第十六話 第一次上陸戦

 開戦に先立ち四日、千歳航空隊の安藤大尉機が〇五三〇時にルオット基地を発進し、〇九二〇にウエーキ島を偵察して一二四〇帰還して、同島の状況をもたらした。


 八日、開戦となり松田秀雄少佐率いる三十四機が〇五一〇発進して一〇一〇にウエーキ飛行場等を爆撃した。

  第一中隊 松田秀雄少佐直卒 九機

  第二中隊 小谷 仟大尉   九機

  第三中隊 中井一夫大尉   九機

  第四中隊 山縣茂夫大尉   七機

   搭載爆弾 二五〇㌔×一三、六〇㌔×三二一

 判定は小型機炎上九機、ピール島水上基地及軍事施設より二か所から火災発生を確認した。対空砲火は激しく、撃墜された機はなかったが、被弾機は八機に及んだ。


 巌谷二三男いわやふみお氏の「雷撃隊、出動せよ」(文春文庫)によれば

「十二月八日午前四時四十分、九六陸攻三十四機とその搭乗員は、この日の指揮官松田秀雄飛行隊長から攻撃法の指示を、爽やかな空気の中で聞いていた。それが終わって先任中隊長渡辺一夫大尉以下、小谷仟、中井一夫、山県茂夫各大尉は、おのおの自分の中隊員に必要事項を達した。出撃前の緊張と興奮ーやがて三十四機はごうごうたる爆音を中部太平洋の空の一画に残してクエゼリン環礁をあとにした。時に午前五時十分。

 途中の天候は意外に悪かった。乱雲低く飛んでしばしばスコールに遭い、上空は層雲たなびく状況で、所定の爆撃高度どころか、一〇〇〇メートルにも昇れぬ悪天候であった。しかし、指揮官松田少佐の航空時計九時五十分を指したとき、六〇〇メートルの飛行高度で左前方、綿絹のような片雲の下に、目指すウエーク島の海岸線が白波を噛んでいるのが見えてきた。

 飛行機隊はそのまま針路を島の中央に向けて突撃に移り、まずウエーク島南東端の飛行場上空に殺到、滑走路の交差点付近に並べられた戦闘機八機に第一撃を浴びせた。爆弾はみごとその列線付近を覆い、少なくともその半数は直撃したように見えた。

 攻撃隊はさらに島の中央湿地地帯を横切り、北接の小島パール島上空に突っ込んで行き、クリッパー型四発飛行艇一機が桟橋付近に繋留されているのを発見、飛行高度が低いのを幸い、旋回銃でこれに銃撃を浴びせ、続いて同島桟橋付近の諸施設を狙って残留爆弾を投下した。地上の炸裂音は低高度を飛ぶ編隊に響き、機体は上下に動揺した。」


 米軍の記録では、地上にあった八機の内、三機は直撃で爆破炎上し、一機が破損したとなっている。飛行艇は損傷を受けたものの、応急修理の上ミッドウエーに退避したという。海兵隊員二十三名と人夫十名が戦死傷した。

 

 九日、千歳空は二十七機をもってウエーキ島を爆撃した。

  第一中隊 松田秀雄少佐  九機

  第三中隊 中井一夫大尉  九機

  第二中隊 小谷 仟大尉  九機

    搭載爆弾 二五〇㌔×二、六〇㌔×二八五

 〇五〇五基地を発進し、途中第二中隊第二小隊三番機がトラブルで引き返し、二十六機が同島上空に達したが〇九三五米軍戦闘機の攻撃を受けた。反撃により一機を撃墜した。〇九四〇爆撃を開始し、基地設備等の一か所より火災を確認したが、対空砲火と戦闘機により十二機が被弾し、搭乗員二名が重軽傷を負った。


