第二八話 第四十八師団、坂口支隊の上陸戦闘

坂口支隊が立案した作戦計画は次のようであった。


    第一 方針

一 支隊は、第四十八師団とともにクラガン東方地区に上陸し、次いでブロラ付

 近に集結した後、一挙にスラカルタ、ジョクジャカルタ、マゲラン、ヴオノソ

 ボ、スラメット山南麓を経てチラチャップを急襲占領し、バタビア、バンドン

 方向の敵の退路を遮断する。

二 爾後隣接師団と呼応し、残敵を掃蕩し、中部ジャワの要域を戡定する。状況

 によりバンドン方面の攻略に参加することがある。

   第二 指導要領

三 第一梯団はバリクパパンから出発、第二梯団はバンジェルマシンから出発、

 それぞれ、クラガンに第四十八師団長の区処下に上陸する

四 支隊は、クラガン付近に上陸後、すみやかに金氏梯団を基幹とする部隊をも

 って、ブロラを占領し、情報を収集させ、前進拠点を確保させる。支隊戦闘司

 令所を、すみやかに同地に推進する。第四十八師団は、その一部をもってレン

 バン、ヌガウイを占領する。

五 支隊主力は、ブロラ付近集結概了後(上陸後三日と予定)松本梯団を先頭と

 し、山本梯団、金氏梯団の順序に、ブロラーブルワダチィースラカルタ道をス

 ラカルタに向かい急進し、同地を占領する。スラカルタ攻略は、支隊のジャワ

 本島における緒戦であるから、特に敵撃滅の徹底に重点を指向する。これがた

 め、本道以西の地区に重点を保持し、敵の退路を遮断するように神速に攻撃す

 る。

六 スラカルタ攻略後は、一部(金氏梯団)をジョクジャカルタ方向に急進さ

 せ、主力は機を失せずメルバブ山北麓陣地を南方から急襲撃破した後反転して

 ジョクジャカルタを攻略し、引き続き一気にマゲラン兵営を南方から攻略す

 る。この際、松本梯団の一部をもって、マゲランに対し北方および東方から牽

 制させる。状況によっては、メルバブ山北麓陣地を攻撃せずマゲランを攻略す

 る。マゲラン占領後は、一部をワテスを経てクタルジョ方向に敵を急追させ

 る。

七 マゲラン占領後、一部(歩兵一中隊)を同地に残置し、ウオノソボを経て、

 なるべく上流でセラヤブ河と渡河し、スラメット山南麓、ブルオケルト付近に

 進出し、チラチャップ北側高地付近の敵を駆逐し、同地を占領した後、機を見

 てチラチャップに突入し、同市を占領確保する。この際、一部をもって、舟艇

 機動によりチラチャップ南方岬の敵砲台を占領確保する。チラチャップ攻略

 は、遅くも上陸第十日と予定する。

八 揚陸軍需品は、逐次すらカルタ、ジョクジャカルタを経てマゲランに集積す

 る。

九 本期作戦間、海軍航空部隊の一部の協力を予期する。

十 支隊作戦行動地域は、ラセム山ーラウ山以西とする。

十一 チラチャップを占領しバンドン、バタビア方面から退却する敵を撃滅した

 後は、すみやかに主力をマゲラン付近に移し、適時スマラン、べカロンガン、

 テガルなどジャワ海岸要域を逐次占領戡定する。

十二 軍主力のバンドン攻略の進捗状況により、同方面に有力な部隊を派遣する

 ことを予想し、その準備をする。

   第三 軍隊区分

金氏梯団

 長 歩兵第百四十六連隊第二大隊長 金氏堅一少佐

 歩兵第百四十六連隊第二大隊(一中隊と一小隊欠)

 連隊砲一小隊(一分隊欠)

 速射砲一分隊

 迫撃砲二門

 野砲第三中隊(二門) 基幹

 自動貨車八

松本梯団

 長 歩兵第百四十六連隊第三大隊長 松本治中佐

 歩兵第百四十六連隊第三大隊(一中隊と一小隊欠)

 連隊砲一分隊

 速射砲一小隊(一分隊欠)

 迫撃砲二門

 野砲第一中隊(二門) 基幹

 自動貨車八

山本梯団 

 長 歩兵第百四十六連隊長 山本恭平大佐

 歩兵第百四十六連隊連隊本部、三コ中隊

 連隊砲中隊(一小隊欠)

 速射砲中隊(一小隊欠)

