第二〇話 ベンガル湾機動作戦 

 馬来部隊のうちベンガル湾掃蕩の機動部隊は四月一日一四〇〇メルギーを出撃した。ベンガル湾はアンダマン諸島からインド東部にかけての三角形の形をした湾である。日本軍はビルマへの英軍の救援物資の海上ルートを阻止するために、巡洋艦部隊と潜水艦部隊とを以て、短期間ではあるが輸送船掃蕩作戦を実施した。この頃が大戦期間を通じると一番通商破壊戦が実った時となった。


 作戦に参加する機動部隊は次のような兵力であった。


馬来部隊指揮官

第一南遣艦隊司令長官 小沢治三郎中将

中央隊 司令長官直卒

  旗艦 重巡 鳥海

     軽巡 由良 

  第四航空戦隊 指揮官 桑原虎雄少将   

     空母 龍驤

  第二十駆逐隊 駆逐艦 朝霧 夕霧

北方隊 指揮官 第七戦隊司令官 栗田健男中将

  第七戦隊 重巡 熊野 鈴谷

  第二十駆逐隊 駆逐艦 白雲

南方隊 指揮官 重巡 三隈艦長 崎山釈夫大佐

  第七戦隊 重巡 三隈 最上

  第二十駆逐隊 駆逐艦 天霧

補給隊 指揮官 駆逐艦 綾波艦長 有馬時吉少佐

  駆逐艦 綾波 汐風 

  油槽船 日栄丸(一〇、〇二〇 トン)

  ( 日栄丸は川崎型と呼ばれる一万トン級油槽船十三隻の一隻であり、海軍の

   艦船補給に重責を担った)

警戒隊 第三水雷戦隊司令官 橋本信太郎少将

  第三水雷戦隊  駆逐艦 六隻 


 美幌空の索敵機がサバン島の西側を六〇〇浬にわたって索敵を実施したが、この日は獲物の発見はなかった。

 二日南方部隊指揮官近藤中将は「愛宕」に座乗し本隊を率いてセレター軍港を出発した。この日馬来機動部隊はアンダマン諸島とニコバル諸島の中間海面へと進んでいた。美幌空は前日に引き続き索敵を実施したが、敵船の発見はなかった。


 三日伊七号潜水艦はその搭載機をもってコロンボ偵察の任務をおびていたが、敵の警戒が厳重で飛行機による偵察は不可能と報じてきたので、小沢中将は南雲機動部隊の攻撃は一日繰り下げることは必定と判断して、馬来機動部隊の行動も次のように変更した。


一、馬来部隊機動部隊の攻撃日を一日延期する

二、〇四一三反転、針路を九〇度とし爾後ニコバル諸島の東方海面を機宜行動

 する

三、「龍驤」の飛行索敵を明四日に延期する

四、第十一駆逐隊の主隊から解列ポートブレア回航を一日繰り下げ四日とする 


 あたかもこの日〇六四五には連合国軍のボーイング型三〜四機、ロッキード型一機が警戒隊泊地に来襲して、照明弾を投下しながら爆撃を加えてきた。さいわい駆逐艦「夕霧」が至近弾により被害を生じたものの、他に被害はなかった。艦隊は応戦により大型機一機を撃墜したと報じた。

 東港空飛行艇は一四三〇に

「敵輸送船七隻『カルカッタ』の一九度一二〇浬針路一八〇度速力一二節」

 と報告してきた。

 四日、馬来部隊機動部隊はリトル・アンダマンの南東六〇浬付近に達したのち、針路を二七〇度とし十度海峡に向かった。前日補給のためポートブレアに向かった「由良」は〇七二五に主隊と合同、これと入れ違いに第十一駆逐隊は〇八〇〇に主隊から離れ、警戒隊に編入されてポートブレアに向かった。機動部隊は十度海峡通過後〇八五八針路を三三〇度とし、中央隊、南方隊、北方隊の分進点であるC点に向かった。