 十日、千歳空は二十六機をもってウエーキ島を爆撃したが、この日初めて敵戦闘機により一機が撃墜された。

  第一中隊 松田秀雄少佐  九機

  第二中隊 小谷 仟大尉  九機

  第三中隊 山縣茂夫大尉  八機

    搭載爆弾 六〇㌔×二七五

 〇三三〇基地を発進して、〇八四二ウエーキ島の高角砲陣地、機銃陣地、倉庫等を爆撃後、グラマン戦闘機二機の攻撃を受け、第二中隊第二小隊機の安藤大尉の機が被弾し、ウエーキ島の二七七度六七浬の地点で自爆した。他に空戦と対空砲火により四機が被弾したが、負傷者はいなかった。

 十四日、千歳空は三十機をもってウエーキ島を爆撃し、六〇㌔爆弾三百二十七発を投下し、地上にある敵機一機炎上、一機爆破の戦果を挙げたと報告し、損害はなかったが、被弾した機は十三機に及んだ。


 十一日、千歳空は再び十七機をもってウエーキ島を爆撃したが、この日もグラマン戦闘機三機と交戦して、一機を撃墜したものの、二機が撃墜されてしまった。

  第一中隊 中井一夫大尉  九機

  第二中隊 山縣茂夫大尉  八機

    搭載爆弾 六〇㌔×一七六

 〇二一五基地発進し、〇七一五ウエーキ島爆撃後、三十分に亘り、グラマン三機と交戦し、第一中隊第二小隊の一番機篠尾大尉機と二番機宮崎一飛曹機が被弾し自爆した。残る機の内、十四機が被弾しており、一人が戦死してしまう、大きな被害を蒙ってしまった。連日の爆撃で二十三名が一気に戦死してしまい、部隊の士気は低下してしまった。

 昼間爆撃は諦め、同日夜間出撃での爆撃に切り替えて、七機、八機と間隔をあけて出撃したが、ウエーキ島を発見することができず、全機無事帰還した。


 ウエーキ島攻略部隊の行動については、六水戦の通信参謀であった山本唯志ただし大尉の著述によるものがよいであろう。


『水道通過後、警戒航行序列に占位し、速力十五ノット、針路二百九十度で進撃した。午後六時、夜間警戒航行序列をとり、午後十一時十五分、基準針路を三百四十度に変針した。

 九日午前五時五分、麾下部隊および掩護隊の天龍、龍田に、前日初襲撃を行なった航空部隊によるウエーキ島の情報を通知した。また同八時三十五分、ウエーキ攻略部隊および掩護隊にたいし、陸戦隊揚陸時の援護射撃に関し、敵からの発見の有無にかかわらず、上陸舟艇が距岸二千メートルに達した時機から、敵砲台等にたいし射撃すべき旨の新令を出した。

 十日午前六時十五分、夕張では、九日に千歳空がウエーキ島の北部兵舎倉庫群や水上基地施設を爆撃し、敵戦闘機二機と空戦して、その一機を撃墜したとの電報を受信した。

 十日午前十一時三十五分に、午後一時発動で第四接岸序列に占位すべき命令を発した。午後一時、ウエーキ島の二百十度、百二十浬に達し、所定の隊形をととのえ、針路四十度、速力十三ノットで進撃を続けた。

 午後六時、航空部隊に関する第三次ウエーキ島攻撃による情報を受信した。それによると、ウエーキ島本島南部の高角砲、機銃陣地、倉庫、指揮所、およびウィルクス西部高角砲台等を爆撃したが、地上砲火は熾烈で、爆撃後、戦闘機と約三十分間の空戦があったという。

 この航空部隊の第二次および第三次攻撃の状況からみると、いまだに戦闘機が残存しているかも知れないと思われた。

 午後八時十五分にいたり、夕張は右四十度、約四千メートルに味方潜水艦一隻を発見した。この潜水艦は攻略部隊誘導艦の呂号第六五潜水艦であった。これで上陸予定地まであと三十浬あることが確認できたので、北上をつづけた。

 午後十時三十二分、全軍に方向性信号灯で、ウエーキ島を発見した旨を知らせた。当時、風向東、風力十四メートル、波浪やうねりは大で、敵岸に離隔して隠密に舟艇をおろすことは不可能と判断された。午後十時四十五分、揚陸法第二法(陸岸に近接して、隠密に大発をおろす法)を下令した。

