第十六話 南部スマトラ航空戦
蘭印作戦において、東部方面は島嶼が多いことから、海軍航空隊の支援のもとに攻略作戦を展開していったが、西部方面、マレー半島南部からスマトラ島地区は、マレー作戦の航空支援は陸軍航空部隊が主要掩護を担ったことから、スマトラからジャワにかけての航空作戦は、陸軍航空隊が専念して地上部隊への協力を推進した。
マレー戦線でクアラルンプールが陥落寸前の一月十日南方軍は今後の航空作戦に関する計画の修正案を発した。
(関連部分のみ抜粋)
第一 作戦方針
一 南方軍航空部隊は全段作戦の急速なる進展に即応し、海軍航空部隊と協同
し、緒戦以来の戦果を拡大し、英蘭空軍に強化の余裕を与えざる如く之を急追
撃滅すると共に、密に各軍の作戦に協力す (中略)
第二 作戦指導要領
五
(自一月十日頃 至二月五日頃)
⑴ 第三飛行集団は主力を以て
つつ、新嘉坡付近敵重要軍事施設を攻撃すると共に一部を以て第二十五軍の
作戦に直接協力す。第二十五軍の新嘉坡攻撃時一時全力を以て之に協力する
ことあるを予期す
新嘉坡を攻略せば、情報及兵站部隊の各一部を第五飛行集団方面に転用す
⑵ 第五飛行集団は先づ速かに
五軍の作戦に直接協力す。第三飛行集団の新嘉坡攻撃時所要に応じ其の重爆
撃戦隊を以て之に協力す
⑶ 新嘉坡を攻略せば、速かに将来を顧慮し、香港と共に航空部隊修理補給の
二大策源地たらしむる如く施設に着手す
⑷ 海軍航空部隊は速かに西部「ボルネオ」「クチン」又は「レド」付近の基
地に主力を、一部を北部馬来に推進し、新嘉坡、東部「スマトラ」及爪哇方
面の敵航空兵力の撃滅に努むる筈にして、其の細部は別に協力する所に拠る
六 「スマトラ」及爪哇攻略の時期
(自二月一日頃 至二月二十五日頃)
⑴ 第三飛行集団は速かに「スマトラ」に於ける敵航空勢力を撃滅すると共に、
第十六軍一部の「バンカ」島及南部「スマトラ」に於ける航空基地の整備に伴
い、機を失せず努めて多くの兵力を推進し、速かに西部爪哇に於ける敵航空勢
力を撃破すると共に、密に第十六軍主力の上陸作戦に直接協力し、逐次爪哇に
基地を推進しつつ爾後の作戦に協力す
⑵ 第五飛行集団は主力を以て依然敵航空兵力の撃滅に努むると共に、第十五軍
の作戦に直接協力す。適時
輸送船団を攻撃す。又別に一部を以て第二十五軍一部の北部「スマトラ」作戦
に協力す
⑶イ 海軍航空部隊は依然主力を以て西部「ボルネオ」一部を以て北部馬来に位
置し西部「スマトラ」及爪哇方面の敵艦艇及敵航空兵力の撃滅に努め、又適
時一部を以て「アンダマン」海方面の敵艦艇の攻撃に努むる筈
ロ 南部「スマトラ」攻略作戦に於ける航空作戦に関しては、第十六軍、第一
南遣艦隊、第三飛行集団間に於て直接協定す
ハ 第十一航空艦隊は「セレベス」及西部「ボルネオ」方面に基地を推進し、
東部爪哇方面の敵艦艇及航空兵力の撃滅に努むると共に第十六軍一部の東部
爪哇方面上陸作戦に協力する筈
ニ 第十六軍の西部爪哇方面の作戦に協力すべき航空協定は第三飛行集団、第
二十二航空戦隊間に、東部爪哇方面の上陸作戦に協力すべき航空協定は、第
十六軍と第十一航空艦隊間に於て夫々直接協定す
七 〜 九 省略
第三 兵団部署及作戦要領
十 新嘉坡攻略及「スマトラ」方面航空撃滅戦の時期
⑴ 「シンガポール」付近に敵航空兵力の撃滅戦の為、概ね一月十日迄に「イ
ボー」「クワンタン」飛行場を整備す
⑵ 所要に応じ第五飛行集団の重爆二戦隊を転用し新嘉坡に対する要地攻撃に
協力せしむ
⑶ 第三飛行集団は所要に応じ、第二十五軍の「ジョホール」水道通過時全力
を以て之に協力す
