第二三話 スラバヤ沖海戦⑵

 第五戦隊は第二水雷戦隊の後方にあり西方に変針して敵艦隊と同航態勢をとった。

 一七四五、二水戦は三〇ノットに速度をあげ、針路二三〇度で一五〇度方向距離一万六千八百メートルに迫った敵駆逐艦に対して「神通」は初弾を放った。

 一七四七、敵駆逐艦もわが方に砲撃を開始し、一七四八、敵巡洋艦部隊も砲撃を開始し、その砲弾は二水戦の付近に落下しはじめた。

 同じ一七四七、第五戦隊も距離二万二千から二万五千米で敵巡洋艦に対し砲撃を開始した。


 二水戦は敵艦隊の前方に回り込み、T字戦法を試みるつもりであったが、敵弾が周囲に落下するためにこれを断念し、針路を二八〇度として一旦敵との距離をとった。艦尾の八八式発煙缶を用い、白い煙幕を展張して針路を三〇〇度とした。

 

 第四水雷戦隊は敵発見の報せより、急速に南下していった。一六五九に二水戦「神通」より敵発見の報告により、麾下各艦に対し、

「一七三〇会敵ノ予定」

「魚雷戦用意、第一雷速」

 と命令を下した。

 一七二〇には「神通」の姿を認めた。このとき五戦隊は二水戦の北方約一〇キロ付近にあった。輸送船団は四水戦の旗艦「那珂」から北西約二十五浬にあって西方に避退中であった。

 一七四四「那珂」から一三八度方向に敵のマストを発見した。

 一八〇二「那珂」は敵駆逐艦に対し距離一四、〇〇〇米で初弾を発砲した。そして一八〇三、四水戦全艦に対し

「発射始メ」 

 を命じた。続いて一八三四、「全軍突撃用意」を下令。

 一八三七、五戦隊から「全軍突撃セヨ」の命令が下る。


 日本の酸素魚雷である九三式酸素魚雷について説明しておくと、酸素魚雷は日本海軍だけが実戦開発に成功した唯一のものである。各国とも酸素魚雷の開発をしてはいたが、やはり事故がつきもので、開発を諦めたが、日本だけは事故にめげず、安全な酸素魚雷の扱方を発見して、絶大なる威力の戦力の一つとしたのである。

 九三式魚雷は皇紀二五九三年(西暦一九三三、昭和八年)に正式採用された魚雷で、直径六一糎あり、諸外国のものが五三糎だったのに比べると一回りも大きい。

 酸素魚雷の仕組みについては、興味のある方は専門書を一読していただきたいが、呉海軍工廠内に設けられた魚雷実験部で長い研究開発のもとで成功に導いたのである。

 日本海軍技術陣の勝利であった。これにより、空気魚雷より航跡はほとんど発生せず、射程距離も三倍以上も長く、速度も一〇節(約一八・三キロ)以上早いものができ、その射程の長さはこちらが駆逐艦であっても、弾の届かない遠方から敵艦隊を攻撃することが可能であって、のちのソロモン海戦では十分にその能力を発揮するのである。


 一八〇四時、西村司令官は「左魚雷戦同航」を発令。各艦個別に攻撃するのではなく、水雷戦隊が一丸となって魚雷を放つ、方位発射一斉集中射法である。

 各艦の魚雷発射管は、発射緒元に合わせて旋回済。安全装置解除。管制器の発射ブザーが響く。

「撃てッ!」

 二五〇気圧の圧縮空気に蹴りこまれた魚雷は、海面で飛沫を上げると、たちまち駛走を開始する。旗艦「那珂」そして駆逐艦も次々と魚雷を発射。合計二十七本。さらに再反転した「神通」も四水戦の外側から四本の魚雷を放った。この魚雷こそ、日本が世界に誇る秘密兵器九三式六一センチ酸素魚雷であり、

