第十四話 グアム島占領

 津軽は出撃にあたり、サイパンで積載していた機雷全部六百個をおろしていた。

 出撃前の陸海軍輸送船間打合せで次の協定事項が定められた。

⑴陸兵隠密奇襲上陸中は陸正面の敵に対し照射又は艦砲発射を行わざること

⑵上陸軍が敵より砲撃を受くるも海軍艦艇は隠忍自重し砲火を用いざること

⑶敵水上艦艇に対する攻撃は海軍独自の立場に於て之を行うこと

⑷風速十二米内外の天候にては予定計画を決行すること

⑸荒天にして泊地進入後大発卸し方不能と認むるときはロタ島付近風下側にて之

 を卸し之を曳航することあるも本項は九日の天候により最後決定すること

⑹陸上よりの砲撃大にして輸送船の損害大なりと認むるときは陸兵第一次揚陸後

 船団を一時沿岸より隔離せしむ 此の場合第一次揚陸兵力は一両日間単独戦斗

 し得る兵力たること

                         

 四日〇九〇〇母島を出撃した攻略部隊は、対潜対空警戒を厳にして速力八ノットで第一航路を南下していった。

 第十八航空隊は、三座水上偵察機一機を以てグアム島偵察を行い、五日も偵察を行った。

 五日の航行は多少視界も良くなり、東寄りの風七米、視界三五粁であった。水平線上に支援部隊の第六戦隊の重巡四隻を認め、攻略部隊の各艦は強力な支援部隊を望見して心強く感じていた。

 六日、晴。北東の風、視界四五粁。

 七日、晴。東寄りの風六米、視界三十粁。


 八日〇四〇〇、南洋部隊指揮官は、第四艦隊各司令官宛、第六戦隊司令官に対し、

「対米第一撃を敢行せり」

 の電報を発した。

 これを受電した春日少将は、麾下航空部隊に対して、

『直ちに「グアム」島攻撃を開始せよ 〇五〇〇』

 と下令した。

 この電報を受領した第十八航空隊の聖川丸では、攻撃隊の発進準備をして、〇六四五、零式水上偵察機五機が佐川大尉が指揮してグアム島爆撃に向かった。


 第一次攻撃隊 六〇キロ爆弾四発装備

  第一小隊 一番機 操縦 一飛曹 室町道三郎 

           偵察 大尉  佐川嘉助

           電信 二飛曹 長掛光雄

       二番機 操縦 一飛曹 柴田惣次郎

           偵察 飛曹長 小島寅次郎

           電信 三飛曹 落合正則

       三番機 操縦 二飛曹 河原 静

           偵察 二飛曹 鈴木秀雄

           電信 二飛曹 花渕 茂 

  第二小隊 一番機 操縦 飛曹長 伊達一登

           偵察 一飛曹 田中嘉夫

           電信 二飛曹 伊藤伸夫

       二番機 操縦 二飛曹 佐藤哲三

           偵察 飛曹長 鍋田 稔

           電信 一飛  大貫安夫

 第一次攻撃隊は、グアム島の敵航空施設を〇八〇〇から〇八二五にかけて偵察した後、油港に向い、〇八三〇碇泊していた油槽船バーンズに対し、六番陸用爆弾(六十粁)一〇発を投下した。直撃弾は得られなかったが、至近弾のために航行は不能であろうと判断した。

