第九話 Z作戦とジャワ沖海戦

 ケンダリーとバリクパパンを占領したことによって、海軍航空部隊は続々と両飛行場に進出し、一月末には展開を完了した。特にケンダリー飛行場は広く、陸攻隊、零戦隊の集団が使用可能で、バリクパパンは零戦などの小型機が使用可能であった。


 第十一航空艦隊司令部  ダバオ

  第一空襲部隊司令部  ケンダリー

   鹿屋航空隊  陸攻 三十四機

   一空     陸攻 二十七機

   高雄空    陸攻 二十七機

   東港空    大艇   四機

          大艇  一七機 (メナド)

   三空     零戦 四十一機

          陸偵   六機

   第二航空戦隊派遣隊  艦戦  一八機

              艦爆   八機

  第二空襲部隊司令部  バリクパパン

   台南空    零戦 三〇機

          陸偵  三機

   第二航空戦隊派遣隊  艦爆   九機


南方部隊航空部隊指揮官塚原中将は一月三十日一六五〇命令を下した。Z作戦の開始である。


一 二月三日、四日全力をもってジャワ東部敵航空兵力を撃滅する

二 兵力配備

 戦闘機の大部はバリクパパンに集結し、第二空襲部隊指揮官が指揮する。陸攻

 全力はケンダリーに集結、第一空襲部隊が指揮する。

三 攻撃部署

 スラバヤ周辺

  第一攻撃隊  高雄空全力

  第一戦闘機隊 三空本隊全力 

 マジュン

  第二攻撃隊  鹿屋空支隊全力

  第二戦闘機隊 台南空半兵力

 マラン

  第三攻撃隊  一空全力

  第三戦闘機隊 台南空半兵力

 第一天候偵察機はスンダ海、ジャワ海東部、〇七〇〇マヅラ北方を偵察する。

 第二天候偵察機はジャワ海東部、スラバヤ北方をなるべく速やかな時刻に偵察

 する。


 つまりは、スラバヤ周辺のタンジョンプリオク、マオスパテー、およびマランの三飛行場に在る敵約百五十機を一挙に屠る計画を立てたのである。


 第二空襲部隊指揮官竹中中将は、二月一日台南空の陸偵三機を以てジャワ東部の偵察を実施した。

 一番機の古川飛曹長機は連絡がないまま行方不明。二番機の星原二飛曹機はマラン飛行場にB17三機、小型一機、マヅラ海峡に空母らしきもの一隻を発見した。三番機の工藤二飛曹機はマオスパテ飛行場に大型九機、中型三機、空中に大型四機を認めて帰還した。

 二日台南空の偵察機二機がスラバヤ方面を偵察し、飛行艇一六機を基地に認め、他に飛行中のもの二機を認めた。


 偵察機の情報を得て、二月三日高雄空は野中太郎少佐率いる二十六機が〇七五七ケンダリー基地を出撃した。


 「ダンジョンプリオーク」飛行場攻撃

 高雄空  一式陸攻 二十六機 六〇キロ×二五五発

 指揮官 海軍少佐 野中太郎

 第一中隊 野中太郎少佐 直卒九機

 第二中隊 峯 宏大尉    八機

 第三中隊 横溝幸四郎大尉  九機

 第一中隊と第三中隊は飛行場を爆撃、第二中隊は市街地を爆撃し、一五三〇全機バリクパパンに帰投した。


 鹿屋空の入佐俊家少佐指揮の二十七機は〇七一〇ケンダリー基地を出撃した。

 「マオスパティ」攻撃

 鹿屋空  一式陸攻 二十七機 六〇キロ×二一二発

 指揮官 海軍少佐 入佐俊家

 第一中隊 入佐俊家少佐 直卒九機

 第二中隊 岡 秀雄中尉   九機

 第三中隊 田中武克大尉   九機


 一二二五飛行場を爆撃し、地上にあった大型機一機炎上、中型機二機爆破、格納庫一棟大破の戦果を挙げたが、其後一二三〇より敵戦闘機五機と約三〇分ほど空戦となり、一機撃墜確実、一機撃墜不確実を報じたが、七機に被弾を生じた。しかし、全機無事基地に帰還した。

