第三十話 東海林支隊バンドン要塞へ

 三日昼以降、日本軍の各戦線には蘭印軍部隊の反撃が激しさを増すことが懸念されていた。

 それは航空部隊により蘭印軍の装甲車、トラックが大量に日本軍の前線へ向かっていたからであった。

 東海林支隊本部のスバンにはバンドン方面から北上する戦車十数両、トラック百両からなる部隊を発見した。

 カリヂャチィの若松部隊には、戦車、トラック百数十両が西南方から接近していた。

 揚陸地エレタンには砲を有する約二千からなる兵力が迫っていた。

 江頭部隊のジャチサリ正面も連合軍部隊の動きが活発化してきた。

 ただし、これらの戦車機動部隊に対し第三飛行集団は、爆撃銃撃を反復攻撃を繰り返して、ほぼ撃滅することに成功した。


 若松大隊は四日零時カリヂャチィを出発してブルワカルタに向かった。その道中、無惨にも破壊炎上している蘭印軍の戦車装甲車、トラックの残骸の山を見ながら前進した。それでも其後少数の蘭印軍部隊と三回にわたり交戦撃退しながら、〇七〇〇ブルワカルタを占領した。

 江頭部隊は自動車で西進しながら、蘭印軍部隊を攻撃撃退しながら、午後チカンベックに入り、一八三〇にはクラワンに達して同地の蘭印軍部隊を敗走させ、ケドンゲテに到着したが、橋梁は破壊されていた。

 同地に江頭部隊が到着したのを受けて、若松大隊は一四〇〇一旦カリヂャチィまで引き揚げた。


 四日夕刻、東海林支隊長は敵情判断について次のように判断していた。

「敵はチェリボン方面に約二千、バンドン方面に約二万、ブルワカルタ方面に約三千ありとして、特にブルワカルタには逐次増派しているようである。敵はさらに兵力を集中して、スバン、カリヂャチィ方面に進攻してくるであろう」

 そして支隊長の下した策は、

「敵の集中、統合、来攻に先立ち、機先を制してバンドン要塞を攻略する」

 これに対し軍から派遣されていた山下参謀は、少々弱気な所をみせ

「支隊長殿、威力偵察することにしてはいかがでしょう」

と意見具申したが、東海林支隊長はバンドン要塞攻略を力説し、同席していた第三飛行団の遠藤少将は、全力を挙げて協力すると答えた。

 東海林支隊長は次の通り命令を下達した。


一 若松部隊は速かに兵力を集結し明五日一一〇〇「スバン」出発 「バンド

 ン」攻略の先遣隊となり「スバン」ー「バンドン」道を先づ「チャテル」付近

 に前進し同方面の状況特に「バンドン」北側の敵陣地の状況及地形を偵察すべ

 し

 「カリヂャチィ」飛行場には遠藤飛行団長所望の兵力を其の指揮下に残置すべ

 し 本兵力は後刻江頭部隊兵力と交代せしめ追及せしむべし

 山下参謀、関谷副官以下所要の本部機関を同行せしむ

二 江頭部隊は速かに「チカンベック」を撤収し 六日早朝「スバン」を出発

 「バンドン」に前進し得る如く「スバン」に全兵力を集結すべし 尚「カリヂ

 ャチィ」飛行場通過の際若松部隊に於て残置せると同数の兵力を残置交代せし

 め遠藤飛行団長の指揮下に入らしむべし

三 大野部隊長は後方部隊全部を指揮すべし

 

 五日一一〇〇若松部隊は、山下参謀、関谷連隊副官を伴いスバンを出発し南下していった。途中、航空部隊が撃破した装甲車両、トラックなどを確認しながら蘭印軍を追撃した。十六時頃先頭をいく戦車が銃砲撃を受けたことにより、戦闘がはじまった。情況を確認すると対戦車障害、鉄条網に守られたトーチカ陣地があり、それも五カ所が確認できた。

 歩兵中隊は起伏があり、樹木も繁っており、巧みにその地形を利用してトーチカに接近して、三つのトーチカを占領した。台上に進出した際には、小川を隔てた台上のトーチカから射撃を受け、二名が戦死し、数名が負傷を負い、さらには敵戦車が進出してきたが、これを撃破して、この台上のトーチカ二つを占領した。さらに前進したところを射撃を受け、大隊副官の関谷大尉が負傷した。

 東海林支隊長は、しばらく若松部隊との連絡が途絶えていたため、副官らの負傷者の後送により、若松部隊の激戦を知った。支隊長は本部を率いて若松部隊を追った。


 若松大隊に同行している山下参謀は支隊長に報告した。

「バンドン北側の敵軍の陣地はトーチカ、鉄条網などを有する相当堅固な陣地であって、砲十数門を有し、守兵約三千位と見受けられます。蘭印軍は逐次増員しつつあります。陣地の前面には諸処断崖があり、通過困難と思われます。陣地の両側は密林に覆われ通過困難と思われます」