実戦で初めて使用された。


 ところが、一撃必殺の秘密兵器は思わぬ不振を見せた。一本の命中もなく、しかも三分の一の魚雷が途中で自爆してしまった。魚雷の先端の信管が鋭敏に調整されて波浪の衝撃で起爆して爆発してしまったのである。この爆発に連合国艦隊は驚いた。まさかこんな遠距離から魚雷を発射したとは思ってもいない。普通魚雷は七、八千メートルからの発射であり、日本軍の潜水艦が潜伏していると思った。また、日本軍は敷設してある機雷を無線で爆発させているのではと疑った。

 このため第五戦隊司令部は、接近することを恐れ、距離二万を保ちつつ砲撃戦を行った。

 だが、この遠距離での砲撃戦はレーダーの装備していない両艦隊にとってそう当たるものではなく、幾度かは至近弾は浴びせるものの、直撃弾はない。

 高木少将はこの状況を打開すべく、第五戦隊に魚雷の発射を命じ、続いて一八三七時全軍に突撃を命じた。その一分後成果が上がった。


 「羽黒」の放った一弾が「エクゼター」を直撃した。遠距離砲戦のために、砲弾は大角度から落下する。重量一二五.八五キログラムの砲弾は高角砲の砲架を貫通し、火薬庫で炸裂した。瞬時に缶室の主蒸気管は引き裂かれ、八基あるボイラーのうち、六基が使用不能となった。黒煙と高圧蒸気を噴出した英重巡は、たちまち速度を落とし、傾斜する。速度は十一ノットに低下した。


 二番艦の「エクゼター」は後続の艦が衝突しないよう、左に転針した。ところが、三番艦「ヒューストン」は転針命令が出たと勘違いし、舵をきる。「パース」「ジャワ」もそれに追随する。気がつけば、先頭の旗艦「デ・ロイテル」がひとりでに走っていた。これにはドールマン少将も顔色を変えた。さらに、追い討ちをかけるように、一八四五時、日本艦隊からもっとも離れた位置にいたオランダ駆逐艦「コルテノール」に、「羽黒」が放った魚雷が命中し、一撃で船体をへし折り轟沈した。ドールマン少将は、煙幕を展張し、各艦に退避を命じた。日本艦隊は突撃したが、煙幕の中に見失ってしまった。


 一九一五時、南東方面に退却した敵艦隊を追っていた軽巡「那珂」が再度連合国艦隊を捕捉した。「那珂」は反撃により水柱に包まれたが、命中弾はなかった。第五戦隊も攻撃を再開したが、二万五千メートルの距離からの砲撃は命中がなく、水雷戦隊の雷撃も空振りに終わっていた。


 敵艦隊は煙幕の中から二隻の駆逐艦「エンカウンター」「エレクトラ」が姿を見せ、「エクゼター」を掩護するため反撃をしてきた。第九駆逐隊司令佐藤大佐は、「朝雲」「峰雲」にこの駆逐艦の攻撃を命じた。駆逐艦同士の二対二の戦いは、新鋭の日本駆逐艦の方が戦意火力ともまさり、「エンカウンター」は一斉射だけで煙幕の中に逃げ込んだ。「エレクトラ」は踏みとどまり立ち向かい、「朝雲」の機械室の命中弾を与えた。同艦は動力が断たれたが、人力で砲撃を続行した。「エレクトラ」は命中弾により航行不能となり、一九四五時沈没した。二〇〇五時、高木少将は、全軍に追撃中止を告げ、艦隊を集結させるとともに、夜戦に備えた。


 重巡「那智」高角砲分隊長 田中常治少佐の手記から、第五戦隊の砲雷撃の様子がわかる。


『「戦闘用意」

 号令は艦内くまなく伝えられ、白鉢巻で弾丸を運ぶ乗員の姿もかいがいしい。当時、私の階級は大尉、配置は一万トン巡洋艦那智高角砲分隊長。

「敵は水上部隊だから、まだ時間がある。糞小便をたれて体を軽くしておけ」

 部下に注意を与えて、艦橋に上がった。幸いにして高角砲指揮所には優秀な望遠鏡がある。艦橋も目と鼻の間で、司令官、艦長の一挙手一投足ことごとく目に入る。空前の艦隊戦闘に当たり、こんなおあつらえ向きの配置があろうか。

