第六話 南機関

 ここで少しビルマ戦において陰で活躍した「南機関」について話を加えたいと思う。マレー戦では「F機関」が活躍して、インド人の大量投降を生んだが、ビルマ戦においてもビルマ国民によるビルマ解放を目指した「南機関」の存在があった。


 南機関は

「其の発足進展途上に於て稍複雑性を有するも、之は正式に伝えば昭和十六年二月一日大本営陸海軍部直属緬甸工作機関として設立せられ、後大本営海軍部の手を離れ、大東亜戦争勃発と共に南方軍総司令部に隷属し、次で第十五軍林一六一一部隊に配属せられたる特務機関なり」

 というものであった。


 参謀本部で船舶課長だった鈴木敬司大佐が南方問題の調査研究を担当することになった。鈴木大佐は日支事変当初、上海戦線が膠着状態になった時に、戦局打開のために杭州湾上陸作戦を計画した。海軍側は杭州湾の潮の干満差から上陸作戦には不向きと反対したが、大佐はこの反対を押し切って作戦を成功に導いた。大佐は豪放大胆な計画を立てて推進する人物であったようである。

 鈴木大佐は南方問題を研究するにあたり、援蒋ルートのビルマルートが開通したビルマに着目して、ここに謀略の拠点を置くことが重要だと考えた。大佐は南方の地誌に詳しい友人らに援助を頼んだ。日本でのビルマに関する知識は乏しく、海軍側の一部と外務省の限られた人物しか情報源がなかった。

 結局参謀本部は鈴木大佐をビルマに潜入させる工面を図った。昭和十五年六月、鈴木大佐は日緬協会書記兼読売新聞記者駐在員の南益世としてビルマに入った。


 ビルマでは反英運動が盛んであった。ビルマは英国の植民地として明治十九年(一八八六年)以来、英国人と、印度人、中国人に圧迫されていた。

 特にイラワジ河下流のデルタ地帯は、英国の支配下により開拓が進められたが、田植やその刈り入れ時には、インドから毎年大量の季節労働者がやってきて、その何%かは定住するようになり、地主となっていき、さらにインドの金融業者はビルマ農民に金を貸しては農地を担保に取り、年々インド人はビルマの穀倉地帯の大半を手中に収めていった。当然、ビルマ農民の反インド人感情は高まり、反英独立運動も高まっていくのである。だが、反英運動はイギリス官警により容赦無く弾圧されていった。反英運動の指導的役割を果たしていたのはタキン党と呼ばれる一派とラングーン大学を中心とする学生たちであった。

 イギリスはその後懐柔政策を取ったが、反英運動は衰えるどころか、激しさをましていった。


 一九三九年ドイツがボーランド侵攻をすると、ビルマの独立運動にも影響を及ぼした。反英運動派は一致団結する様相を見せ、「フリーダム・ブロック」という人民戦線を結集した。議長はバーモー氏、書記長はオンサンが選ばれた。イギリス側は警戒して弾圧の強化を決め、バーモー氏を逮捕投獄するなど幹部は次々と投獄され、オンサンも指名手配となった。


 地下に潜ったタキン党のグループは、外国勢力との接触を図ろうと動いていた。オンサンをどうかして国外に脱出させ、支那との連繋をとることを伺っていた。

 鈴木大佐はビルマに入国して、独立運動に関する派閥や動きを探りあてた。その知力を得たのは親日家のティモン博士との交流であった。博士は独立運動に詳しかったのである。

 大佐は、反英運動の指導者たちが、ソ連やインド、支那との連繋を果たせば、日本の南方進出に不利な状況になると判断し、彼らと接触する機会を得ようと努めた。

 その結果、タキン派のメンバーと密会する機会を得る。ビルマ布教のため在留していた日本山妙法寺の永井行慈上人の協力を得てのことだった。

 その中の一人タキン・コドマインは独立運動の先覚者の一人で、彼の主張はビルマ青年の心を掴み、多くの信奉者がいた。大佐はコドマインらに日本がビルマ独立を援助することを説き、反乱のための武器弾薬と費用の供給、ビルマ国外での兵器取扱を含めた軍事訓練を引き受ける密約を行なった。


 参謀本部は鈴木大佐に対して密約を結ぶ命令を与えていたわけではなく、大佐の独断で独立援助を約束したのである。このことは、後に大佐自ら苦しむ結果とはなるのだが、ここは大佐のビルマの独立援助に対する大佐の心意気があった。

 ティモン博士は大佐の行動に感謝し、オンサン、ラミヤンの写真を渡し、日本がこの二人を援助してくれるよう懇願した。オンサンはラミヤンとともに苦力に変装して貨客船に乗り込み脱出に成功し、厦門に向かっていた。

 鈴木大佐は帰国の途につき、途中台湾軍の田中参謀を通じて二人の写真を廈門の特務機関に送り、二人の身柄の収容と東京への護送を依頼した。二人は幸いにも憲兵隊により発見保護することができた。


 二人は全く日本行きの計画は思っていなかった。しかし、二人は思うようには中国との連絡は取れなかった。諦めかけた時に日本の憲兵隊に発見され、日本側の話に安心して日本行きを決めたのであった。