 ただし、部隊が遭遇戦となった際に捕虜とした兵により、密林内の迂回路を聞き出し、その捕虜を案内として密林内の間道を進み、警戒陣地の西方に出たが、その陣地は敵の主陣地であって、幸いしたのは霧が多く視界が不良であるのを利用して攻撃準備を整え、霧が晴れるのを待って一斉に突撃をおこなった。不意をつかれた蘭印軍は雪崩を打って後方に敗走した。

 若松大隊長はこれ以上の深追いはせず、現陣地の占領確保を命じ、バンドン要塞への一斉攻撃のために江頭部隊の到着を待った。


 前掲の江頭部隊の原久吉軍曹の手記を再び借りるとしよう。


『カリジャチー飛行場占領と敵の大逆襲を撃退した第一挺身隊、バンドン~バタビア間の連絡網切断の任務を完遂した第二挺身隊、スバンにおいて敵機動部隊を破砕し、その企図を挫折させた支隊本部の各最前線には、三月四日、五日とつづいて敵の来襲もなかった。

 支隊本部は、インドネシア人の情報により、蘭印軍がぞくぞくとバンドン方面に退却中であることを知った。そこで東海林支隊長は、敵が反撃する意志のないことを知り、わが進撃路上に敵が陣地を構築することを妨げつ必要を感じた。

 また、敵の万が一による大挙来襲を未然に防止するためにも、全力をもって出撃し、できうれば、バンドン攻撃のさいの要地を確保しておけば、その後の攻撃を有利に展開できると判断した。

 第一、第二挺身隊はもちろんのこと、上陸掩護部隊であった大野中佐指揮の速射砲大隊も、これに加わり、バンドン攻撃の進撃の途についた。

 チカンペック方面に作戦中の第二挺身隊も六日、

「急遽本隊および第一挺身隊を追及、レンバン方面に進出すべし」

 という命令を受信した。いよいよバンドン攻略戦である。江頭部隊は敵の本拠を衝くために勇躍トラックに搭乗、バンドン方面に急進した。

 カリジャチー飛行場には、すでに友軍の航空隊が進出しているし、ジャワ周辺の敵飛行場もすべて日本軍が制圧している。もう空からの攻撃不安はなくなっている。

 炎熱下、猛スピードで突っ走る車上は、暑さを感じさせない。通りすぎるどの集落にも日の丸の小旗がはためき、住民たちの歓迎ぶりは熱狂的であった。

「まるで内地を出発したときのような歓迎ぶりだな」

「これではまるでドライブだ」

 香港戦を戦い抜いてきた兵隊たちは、前途にバンドン攻撃という死闘が横たわっているのも忘れて、浮き立っていた。夕刻、支隊本部が死闘を繰り返したスバンに到着する。

 七日、スバンを出発すると間もなく、

「敵兵がバンドン方面に退却中」

 住民からの情報があったと、北村軍曹が知らせてくれた。それも一、二時間前ということであった。「それッ」とばかり追及が追撃に変った。先遣隊が増派され、さらにスピードを増した。見敵殲滅の意気込みが、兵隊たちの顔を引き締めた。灌木の並木がつづき、白い舗道には妨害物ひとつなかった。

 ふたたびカリジャチー付近の敵機動部隊の残骸を横に通りすぎる。退却した敵部隊は、この付近の地理にくわしいためか、どうも他の道を通ってバンドン方面に向かったらしい。急追するわれわれにも、ついにその姿を発見することができなかった。

 バンドンは、ジャワ中西部の丘陵地帯にある都市で、全蘭印軍の軍事的中心地であった。

蘭印軍司令部の所在地でもある。バタビアより退いてきた蘭印総督府も、ここにあった。周辺の丘陵地帯には防御陣地がぐるりと構築され、数万の軍隊が配備され、要塞化されていた。

 カリジャチー飛行場を占領した第一挺身隊は、すでにバンドン要塞攻撃のために行動を開始していた。第一目標は、この要塞の第一線陣地のあるレンバンの占領であった。

 レンバンは、バンドン市街を見下ろす北方高地の街である。

 六日真夜中に行動を起こした部隊は、レンバン西方高地に分解した大隊砲を担い上げて、ここよりレンバンの街に向けて痛烈な砲撃を開始した。街中に炸裂しはじめた砲弾に、敵の動揺は大きく、また若松部隊の夜襲攻撃は、敵の混乱をされに増大させた。そして、午前二時すぎにはこの街を占領し終わった。

 部隊はレンバン占領後、ひきつづき南側の高地を占領するため、行動をつづけた。

 元来、バンドン攻撃は、第二師団の進出を待って行なう予定であった。しかるに二師団の進撃路は、蘭印軍の徹底的な破壊工作により、道路は寸断され、倒木による妨害と橋梁の破壊された川に阻まれて、進撃はいちじるしく遅れていた。

 バンドン方面に退却した敵は、その防備に大わらわである。一日遅れれば、一日防備が固くなる。支隊は浮き足だっている敵を駆逐して、総攻撃の足場を固め、その作戦を有利にするためにと、南方高地の占領をはかったのである。

