第十五話 チモール島攻略(海軍落下傘部隊第二陣)

 チモール島の攻略は日本軍にとって問題点があった。チモール島は十六世紀以降ポルトガル領であったが、一八五九年のリスボン条約により東半分がポルトガル領、西半分がオランダ領となった。従って、日本軍はオランダ領は攻略できるものの、ポルトガルは中立国であったために、上陸攻略して良いものか上層部が判断しなくてはいけないことであった。


 一月二十八日午前十時より、第八十回連絡会議が行われて、「チモール」に関する措置が議論された。

(軍令部総長)

 一月二十三日「リスボン」に於ける千葉公使とポルトガル外務次官の会見(葡兵「チモール」島増派方に関する件)のよれば葡領「チモール」に於ける日本人の監禁状況よりするも已に日本の正当なる措置が中立国領土に於て侵犯せられあるにあらずや此くの如き状況に於て

 イ、今後の長期戦を予想するとき英軍特に「アメリカ」の飛行機や潜水艦が濠

  洲に集ってくる其際「ポートダーウィン」に対する直接の作戦価値大なる葡

  領「チモール」を確保するを要す

 ロ、葡が「チモール」の中立を保障するときは撤退するというけれども現に今

  侵されている状態に於て自己の力で中立を保障し得るや否や甚だ疑問である

  以上葡側の態度及其他情勢の変化等相当はっきりしていないときに撤退する

  ことを今日はっきりするのは困る従って情勢を見て決めることにしたい

(総理)

 「チモール」の作戦の如きは極めて局部的のことである「チモール」に居座ることは葡を求めて敵側に廻すことになる欧州方面の作戦に及ぼす影響も亦大である殊に独の戦況不利を伝えられている今日に於ては益々然りてある

(軍令部総長)

 「チモール」作戦は一局部の作戦と言われるけれども然らず長期戦に際し濠洲を制する為にも極めて重大である

 葡の態度が反枢軸に変ったとて欧州の戦況には恐らく大なる変化なかるべし

 中立し得る実力なきものを対手にして此方ばかり本気になって見たところで英米の圧迫に対しては結果中立を保障することが出来ないのだ。A案の如く退ることを今決める必要はない

(外務大臣)

 已に葡は英と話合を決めて葡軍隊が近く交代に出発しているときだから今日はA案で決めて置いて又軍令部総長が言われるような情勢が来たら其時に考え直しては如何

(大蔵大臣)

 企画院総裁より、🄐🄑チャンポンの案が出たるも総理総長何れも堅くなりて譲らず

(軍令部総長)

 帝国の作戦遂行上絶対必要なりとする事項を情勢の推移を見きわめずに政略上の必要から撤退するということを今から決めるのは不同意だ

(総理)

 政府統帥部の意見一致せざれば御聖断を仰ぐより外あるまい

(参謀総長)

 独への通告は左記に準じ本案決定次第成るべく早く処置するを可とす

 ㋑ 作戦上並爾後の長期戦遂行上「チモール」への作戦の必要性

 ㋺ 英米兵力特に飛行機濠洲集中公算大

 ㋩ 蘭領「チモール」作戦に伴い葡領「チモール」に対する作戦の必然性

 ㋥ 実行に時機は「近き将来」として明示す

 (以後省略)

 この日連絡会議で決定した対ボルトガルの措置は次の通りである。

一、対蘭領「チモール」作戦に伴い自衛上帝国が葡領「チモール」に作戦するこ

 とありとするも葡領にある英濠蘭軍の

 (A案)掃蕩後は葡側にして中立を保障する限り帝国軍隊は該地域より撤退す

    るものとす

 (B案)掃蕩後同地より帝国軍隊を撤退せしむべきや引続き作戦基地として使

    用すべきやは葡側の態度及其他当時の情勢により之を定む

二、企図秘匿上事前に葡国政府に対し葡領「チモール」の英濠蘭軍撤退方を更に

 要求するが如き外交措置を採らざるものとす

三、葡領「チモール」への地上部隊の進入直前葡側に対し適宜通告を行うと共に

 葡領「チモール」に対する其主権尊重竝に「葡側にして中立を保障する限り自

 衛上の目的達成の上は速かに兵力を撤収すべき」旨を申入るると共に進入直後

 帝国政府は右の趣旨を声明す

     註

⑴ 葡が中立的態度を保持する限り澳門マカオに対しては現在の態度を維持するものとす

⑵ 独伊に対し必要に応じ適宜説明するものとす

⑶ 葡領「チモール」に進入する場合に於ても帝国軍隊は極力葡軍を敵側に廻さざ

 るに努むるものとす

(参謀本部編「杉山メモ 下」明治百年史叢書 原書房 昭和四十二年、但しカタカナ表記を現代かな表記に編集)