 二人には偽名が与えられた。日本人とフィリピン人の混血児として、オンサンを面田紋二、ラミヤンを糸田貞一と名乗らせ日本への亡命とした。この日本名は緬甸の緬を糸と面とに分け、オンサンを面田、ラミヤンを糸田にし、名前はティモン博士のティをとり、貞一、モンをとって紋二としてつけたのであった。

 二人は羽田飛行場に到着した。二人を出迎えたのは鈴木大佐である。だが、税関では怪しまれながらも何とか通ったものの、二人をどうやって面倒を見ていくかであった。参謀本部は当初さしたる興味も持たなかったからだ。大佐はとりあえず自分の故郷浜松に匿うことにした。しかし、人目につかない訳がない。居場所を転々としながら、時を待った。


 ビルマ・ルートが雨期から乾期へと変わり、援蒋ルートが再開され始めたのをきっかけとしてビルマへの工作の話題がのぼってきたのである。それも、陸軍ではなく海軍側からであった。海軍軍令部は、ビルマ謀略機関の設置を決め、参謀本部に連絡をとってきた。参謀本部もようやく腰を上げ、陸海軍協力のもとに謀略機関の設置が容認された。昭和十六年一月のことである。参謀本部は準備委員として加久保大尉、川島大尉、山本中尉を鈴木大佐の指揮下に入れ、機関設立に向けての準備に着手させた。

 海軍側との合同会議も行われ、二月一日大本営直属の南機関が誕生した。南機関は大磯の山下亀三郎氏の別邸に籍を設け、南方企業調査会と名乗った。陸軍からは加久保大尉、川島大尉、山本中尉らの中野学校出身者と、野田中尉、高橋中尉が入り、海軍からは児島大佐、日高中佐、永山少佐などが入り、民間からも国分、樋口、杉井、水谷、横田が入り、ビルマ側ではオンサン、ラミヤンと日本に留学中のソーオンの三名が参加したのである。


 彼らは早速活動を開始し、まずは謀略計画なるものを作成した。


⑴将来独立運動の中核となるべきビルマ人志士三十名を、ビルマ、タイ国境又は海

 上よりひそかに日本に脱出せしめ、海南島又は台湾において武装蜂起に必要な

 る軍事教育を実施する。

⑵教育訓練を終わったビルマ人志士に対しては、兵器、弾薬、謀略資材並びに資

 金を与えて再びビルマに潜入せしめ、ビルマ国内各所において武力による反英

 暴動を起こす。一方そのゲリラ部隊を以て、まず南部ビルマ、テネサリウム地区

 を占領し、占領と同時に独立政府の樹立を宣言する。ゲリラ部隊は、武力をも

 って逐次その占領地域をビルマ全域に拡大し、英人を駆逐してビルマ人宿願の

 独立を達成せしめる。而して可及的速やかにビルマ人の手により、援蒋ビル

 マ・ルートを遮断せしめる。武装蜂起の時期はおおむね昭和十六年六月と予定

 し、その準備を行なう。

⑶南機関員をビルマ、タイ国境に沿うタイ国内要地に配置し、ビルマより脱出する

 志士の受け入れ及び再投入工作のための謀略基地を設立し、ビルマ国内におけ

 る独立運動との連絡を行なわせしめる。同時にタイ国境よりビルマ領内に通ず

 る道路、地形の偵察を行ない、兵要地誌の作成を行なう。併せてビルマ領内に

 おける反英武装蜂起に必要な兵器、弾薬、謀略物資等を極秘にバンコック港よ

 り、商品にみせかけて国境まで搬送し、ひそかにビルマ領内に投入して独立党

 員に分配支給する。


 以上の内容の事が決められた。内容を見ると、ビルマ独立に向けた極秘計画であり、六月には武装蜂起する予定であったようだ。

 そして、二月十四日には作戦命令の第一号が発令され、オンサンと杉井の両人はビルマ米買付の春天丸の船員としてビルマへと向かった。目的は志士三十名の獲得であった。船がビルマ領内のバセイン港に着くと、オンサンを密かに上陸させて、船はラングーンに向かった。オンサンはビルマ人に戻り、陸路ラングーンへ潜入してタキン党員と連絡を取ることだった。

 春天丸はラングーンに入港し、乗船していた杉井は春天丸の事務長ということで船会社に新任の挨拶を済ませ、ラングーン領事館の大野大佐と連絡をとった。

 其後、杉井はオンサンと連絡をつけて、四人の脱出メンバーを春天丸に乗船させることになんとか成功させた。

 

 鈴木大佐は二月二十一日に東京を出発し、バンコクに南機関の設置に尽力し、国内要所に支部を設置していった。バンコクではイギリス、アメリカ、蒋介石政府の諜報活動も活発に行われていたため、行動には慎重を期した。

 ビルマ・タイ国境を越えての陸路の脱出は、国境警備が厳しく困難で、二名が成功したに過ぎず、むしろ海路を利用した脱出が二十五名も成功した。これで、どうにかオンサンらを含め予定の三十名に達し、目標の人数確保には成功したのである。

