一機に達した。

 この損害にもかかわらず、計画通りにマグエ攻撃は実施された。レグー基地を発進した九七戦三十一機はマグエ上空の制空に向かったが、敵機の奇襲をうけて戦隊長の岡部中佐は被弾自爆してしまった。


 第九十八戦隊の二十五機、第十二戦隊の二十七機は第六十四戦隊の一式戦に護衛されマグエに向かった。指揮は各戦隊機を有する第七飛行団の山本飛行団長が司偵に同乗して行なった。

 マグエ上空は雲に覆われていたため、推測で爆撃を行い、五〇キロ爆弾を投下したが、効果は不明であった。その後九十八戦隊が現場上空に達するや、雲はなくなっており、五〇キロ爆弾を飛行場の秘匿基地部分に投下した。

 この日の第二撃は第四と第十の飛行団が担当した。第三十一戦隊はミンガラドンで敵襲による被害から一〇機の出撃にとどまった。第四飛行団は九七戦十四機、軽爆十七機をもってマグエを攻撃し、在地機大型二十一、小型機四を爆破したと報告した。つづいて第三十一戦隊の爆撃機がマグエを爆撃した。

 この第二撃は大きな戦果を挙げて炎上八、撃墜八、撃破二十七の戦果を報告し、日本側は四機が未帰還となった。

 

 三月二十二日もマグエに対して二撃が加えられた。

 第五十戦隊の十三機、第八戦隊の十二機、第七十七戦隊の十四機、第三十一戦隊の十二機、第十二飛行団の九七戦三十四機を以て飛行場を爆撃したが、この日は上空に敵機の姿はなく、全機帰還した。

 午後は第六十四戦隊の十八機、第十二戦隊の二十七機、第九十八戦隊の二十六機を以て行われた。

 この日の攻撃の戦果は地上での炎上一八機、火網捕捉一九以上、銃撃破四と報告された。

 二三日、二十二日の偵察でアキャブ飛行場に多数の敵機の存在が判明したため、攻撃目標はアキャブとされ、第九十八戦隊の二十六機に掩護として第六十四戦隊の十六機をつけ、飛行場を爆撃し六機炎上を報告し、戦闘機隊は二機撃墜を報告した。

 

 二四日、飛行第六十四戦隊の一式戦は午後の攻撃に備えてチェンマイで翼を休めていた。そこへP40六機が来襲して銃撃を加えてきた。この銃撃で炎上三、損傷十数機の損害を受けた。高射砲の射撃で二機撃墜を報告した。落下傘降下したパイロット一名を捕虜としたが、米国義勇飛行隊の隊員であった。


 この日のことは檜與平中尉手記の「つばさの決戦」の中にも記されている。

『三月二十四日のことだった。この日、われわれは、連日の作戦につかれた翼をやすめていた。払暁には、私はまだ寝床の中にいた。そのときである。飛行場の方向で銃弾の音がするので、ガバととび起きた。

 すると庭の方で、加藤部隊長が、カメラを肩に、「あいた」という声がする。まったく油断しているところを、米義勇軍のトマホーク六機が、連続して対地銃撃を加えてきたのだ。

 竹内中尉と本山中尉が、動いている自動車に飛び乗って飛行場へ向かった。地団駄ふんでもしかたがない。こてんこてんにやられた。三機が完全に炎上させられたのである。戦闘機隊の恥辱、これ以上のものはない。

 高射砲で二機撃墜し、一名を捕虜とした。』


 午後飛行第十二戦隊の二十七機、第九十八戦隊の二十六機、第六十四戦隊の十一機でアキャブ飛行場を攻撃し、全機帰還した。六十四戦隊は撃墜三を報じた。英軍はパイネ軍曹機、バトラー軍曹機が落とされ、フレッディー軍曹は負傷して不時着している。

 同日、偵察機はアキャブ飛行場の北西十キロ付近に秘密飛行場を発見したため、ここへの攻撃を命じ、第六十四戦隊は二十七日に十八機を以て攻撃に向い、迎撃にあがってきた戦闘機一〜二機を撃墜し、対地銃撃により十一機を炎上したと報告した。


 この日の攻撃も檜中尉の手記によれば、

『十一時十五分、基地を飛び立ってアキャブに向かった。

 この日は、第二中退が攻撃にあたり、第三中隊が支援、部隊長と第一中隊が上空掩護である。

 アラカン山脈を越えてから、部隊長は、椰子の木すれすれの超低空にうつった。アキャブにそそいでいる河を下る小舟のなかで、ビルマ人が上を向いて、われわれを見上げているのがわかる。

 ますます超低空で、市街の東側を通過して、秘密飛行場らしい場所へきたが、なかなか見つからない。

 するとそのとき、部隊長機が、さっと地面すれすれに舞いおりて一撃するや、急上昇にうつった。敵機の所在を示して、上空掩護に移ったのである。

 よく見ると、そこには、大型一機、小型戦闘機十機がそろえてある。私は、僚機の後藤曹長と三砂栄吉曹長に合図して、攻撃にうつった。まず飛行機の側方から攻撃を加えるべく、翼の先の方から、翼面にかけてさっと射ちながした。すると、トマホークのエンジンの下から、赤い舌がぺろっと出た。その瞬間、ぱっと燃え上がった。こんどは掩体内の一機だ。前方から右翼の付根を狙って弾丸をうちこんだ。右下を見ると、ものすごい黒煙をふいて燃え上がっている。

