第八話 ペグー攻略

 日本軍は二月二十三日までにスミス少将率いる第十七インド師団に打撃を与えて、シッタン河以東の掃蕩を終えた。

 シッタン河を渡河すると、ペグーという町があった。ペグーは十三世紀後半からペグー王朝として一時繁栄した都市である。有名なのが、涅槃像として「シュエターリャウン涅槃仏」がある。全長五十五メートル、高さは十六メートルと言われ、極彩色豊かな涅槃像である。


 二月二十四日、飯田軍司令官はラングーン攻略準備の命令を下達した。


   第十五軍命令  二月二十四日

           キャクトウ

一 軍第一線の勇戦に依り敵第十七師団を基幹とする部隊を撃砕二十三日夜半迄

 に之を「シッタン」河以東地区より一掃せり

 「ラングーン」及「トングー」付近は各々敵五、六千、「ペグー」「ワウ」及

 旧「シッタン」河南岸地区には有力なる部隊あるものの如し

二 軍は「シッタン」河左岸地区に兵力を集結し、三月初頭よりする「ラングー

 ン」に向う作戦を準備せんとす

三 騎兵第五十五連隊は軍直轄部隊となり成るべく速かに「クンゼイ」付近に前

 進し「トングー」方向の敵情を捜索すべし

四 第三十三師団及第五十五師団(騎兵第五十五連隊欠)は速かに「シッタン」

 河左岸地区に兵力を集結すると共に当面の敵情地形を偵察爾後の作戦を準備す

 べし

五 自今両師団の警戒、捜索地堺を「タウゴン」北側橋梁、「サスタビン」 

 (「ペグー」東南方十五粁)を連ぬる線とす 線上は左師団に属す)

六 予は「キャクトウ」に在り

                第十五軍司令官 飯田中将

 

 第三十三師団の原田大佐の指揮する歩兵第二百十五連隊を主力とする部隊は二月三日サルウィン河東岸のバアンを占領し、同河を渡河して対岸のクゼイクを攻撃、同付近を守備するインド第十七師団第四十六旅団の約一千名と交戦し、十二日〇九〇〇に同地区を占領した。

 作間大佐率いる第二百十四連隊を基幹とする部隊は原田部隊の北方を西進し、十九日にビリン河を渡河して南下した所、英軍部隊と遭遇して、これを撃破したが、防衛陣地の前に攻撃は停滞した。


 原田部隊はジウンを攻略後、ビリン河に向かったが、橋梁が破壊されていたために北上し、作間部隊と合流する形となった。そこで、両部隊は師団参謀から前進停止の命令を受けた。これは第五十五師団の進出が遅れていたための処置だったとされるが、部隊からは不満な声が上がった。十九日になり、両連隊は再び前進を開始した。目指すはシッタン河にかかる鉄橋である。原田部隊から先遣隊として一個大隊が急進した。しかし、鉄橋を見下ろす一三五高地には敵部隊が陣地を構えており、これを奪取したものの、敵も奪い返すために猛砲撃を加えてきた。だが、原田部隊の本隊、作間部隊が到着するに及んで、敵を圧迫し、英軍は退却を始め、鉄橋は爆破された。

 

 二十七日、軍は両師団に対しペグー以西のラングーン北方地区への前進を命じた。

 

 第三十三師団は軍命令に基づき、作間部隊はシッタン橋梁付近で、原田部隊はクンゼイク付近で攻撃準備を整え、三月三日シッタン河の渡河を開始した。シッタン河は干満の差が激しく、一・五米に及んだが、工兵隊の懸命の作業により、渡河作業は順調に進んだ。

 渡河後、両部隊は一日目は少数の敵を撃破しながら山間部を西進し、二日目には南進しながら、ラングーンに迫り同市まで三〇キロまで達した。


 第五十五師団の宇野部隊は、三月三日、ワウ付近で装甲車四両を含む敵と交戦してこれを撃退したが、こちらも三両の戦車を失った。

 其後部隊はペグー北方のパヤジイに向かったが、ここで英軍の機甲部隊多数と衝突し激戦となった。折から到着した軽戦車中隊は、敵戦車と交戦したが、装甲の薄い日本軍の戦車は次々の撃破され、全滅状態となった。頼みの速射砲中隊も敵の戦車を撃破することができず、こちらも敵戦車によって蹂躙されてしまった。日本軍に残された攻撃方法は、対戦車地雷か火炎瓶しかなかった。この肉迫攻撃が功を奏して敵部隊は退却を始めた。


