第二七話 東海林支隊の戦闘

 東海林支隊といっても、その戦闘力の主体である歩兵は歩兵二コ大隊でしかない。それに、連隊歩兵砲、戦車一中隊、速射砲一中隊、山砲二中隊、高射砲一中隊が付与されたに過ぎない。しかも、歩兵二コ大隊の中身は香港戦で士官、下士官は戦死傷して人員が刷新されており、人員は補充されて確保されていても、実力は低下していたと思われる。東海林支隊の目標となるバンドン要塞周辺には三万の兵力があると見込まれていたから、十倍もの差がある兵力と戦闘を交える事になるのだ。


 上陸部隊は、夜明けと共に連合国軍機が来襲して銃爆撃を加えたために、船団と上陸地点で百名ほどの死傷者が発生した。上空には水上機数機が警戒に当たっていたが、被害を受けてしまい、神川丸の一機は撃墜され、一機は飛行不能となってしまった。


 支隊の行動は支隊命令によれば次のように令された。


『支隊は二月 日未明「エレタン」付近に上陸し速かに主力を以て「カリヂャティ」飛行場を占領確保すると共に一部を以て「ケドンゲデ」付近「チタルム」河の渡河点を占領し「バタビヤ」方向の敵の退路を遮断す。


若松挺進隊は上陸と共に機を失せず一部を「パマノカン」に推進せしめ同地及其東側「チーロトン」河渡河点を占領確保し主力は成る可く速かに「パトロール」ー「パマノカン」ー「スバン」道を「カリヂャティ」飛行場の急進し之を占領確保すると共に航空地上部隊の飛行場整備を援助し且飛行場の警備に任ずべし 又別に一部を以て「パマノカン」占領部隊は予備隊の進出迄其の一小隊を残置すべし

「パガデン」を占領し鉄道及通信網を遮断すると共に敵性資源を確保すべし


江頭挺進隊は若松挺進隊の出発に続いて「バタビヤ」街道を「ケドンゲデ」に急進し同地橋梁を占領して「バタビヤ」方向の敵の退路を遮断し且軍主力の進出点を確保すると共に爾後軍主力に策応して「バタビヤ」攻略し得るの準備に在るべし

又一部を以て「チカンペク」を占領し「バンドン」方向に対し背後を警戒せしむると共に「チラマヤ」付近の敵の退路を遮断し且「チカンペク」付近敵性資源並鉄道材料を収集確保すべし』


 支隊命令に基づき、若松隊はカリヂャチィ飛行場占領のために、第七中隊大沢中尉を基幹とする先遣隊を〇六一〇出発させ、一〇三〇にはスバン西方一キロの地点で約百名の蘭印軍部隊と戦闘となった。


 東海林部隊の戦闘については、江頭部隊本部付の原久吉軍曹の手記に詳しいのでそちらを参考にしたい。


『出発にさいして、支隊長から任務達成にたいする訓示があり、先遣隊員はそれぞれの乗車位置に集合した。ついで大沢中隊長が訓示を行なった。

「われわれは名誉ある先発中隊に選ばれた。この飛行場を攻略するか否かは、このたびのジャワ作戦の成否がかかっている。このことは先ほど、支隊長殿が話されたとおりである。途中、敵の妨害出撃はもちろん予想されるが、しゃにむにこれを突破して、飛行場に突っ込む。われわれの使命は重大であることを肝に銘じ、楠公の七生報告、勝たずば止まずの精神をもって、全員火の魂となって敵にあたり、任務を完遂し、全軍の期待に副えるように頑張ろう」

 なお、バンドン、カリジャチー地区の敵兵力は、二万七千名以上と予想され、これにたいして東海林支隊は三千名足らずであった。

 その大敵にたいして、わずかに一個中隊で敵の重要拠点・カリジャチー飛行場を奪取しようというのである。挺身隊主力があとから追及してくるとはいえ、決死的任務である。

「乗車、前進」

 午前六時、トラックに乗車した先遣隊員の気迫は、凄まじかった。

 先遣中隊は大沢隊長のもと、尖兵小隊に元木少尉指揮の第二小隊、杉沢中尉の第一小隊、牧田見習士官指揮の第三小隊がつづき、軽戦車数両を先頭に進発した。

 パカンマンにて、敵機の襲来が知らされた。一刻の早さを必要とする急襲部隊でも、空からの襲撃ではどうしようもない。上空を遮蔽した樹林の陰で敵機の飛びさるのを待った。

 別の任務で進撃していた第二挺身隊が、この敵機の銃撃で多数の犠牲者を出してしまった。

「いまに見ろ、必ずこの仇は討ってやるぞ」

 飛行場攻略の任務をもった先遣隊員は、機銃掃射をつづける敵機をにらみつけながら、心に誓い合った。ここで貴重な時間を費消したので、敵機が去ると、部隊は急進撃を開始した。