 

 一空の尾𥔎武夫少佐指揮の十九機は〇六三〇ケンダリー基地を発進して、マラン飛行場爆撃に向かった。

 一空  一式陸攻  十九機 六〇キロ×三八発

 指揮官  海軍少佐 尾𥔎武夫

 第一中隊 尾𥔎武夫少佐 直卒 五機

 第二中隊 福岡規男大尉    七機

 第三中隊 金子義郎大尉    七機


 一二一〇から一二四〇にマラン飛行場を爆撃、大型機一、中型機一爆破を報じ、格納庫等を爆破して、全機帰投した。途中、スラバヤ沖に敵艦艇を認めたと報告した。

 

 台南空、三空の零戦隊は陸攻隊とあいまって敵機を一掃すべく出撃した。

 台南空は浅井正雄大尉が指揮する十七機が陸偵一機に誘導されて、鹿屋空が爆撃する「マオスパティ」に向かった。

 別に新郷英城大尉が指揮する十五機が陸偵一機に誘導され一空が爆撃する「マラン」飛行場攻撃に向かった。


 「マオスパティ」攻撃

 指揮官 海軍大尉 浅井正雄

 第三中隊 

   第三一小隊  一番機  浅井正雄 大尉

          二番機  篠原良恵 二飛曹

          三番機  島川正明 一飛

   第三二小隊  一番機  有田義助 二飛曹

          二番機  本吉義雄 一飛

 第六中隊

   第六一小隊  一番機  牧 幸男  大尉

          二番機  島田三二一 一飛

   第六二小隊  一番機  渋谷清春  中尉

          二番機  河西晴男  一飛

   第六三小隊  一番機  磯崎千利  飛曹長

          二番機  西岡 保  二飛曹

 第四中隊

   第四一小隊  一番機  笹井醇一  中尉

          二番機  石原 進  二飛曹

   第四二小隊  一番機  酒井東洋男 一飛曹

          二番機  西山静喜  一飛

   第四三小隊  一番機  上平啓洲  一飛曹

          二番機  大正谷宗市 二飛曹

  陸偵      操縦   外園政徳  一飛曹

          偵察   岩山 孝  二飛曹

 「マラン」 攻撃

 指揮官 海軍大尉 新郷英城

 第一中隊

   第一一小隊  一番機  新郷秀城  大尉

          二番機  山上常弘  二飛曹

          三番機  本田敏秋  三飛曹

   第一二小隊  一番機  坂井三郎  一飛曹

          二番機  横川一男  二飛曹

   第一三小隊  一番機  田中国義  一飛曹

          二番機  小林京次  一飛

  第二中隊

   第二一小隊  一番機  川真田勝敏 中尉

          二番機  和泉秀雄  二飛曹

          三番機  湊 小作  三飛曹

   第二二小隊  一番機  佐伯義道  一飛曹

          二番機  石井静夫  三飛曹

   第二三小隊  一番機  日高義己  二飛曹

          二番機  野澤三郎  三飛曹

  陸偵      操縦   大原 猛  一飛曹

          偵察   美坐正己  大尉     


 この時の攻撃の回想を攻撃に参加した島川一飛はこう記している。 

「二月三日、久しぶりに五百浬の長距離攻撃である。何度経験しても、やはり長距離攻撃は、緊張する。単座機のパイロットにとり、率直にいって、これほど精神的に負担のかかる任務飛行は他にあるまい。空中戦闘においては、自分なりに自信があり、米軍におくれをとるようなことは絶対ないと信じているが、長距離航法だけは別である。(中略)

 水平線以外はなにも見えない洋上に出た場合、自然現象(雲、風等)に対応する航法は、容易ではない。長距離任務飛行は、孤独を予想しておのれとの闘いである。加えて零戦にたいする作戦命令は、過酷なものであるのがつねであり、極限の任務が与えられることが多かった。(中略)