 六日、宇野部隊と小原澤部隊はペグー市への攻撃を開始した。敵は再度戦車を増援して頑強に抵抗を試みたが、敵は徐々に後退を開始した。七日一六〇〇頃にペグーを占領したが、市内の各所に戦車、装甲車、トラックなどが放置されていた。

 敵戦車は十分に日本軍戦車を圧倒したわけだが、その運用方法の不味さもあってか、早急に敵は壊滅していった。

 戦車戦とはいえ、お互い軽戦車である。日本軍はマレー戦で活躍した九七式中戦車でなく、九五式軽戦車である。砲はお互い三七ミリだが、装甲は日本軍戦車は十二ミリ、英軍M3は四五ミリもある。日本軍は砲弾を命中させていくが、びくともしない。比べて、日本軍は命中弾を受ければ撃破されてしまうという殲滅戦となってしまった。


 土井中尉の手記からその戦闘の様相を見てみたい。

 土井中隊はシッタン河を渡河してペグーへ向け進撃する所を連隊命令で予備隊の命令を受けた。土井中隊は連隊本部と行動を共にしていた。先頭を下村中佐の第一大隊は、大きく迂回する形で時間をかけて目標に向かって行進していた。


『友軍戦車三台が、初めて戦線に出てきて、わが第一線を突破していった。実に心強く感じたものであった。

 約三〇分後だった。

 敵戦車と友軍戦車の砲撃戦がはじまった。敵戦車は友軍の進出を待っていたのである。そこへ友軍戦車が飛び込んだのである。一〇分ほどの戦闘であったが、友軍戦車は全滅炎上した。

 黒煙が空高く上がっているのが望見された。

 戦車兵の勇敢な行動に深く感謝するとともに、なぜ猪突猛進したのか、なぜ歩戦協同の作戦をやらなかったのかと悔やまれた。連隊は救援にも行かず、何らの処置もしなかった。

 戦車の戦闘により、バヤジイの敵はペグー方面に退却した模様なので、連隊はバヤジイ部落に進出し大休止した。

(中略)

 ペグーでは砲声殷々ととどろいている。

 連隊は急行しペグー北部へ迂回、朝露をついてペグー川の浅瀬を渡り、山脚より攻撃を開始した。

 濃い霧が立ち込めている。

 敵の機関銃弾が盛んに飛んでくるなかを、宇野大佐は馬を飛ばして前進した。私も連隊長について行った。

 私は予備隊で本部の後ろを続行すればいいが、いつ命令が出るかわからないし、もう私の出番だと思って、今まで乗ってきた優秀な二度と入手できない馬とは思ったが、この戦闘に果して生き残れるかどうかわからないので、道路脇の木に繋いで別れた。

 遂に命令が出された。例によって

「土井行け」 

 である。

 第一線で攻撃しているはずの下村大隊は何処へ行ったのか皆目姿がない。多分弾の来ない山のなかに入ったのだろう。

 私はペグー市街の背後に出た。そこには丁度大きな釈迦の寝像があった。機関銃と砲弾が飛んでくるが、敵の所在はわからない。わかるところまで出る以外方法がないので、霧のなかをペグー駅まで前進した。駅には一〇名ほどの敵がいたが攻撃してすぐ占領した。

 霧が晴れて、日の光が明るくさしはじめて、ようやく敵陣の所在が判明した。敵の機関銃陣地は駅西南方三〇〇の稜線にある。砲陣地は南方三キロのラングーン街道である。

 その方面には一一二連隊が進出しているはずだが、例によってまだ戦線に到着していないのである。棚橋連隊長はモールメンの戦闘でも、わが連隊より一日以上遅れて戦闘終了後戦線に到着した。しかも師団司令に尻をたたかれながらである。

 今回も師団長は棚橋連隊の後方を前進して監視している。わが連隊が早やすぎるのか?今回はそうでないと思う。下村中佐が最大の距離を通って進撃したからである。

 砲兵長の渡辺大尉が

「土井中尉、敵は何処だ」

 私は敵の陣地を教えた。彼が帰って射撃準備をしている間に、敵は退却した。

 横谷兵長が敵の死体から煙草を集めてきてその半分をくれた。敵は逐次退却したので、残敵を掃討したが、大した戦果はなかった。

 午後南方三キロで盛んな砲撃が目撃された。これはベグーより退却した敵と、棚橋部隊の遭遇戦と思われる。棚橋大佐の神通力も、その威力を失い、好まざる戦闘を敵に強いられ、相当の損害を出したことだろう。その戦闘が彼の戦闘らしい初めての戦闘である。

