第二九話 第二師団の戦闘

 第十六軍司令部は三日まだラガスにあったが、戦闘司令所はセランまで前進していた。

 第二師団の前進は遅滞していた。どこでもだが橋梁が破壊されていたからだ。岡崎軍参謀長は司令所を出発してプチルにある第二師団司令部を訪問し、丸山師団長とあった。


「橋梁が破壊されており前進が思うようにできていない。なおかつ河川の底が深く岸が高い上に、毎日午後には激しいスコールに見舞われ、増水のために工兵も苦心惨憺している」

 と参謀長に告げた。その後、岡崎参謀長はクラギラン橋梁に向かった。現場に到着するとその破壊状況や河川の現況をその目で見て、想像以上であることに驚愕した。すぐさまこの状況を改善することを考えねば作戦遂行に大きな支障をきたすと判断し、セランの軍司令所に帰ると、今村軍司令官に意見具申を行った。今村軍司令官はすぐさまその処置をとるよう命じた。


「軍兵器部長山田久光少将は工兵諸隊その他配属する部隊を統一指揮し速かにクラギランに架橋すべし」

と命じ、第二師団に対しても、

「極力那須支隊、福島支隊方面から作戦の進捗を図るべし」

と命じ、自動車一コ中隊が増派された。


 この間、第二師団丸山師団長は師団命令を出した。

   第二師団命令 三月三日一二〇〇 「プチル」

一 福島支隊主力は本日午後「バマラヤン」を出発前進す

二 師団予備隊は主力を以て本日中に「バマラヤン」に前進し主として「バリ

 ギ」方向に対し警戒すべし 其の一部を師団戦闘司令所と同行せしむること故

 の如し

三 予は現在地に在り 明四日「バマラヤン」を経て「ランカスピドン」に前進

 する予定


 同じ時間、軍通信参謀斉木中佐は軍通信隊主力を率いてラガスを出発し、途中橋梁が破壊されているので、迂回路を進み、一五〇〇ようやくセランの軍戦闘司令所に到着したが、その器材は有線一中隊と無線二小隊のみであった。いまだもって軍は全軍の状況を把握できない状況であった。

 

 那須支隊の野口梯団(野口欽一中佐指揮)は、前夜の宿営ラワングダテーブナール地区を三日早朝出発し、その尖兵中隊は一三三〇にはルウイリアンに到着し、東岸の豪州軍部隊との戦闘に入った。豪州軍は蘭印軍と違って頑強に抵抗する。其後野口中佐が到着して、夜襲を決行する段取りとなった。


 那須支隊の広安梯団はペテンチサラクに宿営していたが、三日〇八四〇諸角第三大隊、連隊本部、小野口第二大隊の順番に自動車にて出発した。その尖兵中隊は一六三〇頃ルウイリアンに到着して、野口梯団の戦闘に加入した。


 福島支隊は、パマラヤン付近に集結して三日天明頃、連合国軍機の攻撃を受けたが被害は皆無であった。十二時同地を出発して、自動車と自転車を利用してマジャに向かっていた。先遣隊の第五中隊はマジャ東方橋梁に向かい十六時頃にマジャに到着し、敵情及び地形を探索した結果、チドリアン橋梁を破壊して撤退した後であった。まだ同河右岸には先に進む道路らしきものがないことが判明した。

 福島支隊はこの先遣隊の報告により、丸山師団長は、福島支隊は那須支隊の後方を進みよう転進命令を出した。


 佐藤支隊の吉井少佐指揮の挺進隊は、三日早朝クラギランを出発、〇九三〇パリギ橋梁を占領確保し、午後三時三十分にはバララヂャに進出したが、こちらの橋梁は破壊されていた。佐藤支隊の主力は一一〇〇チジュン河を渡河して前進していった。


 野口梯団であるが、三日の一三三〇尖兵中隊の先頭をいく軽装甲車はルウイリアンの橋梁にさしかかろうとしていたが、橋梁は破壊されており、停車せざるを得なかった。その時機関銃と対戦車砲を受けて装甲車は撃破されてしまった。後方から詰めてきた梯団長野口中佐は尖兵中隊の位置にたどりつき、情況を探索した。対岸の敵部隊は豪州兵であり、右岸地区一帯にトーチカ陣地を野戦陣地で補強した上で、砲二門で支援していると判断された。野口中佐は一部で正面にて対峙牽制しつつ、主力は夜間をもってチャンテン河を渡河して、敵陣地の左側背からガボング山に対し夜襲を決行することに決め、命令を各部隊に伝えた。


