第十話 スラバヤ航空撃滅戦

 日本海軍は連合国軍艦隊を撃破し、また航空戦によってスラバヤ方面の敵航空戦力を撃破したが、まだ敵航空機の余力があるものと判断し、引き続き敵航空兵力の撃滅に全力を傾注した。


 二月五日、敵戦闘機がバリ方面への進出が予想されたので、台南空、三空の零戦隊は敵戦闘機を撃滅すべくバリクパパンを出撃した。また、高雄空も陸攻をもって飛行場攻撃に出撃した。


  バリ島航空兵力攻撃

 三空  指揮官 海軍大尉 蓮尾隆市  一〇機

  第一小隊  蓮尾隆市 大尉   三機

  第二小隊  赤松貞明 飛曹長  三機

  第三小隊  徳地良尚 一飛曹  三機

  誘導  陸偵 前原真信 一飛曹機

  護衛  武藤金義 二飛曹

〇八三五 バリクパパン離陸、一一二五デンパサル上空にて敵機と交戦、P40戦闘機を九機撃墜、撃墜不確実二機の戦果をあげて、全機一四四〇帰還。

  

  スラバヤ方面敵航空兵力攻撃

 三空  指揮官 海軍中尉 山口定夫   十一機

  第一中隊

   第一小隊  山口定夫 中尉  三機

   第二小隊  中瀬正幸 一飛曹 二機

  第二中隊

   第一小隊  中原常雄 特務少尉  二機

   第二小隊  杉尾茂雄 一飛曹   二機

  誘導 陸偵 徳永英司 二飛曹機

  護衛 秀 寿  一飛曹

  護衛 名原安信 三飛曹

〇九一五 バリクパパン離陸、一一四五スラバヤ飛行場突入、P36二機撃墜、飛行艇二機炎上。帰途一四四〇に敵飛行艇一発見攻撃し撃墜、全機一五二〇帰還。


  スラバヤ攻撃

 台南空  指揮官 海軍大尉 新郷英城

  第一中隊

   第一一小隊  新郷英城  大尉   三機

   第一二小隊  坂井三郎  一飛曹  三機

  第二中隊

   第二一小隊  川真田勝敏 中尉   三機

   第二二小隊  佐伯義道  一飛曹  二機

   第二三小隊  日高義己  二飛曹  二機

  第三中隊

   第三一小隊  浅井正雄  大尉   三機

   第三二小隊  宮崎儀太郎 飛曹長  二機

  第六中隊

   第六一小隊  牧 幸男  大尉  二機

   第六二小隊  渋谷清春  中尉  二機

  第三中隊

   第一小隊   笹井醇一  中尉  三機

   第二小隊   上平啓洲  一飛曹 二機

  誘導

    陸偵    上別府義則 三飛曹機

〇八二〇 バリクパパン発進、一一一五スラバヤ上空進入、敵機と空戦並びに基地銃撃。カーチス戦闘機四機撃墜、飛行艇一撃墜。飛行艇一炎上、水偵一撃破。B17二機黒煙を引く、という戦果をあげ、一四一五全機帰還した。


 高雄空は横溝大尉が八機を率いて「デンパサル」飛行場を足立大尉が十八機を率いて「タンヂョンプリオーク」飛行場を爆撃した。

 「デンパサル」飛行場爆撃

 指揮官 横溝幸四郎 大尉  八機 二五〇キロ×一六

                   六〇キロ×一四

  第三中隊 横溝幸四郎大尉   八機

〇八一四 ケンダリー発進。一二四六「デンパサル」飛行場爆撃、所在敵機のうち、大型機二、小型機三の炎上を認む。

一五四二全機帰還。

 

 「タンヂョンプリオーク」飛行場

 指揮官 足立次郎 大尉  一八機  六〇キロ×一〇八

  第一中隊  足立次郎大尉  九機

  第二中隊  峰 宏 大尉  九機

〇八二〇 バリクパパン発進、一一二〇爆撃終了、一八三〇全機帰還。全弾飛行場に着弾。


 米軍も手をこまねいていた訳ではなく、長距離重爆撃機B17を使用しての飛行場爆撃を何回と繰り返していた。海軍機としては相手は「空の要塞」と謳われた爆撃機であり、そう簡単には落とせそうにもなかったが、それでも果敢に挑戦した。