 国家間の問題は政府が関与することで、その方針が決まれば、軍としては作戦計画を立案実行するまでであった。


 二月八日南方軍は次の通り「チモール」に関する命令を下達した。

 南総作命甲第五四号

    南方軍命令   西貢

一 第十六軍司令官は蘭領「チモール」作戦を容易ならしむる目的を以て海軍と

 協同し「ポルトガル」領「チモール」に対し作戦すべし 南方軍、第二艦隊間

 の協定別紙の如し

二 前項作戦に当り「ポルトガル」領が敵対行為を取らざる場合又は之を中止せ

 る場合は作戦上支障なき限り努めて其の主権を尊重すべし 右の場合「チモー

 ル」島防衛の為「ポルトガル」側をして採らしむべき措置に関しては後命す 

 但し作戦上緊急必要なる事項に関しては臨機「ポルトガル」側に要求すること

 を得

別紙

 「ポルトガル」領「チモール」島は濠洲及蘭印両軍の占拠しある現状に鑑み 

 「チモール」島攻略に当り「クーパン」上陸と略々同時に伊東支隊の一部は

 「デリー」に上陸(海軍護衛)同地付近の飛行場を占領す


 二月十一日、高橋中将は第二護衛隊指揮官田中少将に対して二月二十日を期してクーパン、デリー攻略の命令を発した。

 十四日、伊東支隊の伊東武夫少将と第二護衛隊の田中頼三少将との間に陸海軍協定が定められた。


  伊東支隊長・第二護衛隊指揮官間協定

 第一  集合地出発日時

第一梯団  二月十七日  〇五〇〇

第二梯団  二月十八日  〇二三〇

 但し各梯団とも右出発日の前日一七〇〇迄に「アンボン」港外泊地に転錨するものとす

 第二  上陸点及其の偵察

一、上陸点

 クーパン方面

  陸軍主力      「マリー」岬東方西方海岸

  海軍陸戦隊     「マリー」岬東方海岸

 デイリー方面

  陸軍部隊      「デイリー」西方海岸

二、偵察 

 上陸点の直前偵察は之を行わず

  第三 上陸軍の兵力

一、クーパン方面

  伊東支隊

   長 陸軍少将  伊東武夫

   司令部

   歩兵二大隊

   山砲兵一大隊

   工兵一中隊(一小隊半数)

   速射砲一中隊

   野戦高射砲二中隊

   通信隊及輜重兵の一部

   衛生隊野戦病院及病馬廠の一部

   独立工兵一中隊及碇泊場司令部の一部

二、デイリー方面

  伊東支隊の一部

   長 陸軍大佐  土井定七

   歩兵一大隊

   連隊砲一中隊

   工兵半小隊

  第四 上陸開始期日及時刻

一、上陸開始日

   二月二十日

二、上陸開始時刻

               入泊時刻    上陸開始

  「クーパン」上陸部隊    〇一〇〇    〇三〇〇

  「デイリー」上陸部隊    〇一〇〇    〇三〇〇

  第五 輸送船隊区分輸送船隊行動

一、輸送船区分

   第一梯団

    第一分隊

      輸送船 良洋丸(五、九七三トン)

      輸送船 あふりか丸(九、四七五トン)

      輸送船 三池丸(一一、七三八トン)

      輸送船 国川丸(六、八六三トン)

    第二分隊

      輸送船 天龍丸(四、八六一トン)

      輸送船 浪速丸(四、八五八トン)

      輸送船 善洋丸(六、四四一トン)

   第二梯団

      輸送船 山浦丸(六、七九八トン)

      輸送船 日春丸(六、一八〇トン)

 (備考)

