第三二話 東部ジャワ平定

 坂口支隊のうち、金氏梯団は六日夕、スラユ河岸マオスに進出し、装甲車を伴う蘭印軍部隊百五十名と交戦してこれを撃退し、スラユ河を渡河しよとしたが、全ての橋梁が破壊されていたために、七日の夕刻までに渡河準備をして二十時に渡河を開始して、八日の〇三四〇チラチャップに突入して占領し、山本梯団も続行して十五時に同地に入った。

 八日夕刻、坂口支隊長は命令を下した。


 坂作命甲第三十九号

   坂口支隊命令  三月八日一七一〇

            「プルポリンゴ」

一 山本梯団は本八日一二四〇「チラチャップ」を占領せり

 敵は諸橋梁を破壊し西方に退却しあるものの如し

二 支隊は敵を急追せんとす

三 山本梯団は「チラチャップ」の治安維持に必要なる最小限の兵力を同地に残

 置し速に「パンジャル」(「チラチャップ」西北方七〇キロ)付近を占領し

 「バンドン」方面より退却する敵を撃滅すべし


 松本梯団は、プルポリンゴの渡河が終わると、八日一九五〇に同地を出発し、二三〇〇プルオケルトに進出し、追及してきた坂口支隊長と合流した。

 

 九日、支隊長はさらに命令を下した。

   坂口支隊命令  三月九日一二〇〇

            「プルオケルト」

一 敵は殆んど戦意を喪失し西方に逃走せるものの如し

二 支隊は一部を以て敵の退路を遮断し敗敵を殲滅せんとす

三 松本梯団は「クランガン」付近に位置し「バタビア」方面より退却する敵を

 捕捉撃滅すべし 自今装甲車隊は予の直轄とす


 この命令を下した一時間後の十三時にワンゴンからコックス少将の軍使が山本梯団を訪れ、降伏を申し出てきた。ちょうどこれはバンドンの降伏放送が十二時に全土にされたからであった。山本梯団長は坂口支隊長の支隊司令部に行くよう仕向けた。

 坂口支隊長は九日二十時

「敵の中部ジャワ軍司令官は降伏を申入れたり」

 と支隊命令をもって知らしめた。


 十日十一時、支隊長坂口少将はプルオケルトの蘭印理事官邸でコックス少将と会見し、その降伏を了承した。そして、山本梯団、松本梯団は蘭印軍部隊の武装解除を監視すると共に、各地区の治安維持を実施していった。

 

 坂口支隊に対して、東海林支隊と同じく今村軍司令官よりの感状を授与された。


    感 状

              坂口兵団 同配属部隊

右は軍の先駆となり懸軍長駆比島及蘭領「ボルネオ」に転戦し敵前上陸を敢行すること五回善戦常に機を失せず頑敵を破り要衝を抜き東印度諸島全般の攻略作戦を有利ならしめたり

 爪哇に対する軍主力の作戦に当りては兵団は「クラガン」付近に上陸したる後最も神速に中部爪哇の各地を突破し上陸儀週日にして挺進「チラチャップ」を占領し爪哇に於ける敵全軍の退路を遮断し之に致命的衝動を与え敵軍の無条件降伏に重大なる素因を作りたり 右の武功は真に抜群なり 茲に感情を付与して之を全軍に布告す

  昭和十七年三月二十一日 

              蘭印方面陸軍最高指揮官 今村 均


 一方、第四十八師団のうち、安部部隊は歩兵第四十七連隊、戦車第四連隊などを基幹とする部隊で、モジョケルトに向かっていた。第二大隊が尖兵隊となり、同大隊長の柳大佐は、斥候隊八組を橋梁占領のために出発させていた。斥候隊は、五日〇一三〇チャルバン西北約四キロの地点で、二百から三百の蘭印軍と交戦してこれを撃退して前進、〇四五〇にはチャルバン市内で蘭印軍と激戦となった。第二大隊がこれに合流して、蘭印軍部隊は敗走した。部隊は敗走する敵を追撃し、ウイラガンで約二百名の蘭印軍部隊と交戦してこれを撃退し、その先のケルトソノで戦車、装甲車を有する有力な蘭印軍部隊と遭遇激戦となったが、これを敗走させて一三一五ケルトソノに入った。蘭印軍は東端にある橋梁は爆破したが、慌てていたためか、一部しか破壊されず、中央部が崩落したにとどまった。