 夕方掃討を終って飯を炊いて食い、世界一大きい有名な釈迦の寝像を見たが、お釈迦さまも数十発の弾を受けているが、相変わらず静かな穏やかな顔をしている。私は南無阿弥陀仏とお詣りをして中隊の武運の長久をお願いした。

(中略)

 午後九時ごろ南方より敵戦車が多数轟音をたてて市内に侵入してきた。戦闘準備をして、見ると十数台の戦車が道路上を北上し、四〜五〇〇メートルに行ってまた反転してくる。これでラングーン方向に去るのかと思っていたら一キロほど行ってまた市内に引き返して、この行動を繰り返すのである。

 中隊は道の横に伏せて敵の奇怪な行動を見守っていた。手を出せば届くのであるが、中隊には一発の地雷も無く、対抗手段もない。連隊砲で四〜五メートルの距離で射撃すれば面白いのだが。またドラム缶のガソリンを路上に撒いて火を付ければと思っても、そのガソリンもない。

 連隊長はどうするか、また先輩の砲兵長の処置はどうかと思って見ていたが、別に連隊より攻撃命令もない。敵戦車は天蓋を締めて、その間隔は一〇メートルである。

 敵は何故かかる行動をするのか。この戦車は英軍がビルマで保有する全戦車を動員しているものと判断される。そうだ、いま敵の主力はラングーンより撤退中である。その撤退を援護するための行動である。

 敵はラングーンよりどう逃げるか?モールメンの陥落している現状ではラングーン港よりの海路脱出は至難であろう。陸路及び鉄道でイラワジ河畔のバセイン、または、ベンガル湾に近いタンカップへ、そして海路印度へ脱出するだろう。

 ペグーより南方五〇キロ、ビイダーよりブロームに通ずる幹線道路がある。これをいま敵は退却中だ。こう考えると、敵のこの奇怪な行動も解釈がつく。敵は一晩中この行動を繰り返したのである。

 私たちはここ数日眠っていないので、地響きと轟音を子守歌にして熟睡してしまった。夜中小便に起きたが、まだ敵は行動を繰り返していた。目が醒めたとき、すでに日は昇り、敵戦車の姿はなかった。』



 部隊は一路ラングーンへ南下して行軍するばかりであったが、土井中隊を含む宇野連隊は、停止命令を受け、北上してマンダレーへ向かい敵を追撃せよとの命令を受けた。ラングーンへは弓部隊が向かう事となった。


 ペグーの地に散った少年戦車兵たちの姿をある本から引用紹介したい。


『快適な猛スピードで戦車は進む。

 行くほどにかなたの丘の砲兵陣地、こなたの森の機関銃座と、敵が小癪な抵抗を見せるのを、蹴散らし蹴散らしわが戦車隊は進む。進む。

 熾烈な太陽はペグ平原に、さんさんと光を投げ、熱風と砂塵がややもすれば視界をさえぎる。部隊は椰子樹の蔭にはいって、小休止をし、熱した車体を冷やすと共にペコペコに腹に、飯盒飯をかきこんだ。

 その折、原田は前方に出て、敵情を監視していた。ふと気がつけば、前方のバヤヂー(ラングーン北方百粁)部落の森蔭に、地虫の如くうごめく黒い影、彼はハッとして、大樹に寄りそい、ひそかに偵察する。ー正しく敵の戦車隊だ、なおも眼を凝らして、つぶさに敵情や地形をうかがう。そうして樹から飛び下りるや否や、一目散に馳せ帰った。

「報告!隊長殿、約二千米前方の森蔭に、敵の戦車の大部隊を発見しました。敵は約三、四十台あるようであります。報告終りッ」

「御苦労、よろしい」

 岡田隊長の目は鋭く燃えた。

「いよいよ待ち望んだ、敵戦車隊との一騎打ち戦だ。いかなる大部隊も驚くには当らん。あくまで、焦らず、落ちついて、然も大胆に、勇敢に戦え、皆の命はこの岡田があづかった。よいな、速かに出発用意!」