  ⑴海軍陸戦隊は良洋丸に乗船 「マリ」岬東方海岸に揚陸

   陸軍部隊(中攻撃隊)と共に飛行場に入る

  ⑵国川丸(日春丸)は「ケンダリー」発中途に於て夫々第一(第二)梯団に合同す

二、輸送船隊の行動

  ㋑ 航路別図第一の通(図省略)

  ㋺ 航行速力

     強速力    十一節

     原速力     九節半

     半速力     八節

     微速力     六節

  ㋩ 指揮官所在

     伊東支隊長   三池丸

     護衛指揮官   神通

  第六 海上護衛 (以降省略)

 十六日、攻略部隊の編成は次に如くであった。

 一 兵力及区分

 攻略部隊 第二護衛隊

      指揮官 第二水雷戦隊司令官 少将 田中頼三

      旗艦 神通

      第十六駆逐隊 駆逐艦 雪風 時津風

             駆逐艦 天津風 初風

      第十五駆逐隊 駆逐艦 黒潮 (夏潮欠)

             駆逐艦 親潮  早潮

      第七駆逐隊第一小隊

      第二十一掃海隊 第七、第八掃海艇

      第一、第二哨戒艇

      佐連特二コ小隊

      水上機母艦 瑞穂

      第三十九号哨戒艇

      海軍輸送船四隻

 支援隊  第五戦隊 重巡 羽黒

      駆逐艦 曙、 雷

 上陸部隊 輸送船五隻 (陸軍伊東支隊)

 航空部隊 第十一航空艦隊第一〇〇一部隊

 二 任務

  1 陸軍伊東支隊及第十一航空艦隊第一〇〇一部隊と協同、クーパン付近の

   攻略及びクーパン飛行場の確保

  2 陸軍伊東支隊と協力、デリーの急襲攻略及び同飛行場の占領確保

  3 支隊隊は左記作戦支援のほか、機動作戦部隊の第一次機動作戦に対する

   掩護を兼ねる

 三 行動の概要

  1 支援隊

  ⑴ 第五戦隊、「曙」は二月十七日一五〇〇スターリング湾発、十八日午前第

  二護衛隊第一梯団に接近後東航し、十八日夜間ロマング島の北方三〇〇浬付

  近から北上、同一一〇浬付近から西航、十九日午前第二梯団に接近後、更に

  西航、十九日夜間アロール水道北方付近に行動し、爾後敵情に応じ機宜行動

  ⑵「雷」は十八日スターリング湾において補給のうえ十九日一一〇〇アロマ

  ホ沖の一四五度三八浬において合同

  2 第二護衛隊

   第三艦隊機密第一九九番電の攻略航路によるほか、同隊指揮官所定

  四 機動部隊及航空部隊の作戦

    (省略)


 十七日朝、第二護衛隊及び第一梯団がアンボンを出撃し、翌十八日第二梯団が同地を出撃した。水上機母艦瑞穂と第三九号哨戒艇も十七日スターリング湾を出撃した。瑞穂は攻略船団の対潜、対空警戒の任務につきながら、南下を続けた。

 航空部隊は、クーパン付近及びポートダーウィン方面の偵察を実施したが、少数の航空機はあったが、敵艦船の姿はなく、商船を発見したぐらいであった。


 第一梯団は十九日チモール島沖五〇浬を陸岸と平行に南西に進む中、〇四二〇に魚雷一本の攻撃を受けたが被害はなかった。一方第二梯団は十九日二三三〇に泊地への進入を開始し、第一梯団も泊地進入を前に、掃海隊が掃海を実施し機雷なしを報告した。

 伊東支隊長は攻撃作戦を次のように計画していた。


 右攻撃隊は、第二中隊長神戸政次中尉指揮により、機関銃一小隊、大隊砲小隊一、無線一分隊、衛生隊の一部を以て、ベニニ岬東側海岸に上陸し、その後バウンーカピチーデサウ道を所在の敵を撃破しつつ速やかにデサウ付近に進出、同地付近を確保すると共に敵の退路を遮断する。

 中攻撃隊は、第三大隊長西山遼少佐が指揮し、速射砲一中隊、山砲一中隊(一小隊欠)を以て、ベニニ岬、マリー岬間の海岸に上陸し、バウンから三八五高地ークーパン道を所在の敵を撃破しつつクーパン東南側地区に進出し、クーパン攻撃を準備する。また一部を以てプトン飛行場を占領する。