 おもむろに望遠鏡を磨きながら、四辺を見渡した。第五戦隊旗艦那智、つづく二番艦は巡洋艦羽黒、ともに一万トン級の精鋭である。

 前方には第二水雷戦隊旗艦神通、つづく駆逐艦数隻、はるか前方には第四水雷戦隊旗艦那珂、その後に点々と数隻の駆逐艦がしたがう。

 紺碧の空、澎湃ほうはいの海、視界をさえぎる何物もない。鏡のような海面に各艦の蹴立てる白波が砕け、航跡が一条の線をひいている。

「戦闘序列に占位せよ」

 旗艦にスルスルと信号が上がった。

 弾着観測の飛行機発進、時に午後五時十五分。飛行長押尾大尉は勇躍、機上の人となった。プロペラの爆音、発射の音、舞い上がった飛行機は、翼を左右に振って合図をした。

「われ敵方に誘導す」

 信号を発信しながら味方を先導していく。ここに空前の艦隊戦闘は、まさに開始されんとしていた。

(中略)

 鏡のような海面の水平線上に、ポツリと敵のマストらしいものが見えた。続いてポツリ、またポツリ。時に午後五時四十四分、距離は刻々と近づく。

「西方に展開せよ」

 旗艦の令によって、味方は四水戦、二水戦、五戦隊の順に西に向かって一本棒となり、敵はわが南方に、同じく西に向って一列に展開した。

 敵の一番艦は、怪物のような前檣を構えた巡洋艦、マストにはためくオランダの軍艦旗、蘭印艦隊旗艦デロイテルであることは一見してわかる。二番艦はスマートな重巡で、英国軍艦旗が掲げられている。つづく三番艦はアメリカ極東艦隊の精鋭、一万トン巡洋艦ヒューストン。心憎いほど鮮やかに大星条旗が掲げられている。四番艦、五番艦は軽巡洋艦、その前方に駆逐艦約十隻、速力三〇ノット、白波を蹴立てて堂々の布陣である。

 午後五時四十六分、わが二水戦旗艦神通は、敵の先頭に対して射撃を開始した。

 と、その時、キラリと一閃、敵の三番艦ヒューストンが発砲した。つづいてまたキラッと二番艦の発砲、ここに彼我砲戦の火蓋は切って落とされた。

「主砲射撃用意よし」

 トップの射撃指揮所で、砲術長井上少佐がカン高い声で叫んだ。

「撃ち方はじめ」

 力強い号令、鋭いラッパ音。一斉に敵方に口を開いたわが重巡那智の主砲は、轟然と火を吐いた。つづいて二番艦の羽黒の発砲。弾丸は一旦空中高く上がって、空から降るように目標に落下する。その時間約二分。

 いまかいまかと敵弾の落下を待つ身にとっては、何とその間のもどかしいことよ。

「砲火指向第一法」

 わが第五戦隊重巡那智・羽黒の二隻は、全力を挙げて敵の先頭艦デロイテルに集中砲火を浴びせた。

「初弾一発命中」

 飛行機からの報告に、士気大いに上がり、敵艦撃沈も間近いと勇み立つ。ところが、ついで飛行機から

「敵面舵三〇度変針」

と無電があり、弾着は遠方にそれはじめた。

「下げ六」

 砲術長が弾着を近に修正したことろ、敵は取舵に変針、今度は反対に弾丸が近に外れる。

「高め六」

 遠に修正すれば、今度は遠すぎる。近に修正すれば、今度は近すぎる。敵は弾着を縫って、面舵に取舵にヒラリヒラリと体をかわして、弾丸は一発も当たらない。

 敵の弾丸はうなりを立てて、前後左右に落下する。二番艦羽黒がグッと右に傾いて、砲煙に覆われた。

「ヤラレタ」

と思ったら、砲煙は晴れて依然としてついて来る。何のことはない。こちらも敵弾をかわして転舵したため、艦が大きく傾いたわけだ。こうなれば、こっちも体をかわせとばかりに、一番艦那智も面舵に取舵に敵の弾着をかわしはじめた。三十二ノットの高速で転舵すれば、一万トンの巨艦も大きく傾く。

