第二二話 スラバヤ沖海戦⑴

 海軍航空隊は、残敵の連合国軍艦艇を求めて連日索敵を行ったが、天候不良により、途中で引き返さざるを得ない状況も多かった。熱帯の地方は急激に積乱雲が発達し、当時としては、飛行することが危険を伴うことも事実で、無理をして飛行を続けることは戦力を確保することからも避けなければならなかった。


 蘭領の島々はほとんど占領し、残るはジャワ本島だけになっていた。攻略船団も航行を進めており、之を撃滅するために連合国艦隊も全力を掲げて邀撃にあたることは十分に考えられることであり、機先を制して先に発見することが重要な案件であった。

 

 二月二十七日、三空の乙須飛曹長はチラチャップに向う連合国艦隊を発見した。そこには空母が随伴していた。空母ラングレーである。ラングレーには、ジャワに送る戦闘機が梱包状態でつまれていた。

 空母ラングレーは米国の最初の空母であり、日本でいえば鳳翔にあたる存在である。だが、空母といっても飛行甲板はあったが、航空機輸送としての任務が主であった。

 敵艦隊発見の方に接した高雄空では沸き立ったが、頻繁な基地移動で、まだ通常爆弾や魚雷が届いていなかった。仕方がないので間に合わせに陸用爆弾二五〇㌔二発ずつと六〇㌔二発ずつを積み込み、足立次郎大尉指揮の第一中隊九機と楠畑義信大尉指揮の第二中隊七機が発進、三空の横山保大尉指揮の戦闘機六機が護衛して、デンパサル飛行場を飛び立った。

 二月二十五日のこと、米、英、蘭連合軍最高司令官ウエーベル元帥は、ジャワ防衛戦争の不可能であることを認め、その一切の企図を放棄して、まだジャワ防衛の見込みあり、と主張する蘭の海軍指揮官ヘルフリッヒ中将に後事を委せる態度に出た。


 日本がチモール島を占拠するまでは、オーストラリアからジャワ方面への兵力補充、特に航空機の空輸が継続されたが、これもクーパンの失陥によりほとんど絶望となった。しかし、現地からの強い要望と、少しでも長くジャワ戦線を維持する目的で、二月二十二日、オーストラリアのフリーマント港から、「ラングレー」と輸送船「シーウォッチ」を出港させた。一九二二年に航空母艦に改装されたこの艦齢三十年の水上機母艦には、P40戦闘機三十二機とその搭乗員三十三名、「シーウィッチ」には分解梱包された同機二十七機が積まれていた。出港時には、ボンベイ向け護送船団と合同、ココス島まで軽巡「フェニックス」などに護衛されて行動する予定になっていた。しかしジャワの戦況は二月三日の大空襲以来、刻々危機が迫り、一刻も早く戦闘機の補充を必要としたので、ヘルフリッヒ中将はこの二隻の艦船に中部ジャワ島南岸のチラチャップに直航するように命じた。


 チラチャップ港は、バンドンとジョグジャカルタのほぼ中間にある小都市で、シルドバッデン湾に望む、当時としては、日本の空襲から逃れられた唯一の拠点であった。

 二月二十七日、晴天の海上を、米駆逐艦「エドソール」「ホイップル」蘭掃海艇「ウィレム・ファン・デルツアーン」とPBYカタリナ飛行艇二機に守られて北上していたが、午前九時、「ラングレー」艦長マッコーネル中佐は、敵味方不明の一機が上空を通過するのを認め、ただちにジャワの指揮官宛に飛行機の来援を求めた。

 十一時四十分、日本機の一編隊が五〇〇〇メートルの高度で接近してくるのを認めた。そこで再びヘルフリッヒ提督に対し戦闘機の急派を要請したが、その回答は「余裕なし」という拒否であった。

 日本機の攻撃が開始された。「ラングレー」以下は全火力を集中して防戦に努めた。最初二回の爆撃は、艦の大きな変針で回避しえた。楠畑大尉の中隊の爆撃は命中せす。足立大尉の中隊機は三回目の爆撃で「ラングレー」を捉え、命中弾五、至近弾二の戦果を収めた。水平爆撃で五発命中とは大した腕前である。二回はうまく捉えられず、三回目に成功した。上甲板の飛行機は炎上し、艦橋は破壊された。船体は左舷に一〇度傾斜した。その頃、零戦六機が低空で来襲し、甲板を機銃掃射した。艦長は燃える飛行機の海中投棄を令し、極力防火防水に努めたが、浸水多く、午後一時三十二分総員退去を発令、駆逐艦二隻に移乗した。「ラングレー」はチラチャップの南約七五海里の地点で沈没した。