 左攻撃隊は第一大隊長早川菊夫少佐が指揮し、軽装甲車中隊、山砲一中隊と共に、マリー岬西北側海岸に上陸して、アルス付近砲台を占領し、マリー岬ーアルスークーパン道を所在の敵を撃破しつつクーパン南側に進出し、クーパン攻撃を準備する。

 砲兵隊(山砲兵第三十八連隊第二大隊)を以てマリー岬東側海岸に上陸し、中攻撃隊の後方を続行してその戦闘に協力する。

 予備隊は第一大隊の一中隊とし、主力部隊に続いてマリー岬東側海岸に上陸し、支隊司令部と共に行動する。


 デリー攻撃は、歩兵第二百二十八連隊長土井定七大佐が指揮する第二大隊を基幹とし、デリー西側海岸に上陸し、速やかに飛行場を占領する。


 二月二十日〇〇五〇第一梯団はマリ岬東方に入泊し、第一回上陸部隊は〇二四〇に上陸成功、第二回部隊も〇四一〇に上陸成功を果たした。

 右攻撃隊は三六三高地まで進出、中攻撃隊は三八五高地まで進出し、左攻撃隊は一九〇〇にはクーパンに突入した。

 二十一日、右攻撃隊は夕刻にはデサウに進出、蘭軍部隊の東方への退路を遮断するよう配置に着いた。中攻撃隊は〇九〇〇にはクーパンに突入し、第九中隊は別動してブトン飛行場を占領し、上陸して後続した海軍陸戦隊に引き継いだ。

 二十二日、クーパン市街地に本部を置いた伊東支隊長は、右攻撃隊が装甲車を有する約一千名からなる敵軍部隊の包囲攻撃を受けていることを知り、支隊長は直ちに第三機関銃中隊長村瀬大尉の指揮する応援部隊を派遣し、さらに歩兵二百二十八連隊第一大隊長早川少佐の部隊を派遣した。

 神戸中尉指揮する右攻撃隊は、朝より敵軍の攻撃を受け、午後には弾薬の不足に陥っていた。一六〇〇頃には神戸中尉も負傷し、死傷者も続出していたが、十七時頃になってやっと海軍の爆撃機が到着して敵軍の後方を爆撃、さらに救援部隊の村瀬部隊と早川部隊が到着して猛攻を加えると、敵軍は脱出するために猛烈な攻撃を右攻撃隊にかけたため、右攻撃隊の陣地は蹂躙突破され、敵軍はトラックで東方に逃げ去った。神戸部隊は戦死六十七名、負傷者三十四名の損害を受け、中尉が最終的に率いる部隊は九名に過ぎなかった。敵軍は五百名ほどの死傷者を出して退却したものと判断された。

 早川少佐は戦力僅少となった右攻撃隊を収容して指揮して追撃に移り、二十三日払暁ゲイボナ東側地区で、この退却した敵部隊を捕捉し、午前十時敵は白旗を掲げ、約一千名が捕虜となった。

 敵の兵力は、オーストラリア軍千五百名、オランダ軍二四〇名、原住民二〇〇名ほどからなり、確認した遺棄死体二九六、捕虜一、一三六名であった。

 伊東支隊の損害は戦死者六十七名、負傷者五十六名であり、戦死者は全員神戸中隊であった。

 今村軍司令官は、五月十日神戸中尉の中隊と配属部隊に対し、感状をあたえその武功を全軍に布告した。


 一方、海軍陸戦隊の落下傘降下部隊約四五〇名は一〇四五に、ババウ北方の牧場に敵の抵抗を受けることなく降下に成功した。

 これはメナド作戦では敵飛行場に降下して、苦戦を強いられたので、今回は飛行場から離れた所に降下し、態勢を整えてから飛行場に向うことにしたからである。第一日目は隊本部と二個中隊三〇八名、二日目に残りの三二三名が降下する。輸送機は二八機が二往復するという計画だった。


 二月二十日、ケンダリーを発った第一次降下部隊は、十時にババウ集落東北方海岸寄りに降下した。牧場のはずだったが、靴が半分没する程度の湿地帯だった。が、敵がいないため完全に武装を整え、一〇四五時には集結を完了し前進を開始した。