 カりジャチー飛行場近くのゴム林内に守備陣地を構築中の敵の第一線陣地は、突如として出現した先遣隊の急進撃に周章狼狽、応戦する間もなく蹂躙された。

 つづいて戦車二両が配備された第二線陣地は、体当たり覚悟の大沢中隊の突進に恐れをなしたのか、散発的射撃を行なっただけで、飛行場方面に退却しはじめた。先遣中隊は、敗走する敵戦車に追随して、早くも十一時過ぎには飛行場入口に殺到した。

 第二小隊は第一線、ついで、一、三小隊がこれにつづき、飛行場周辺の樹林に散開、攻撃準備に入った。

 カリジャチー飛行場は、熱帯樹林が生い茂った密林の中に広がっていた。

 攻撃中隊は、その樹林のなかに広く散らばり、応急の壕を掘り上げ、攻撃の火蓋を切った。椰子林を通して兵舎や格納庫が見え、滑走路が芝生の中に白く浮き上がって見えた。

 敵兵は、この建物前の土嚢陣地に拠っており、射団の雨を降り注ぎ、彼我の銃声は樹林をふるわせた。敵戦闘機が低空から掃射をくり返してくれるが、椰子の樹が防弾の役目を果してくれた。敵の空陸からの攻撃がはげしくなり、死傷者が出始めていた。

 大沢隊長は、ここで一大決心をした。すなわち、背後に潜入し、後からの奇襲、撹乱戦法である。

 決死の一分隊が選ばれ、ひそかに兵舎裏に迂回すべく、樹林をぬって行動を開始した。そのとき、飛行場には弾薬や燃料を使い果たした敵機が三、四機補給のため着陸してきた。そこで、これを離陸させては面倒とばかり、一小隊が猛射し軽、重機関銃もこれに加わった、結局、一機を舞い上がらせたが、他の敵機を破壊炎上させた。

 敵の背後にまわった決死の分隊は、敵に気づかれぬままに兵舎裏に突入した。そして、日本軍の攻撃に気もそぞろの警戒兵を刺殺し、さらに防戦に大わらわの敵陣の至近距離に近づくことに成功した。

 背後からの手榴弾による一斉射撃は、敵陣を瞬時に混乱におとしいれてしまった。

「突撃!」

 この機を逃がしては、と大沢隊長の軍刀がひらめいた。中隊員は喚声をあげて敵陣に殺到した。このころ、ようやく追及してきた挺身隊主力がこれに加わり、攻撃に拍車をかけた。この剣先につらねた突撃は、敵のドギモを抜いた。しかも、背後には日本軍が回っていると思いこんでいる敵兵の動揺は、津波のように敵陣を襲い、支離滅裂となり、算を乱して敗走した。

 時に三月一日午後一時三十分、日章旗が敵兵舎にひるがえった。』

(原久吉著 「東海林支隊ジャワ奇襲攻略記」丸別冊 『太平洋戦争証言シリーズ⑧ 戦勝の日々』潮書房)


 目的拠点の一つカリヂャチイ飛行場は案外と簡単に陥落する。大沢中尉の後を追う若松大隊長は、最前線で戦う大沢中尉らを収容し、よせくる蘭印軍部隊を撃破し、飛行場を完全に占領した。飛行場は連合国軍機が先刻まで使用していたので、破壊される事なく、すぐに使用することが可能であった。


 一方江頭少佐指揮の歩兵一個大隊を基幹とする江頭部隊は、上陸地点のエレタンを出発し、最初の目標地点「バマンカン」を目指した。第三中隊が尖兵中隊となり、第一中隊がこれに続いた。当時江頭部隊にいた原軍曹の手記によろう。


『前衛中隊は、銀輪部隊の第三中隊・第一小隊が尖兵となり、第一中隊がこれにつづいた。尖兵小隊には、

「パマンカン付近を攻撃し、これを占領すべし」

 という命令が下されている。命令を受けた尖兵小隊は、されに石原伍長以下七名の偵察分隊を先行させた。

「おい、内地の田舎道を歩いているような感じがするな。これに牛車でも通れば、俺の田舎とそっくりだ」

 新潟の農村出身の北村軍曹が感にたえぬように漏らす。

「でも、バカに静かだな」

 伊藤軍曹が、眼鏡が光らせながら相槌を打っている。

「そりゃどうだよ。戦争、戦争って、昨夜からの飛行機の爆音や砲声で、いままで味わったことのない不気味なできごとに、村民は恐れおののいていることだろうよ。戦争とはなんの関係のない彼らは、気の毒なものさ」

