第十八話 陸軍落下傘部隊 パレンバン⑵

 輸送機隊から次々と挺進隊は落下傘降下をしていった。人員の落下傘と物資の落下傘が空を覆い尽くすようにゆらゆらと地上へと舞い降りていった。一一二六時降下開始である。


 だが、降下地点は予定地点とはずれていた。

 甲村少佐の飛行場強襲部隊は南風に流され、降下地点をはずれ、飛行場周辺の密林や沼沢地に落下していた。隊員は広範囲に分散し、集結に手間取ることになった。挺身団長の久米大佐を乗せた九七式重爆撃機は飛行場に強行着陸することになっていたが、飛行場南方一〇キロも離れた湿地帯の真ん中に胴体着陸してしまった。久米隊長らは湿地帯から脱出するのに難渋し、本隊と合流できたのは翌日になってからだった。


 甲村連隊長は降下後、部下十名を掌握して密林内を前進、一三三〇頃飛行場東南約二キロの窪みで敵情偵察中の第四中隊長三谷中尉以下二十四名を掌握した。

 パレンバン道と飛行場との間に降下した奥本中尉は五名の部下を掌握したところ、一二〇〇頃に軽装甲車二両を有する敵軍二〇〇名ほどと交戦し、軽装甲車一と自動貨車三を鹵獲して飛行場への増援を遮断するとともに、装甲車に乗車して前進した。三谷中尉は前進中三谷中尉と合流し、大城中尉を先発隊として、鹵獲した装甲車に乗車させて前進中、飛行場方面より来た敵兵約三〇〇名と交戦して撃退し、一八二〇には飛行場事務所を占領したが、大城中尉は重傷を負った。


 昭和十七年六月に発行された「軍報道班員の手記」なるものがある。前半半分はパレンバンの空挺作戦が書かれ、後半はマレーシンガポール攻略戦が書かれている。

 その記述から激戦の模様を参考にしながら書いてみたい。


 十一時二十六分、挺進団主力は飛行場南方地区に降下し、ジャングルを抜けて部隊長が前進を開始した。前進とともに部隊長の許には兵が集まってきた。

 甲村連隊長は盗難に向かって前進したが、一面ジャングルのために情況が全然つかめいない。連隊長は十一時半頃には○○兵を掌握した。道路の西北地区内に奥本中尉らが降下し、中尉は五名の兵を掌握していた。その時パレンバンの飛行場から四台のトラックに分乗した敵兵約六十名が向かってきた。


 奥本中尉は部下を道の両側に配置して、敵のトラックが面前十メートルまで近づいてくるのを待って拳銃で先頭のトラックの運転手を射殺した。トラックはスピードを出していたから相当な勢いのままつんのめり、後続のトラックは前にぶつかって停止する。奥本中尉は突撃を命じた。


 大城中尉は十名ほどの部下を率いてトラックに乗って南下していくと、前方から六台の自動車の乗った敵が向かってくるのに出くわした。大城中尉らは車から降りて両側に分かれ軽機を準備し敵が近づくのを待って狙い撃ちに射ち出した。二、三十名ほどの敵兵が倒れた。が、こちらも中尉は腹部に弾を受けて重傷であった。

 中尉の当番兵は中尉を抱えて装甲車の中へ収容し、他の負傷者も収容して、当番兵は自ら運転して飛行場へ向かったが、またしても敵軍がさらに多くのトラックに乗ってむかってきたのである。

「敵が三十台来ます」

「起こしてくれ」

 当番兵は大城中尉を抱き起こした。中尉は前方の敵をみて、

「沢山くるなあ」

 と呟いた。

「射つことはできません」

「それではトラックに向かって体当たりせよ」

「承知しました」

 当番兵は装甲車を走らせ、敵のトラックに向かい突進し体当たりした。数台のトラックは吹き飛ばされた。日本側は負傷者ばかりであったが、敵と射ちあった。当番兵も戦死してしまった。戦闘は其後止んでしまっが、中尉はまだ生きていた。夜のスコールに打たれて目が覚め、まだ生きていると思いながら、重傷の体で這いながら飛行場へと向かった。中尉の無事を見た部隊長は驚きで、「よくぞ生きていた」と中尉を称えた。

 (新東亜協会編 「軍報道班員の手記」昭和十七年六月)


 飛行場西側地区に降下した第二中隊廣瀬中尉は兵二名を掌握した上で前進して、一四〇〇頃に飛行場西側兵営前まで進出した所、約三五〇名ほどの敵軍部隊を発見した。廣瀬中尉は一旦退きさらに兵一名を掌握した上で、一七〇〇頃兵営に突入してこれを占領した。