 一月二十四日、バリックパパンの基地上空哨戒での出来事であった。台南空の零戦は二機交代で上空哨戒の任務についていた。〇九三五に発進した二直の坂井三郎一飛曹機と松田武雄三飛曹機は一〇五〇に襲来したB17七機を発見して邀撃する。これに一〇五五に発進した三直の田中国義一飛曹と福山清武三飛曹が駆けつけてB17を銃撃する。


 田中一飛曹の一撃目で敵は早くも爆弾を海中に捨てた形で投下し、反転して逃げ出したのである。田中一飛曹らはこれを追撃し、後上方から攻撃を繰り返した。が、敵はびくともしない。田中一飛曹機は二番機に数十メートルまで接近して二〇ミリ弾を浴びせた。それが敵の操縦員に命中したのか、敵機はグラリと大きく傾き背面になった状態で、一番機の上に重なるような形となり、二機はもつれあう状態で墜落していった。偶然とはいえ二機撃墜の快挙となった。他に黒煙を吐いていた機もあり、四機撃墜の判定となった。田中一飛曹の手記がある。


「ようやく優位一〇〇〇メートルに達し、私たちは後上方より第一撃をかけた。照準器いっぱいにひろがるB17の胴体から主翼にかけて曳痕弾がすい込まれるように入った。

 その時ガン、ガン、キュン、キュンというような音と同時に敵の一三ミリを被弾した。いそぎ下方に避退すると、左翼燃料タンクからガソリンが霧状になってふき出している。座席の左前より風防右側に貫通した一三ミリ機縦弾の破片が、右の手のひらにささり、飛行手袋を通して血が流れていた。

 痛くはないが、急いで調べると小さな傷だが高空の気圧の関係か、出血がばかに多い。マフラーをはずして血止めをする。さいわいエンジンに被弾はないらしい。いぜん快調である。

 二番機はと見れば、攻撃続行中、こうしてはいられないと、第二撃目は後下方より三撃、四撃とつづけざまにかける。二〇ミリ、七・七ミリの機銃弾は確実に命中しているが敵の巨大な図体は相かわらず平然と飛びつづけている。

 その後の攻撃回数は記憶にないが、最後に攻撃したとき、敵の一番機が急激に左に傾き、編隊を組んでいた二番機のプロペラで翼を切られ、二番機が折りかさなるようにして墜ちて行ったのは、セレベス島の西南端、マカッサルと近くに洋上であった。」

(田中国義著「空の要塞を叩き落とした零戦の闘魂」丸エキストラ版第二十九集『日本エース列伝』所収、潮書房)


 この話は「大空のサムライ」にも載っている話で、「戦闘詳報」にも衝突二機撃墜と報告されている。「大空のサムライ」には翌日に話として、坂井機がバリックパパン上空でB17と対戦したことが書かれているが、二十四日は搭乗割があり、実際B17と対戦しているが、二十五日は新郷大尉と「バンジェルマシン」攻撃に参加していることになっているので、この二十五日の話は二十四日と混淆しているのかもしれない。


 台南空の零戦はある程度B17に対する攻撃方法を会得しかかっていた。その成果をあげる時は偶然に訪れた。二月八日のことであった。

 〇八三〇バリックパパンを発進した新郷大尉は八機の部下を率いてバリ攻撃に向かっていた。

 搭乗割は次の様である。

 指揮官 海軍大尉 新郷英城  九機

 第一小隊 一番機 新郷英城 大尉

      二番機 田中国義 一飛曹

      三番機 本田敏秋 三飛曹

 第二小隊 一番機 坂井三郎 一飛曹

      二番機 山上常弘 二飛曹

      三番機 横山 孝 三飛曹

 第三小隊 一番機 佐伯義光 上飛曹

      二番機 野沢三郎 三飛曹

      三番機 石井静夫 三飛曹

 途中一〇三〇ころ天候不良のために目標をスラバヤ方面に変更した時、B17の編隊を発見したのである。十数分にわたる空戦の結果、二機を撃墜、二機を撃墜不確実の戦果を上げた全機帰還したのであった。被弾は新郷大尉が六発、野沢三飛曹機が一発という完勝であった。


 この時の空戦の模様は再び田中一飛曹の手記によると、

「高度四〇〇〇メートル、ボルネオの南端をすぎ一路南進中、前方に巨大なスコールをみとめて右に変針、スラバヤの方向に飛行すること十五分、左前方に反航する大型機を認めた。