 髭面の石鍋曹長が加わってきた。私もあまりにもよく似た異郷の風景に、そぞろ郷愁を覚えさせられていた。

 先行していた尖兵小隊の方向から、鈍い銃声が響いてきた。「すわっ」とたちまち全身に血がのぼった。しばらくすると、尖兵小隊より報告が届いた。

「パマンカンにて敵兵発見、これを攻撃撃退させた」

 パマンカンはカリジャチー、クラウン方面に通じる三叉路にある。間もなくパマンカンに着いたわれわれに偵察分隊の清水兵長が、

「偵察のため先行していた分隊が、三叉路付近にてカリジャチー方向に敵兵を発見し、小隊はこれを包囲するように散開し、擲弾筒、軽機関銃で攻撃した。敵はまさか日本軍が進出しているとは思わなかったらしく、応戦することもなく、大あわてでカリジャチー方面に退却してしまった。この戦闘でトラック十二、三両、敵兵十数名を捕虜にした」

 と話してくれた。捕虜は全部インドネシア兵で、トラックには煙草や食糧等が積み込まれていた。クラウン方面にいる敵兵の補給隊であったらしい。

 このパマンカンにおいて、尖兵中隊が第二中隊と交替、クラウン方面に前進が始まった。この交替は、第二中隊にとって不幸のはじまりであった。

 パマンカンの集落を出ると、道路の両側に水田が広がり、はるか前方に森林が薄く浮き上がってきた。尖兵中隊、少し距離をおいて本部および第一中隊がつづき、水田地帯に出て間もなく、前方の森林方向より突如、敵機数機が襲ってきた。一瞬のできごとであった。三月一日午前十時ごろであった。

「空襲!」

 怒鳴る声が消えぬうちに、掃射弾が舗装道路上をおそってきた。退避する間も場所もない一本道である。尖兵小隊とともに進んでいた重機関銃分隊が、応射音を響かせていたが、すぐに途絶してしまった。進撃途上の兵隊たちも、道路の両側にバタバタと薙ぎ倒されてしまった。

 私は、道路脇を流れている小川を突っ切り、青田の中にころがりこんだ。敵機は頭上を縦横無尽に乱舞し、掃射を繰り返していく。掃射音が近づくと、水田にピシュッ、ピシュッと射弾が突き刺さり、頭上を覆いかぶさるような敵機が飛び去っていく。

(今度あたるか、こんどはダメか)

 鉄帽をかぶるひまもなく水田に突っ伏し、全身を固くして観念した。掃射音が遠のくと、まだ生きていたという気持ちがかすかに疼いてくる。

 そうやって生も死もなく、水田に全身をさらしていた。三十分ぐらいであったろうが、ずいぶん長い時間に思えた。

 道路上に横たわっている犠牲者の数は、あまりにも多かった。なかには五発もの銃弾を受けて、変形してしまった飯盒もころがっていた。悪夢の一瞬であった。

 敵機が飛び去ると、戦死者や負傷者の収容が急がれ、部隊はとりあえずパマンカンの集落に退避した。いままでの緊張がくずれ、命びろいしたという安堵感で、疲れがどっとかぶさってきた。

 犠牲者は、先ほど交替したばかりの尖兵第二中隊の戦友たちが大部分だった。戦場における運命は、一刻先のこともわからない。尖兵中隊を第二中隊と交替した第三中隊は、まだ集落内に残っていた。鈴木為雄軍曹が、

「原軍曹、危なかったな」

 といたわりの言葉をかけてきた。


 空襲のはじまるころ、カリジャチー攻撃の第一挺身隊がパマンカンに着いた。挺身隊は急いで樹林のかげに退避し、この空襲の終るのを待っていた。そして、敵機の飛び去るのを見届けてカリジャチーめざして急遽前進を開始した。われわれは口々に激励の言葉をなげつけ、彼らを見送った。

 先を急ぐわれわれは、戦死者収容にあたる第二中隊を残し、夜を待って前進を開始した。

 戦死者は道路の右側に寝かされ、収容を待っている。昨夜来一睡もしていない兵隊たちは、夜の訪れとともに疲労と睡魔におそわれ、なかば眠るように歩きつづけた。そして木立に囲まれた集落に入って、上陸第一夜を迎えた。