 だが、攻撃の手をゆるめるわけにはいかない。やっと見つけた宿敵なのだ。私はさらに上昇反転して、大型機をねらった。敵機と、ちょうど真正面に向きあうくらい水平に下がって、一連射を浴びせた。敵機のプロペラにつっかかると思うほど下がっていたのだが、狙いたがわず翼の付根付近が爆発して、燃え上がった。

 ふと上空を見ると、大胆にも宙返りで攻撃し、引き上げては宙返りで反復攻撃している飛行機がある。竹内中尉である。彼らしい強引さで盛んに闘志を燃やしている。私も負けてはならじと矢つぎばやに攻撃、五機を炎上させた。

 もう目標はなくなった。十一の火煙が立ち昇る中を、悠々と帰途についた。』


 三十日には、プローム付近で激戦を演じる第三十三師団からの救援要請により、英印軍の戦車装甲車部隊に対して爆撃隊を出動攻撃させ、多数の車両火砲を爆破していった。

 そして、陸軍航空隊はマグエ、アキャブを制圧するにいたり、次の目標はラシオおよびローウィンに向けられた。

 ラングーンに対して敵機の襲来は少数機によって行われたが、敵機の捜索をしてもなかなか発見できる機会は少なくなってきていた。四月八日のことである。司令部偵察機はローウイン飛行場に小型機十五機の存在を認めたと報せてきた。

 第六十四戦隊の加藤戦隊長は初陣の黒木中尉や高橋中尉らを率いてローウィン攻撃に向かった。この日、檜中尉は、加藤戦隊長によばれ、メイミョウに対する爆撃隊の掩護のために一小隊を率いて飛び立ったが、帰ってくると基地が空になっていることがわかり、皆ローウィン攻撃に向かったことを知り、檜中尉は胸騒ぎを覚えていた。案の定加藤戦隊長が帰還すると、四人の搭乗員が未帰還となったのであった。

 この日英軍はレーダーで攻撃隊の接近を知り、P40戦闘機八機とハリケーン三機を離陸させ上空で待ち構えていたのだ。


 この時の模様は安田曹長の手記に詳しい。

『私は操縦桿を思い切り左に倒した。同時に左足でフットバーを強く蹴った。

 翼をぐーっと傾かせロールさせた。地平線がぐるりと回転する。すぐに大地に向って、真逆様の姿勢となった。いつもの急反転の操作である。

 滑走路めがけて真っしぐらに急降下する安間大尉の編隊長機に遅れぬよう、私はレバーを軽く押す。

 ロイウイン飛行場に並んだ四機のP40が、ぐんぐん大きくせり上って来た。高度計をチラと見る。針は二千米を割ろうとしている。射撃に移るのも近い。そう思って照準眼鏡を覗こうとしたとき、突然赤い火の矢が左方を掠めた。曳光弾だ。

 しまった。敵機だ!

 後をふり向くと、どこにひそんでいたのか二十機ほどのP40が、早くも私たちにかぶさっている。

 態勢は完全にこちらが不利だった。このままでは敵に食われ

ることは必定だった。とっさに私は、右に急旋回した。旋回しながらぐっと座席に押しつけられている身体をひねってふり仰いだ。と、敵機は前に出て、機首を引起しかけている。うまくかわすことができたのだ。私は一先ずホッとした。

 今日の私たちの編隊は十六機。敵の在地機がたった四機だったので、おかしいと思った私たちは、上方、後方の警戒を充分したつもりだったが、誰も敵機を認めなかったのである。それが編隊を解いて急降下に移っている最中に、不意にー全く不意の敵がかぶさって来たのである。不覚の至りだった。

 とは云え、優勢な敵に上から抑えられたのでは、如何にして脱出するかが先決問題である。必死になって敵をかわした。かわしながら、わが方に犠牲が出るかも知れないと思った。いやな感じだった。

 どの機も敵弾を避けるのが精一杯である。こうなると、私たちの編隊は当然の成行きであるが、バラバラになった。バラバラであるが、それぞれ無事に離脱して立直らねばならない。

 敵弾を回避しながら、離脱の方向を探っていると、火を吐いている機が、ちらっと映った。恐らく味方機であろうが、私はそれがP40であれと祈った。

 又一機火を吹いた。これは、はっきり隼であることが視認された。

 やっとの思いで敵機をふりきって四辺を見廻した。味方機は

それぞれ離脱したらしく、見当たらない。私は機首を基地に向けた。

 気がつくと、飛行手袋の中が、油汗でぬるぬるして気持が悪い。

 ただ一機、山岳とジャングルの上を飛んだ。

 着陸後、私の中隊長安間大尉機と他三機がまだ帰ってきていないことをしった。

 安間大尉は、六十四戦隊の先任中隊長で、わが部隊では大切な人だった。』


 結局、安間克巳大尉、和田春人曹長、黒木忠夫中尉、奥村宗之中尉の四名が未帰還となった。加藤戦隊長は四名の部下を失い、椅子にどかりと腰を下ろしたまま、頭を両手でおさえ、何事も語らずいたという。特に安間大尉は部隊長代理を務めるほど信任あつかった人柄であったといい、和田曹長もノモンハン以来のベテランであったから、加藤戦隊長の心中はいかばかりであったであろうか。

 檜中尉にその夜呟くようにこう語った。

「檜、おれはかならず、きょうの恨みははらしてみせる。いいか、人間はいかなる困難にぶつかっても、投げてはいかんぞ。方法はきっとあるものだ」

 その時はすぐ訪れた。

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