 各中隊は午前九時、第一中隊長を先頭につぎつぎと離陸し、陸偵(機長外園一飛曹)誘導のもと、ボルネオ東部海岸線をキープしながら南下した。

 約三時間後、前下方にジャワ本島が見えはじめた。高度五千。そのとき、左前方のやや低いところを、同方向にむかって飛行する双発機(ダグラスに見えた)を発見した。私はこんな輸送機を撃墜してよいのかと、一瞬ためらった。目標はあくまでもマウスパテ攻撃である。

 ところが、血気にはやった有田小隊は、左に変針しながら逃げて行く敵機を追尾、攻撃を加えた。一撃で輸送機はあわれにも火だるまとなって、山中に墜落していった。

 攻撃を終えた有田小隊は、ふたたび定位置に復帰した。マウスパテ突入は午後零時三十分で、わが中隊は上空到達後、ただちに上空支援態勢に入った。第六中隊は地上銃撃に、第四中隊は、わが手の届かぬところから出現した小型機と空戦を演じている。

 中隊は漸次高度を下げ、地上銃撃目標を捜索していたが、ここで一中隊第三小隊と遭遇した。二番機小林一飛が二、三百メートルぐらい前方、高度五百メートル付近において、敵の地上砲火をあび、火だるまとなって墜落して行くのを目撃した。一瞬のできごとである。味方機が眼前で自爆して行くのを見たのは、これが最初であった。そのすさまじい光景は、いまだに脳裏にきざまれて離れない。わずか三時間ばかり前に別れた戦友機である。

 戦場にあること約二十分、長い時間はゆるされない。どんどん高度を上げ、戦場を離脱して帰路につく。基地帰着は午後三時五十分であった。じつに六時間五十分におよぶ飛行であった。

 戦果は中型機一機撃墜、地上炎上小型機二機、撃破二機、空中における撃墜、小型機一機であった。中隊の協同撃墜破である。」

(島川正明著『台南戦闘機隊南方の空を往く』太平洋戦争証言シリーズ⑧「戦勝の日々」所収 潮書房)