「戦車がいる」

 集落の住民が通報してきた。集落の後方を流れる小川の向こうの樹林内に道路が延びているが、戦車はその森のなかにいるとのことであった。

 橋は破壊されていた。戦車のキャタピラの音がかすかに聞こえたが、しばらくすると途絶えてしまった。直ちに斥候が派遣されたが、まもなく戦車の姿が消えていることが報告された。』


 若松隊、江頭隊を見送った東海林支隊長は、二日〇四〇〇軍旗中隊の第四中隊、支隊本部と共に自動車で出発したが、上陸地点では敵機の空襲により若干の被害を受けた。支隊長はスバンに向け前進を開始し、〇五〇〇にはスバンに到着した。其後、蘭印軍の戦車装甲車部隊が襲撃してきたのである。支隊本部に対抗する戦車はなく、わずかな砲があるのみである。再び原軍曹の手記によろう。


『スバンは中部ジャワの一都市で、市役所を忠心に周囲を青々とした樹木に囲まれた赤や青屋根の家屋が散在している街である。市役所の三叉路からはエレタン、バンドン、カチジャチー方面に道が通じている。

 支隊本部を市役所に置いて、軍旗護衛の第四中隊、歩兵砲中隊、および速射砲小隊が、三叉路その他の要所に陣地を構築して、付近の警戒にあたっていた。

 三月二日は雨季の末期にしては、珍しい快晴の日であった。正午ごろであった。バンドン方面から戦車の音が聞こえて来て、その音は急速にこちらに近づいて来た。

「敵襲!」

 敵戦車、装甲車二十五両が、支隊本部を蹂躙し、あわよくば日本軍の後方を撹乱しようと襲いかかってきたのである。

 三叉路および付近に布陣していた歩兵砲、速射砲がこれに猛攻を加えていた。そして、近寄ってくる敵車に必殺の命中弾を浴びせ、つぎつぎに撃破していった。敵車との距離があまりにも近すぎて、発射弾がこれを貫通し、後方で炸裂するということもあった。

 一台の戦車が、三叉路付近で敵を撃ちつづけている歩兵砲の砲座に突進してきた。歩兵砲はひるまなかった。その進路に立ちふさがって、轢殺されるまで射撃を続けた。細川一等兵と森下一等兵は、帯剣を引き抜いて戦車の上に躍り上がり、敵兵を刺殺しようとして、文字通り壮烈な戦死をとげた。

 砲と一緒に三番砲手手塚兵長、四番砲手渡井兵長は、戦車の下敷きとなった。小隊長をはじめ分隊長以下が、はねとばされてしまった。速射砲一門も、接触されて車輪が破壊されるまで撃ちつづけた。

 敵車の一部が、市役所前を横切って、仮宿舎になっていた住宅街に進出してきたが、機関銃の猛射と一般中隊が速成した火炎瓶での肉迫攻撃により、火だるまとなった。また、片方のキャタビラを破壊された戦車が、同じところをぐるぐるまわりながら機関銃を乱射していたが、やがて白旗をあげてしまった。

 凄惨な戦闘は約一時間続いたが、敵戦車、装甲車の大部分を破壊し、将校以下約三十名を捕虜とした。これで敵の企図を放棄させたのである。

 戦闘時における歩兵砲の体当り攻撃は、あまりにも悲壮であったが、部隊員全員に深い感銘を与えた。それはまた、いかに多数の敵が来ようとも、絶対に撃退できるという自身につながった。この戦闘で奮戦した第四中隊の早川正平軍曹は、

「敵の戦車が十メートルぐらいまで接近してきたが、われわれが応戦している前に、ちょうど洗濯してあった衣類が紐でつるしてあり、彼らはそれを見てあわてて引き返してしまった。きっと対戦車爆弾と思って引き返していったのだろう。洗濯物敵戦車を撃退す、というところだな」

 と笑いながら話してくれた。』


 若松隊は飛行場を占領し、続々と揚陸地点より航空部隊の資材、燃料等が到着していたが、蘭印軍の逆襲も始まっていた。連合国軍機が襲来して爆弾を投下し、到着していた日本軍の飛行機も若干の被害を受け、砲弾も被弾爆発する被害を受けた。そして、蘭印軍の装甲車部隊が襲ってきたのである。