 ジャワ攻略作戦の作戦海域は広い。ジャワ本島は東西に一千キロもあるのだから、日本列島でいうと、千葉九十九里浜上陸したとすれば、西は広島県に上陸することになり、東西挟撃は相当な兵力がなければ無理である。海域をカバーする海軍兵力と航空兵力も必要である。これだけの戦域を戦ったのだから、日本陸海軍の当時のパワーはすごいものがあったと言わざるを得ない。


 二月二十四日、米潜「シール」と「S三八」が日本船団を発見したとの連絡が入った。ヘルフリッヒ中将は海軍部隊に迎撃するよう命じた。二十五日ドルーマン少将は各艦を率いてスラバヤを出港、コリンズ代将はバタビアを出港した。だが、日本船団は二日間の捜索にも発見には至らず、補給のため帰還することになったが、コリンズ代将はバタビアが日本機の攻撃を受けているために、西方に向かいインド洋に逃れた。ドルーマン少将はスラバヤ港に入る寸前に、再び日本船団発見の報せを受けて、再び北上を開始した。日本の偵察機に発見されたのは、この頃である。


 ドルーマン少将が率いる連合国の軍艦は次の通りである。

 オランダ軍

   軽巡「デ・ロイテル」「ジャワ」

   駆逐艦「コルテノール」「ヴィラ・デ・ヴィット」

 アメリカ軍

   重巡「ヒューストン」

   駆逐艦「エドワーズ」「ポール・D・ジョーンズ」

      「フォード」「アルデン」

 イギリス軍 

   重巡「エクゼター」

   駆逐艦「エレクトラ」「エンカウンター」「ジュピター」

 オーストラリア軍

   軽巡「パース」


 オランダの旗艦「デ・ロイテル」は一七世紀に英蘭戦争の際に名を馳せた名提督の名を冠したものだ。イギリスの「エクゼター」は一九三九年のラプラタ沖海戦でドイツのボケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」を自沈に追い込んだ歴戦の軍艦である。

 四ケ国の連合艦隊であるから、指揮命令は簡素にしなければ時間と混乱を来すだけであったので、ドールマン少将はそのように確実に素早く伝えられる命令だけを与えた。

 

 第二水雷戦隊はボルネオからセレベスに向かう途中で、オランダの病院船「オプテンノート」を発見し、こちらの情報を無線封止するために、駆逐艦が臨検に向かい、「天津風」が抑留のために病院船を拿捕し、後方の補給部隊に送り、同船を連行させた。

 二十七日一一四八高雄空の陸攻偵察機が、スラバヤ沖にて巡洋艦五、駆逐艦六からなる敵艦隊を発見して接触を開始した。

『敵巡洋艦五、駆逐艦六隻『スラバヤ』の三一〇度六三海里、針路八〇、速力十二節、一一五〇」

 と打電してきた。

 之を受電した第五戦隊司令部は一気に緊張した。二水戦、四水戦を合わしても巡洋艦の数は多い、駆逐艦は日本側が多いが、互角と言っていい内容と考えた方が良い戦力であった。これが船団を狙えば、損害は大きいために、積極的に排除しなければならなかった。敵艦隊の動向が気になった。第五戦隊司令官高木少将は敵艦隊への偵察機の発進を命じた。

 「那智」から偵察機が発進した。「羽黒」は零式水偵が前日事故により破損したために発進していない。


 一三〇七偵察機発進。その後偵察機は敵艦隊を監視し、無電で報告を続けた。


「大巡二隻、軽巡三隻、駆逐艦九隻一四〇〇」

「敵見ユ 基点ヨリ方位一九四度四五浬一四〇五」

「敵針路一八〇度、速力一六節一四二〇」

「敵ハスラバヤニ向ウモノノ如シ一四二五」

「敵針一四五度敵速二十節一四三〇」

「敵ハスラバヤニ入港シツツアリ一四五五」

「敵ハ入港ノ気配ナシ一五二三」

「敵主力ハ単縦陣トナル針路一五〇度一五四五」

「敵ハ味方ニ急行シツツアリ一六五四」


 徐々に敵の動向が読めてきた。高木司令官は第五戦隊の重巡二隻の速度をあげ、二水戦、四水戦宛に打電した。

「我針路二二〇度、速力二一節、敵ヲ誘導シツツ合同ス」


 第二水雷戦隊は二十五日マカッサルにて補給を終え、一九〇〇に輸送船団護衛任務のため出港した。

 二十六日一二四二敵ドルニエ型飛行艇の接触を受けたため、神通と初風は砲撃を開始し、飛行艇は一三〇〇には視界外に去った。二〇〇〇には敵四発爆撃機二機の爆撃を受けるが被害なし。

