第三話 ミリ・クチン攻略

 蘭印作戦を始めるにあたり、まず比島方面、馬来方面に呼応して英領ボルネオの攻略があった。占領したいのは「ミリ」「クチン」であった。両地とも飛行場があり、是非ともの早期の占領して航空基地として機能させたかったからである。それと共に重要なのは石油の産地でもあったからだ。


 ボルネオ攻略部隊

 陸軍 

 指揮官 歩兵第三十五旅団長 川口清健少将

  歩兵第三十五旅団司令部

  歩兵第百二十四連隊

  野戦高射砲第三十三大隊

  その他部隊

 海軍

 指揮官 横二特司令 友成潔中佐

  横二特

  第四設営隊


 上陸要領

  ミリ  歩兵一コ連隊(一コ大隊半欠)

   基幹兵力の主力はロバング南方、一部は北方に上陸し、すみやかにミリ河

   左岸の油田地帯を占領する

  ルトン 横二特 陸軍半コ大隊

   横二特はルトン河南方に上陸し、主力は飛行場、一部はミリ河渡河点を占

   領する。陸軍半コ大隊基幹兵力はルトン河北方に上陸、油田を確保する。

  セリヤ 陸軍一コ大隊

   基幹兵力の一部がまずコーラブライド、次いで主力がセリヤに上陸し、す

   みやかに油田を確保する。

  クチン 陸軍一コ連隊(一コ大隊欠)、海軍一コ中隊

   基幹兵力をもってクチンに至る水路を啓開遡行してクチン東方に上陸し、

   市街、飛行場を占領する

 

 川口支隊は十二月十一日カムラン湾に集結し、十三日第二護衛隊指揮官小川莚喜中佐は第十二駆逐隊の駆逐艦白雲、東雲、叢雲の三隻、第七号駆潜艇は輸送船十隻を護衛し、〇七三〇カムラン湾を出撃、軽巡由良、水上機母艦神川丸が続行した。護衛支援隊の指揮官栗田少将は第七戦隊旗艦の熊野にあり、二番艦鈴谷、駆逐艦吹雪、狭霧を率いて一一〇〇に出港した。

 船団は途中味方潜水艦からの敵船団発見の報により、護衛隊は索敵機を飛ばしたが、該当する敵船は発見できず、誤認または別航路に向かったか判断した。ミリ沖に配備警戒に当たっていたイ六十五潜から

「敵前上陸ニ適ス 一〇三六」

 と報じてきた。

 輸送船団は夕刻にミリ沖約四〇浬まで接近したが、陸地方面には黒煙が漂うのが見え、英軍が油田に放火したものと判断された。

 これは十二日飛行偵察により「ミリ」市街北方石油タンクが炎上中であること、飛行場も破壊のあることが栗田長官の耳にも入っていた。また十三日には「機雷敷設の虞あり」とも届いていた。


 輸送船団は十五日夜半から十六日にかけて、ミリ沖、ルトン沖、セリヤ沖に投錨を開始した。

 ミリ沖 駆逐艦白雲 第七号駆潜艇、陸軍輸送船三隻

 ルトン沖 駆逐艦叢雲 海軍輸送船五隻 陸軍輸送船一隻

 セリヤ沖 駆逐艦東雲 陸軍輸送船一隻

上陸付近の海上は、穏やかであったが、風が強くなり舟艇を降ろす頃には一五〜二〇米の風が吹き、強風と波浪のために舟艇への移乗は困難を極め、舟艇三隻が転覆して戦死十九名、行方不明十五名の被害を出した。〇三〇〇にようやく舟艇部隊は発進して〇五〇〇頃に上陸に成功。敵の抵抗はなく、〇八〇〇頃には各油田施設を占領し、陸戦隊もルトン東方飛行場を占領した。


 十六日は何事もなく十七日を迎えた。十七日〇八〇〇駆逐艦東雲は、第七号駆潜艇と警戒海域の任務を交替するために〇八一五ルトンからセリヤ沖に向かった。〇八五〇頃駆潜艇はバラム角の北方約十五キロ付近に白煙が上がるのを認め、駆逐艦東雲との連絡が途絶えたので、小川中佐は第七号駆潜艇に東雲の状況調査を命じ、駆潜艇は十一時から十二時過ぎにかけて、東雲の遭難海域を捜索したが、東雲の姿はなく、生存者も発見できなかった。沈没したと思わざるをえず、機雷による誘爆か当日の空襲による爆弾によるものか一切不明であった。艦長笹川中佐以下二百二十八名全員が艦と運命を共にした。

 東雲は大東亜戦争中最初に沈没した特型駆逐艦であった。


 十七日は午前中より空襲に見舞われた。上空で掩護するのは神川丸搭載の水上機のみである。

 〇九一五頃来襲したドルニエ型飛行艇一機は水上機隊が撃墜したが、一一〇〇頃から来襲したブレンハイム型爆撃機七機による爆撃で、輸送船日吉丸が損害を受け、戦死三名、負傷者二十名を出した。