 第二中隊の蒲生中尉は、降下後十六名の兵を掌握したが、兵器弾薬は思ったように収拾できず、逆に近くの高射砲陣地より射撃を受けてこれを制圧するために手榴弾と拳銃を持ち前進し、兵営に火を放ったが、高射機関砲の射弾を受けて蒲生中尉は戦死してしまった。部隊は吉永曹長が指揮して一八二〇頃飛行場西北端に進出した。


 精油所強襲部隊は一一三〇時に降下したが、そこはジャングルと首まで浸かる沼沢地の真っ只中であった。ジャングルの中に分散した隊員たちは三々五々、途中で合流した他の隊員とともに精油所に向った。

 西部地区にあるBPM社の精油  所を目標とした徳永悦太郎中尉の第一小隊は、オランダ・オーストラリア連合軍一五〇名が守る社宅街で釘付けとなった。二十数名の兵力しかなかった徳永隊は、市街戦を展開しつつ部隊の集結を待ち、精油所西側のトーチカを攻撃して奪取。敗走する連合軍を追撃しつつ、精油所構内に突入した。


 小川軍曹は徳永中尉の命を受け、先行して精油工場へ突入、分隊を引き連れて高さ五十メートルの中央トピングに登りだした。連合軍は小川分隊に掃射を加えて二、三人を叩き落としたが、小川軍曹と勝股兵長が頂上まで登りきり、日章旗を掲げた。時に一三三〇時。トピングに翻る日章旗を見て日本軍の士気は上がり、逆に連合軍は精油所が占領されたものと見て後退を開始した。連合軍は撤退する間際に迫撃砲で貯蔵タンクを攻撃し、爆発させた。紅蓮の炎と真っ黒な煙がパレンバンの空を覆った。


 BPM社の精油所を制圧した徳永隊は部隊を集結して反撃に備えた。夜半になると、連合軍約二百名が三回にわたり攻撃してきたが、その都度撃退した。

 長谷部正義少尉の第二小隊はNKPM社の精油所がある東部地区に向かったが、激しい応戦で長谷部少尉以下多数の死傷者を出した。丹羽曹長が小隊長代理となって攻撃を続行し、一五〇〇時には敵前約一〇〇メートルまで達したが、連合軍の抵抗は激しく、さらに湿地に阻まれて前進困難となった。第二小隊は夜襲を敢行することを決意し、夜を待った。二三〇〇時、第二小隊は攻撃を再開した。夜襲を受けた連合軍守備隊は持ちこたえることができなかった。第二小隊は連合軍陣地を奪取して構内に突入し、十五日〇一〇〇時までに精油所の占領に成功した。連合軍は精油所施設を爆破して退却した。


 ここでは、徳永中尉の手記で戦闘の様子を見て見たい。

『私が降下したのは住民の家の前庭だった。庭といってもそれは沼さながらの湿地であった。私の体はずぼりと腰まで泥水にはまり込んだ。いつもの降下のような衝撃はなかった。

 まるで綿の上にでも降りたような、ふわりとした感じであった。這い上ろうとすると泥に足をとられてのめる、起きようとするとまたのめる。やっと這い上って、家のかげに腰をおろした時、

「隊長殿、隊長殿」

 と叫びながら、まっ先に水田軍曹が駆け寄ってきた。水田も沼に降りたのか、全身びしょ濡れだ。つづいて曽根と藁谷が拳銃を擬しながらジャングルから飛び出してきた。てんでに降下した部下のうち、まずこの三人を私は掌握した。武器を捜せと命じた。物量落下傘は幸いすぐそばに落ちていた。水田が機銃をかついで走ってくるなり、

「隊長殿、軍刀は?」

 と呶鳴った。私は軍刀を眼の前で、二、三度振って見せた。水田は気が早い。隊長殿、やりましょう、やりましょう、としきりにせき立てた。精油所に向って前進しようというのだ。けれども私は疲れていた。口をきくのも億劫だったー口笛かナ、いや草笛らしい。草笛に違いない。

 ド、レェ、ミィ、ファ・・ド、レェ、ミィ、ファ・・草笛の音が近づいた。アッ鉄帽だぞ、ハッとした途端パイナップルの葉のかげから鉄帽をかぶり、頬をふくらませた河合軍曹のノンビリした頭が現われた。河合かー河合が来たナ、と思った。河合は私の前に直立して、