 原田はいそいで火器を点検した。頗る快調だ。

 むらむらッと、下腹から熱風のような闘志がこみあげる。フッと頭の中に、戦車学校での教官の訓示、

「戦車と運命を共にせよ、

 死して任務を全うせよ」

 が、強く浮かぶ。そしてまた父上の、

「少年戦車兵の模範となる立派な働きをせよ、

 死すとも父は満足だぞ、断じて家名を傷つくるな」

 の言葉がかすめる。

 原田は地形や敵の所在を操縦手に伝え、よく小隊長の目となり、腕となって、戦車の誘導につとめる。

(中略)

 部落のはづれに出る。前方は広闊な平原だ。岡田隊長はひそかに双眼鏡をかざして前方の森蔭の敵情を観察している。ーおお居るわ居るわ、一台、二台、五台、十台・・・なんと白や緑や黄で迷彩をほどこした敵戦車が四十台もどぐろを巻いて、こちらの出鼻へ砲火を浴びせようと待ち構えているらしい。

 ババーン、バンバンビューン

 バーン、ビュンビュン、ガーン

 早くも敵は砲撃を開始した。鋭い金属性の音を立てて土煙があがる。木の枝が折れる。原田の引金にかかった右の人差指が、わけもなく小きざみにふるえる。

「隊長戦車を中心にして、敵の側面突破!」

 大久保小隊長の号令だ。直ちに、草木を踏みにじって側面へ転換。見事に陣列を変えて肉薄戦だ。隊長戦車がまづ火蓋を切った。わが隊長戦車をめがけて、敵は集中砲火を浴びせる。原田伍長の視野には、約十台の怪物が飛びこんだ。いまだ、原田伍長の引金がカチカチ鳴る。わが的確な砲火に、敵の怪物め、火焔をはきながら、のたうち廻る、狂い倒れる。ー一台、二台、五台、七台、・・・だが七倍もの敵である。原田はわが隊長車の側面にせまる敵戦車を見つけ、「此奴、小癪なり」と銃火を浴びせる。戦車砲も同時に鳴る。見る見る機関に命中して火を吐く。だが、その時遅し、岡田隊長車もピタリと擱座してしまった。不幸、岡田隊長は敵弾を腹部にうけ、壮烈な戦死を遂げてしまったのだ。

 大久保小隊長は、直ちに中隊長代理として指揮をとる。彼我戦車入り乱れて、文字通り乱闘乱撃だ。ありがたいことに、優秀なわが戦車は、これだけの猛闘に少しの故障も起さない。

「隊長戦車を守れ」

「砲の打ちあいは無駄だ無駄だ、突っ込め突っ込め」

 小隊長の鋭い声がつづけざまにひびく。

 怒れる獅子は頭をあげて敵戦車に体当りし、次から次へと敵戦車を燃えあがらせて、敵戦車兵の度肝をぬく。そしてなおも縦横無尽に暴れまわっている時、無念や敵の一弾は砲塔を砕いた。

 原田伍長はガーンと脳天がしびれるように感じて、そのまま昏倒してしまった。ーふと気がつくと、戦車はピタッととまっているではないか、頭がふらつく。足がしびれる。原田は大声で、

「隊長殿、隊長殿」

 と叫ぶ。答がない。あッ!小隊長は壮烈な戦死だ。操縦の飛田も前につっ伏したままだ。原田は狂気のように機械の調節を計った。だが敵弾炸裂のために愛車の心臓は止ってしまった。彼は右の膝骨の痛いのを引きつけて、銃座に取りついた。そうして引金を引いた引いた、弾丸のあるかぎり撃ちまくった。

 弾丸は尽きた。愛車は動かぬ。気がつけば敵車が悪魔のように近づいて来る。彼は痛む足を引きつけて、ガバと立ち上り、敵車を睨みつけた。』 

      (本間楽寛著「少年戦車兵魂」錦城出版社 昭和十七年)


 原田伍長は捕虜になることをおそれ舌を噛み切って自害して果てたのである。十九歳の将来ある青年であった。

 英軍の戦車隊は勇敢に戦う日本軍戦車を蹴散らすと、速射砲中隊の方列に突進した。速射砲も三十七ミリで英軍戦車の装甲を撃ち抜くことは無理であり、踏み潰されていった。日本軍は地雷と火炎瓶で対抗するしかなかったが、英軍戦車には追撃する意志はないようで、退却していったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る