 午後〇一三〇に爆撃機一機が来襲したがこちらは被害なし。

 川口支隊長は、連続する空襲に対し、飛行場の整備が完成して海軍の航空隊が進出しない限り、クチン攻略の発動は延期したい旨を海軍側に申し入れた。栗田少将はこの件を小沢中将に報告した。

 十八日、鹿屋空の陸攻二十六機をもってクチン飛行場爆撃に向かったが、天候不良のため目標を変更し、洋上にあった一五〇〇トン級の英国商船一隻を撃沈。アナンバス諸島のシマタンの軍事施設を爆撃した。

 同日午前中、船団は敵爆撃機の襲撃を受けたが、被害はなかった。

 十九日、鹿屋空の陸攻九機がボンチャナクの軍事施設を爆撃したが、敵戦闘機三機の反撃にあい、第三小隊二番機の松尾飛曹長機が被弾し、サイゴン南方二十浬に不時着し機体は大破したが、搭乗員は無事。三番機も被弾し、一名が負傷した。

 この日クチンにマーチン型爆撃機六機が襲来。水上機が迎撃して一機を撃墜。そのうち落下傘降下した搭乗員の話によれば機はタラカンから飛んできたということで、オランダ軍飛行機はタラカン方面から飛来したと判断した。


 小沢中将は川口支隊長の申入を認め、延期はやむを得ないとして三日の延期が認められ、二十三日に攻略予定となった。


 二十一日一三二〇頃に爆撃機六、戦闘機二機からなる攻撃を受けたが、今回は損害はなかった。

 二十二日一五〇〇美幌空の陸攻九機と零戦十五機が整備が整ったミリ飛行場に進出し、基地上空及び船団上空の哨戒の任務についた。ただ、ミリ飛行場の規模は小さいため、陸攻隊の大部隊進出は不可能であり、他の飛行場を当てなければならなった。


 支援隊である第七戦隊の栗田少将は、クチン方面の敵情を次のように判断していた。

□海上兵力

 十八日飛行偵察の結果に依れば「シンガポール」軍港内「巡洋艦二隻、駆逐艦二隻、潜水艦二隻、飛行機四十一機」あるものの如し、されど既往英国艦隊の作戦より按ずるに積極的に全兵力を挙げて「クチン」に出撃する算は尠きも敵は付近に利用し得る「レド」「ボンチャック」「シンガポール」「ナツナ」等の多数基地を有するを以て之が掩護下に一部艦艇を分派し我攻略作戦を撹乱するの算なしとせず「クチン」方面の敵潜水艦に関しては適確なる情報に接し居らざるも一、二隻程度は存在するものと判断するを安全とす

□航空兵力

「ミリー」方面連日の爆撃竝に飛行艇の哨戒状況よりするに敵は我輸送船隊「クチン」入泊後執拗なる攻撃を反覆するの算大なり

□陸上兵力

「ミリー」攻略後得たる情報に依れば「ミリー」に在りし守備兵は「クチン」及「シンガポール」方面に避退せりとの事なれば敵は重点主義を採り「クチン」方面の守備を固め居る算あり

□其の他

開戦後英領「ボルネオ」北岸に敵船の移動相当ありし点竝に我軍の攻略を予期し予め油田飛行場等の破壊作業を行いし点等より考察し「クチン」泊地及河川等には機雷坊材等を設置しある算大なり


 以上のことから、

『「クチン」攻略作戦に於ては敵の相当大なる抵抗竝に障碍ある事を予期し十分なる準備の下に之を断行するを要す

護衛本隊は鬼怒由良と共に敵海上兵力の出現に備え輸送船隊の間接護衛に任ず 第二護衛隊は輸送船隊を直接護衛進出し泊地進入前泊地の清掃対戦掃蕩の行い夜間入泊し日出前陸軍部隊を「クチン」市街に揚陸す 昼間敵機の攻撃に対しては「ミリー」派遣航空部隊及第十二航戦と緊密なる連絡を採り之を撃破す』

 という処置をとった。


 二十二日、第二護衛隊(駆逐艦二、掃海艇二)は陸軍輸送船香取丸(九、八四九トン)、日蘭丸(六、五〇三トン)、日吉丸(四、九四三トン)、海軍輸送船北海丸(八、四一六トン)、第三図南丸(一九、二〇九トン)、第二雲洋丸(二、八二七トン)の六隻を率いてミリを出撃した。神川丸と軽巡由良が船団の後方を支援しながら続行した。