 レンバンの街をはずれると、舗装された道路が背後の山方向に向かっていた。部隊はその道を両側に分かれて前進をつづけた。

 潜んでいた狙撃兵がときおり発砲してきたが、意に介せず進撃していった。しかし、大隊副官の伏見正三郎中尉は、この狙撃により戦死をとげた。

 第七中隊は、樹林内を進んだ。付近は谷底に川を挟んだ山が重なっていた。中隊は左側の山に分け入った。樹林が切れるとゴムの木が整然と植林され、その中に深さ一メートル四、五十センチの散兵壕が堀めぐらされ、そのところどころにトーチカが構築されていた。トーチカ内にはつい先ほどまで敵がいたらしく、兵器、弾薬庫、食糧等が散乱していた。

 兵隊たちは敵の壕を伝って、頂上に向かった。

「敵は近いぞ、油断するな。頭をだすな」

 分隊長山口六郎軍曹が、部下に注意を与えた。彼は日ごろから声が大きかった。その声が敵に聞こえたのか、敵情偵察のために頭を出したとたん、狙撃されてしまった。山下軍曹も同様な運命をたどった。敵の狙撃は正確をきわめていた。敵が間近にうごめいている気配が感じられた。

「手榴弾戦用意」

 小声に伝えられてきた。手榴弾を握りしめた兵隊たちは、隠密に敵陣に近づいた。敵もわが気配を感じたのか、敵弾が中隊を包んだ。

「投擲!」

 炸裂音が轟然とゴム林内を揺れ動かした。つぎつぎに炸裂する手榴弾に、敵はついに退却をはじめた。中隊は逃げる敵に追い討ちをかけ、逃げ遅れた敵兵二十数名を捕虜にした。

 いままで敵が拠っていた陣地付近には、敵兵の死体が散乱していたが、中隊もまた、かなりの死傷者を出してしまった。

 この付近の敵陣にも、完成したトーチカや未完成の防御陣地が構築中であった。攻撃前進をつづけてきた兵隊たちは、この第一線を抜いた喜びに疲労も忘れていた。この南側高地は、七日の夜明け前までに占領し終わった。

 すでに東海林支隊長は、

「支隊は五日以来、バンドン要塞内に突入すべく、その第一線は準備完了」

 と軍司令部に打電してあった。

 当時のバンドン要塞には蘭、米、英、豪の連合軍とバタビア方面からの退却軍を含めて、五万の敵兵がひしめいていた。

 支隊長は三千たらずの寡兵をひっさげてこの蘭印軍との対決を決意し、すでに若松部隊は行軍を開始していた。軍司令部は、まったく孤立している東海林支隊に自重を要望していたので、驚いてしまった。そこで、

「第二師団を三月十八日までに東海林支隊の正面に転向させる。攻撃は軍司令官みずからの統一指揮により、バンドン要塞に進出することとする。東海林支隊はそれまで付近の山頂要処を確保し、軍主力の集結、展開を掩護せよ」

 と支隊弾独での要塞内部への突入決行はまかりならん、との返電を打ってきた。

 七日の朝が来た。敵砲兵陣地から砲弾が飛んできたが、もう敵機は姿を見せず、逆にカリジャチーからの友軍航空隊が、敵陣を爆撃し始めた。

 支隊主力を追及中の第二挺身隊は、七日正午前にようやく追及が終った。

 レンバン市街前方にて下車、山路を進撃して、バンドン要塞に沿った山腹に布陣を完了した。付近の畠には馬鈴薯が一面に植え付けられていた。

 第一中隊の展開した付近で、航空隊の観測将校二名が、要塞爆撃のための友軍機誘導の準備を行なっていた。

 軍から派遣されていた山下参謀と支隊長との間に、論議がかわされたという。

「今、攻撃を行なえば、準備未了の敵を撃破することができる。こんまま待っていては、敵に立ち直る時間を与え、逆に反撃の機会を許してしまう。この好機を逃がしてはならない」

 という支隊長の進撃論にたいし、

「いや、それでは軍命令違反となる。二師団の到着を待つべし」

 山下参謀の方は、あくまで命令遵守を主張する。その真意はともかく、支隊の士気は高く、「敵何するものぞ」とすでに敵を呑んでいた。しかも、

「今夜午前零時を期して、バンドン要塞を夜襲する」

という命令も下っていた。』

 

 七日、若松部隊と江頭部隊はレンバンに進入し、バンドンを眼下に見る配置についた。兵力差から言えば、日本軍は蘭印軍の十分の一である。丸山第二師団の応援が必要でもあった。有利なのは、航空隊による支援爆撃が大きな期待であった。砲兵隊は比島バターン戦に比重がかけられているために各連隊が保有する歩兵砲、連隊砲、山砲ぐらいしか頼るものがなかった。

バンドン要塞がどのような規模か全く不明であったのも事実であった。

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