第三一話 蘭印軍降伏す

 第二師団佐藤支隊のバタビア占領は軍司令部内に歓声を生じていた。この報せは、東海林支隊に危険が及ぶことはないとの確信であった。

 軍司令部はこれで第二師団主力をバンドン要塞攻撃に指向できると判断し、そのように作戦計画を変更した。佐藤支隊にはバタビアからスバンに急行するよう命じた。


 一方、那須支隊は広安部隊、福島・渡辺部隊を以て二方向からボイテンゾルグに突入し、市内を占領した。蘭印軍は退却しておりほとんど抵抗なく市内を掃蕩した。

 軍通信参謀の斉木中佐は

「バンドン総攻撃開始は三月十四日」

 と内示を与えていたが、実際にはまだ第二師団には総攻撃の日程は届いてはいない。

 那須支隊がボイテンゾルグを占領したことは、もはや東の山岳地帯を抜ければバンドンである。

 佐藤支隊が東海林支隊の危急を考慮して、バタビアからスバンに向かっていたが、実際東海林支隊は苦戦はしたものの、陸軍航空隊の支援もあって、敵戦車部隊を撃破して退却させており、兵力は僅少であっても、危険な状態ではなかった。

 それは東海林支隊から軍に届けられた電報からでも明らかであった。


 今六日午前「バンドン」要塞ヨリ我ニ向い攻撃シ来レル敵戦車部隊ハ我ガ歩飛協同ノ反撃ニヨリ甚大ナル損害ヲ受ケ数両ヲ残置シ後退セリ 支隊は此ノ機ニ乗ジ要塞頂上線ヲ突破セントス


 この電文を聞いた今村軍司令官は即断し、軍予備隊を率いて急行することを決心し、次のように指示した。


 東海林支隊長宛にて

「貴支隊の勇戦は感激の至りなり 軍司令官は要塞西方地域の地形嶮難なるに鑑み予定の攻撃計画を変更の上第二師団の主力を貴支隊の正面に増加し八日中に其の地域に到着せしめ九日自らの指揮下に要塞に突進敵を撃破することに決心せり 依つて貴支隊は要塞第一線山頂の線を確保し軍主力の来着を待つべし 支隊単独の要塞突破は実行すべからず」

と電報をうち、岡崎参謀長をして自動車で丸山師団長の元へ派遣して、

「予定の攻撃計画を変更の上東海林支隊の得たる戦果を拡充する如く攻撃することに変更せるに付き第二師団は一部を以て西正面より敵を牽制せしめ主力二コ連隊以上を八日中に東海林支隊方面に到着せしむる如く転進すべし」

 と伝えた。そして、軍司令部は七日朝、セランを出発してバタビアまで前進するようにした。


 軍司令部はセランを出発してバタビアに向かったが、沿線は至るところで住民が歓喜に満ちて一行を迎えた。途中では蘭印軍の放棄されたトーチカ陣地を見分したが、普通に抵抗したならば、我が軍の被害はどうなるかと思う所ぞっとするものがあった。

 岡崎参謀長は作戦主任参謀の於田中佐を伴ってボイテンゾルグに赴き、丸山師団長の到着を待った。そして、同師団長に対し、軍命令を下達した。

 

   第十六軍命令

一 軍は一部を以て「ボイテンゾルグ」ー「バンドン」道方面より 主力を以て

 「カリヂャチィ」方面より「バンドン」を攻撃す

二 第二師団は爾今那須支隊を軍の直轄とし依然「バンドン」方面に敵を追撃せ

 しめ 師団主力は速かに「カリヂャチィ」付近に進出し北方よりする「バンド

 ン」攻撃を準備すべし


 前線にある江頭部隊にある異変が起きた。七日午後九時、バンドン地区防衛司令官ペスマン少将のもとから軍使ワルテル大尉が、江頭部隊第三中隊第二小隊の歩哨線に白旗を掲げて現れたのである。