 最初は、とうじセレベス島のケンダリーに進出してきていた、味方の一式陸攻がジャワ島空襲より帰っているのだろうと思っていたが、接近するにしたがって、尾部の形状が違うように感じられる。さらにちかづけば、三機、三機、二機の縦陣で飛行中の敵B17八機の編隊だ。距離二〇〇〇メートル付近より、射撃を開始した。曳痕弾が暗い空に弧をえがくようにすいこまれて行く。隊長は反転同航して敵機の前上方に誘導し、各機は戦闘隊形でこれにつづいた。ころあいをみてふたたび反転し、右斜前上方、左斜前上方と二方向から敵の先頭機目がけていっせいに襲いかかった。

 第一撃を終わった零戦隊は、敵機を中央に左右に五、四機とわかれ、敵との距離約二〇〇〇メートルで同航し、ふたたび前上方の攻撃にうつった。拠点に向かって全速で急行すると、敵の先頭機は零戦の集中攻撃を受け黒煙を吐きながら徐々に左下方に編隊を離脱して行き、一〇〇〇メートルも降下したところで爆発四散した。

 第二撃も同じように行ない、編隊を組みなおした敵の先頭機も先の一機と同じように爆発してとび散った。

 零戦は敵をはさんで右と左に遠くわかれてはいるが、これが本当にがっちりとした編隊空戦の理想の隊形である。敵は、直進するより他に方法はない。第三撃、第四撃を続行し各一機を屠った。

 徐々に右旋回中だった残り四機は、私たちが、第五撃の占位中、大きなスコールの雲の中に逃げこんでしまった。真黒なスコールの雲を背景に真白な落下傘が二つ、戦いのはげしさを物語るかのように、静かに海面に降りていった。」


米軍の記録では次のようになっている。

「二月八日、第七大隊のB17九機は、日本軍が主基地としているケンダリー飛行場を爆撃するため出撃した。マランを出発してから、一時間後、一機はエンジン故障のため引き返さざるを得なかった。残りの八機はゆるい三角形の隊形で前進を続けた。その日は風が強く、晴れわたった空にはちぎれ雲が浮かび、眼下の紺碧のジャワ海では波頭が美しい白レースのような縞模様をえがき、小島の風上の海浜は真っ白に泡だっていた。数日来のうららかな天気で、カンジャン島の上空のかなた、雲間に日本の迎撃機が待ち伏せしていようとは夢想もしなかった。

 この日本戦闘機の待伏せは、偵察の結果に基づいてあらかじめ計画されたものらしいという見方が強かった。たしかに飛行場の周辺には監視者がいたらしく出撃する爆撃機のパイロットは山の方から信号らしい煙が立ち昇るのを見た。一つ、二つ、三つ、その煙の数は出撃機数とぴったり合っていた。

 編隊はマランから長い上昇航路をとってようやく一四〇〇〇フィートにたっしたばかりだった。隊長ダフレーン大尉は敵機を認めたが、あえて退避行動に出ないで予定通りのコースを先導した。それまでに、敵の攻撃を受けた場合、受けた命令を無視してむやみに退避した隊長が、爆撃隊指揮官からこっぴどくどやされたことが数回あった。

 勇猛果敢な隊長が、編隊を一路目標の上空にもってゆき、上官から非難される余地のないようにしようとしたことは明らかだった。事実、数分間は彼の決意が正しかったように見えた。というのは、零戦隊ははるかに有利な地位を占めてはいたが、今にも飛びかかるようなふうには見せず、射程外のまま一七〇〇〇フィートに上昇するまでは雲塊のはしで爆撃隊と歩調を合せていた。

 しかし、やがて零戦隊は疾風のように激しく襲いかかってきた。

 高度二〇〇〇〇フィートになると、零戦の優位は消え去り、二五〇〇〇ではB17のほうが逆に有利になる。そこでは零戦はB17について行けなくなり、側面または背後から攻撃しなければならなくなるからだ。

 零戦隊は九機しかいなかったが、その最初の突撃で、ある行動に出ようとしていることがわかった。隊長機の一翼を飛んでいたプレストン機の真正面にむかってきた零戦は、今にもぶつかりそうに思ったほど近迫してきた。結局、零戦の方が瞬間的にそれたが、翼はわずか二〇フィートの距離しかなく、B17は敵機体の白い下面から反射する光線をいっぱいに浴び、すれちがうとき零戦のパイロットの顔がはっきり見え、真っ赤な血の色のような日の丸がまぶしく目を射た。