 一〇〇〇に東港空はトリンコマリーを偵察し港内に

「中型以上商船八、大型駆逐艦一隻」

 と報告してきた。

 空母「龍驤」は午前に艦攻四機、午後艦攻三機をもって所定海面を索敵したが敵船は発見できなかった。

 五日〇三〇〇主隊は針路を三二〇度に変針し、〇四二〇第二十駆逐隊が主隊に合流した。

 〇八五五「龍驤」は艦攻三機を発進させ、前程二六〇浬を索敵させたが敵船発見には至っていない。

 この日南雲機動部隊がコロンボ空襲を実施した報告を受け、ベンガル湾一帯での作戦行動を実施していった。

 「龍驤」は一四三三以降、艦攻一〇機に六〇キロ爆弾を装備させての索敵を実施した。艦攻隊は次々と敵商船を発見した。

 第七戦隊の「戦闘詳報」にある「龍驤」からの索敵


発見報告は次のように記載されている。

  時刻   地点      種類隻数   針路   記事

 一六四〇 E86-20 N18-50   特務艦一 ー     六〇㌔直撃一

 一七〇五 N19-30 E86-5   大型商船五  二四〇

 一七二五 N17-50 E84-14  商船 一   二二〇

 一七四〇 N18-10 E84-30  商船 一    四〇

 一七四二 N16-52 E82-45   商船 二   二六〇  爆撃一炎上


 一九三五馬来部隊指揮官は

「中央隊は一七度二〇分北八三度四〇分東に向う 各隊は概ね離岸三乃至四〇浬付近となる如くD、F点を変更し予定の如く行動せよ」

 との命令が伝えられた。さらに二〇三〇

「陣列を解き予定の如く行動せよ」

 との命令が伝えられた。


 六日各隊は作戦行動を開始した。

 中央隊は〇八五六F点付近に達し、〇九〇〇「龍驤」は南方及びビザガパタム付近の索敵を艦攻四機を発進させた。

 第七戦隊は〇九〇〇N19-38 E87-85 の地点にて熊野一号機、鈴谷は一号機、二号機を発進させ索敵に向かわせた。

 〇九一五N19-38 E87-85の地点にて三〇七度方向に檣二本を認めたので、二十四節に速度をあげ接近していった。

 〇九二七熊野一号機より

「敵輸送船見ユ 我出発点ヨリノ方位三二〇ー一三、敵針三五〇度 〇九一五」

 つづいて

「先の商船ノ南六浬ニ油槽船一隻見ユ」

 と報告してきた。

 〇九三五には檣二本の船は一万トン級の油槽船一隻であることが判明したので、「熊野」はこれを攻撃すべく行動をとった。さらに〇九四〇 二九五度方向に数条の煤煙を認め、しばらくすると輸送船六隻からなる船団と判明した。


「熊野」は油槽船に迫り〇九五二距離八二〇〇米で砲撃を開始した。双眼鏡でみると敵船の後部甲板には八糎ないし十二糎の砲があるのが見受けられたが、敵船は応戦する気配もなく、はやくも短艇を降ろして退船している乗員の姿がみうけられた。「熊野」は距離五千米まで近接しながら約四分間にわたり砲撃をつづけ、敵油槽船は火災を発生して傾斜に及んできたため、撃沈確実と判断して砲撃を中止し、二九〇度方向の輸送船六隻に指向した。


 六隻からなる輸送船団は単縦陣にて航行中であったが、「鈴谷」が迫るや一斉に西方に回頭して陸岸に向いはじめた。「鈴谷」は一〇四〇 距離八五〇〇米まで迫ったところで砲撃を開始した。敵船は煙幕を展張しながら今度は北に向きを変えた。

「熊野」と駆逐艦「白雲」は敵の退路を断つべく北方より迫っていたので、逆に「熊野」との距離は縮まる結果となった。

 一〇五〇「熊野」は距離五二〇〇米にて砲撃を開始した。

敵輸送船は前方三隻が一万トン級で次が四千トン級、残り二隻が六千トン級と判断した。

 「鈴谷」と「熊野」「白雲」は両方から挟撃する形で六隻に砲撃を浴びせ、一一五〇全輸送船を撃沈した。七隻を撃沈するに要した砲弾は

 二十糎砲弾  五二三発

 一二・七糎砲弾 二五〇発

 (以上 巡洋艦二隻)

 一二・七糎砲弾 二〇〇発 

 (駆逐艦)

であった。

 日本艦隊は撃沈後、索敵機を揚収するために反転して陸岸より離れ針路一五〇度をとった。この間、敵ハリケーン戦闘機三機が来襲し、熊野一号機と空戦となったが、鈴谷二号機が掩護戦闘に入り、敵戦闘機は去っていった。熊野一号機は被弾すること一九発に及んだが無事に着水し揚収された。

 

 〇〇五〇針路二四〇度方向に煤煙が認められたので、そちらに向首して近づくと、船尾付近に火災を発生させ漂流している一万トン級の商船一隻であった。「熊野」がこの商船の処分にあたった。「熊野」は主砲二〇糎四十八発、一二・七糎砲七発をもってこれを撃沈した。


 同日、南方隊として行動している「三隈」と「最上」は敵商船五隻を撃沈した。

 中央隊の「鳥海」を旗艦とする部隊は次の戦果をあげていた。

一 鳥海

   〇九四四 英国商船  一万五千トン級 一隻撃沈

   一一一九 英国油槽船  九千トン級  一隻撃沈

   一一四〇 英国油槽船  三千トン級  一隻撃沈

   搭載機の爆撃により

      貨物船  一隻大破 

      武装商船 一隻大破

二 由良、夕霧

   〇九五五 蘭商船    三千トン級  一隻撃沈

   一〇四五 英武装商船  六千トン級  一隻撃沈

   一一四五 蘭武装商船  三千トン級  一隻撃沈

三 龍驤 艦載機

   大型商船 八千トン級  一隻撃沈

   中型商船 五千トン級  一隻撃沈

   大型商船  四隻 大破炎上または航行不能

   小型商船  二隻 大破


 馬来機動部隊は作戦行動を完了して、各隊はそれぞれ帰途についた。戦果は六日の一日に集中していたが、各隊とも戦果をあげ、総合で撃沈二十一隻、約一三七、〇〇〇トンに達し、他に大破させたもの八隻、約四七、〇〇〇トンに達した。


