第九話  ラングーン占領

 ペグー戦に関して、読売新聞の報道班員である若林政夫氏の手記が迫るものがあるので、引用紹介したい。英軍もラングーンに入れさせまいと必死であった。戦車装甲車は英軍が格段に戦力を保有し、人員はほぼ互角。士気は断然日本軍に有利あった。


『鈍重なにぶい轟音がきこえて来たと思ったら、数百メートルの前方から戦車がラングーン方面めざして爆進して来た。

「敵だ、敵襲!」

 凄壮な将兵の声がゴム林を包む。そのつりあがった眼は連日の不眠不休で赤鰯の眼のようにあかく濁っていた。

 汗とほこりで赤茶色ににしめたような手拭で後鉢巻をすると、その上に鉄兜をかぶって、攻撃陣地にすばやくつく、総てが零距離だ。

 しまったと思った時には青い迷彩をした戦車が十メートルばかり前方に迫っていて、どうにもならないので、一歩一歩ゴム林の中に退いて行ったが、窪地はない。仕方がないので、ゴムの木のいちばん太そうなのをみつけようとしたが、そうお誂えむきなのがなかなかない。ちょうど眼の前にうずたかくつみあげてあったチーク材の薪の蔭に身体を潜めて、じっと呼吸をこらした。

 青白いスマートな姿が現われたとみる間に味方の機銃が、山砲が、速射砲が一斉に火を吐いた。敵の応射もはげしく弾は意外に低く、ゴムの葉をかすめ、竹を折って横殴りの雨のようなのには参った。身動き一つできなかった。

 それなのにおかしなもので、何んだか自分だけは当らないような気がするのだが、生きた心地がしない。スピードの落ちた最初の一台が千鳥足で行ったとみる間に火達磨になって逃げて行った。

 濛々とあがる白煙の中に装甲車が横腹をみせてゆく。まだ一台も擱座しない。三台目の奴がいちばん頑張った。猛烈な応射だった。モミ殻の山を崩して、全身に砂とモミ殻を浴びてしまった、しまったと思っても、いまは手遅れだ。危いと後のゴムの大木の蔭に入ろうとした途端に、僕の防暑帽をつぶして、一束の薪が頭の上に落ちて来た。

 機銃弾がチークの薪をたたき落したのだ。

「突込め!」

「やっつけろ!」

 ものにつかたような、無気味な叫びであった、弾は途絶えた。舗道の傍まで十四、五メートルを放屁腰で這うように出てみた。

 火を吐きながら南へと逃げる戦車を追ってガソリン壜を右手に、銃剣を左手に躍りかかる兵、戦車地雷をさきにつけた竹竿を担いで駈けてゆく兵、わずか十五分足らずの死闘ではあったがその長かったこと、一時間以上はたっぷりあったような気がした。

 陽は漸くゴム林に落ちて、燃える戦車の火が舗道をアカアカと照し出していた。

 いつの間にかはぐれてしまった木村君も舗道でさかんにバチバチやっていた。

「オイ!、絵になったろう」

 肩をたたくと、木村君は、

「ウーム」

 と唸っていた。九死に一生を得たおもいにお互いにほっとひと呼吸入れた。

 その夜は昼間の興奮でなかなか寝つかれなかった。進発の命令に朝食をとるひまもなく星明かりを浴びてチャイクタンを出発した。

 敷設地雷を避けて、本道を左のジャングルに入って北上した。ものの十分もゆくかゆかないうちに、早くもまた朝霧の中に戦車のにぶい走音がきこえて来た。

 軍旗を守って徐々にジャングルを縫って進む。断続的な銃砲声のうちに七日の朝が明けた。

「エネミー!」

「ゴー・ヘイ!」

 薄靄をついて、異様なかん高い喚きが、微かに聞こえて来た。

 僕らの北上と並行して、逆に敵が本道に沿って敗走して来たのだ。ひっきりなしに僕らの隊列は銃弾を浴び出した。

 戦車の走る響が大地を伝わって来る。部隊は戦闘体形を整えると同時に応戦し出した。ここからペグーまで三キロだというが、いつになったらゆけることやら。悪くすると退却じゃないかと思うほど四方、八方から滅茶苦茶に弾が飛んで来て敵弾の方向がわからなかった。やっとのおもいで、竹林に蔽われた小さな丘の斜面の後に弾を避けるいままで僕が腰をおろしていた一軒家の土塀に機銃弾が当って白煙が濛々とあたりにたちこめた。そのとたんに冷やりとした汗が引込んでしまった。