 第七戦隊の重巡二隻と軽巡鬼怒、駆逐艦狭霧、吹雪は一九〇〇時に船団に斜前方二十浬付近に占位しながら航行した。

 味方潜水艦イ五十四潜からの敵潜水艦ありとの通報があったため、船団は対潜警戒を厳重にして進んでいた。


 二十三日〇九三〇にはドルニエ型飛行艇が視界内に現れたが、味方哨戒戦闘機により一旦を姿を消したが、夕刻再び現れ、神川丸の観測機がこれを迎撃して飛行艇を撃墜した。

 船団はクチン上陸に備て変針し、掃海艇が前路掃海をしながら上陸地点目指していたが、二〇〇〇時頃、六号掃海艇より、

「二〇〇度、七〇〇米に潜水艦らしきもの見ゆ針路一四〇度」

と通報があり、同艇は爆雷攻撃による制圧を開始した。

 また、クチン沖で哨戒任務についているイ五十四潜からも敵潜水艦発見の報告が入った。

 数隻の潜水艦が潜伏しているようであった。船団は対潜警戒をさらに厳重にして航行しながら、二二四〇頃には予定より二時間程早く泊地の五浬沖に達し、シバング岬に向けて変針させ頃、川口支隊長乗船の香取丸が突然爆発して炎上した。日吉丸からも爆発音が聞こえた。


 護衛隊指揮官小川中佐より

「二十三日二二四〇、香取丸泊地付近にて遭難半沈没、触雷なりや雷撃なりや不明」

 と打電してきた。続いて二十四日〇〇〇五に

「敵潜泊地に進入、第三図南丸、北海丸雷撃を受く」

 と知らせてきた。まだ上陸前の出来事である。護衛部隊本隊は駆逐艦狭霧を派遣した。

 この雷撃で戦果を挙げたのはオランダ潜水艦KーXⅣであった。オランダ海軍の潜水艦は十二月十五日にスラバヤを出港してボルネオ方面に哨戒の網を張っていたのである。

 そして悪い知らせが飛び込んできた。〇三〇〇にスラバヤ方面で作戦行動中のイ百二十三潜から至急電があった。

「二十三日二三四五 直衛四隻を伴う航空母艦らしきもの二隻見ゆ 地点スラバヤの五〇度一〇〇浬 針路〇度 速力一二節 視界不良の為見失う」

 敵空母発見の情報は初めてであり、事実であれば猶予できないものであったが、距離が六百浬以上離れており、すぐ対応は必要ないと思われたが、今後空襲の恐れもあるため警戒を厳重にするよう通知した。


 輸送船団は六隻のうち四隻が被害を受けていたが、主力の岡連隊が乗船する日蘭丸は無事であったため、〇三〇〇上陸部隊の舟艇は発進した。横二特も〇四〇〇に発進した。

 陸軍部隊は〇五三〇以降にジバング岬東側のサラワク河口から上陸、横二特は西側のサンツポング河口から上陸したが、敵の反撃はなく、陸軍は河をさかのぼり、〇九〇〇頃にペンデンに達してここに上陸し、昼過ぎにはクチン市街に入った。横二特も河をさかのぼり、一九〇〇にクチン市街に入り、陸軍部隊と合同した。

 英軍部隊はクチン市街から南方一〇キロに飛行場があるが、その西方五キロ付近に陣地を構築しており、約五百の兵力で守備していた。岡連隊長は夜襲によって攻撃を開始したが、抵抗は頑強であり一旦攻撃を中止し、二十五日未明月没後を期して敵陣に突入し、英軍は南方に敗走した。

 

 一方、損傷を受けた香取丸は辛うじて浮かんでいたものの〇九一五沈没したが、乗船員の大部は救助された。日吉丸も沈没の虞ありとのことで乗船員は他船に移し、北海丸も航行不能。第三図南丸だけがなんとか航行可能であった。

 応援に駆けつけた駆逐艦狭霧は哨戒中であったが、二〇四五時に右後部に魚雷を受けて、搭載していた爆雷が誘爆して大火災を起こし、二一〇〇には海面から消えていた。

 狭霧を雷撃したのはオランダ潜水艦KーXⅥであったが、同艦は二十五日、浮上しているところをイ一六五潜に発見され、魚雷一本が命中し沈没した。

 駆逐艦白雲と第三号掃海艇が救助に向かい、艦長杉岡中佐以下百二十名を救助したが、百二十一名が戦死した。叢雲も魚雷二本を発見してこれを回避し、潜水艦を攻撃して、多量の噴出物を見て撃沈確実を報じた。


 二十六日一三三五、爆撃機三機が飛来し、船団に向けて爆撃し、第二雲洋丸と横付補給中の第六号掃海艇に命中して、掃海艇は沈没、第二雲洋丸も火災発生して一五一八に沈没した。

 二十七日になり、揚陸作業が終了したために、全部隊は順次クチンから離れていった。

 このミリからクチンにかけての攻略作戦にて海軍部隊と輸送船は大きな被害を受けたのであった。

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