⑷ 次期作戦を顧慮し、輸送飛行隊及一式戦闘機隊は適時整備に移らしめ、其
の戦力を保持す
⑸〜⑺ 省略
十一 「スマトラ」爪哇攻略時期
⑴ 第十六軍一部の南部「スマトラ」攻略に対する協力要領
イ、一月三十一日迄に戦闘戦隊を以て「クルアン」「カハン」「バッパハト」
に、軽爆戦隊を以て「イボー」「クアラルンプール」に、重爆戦隊を以て
「ケチル」「アロルスター」「アエルタワル」に展開を完了す
ロ、使用兵力
司偵九、一式戦四〇、九七戦三〇、襲撃機九、
双軽二〇、重爆三〇
ハ、南部「スマトラ」飛行場整備に伴い推進すべき兵力前号の重爆を除く部隊
とす
ニ、第十六軍の指揮下に在りて「スマトラ」に上陸せる航空地区部隊は基地の
整備完了せば第三飛行集団に転属す
ホ、海軍との細部協定は第十六軍、第一南遣艦隊、第三飛行集団間に於て協定
す
⑵ 第十六軍主力爪哇攻略作戦協力要領
イ、使用基地「ムントク」「パレンバン」「タンジュンカラン」は努めて速か
に占領整備す
ロ、使用兵力前号の兵力に同じ
ハ、爪哇島に於ける基地整備に伴い飛行部隊は逐次基地を推進す 此の際第十
六軍の指揮下に在る航空地区部隊は第三飛行集団に転属す
ニ、本時期第二十五軍より、独立飛行第七十三中隊、第八十四飛行場大隊の三
分の一を第十六軍に転属す
ホ、西部爪哇方面に於ける航空作戦は、第三飛行集団と第二十一航空戦隊間に
於て一月末日迄に直接協定す
へ、東部爪哇方面の上陸作戦協力は、第十一航空艦隊及第三艦隊に於て担任
し、之が細部協定は第十六軍と右海軍関係部隊間に於て直接協定す
ト、爾後濠洲方面に対する航空撃滅戦は、東部爪哇及小「スンダ」列島を基地
とし海軍之に任ず
⑶ 第二十五軍一部の北部「スマトラ」攻略作戦協力
イ、使用基地
「アエルタワル」「スンゲイパタニ」「アロルスター」「タイピン」
「イボー」
ロ、使用兵力
第三飛行集団之に任じ、爪哇作戦協力以外の部隊及第五飛行集団より所要
の兵力を協力せしむ (但し地区部隊を同行せず)
⑷ 省略
十二 省略
十三 空挺部隊の運用に関してはパレンバン攻略作戦に協力せしむるを第一目標
とするも敵航空状況及空挺部隊の到着の時期及我が基地の状況等に従い之が運
用を定む
(以下省略)
この時点では、陸軍はシンガポール攻略を目指して、クアラルンプールからマレー半島南部を進撃中で在り、航空機の支援もそれに呼応して、半島南部の敵地上部隊の撃破と、シンガポールの敵飛行場及重要施設の攻撃に集中していた。だが、連合国軍はシンガポールの飛行場および航空機を叩いても、スマトラ島を経由して日本軍地上部隊や飛行場を爆撃して悩ましていた。
一月二十六日、マレー半島南部東岸のエンドウ・メルシン上陸により、占領した中央にあるクルアン、カハンの両飛行場に大量の航空燃料、爆弾を揚陸集積することができた。これにより、南部スマトラに対する爆撃が可能となってきた。
二十七日に揚陸された燃料はドラム缶四、五〇〇本分、各種爆弾約八〇トン分であった。この量でも、作戦機の重軽爆撃機、戦闘機など約一〇〇機が四〜五回程度出撃できるものであり、これに北部に集積されていた燃料や爆弾を速やかに送る必要があった。
周辺には航空部隊の自動車部隊の使用可能なトラックは約二〇〇両あったが、これに陸軍部隊の砲弾、弾薬や、糧食なども輸送する自動車大隊の車両を割く検討もあり、数量的には全く足らない状況で、軍司令部では、シンガポール攻略が最重要で在り、パレンバン攻略推進に対しては、消極的態度を取らざるを得なかった。
英空軍の状況はどうだったのであろうか。
一月三日に、極東地域の連合軍統合司令部が設置され、その司令官には英印軍司令官のウエーベル大将が任命された。