 これでは主砲の照準も測的もメチャメチャだ。最大射程付近の砲戦では、砲口を飛び出した砲弾が目標に着くまでは二分近くもかかる。この間に高速で舵を取れば、敵弾を回避することは容易である。

 避弾運動などは、普通の演習では練習したこともないのだが、いつの時には、敵も味方も期せずして、見事な体かわしをはじめていた。

 かくして巡洋艦戦隊同士の主砲の砲戦は、えんえん一時間になんなんとして、お互いになんら目覚しい効果が挙がらない。そのうちに戦場は次第に西に移って、味方の輸送船団に近づく恐れがある。最高指揮官。高木五戦隊司令官は、局面の打開をはかるべく、主力巡洋艦戦隊の遠距離魚雷戦を下令した。

「五戦隊魚雷戦用意」

那智・羽黒は砲戦を続けながら魚雷戦の用意をする。

「左魚雷線同航」

 二番艦羽黒から発射準備完了の報告があったが、旗艦那智はまだ準備ができない。

「水雷長、発射用意まだか」

 先任参謀が叫んだ。那智水雷長堀江大尉は、先ほどからしきりに気をもんでいる。発射管側から、魚雷の塞止弁そくしべんが開かないという報告なのだ。

「塞止弁開け」

水雷長が叫ぶ。

「塞止弁開きませーん」

発射管側から答える。

「水雷長、発射用意はまだか」

先任参謀が叫ぶ。

「塞止弁開け、急げ」

水雷長が叫ぶ。

「塞止弁開きません」

発射管側でまた答える。

 敵弾は雨あられと降り注ぐ。ぐずぐずしてはおれない気持である。

「発射はじめ」

 午後六時二十六分、たまりかねた先任参謀は一番艦那智不発のまま、五戦隊に魚雷発射を下令した。

 二番艦羽黒の左舷胴腹から、白く光った魚雷が、相次いで紺碧の海面に跳びこんだ。一本、二本、三本、ついで八本。ちょうど海豚が水面に潜るように。ところがこの魚雷、どこまでも海豚のようにピョンピョンと海面に跳ね上がって走っていく。

 魚雷は水中を走るべきもので、水上に顔を出すべきものではない。ボウ跳びも演習ならば愛嬌があるが、敵を控えてのいまは心細い限りだ。何とかして敵艦に命中してくれよとこいねがう。しかし、一本もあたらない。

 この遠距離で、高速の敵巡洋艦に対して羽黒一艦の発射では、射法上、命中率はゼロに近い。あたったらそれこそ不思議だ。一番艦那智はとうとう一本も発射できないで、水雷長は大いに面目を失った。

 一段落ついてから、発射管側を調査したところ、塞止弁はすでに一杯に開いてあった。一杯開いた塞止弁を、さらに開こうとして回転しても、それ以上開くはずがない。

(中略)

 わが巡洋艦戦隊は二隻、敵巡洋艦戦隊は五隻、砲戦では敵が断然優勢である。敵は巡洋艦の砲戦をたのんで、味方水雷戦隊の駆逐艦にまで、主砲射撃を浴びせた。たまりかねた第二水雷戦隊は、午後六時五分、この敵に対して旗艦神通の魚雷四本を発射した。俗に〝鼬の最後屁〟という。距離二万八千メートル、射角同航二〇度。三〇節の高速で、縦横に身をかわす敵巡洋艦に対して、わずか四本の魚雷ではなかなか命中する公算はない。

 しかし、一旦魚雷を発射したからには、どうか敵に命中してくれよと希う。希望はいつしか幻となって、夢と現とは混同される。

「敵重巡洋艦一隻轟沈、一隻中破」

 全軍の士気大いに奮う。しかし、実際は一隻も沈んでいない。三番艦が黒煙を吐いたのは中破したからではない。煙幕展張である。右に傾斜したのは傷ついたからではない。変針すれば艦は自然と傾く。

(中略)