 その五分後、夕張はウエーキ島の中央から二百五十度、八千メートルに達した。攻略部隊指揮官は、第一攻略隊指揮官および第二攻略隊指揮官に規約信号で、

「列を解き、適当の地点にいたり舟艇をおろし、上陸せしめよ」

 つづいて午後十一時五分、全艦にたいし、

「列を解き、予定のごとく行動せよ」

と令した。視界は十キロで、日の出時刻は午前四時十六分である。

 十一日午前零時、金剛丸および金龍丸は大発卸し方を開始した。金剛丸艦長は、

「本艦、大発おろすさい、動揺のため一隻使用不可能となる。いま一隻調査中」

ついで午前零時五十分、

「大発艇員海中に墜落、行方不明」

さらに午前一時三分、

「大発卸し方実施せるも、動揺のため上甲板に転覆、ただいま復旧作業中。このままにては作業不可能の認む。ご指示を乞う」

と報告要請してきた。金龍丸でも大発卸し方に苦労し、十一日午前零時十分、

「動揺にため、卸し方作業暇取りつつあり」

さらに零時四十分、

「大発一隻舷側において使用不可能、他の一隻は目下調査中なるも、使用不能の見込み」

 と、方向信号灯で報告してきた。ウエーキ島攻略部隊指揮官は、大発卸し方の遅延にかんがみ、当初の計画である接岸時刻の午前二時を、三時に変更することを決意し、全軍に下令した。

 一方、第二攻略隊の誘導艦睦月は、午前零時四十分には、ウィルクス島北端・クス岬の二百十八度、二浬に占位し、第三十二号哨戒艇および第三十三号哨戒艇は、所定の大発卸し方を開始した。そして午前一時十五分には、大発を泛舟した。

 攻略部隊指揮官は、第二攻略隊の状況が不明なので、午前一時二十九分、第二攻略隊指揮官あてに発信した。

「大発卸しあらざれば、卸し方まて。状況知らせ」

 それにたいし睦月から、

「大発二隻ともおろせり、うち一隻発信、準備完成〇一四〇」

と報告してきた。攻略部隊指揮官は、このまま断行すべきか引き返すべきか、一瞬決断に迷った。

 午前一時三十分にいたり、金剛丸、金龍丸の大発卸し方が不可能なことを確認したので、夜間上陸を断念、天明前に残存軍事施設を砲撃制圧したのち、昼間上陸を決意した。そのむね全軍あてに、

「揚陸時刻を天明後に変更す。〇一三〇」

と下令するとともに、南洋部隊指揮官および航空部隊指揮官あてに、

「天候不良のため、揚陸時刻を昼間に変更す。〇一三五」

と報告通報した。上陸時刻を延期することを決意した攻略部隊指揮官は、ひとりまず部隊を立て直すため、午前二時十五分、

「天明時より左の区分により砲台、陸上飛行場を砲撃撃破すべし。夕張ウエーキ島本島、疾風、如月ウエーキ島本島南部、望月、弥生ウィルクス島、金剛丸、金龍丸、第三十二哨、第三十三哨は島よりの視界限度におれ、追風、睦月は揚陸準備をなしおけ」

 さらに午前二時五十分、第十八戦隊あてに

「ピール島制圧配備につかれたし」

と下令した。日の出約一時間前ごろから視界がよくなってきた。射撃区分にしたがい、夕張は午前三時二十五分、駆逐艦は三時四十分、それぞれ射撃を開始した。しかし、敵基地は静まり返っている。

 駆逐艦は島に接近しながら砲撃を続けていた。午前三時二十分、敵戦闘機一機が島の上空にあるのを認めたので、攻略部隊あてに

「過度に近接するな」

 と令した。午前三時五十八分、ウエーキ島の燃料タンクに砲弾が命中し、黒煙を吹上げながら炎上した。夕張乗員は「やった、やった」と歓声をあげて喜んでいた。午前四時になって、敵は反撃を開始してきた。高角砲らしい弾丸がうなりを発してとんでくる。

