第十三話 グアム攻略作戦

 グアム島は中部太平洋マリアナ諸島南端に位置しており、最大の島でもある。一五二一年マゼランが発見し、一五六五年スペインが領有を宣言。一八九八年米西戦争でアメリカの領土となり、今もってその体制は続いている。第一次大戦でマリアナ諸島のサイパン、テニアンは日本の統治領となったが、アメリカ領土だったグアムはそのままであった。太平洋上の重要なアメリカの前進基地であったが、大正十一年日英米三国間で成立した「太平洋防備制限条約」により拡張を禁止され、軍事基地としての施設は不十分であった。しかし、日本の委任統治領であるサイパン、トラック、ヤップ、クェゼリンにとっては戦争になれば、邪魔な存在であった。


 グアム攻略作戦(G作戦)に関して陸海軍協定の話合いが十一月十四日岩国海軍航空隊において、堀井支隊長、春日少将の出席のもと行われた。


  G作戦に関する陸海軍協定 昭和十六年十一月十四日

               於岩国海軍航空隊

       南海支隊長     陸軍少将 堀井富太郎

       第五根拠地隊司令官 海軍少将 春日 篤

   一、方針

南海支隊(以下支隊と略称す)はG作戦護衛艦隊(以下護衛艦隊と略称す)と協同し主力を以てオロラ半島内敵軍事施設並天山茶山の山系を占領して油港に於ける敵軍根拠地を占領すると共に有力なる一部を以て阿賀市を攻略す

   一、指導要領

一、略

二、略

三、所定期日に集合地進発海軍の実施する対米航空第一撃(X日実施)を確認後Gに上陸之を攻略す

四、敵又は天候の関係上予定の如く上陸実施不能の場合は洋上に機宜行動し機を見て上陸を敢行す

   一、上陸点、泊地、碇泊隊形

一、泊地(総て漂泊とす)

 1、第一回上陸の為め陸海岸の沖合概ね四浬の地点

 2、第二回以後上陸の為め上陸海岸一・五乃至一浬の海岸

二、碇泊隊形(要図参照)

 泊地に於ける輸送船の常距離六百米とす

三、泊地侵入要領  (省略)

   一、上陸点の偵察及舟艇の誘導

一、海軍航空機による事前偵察はXー一四日頃及X日以後之を実施す

二、上陸点の直前偵察は舟艇及飛行機によるもの共に実施せず

三、艦隊群の誘導は海軍護衛隊之に任す

 之が為め所要人員の陸軍舟艇に乗組ましむ

   一、上力開始日時及上陸効程

一、略

二、泊地進入は上陸開始の概ね一時間二十分前とす

三、略

四、上陸効程

 1、第二回の上陸迄に第一線歩兵大隊の主力を上陸せしむ

 2、第三回以後は止むを得ざるも石花礁原中の水路等を利用し既に上陸部隊に

  対し機動力弾薬及通信能力を賦与す

  概ね今日午前中には第一線歩兵をして独力数日に亘り戦斗し得るに至らしむ

 3、直接戦斗に必要ならざる部隊及資材は輸送船油港廻航後揚陸す

  廻航時機は陸海軍協議す

 (以下省略)


 G攻略部隊の陸海軍の編制は次のように定められた。

海軍

 指揮官 第五根拠地隊司令官 少将 春日 篤

 第一護衛隊 

   津軽、夕月、ちえりぼん丸、横浜丸、ちゃいな丸

 第二護衛隊

   昭徳丸、べにす丸、日美丸、門司丸

 第三護衛隊

   菊月、卯月、くらあど丸、松江丸、太福丸

 第四護衛隊

   朧、聖川丸

 航空部隊  第十八航空隊

 第一哨戒部隊

   勝泳丸、弘玉丸

 第二哨戒部隊

   第六十駆潜隊(第八京丸、第十京丸、珠江丸)

   第五九駆潜隊(第五昭南丸、第六昭南丸、昭福丸)

 掃海部隊

   第十五掃海隊(第二文丸、第三関丸)

 通信部隊

   第五通信隊

 防備部隊

   第五防備隊

 陸戦部隊

   陸戦隊一コ大隊

 望楼

   ロタ、モウグ各望楼

 グアム島攻略支援部隊 

   第六戦隊 重巡 青葉、衣笠、加古、古鷹

陸軍

 南海支隊

   支隊長 少将 堀井富太郎

 第五十五歩兵団司令部

 騎兵第五十五連隊第三中隊

   同     速射砲第一分隊

 山砲兵第五十五連隊第一大隊

 工兵第五十五連隊第一中隊

 第五十五師団通信隊の一部

   同   衛生隊の一部

   同   第一野戦病院

   同   病馬廠の一部

   同   防疫給水部

 野戦高射砲第四十七大隊の一中隊

 船舶部隊

 歩兵第百四十四連隊

    連隊長 大佐 楠瀬正雄

    第一大隊 長 中佐 塚本初雄

    第二大隊 長 少佐 堀江 正

    第三大隊 長 少佐 桑田玄四郎

    連隊砲隊

    通信隊


 旗艦となる津軽は、敷設艦ではあるが、竣工したのは昭和十六年十月二十二日であり、新鋭艦であり、排水量約四、四六〇トン。全長百二十四・五m、速力二十ノット、一二・七糎連装高角砲二基四門、二五ミリ連装機銃二基、九五式爆雷一八個、九三式機雷六〇〇個、零式水上偵察機一機等、軽巡並の性能性格の多目的艦であった。