 砲戦一時間以上に及んで、まだ敵主力は一隻も沈まず、間断なく砲撃をつづけている。

 二番艦エクゼター、三番館ヒューストンはともに二〇センチ砲艦だから、主砲の射程はわが那智、羽黒と同様、最大二万八千メートルにおよぶ。敵は各艦の弾着を識別するために、赤や青の着色弾を使用しているので、大きな水柱は鮮やかに彩られている。特にヒューストンの真っ赤な水柱は遠くまで的確に弾着して、味方を悩ましている。

(中略)

 日の長い南海の海も、えんえんたる戦闘に時間がすぎ、白熱の太陽もようやく西に傾いてきた。一刻も早く近迫して、敵を撃沈しなければならない。

「航海長、取舵、取舵」

 航海長は左に転舵を令した。

「とーりかーじ」

 一番艦那智は、ぐっと傾いて敵方に変針する。二番艦羽黒もこれにしたがう。距離は次第に敵に近づく。二万五千メートル、二万三千メートル、わが艦の射程は良好となり、トップの砲術長はご機嫌である。味方の射撃が良好となれば、敵の弾着も的確となる。

 ガサガサガサーッ!

 空気を切り裂くような敵弾のうなり。ザァーッ!

 一目にあがる真紅の水柱。

 敵はわが旗艦に砲火を集中するので、一番艦那智の近辺は水柱の山である。距離はますます近づく。二万一千、二万、一万八千メートル。

 この距離になると、敵の一五・五センチ砲艦の弾丸が、俄然こちらに届く。敵巡洋艦五隻の集中砲火は、旗艦那智に一団となって降り注ぐ。

 ガサガサガサーッ、ザァーッ!

 トップの砲術長は敵艦だけしか目に入らないから、味方に落下する敵の弾着は一向にご存知ない。こちらの射撃がよくなったので大いに喜んでいる。艦橋ではこれに反して、敵の距離は遠いので、味方の弾着は見えない。見えるのは、前後左右に落下する敵の弾着だけである。

 艦橋は飛沫に包まれ、着色弾の染粉を浴びた人が、赤鬼や青鬼のような顔になる。

「航海長、面舵、面舵」

 先任参謀がおがむように羅針儀を抱えて、片手を焦立たしく右に振った。

「おもーかーじ」

 航海長は右に転舵した。一番艦那智はぐっと傾いて、外方に変針、敵から遠ざかる。二番艦羽黒またこれに従う。』

 両艦は近づいたり遠ざかったりを繰り返しながら、双方ともに被害なく時間だけが過ぎていくが、主砲弾の残りも心配になってくる。

『このままにして推移せんか、戦場は次第に西方に移動して味方輸送船団に近接し、ジャバ島攻略を目前に控える陸軍部隊の精鋭に、万一のことがあってはならない。遮二無二敵に突進せんか、頑敵健在、味方の被害は予測を許さない。

 右せんか、左せんか、なかなか決せず、いたずらに時間を空費し、弾薬を減耗するのみ。すでに味方の砲弾も魚雷も、残るところいくばくもない。今まで口をキッと結んで、無言で立っていた第五戦隊司令官高木武雄少将は、ここに意を決して、口を開いた。

「全軍突撃用意」

 時に午後六時三十三分、突撃用意の命令は全軍に伝えられ、号令は艦内くまなく行き届いた。ダラダラした砲戦に業を煮やした乗員の顔へ、一瞬サッと緊張の色が浮かぶ。主砲も弾丸も届かぬことを嘆く必要なく、高角砲や機銃も射撃の機会にありつける。今度こそは魚雷発射の機会をのがすまいと発射管員も張り切っている。

 一同、白鉢巻をしめ直して勇み立った。機械は全力をあげて回転し、艦尾の航跡は大きく真っ白な線をひく。風はヒューヒューとうなりを立てて頬を打ち、マストの旗は一枚の板のように風に吹き流されつつ、鮮やかな色彩を浮き出す。

 やがて司令官はクルリと後ろを振り向いた。丸々と太った体躯にクリクリした童顔、黒い口髭の下には決意のほどが見える。後ろを振り向いた司令官は艦橋で大きく四股を踏んだ。ズシン、ズシン。横綱の土俵入りのように、両足を高く上げて床板を踏ん張る。