 味方駆逐艦が島に近寄りすぎるので、

「反転せよ」

 と信号を送ったが、間に合わなかった。午前四時三分、追風とウィルクス島とのほぼ中間に占位していた疾風はやてに敵弾が命中、瞬時に爆沈した。

 その状況は、はじめ艦尾に黒煙を発し、それが瞬時に全艦を覆い、黒煙の合い間から艦橋が瞬間的に見えたが、煙が消えた時には艦影はなかったという。

 当時、その上空には敵機を認めていないので、疾風搭載の爆雷、魚雷の誘爆が直接の原因らしい。ともあれ、乗組員総員百六十七名が戦死した。

 敵はそのころになって、戦闘機に爆弾を搭載し、機銃掃射をしつつ攻撃してきた。

 午前四時四十一分、

「速やかに退避せよ」

「避退せよ、退避方向二百十度」

さらに金剛丸および金龍丸にたいし信号灯で

「全速力にて二百二十度方向に退避せよ」

と令するとともに追風、望月にたいし

「金剛丸、金龍丸の護衛に任ぜよ」

と次々に指令を下した。午前五時三十七分、他艦の対陸上射撃の側方観測のため、ピーコック岬南西十ないし十五浬に出ていた如月きさらぎは、機銃掃射をしつつ来襲した戦闘機に爆撃され、沈没した。

 その模様について、目撃者の回想によれば、戦闘機が投下した爆弾は、同艦の艦橋付近と思われる位置で炸裂し、爆煙が全艦をおおった。この煙がうすらいで艦影が認められたときには、艦橋はなく、甲板上は平坦で、艦は爆弾の命中個所を境に、前後二つに切れていた。後部はそのまま沈み、全部は艦首が沈んで航走を続けていたが、数分後に逆立ちになり、海中に突進した、という。疾風同様、如月も総員が戦死してしまった。

 午前五時四十五分、航空部隊指揮官あてに、

「敵飛行機、われに追随しつつあり。ウエーキ島を攻撃されたし」

と発信した。敵戦闘機の正確な数は不明であったが、三、四機はあったと思われる。敵戦闘機は爆弾を抱えてきては、味方各艦をめがけて機銃掃射をしながら爆弾をしかけてきた。

 午前六時三十五分、金剛丸が敵機の機銃掃射をうけ、ガソリンに引火して火災を起こすなどの事態を生じた。その二十分後、掩護隊指揮官から、今後の行動予定の問い合わせがきた。

 敵飛行機制圧の見込みがなく、陸上砲台からの反撃も熾烈である。そこで一時戦場を離脱し、夜に入り上陸を決行せんと決意し、一時、ビキニに引き揚げ、天候の回復を待つむねを返電した。

 午前七時十五分には、航空部隊攻撃隊が、ピール島の高角砲台、機銃陣地を爆撃し、敵戦闘機三機と空戦している。

 午前十時になっても、なお十四ないし十五メートルの風が吹き続け、波浪が大きかった。そこで、当夜の奇襲上陸も困難と判断された。いったんクエゼリンに帰投し、補給修理を実施したうえ、天候をみて再挙することに決し、その旨を令達した。

 攻撃部隊指揮官は、午後二時の夕張の位置を示し、各隊艦はこれに合同するよう下令通報した。

 十一日午前十一時には、南洋部隊指揮官よりつぎの電令が発信された。午後十一時、了解した。

「ウエーキ島攻撃部隊および掩護隊は、二三〇〇上陸成功の見込みなければ、いったん部隊を集結、速やかに退避、クエゼリン方面に引き揚ぐべし」』

(山本唯志著『波高し「ウエーキ島」の攻略』丸別冊太平洋証言シリーズ⑧戦勝の日々 潮書房)