 野砲兵大隊本部と野砲一小隊 基幹

 自動貨車七

司令部直轄部隊

 司令部

 歩兵一小隊

 装甲車隊

 輜重兵中隊

 兵站自動車中隊 基幹


 第一梯団は、二月二十八日連合国軍機の度々の攻撃に悩まされながら、三月一日〇二三〇に泊地に進入し、〇七〇〇にクラガン東南六キロの地点に上陸を開始した。

 金氏梯団は上陸と共に陸上での抵抗は皆無で、二〇〇〇にはブロラを占領した。第二梯団の山本、松本の各梯団は、翌日入泊して二日一二三〇に上陸し、三日未明にはブロラに入った。金氏梯団はブロラを第四十八師団に引き渡すと、一五〇〇に進撃を開始し、途中ンガエンにて二、三十名の蘭印軍を撃破して、三日〇三三〇にはプルワダチィを占領した。坂口支隊長は後続の部隊を同地に集結してスラカルタを攻略する様準備を命じた。


 三日一五〇〇坂口支隊長は、連合軍部隊による反抗作戦の動きはないと判断し、四日スラカルタ方面の連合国部隊を捕捉攻撃する計画を以て、金氏梯団に対し速やかにブゲルに進出し、スマラン方面の約六百と見られる連合軍部隊を牽制し、四日〇九〇〇ブゲル発ビジュワンーカランゲドーボヨラリ道方面からクラチン東方地区に進出して敵の退路を遮断する様命じた。

 松本梯団に対しては、四日一二〇〇ブルワダチィを出発し、ブルワダチィースラカルタの連合軍部隊を攻撃するよう命じ、山本梯団に対しては、明日四日にブルワダチィに集結するよう命じた。

 

 一方、第四十八師団の上陸詳細の計画は、細部が残されていないため、回想記録によった「戦史叢書」に頼る他ない。

 上陸部隊は、台湾歩兵第一連隊歩兵二コ大隊を基幹とする今井部隊、捜索第二連隊を基幹とする北村部隊、歩兵団長指揮の歩兵三コ大隊、戦車二コ中隊からなる安部部隊、台湾歩兵第二連隊歩兵二コ大隊を基幹とする田中部隊の四隊に分かれていた。


 三月一日〇二三五船団は入泊して上陸作業を進めたが、三時頃に敵機の爆撃を受け、一隻沈没、一隻擱座する被害を受け、戦死六二名、負傷二一〇名の大きな損害を受けた。それでも、右翼隊は〇三四五、左翼隊は〇四〇〇に上陸成功し、約一コ中隊程度の蘭印軍は若干の抵抗をした程度で撤退した。

 右翼隊である今井部隊、左翼隊である安部部隊は、上陸地点から八キロの線にあたるラセム山ーセダンーポンジュールの線に達し、第二次上陸部隊の掩護の位置についた。


 今井部隊は一九〇〇頃に前進を開始し、南北道に分かれてレンバンに向かったが、第二大隊は二三三〇頃連合軍部隊と交戦を開始した。

 二日〇三四〇、今井部隊はレンバンに突入した。田中部隊は進撃する道路が破壊または障害物のために前進が遅れていたが、一五三〇チェプーに進出し、ソロ河南岸の蘭印軍を撃破して占領を果たしたが、チェプーの橋梁は破壊されていたため、進撃の速度は停滞した。

 各部隊が進撃する河川の橋梁は全て破壊されており、工兵隊の進出修復が急務となっていた。そこで活躍が期待されるのは、マレー戦でも活躍した自転車であった。


 北村部隊は三日ポジョネゴロを占領したが、蘭印軍部隊を撤退した後であった。今井部隊は、自転車部隊をレンバンから先行させてプロラに向けて出発させた。

 師団長はチーク材によって封鎖されていたチェプー道が啓開された事により、クラガンを出発し、チェプーに向かうとともに部隊の集結を待った。この先は橋梁の架橋作業如何によったが、架橋作業は大雨による増水で困難を極め一部は流出するとう作業を克服し、四日の正午の完成予定が、二一時にどうにか完成を見て、部隊を渡河を開始した。

  

 一方、坂口支隊は、山本梯団は四日一八三〇に集結地プルワダチィを出発、松本兵団は河川の橋梁が破壊されていたがこれを渡河して南下を続け、五日となり〇〇五五頃にスラカルタ北方で少数の蘭印軍部隊と交戦撃破し、スラカルタの北方陣地の前面に進出した。ここには二百から三百の蘭印軍がいたと思われたが、早朝突撃を敢行して敗走させ占領した。