「隊長殿、河合がまいりました」

 その声をきいて、私は突然立ち上がっていた。だぶだぶの降下服の腰のあたりに溜っていた泥水が、ガボガボガボと足の方に伝って流れた。そうだ、俺はずぶ濡れだったんだ、と思いながら、

「河合、そりゃ何だ」私は激しく叱った。

「ハッ」

 河合はコチコチにしやちこばった。マフラーがわりに首に巻いた日章旗がやけに派手に見えた。

「これから戦争だぞ、草笛なんか捨てろ」

「ハッ、そうでありますか」

 キョトンとした顔である。見れば河合も下半身水びたし、顔も泥だらけではないか。

 河合も私同様疲れていたのである。落下傘で降下するとその精神的圧迫感からとても疲労を感ずる。その疲労と無事降下した安心感とで、河合は一種の放心状態にあったのである。しかし、そのときの私はそれを考えるだけの思考力はなかった。河合のノンビリした顔を見て咄嗟に戦争だぞ、戦争だぞ、と気づき、河合の奴、なんと呑気なんだろうと思ったまでである。

「隊長殿、行きましょう」

 また、水田が催促した。あとで考えると、この時の水田は私みたいにボンヤリしてはいなかった。私よりは精神修養ができているのかもしれない。部下は四人になった。だが私は腰をあげようとはしなかった。

 やがて一人のマレー人がきて、われわれのかわりにオランダ軍をやっつけるから銃をかせという。その押問答のところへ大野曹長が到着し、部下は五人となった。

「隊長殿」

 また水田がせき立てる。アッ、そうだ。戦争だ、戦争だ。

「精油所に向って攻撃前進!」

 私はやっと溷濁こんだくの泥沼から這い出したようである。いよいよ行動開始に際して、私はさっきにマレー人にこういった。

「オランダは俺たちにまかせろ。お前は日本の落下傘部隊が飛行場に十コ師団、精油所に一コ師団降下した、と触れて歩け」

 黒田軍曹が軽機を担ついでまっ先に走り出した。待て、待て、黒田危ないぞ、と止めるのもきかず、精油所へ通ずる三間幅の舗装道路を遮二無二駆けて行く。「黒田を殺すな」と私は叫んだそうだ。自分では覚えていない。

 黒田につづいて大野曹長が駆け出した。めざすB・P・M精油所まで三百メートルと離れていなかった。五分も行くと、もう精油所の鉄条網を張りめぐらした、柵が立ちふさがった。門があった。誰もいない。機銃をかついだ曽根軍曹が構内に走り込んだ刹那、ダダダダダ・・・と弾丸がきた。眼の前十五メートル、曽根がガクンと膝を折った。駆け寄った藁谷軍曹も、右肩をやられひっくり返った。

 右前方のトーチカから機銃が火を吐いた。いけない、弾丸の間隙をくぐって、わたしはトーチカの正面を突き切って背後にまわった。

 トーチカは前方だけにしか銃座を持っていなかった。敵は気がつかないらしい。トーチカの入口にとりついた私は、すかさず手榴弾をぶち込んだ。爆風とともにトーチカにいた四名の敵はふき飛んだ。

 曽根の仇は討った。曽根は頭部貫通銃創、壮烈な戦死であった。私の部下で最初の犠牲者である。私は曽根の唇に水筒を傾けた。血の匂いにまじってウイスキーの強烈な香りがプンと鼻にしみた。死者には水ーむろんそれが本当なのであろうが、生憎と私の水筒につまっていたのはウイスキーであった。許せよ、曽根!そのときギョッとして振り返った。生温いものが私の右頬に飛び散った。

「水田ッ、どうした、水田ッ」

 と叫んだが、答えはなかった。すぐ右脇に腹匍いになっていた水田軍曹が、私の肩にもたれかかったと思うと、ガックリうつ伏した。私が手にした空中写真に鉄帽をもたせたまま水田はついに一言も発しなかった。みるみる空中写真が血に染まった。激しい憤りがこみあげてきた。建物の蔭に緑色の軍服はチラと覗いてすぐ消えた。あいつだ!