 二十七日一一四八敵四発爆撃機二機の爆撃を受けるが被害なし。そして一二四〇陸攻偵察の敵艦隊発見の報告、そして第五戦隊司令官よりの報告を受け、即時待機とした。そして輸送船団は退避行動をとり、二水戦は五戦隊の合同すべく現場に急行した。一五三〇には五戦隊が視界内に入った。


 四水戦は二十四日バリックパパン沖に仮泊し坂口支隊の輸送船二隻を加え、二十五日〇七三〇出発し、二十七日一一五五陸攻偵察機よりの敵発見報告により、一二五五に旗艦「那珂」より偵察機を発進させた。船団は西方に退避させ、五戦隊と二水戦に合同すべく速度をあげた。

 一四四五には二水戦の「神通」の檣を二一度方向三十粁に認め、一五〇〇には三一八度方向三十粁に五戦隊の重巡の姿を認めた。

 

 集合した日本側の戦力は次の通りである。

 第五戦隊

   重巡 「那智」「羽黒」

   駆逐艦 「潮」「漣」「山風」「江風」

 第二水雷戦隊

   軽巡 「神通」

   駆逐艦 「雪風」「時津風」「天津風」「初風」

 第四水雷戦隊

   軽巡 「那珂」

   駆逐艦 「村雨」「五月雨」「春風」「夕立」

       「朝雲」「峯雲」


 このうち、第五戦隊と行動を共にしていた駆逐艦四隻は二水戦の指揮下に入るべく編入させた。

 高木司令官は、

「南方ニ展開ノ予定、敵ハ我ヨリノ方位一五七度四〇浬ニ在リ 一七三八」

と打電した。そして、「那智」「羽黒」に対して砲撃の観測機を射出することを命じた。 

 重巡「羽黒」飛行長宇都宮道生大尉の手記があるので、その模様を見てみよう。


『午後五時現在、彼我の距離は約六十浬、敵の意図もはっきりとしてきた。

 しかし、これらの間、敵の意図判断について、五戦隊司令部にはやや迷いがあったようで、船団の行動変更、護衛部隊の会敵戦闘序列への指示など、必ずしも時宜にかなったものではなかった。

 艦橋にあってこれらの情報を整理し、いったい、どんな戦闘になるだろうかなどと考えていると、午後五時すぎ、

「飛行機発艦用意」

が旗艦から発令された。

 艦長に敬礼、艦橋に降りて飛行甲板に向かった。

 同乗するベテランの偵察員石川兵曹長と二番機搭乗員栗原上飛曹、松尾兵長にたいして、彼我の戦況を説明した。そのうえで、

「天気は良い。絶好の飛行日和だ。落ちついて平素の訓練どおりにやればよい。ただスラバヤが近いので、敵戦闘機が来るかも知れぬ。覚悟を決めておけ」

 と申し渡した。

 直ちにカタパルト上に待機中の九五式水偵に乗り込んで、エンジンを始動、準備完了の合図を送った。射出までのあいだ、嘗飛行長と、

「黒石兵曹が病気で内地に帰ったので、このような機会に俺とペアを組むようになったのも、運命とあきらめろ。とにかく、弾着観測がもっともやり易いように飛ぶから、日ごろの腕前を発揮してくれ。しかし、敵さんの戦闘機が来たら、覚悟を決めてくれよ」

「飛行長、大丈夫です。心配無用です。戦闘機が来ても、私の射撃の腕前はご存知のとおりで、二機でも三機でも落としますよ」

「よしわかった。あとは天佑を待つとしよう」

「そうです。頑張りましょう」

 艦は風に立つため、大きく旋回する。射出用意、発艦。

 飛行機は快調に高度をとりながら、南方に向かった。高度約二千メートル。前方に艦影をとらえた。

 前、後方に駆逐艦をしたがえた巡洋艦らしい大型艦五隻が、高速で西方に進んでいる。

(注、巡洋艦 デ・トイテル、エクゼター、ヒューストン、パース、ジャワの順)

 はるかにかすむ南方スラバヤ方面に敵の機影を求めたが、それらしいものは見あたらない。

(もし来ても、しばらくは時間があるな)