 土橋師団長が五日夕刻までに把握した各部隊の状況は次にようであった。

安部部隊は、一三〇〇頃ケルトソノの砲四門を有する約五百の敵を撃退したが、同市東端の橋梁を落とされ、小舟で渡りつつある。宮地大隊がケデリ橋梁に向かっていた。

 安部部隊に次いでチェプーを出発した田中部隊は一一〇〇その一部を以てまおすパチの飛行場を占領した。田中部隊の簗木大隊(台湾歩兵第二連隊第二大隊)は、一三三〇ごろヌガウィの兵営に突入して、百五十名を捕虜とし、同地に監禁されていた邦人婦女子三十二名を救出した。


最後にチェプーを出発した今井部隊は、田中部隊を超越して前進中である。

北村部隊は一七〇〇ババト西方の陣地を占領した。

田中部隊は夕刻チャルバンに集結しつつある。

海軍機の偵察によれば、スラバヤ西北方地区にあった敵有力部隊はラモンガンースラバヤーモジョケルト道を続々とモジョケルトに向かい前進中である。マランーケデリ道、マランースラバヤ道上には敵の移動を認めない。


 土橋師団長の関心事はケデリの橋梁の確保であった。

 宮地大隊の尖兵中隊が急進してケデリ橋梁に向かった。橋はまだ破壊されていなかった。すぐに占領をしなければならない。橋にさしかかった時に、向こう岸に蘭印軍部隊が迫っていた。時に十七時。尖兵中隊は蘭印軍と交戦した。慌てたのは蘭印軍も同じである。まだ日本軍は来ていないと思っていたからだった。蘭印軍は橋梁爆破を諦めて撤退していった。

 一七三〇に橋梁を無傷のまま占領確保と安部部隊長の報告した。これにより主力部隊はケデリからジョンバンに向かうことになった。

 土橋師団長はケダリ橋占領の報告を受けるや、チャルパンを出発してジョンバンに向かった。

 師団長は今井、田中両部隊の先頭に立って一〇四〇にジョンバンに進出して司令部を設置した。そして、ここで安部部隊の柳部隊が十一時頃モジョケルトに突入して占領し、一部の部隊は同北部の橋梁付近で約百からなる蘭印軍部隊と交戦してこれを撃退したとの報せを受けた。また北村部隊は二十時ババトを夜襲して六日〇三〇〇に占領し、モジュケルトに向かい南下を開始したのと、ババトからスラバヤ方面へと後退していた部隊がババトに引き返しつつあるとの情報もあり、師団長は北村部隊に南下を取りやめて同地を確保するよう命じた。


 海軍の偵察機の報告によると、蘭印軍はボロン要塞とスラバヤ要塞に兵力を後退させているとのことで、師団長は敵部隊をボロン要塞とスラバヤ要塞に入れさせないように、各部隊に通知した。


 しかし、ボロンには柳大隊が攻略行動をとっていた。ボロンにはマランとスラバヤを結ぶ要衝であり、トーチカと鉄条網で守られていた。故に師団司令部は攻略に慎重を期すべく計画を練っていた。

 柳大佐は歩兵一中隊、戦車一小隊、山砲一中隊の兵力を、尖兵中隊、歩兵三中隊基幹をもって東進し、要塞への即時攻撃を命じた。戦車隊、山砲兵の協力のもと、ボロン陣地帯を抜き、一五三〇にはケジャパナン付近に達し、同地にいた蘭印軍部隊一千名以上と交戦したが、これを撃破してスラバヤーマラン道を遮断することに成功する。ボロンの橋梁も占領確保した。ボロンの要塞地帯は師団司令部が憂慮することもなく、柳部隊だけで占領に成功した。


 ボロン占領に伴い、各部隊はスラバヤの南方及び西南方に進出するよう行動した。

 柳部隊は六日ボロンを出発し、七日の午前三時にはスラバヤ南方四キロの地点に進出。今井部隊はその西方に陣し、田中部隊はさらにその西北方に進出して、スラバヤの敵情を偵察した。

 師団は前線で遺棄されていた自動車の中からスラバヤの配備要図を入手しており、各部隊に配布され、攻略する術を練っていた。それでも土橋師団長は、

「無茶な攻撃は排して一人でも損害を少なくして占領せねばならぬ」

 と覚悟を示して、余分な犠牲は出したくないという気持ちであった。


 七日正午ごろ、前線部隊より

「川が増水して氾濫の恐れがある」

 との報せがあり、軍参謀の厨少佐をブランタス河の分流点に急行させると、水門が操作されており、河川の水流の流れを変えると、河の水位は徐々に下がり始めた。

 