 十数メートルばかり向うの本道を弾をうちつづけながら敵戦車がもの凄いスピードで火の玉のようにすっ飛んでゆく。何かわめきながら蒼白な顔に眼をひっつりあげた兵隊がガソリン壜や戦車地雷を握って、本道めがけて、飛び出してゆく。それと入れ違いざまに一人、二人と負傷兵が担ぎ込まれて来た。裸でざくろのように穴のあいた兵カーキ色のシャツの胸に一点だけを紅く染めて眠っているように倒れている兵の顔はみるみるうちい血の気がひいてゆく、腹をやられて「畜生!畜生!」とうわごとのようにわめきながら苦しんでいるもの、丘の下の繃帯所は青草をどす黒く鮮血が彩って、犠牲者が出はじめた。

 陽はつよく灼けつくようだ。水筒と雑嚢だけで飛び出して来たので、食物は何一つない。乾パンはメソオドで既につき、飯盒飯が唯一の携帯口糧なのだ。リュックも飯盒も一切牛車に残して来たままだ。

 それにしても、もう午後二時半を過ぎている。牛車と警戒の小沢上等兵、諏訪一等兵や仲間毎日連絡員と十人の苦力の身が心配になって来た。そればかりか気がついたなら「朝日」「同盟」に連中の姿も見えない。弾の間をみぞの辺を這いずり廻ったがいない。遅れてやられたのかと、万一の場合を考えてみたが、いまはどうしようもない。僕はどっかに弾雨の中にあぐらをかいて、忘れていた残り少ないボローの一本に火をつけた。四辺の騒音を打ち消すように澄み切った大気に溶け込んでゆく紫煙をみつめているうちに、気も落ちつき、何かしら死生を超えた人生の愉悦がこの一本の煙草に総て托されているような気がしてきた。

 (中略)

 翌くる朝、お釈迦様の大臥像のあるシュタレオンからペグーに入った。世界的に有名だといわているのでなにか古都奈良のものさびた雅さを想像していたのだが、僕のこと期待はもののみごとに裏切られた。臥像を囲む塀が、なんと赤茶けたトタン板、そのトタン板には無数の弾痕があいていたし、場内には裸線のコードが張りめぐらされ、裸電燈が熱に揺れた。東大寺の大仏や、法隆寺になじんだ僕らの瞑にはたしかに異様にうつった。(中略)

 僕らがやっとの思いで、ペグーに入ったころ、つまり三月八日の午前十時首都ラングーンは陥落していたのだ。

 (中略)

 ブウブウいいながらそれから、二、三日後に僕らもラングーンに入城した。トラックに護衛兵をのせて堂々と行ったのだから入城だろう。まだ百年もたたない若い街だとは知っていたが、この森の街は何か清楚だった。

 住宅地区、官衙街、商業地区とはっきり分れ、その下町の商業街がまたインド人、華僑ときちんと分けられていたのがいかにも英国的だった。

 舗装道路にはココベンが茂り、舗装路外には青々とした芝生をビルマローズが赤く彩って、鉄道線路から上の山手の住宅街はココベンや椰子におおわれた緑したたる森、その森の中の丘の上にシュエダゴンパゴダが、コバルトの空につよい陽をうけて、ほんとに燦然と輝いていた。その下の方の市の中央にはスレー・パゴダが黄金色に光っていた。』

   (田村吉雄編、若林政夫著「秘録大東亜戦史ビルマ編」

                   富士書苑 昭和二十八年)

 

 ペグー攻略後第五十五師団は残敵を求めて北上する命を受け、第三十三師団はラングーンに突進して敵を撃滅すべしとの軍命令を受けた。これをうけ、桜井師団長は三月七日師団命令を下達した。


    第三十三師団命令

一 師団は本七日日没と共に前進を開始し「ラングーン」を急襲占領せんとす

二 左縦隊(歩兵第二百十四連隊(第二大隊欠)、山砲兵第三大隊(第九中隊

 欠)衛生隊三分の一)は「トウキャン」「ミンガラど」付近を経て「ラング

 ーン」北方地区に前進すべし

三 右縦隊(歩兵第二百十五連隊(第三大隊欠)山砲兵第九中隊、衛星隊三分の

 一)は「マウビ」東側を経て「インセン」南側地区に前進すべし

四 工兵隊第一中隊、歩兵第二百十五連隊の一小隊は「ワネチャン」付近に前進

 し右側背の警戒に任ずると共に努めて敵の行動を妨害すべし

 水源地破壊を計画準備するを要す

五 爾余の諸隊は右縦隊に続行すべし


  師団は予定通り行動を開始し、一部はペグーから後退してくる英軍と交戦したが、ラングーン市内は英軍部隊は撤退した後であり、ラングーンは無血占領となった。

 九日には軍司令官の飯田中将がラングーンに入城した。


 英軍はシッタン河流域で印度第十七師団が打撃を受けたため、第四十六旅団を解散して第十六と第十七の二個旅団に編制替えを行った。二月二十一日ラングーンに上陸した第七機甲師団はペグー方面に急行して、日本軍を苦戦に陥れた。