 第一小隊は〇八四五春日港から逃走中の掃海艇ペンギンを発見して爆撃を加え、命中弾を得た。また〇九〇〇には、弾薬庫を爆撃して一弾が命中して吹き飛ぶのを確認した。

 第二小隊は〇八四五表半島の火薬庫を爆撃して一弾が命中し建物は炎上した。〇八五五には軍事施設らしき建物に爆弾を投下して被害を与たものと判断し帰途についた。

 一二〇〇に再び同じ搭乗割にて第二次攻撃隊として発進。

 一三三〇に電信所を爆撃したが、命中弾は得られず。其後小隊毎に別れ、第一

小隊は引き続き、電信所を爆撃し、一弾がかろうじて至近弾となり被害を与たものと判断した。

 一三五〇には午前に爆撃した油槽船に対し爆撃し、一弾が至近弾となった。掃海艇ペンギンは姿が見えず、沈没したものの判断した。付近には退避した短艇を

認めたため、これを銃撃した。

 第二小隊は一三四〇電信所を爆撃したが、ホテル付近に弾着し、建物とドラム缶が炎上した。一三五〇に無線電信所を爆撃したが命中弾は得られなかった。


 九日、第十八航空隊は引き続き、爆撃任務のために、同じ搭乗割にて出撃。第一次攻撃として第一小隊は〇五三〇発進、第二小隊は〇七〇〇発進して爆撃に向かった。

 第一小隊は〇七〇〇より松山湾の上陸地点を爆撃し、其後稲田湾の倉庫などを爆撃。二番機は太郎湾の見張所に対して銃撃を加えて帰還した

 第二小隊は発進して〇九三〇まで攻略部隊の前路の対潜哨戒任務についたあと、〇九四〇より海岸線の防御施設を偵察して砲台を認めず、一番機は稲田湾の

倉庫を爆撃、二番機は本田無線電信所を爆撃、其後太郎湾の見張所を銃撃して帰還した。

 第二次攻撃は第一小隊が一二〇〇発進、第二小隊が一三〇〇発進した。

 第一小隊は対潜哨戒の任務に従事したのち、一四一〇より澄崎軍事施設を爆撃し、整備場付近と海兵隊兵舎、機雷庫に被害を与た。第二小隊は澄崎海底電信所を爆撃した。

 


 攻略部隊は八日一四〇〇サイパンの北東七〇浬にて第三分隊を分離し、第一分隊と第二分隊は、ロタ島の南方に向け針路二二〇度で南下していった。

 九日〇〇〇五、サイパン島の東三〇浬にて第一分隊を分離し、第一分隊はロタ島東方にて海軍陸戦隊を乗せた勝泳丸と第六十駆潜隊と合同して富田湾をめざし、第二分隊は針路を一九〇度にとり南下を続けた。 


 攻略部隊は十日〇三〇〇第二十三駆逐隊司令は攻略部隊指揮官及南海支隊長宛に

「陸軍部隊富田湾第一回上陸成功 抵抗なし」

と報告した。この電報を了解した春日少将は、〇五〇〇南洋部隊指揮官及聯合艦隊司令長官宛に奇襲上陸成功と戦果拡大中を報告した。


 十日未明、楠瀬連隊長と連隊本部、第三大隊を乗せた第三分隊の船団は、〇一〇〇泊地に進入して、〇一五五泛舟を終了して、〇二四五に上陸を開始した。

 海岸一帯は石花礁であったが、海辺は比較的平坦であって、波も穏やかであったため、上陸に支障なく成功し、敵の抵抗も全く受けなかった。〇四三五第一次の上陸部隊は上陸に成功し、いわゆる無血上陸であった。海岸付近には敵兵も住民の姿も認めなかった。

 上陸部隊は集合後、一部で松山を掃蕩して確保するとともに、第九中隊の主力を以て月山を奪取し、引き続いて海岸東側の山道を有羽山に向い前進し、主力部隊は海岸の水際に沿って前進し、初井崎を経て昭和町に入り、一一〇〇には須磨海軍兵営に進入し、一部を以て兵舎南側地区を掃蕩した。

 第二次上陸部隊は一三〇〇には上陸を完了し、主力部隊を追従していった。


 軍旗護衛小隊であった柳馬少尉の手記によると、

「十日の午前三時三十分、上陸が開始され、小発動艇に小隊全員が移乗した。初陣の私は、グアム島に向って走る小発のへさきに立って、緊張していた。前方にグアム島が闇夜にかすかに見えた。いちばん心配したのは機雷であった。機雷に触れたら、この小発は吹き飛ばされるだろうと思ったが、暗い海面では機雷を見つけることはできなかった。上陸地点に近づくと、こんどは敵の一斉射撃を警戒したが、敵は一発も撃ってこなかった。