 カリジャチー攻撃の先遣隊第七中隊は、道路をはさんだ山頂から山合いを歩いてくる軍使一行を目撃していた。

 彼、ワルテル大尉は酒を飲んでいた。頬を涙が伝わっていた。彼は寸断された道路を約十キロ歩いて来たのだった。

「今夜の攻撃は一時中止。各隊は警戒を厳重にして後命を待て」


 今村軍司令官はバタビア郊外にある蘭印軍の兵営内に司令所を開設した。岡崎参謀長は夜間をひたすら走り抜けて帰営し、ボイテンゾルクの状況を報告し、今村軍司令官はその報告を聞いてから就寝した。しばらくすると於田作戦参謀が軍司令官の寝所を訪ねて緊急電を伝えた。

「七日二二三〇東海林支隊に敵の参謀がきて、蘭印軍司令官日本軍司令官に停戦を申し入れる意思があることを申し出てきたので、どう対応するか指示をいただきたい」

 とのことであった。これにはまた今村軍司令官は狐に包まれた感じが一瞬した。時に八日零時過ぎ頃であった。

 

 今村中将はすぐさま参謀連中を集めて協議し、東海林支隊長に次のように指示を出した。

 ⑴ 八日一〇〇〇にてバンドンのイゾラホテルで会見する

 ⑵ ペスマン少将だけでなく、総督スタルケンボルグ、蘭印軍司令官テルポーテ

  ン中将も列席させること


 しばらくしてから変更追加の指示を次のように出した。

 ⑴ 会見地はカリヂャチィとし、日時は八日一四〇〇とす

 ⑵ 総督と司令官が所要の幕僚を伴い、同地に来て日本軍司令官と会見の上、

  直接停戦を申し入れるならばその場で諾否を決定すること、これに際し我占

  領地区内の往復は安全を保証する


 今村中将は、バンドン地区司令官の降伏意向を幸いと考え、これをそのまま蘭印軍部隊全体の降伏に導きたいと考えた。

 そして、斉木参謀に対して、

「敵は戦意を失っている。この機に乗ずるためには、第二師団の転進を一刻も早く速やかなることを要すゆえ、丸山師団長にすぐ伝達して出発するよう促せ」

と命じると共に、中将は参謀長以下幕僚を伴い、カリヂャチィに向け出発した。バンドンからカリヂャチィまで約百二十キロである。軍司令部は自動車で飛ばすことになったが、肝心の橋が爆破破壊されており、遠回りしなければならなかった。


 斉木参謀が丸山師団長にあって、今村軍司令官からの命令を伝達したが、第二師団は各戦線にあって、それぞれ次のような状況であることを説明した。


 ボイテンゾルクを占領した那須支隊は六日一七〇〇一コ中隊を同地を出発させ、東南約一〇キロにあるチバヤン付近に派遣し、他に一小隊を以て鉄道確保のために国道を急行させ、夜に広安部隊の第二大隊を同方面に追撃させたが、先遣隊はボイテンゾルクの南方約三〇キロ付近で敵部隊と交戦して死傷者を生じ、渡河する橋梁が破壊されていたので、こちらの追撃は中止した。支隊主力は七日二一〇〇ボイテンゾルクを出発して、東南方のブンチャック峠を越えて、チランヂャンに向かっている。

 遠藤大隊は、師団命令により佐藤支隊に復帰し、福島支隊は七日一三三〇生田第一大隊を鉄道輸送により、バタビアに向かわせ、主力はボイテンゾルクに待機中である。


 斉木参謀は丸山師団長に対し、

「今村軍司令官は、第二師団はバンドン要塞北地区への進出を二十四時間以内に完了するよう要望されている」

 と伝えた。


 一方、軍司令官幕僚の一行は迂回したものの、クラワン橋梁も破壊されており、ここで渡河しなければならなかった。自動車を諦め徒歩で工兵隊が架けた急造の橋を渡る。そこからは徒歩と諦めていたが、遠藤飛行団長が機転をきかせて乗用車三台と護衛のトラックが到着した。それでどうにか会見場へ間に合ったのである。