『三日未明、敵戦闘機数機が超低空で銃撃を加えてきた。これにたいしては、身を隠すよりすべはなかった。

「敵襲、装甲車二十、トラック多数」

 十一時ごろ、警戒哨より悲痛な声で通報があった。バンドンの方向からの敵の反撃である。

「そうら、敵さんのお出ましだ」

 予期していたとはいえ、兵隊たちの顔つきが引き締まった。

「速射砲前に!」

 速射砲が射撃位置のつき、部隊は応戦区域に散らばった。敵は機関銃や機関砲を発射しながら逆襲してきた。

「速射砲射て!」

 防御陣地についていた速射砲、機関銃がいっせいに火蓋を切った。速射砲が火を吹くたびに、敵車は火を吹いて破壊された。

 あまりにも見事な照準に、火線についていた兵隊たちは、いよいよ戦意を燃え上がらせた。側背にまわった第八中隊が退路を遮断し、殴り込み攻撃をかけた。交戦一時間、敵は再び浮き足だって退却していった。

 硝煙が樹間に漂い、その煙が消えやらぬまに、こんどは空からの攻撃がはじまった。敵爆撃機三機の来襲である。胴腹よりつぎつぎと投下された爆弾に、飛行場付近が爆撃の土煙につつまれた。

 この爆撃により、若松部隊はかなりの死傷者を出し、速射砲の火砲もまた、相当の損害を出したのである。

 地上からの第一波逆襲部隊を追い払い、空からの攻撃も終わり、やれやれと息つく間もない午後二時すぎ

「敵襲、戦車、装甲車多数。その後方よりトラック百」

 たび重なる敗北に、敵司令部は大機動部隊を総動員して、一挙に飛行場奪回をはかってきたのであろう。挺身部隊は孤立した一個大隊で、それもかなりの死傷者を出し、頼む火砲も多くが破壊されている。

「今度こそはダメだ」

 悲痛な感情が部隊全員の頭を走った。今朝からの戦闘で疲労が重なり、弾薬も残り少なくなってきた。

 敵機動部隊の轟音が、爆撃にさらされた樹林をとおして部隊に近づいてくる。決死の顔つきに変った兵隊たちは、雲を天にまかせきって、防御線で敵の来襲を待った。

 そこへ飛行機の爆音が聞こえはじめた。空からも来たのか。爆撃の惨烈さを先刻味わされた兵隊たちは、もはや絶対絶命である。

「おい、日の丸が見えるぞ」

 空をにらんでいた兵隊が、上ずった声で叫んだ。

「なにッ、あっ、日の丸だ。友軍機だ、友軍機が来たぞ」

 絶望に包まれていた部隊じゅうに、歓喜の渦がひろまっていった。それはパレンバン基地を発進した、遠藤飛行団主力の第五十九戦隊と第七十五戦隊であった。

 敵機動部隊が反撃してきた道は、水田と密林にはさまれた一本道だった。そこへ友軍機の反撃は始まった。まず隼が急降下して、先頭の装甲車に集中銃撃を加えた。ついで軽爆が最後尾の戦車に爆弾攻撃を行なって、これを破壊炎上させた。さらに動きのとれなくなった中間の戦車群めがけて、銃撃と爆撃を反復した。

 猛攻により弾薬を使い果たした友軍機は、先に飛行場に運び込まれてあった弾薬を補給し、くり返し攻撃を加えた。これで勢いを盛り返した若松部隊は、ここぞとばかり反撃に転じ、樹林内に逃げまどう敵兵に銃弾を浴びせかけた。

 この空陸にわたる激戦は二時間におよび、来襲した敵機動部隊の大部を撃破したのである。破壊された敵の遺棄車両は、戦車十両、装甲車四十四両、トラック百台にのぼった。大戦果であった。これにより敵の企図を完全に破砕し、部隊全員の士気は一段と高まったのである。』

                (原軍曹、前掲書)

 陸軍航空隊の掩護がなければ、若松隊は大損害を蒙っていたであろう。圧倒的に制空権が有利な日本軍にとって、装甲車戦車を有する敵部隊を撃破するには重要な掩護となった。陸上部隊の数の上では圧倒的な戦力差であったわけであるから、日本歩兵にとって頼もしい存在であった。

 三日午後、飛行第二十七戦隊の襲撃機二機が帰還する途中、飛行場に向かって爆進中の機械化部隊を発見報告したため、飛行団は襲撃機と軽爆を以て合計十次にわたる攻撃を仕掛け、敵車両一七九両を破壊炎上させたと報告した。

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