 敵前上陸で、小隊長が部下より一歩遅れて上陸したとあっては、末代までの恥と思い、小発が海岸に達着する直前、私は軍刀を右手に高く差し上げて、艇から飛び降りた。水深が胸まであったが、つづいて飛び降りた第一分隊長佐野伍長は、膝から下が濡れただけであったのは、石花礁の境であったからであった。

 敵は、すでに逃亡したらしく、上陸地点で軍旗を中心に警戒体制を整えたが、一発も撃って来なかった。

 夜明けを待って、海岸に沿い、軍旗を護りつつ北進した。無人の境を行く感じであった。休憩時、当番の山本上等兵が、椰子の木に昇り、実をとってくれた。行軍で喉が乾いたので、生まれてはじめての椰子に実の液は、じつにうまかった。夕方、スーマイに到着し、椰子林内に露営した」

 (柳場豊著「南海支隊グアム・ラバウル占領秘話」太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々所収、潮書房)


 第二分隊の船団は、東海岸の入屋湾、太郎湾に向かったが、北東の風十メートル以上が吹き荒れ、波も二〜三メートルと高かった。船団は十日午前〇時泊地に進入して泛舟作業に入ったが、波浪が激しく困難を極めながらの移乗作業となった。〇二二五上陸開始とともに入屋湾に向かったが、波が高く断念し、太郎湾に進入した。こちらも波浪激しく海岸に乗り上げる形での上陸となった。敵の反撃がないのは幸であった。

 しかし、舟艇が破損してしまい、第二回、第三回の上陸に支障をきたしてしまった。必要な兵力の揚陸作業には一日近く費やすこととなった。先頭部隊は、一三〇〇頃に天上山に達し、茶屋山付近と合わせて、数名の米兵を捕虜とした。

 探索の結果、米軍の砲台施設はなかったのである。

 第一分隊は、富田湾に向かっていたが、こちらは北東の風四、五メートルで、波も穏やかであり、視界も月明かりでよく見えた。


 十日午前零時富田湾に進入して、泛舟作業に入り、〇二一五に上陸を開始した。海岸一帯は石花礁で海辺は椰子林があり、雨井岬、草田岬は断崖であった。

 上陸部隊は石花礁を乗り越えて、〇三一〇上陸に成功した。上陸した塚本大隊は、海岸を覆う密林を啓開しながら前進し、〇六〇〇に古賀、阿賀間の道路上に進出した。 

 道路に沿って前進する塚本大隊は途中少数の敵の自動車部隊と遭遇してこれを殲滅して、一九三〇に阿賀市内に突入して海軍の林部隊と会合した。


 塚本大隊は市内にあった米軍の自動車を押収すると、入屋、昭和町方面を掃蕩し、連隊主力と連絡に成功したのち、阿賀市内に帰還した。


 海軍陸戦隊の林隊は、十日〇一〇〇富田湾から進入して、〇二一五阿賀海岸に上陸した。上陸後、阿賀市に向い、〇五一〇には政庁を占領し、グアム総督のマクミリ海軍大佐以下約百五十名を捕虜にした。この間の戦闘により米軍側は十名程の死傷者を生じ、林部隊は戦死一、負傷者若干を出した。


 林部隊は進出してきた陸軍部隊に阿賀市の警備を依頼し、半島一帯の掃蕩作戦を行い、米海兵隊員は山中から出て降伏してきた。

 このようにグアム島の戦闘は米軍の反撃をほとんど受けることなく、占領を果たしたのであった。


 米軍の死傷者の数は、資料によって差異がある。モリソン戦史では戦死十七名となっており、海兵隊戦史には戦死者海兵隊四、海軍十五名となっている。掃海艇ペンギンは沈没。油槽船バーンズは損傷して鹵獲となった。

 米軍のマクミリン海軍大佐は、見張員より駆逐艦に護衛された輸送船を発見したとの報告を受け、早々にグアム島の放棄を決め、投降することを決意していたのである。

 日本側の記録では、遺棄死体白人六、現地民兵三十となっている。

 日本側の損害は、戦死一、負傷六名であった。

 南海支隊は次期作戦に備えて、グアム島での掃蕩作戦終結後も同島で待機することとなった。

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