 駆逐艦疾風に命中したのは敵砲台からの砲弾か敵機の爆弾によるものか日本側では判らないもので、命中した敵弾により爆雷が誘爆したのか、黒煙が消えた時には、船体は海中に没していた。米軍の記録では沿岸砲による命中弾により爆発を生じたとしている。

 旗艦夕張もその後敵機により爆撃を受けるがこちらは命中せず。だが〇五三七に駆逐艦如月が艦橋に命中弾を受けるや、こちらも艦橋から前後に分断され、五分後には爆沈してしまった。

 〇七二〇には今度は金剛丸が機銃掃射を受けて、搭載中にガソリンに引火火災が発生した。また至近弾による浸水も発生した。ガソリン引火の火災は消火剤として搭載していた二酸化炭素ガスの利用によって拡大は阻止できた。これが単なる放水だけであったなら、誘爆を誘因して更なる損害を被ったであろう。搭載していた水上偵察機一機が損傷した。


 銃爆撃による攻略部隊の人的被害は、疾風、如月の全員戦死(定員各艦一六七名)。他に戦死弥生一、三三号哨戒艇二、金剛丸三の計六名。重症者は追風、弥生が各七名、三三号哨戒艇三、金剛丸五の計二十二名。軽傷が追風七、弥生一四、三三号哨戒艇七、金剛丸一四、一七空一の計四三名。行方不明金剛丸艇員二名の多数にのぼった。(六水戦戦闘報告書より)

 かくして、ウエーキ島の攻略戦は何も果たせぬまま、損害だけ募り未遂に終わった。一旦帰還して再起をすることになった。


 六水戦の「戦闘詳報」には所見として「計画茲に実施の適否」が述べらえている。

「本作戦に於て接岸時迄は極めて順調に経過し予定の時刻に予定の地点に到着し全く敵の不意を襲えり 然るに陸岸至近の距離に於ても金龍丸金剛丸共に予期以上動揺大にして大発卸方困難を極め多大の時間を空費し漸くにして卸せるの模様 之が使用に適せず時間既に切迫し情況概ね前述の如くして夜間大発卸方可能の希望なきと暗夜舟艇卸方作業の困難大発の修理整備〇四三〇頃二四航戦中攻隊の攻撃敵情戦斗機一、二機程度残存し島の南側砲台は概ね壊滅し昼間強行上陸敢て難事に非ずとの判断等を考慮し〇四三〇頃を期して昼間上陸を決行せんとの決意したる処予想外の敵戦斗機に妨害せられ益々被害を増大したるを以て一時敵機の行動圏外に出で離隔運動を採りしが海上風浪依然衰えず風速十五米に達し益々増強の兆あり為に今夜は到底上陸の見込なく更に戦備を整え再挙を企図するを可なりと認む(此の間長官の指令あり)隊を纏めルオットに引返せり

本上陸不成功の主因左の如し

⑴夜来偏東風漸次増大十三米に達し然も洋上低小の孤島にして風下側近距離と雖

 も波濤滾入はとうこんにゅうし艦の動揺大にして泛水作業出来ざりしこと

⑵出征前時を得ず波濤大なる海面に於ける泛水法に対する準備茲に訓練不徹底な

 りしこと

⑶予期以上強力なる敵戦斗機及陸上砲台の妨害ありしこと」


 宇垣纏中将の「戦藻録」の十二月十一日には

『南洋部隊は、本朝「ウエーキ島」攻撃を計れり。相当難物らしく4F長官は情勢に依り兵力を纏めて避退し可なりと命令せり。本島兵力予想より多かりしも而く大なりとも認められず。如何様に進展しつつありや詳細不明なり』


 そして十三日のところには

『「ウエーキ」の攻略は心配の通り不結果に終り、駆逐艦二隻を沈没せる外少数宛の死傷ありて引返せり。乃て4F参謀長より要求の通り機動部隊中より一部を同方面に廻すこととせり』


 ウエーキ島の上陸戦の失敗は、南雲機動部隊より第二航空戦隊の応援を請けることになったのである。

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