第十九話 ウエーキ島占領

 さて、ウエーキ島攻略部隊は、二十二日一四〇〇にウエーキ島南方約一一〇浬の地点において接岸序列に占位すべき態勢を整え、同島に向い、二一一七先頭を進む駆逐艦「望月」がウエーキ島を視認したので反転し、攻略部隊指揮官はこの報告により、針路速力を調整して二一四五、島から約一〇粁付近において「追風」「睦月」に対して

『列を解き予定の如く陸戦隊を上陸せしめよ』

との命令を発した。

 旗艦夕張は二一五〇機関を停止して漂泊し、各攻略部隊は準備位置に進入していった。気象条件は

「視界二〇粁、風向五〇度、風速十五米、波浪三、うねり北東から二、艦の動揺左右約一〇度」であった。


 ここからは再び前掲書の山本参謀の著述を借りよう。

『攻略部隊の泊地進入は、きわめて順調に行なわれ、接岸時刻も計画どおりであった。第一攻略隊指揮官は午後十時六分、第三十二号哨戒艇および第三十三号哨戒艇にたいし、

「大発卸し方用意」

を下令した。

 第三十二号哨戒艇は、午前零時ごろ、大発卸し方に成功した。

 それには陸戦隊命令による決死隊(内田中隊の第三小隊全員と防空小隊長以下十三名)が乗艇した。

 第三十三号哨戒艇の大発は、午後十一時四十五分になってもおりないので、第一攻略隊指揮官は、夕張あてに着岸時刻が遅れる旨を報告した。

 この状況では、着岸時刻が予定より一時間以上遅れることになり、機を失する虞れありと判断した攻略部隊指揮官は、第一攻略隊にたいし電話で、

「上陸方丙法、速やかに上陸を決行せよ」

 と下令した。第一攻略隊指揮官安武大佐は、第三十二号哨戒艇を誘導し、上陸海岸に向かい、二十三日午前零時三十二分、「そのまま直進せよ」と令した。第三十二号哨戒艇は、速力十二ノットで環礁内に突入し、横転することなく、午前零時三十分、擱座に成功した。

 午前零時四十一分、睦月に乗艦する第一攻略隊指揮官から、

「第三十二号哨戒艇、擱座に成功」

さらに同四十三分、第三十二号哨戒艇長から、

「擱座成功、敵の熾烈な射撃を受けつつあり」

との報告を受けた。

 他方、第二攻略部隊指揮官は、金龍丸に大発卸し方を令し、夕張あてに

「二三〇〇クク岬の二百五十度、五キロにおいて大発卸し方中」

と報告した。

 

 決死隊は第三十二号哨戒艇の大発に乗艇し、順調に泛水して母艇と別行動をとった。そして、母艇が擱座してから約十分後の午前零時四十分、ピーコック岬西方に上陸した。

 上陸地点付近には機銃陣地があったが、機銃員は配置されていなかった。幸先よしとさらに進み、高角砲陣地を探したが、見当たらなかった。夜明けになるにつれ、敵の応戦もはげしくなる。

 降伏者が出だしたので、彼らを先頭に飛行場の東側を北進し、海兵隊長デベルクス少佐を捕虜にした。さらに奥に進んだところ、敵の本部前に出た。

 ちょうどそのとき、宿泊地帯からシープで南下する二人の将校を発見した。小隊長は部下に命じて、その将校らに銃をつきつけ、問いただしたところ、指揮官カニンガム中佐とその副官であった。

 小隊長はカニンガム中佐に降伏を勧告、彼を自動車に乗せ、白旗をふらせながらウエーキ本島内をまわり、戦闘を中止させた。

 内田中隊は、第三十二号哨戒艇の擱座と同時に、同艇の全周に張りめぐらした縄ばしごを伝って海中に飛び降り、環礁を突破して、挺身上陸を敢行した。

 この部隊の全面には、機銃陣地と水平砲台が構築されており、進撃した滑走路の南方には、三インチ水平砲台がすえつけられていた。

 内田中隊は、これらの砲火を浴びせられながら陸地にたどりついたものの、岸辺にクギづけにされて、浜辺の遮蔽物のかげに散開したまま、ほとんど身動きがとれなかった。

 午前四時ごろ、内田中隊長は陣頭に立って、その三インチ水平砲台に突撃を敢行したが、眉間に貫通銃創を受けて、壮烈な戦死をとげた。

 第三十二号哨戒艇で擱座上陸した陸戦隊本部は、ウエーキ島南岸に上陸したものの、夜明けになっても苦戦を続け、戦線は膠着状態が続いた。

 第二攻略隊として追風に配乗中の高野中隊は、金龍丸の大発二隻に分乗し、二十三日午前零時三十五分、追風を発進して、ウィルクス島の上陸予定地点に向った。

 攻略部隊司令部は、攻略隊から連絡がないので、午前一時六分、各攻略隊指揮官あてに

「その後の状況知らせ」

と命じた。これに対し、第一攻略隊指揮官は

「第三十二号は〇三〇〇着岸、哨三十三号はそれより二十分遅れて着岸のはず、〇一一五」

また、第二攻略隊指揮官は

「〇〇五三進撃、〇一二〇着岸の予定なるも、その後の状況不明、〇一三〇」

とそれぞれ報告した。

 追風を離れた二隻の大発のうち、高野中隊長乗艇の一隻は、目的地から東方に偏し、ついにウエーキ本島西端近くに着岸したが、そこで全員壮烈な戦死を遂げた。

 ウィルクス島は、ウエーキ島本島とは水路でへだてられ、橋がなかったので、降伏の白旗も認められなかった。同島には五トンにおよぶ地雷が各所に敷設されていたので、わが軍の進撃をはばみ、敵は機銃、自動小銃等により抵抗を続けていた。