ウエーベル大将は、一八八三年生まれ、第一次世界大戦に参戦し片目を失う。一九三五年第二歩兵師団司令官となる。一九三九年には中東駐留司令部司令官となり、第二次世界大戦ではリビアでイタリアとの交戦を皮切りに防戦していたが、ロンメル司令官のドイツ軍の参戦により、チャーチル首相の命令に従い、反撃するが英軍の攻撃は失敗に終わり、ウエーベルは解任されて、一九四一年七月インド駐留軍司令官となる。そして大東亜戦争によって極東軍統合司令部司令官となった。
ウエーベル大将は一月十五日、司令官として赴任すると、
「なるべく多く要地を確保し、増援部隊はシンガポールに送って戦勢を挽回し、スマトラ内の飛行場を確保して、局地的航空優勢を獲得し、ABDA内の交通線を確保して、日本軍の進攻を食い止める」
という方針のもとに作戦を計画した。航空兵力の増援は英国の補給は欧州戦線であまり期待できないため、米国からの二ヶ月間に亘る一千機以上の補給が頼りであった。英国としても最大限の補給を考え、戦線が好転している中東方面より空軍十八個中隊(約二八〇機)が転用可能だとしていた。
一月中旬には日本軍機によりシンガポールへの大規模な空襲が始まり、英空軍は邀撃にあたるが、マレー半島の監視哨はほとんど失っており、空襲警報の発令は遅延しがちで、日本軍爆撃機の高度は五千から六千メートルからで、バッファローが同高度に上昇するためには三〇分必要で在り、また制空にあたる日本陸軍の一式戦との性能も劣っていることが判明したのである。高射砲もその高度まで射撃可能なものは、三・七インチ砲の四〇門程度であった。
英空軍、蘭空軍は援軍を受けながら善戦していたが、徐々に圧迫され、航空部隊はシンガポールからスマトラ、ジャワに後退せざるを得なかった。ハリケーン五十一機とパイロットが補充され期待されたものの、ハリケーンは期待に反して日本機を凌駕していくことはできなかった。
航空戦としては、マレー、シンガポールからスマトラ、ジャワへと戦域を南へと移していった。
一月二十八日、マレー半島南部の飛行場を掌握したことを受けて、陸海軍は新たにL作戦に関する陸海軍協定を結んだ。
L作戦とは「パレンバン」攻略に向けての作戦計画である。
L作戦に於ける陸海軍間航空協定
南遣艦隊司令官 海軍中将 小澤治三郎
第十六軍司令官 陸軍中将 今村 均
第三飛行集団長 陸軍中将 菅原 道大
第一 作戦名称及日次基準
一 「バンカ」島及「パレンバン」作戦をL作戦と称す
二 第三十八師団先遣隊の「ムントク」上陸日をL日とし二月十日と予定す。航空
作戦の進捗状況及天候敵情等に依りL日の変更を要する場合は南遣艦隊司令長
官、第十六軍司令官間に於てLー六日一二〇〇迄に協議決定す
但し航空作戦に関しては第十六軍司令官は第三飛行集団長の意見を徴するもの
とす
第二 使用兵力
一 海軍
第一航空部隊
陸攻約百機、戦闘機約三十機、陸偵六機
馬来部隊
水上機約四十機
二 陸軍
司偵約九機
一式戦約四十機、九七戦約三十機
襲撃機約九機
双軽約二十機
重爆約三十機
右内重爆以外は南部「スマトラ」飛行場に推進予定
飛行場の状況に依りては右の機数若干増減することあり
第三 使用基地竝に配備兵力
一 海軍
イ 「レド」使用可能の場合
「レド」及「クチン」
陸攻二箇航空隊、戦闘機約三十機、陸偵六機
「クワンタン」 陸攻約三十機
「スンゲイパタニ」 約十機
ロ 「レド」「クチン」使用不能の場合は次の通進出す
「クワンタン」 陸攻約六十機、戦闘機一部
「カハン」 戦闘機約三十機
陸攻約三十機燃料補給の為前進基地