 ペッ、ペッ、両手に唾をつけて手を打った。大きな拍手がポンと鳴る。やがてその手を大きく宙に振り上げた。

「ウーム」

拳はグンと振り降ろされた。

「よーしッ」

「全軍突撃せよ」

 旗艦に上がる信号、各艦の応答旗、サッと下がる旗旒。各艦一斉に了解発動。

「とーりかーじ」

 航海長は大きく左に転舵した。旗艦那智はぐっと大きく傾いて左に変針。二番艦羽黒またこれにしたがう。二水戦、四水戦、いずれも大きく敵方に変針した。全軍一斉に敵に向って突進する。もうこうなれば面舵も取舵もない。敵の弾着も注がば注げ、もはや右往左往するときではない。時まさに午後六時三十七分。

 勢いはまさに鵯越の逆落とし、果たして敵は、この気勢に呑まれてか、一斉に反転して退却を始めた。敵巡洋艦エクゼターは味方の弾丸を受けて火災を起こし、速力を低下した。

「砲火指向第二砲」

 艦隊は集中射撃を止めて、各艦単独の対艦射撃に移った。濛々たる煙幕は敵艦隊をおおって、目標視認はきわめて困難である。

「五戦隊、魚雷戦用意」

 先任参謀が叫んだ。

「右魚雷戦同航」

「発射はじめ」

 時に午後七時二〇分、距離二万メートル。那智、羽黒は右舷の魚雷を一斉に発射した。一本、二本、三本・・・。

 真っ白い胴体を光らせて、魚雷はつぎつぎと水中に踊りこむ。と、突然、ボカーン、ボカーン。魚雷の走っていく海面に大爆発が起った。わが九三式魚雷の自爆である。

 間もなく四水戦魚雷発射、つづいて二水戦魚雷発射。時に午後七時二十四分。魚雷は勢い良く海中に飛び込んで敵方に走っていく。と、またもや、ボカーン、ボカーン。魚雷の駛走方向に当たって、大爆発が起こり、黒煙天に冲する奇観を呈した。これまた、わが九三式魚雷の自爆である。

 これに対して、二水戦司令官はこの大爆発を敵大口径砲の弾着、または敵より発射した時限魚雷の炸裂と判断した。

 第五戦隊司令官はこの爆発を、敵管制機雷の爆発と判断した。

(中略)

 交戦じつに二時間余、真っ赤な太陽は大きく、静かに西の水平線に沈んだ。敵艦エクゼターは完全に機械がストップして漂流し、反撃して来た敵駆逐艦、またわが攻撃にあえない最後を遂げた。攻撃はまさにあと一息。

 このとき、最高指揮官の第五戦隊司令官は全軍に進撃中止を命じた。午後八時〇分。』

(田中常治著「スラバヤ沖の凱歌」丸エキストラ五月別冊 戦史と旅④『重巡洋艦の戦歴』 潮書房)

  

 五戦隊の「戦闘詳報」に曰く。

「此ノ頃戦場ハ著シク南下シテ四水戦、二水戦所在地点ハ陸岸ニ極メテ近ク管制機雷ラシキモノノ大爆発多数ヲ二水戦付近ニ認メ又先ニ出撃セル敵潜五隻トモ併セ判断シコレ以上敵軍港ノ至近ニ迫リ防禦海面ニ入ルハ適切ナラズト認メ追撃ヲ中止シ速ニ兵力ヲ集結整頓シテ概ネ輸送船団ト敵トノ中間ニアリテ索敵哨戒敵を索メテ之を撃滅セント決セリ」

 これまでの戦闘での戦果は次の様にまとめられた。

 大破(沈没確実) 巡洋艦 一隻

 小破       巡洋艦 二隻

 撃沈  駆逐艦 三隻乃至四隻

我方損害

 駆逐艦 朝雲 被弾のため航行不能(後に自力航行可能)

主砲弾の両艦の発射弾数は「那智」が八六五発、「羽黒」が七八〇発に達した。

 連合国軍の艦艇の損害は、沈没が駆逐艦「エレクトラ」と「コルテノール」の二隻のみで、英巡洋艦「エクゼター」は中破にとどまって戦場より駆逐艦に守られスラバヤ港へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る