 彼らの訓練所は秘密保持確保が必要であるために、その場所も検討され、海南島の海軍基地三亜から五〇キロほど奥地のジャングルに訓練所が開設された。名前は三亜農民訓練所とされた。班長は服部中尉で、副長は著者である泉谷が担当し、四月末には稼働を始めた。


 ビルマ人志士と言っても、軍事知識は全くない者ばかりであった。二年はかかる教育を三ヶ月間で教えこまなければならず、日々激しい訓練が続いた。号令はお互いにビルマ語と日本語では通じないために、英語で行われた。兵器の取扱いも日本製でなく、外国製の兵器で行った。彼らがビルマに潜入して万一押収された兵器に日本製が存在したら大問題であるからだ。

 訓練期間は短く厳しかったが、志士らの熱意により、知識を吸収していった。

 その中には一見ひ弱そうに見えるが、頭角を現す人物がいた、のちにビルマ連邦第六代首相となるネ・ウィンである。

 そして訓練は一通り終わり予定していた六月になったが、ビルマ潜入の命令はなかなか出なかった。それは、独ソ開戦、蘭印からの輸入停止などにより、日本の南方進出議論が台頭して、ビルマ工作など後回しにされたからだった。

 鈴木大佐は中央と交渉を続けたが、南方進出の計画に多忙な故に真剣に取り組む参謀などなく、結局大佐は南機関独自でビルマ謀略の実施を行なう事を決断する。

 十月中旬、南機関は動き出した。川島大尉はオンサンと相談してバンコクからビルマに潜入する四人の志士を選抜した。

 南機関は紆余曲折の経過を経つつ、ビルマへの進入の時を待った。どうにか二人がビルマに入ったのは十二月三日のことである。

 開戦直前、南機関は寺内南方軍司令官の直轄機関となった。これに伴い、南機関の本部はサイゴンへと移動した。台湾にいた隊員らは、謀略兵器を積み込んで、高雄からサイゴンへと向かったが、もう開戦となりサイゴンへ到着したのは暮の二十五日であった。ビルマ進攻を担当する第十五軍参謀部との打ち合わせも行った。ビルマの国情にうとい軍は南機関の存在は大きな力であった。鈴木大佐は改めてビルマ独立義勇軍(Burma Independence Army,通称B.I.A)の編成を行い、独自の作戦を展開することを表明した。そして協議の結果、第十五軍主力と同じ経路を義勇軍が進むこと、そして一部はビクトリア・ポイントをつく支隊にも参加することになったのである。南機関は調査収集していた泰緬国境の資料、地図を軍に提供した。

 バンコク市内では、在留していたビルマ人の募集に対し、二百名近くの応募者があった。これで、部隊としての体裁も整える事ができた。独立義勇軍の編成は次のようになった。


 司令部

  軍司令官   南大将(鈴木大佐)

  参謀長    村上少将(野田大尉)

  高級参謀   面田少将(オンサン)

  参謀     糸田中佐(ラミヤン)

  参謀     平田中佐(オンタン)

  作戦主任参謀 飯島中佐(木俣嘱託)

   右同    新免中佐(水谷嘱託)

  高級副官   木村大佐(樋口嘱託)

  経理部長   南岡大佐(杉井嘱託)

  軍医部長   鈴木少将(ドクター鈴木)

 B・I・A主力

  前衛   隊長  北島大佐(高橋中尉)

  本隊   司令部

   親衛隊 隊長  大坪大佐(山本中尉)

   本隊  隊長  鈴木大佐(鈴木中尉)

           谷口大尉(ボ・チョーゾ)

  後続隊  隊長  稲田中佐(稲田中尉)

 タボイ兵団

  兵団長      川島中将(川島大尉)

  参謀長      泉谷大佐(泉谷中尉)

  参謀       谷 大佐(ラペ)

  連絡部隊長    馬場中佐(バジャン)

   右同      土居大佐(土居中尉)

  戦場謀略班長   塔本中佐(塔本少尉)

 水上支隊

  支隊長      平山大佐(平山中尉)

  参謀       秋川中佐(秋川少尉)

  同        佐藤中佐(佐藤軍属)

  同        山下少佐(ヤンナイン)

  同        山岡大尉(ボミンゴン)

 メルギー支隊

  支隊長      徳永中佐(徳永嘱託)

 田中謀略班

  班長       田中大佐(田中中尉)

 ビルマ領内擾乱軍指導班

  班長       シュモン中佐以下六名


 南機関はビルマ独立義勇軍として行動を開始したのである。

 この項は南機関の一員として活躍した泉谷達郎中尉が執筆した(「ビルマ独立秘史 その名は南謀略機関」徳間書店 昭和四十二年)によったものである。いうなれば緒戦の闇の歴史の部分でもある。氏の執筆に感謝申し上げる次第です。

 彼らの活躍もあり、日本軍がビルマ人に歓迎されたことはインドネシアの戦い同様にアジア解放という意味で頼もしいものであった。後の軍政問題とは別にして考えたい。

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