として使用することあり
但し挺身部隊使用の際はLー三日
以前L+七日以後とす
「スンゲイパタニ」 陸攻約十機
「コタバル」 陸攻約四十機
二 陸軍
「カハン」 一式戦約二十五機、輸送機約四十五機
爾余のL作戦に使用する部隊は「クルアン」「バトパハ」「クアラルンプー
ル」「イボー」「ケチル」等の飛行場を使用す 飛行場の整備其の他の状況
に依りては右使用区分竝に其の兵力を変更することあり
三 「ムントク」「パレンバン」の基地整備は陸軍の担任とし「ムントク」の整
備は海軍之に協力す
「ムントク」「パレンバン」基地占領当初「ムントク」を次の如く陸海共用
し「パレンバン」は陸軍之を使用す
海軍戦闘機其の他 約三十機
陸軍戦闘機 約三十機
陸軍は為し得れば海軍航空燃料の輸送に関し援助す
爾後に於ける本基地の使用に関しては更めて関係陸海軍指揮官に於て協定す
第四 作戦要領
一 速かに「スマトラ」の敵航空兵力の撃滅竝に「ジャワ」の敵航空兵力の制圧
を期す 其の担任区域を次の如く概定するも臨機他の担任区域内の敵を攻撃す
海軍 「ムントク」「パレンバン」を連ぬる線以東
陸軍 同上線以西
二 敵艦船の攻撃は海軍の担任とす
三 輸送船団の掩護
1 航行間
イ Lー一日陸海協同戦闘機に依る直接掩護を左の如く実施す
一四〇〇迄 海軍
一四〇〇以後 陸軍
ロ 上記以外の航行間の警戒は海軍の担任とす
2 「ムントク」及「パレンバン」泊地竝に遡江間 陸海軍戦闘隊同方面に推
進後に於ける対空警戒は両軍協同とし上記以外の警戒は海軍の担任とす
3 地上及遡江作戦協力
「パレンバン」に至る遡江作戦協力は主として海軍之に任ず 爾後に於ける
地上作戦協力は陸軍の担任とす 但し陸軍機同方面に進出迄海軍之に任ず
第五 情報交換
陸軍は勉めて「バタビヤ」方面の敵航空状況を捜索し之を海軍に通報す
(註 L日は二月十日)
この協定に基づき、第三飛行集団は一月末L航空作戦に関する作戦要領を発令した。これによれば、作戦に参加する航空隊と任務は次のように割り振られた。
集団直轄
飛行第八十一戦隊 司偵
飛行第九十八戦隊(九七式重爆)
第一挺進団
「スマトラ」及爪哇其の他の一般捜索特に爪哇攻略準備の為の捜索に任
ず 之が為「クチン」又は「レド」等「ボルネオ」の飛行場を一時使用す
ることあり 一部を以て挺進団の作戦に直接協力す
第三飛行団
第十五独立飛行隊(独立飛行第五十一中隊欠)司偵
飛行第五十九戦隊(一式戦)
飛行第六十四戦隊(一式戦)
飛行第七十五戦隊(九九式双軽)
飛行第九十戦隊(九九式双軽)
飛行第二十七戦隊(九九式襲撃機)
第二十五軍協力及L作戦協力
第七飛行団
独立飛行第五十一中隊(司偵)
飛行第十二戦隊(九七式重爆)
飛行第六十戦隊(九七式重爆)
「シンガポール」攻略作戦協力 所要に応じL作戦兵力の増強
第十二飛行団
飛行第一戦隊(九七式戦)
飛行第十一戦隊(九七式戦)
独立飛行第四十七中隊(二式戦)
第三飛行団に協力して「シンガポール」付近制空、「パカンバル」飛行場の監視、機を見て撃滅 為し得ればL作戦部隊泊地防空及爪哇作戦協力準備
二月に入ると、第三飛行集団はシンガポール攻略開始に呼応し、地区の陣地爆撃と航空撃滅戦を展開した。陸軍部隊が上陸作戦を開始するまでの一週間でほとんど敵の航空戦力を壊滅させていた。だが、英蘭軍もスマトラから補給を続け、反撃を繰り返していた。
主の攻撃はシンガポールであるが、L作戦の実施もせねばならず、後方補給基地と叩くという意味で、二月六日パレンバン地区に対する航空攻撃が実施された。