 バンドンのイゾラホテルでは、山下参謀が蘭印側と交渉しており、最初蘭印側は、カリヂャチィまで行くことに難色を示していたが、なんとか同意してカリヂャチィに向かった。

 カリヂャチィに総督以下が到着したのは、十五時頃であった。遠藤飛行団長が引見して、

「貴方の停戦申込みを武士道に則り受理します。後刻地上軍司令官が到着する予定であるから、同官と協議の上当方から要求する所があろう。その要求を入れる場合は停戦に応じ、そうでない場合は、ご覧の通り出動準備が完成している飛行機でただちにバンドンを爆撃することになるでしょう」

 と述べ、今村軍司令官が到着するまで待機させた。十六時今村軍司令官らが到着した。

 準備た整うと今村軍司令官は会見を開始した。

 今村中将を中央に、右に岡崎参謀長、左に遠藤飛行団長が座し、対面して向かって右からバンドン地区防衛司令官ペスマン少将、チャルダー総督、陸軍長官テルポーテン中将、陸軍参謀長バッカス少将の四名が対していた。日本側は他に岡村参謀、高島参謀以下が参謀長寄りの側面に、通訳として軍政部付三好俊吉郎が蘭印側通訳と共に遠藤飛行団長の側面にいた。


 今村軍司令官が最初に言った。

「私が蘭印諸島攻略軍の最高指揮官今村中将です。オランダ側通訳官は私の身分を一同に伝えた上で、オランダ側列席者各人の氏名と職名とを日本側に知らせなさい」

 通訳官が話終えると、

「では三好書記官は、こちら側を向うに紹介してください」

 それが終わると、今村はテルポーテン中将に話しかけた。

「昨日、貴官はその参謀を日本軍の第一線部隊に派遣し、停戦の意思があることを、私に伝えよと命ぜられましたか」

「そうしました」

「もはや、戦争は継続し得ないと自覚されてのことですか」

「これ以上の戦争の惨害を大きくすることを避けたいためです」

 今村はチャルダ総督の方に視線を移し言った。

「総督は、無条件降伏を致しますか」

「降伏いたしません」

「降伏しない者が、どうしてここに来たのです」

「これからの蘭印の民政を、どうやって行くべきかを日本軍司令官と協議するために来ました」

「我々日本軍隊は、蘭印諸島を統治するために派遣されたものではなく、戦闘によってすべてのオランダ勢力を払拭する任務を受け上陸したものです。昨日の停戦申し入れは総督の決意に基づいているものではありませんでしたか」

「私は停戦の意思を持ちません」

「それなら、どうしてこの席に来たのです」

「日本軍司令官が、総督の来ることを要求していると、オランダ軍司令官から通知されたためです」

「停戦の意思がないなら、何故にあなたは、軍司令官の停戦申し入れを禁じなかったのです。総督はオランダ国憲法により、蘭印における全陸軍を指揮する統帥権を持たせられている筈です」

「戦争勃発前は、私が統帥権を持っておりました。が、英軍のウェーべル大将が、ジャワに来て以来、同大将がここの連合軍総司令官となることに連合国政府間で協定され、私の統帥権は、彼に移されてしまいました」

「テルポーテン将軍、あなたは戦争の惨害をこれ以上大きくすることを避けるために停戦いたしたい、と申される。降伏いたしますか」

「バンドン地区だけの停戦です」

「バンドン以下の広い地域には、惨害が広がってもよいお考えですか」

 中将はしばらく無言であった。そして、

「もはや全ての通信手段がなくなってしまい、バンドンだけが、私の命令によって停戦させることができます」

「日本軍の無線通信機は、蘭印軍相互の通信を傍受しており、バンドン放送局の今朝の放送も聴取しています。全蘭印地域のあなたの部下軍隊に停戦を命ずることは可能の筈です。日本軍はバンドンだけでなく、全蘭印軍の全面的降伏を要求します」


 オランダ側は互いに眼を見合わせて黙っていた。

「無条件降伏か、戦争の続行か、いずれか一つです。飛行場のわきを通られたとき、ご覧になったでしょう。我が爆撃機は爆弾を積み、すぐ飛び出す態勢をとっております。もし降伏をがえんぜず、バンドンにお帰りになるなら、日本軍の第一線までは、確実に安全を保証しますが、其後私は直ちに飛行隊に攻撃開始を命令します。今から十分間熟考の時間を与えます。その間に協議の上、決心させることを求めます」