 一一三〇時クーパンに通ずる本道に出て、ババウ集落に入るところで敵と遭遇、敵は軽戦車や装甲自動車を持つ二百名くらいで、第一中隊は機先を制して攻撃し、軽戦車とトラック各一両を奪取し、捕虜二名を捕えた。

 福見司令は捕虜から得た情報やクーパン道方向に揚る砂塵などから、本道上には有力な部隊がいるものと判断し、目標の飛行場に早く進出するには、道路を前進するよりもジャングル内を迂回したほうがよいと判断した。そこでババウ集落の手前のやや凹地になっているところに部隊を集結させた。

 一三〇〇頃出発しようとした時、敵は再び装甲自動車や機関銃搭載の軽戦車数両をもって道路上から、歩兵をもって道路両側の森林内から、我を包囲するように攻撃してきた。我もまた全力を尽してこれと戦い、白兵戦までえ交えて、四時間半に及ぶ激戦となり、一七三〇頃ようやく敵を撃退した。この戦闘で戦死小隊長一、下士官兵二十一、戦傷小隊長三、下士官兵十七という損害を出した。

 一八〇〇頃日没とともに敵はクーパン方向に退却した。わが方は死傷者の収容救援を行い、二二時頃出発、住民の道案内でクーパン道南端のジャングル内を、飛行場に向い前進を始めた。飛行場までは十数キロで、明二十一日未明には到着すると見込んでいたが、道らしい道はなく前進ははかどらない。銃剣で雑木や雑草を切り開き、闇夜負傷者を連れての難行で、未明の突入は到底不可能となった。


 夜明けと同時に暫くジャングルを抜け出し、一〇三〇頃小高い丘に到着して休息をとっていると、東方のババウ集落方向に桜田中尉指揮の第二次降下部隊が降下するのが見えた。

 福見司令は第二次降下部隊が同じように本道上を直進し、優勢な敵と遭遇することを恐れ、間道を前進するように連絡者を派遣した。連絡者は一三時頃桜田隊に行き着いたが、同隊は既に二時間も優勢な敵と交戦していた。桜田隊は一四時頃ババウ集落の敵を撃退したので、戦場を離脱して間道に入り主力の後を追ったが、飛行場に到着するまで合流はできなかった。第二次降下部隊はババウ集落付近の戦闘で、戦死小隊長二、下士官兵一二、戦傷下士官兵四という損害を出した。

 福見司令は夕刻までには飛行場を占領しようと、一三時頃部隊に出発を命じたが、地理の不案内、兵員の疲労等で前進ははかどらず、再び夜となった。結局飛行場に到着したのは二十二日六時頃であり、すでに飛行場は陸軍部隊と海軍陸戦隊が前日の一四時頃には占領していた。降下部隊が戦闘を交えた敵は、陸軍部隊に追われて退却していく敵部隊であり、少し離れた場所への降下が結局激戦を交える結果となった。


 山辺雅男中尉の手記から落下傘部隊の奮戦を見てみよう。

『ポケットだらけの落下傘兵のズボンの中には、防腐剤を入れた四食分の握り飯と一日分の携行糧食。セロハンの水筒に入れた飲料水数個と最悪の場合を考慮して鰹節、磨き鰊。塩。携帯用救急嚢の中には繃帯、三角巾、ヨードチンキ等の他、ウィスキー小瓶が一本。上衣の胸ポケットには士官、兵とも各自ブローニング式又は九四式小型拳銃一挺と手榴弾数発が忍ばせてある。その他、ズボンの最も取り出し易いところにジャック・ナイフ一本と穴を掘る小円匙えんびを携行している。主兵器は折り畳み式のものが間に合わず、不便を忍んで軽機銃は分解して一部の兵が、重擲弾筒はその射手が全員、これを胸部に携行降下することにし、小銃、補充弾薬は梱包で投下することになっていた。なお、鉄カブトは縁なしのもの、靴は降下靴といって、ゴム裏の半長靴で紐でしめることが出来る。

 これが落下傘兵の服装のあらましだ。一人当り二十キロ前後のものを身につけて降下することになる。

 (中略)

「対空見張りを厳重にしろ」

 搭乗員も兵も、あとは黙々として前方を凝視している。輸送機の編隊は高々度上空で大きく右旋回しながら、チモール島の上空に出た。広大な大陸のような感じをうける。島の地肌が浮いて見えはじめた。