 他の一隻は、ウィルクス島のトーチカ前面に上陸したが、優勢な敵の反撃により、水際で痛手をこうむった。しかし、迅速に西方に進出し、同島西端の砲台を占領、日章旗を掲げて、その戦果を喜んだ。

 それも束の間、敵の猛烈な反撃にあい、ほとんで全滅の憂き目にあった。増援部隊の飛行機が敵陣地の爆撃を敢行して、戦闘力を失わしめた。ここの戦闘では、敵味方銃剣で刺しちがえて戦死した兵士もあったという。

 第三十三号哨戒艇の大発に乗艇した板谷中隊は、午前三時三十分、擱座した両哨戒艇のあいだに上陸した。

 攻略部隊指揮官は、掩護隊にたいしピール島の砲撃を依頼した。そこで天龍、龍田は、二十三日午前二時二十五分から約四分間、さらに五時十九分から約六分間、二回にわたってピール島砲台を砲撃した。

 午前七時四十五分ごろになって、陸上の砲声がまったくやんだ。七時五十五分、増援部隊の飛行機から、ピーコック砲台付近占領の報が入った。爾後、飛行機から刻々状況がはいるにおよんで、愁眉を開いた。

 午前九時二十五分、各種の状況からウエーキ島本島の敵降伏と判断し、九時三十二分、砲術参謀柳稔雄少佐は、陸戦隊指揮官および米軍指揮官との連絡のため、通訳と夕張陸戦隊、電信員をつれ、カッターで上陸した。

 午前十時十五分、攻略部隊指揮官は、ウエーキ島攻略作戦部隊あて、

「一〇〇〇、ウエーキ島全島おおむね攻略す。目下残敵掃蕩中」

 と報告通報した。十時三十二分、上陸した柳砲術参謀から

「全島完全に占領す。ただいまから戦場整理、施設調査、基地設営を開始する」

との連絡を受けたので、十時四十分、南洋部隊指揮官をはじめ友軍あてに

「一〇三〇、ウエーキ島全島攻略完了」

と報告通報した。』


 海軍陸戦隊及び海軍の戦死傷者は、戦死准士官以上が八名、下士官兵が一〇三名。負傷者准士官以上五名、下士官兵九十九名に及んだ。

 擱座した哨戒艇三十二号と三十三号は損傷激しく放棄された。この艦は元々二等駆逐艦で建造されたものだったが、老朽化に伴い、哨戒艇として変更された艦であった。

 これに比べ、米軍は、ウエーキ島で戦死した人員は、海兵隊四十九名、海軍三名、民間航空会社七十名と記録されており、負傷者の数は不明であるが、捕虜となった人員は軍人四七〇名、民間千百四十六名とモリソン報告には記されている。


 宇垣中将の「戦藻録」の十二月二十三日の項には、ウエーキ攻略について次のように記している。


「多大の犠牲を払って攻略遅延せる本作戦の再挙、井上第四艦隊長官の苦衷察するに余りあり。今日迄急がずあせらず我慢したる処、矢張り我等大学校の学生長なり。ともすれば同艦隊参謀長の電を見て、第四艦隊は少しあわてている。あせっている等云いて然も之を冷静に静めんとするが如き一部には、我予て同意表せず。君が其立場になって見給え、当然ではないか、不足の兵力を当てがって之にてやれと云う連合艦隊司令部に無理があった理なれば、戦の仕易き様に成可早く目的を達成する様に仕向ける事が肝要なりと諭したる事あり」

                           (この章完)

 

 

(参考文献) 順不同

防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書 香港・長沙作戦」

           朝雲新聞社 一九七一

防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦

  ⑴昭和十七年五月まで」 朝雲新聞社 一九七〇

若松和樹著 「香港要塞攻略作戦」(歴史群像 通巻四七号

           学習研究社 二〇〇一)

歴史群像シリーズ 「決定版太平洋戦争 ②開戦と快進撃」

               学習研究社 二〇〇九

伊藤正徳著 「帝国陸軍の最後 1」 角川書店 昭和48年

巌谷二三男著 「雷撃隊、出撃せよ!」 文芸春秋 二〇〇三

明治百年史叢書 宇垣纏著 「戦藻録」    原書房

服部卓四郎著 「大東亜戦争全史」 原書房 昭和四十年

ジョン・トートランド著 「大日本帝国の興亡2 昇る太陽」

               早川書房 二〇一五

瀧利郎著 『第三十八師団「香港」を攻略す』

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

柳場豊著 「南海支隊グアム・ラバウル占領秘話」

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

山本唯志著 『波高し「ウエーキ島」の攻略』

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

板津辰雄著 「真珠湾から印度洋へー飛龍艦爆隊奮戦記」

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

イアン・トール著 村上和久訳「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイ

  まで 上」 文藝春秋 二〇一六 

 

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「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051578600、昭和16年12月~昭和17年4月 蒼龍飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051593900、昭和16年12月 千歳空 飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051594000、昭和16年12月 千歳空 飛行機隊戦闘行動調書(2) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030057500、 昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(防衛省防衛研究所)」

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