六日、飛行第五十九戦隊、第六十四戦隊、第七十五戦隊、第九十戦隊の六十六機は、パレンバン、ムントク飛行場を攻撃し、十五機を撃墜、十一機を地上で撃破し、全機が帰還した。
ついで七日には、三十七機で以て再びパレンバン飛行場を攻撃に、十機前後を撃墜、地上で二十機を撃破したが、この日は二機が未帰還となった。
この日の攻撃のことは、六十四戦隊の檜与平氏の「つばさの決戦」に詳しい。
「わが部隊は、おりからの断雲を縫ってパレンバンへ進入したが、市街はうっすらと曇り、三千メートルの中空に雲層があって、これが上下をきっかりとわけ、飛行場から街にかけては、濃い霧がすっぽりとかぶさっている。
雲上爆撃は効果が期待できない。どうするのかとみまもっているうちに爆撃隊は、とつぜん、急降下に移った。
部隊長は、左側前方へレバーをひらいてすばやく接近し急降下中の爆撃隊の上空を、蛇行飛行しつつ掩護し、安間中隊がその後方についていった。
私はすぐ戦闘隊形をとって、部隊長の左後方に接近して、がっちりと編隊をかためた。」
加藤部隊は、爆撃隊の爆撃完了して無事帰還を見届けると、パレンバン上空に引き返して、飛行場の地上機に対し銃撃を加えようとしていた。
「ぐんぐん高度を下げて飛行場の西方十キロのところへ出てきた。飛行場はまったく火の海と化し、黒煙が二十数条も立ちのぼり、万歳を叫びたくなるほどの壮観を呈している。
目を皿のようにして、薄もやの中を索敵しながら、部隊長機について飛行場へ接近していった。高度は二百メートル、前方のひときわ高い司令部塔ちかくの滑走路ぞいに、十数機の小型機が、炎々と燃えている。」
これは先に突っ込んでいった安間中隊の戦果であった。安間中隊が突入した際、一機のハリケーンが離陸してきたが、それを叩き落とし、その後は次々と在地機を炎上撃破していった。
其後檜中尉は地上銃撃に入るが、敵ハリケーンの射撃を浴びて空戦に入る。
「このとき、自分の射ち出している曳光弾ではない、細い曳煙が、スーと機体をかすめたような気がした。はっと後を振り向くと、なんと私の背後いっぱいに、真黒な、頭のとがったハリケーンが迫っている。高度は五メートル、私は無意識に左斜め上昇で回避した。宙返りの頂点で後を見ると、敵はピタリと私について離れない。エンジンもさけるばかりにレバーを引っ張り、旋回しつづけた。そして、飛行機が水平になったときは、高度の判別ができないほど低かった。敵機はまだ執拗に私からはなれない。さらに左斜め宙返りをつづけた。水平から引き上げるときは、煙の中である。もう観念して、いまに地面にぶっつけるなと思っていると、急に眼前が明るくなった。煙から出て頂点で背面になったが、敵はそれでも喰らいついて離れない。咽喉はカラカラに乾いてくる。
しかし、私はあきらめなかった。もう一回、煙から出て機を引き起こしかけて、後を見てみると、なんと敵機は水平の姿勢のまま滑走路の上で砕け散っていた。」
(檜与平著「つばさの決戦」光人社 昭和四十二年)
このあと中尉は別のハリケーンと戦闘に入るが、今度は機銃から弾が出ず、両機ともバンクして離れていった。中尉は単機となったが、無事基地に辿りついた。未帰還は奥山曹長機であった。
八日、四十二機がパレンバン飛行場を攻撃し、二機を撃墜、九機を地上撃破した。
この三日に亘る攻撃で連合国軍機は戦力を激減したのである。
南方軍はパレンバンの石油資源確保のため、再三挺進隊の投入を苦慮していた。最終的には一月三十一日、第一挺進団のパレンバン占領への投入を決めたのである。目的地は製油所と飛行場の占領確保であった。
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