 三空は横山大尉が零戦二十七機を率い、陸偵二機の誘導を受けて、スラバヤ方面の敵航空兵力を撃滅すべくバリクパパンから出撃した。

 指揮官 海軍大尉 横山保

 指揮中隊 

  第一小隊  一番機  横山 保  大尉

        二番機  武藤金義  二飛曹

        三番機  名原安信  三飛曹

  第二小隊  一番機  山口定夫  中尉

        二番機  畠山義秋  一飛曹

        三番機  森田 勝  三飛曹

  第三小隊  一番機  赤松貞明  飛曹長

        二番時  矢野 茂  一飛曹

        三番機  野村 茂  三飛曹

 第一中隊

  第一小隊  一番機  黒沢武雄  大尉

        二番機  徳地良尚  一飛曹

        三番機  小田 通  一飛

  第二小隊  一番機  中原常雄  特少尉

        二番機  秀 寿   一飛曹

        三番機  八幡猪三郎 三飛曹

  第三小隊  一番機  杉尾隆市  一飛曹

        二番機  山谷初政  二飛曹

        三番機  増山正男  一飛

 第二中隊 

  第一小隊  一番機  蓮尾隆平  大尉

        二番機  中島文吉  二飛曹

        三番機  昇地正一  三飛曹

  第二小隊  一番機  久保正男  飛曹長

        二番機  中納勝次郎 二飛曹

        三番機  坂本 武  一飛

  第三小隊  一番機  中瀬正幸  一飛曹

        二番機  岡崎繁雄  三飛曹

        三番機  田尻清司  一飛

 陸偵 一番機 操縦   森田 稔  二飛曹

        偵察   鈴木鉄太郎 大尉

    二番機 操縦   前原真信  一飛曹

        偵察   宮崎国三  一飛


 〇九三〇バリクパパン発進、一二一五頃敵戦闘機多数と交戦し、カーチスライト戦闘機一五、P36戦闘機三(内不確実一)、P40戦闘機四(内不確実一)飛行艇四、バッファロー戦闘機九、ハリケーン戦闘機四の合計三九機撃墜を報じ、B17一機大破、飛行艇四大破、同一四炎上の戦果を報告した。指揮中隊の横山大尉の小隊が撃墜五、第三小隊が撃墜八、第一中隊の第三小隊が撃墜九、第二中隊の第三小隊が撃墜七、と多数の戦果を挙げた。だが三空も森田勝三飛曹、山谷初政二飛曹、昇地正一三飛曹の零戦三機が未帰還行方不明となり、陸偵の鈴木大尉機も未帰還行方不明となった。被弾機は三機。 

 中隊長の黒沢大尉はこの戦闘の際に命拾いをしている。低空に舞い降り、飛行艇を銃撃して上昇中している所を後方よりP40に襲撃され、撃たれる寸前にクイックロールを二回うって回避した所を、赤松飛曹長機が救援に駆けつけてこのP40を撃墜したのであった。

(神立尚紀著「零戦隊長 宮野善次郎の生涯」光人社NF文庫 2016)

 

 二月四日は、陸攻隊にとって久し降りに敵艦隊の攻撃ができると、活気づいていた。三日一空がマラン攻撃の帰途の際に、一三五〇頃、マヅラ島沖において戦艦二隻、甲巡一隻、駆逐艦九隻が碇泊中であるのを発見した。帰投後、戦艦は巡洋艦と誤りと結論づけた。塚原中将は、この敵艦隊の接触及び索敵を命じると共に、四日陸攻隊の全力でこれを撃滅することとした。

 東港空の大艇二機が敵艦隊索敵のため発進した。益山中尉機が二二四五、米原少佐機が二三一五発進した。

 〇四一〇益山機が大巡三、駆逐艦二を発見して接触をはじめ〇六〇〇に帰途についた。米原機は〇五三七大巡一、駆逐艦四を発見し〇六三〇接触を止め帰途についた。

 〇八〇〇入佐少佐率いる鹿屋空の二十七機が発進、続いて横溝大尉率いる高雄空の陸攻九機、一空の尾𥔎少佐率いる二十四機が、相次いでケンダリー基地を飛び立った。


 鹿屋空 一式陸攻 二十七機 二五〇キロ×四七

                六〇キロ×六八

  指揮官 海軍少佐 入佐俊家

  第一中隊 入佐俊家少佐 直卒  九機

  第二中隊 岡 秀雄中尉     九機

  第三中隊 田中武克大尉     九機 


 高雄空 一式陸攻  九機  二五〇キロ×一八 

                六〇キロ×一六

  指揮官 海軍大尉 横溝幸四郎

  第三中隊 横溝幸四郎大尉    九機


 一空 九六式陸攻 二十四機 二五〇キロ×二四

                六〇キロ×四七

  指揮官 海軍少佐 尾𥔎武夫

  第一中隊 尾𥔎武夫少佐 直卒  七機

  第二中隊 福岡規男大尉     九機

  第三中隊 金子義郎大尉     八機

   

 基地を出撃して三時間あまり経過した頃である。高度四〇〇〇メートル、速力一六〇ノットで進撃していた鹿屋空は、基地から四八〇海里の針路上に、細長いガンゲアン島を認め、同時にその島沿いに隠れるように行動している敵艦隊を視認した。時に午前十一時二十分である。

 位置はカンゲアン島の南三〇海里である。縦陣列でノロノロと西航する巡洋艦らしき四隻と駆逐艦八隻であった。


 指揮官入佐少佐はただちに編隊を解き、各中隊ごとに順撃するように下令した。弦を放れた矢のように、折からの断雲を縫って目標上空に殺到するや、海上の敵からは一斉に激しい防御砲火が撃ちあげられてきた。同時に海上には真っ白い航跡が縦横に乱れ、艦隊は四散分離、必死の回避運動がはじまった。