「編隊を解き、突撃隊形つくれ」

 針路が山手から海の方へ向けかえられた。

「山頂の対空機銃注意!」

 平坦な草原が見える。あれが降下地点だ。

「突撃せよ」

 キーンという感じの急激な気圧の変化が耳の奥深く感じられる。ブザーが鳴った。降下準備がかかる。機はぐっと高度をさげて密林の山蔭を縫うようにして飛ぶ。山の山頂から百メートル以下か?椰子の木が一本一本手にとるように見える。「ツー」(降下せよ)爆撃の砂塵めがけて、バタバタと機内を蹴って全員が飛び出した。武装の重みで頭が下り地面がよく見える。

 着地。膝もかくれる湿地の叢である。伏せると味方を見失ってしまう。上空では、後続編隊がぞくぞくと降下している。中隊付の仙野兵曹長と伝令の段一水が、いち早く私のところへ馳せつけてきた。

 クーパン街道にそって密林をかきわけながら一〇〇〇メートル程前進する。

「一小隊長が見当らないがどうかしたのか」

 降下直後から一小隊長の長嶺少尉が見えなかったが、気の早い男だから密林の先きの方を進んでいるのだろう、と思っていたが、いつまで経っても現われない。帰ってきた斥候がいった。

「小隊長は伝令二名を連れてこの先きの密林へ入って行きましたが、その後の様子はわかりません」

 双眼鏡で椰子林の様子をさぐってみたが一向にわからない。左前方に横たわるジャングルの上を越せばクーパン飛行場の筈である。あと三キロあまり。任務はクーパン飛行場占領だ。うろうろしてはいられない。

 その頃一小隊長長嶺少尉は伝令二名とともに敵仮兵舎内に強行偵察をやって、数十名の敵に包囲されていた。敵の至近弾が少尉の股を貫通した。

「早く中隊長に報告しろ」

 倒れながら叫んだ。

「俺にかまうな。早く行け」

 十数名の敵兵が、密林の中で銃をかまえ、伝令が立ち上がるのを待っている。伝令は涙をのみ、小隊長を捨てていくことを決心した。ダッ、ダダダダダダ・・・。

 伝令はベルグマン短機銃をぶっ放した。先制射撃で敵が怯んだ一瞬、サッと囲みを破って飛び出した。

 ダダダダダダ・・・。敵の追い射ち、バッタリ伝令一名が倒れた。危機を脱して小林一水が私のところへたどり着き状況を報告した。

「中隊付仙野兵曹長は、第一小隊の指揮をとれ」

 一小隊長が交代した。

「密林内の敵を突破して飛行場を向け進撃を続ける」

 やがて、椰子林をすかして一〇〇メートル前方に、敵の仮兵舎らしい民家が見えた。一小隊はそのまま前進して民家に突っ込む。

 ヒューン、シューン、

 敵弾が、正面から私の身辺を掠め出した。

「近いぞ。油断するな」

 二小隊はすでに反撃をあびている。前面の敵はざっと四、五〇〇か?兵力不明の敵を落下傘部隊全兵力が、数十メートルの距離をへだてて密林をはさみ、正面衝突の遭遇戦が展開された。味方重擲弾が前面の敵を飛びこえて背後の敵に向って発射されていく。彼我の銃弾が密林内にからみ合い、凄絶な断末魔の叫びがこれに加わる。