 松本梯団の西を西南に進む金氏梯団の進撃路も、道路、橋梁とも破壊障害物のために進撃速度は停滞したが、それでも五日の正午前にはポヨラリに入り百名前後の蘭印軍を撃破して占領した。金氏梯団に後続する支隊司令部は、進撃する中で敗走する蘭印軍部隊の兵士を見て、方針を変えてジョクジャカルタの占領を決め、金氏梯団に対して同地に突進するよう命じた。金氏梯団は自動車部隊を以て急進した。そして一七三〇にはジョクジャカルタに突入して占領してしまった。ここには七百名ほどの蘭印軍部隊がいたが、まだ来ないであろうと油断していたところを急襲され、抵抗する間も無く捕虜となった。この大量の捕虜獲得は支隊司令部にとっては有意義であり、捕虜の尋問等にもより、蘭印軍部隊の実情が判明し、坂口支隊長はこれを好機と捉え、急遽チラチャップに進撃し、敵の本拠地マゲランを奪取することに決心した。


  坂口支隊長は早速新しい命令を下達した。

坂作命甲第三十七号

  坂口支隊命令     三月五日

              「ジョクジャカルタ」

一 「ジョクジャカルタ」の敵は無条件降伏せり 敗敵は統制なく西方又は北方

 に退却中

二 支隊は敗敵を急追し速に「チラチャップ」及「マゲラン」を占領せんとす

三 山本梯団長は敗敵を急追して速に「チラチャップ」を占領して敵の退路を遮

 断すべし 金氏梯団を併せ指揮すること故の如し

 装甲車隊及独立自動車第二五九中隊一小隊の配属を解く 速に「スルカルタ」

 に到らしむべし

四 松本梯団は明六日朝「スラカルタ」出発「ジョクジャカルタ」を経て敵を急

 追し速に「マゲラン」を占領すべし

 「スルカルタ」に於て装甲車隊及独立自動車第二百五十九中隊の一小隊を配属

 す

 (以下省略)

 

 山本梯団は命令六日〇六〇〇にジョクジャカルタに到着したが、即様金氏梯団に続いて出発した。電撃的な強行軍である。途中途中で蘭印軍と遭遇するが、敵は戦う意欲もあまりなく、敗走していく。さすがにその強行軍も橋梁が破壊されており、ストップせざるを得ない。この日の走行距離は金氏梯団が一七〇キロ、山本梯団は二二〇キロにも達したという。これほどまでの走破は戦史上あまりないものであろう。悪路あり、障害物ありで不眠不休の運転は過酷なものであった。


 六日夕刻にはチラチャップまでもう少しというスラユ河まで達したが、ここも橋梁が破壊されており、修復作業が必要で一旦立ち止まることになった。

 松本梯団は、六日朝スラカルタを出発してマゲランに進撃し、夕刻敵陣地へと迫った。さすがに主要都市であるだけに蘭印軍部隊の銃砲撃は激しかった。しかし、いつの間にか敵の銃撃音が止んでいた。矢野参謀は、前例のことを思い出し、降伏の意志ありと判断して、装甲車に従者を乗せて単独マゲラン市街の敵陣地へと向かった。すると、矢張り白旗を掲げた軍使が現れたのである。案の定降伏するということであった。そこで、矢野参謀はこの軍使と共にマゲラン市内の敵の司令部に赴いた。しばらくすると坂口支隊長も現れた。支隊長は他の方面にも日本軍は進撃中であると伝えると、その方面の部隊も降伏するよう取り計らうということで、支隊長は、一小隊を蘭印軍指揮官につけて、各方面に赴かせた。これにより、戦闘をすることなく、マゲラン周辺の蘭印軍部隊は全面降伏した。

 マゲラン市内はフライヒュー大佐以下約千七百名。スマラン地区六百名、サラチガ地区二百名、アンバラワ地区百六十名、テマンゴン地区七十名が続々と降伏に応じた。


 坂口支隊長は支隊命令で、

「敵は無条件降伏せり」と伝えた。

 後は、要衝チラチャップの占領であった。


 一方第四十八師団は、捜索連隊である北村部隊はボジョネゴロからスラバヤに向かって前進中であり、師団長は田中部隊の先頭に立って前進を続け、今井部隊はそれに続いた。この先敵との遭遇戦が想起されることから、師団長は重要なケデリ橋梁の確保は重要な意義をもつから、早急に占領するよう安部部隊に命じていた。

 しかし、前線から参謀が駆けつけ師団長に報告するには、

「安部部隊の渡河は大部が完了したが、最後尾の戦車第四連隊が通過する際、比島で鹵獲した米軍の中型戦車を通してしまったために、橋梁の一部が損壊し、後続部隊の渡橋ができなくなった」

 ということであった。米軍の中型戦車は重量がかなり重いために、耐えれなかったのであろう。土橋師団長は激怒したが、後の祭りであった。修理には時間がかかるため、門橋を準備させて、それで渡る事となったが、師団長の渡河は午後になってしまった。

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