 日本側は全員席を外して隣室に退去し、オランダ側代表だけが部屋に残った。十分後、日本側は再び部屋に入り席についた。

「われわれは、もはや抗戦は無為と考えます」

総督が言った。

「降伏の決定は女王以外にはできないし、また女王に降伏を奏請するにも通信の方法がない」

 今村は言った。

「この席は外交交渉をする場ではない。降伏するか戦争を継続するかについて交渉するだけであるから、外交交渉の相談であれば相手にすることはできないので、退場願いたい」

総督は退室していった。

「将軍、貴官は総督が不同意でも降伏するか」

「バンドン付近の惨状はまったく目もあてられない。バンドンは全く無防備状態となり、軍隊はほとんど解隊同様になっているから、このうえ市民を悲惨な戦禍の中に追い込むことは、とうてい忍びない。相当広範囲にわたってバンドンを明け渡したいと思うが承諾されるか」

「バンドンの明け渡しは日本軍にとっては問題ではない。バンドンを占領する位は、日本軍の精鋭をもってすれば、きわめて容易なことである。それほど降伏することができないのなら、これ以上談判することは無益である。ただ最後に今一度はっきり言うが、日本軍の要求は全面的かつ無条件の降伏であって、それができないならば、すみやかに戦闘を再開して、実力をもって蘭印軍を殲滅するまで戦うまでであるから帰ってもらいたい。もし全面的無条件降伏の意思があるならば、明九日一二〇〇バンドン放送局で自身全蘭印軍に対し一二〇〇以後一切の抗戦を停止し、各地毎に日本軍に降伏するよう命令せよ。今わが方の要求事項を読んで聞かせるから、よく記憶し、ゆっくり考えたらよかろう」

 といい、岡崎参謀長が要求事項を読み上げた。テルポーテン中将は日本軍の要求に署名した。最後に今村は、

「この当方の要求事項は停戦実施の参考として渡しておく。無条件降伏の決意をされたら、明日全蘭印軍に戦闘停止を放送した後、再びここに来て降伏に関する協定条約の締結を行なってもらいたい」

 テルポーテンは

「明日何時に来ればよいか」

 とたずねた。

「一五二〇に再会する。念の為一言言っておくが、一二〇〇バンドンからの貴官の放送が聞かれなかった時は、すなわち日本軍攻撃再開の時であり、飛行隊の爆撃も行われる。了解されたならバンドンに帰られよ。第一線までは無事お送りする」


 九日一二〇〇、バンドンから蘭印軍の放送が始まり、全面降伏することを述べた。

 そして一四三〇にテルポーテン司令官以下がカリヂャチィに出頭し、今村軍司令官と会見が行われ、降伏文書に署名してジャワ島の蘭印軍は降伏した。


 軍は丸山師団長に東海林支隊を併せて指揮してバンドン入城を行わせることに決めたが、丸山師団長の到着が遅れていたため、今村中将は東海林支隊長に対してバンドンに入り接収業務を開始するよう命じた。丸山師団長は、十日午前バンドンにて東海林支隊に対し、第二師団の指揮下に入ったので、主力はバンドンから撤退させ、那須支隊の一部をバンドンに入れた。

 今村軍司令官も十日一七〇〇バンドンに入城し、丸山師団長と会見し、会食の席を設けた。


後日、今村軍司令官は東海林支隊に対し感状を授与した。


   感 状

        東海林部隊 同配属部隊 同区処部隊

右は昭和十七年三月「エレタン」付近に敵前上陸し数次に亘り空陸よりする敵の執拗なる攻撃を破摧し長駆して同日正午既に「カリヂャチィ」飛行場一帯を占領し以て我が制空権の獲得を可能ならしむると共に「バタビア」「バンドン」間の連絡を遮断し次で五日午後遠藤飛行部隊と協同の下に「バンドン」要塞の一角を突破し以て敵軍の全面的降伏に重大なる素因を与えたり 右の行動は作戦胆略最も機宜に適せるものにして其の武功は抜群なり 茲に感状を付与して全軍に布告す

  昭和十七年三月二十一日

             蘭印方面陸軍最高指揮官 今村 均

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