 炸裂する砲火に機体は激しく動揺する。しかし、十一時二十九分、まず第二中隊が敵二番艦に対して最初の爆撃を加えた。続いて九分後、第三中隊は敵三番艦を狙って爆撃、さらに二分たって指揮官直卒の第一中隊が、旗艦「デ・ロイテル」に対して投弾した。

 この第一撃において、敵二番艦以下に数発の直撃弾を与えたが、さらに第二回目の爆撃に転じようとした頃、高雄空の九機が戦場に到達した。敵艦隊もようやく増速、隊形を乱して、各艦思い思いの大回避運動を試みていたが、高雄空もこの敵二番艦に第一撃を加えた。時に十一時四十一分。高雄隊の一撃に続いて、再び鹿屋空の第二中隊、第三中隊がいずれも敵大型艦を狙って投弾し、最後に高雄隊が第二撃を加えて、前後二十分間にわたる第一次空海戦は終った。

 高雄隊の九機が爆撃を終わって間もなく、その一機、平田保夫三等飛行兵曹を機長とする第三小隊三番機は、不幸、敵高角砲の直撃を受けて、徐々に戦列を離れた。しかし、それでもなお敵艦隊のあとを追おうとするものの如く、旋回し、高度を下げながらも敵艦に肉迫して行った。しかし再び射弾を受けたのか、一瞬機体は四散して、壮烈な最期を遂げた。七名が一瞬にして戦死したことになる。この一式陸攻三十六機の爆撃によって、敵艦のあるものは大破、損傷、あるものは火災を起こした。

 この攻撃に遅れること約一時間後、傷ついた敵艦隊の上空に、ようやく劣速の九六式陸攻二十四機が現れ、「マーブルヘッド」を爆撃し、同艦に命中弾を与えた。

 鹿屋空は巡洋艦二隻撃沈、一隻撃破の戦果を挙げたと報告し、十三機に被弾を生じていた。一機は片舷飛行、一機は燃料噴出の被害であった。

 高雄空の爆撃は回避され命中弾なし。被害は一機自爆。

 一空は「デロイテル」型一撃沈、「マーブルヘッド」型一大破と報告し、被弾は二機であった。


 連合国軍の報告では次のようである。

 スラバヤ方面に在った蘭、米、英の艦隊は、まずマズラ島のバンダ泊地の奥深く退避した。ドールマン蘭海軍少将を指揮官とする軽巡「デロイテル」「トロンプ」駆逐艦四隻、米重巡「ヒューストン」同軽巡「マーブルヘッド」駆逐艦七隻、計十五隻がそれであった。

 司令官ドールマン少将は、ボルネオとセレベスの間のマカッサル海峡で、日本艦隊を邀撃する決意を固めていたが、二月三日、重巡三隻を含む約二十隻の日本艦隊が同海峡を南下中であるとの索敵機からの報告を聞き、これとの一戦を決意した。

 翌四日午後一時三十分、蘭・米連合艦隊はバンタ泊地を抜錨、港外東方マインデルツドローテ灯台北方五海里の集合地点で、定められた航行序列をとった。旗艦「デロイテル」を先頭に約七百メートル後方に二番艦「ヒューストン」さらに等距離を置いて米軽巡「マーブルヘッド」蘭軽巡「トロンプ」の三巡洋艦が続き、この単縦陣の四巡洋艦の両側を米駆逐艦四隻が警戒、また蘭駆逐艦が後衛配備について警戒航行をはじめた。

 四日午前十一時五分、バリ島東端の三五六度、五十四海里を東進中、ドールマン司令官は、日本の双発攻撃機三十六機がスラバヤ方面に進撃中、という情報を受信したので、ただちに麾下各艦長宛これを中継。それから十分ののち、九機からなる四個編隊が東北方から進入してくるのを認めた。