 ビルマ市内は市民や公的機関の避難が始まっていたが、警官の姿が消えた市内は放火や略奪が始まっていた。


 日本軍がシッタン河を越えたことにより、参謀長ハットン中将は、ラングーン前面の防備に前線にある兵力を移動派遣しなければならず、第十七インド師団と第十六インド旅団に対して、ペグーからレグーの線まで後退するよう指示した。

 ウエーベル大将はインドに帰る途中、カルカッタにおいて後任のアレキサンダー大将に会い、口頭で指示を与えた。


「ラングーンの保持は、極東におけるわが態勢上はなはだ重要であり、それがためあらゆる努力を尽くさねばならぬ。しかし、それが不可能であっても、英軍は遮断撃滅されてはならぬ。英軍の戦力はエナンジョンの油田を確保し、中国軍との接触を保ち、かつアッサムからビルマに通ずる道路の構築を掩護するため、なるべく永く温存する必要がある」


 アレキサンダー大将は三月五日ラングーンに到着し、前線の第十七司令部で師団長とハットン中将に会ったが、戦局は苦しかった。レグーにあった第六十三旅団をペグーに派遣して打開を図ろうとしたが、逆に旅団長と大隊長が相次いで死傷したために、旅団は戦意を失った。反撃は失敗に終わり、三月六日ラングーンはこれ以上保持することは困難と判断し、七日に精油所、貯蔵タンク、発電所などを爆破破壊し、機関車、自動車なども破壊され、港湾施設も爆破された。しかし、全部が全部破壊ができたわけではなく、一部は無傷で残っていた。

 英空軍のスチブンソン中将も撤退を指示し、航空要員や各戦闘隊、爆撃隊は残存する飛行可能な機を後方基地の、マグエやアキャブなどに移動させた。


 日本軍はラングーンのインセン収容所に監禁されている在留邦人を救助することであったが、獄舎には誰もおらず、正面の赤壁に書付が貼られてあった。

「第一回 昭和十七年一月十六日 合計七十三名の日本人 カルカッタに向う 一同益々元気なり 必勝を祈る 先発隊」

 男女子供構わず遠くカルカッタの地へ連れ去られたのあった。


 大本営は三月四日、第十五軍への兵力増強に関して次の命令を下した。シンガポール攻略も完了し、第二十五軍の兵力の一部を劣勢なビルマ戦線に投入することを決定した。

 

大陸命第六〇三号

一 別紙の部隊を南方軍、第二十五軍戦闘序列より除き第十五軍戦闘序列に編入

 す

二 指揮、隷属転移の時期は三月七日零時とす

別紙

一 南方軍戦闘序列より除き第十五軍戦闘序列に編入する部隊

   高射砲第二十三連隊の照空中隊

   独立無線第八十一小隊

   二百二十三中隊

二 第二十五軍戦闘序列より除き第十五軍戦闘序列に編入する部隊

   第十八師団(歩兵第三十五旅団司令部、歩兵第百二十四連隊欠)

   第五十六師団

   独立速射砲第一大隊

   独立速射砲第六中隊

   独立速射砲第十一中隊

   戦車第一連隊

   戦車第二連隊の軽戦車中隊

   戦車第十四連隊

   野戦重砲兵第三連隊(十五榴砲)

   野戦重砲兵第十八連隊(十加砲)

   野戦重砲兵第二十一大隊(十五榴砲)

   野戦高射砲第三十五大隊の一中隊

   野戦高射砲第五十一大隊

   独立工兵第四連隊

   独立工兵第二十連隊

   独立工兵第五中隊

   鉄道第五連隊

   独立有線第八十六中隊

   独立無線第五十五、五十六小隊

   架橋材料第二十一中隊

   架橋材料第二十二中隊

   渡河材料第十中隊 

   第五野戦輸送司令部

   独立自動車第五十五大隊

   独立自動車第六十六大隊

   独立自動車第二百十一中隊

   独立自動車第二百七十四中隊

   独立輜重兵第五十二、第五十四中隊

   第二十野戦道路隊

   第三十三野戦道路隊

   水上勤務第三十八中隊

   第三野戦建築隊本部

   建築勤務第五十三中隊

   第百四兵站病院

   第百七兵站病院

   第十五患者輸送隊本部

   患者輸送第五十八小隊

   患者輸送第六十小隊

   患者輸送第六十二小隊

   第十一防疫給水部

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