一 右から第二中隊、第一中隊第一線、各々橋梁上流約三キロのベニアカレツ付

 近で、チャンテン河を渡河しチュムバン付近に進出し、爾後第二中隊は本道北

 側地区からガボング山の敵陣地を、第一中隊は本道に沿う地区から橋梁東端の

 敵陣地を奇襲。出発は一九〇〇、渡河を二二〇〇、突入を二四〇〇と予定

二 工兵中隊は、夜襲成功とともに橋梁修理

三 砲兵中隊は、昼間敵を正面に牽制するよう射撃

四 独立速射砲中隊は、敵を正面に牽制するように射撃

五 第三、第四中隊は予備隊、現在地に位置。


 砲兵中隊の渡辺中尉は、その全火力の砲二門にてガボング山頂の監視所を一七三〇に砲撃を開始し、それを終えると今度は目標をトーチカ陣地に変更した。


 同じ頃広安梯団が現場に到着、まもなくして那須支隊長も到着した。野口中佐は那須支隊長に現在判明する敵情、地形、現況などを報告した。併せて今夜夜襲を決行することも説明した。那須支隊長は少し迷った。遅れて参陣した広安梯団は第十六連隊である。第十六連隊といえば、日露戦争の時、弓張嶺の夜襲で感状を授与されるほどの成功を成した歴戦の部隊であり、那須支隊長としては、その夜襲の手柄を広安部隊に譲ってやりたかった。しかし、夜襲の準備ができている野口梯団に替わり広安梯団に命を下すとなると、夜襲の準備が整っていない。師団参謀の佐藤少佐が同行しており現場にいた。

 佐藤参謀は支隊長に言った。

「前面の敵陣地は前進陣地的なものと判断します。敵に時間的余裕を与えない方がよろしいかと・・。予定通り野口中佐に任せましょう」

 佐藤参謀は計画通り野口梯団にやらせる方が良いという意見であったが、那須少将は、後方から追及していることになっている広安梯団に武を持たせてやりたかった。最終決めるのは那須少将である。


 十八時、野口梯団に対して

「夜戦準備を中止せよ」

 と命じ、広安梯団に対して

「一部をもって当面の敵を左側背から薄暮攻撃せよ」

 と命じた。

 広安少佐は、命令に基づき主力をもってルウイリアン南方地区からチャンテン河を渡河し、爾後一部をもって当面の敵を攻撃することにした。第三大隊はルウイリアン南方三キロ付近でチャンテン河を渡河し、夜間に東方台上敵陣地を奪取してチバト付近に進出するよう命じ、連隊砲および速射砲中隊は第三大隊に続行してチャンテン河右岸台上に陣地を占領して第三大隊の攻撃を支援するようにし、第二大隊は予備隊としてその後方を前進するよう命じた。


 第三大隊の尖兵中隊は、野口部隊のいた右翼まで進出して、代わって連合軍部隊と交戦中であった。第三大隊長諸角少佐は命令に従い、尖兵隊を渡河点に進出させて敵情地形を偵察させ、自らはルウイリアン南方三キロ付近の渡河点を偵察した後に帰還した。

 第三大隊は四日零時を期してルウイリアンを出発して、前日偵察した渡河点に達したが、前日夕方のスコールにより河は増水しており、川幅約三十メートル、水深約一・三メートルに達していた。流れも早く、渡河には時間を要したが、なんとか渡河し終え、明るくなる頃には渡河を完了した。

 諸角大隊長はこの先に陣地を占有する敵部隊は兵力未詳ではあるが、それほど大きくないと思っていた。

 第九中隊の伊藤大尉を第一線とし、第十一中隊の滋野中尉を第二線部隊として、大隊長と広安連隊長は第十一中隊の先頭を前進していった。

 第九中隊は前進する中、敵の監視部隊より突如射撃を受けたが、これを撃破して道路を突っ走った。連隊長、大隊長とこれに続いたが、前方台地上より猛烈な射撃を受け、先頭をいく第九中隊長伊藤大尉が斃れ、連隊長も負傷した。諸角大隊長は、第十一中隊を第九中隊の左に配置して反撃したが、情況は進展しない。

 予備隊である第十中隊が前線に到着したので、同中隊を右翼隊として投入したが、それでも解決しない。

 午前十時、頼みとしていた第三機関銃中隊が到着し展開したが、それでも好転の兆しはない。

 諸角大隊に第三大隊砲小隊は十五時頃、前線に到着。この頃敵の約三百名からなる部隊が第九中隊を包囲するよう進出してきた。広安連隊長は、到着した第二大隊に対し、諸角大隊の右に展開させて、この敵に対応させた。


 一方、那須支隊の支援部隊である野砲兵隊は、ガボング山の火点とチバトクの要点を砲撃していたところ、ガボング山東側に新たな砲兵部隊が出撃したので、これに砲撃を加えて沈黙させることに成功する。


 広安連隊長は、第二大隊の展開が終わるや、第三大隊、第二大隊を以て夜襲により当面の陣地を奪取し、引き続きカブルガ高地とチバトクを占領することに十六時命令を下した。幸い、一九三〇頃からスコールがあり、連隊はこれを利用して前進を開始し、二十一時頃敵陣地を奪取し、チバトクに向かった。