 空襲を受けた場合は、艦列を解いて単艦による敵攻撃力の分散を策することになっていたので、この場合も各艦独自の退避運動を始めなければならなかった。

 この日の日本機の攻撃により、二番艦「ヒューストン」は二五〇㌔通常爆弾一発を主甲板に受け、乗員五十名が即死し、後部砲塔は大破した。しかし通常航行には支障はなかった。また、「マーブルヘッド」は六十キロ爆弾六個を受けたが、一弾は右舷甲板の内火艇を破砕して艦内で爆発したため、病室、士官室、将官公室が大破した。また一弾は上甲板を直撃して直径二メートルの大穴を開け、各所に火災を起こした。艦内至近に落下した一弾は、艦首部のリベットを多数切断したため浸水が起り、艦首が次第に沈下し出した。さらに他の一弾は艦尾扇形部に命中して操舵室内で炸裂したため、操舵装置が破壊され、舵は取り舵一杯の位置で固定し、全く操舵不能に陥り、艦は左にグルグル回るだけとなった。この爆撃で艦の後半は火の海となり、十五名が即死し、副長以下三十四名が負傷した。

 交戦中、日本陸攻一機は、螺旋降下しながら、明らかにマーブルヘッドに体当りの姿勢を示して火焔を引きながら肉薄してきたが、危うく対空砲火で海上に撃墜することができた。また「デロイテル」は挟叉弾を受けて対空射撃指揮装置を破壊されたが、重大な損傷は受けなかった。マーブルヘッドは爆撃終了後、両舷機を使って蛇行しながら、僚艦に護られてチラチャップ港に避難した。

(巌谷二三雄著「雷撃隊、出撃せよ」文春文庫 二〇〇三)


 五日、残敵を求めて早朝より索敵を開始し、一一一〇バリ島の二四三度一五〇浬に、昨日攻撃して損傷を受けた巡洋艦一、駆逐艦四、輸送船一を発見し、一三〇〇まで接触した。が、この報告は鹿屋空、高雄空には伝わらず、出撃していた鹿屋空二十三機と高雄空八機は、敵艦隊発見の報告がなかったので、バリ島ジンバラン飛行場に向かい、一二三〇頃同飛行場を爆撃し、所在の中型機炎上三機、同型三機、小型四機撃破を報じて、全機ケンダリーに帰還した。

 一空の二十三機は一二二〇にマーブルヘッド型一隻、輸送船一隻を認め、一三三〇より悪天候の中爆撃を開始したが、命中弾を得ることはできず、対空砲火により尾𥔎少佐機が被弾して右発動機が停止しかろうじて帰投することができた。

 五日の陸攻隊の攻撃は敵艦隊の撃滅を果たすことはできなかった。

 「ジャワ沖海戦」は終わりを告げた。大本営は次のように発表した。


「帝国海軍航空部隊ハ前日ノ蘭印空軍撃滅戦ニ引続キ敵艦隊ヲ索敵中 二月四日駆逐艦数隻ヲ伴フ敵艦隊主力ヲ「ジャバ」海「カンゲアン」島南方三〇浬海上ニ発見 機ヲ失セズコレニ猛攻ヲ加ヘ戦闘数刻ニシテ敵蘭巡「ジャバ」型一隻ヲ轟沈 蘭巡「デ・ロイテル」を大破間モナク沈没 蘭巡「ジャバ」型一隻、竝ビニ米巡「マーブルヘッド」型一隻ヲ中破シ五千屯級敵船一隻ヲ撃沈セリ 本海戦ニヨリ開戦以来米西太平洋ニ策動シツツアリシ敵艦隊就中蘭印艦隊主力ハココニ事実上殆ド壊滅スルニ至レリ 本海戦ニオイテ我方一機ヲ失ヘリ


 この海戦の戦果は華々しく大本営発表されたが、実際に失われた連合国軍の艦船はなく。米軽巡「マーブルヘッド」大破、米重巡「ヒューストン」後部砲塔破壊使用不能、蘭軽巡「デ・ロイテル」小破に過ぎなかった。故にまだ連合国軍艦隊は健在であり、その壊滅は後に発生するスラバヤ沖海戦とバタビア沖海戦まで待たねばならなかったのである。

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