 今までの零戦隊は各機でめいめいに攻撃してきたが、今度は瞬間的に統制をとって、三機ずつ正面、斜め前方、および下方から一体になって突っ込んできた。B17が上を通過するとき、支柱につかまって腹部に弾丸を射ちこむことができるように。

B17編隊は攻撃される前に隊形を引き締め、隊長機は、正確に針路を保持していた。零戦隊の攻撃は隊長機に集中された。とつぜん、その腹部から火のかたまりが吹き出した。他のB17の乗員は補助爆弾倉タンクが落ちていくのを見たが、それは燃えていた。

 九名が脱出し、機体は墜落しはじめた。零戦隊が落下傘を射撃しようと旋回したとき隊長機は空中爆発を起こした。脱出に成功した九名の中に隊長がいたかどうかは不明だ。しかし、彼はまだ多分機にとどまっていたのだろう。彼はその朝死の予感を抱いて出撃したらしく、遺品の処置を従軍僧に頼んでいたという。

 ダフレーン大尉機がいなくなったので、ストローサー中尉が編隊の指揮をとったが、編隊の組織はまったく分解していた。零戦隊はふたたび、翼側から攻撃をはじめた。新しい指揮官は一番近い雲にかくれて攻撃をのがれようとしたが、敵機を振り切ることはできなかった。

 新しい攻撃がふたたび正面、斜側方および下方からやってきた。この突撃で、翼側の第三番目にいたプリチャード中尉機は、空中爆発を起こし、その破片は、まるで風船玉が破裂したように編隊の周囲一帯に飛散した。このプリチャード機の下方では七名の乗員のうち奇跡的にたった一つの落下傘が開くのが認められただけだった。

 ストローサー機も同じ攻撃で命中弾を受け爆発した酸素ビンが爆弾投下機構を破壊したので、その後は、爆弾とそれよりもはるかに危険な、爆弾倉タンクを抱いたまま行動せねばならなかった。

 雲の中では大混乱が起り、編隊の維持が困難になったので、バラバラになって基地に引き返すことになった。しかし、その朝マランを出撃した九機中、無事帰投したのは、エンジン故障のため早く引き返した、あの一機だけだった。」

 (「米空軍を翻弄した“ZERO”」丸エキストラ版第三十八集『空戦』所収)

 台南空は四機のB17を撃墜し、残る四機にも被害を与えていたのであった。相次ぐ「空の要塞」の損害に米軍も対策を考えなくてはいけなかった。


 台南空がその後、大規模攻撃をかけるのは、二月十八日と十九日であり、十八日のマウスパティ飛行場攻撃は陸偵に誘導された新郷大尉率いる十五機が攻撃に参加。水偵一機を撃墜し、地上のバッファロー二機を銃撃撃破したにとどまった。同日の浅井大尉率いる八機の零戦はスラバヤ上空に向い、P40戦闘機二〇機と交戦し、撃墜確実六、撃墜不確実三の戦果をあげ、全機帰還した。

 まだ敵機の脅威があるために、翌日再びスラバヤ攻撃に向かった。


  「スラバヤ攻撃」

 台南空 指揮官 海軍大尉 新郷英城

  第一中隊 新郷英城 大尉  七機

  第二中隊 浅井正男 大尉  八機

  第三中隊 笹井醇一 中尉  八機

一〇三〇バリックパパン発進。一三一五スラバヤ上空進入。一三二〇敵P40、P36戦闘機約三十機と交戦。十四機撃墜。三機撃墜不確実の戦果をあげるも、浅井大尉が自爆戦死した。


 坂井三郎氏の「大空のサムライ」によると、目の前二百メートルほどを横切ったあと、突然爆発を起こして四散したという。中隊長を落とした敵を見渡したが、その敵機の姿はなく、その爆発が何によるものか不明だという。浅井大尉の列機であった島川一飛の手記によっても、瞬間の出来事であり、敵機によるものか、高角砲によるものか不明であり、浅井中隊長機から目を離した隙の出来事であり、次に見た時には、中隊長機の姿はなかったという。(台南空の行動調書には、浅井大尉の二番機、三番機の搭乗員名と島川氏の手記による搭乗員名と相違がある。手記では島川氏は三番機としているが、行動調書では久米三飛曹となっている)

 敵は大きな痛手を受けたのか、以後その行動は消極的になる。

 この日、陸攻隊と南雲機動部隊は、オーストラリアの拠点を制圧すべく、要衝ポートダーウインを空襲してしばらく使用不能の状態とした。

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