 土橋師団長は、各前線部隊からの敵情地形の偵察の結果を受け、スラバヤ陣地は当初懸念した通りではなく、大した物でないと判断して、八日八時次の通りに攻撃命令を下達した。


一 攻撃開始  九日日没後 二〇三〇

二 主攻    南正面(安部部隊正面)

三 安部少将の指揮する今井、柳の両連隊基幹部隊は、奇襲的にウオノコロモ運

 河を渡り、スラバヤ東方地区の敵砲兵陣地を席巻し、正面を九十度転換してス

 ラバヤを濾過し敵の陣地を背後から攻撃する

四 田中部隊は、西南角を奪取後戦車をもって陣内をかく乱し砲兵陣地を蹂躙す

 る

五 北村部隊は、単に西正面を押えるだけとし、敵の脱出を食い止める。台湾歩

 兵第二連隊第三大隊を配属する

六 砲兵射撃

 八日一四〇〇から一六〇〇まで、一八三〇から二〇〇〇までの間、九日一四〇

 〇から一六〇〇までの間

 敵の西南角陣地を破壊し、さらに一六三〇から砲撃を再開する

七 八日、九日中に陣地の要点、砲兵陣地を爆撃する


 各部隊は総攻撃に備えて事前偵察につとめた。柳大佐は師団長の認可を受けて、各大隊から一コ中隊を選抜して威力偵察を行い、スラバヤ市街に進入したが、蘭印軍部隊の姿を認めなかった。

 土橋師団長は、八日十時頃、飛行機の通報により、ウオノコロモの橋梁上に白旗が掲げられているとのことから、厨参謀をスラバヤに派遣した。


 一〇三〇には田中部隊から軍使が来たので師団司令部に送致するとの連絡が入った。

 午後には砲撃の開始時刻が迫っていたが、砲撃は中止された。一四二〇厨参謀が、東部ジャワ州知事、スラバヤ市長、スラバヤ防衛司令官を伴って帰ってきたが、師団長は彼らが、東部ジャワ蘭印軍の統帥権を持っているわけではないので、次の要求を示した。


一 ただちに日本軍をスラバヤに進入させるから、不測の不祥事が起こらないよ

 う軍、警、民一般に迅速に周知徹底させること

二 兵器弾薬その他軍用資材施設資源を破壊湮滅しないこと

三 グリッセとマヅラの指揮官を至急第四十八師団長のもとに出頭させること


 師団長は部隊に対し、斥候部隊を一七〇〇にスラバヤに入らせ、柳部隊はスラバヤの北半部を、今井部隊は南半部を警備するよう命じた。

 

 師団は未だに軍司令部との通信は不通となっており、軍の動向は不明であったが、九日一三三〇、友軍機が投下した通信筒により、蘭印軍が全面降伏したことを知った。

 安部部隊には東部軍司令官のイルヘン少将が出頭した旨の報せが入り、ただちに師団司令部に送った。

 土橋師団長は、イルヘン少将らと会見し、降伏文書に署名させ、スラバヤの全将兵に対し降伏するよう放送するよう命じた。翌十日午前、少将は約束とおり、降伏するよう放送した。

 これで、ジャワ島全地区は平定した。


 三月二十五日までにまとめた戦果は次の通りであった。

  俘虜 総計 八二、六一八

      内訳 蘭印軍 六六、二一九 

         豪州軍  四、八九〇

         英国軍 一〇、六二六

         米国軍    八八三  

  鹵獲品 飛行機 一七七機

      火砲 総計 九四〇門

       内訳 重砲  一〇八門

          野山砲 一六一門

          高射砲  八三門

          機関砲、速射砲、迫撃砲など 五八八門

      重軽機関銃 四、二二八

      小銃、拳銃 八〇、七七八 

      照空燈 五、一五三

      火砲弾薬 一、七二八、五八五発

      機関銃、小銃実包 八九、〇七一、八二〇発

      爆弾  三六、〇〇〇個

      車両、戦車、装甲車等 一、〇五九両

      自動車 九、五〇〇両

      鉄道車両 七、一〇八両

      薬品  十万人分の約一年分

 ジャワ作戦における日本軍の損害

              戦死      戦傷  

   東海林支隊      八二      一九一

   坂口支隊        三       四六

   第二師団       七九      一九〇

   第四十八師団     九一      二七五

    合 計      二五五      七〇二

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