 B・P・M精油所南方、目と鼻の地点に私が降下してから、まだ三十分と経たない十四日正午すぎであった。

 (中略)

 敵の弾丸はおそろしく低かった。地を這ってピュッピュッと飛んで来た。敵は思い切り両手を前に伸ばし、銃を地につけて射ってくるのだ。左五十メートル前方から同じ恰好をした建物が奥に向ってずらりと並んでいる。ベランダと、涼しそうな藤棚を持った、こじんまりした家だ。これが緑色の軍服が見えた建物だった。どうも社宅らしい。そのかげから弾丸がくる。右の方はドロンとした湿地に萱のような水草が身の丈ほどに伸びている。

 すぐうしろで、機銃の連続音が私の耳朶じだをなぐりつけた。ふり返ると寺田二曹長が機銃を空に向けてぶっ放しているではないか。

「寺田、何をしとる」

 思わず呶鳴りつけた。

「ハッ、試射であります」

 ケロリとした顔で構わずダダダ・・・とつづける。私は驚いた。呶鳴り返した。

「馬鹿ッ、射つなら敵を射て、敵を!」

 彼はニヤリッとして承知の合図の右手を挙げた。

 機銃の名手寺田ーそれにしても敵前で試射をやるとは何という男だろう。あきれもし驚きもし、これほどにも頼もしく思ったことはなかった。

 また敵弾がはげしくなった。三列に並んだ社宅のかげから、地をなめるような低い弾丸だ。敵はどこだ?私は頭をあげた。間髪を容れず寺田の銃がわめいた。藤棚の下で敵兵がのけぞるのが見えた。やったナ、寺田。

 今だ!私は三列右端の一番近い社宅のベランダに駆け込んだ。

 敵情は皆目わからない。一体ここはどこなんだろう。私は空中写真をひっぱり出した。パレンバン降下に先立って、偵察部隊が決死撮影した貴重な空中写真である。部隊はこの写真一枚をたよりに降下を決行したのだ。

 ベランダに腹這いのまま、私は空中写真と精油所とを見くらべた。

「あれが第一トッピング」

「あれがボイラー室だな」

 私の指さす方に水田がひよいと半身を起した。水田がやられたのはこの時であった。

 (中略)

水田、水田、揺すぶってみたが、やはり声はなかった。

 ダダダダダ・・・・私の感傷を笑うように機銃音がした。水田が斃れてからホンの二、三秒間の出来ごとだった。愕然として拳銃を握りしめた。視野の隅で緑色の軍服がひっくり返った。水田を射った敵だと咄嗟に直感した。

 名手寺田の機銃が仕止めたのだ。ふり返ると、ああ、当の寺田も下唇を敵弾にもがれてタラタラと血を吐いているではないか。何きしきりにわめいているのだが、言葉にならない。

 ウワ、ウワ・・・・としか聞えない。

「水田、仇はとったぞ」

 といっているに違いない。私は水田の肩を抱きながら、水田、水田と心に叫びつづけた。私は二人目の部下を喪った。」

(徳永悦太郎著 「日本陸海軍空挺部隊かく戦えり」 丸エキストラ版 第四一号 潮書房)


 友軍の誰にも知られることなく戦死した鴨志田なる軍曹がいた。軍曹は占領後数日して現地民により埋葬されていることが判明した。経過を現地民に尋ねた所、降下後前進した所をオランダ軍と遭遇し、機関銃により負傷し、手榴弾を続けて二発を投げた後、斃れたという。敵軍は自分達の死体と共に捨てろと現地民の運転手に命じたが、その運転手は丁重に埋葬した上で花を供えた。そこで埋めた場所を掘り返して死体を調べると、衣服に鴨志田軍曹と書いてあり、軍曹の戦死したことが明らかとなった。調べると身体に十八発もの弾を受けていた。

 (前掲、「軍報道班員の手記」より)


 落下傘部隊は降下地点により、部下の掌握に時間がかかったり、武器物資の回収にも訓練とは違い予想以外のことが起こる。降下地点は空中偵察では草原に見えたが、実際は湿地帯だったことも部隊の行動を制限した。オランダ軍に比べれば少数ではあったが、奇襲の効果をそれなりにもたらし、精油所の被害を最小限にとどめて占領に貢献したのであった。


 甲村少佐の飛行場急襲部隊も兵力の集結に手間取り、装甲車を持つオランダ軍の抵抗に苦戦したものの、十四日一九二〇時になんとか飛行場を制圧した。久米挺身団長は十五日午前中にようやく飛行場へ到着し、爾後の全般指揮をとった。一一三〇時、第二次降下部隊が無事飛行場に到着。増援を得た挺進団は態勢を整えると、一九三〇時、パレンバン市内へ進出した。

 二月十六日、パレンバンを制圧した第一挺進団はムシ河を遡上してきた第三十八師団の先遣隊と合流した。第一挺進団は戦死三十八名、戦傷五十名という損害を出したが、精油所の確保に成功した。


 陸路の上陸作戦は次話にしたい。

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