「高崎兵曹長戦死」

 二小隊長の戦死を伝えてきた。平先任下士官が小隊長に代った。部隊に入ってからすでに二時間余。その間の味方の前進距離はわずか一〇〇メートル足らず。

「三小隊長戦死」

 坂本兵曹長の戦死を伝えてきた。

「高野先任下士官指揮をとれ」

 私の一中隊は、これで小隊長全滅である。敵と四つに組んでしまった恰好の一小隊長から伝令がきた。

「中隊長、家の向うに敵陣が・・」

 椰子林と民家の間に遮られて見えないが右正面の家の向うが敵陣だ。

「これから家の向うの敵陣に突撃をかける」

 宮辺兵曹長以下指揮小隊が、じりじりと周囲に集まってきた。

「手榴弾の炸裂で、敵が頭を伏せたところを突っ込むんだ。ちょっとでも遅れたらこっちがやられるぞ。白兵戦でなければいつまでも勝負はつかぬ」

「発火用意!」

 各自、手榴弾が握られた。

「打てッ!」

 一斉に雷管を衝く。

 シュ、シュ、シュ・・・。燃えつく音。

「投げろおッ」

 銀鉛色の小塊が屋根を超えて飛ぶ。

 ガ、ガ、ガーン。凄絶な炸裂音。

「あッ、しまった」

 投げそこなった味方手榴弾が一つ、屋根の棟にひっかかって、こちら側へ転げ落ちてくる。鉄カブトに全身を隠すように、頭を一斉に手榴弾の方に向ける。

 もう炸裂だ。ガバッと伏した。一秒、二秒・・。おやッ、炸裂しない・・。不発弾だった。

「やり直し」「発火用意、打てッ」

 シュ、シュ、シュ・・。

 カーッと眼を射抜かれたような閃光にハッと一瞬たじろいだ。

ーこの辺りだ。振りあげた日本刀の下に敵の鉄カブトが見える。

「この野郎!」

 一小隊が間髪を入れず銃剣を振って飛び込んだ。私の第一撃は失敗した。次いで敵兵が小銃を構えたとたん、チラッと首が見えた。

「今だー」

 力一杯振り降ろした。敵兵はガックリ壕内に崩折れた。

 一小隊の安部兵曹が銃剣を揮って飛び込んできた。向きを変えた敵弾に、江藤兵曹がもんどりうって倒れた。

「××の仇ッ」

 誰かが叫んで突きまくっている。

 味方の肉弾突撃に敵は陣地を捨てて逃げだした。それを追撃する味方。

 あたりにはようやく夕闇が迫っている。飛行場占領を急ぐわれわれは敵主力との交戦を避けるために密林の丘上に進出、ここから間道を抜けて飛行場の背後に向うことにした。

「中隊長、右前方道路に敵が・・」

 一人、二人、三人、四、五・・五十名ぐらい。ダダダダダダ・・・。左前方の密林から、再び敵の射撃が開始された。

 元気者の、指揮小隊の山元二水が軽機を持って飛び出して行った。

「さあこい。濠州軍の田舎者奴」

(山元!しばらく頼むぞ!)

 私は心の中で叫びながら、血路を開くべく密林の中へ飛び込んだ。真暗な密林の丘の上に辿り着いた。向うから、こっちから、生残者が姿を現してくる。右手に日本刀、左手に拳銃を握りしめた戦友の肩につかまって、ようやく辿り着いた負傷兵もいる。

 この丘から目指す飛行場まで、あと二キロ足らず、出発までにはまだ間がある。ババウ部落に残してきた重傷の長嶺少尉と四元三水のことが気にかかる。放って置けば退却中の敵に無惨に殺されるであろう。

 伝令の段一水と指揮小隊の三、四名を連れてババウの民家に接近していった。ここで敵と交戦し、もしも私が死んでしまったのでは肝心の飛行場攻撃を前に中隊の指揮をとる者がなくなってしまう。慎重に忍び寄っていった。』

(山辺雅男著「クーパン上空に百花撩乱!日本刀と拳銃を揮う空挺隊の奮戦」丸エキストラ版第四一集。潮書房)


 このあと山辺中隊長は民家に近づき、二人を探した。二人は敵の装甲車の中に隠れ潜んでいた。いざという時に備えて、二人は手榴弾を握りしめていた。中隊長は二人を救出し、本隊の位置まで引き返していった。


 クーパンの落下傘降下はメナドの戦訓から敵陣からは離れた場所への降下を図ったのであるが、結局は陸軍部隊に追われ退却する蘭軍部隊とぶつかってしまい、激戦となって戦訓通りとはならず、逆に多くの死傷者を出してしまったのである。


 ポルトガル領のデリーへは歩兵第二百二十八連隊長土井大佐の指揮する部隊が上陸した。上陸開始前、敵陣地からの砲撃と銃撃があったが、部隊は二十日〇二一八上陸し、十三時頃にはデリー市街と飛行場を占領した。敵部隊は、オーストラリア軍三〇〇とオランダ軍四〇〇からなる兵力であったが、大部分は山地へ逃走し、捕虜は三十三名であった。我が損害は負傷者七名だけであった。ポルトガル軍は抵抗せず、日本軍も配慮して兵舎の利用はオーストラリア軍のものを利用した。

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