 一方、潜水艦部隊は潜水艦六隻を投じて、商船六隻撃沈、機帆船四隻撃沈、商船一隻大破の戦果をあげた。一週間の作戦期間で潜水艦部隊がこれほどの戦果をあげたことは上出来であったといえよう。

 

【伊二潜】

三月二十八日一二〇〇ペナンを出撃。四月三日、トリンコマリの偵察報告を行い、敵哨戒の警戒厳重につき湾口付近には接近できないことを報告し、その後の天候なども報告した。

七日には中型貨物船一隻を魚雷二本で撃沈と報じているが、該当する連合国側の船舶は不明である。

 九日に南雲機動部隊による空襲ののち、トリンコマリーを偵察して次のように報告している。

『九日「ツリンコマリ」ノ一四三度八〇浬付近ニ潜航中目撃セル敵情左ノ通

一、一四三〇頃南下シ来ル汽船二隻共飛行機ノ爆撃ニ依リ沈没

二、一五一五西方ニ当リ飛行機ノ爆撃ニ依リ一大爆発起リ火災天ニ冲シタルモ瞬時ニシテ消失ス 艦船ノ轟沈ト認ム』


 この大爆発は何であったのかはわかっていない。

 伊二潜は翌十日配備を終て十五日昭南に帰投した。

【伊三潜】

伊三潜は伊二潜と同じ三月二十八日ペナンを出撃し、四月三日以降コロンボ港の偵察任務と周辺の天候偵察にあたった。

 その後七日、コロンボの西一〇〇から一五〇浬において七隻からなる輸送船団を発見し、襲撃したが、魚雷の命中はなく、浮上して砲戦の結果英国船エルムデール号に砲弾十四発を命中させ撃破したが、沈没までは至らなかった。翌八日〇四五〇コロンボの西一八〇浬付近で英貨物船フルタラ号(五、〇五一トン)を発見し、魚雷一本でこれを撃沈した。

 十日伊三潜は哨戒区を離れ十五日昭南に帰投した。

【伊四潜】

伊四潜も三月二十八日ペナンを出撃、コロンボ近海に向かう途中、四月六日モルディブ諸島の水道で米貨物船ワシントニア(六、六一七トン)を発見し魚雷二本を命中させ撃沈した。十日、コロンボ沖合で機帆船(二〇〇トン級)を浮上砲撃してこれを大破炎上させた。その後哨戒任務を終え十六日昭南に帰投した。

【伊五潜】

伊五潜は二月二十八日の座礁事故によりケンダリーで修理ののち、三月二十五日インド洋に向け出撃し、作戦行動をしていたが、敵船との会合はなく、四月十六日昭南に帰投した。

【伊六潜】

伊六潜は三月二十六日ペナンを出撃、ボンベイに向かう途中、同月三十一日中型貨物船一隻を発見し、襲撃態勢に入ったが病院船であることが判明したので雷撃は中止した。四月二日一七一四ボンベイ沖合にて英貨物船クロンロス(五、八九七トン)に対し魚雷二本を発射、一本が命中して同船は沈没した。七日二二〇〇英貨物船バハダー(五、四二四トン)を雷撃した。最初の二本は発見され回避され、伊六潜はさらに魚雷二本を発射したがこれも命中せず、伊六潜は浮上して砲撃を開始したが、途中で砲故障のため再び潜航し、今度こそと魚雷二本を発射し、二本とも命中して撃沈した。十日には一五〇トン級の機帆船二隻を発見し、浮上して砲撃しこれを撃沈したのち、十七日昭南に帰投した。

 補足だが、伊六潜は開戦直後ハワイ作戦に参加し、一月十一日に米空母サラトガを発見し、魚雷三本を発射、内一本が命中してサラトガはボイラー室三箇所が浸水する被害を受け、そのためにサラトガは真珠湾へと回航され、六ヶ月間修理を要した。当初レキシントン級空母一隻撃沈の殊勲を挙げたが、実際は半年間の戦列を離れさせたことは殊勲といえよう。

【伊七潜】

伊七潜は三月二十八日ペナンを出撃し、セイロン島の航空偵察に向かったが、四月一日潜水艦英哨戒機カタリナ飛行艇から爆撃され爆弾二発を投下され至近弾となったが、運よく不発弾だったため被害はなかった。その後敵哨戒艇の警戒が厳しく、航空偵察は中止し、以後気象偵察を行うだけとなった。

 三日〇七四〇英貨物船ダレンシールを発見、N1-0 E78-11 にて魚雷二本を命中させ、その後浮上して砲撃し同船を撃沈した。伊七潜は四月十五日昭南に帰投した。


 馬来機動部隊と呼応しておこなわれた約一週間の潜水艦部隊の戦果は貨物船六隻撃沈に対し、実際は五隻撃沈。一隻撃破。機帆船四隻撃沈であった。

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