 と考えて、西方に傾いた太陽を顧慮して、弾着観測にもっとも良い位置についた。二番機はぴったりと後方についている。那智機も見える。すべては準備完了。

 敵の艦型、隊形、針路、速力などを規定にしたがって送信する。交信状況は最良とのことである。

「飛行長、敵が発砲しました」

 伝声管を伝わって元気な声が聞こえた。味方はまだ発砲していない。つづいて、

「味方も射撃を開始します」

 射距離約二万メートルで、最大射程に近い。

 彼我の砲戦はしだいに激しさを増してきた。敵の飛行機は見えない。高角砲の射撃は問題にならない。敵の大型巡洋艦の方が数は多いが、観測飛行機は持っていない。(中略)

 この状況なら、わが方の勝利間違いない。ところが、敵艦の方に落ちるわが方の射弾はおおむね近弾で、いっこうに命中しそうにない。

 ふと味方の方を見ると、大きな水柱が那智、羽黒をはさんでいる。さては命中かと思ったが、水柱が消えると両艦に変りはなく、高速で射撃をつづけている。ひとまず安心だ。

 これらの戦況は、実弾が飛び交っているのをのぞくと、かって参加した戦技や演習と変わりないが、少々ちがう現象にお目にかかった。

 一つは、敵艦はひんぱんに左右に転舵して、わが方の射弾を避けるような運動をしていることである。後で聞いたところによると、これは「被弾運動」といって、相手の弾着、次弾発砲を見て、命中を避けるため計画的に行なう運動であった。

 わが海軍では、私の知るかぎり、爆弾、魚雷にたいする回避運動は行なっていたが、射撃にたいしてはこのような運動をすることはなかった。これは回避運動による自艦の射撃精度の低下を考慮したためであろう。いわゆる〝攻撃は最良の防禦なり〟であろうか。

 さらに敵は着色弾を多用した。日本海軍でも試験的には使っていたが、この戦闘での使用はなかった。

 第二は、交戦海域の中間付近で、ときどき大きな水柱があがることであった。機雷の爆発だろうと思っていたが、帰還後の話では、日本海軍自慢の九三式魚雷の自爆であった。信管が鋭敏すぎたのであろう。

 二時間にも及ぶ砲戦に、いっこうに命中弾がない。

 ただ一発、敵二番艦に黒煙があがり、急に速度が落ちた。これは英艦エクゼターへの貴重な命中弾で、このため敵の陣形は大きくくずれた。

 味方水雷戦隊が一時、敵方に向かって突撃の態勢に入ったが、ずいぶん遠い距離から魚雷を発射して反転した。

(水雷戦隊の肉迫攻撃もこの程度か)

 などと失礼な考えが頭をよぎった。

 このとき、水雷戦隊の中から二隻の駆逐艦が友隊を離れて、まっすぐに敵方に突撃していった。敵の真っ只中に突入した二隻の駆逐艦(朝雲、峰風)と、これまた勇敢にこれを迎え撃つ敵駆逐艦との間に、舷々相摩す戦闘がはじまった。

 機上から応援するが、直接支援することもできない。そのうち、味方の一艦は艦尾に被弾して、停止した。僚艦はこの四囲をまわって奮戦する。敵方も相当な損害を受けているようだ。

 まもなく戦場に夕闇が訪れ、両艦隊はそれぞれ南北に別れて行った。

「飛行機は揚収に備えて上空に待機せよ」

 との電命を受け、真っ暗になった艦の上空をぐるぐるとまわって待ったが、艦は依然高速で走りつづけ、いっこうに揚収の命令がこない。いままで張りつめていたので気づかなかったが、燃料計を見ると、残量も少ない。

 海上の波はあまり高くないので、着水に不安はなかった。しかし、敵艦の所在不明のなかで、果たして拾ってくれるだろうか、という一抹の不安がなかったわけではない。

 後席に向かって、

「おい、もし揚げてもらえなかったら、どうする」

と聞くと、

「スラバヤにでも行きますか」

と冗談が返ってきた。

 間もなく揚収命令があり、艦は風に向かうため、大きく右に旋回して停止した。着水、フックとりは一、二番機とも順調で、やり直しもなく艦上に吊り上げられ、艦は急いで発進した。』

(宇都宮道生著「羽黒水偵上空から見たスラバヤ沖海戦」

丸別冊 太平洋戦争証言シリーズ⑧『戦勝の日々』所収 潮書房)


 二水戦の旗艦「神通」以下駆逐艦八隻は敵艦隊に接近していった。

 一七三九、五〇度方向二八粁に敵巡洋艦のマストを発見し、針路を変えながら同航態勢をとっていった。日本の水雷戦隊の腕の見せどころの場面にようやく巡り会えたのであった。

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