 那須支隊長は、この夜襲のことを知ると、野口梯団に主力を率いてルウイリアン東北地区に進出するよう命じ、同付近の北側高地を明五日払暁までに占領確保することを命じた。


 ルウイリアンの戦闘において広安梯団は第九中隊長伊藤大尉以下二十八名が戦死し、負傷者は広安連隊長以下二十一名であった。


 那須支隊長は五日〇二〇〇次の行動に移るべく支隊命令を発した。

  那須支隊命令 三月五日〇二〇〇 

          「ルウイリアン」

一 「バタビア」方面の敵は既に退却を開始し「バンドン」要塞内に遁入中な

 り 広安部隊は夜襲に成功し「チバトク」及カヴウガ(「ルウイリアン」東北

 一キロ)高地を占領しあり

 野口部隊の状況は未だ明かならず 新に福島支隊及渡辺大隊を予の指揮下に入

 らしめらる

二 支隊は当面の敵を追撃して「セムプラル」(「ボイテンゾルグ」西北四キ

 ロ)ー「ドラマガ」(「ボイテンゾルグ」西北五キロ)の線に進出し爾後の

 「ボイテンゾルグ」攻撃を準備せんとす

三 広安部隊は「ルウイリアン」ー「チバトク」(「ルウイリアン」東三キロ)

 ー「ドラマガ」道を「ドラマガ」に向い追撃すべし

四 野口部隊は「タンペラア」(「ルウイリアン」東北七キロ)ー及「チサダ

 ネ」右岸道を「セムプラル」に向い追撃すると共に一部を以て「デアンプン

 グ」(「ボイテンゾルグ」北方五キロ)付近に於て鉄道を破壊すべし

五 渡辺大隊は直に「チアンテン」河を渡河し野口部隊の後方を「カウム」

 (「センブラル」北一キロ)に向い前進すべし

六 福島支隊は現在地付近に於て兵力を集結し爾後の前進を準備すべし


 四日軍が把握した第二師団の状況は次の如くであった。

一 バタビア、ボイテンゾルグの連合軍部隊後退の徴候があることを知り、那須

 支隊方面に重点を形成し、ボイテンゾルグ、バンドン方向へ急進するよう命令

 した。

二 第二師団司令部は、四日未明ブチルを出発し、パマラヤンを経てランカスピ

 ドンに進出、師団長は、前日夕福島支隊の転進準備を命じていたが、前記軍命

 令を受けるや、渡辺大隊と福島支隊を那須支隊に転属し、また戦車第二連隊も

 転進させた。

三 那須支隊は、前夜の夜襲成功せず、本四日昼夜を通じルウイリアンを攻撃し

 た。

四 福島支隊は、四日朝から自転車をもって逐次転進し、一四〇〇先遣隊の先頭

 をもってランカスピドンを通過東進し、一八〇〇ジャシンガに達した。さらに

 道路を補修しながら前進を続行、夜半ルウイリアン西方四キロに集結した。

五 佐藤支隊から転用された渡辺大隊も、同時ごろ到着した。翌五日は、渡辺大

 隊が先行することになった。

六 師団予備隊(佐々木大隊)は、三日夜半プチルを出発、四日一〇一〇パマラ

 ヤンに到着し、パリギ方面に対し警戒して福島支隊と渡辺支隊の転進を掩護し

 た後、主力をもって同日二〇〇〇パマラヤンを出発、福島支隊長の区処下にラ

 ンカスピドンに向かい前進、五日〇二二〇同地に到着した。

七 佐藤支隊は、四日一七〇〇頃までにパララヂャに兵力を集結し、爾後の前進

 を準備した。

八 メラク泊地の揚陸は順調で、同泊地の輸送船十四隻は四日揚陸を完了して駆

 逐艦二隻の護衛下に帰航した。


 軍司令部の予想は、那須支隊は五日にルウイリアン付近の敵陣を攻略して、ボイテンゾルグ前面に進出するであろう。佐藤支隊もタンゲランの敵陣にぶつかるであろうが、那須支隊の進出に掩護すべきであろうと考えていた。

 だが、意外なことが起こったのである。佐藤支隊からバタビアを占領したという電報が軍司令部に入ったからである。

 要衝の一つバタビアを占領したという電報は軍司令部内に歓声の渦が起こった。

 佐藤支隊は五日〇八〇〇パララヂャを出発し、タンゲランの陣地帯の攻撃に向かったが、敵は既に退却しており、バタビアに向けて追撃に移った。尖兵隊は二一三〇バタビアに進入したが、敵の反撃はなく静かであり、佐藤支隊長は二三三〇バタビア市内に入り、無血占領を報告したのであった。

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