 堀井南海支隊長は、十七日歩兵第百四十四連隊長楠瀬大佐以下各大隊長及連隊付を招致して、グアム島攻略に関する企図を示し、二十日攻略に関する支隊命令を下達した。


堀作命甲第七号

            昭和十六年十一月二〇日 〇九〇〇

一 瓦無島の敵情特殊兵要地点図の如く又地形の実況空中写真の如し

二 支隊は瓦無島を攻略せんとす

 之が為主力を以て油港海軍基地を、一部を以て阿賀市を占領確保す

 ⑴上陸開始を概ね十二月 日 時と予定し其の作業予定

  別紙第一其の一、其の二の如し

 ⑵第四艦隊の一部協同す 其の兵力別紙第二の如し

 ⑶航行のため警戒航行序列別紙第三の如し

 ⑷上陸要領別紙第四の如し

 ⑸通信及標識別紙第五の如し

 ⑹作戦地に於ける日出、日没、月齢及潮汐表別紙第六の如し

三 楠瀬部隊及塚本支隊は別紙第七に基き行動すべし

四 揚陸作業隊は支隊主力の揚陸に任ずべし 上陸一段落後塚本支隊配属の揚陸

 作業隊の一部を復帰せしむる予定

五 騎兵隊(一分隊及速射砲一分隊欠)は予備隊とす 主力を以て概ね第三回に

 徒歩上陸し馬田に集結すべし

六 支隊通信隊(有線一分隊欠)は各一部を以て第一回に上陸し 司令部と楠瀬

 部隊、塚本支隊及堀江大隊との連絡に任ずべし

七 輜重隊は各一部を以て所要に応じ第一線部隊の前進に協同すべし

八 野戦病院は各一組の戦闘救護班を楠瀬部隊の第一線大隊に跟随こんずいせしめ患者の

 救護に任ぜしむべし 又予め「くらあど丸」及「べにす丸」に船内救護所を設

 備し水際戦闘一段落後の患者収容を準備すべし 又阿賀市及須磨町占領後既設

 病院を利用する病院の開設を準備すべし

九 衛生隊は第一線に引続き上陸し患者の収容に任ずべし

 患者集合所の掩護に関しては歩兵大隊と協定すべし

十、十一 省略

十二 予は左の如く行動す

 1 乗船より集合点行軍末期迄 横浜丸

 2 集合点末期より上陸当日第一回上陸迄軍艦津軽

 3 第二回上陸部隊と共に津軽より楠瀬部隊主力上陸海岸に上陸

 4 昭和町に進出し該地に戦闘司令所を開設す

 5 爾後の行動は別定するも先づ速かに須磨町に前進す

           南海支隊長  堀井 富太郎

 (別紙一から六 資料なし)

『別紙七』の楠瀬部隊と塚本支隊の任務

 楠瀬部隊

  一 主力を以て須磨町及表半島内敵軍事施設の占領

  二 有力なる一部を以て天上山及茶屋山の占領

  三 爾後油港内敵海軍施設の占領準備

  四 輸送船護衛の為僅少の一部を以て松山ー昭和町道東方高地上の敵堡塁砲

   台の占領

 塚本支隊

  一 速かに阿賀市及付近諸設備(政庁、有線及無線電信局、電話局、飛行場

   水源地等)を占領したる後茶屋山北側高地以北の各高地占領引続き茶屋

   山、天上山の攻撃に協同

  二 所要に応じ一部を以て「アツサシ」人屋を占領し爾後海軍陸戦隊の実施

   する半島攻略に協同す


 海軍各部隊は、十一月二十日から月末にかけて集合地点の小笠原諸島の母島に向かった。

 南海支隊は十一月二十二日から二十四日にかけて、四国坂出港にて乗船し、逐次出航して母島に向かった。


 十二月一日

   南海支隊長に対する命令

大陸命第五百七十号

    命  令

一、帝国は米国、英国及び蘭国に対し開戦するに決す

 南方軍は十二月X日進攻作戦を開始し速に比律賓、英領馬来、蘭領印度の各要

 域等を攻略す

二、南海支隊は海軍と協同し十二月X日以降速にGを攻略すべし

 右の攻略終了後に伴い同地に兵力を集結しR諸島に向う爾後の作戦を準備すべ

 し

三、南海支隊長は十二月X日以前左記事項を行うことを得

 敵航空機の我船団等に対し反復偵察を行う如き場合は之を撃墜す

四、細項に関しては参謀総長をして指示せしむ

  昭和十六年十二月一日

奉勅伝宣              参謀総長 杉山 元

  南海支隊長  堀井富太郎殿


 このグアム上陸の模様を第一四四連隊陸軍少尉の柳場豊氏の手記から抜粋しよう。


「昭和十六年九月二十六日、高知の歩兵第一四四連隊に動員が下令された。

(中略)

動員完結後は、すぐ出動するものと思っていたが、なかなか出発命令は出なかった。待命期間中は、高知で連日演習と訓練が行なわれ、日曜祭日もなかった。いままでの訓練のほかに、特別訓練として、作業手教育、交通路開設、軽渡橋架設、石花礁地点の上陸要領、自転車、自動車部隊の行軍等の演習が実施された。そして、日曜日の午後は、大隊の将校にたいして大隊長の予想戦場の図上教育も行われた。

 一ケ月半の待命期間ののち、やっと出発命令が出て、十一月十七日、営庭において出陣式が行われ、私は名誉ある軍旗誘導将校を命ぜられた。

 十一月二十一日は、待ちに待った高知出発の日であった。私は、輸送副官を命ぜられ、軍装その他の準備を完了して、夜になるのを待った。雨天と闇夜に乗じて、歩兵第一四四連隊は、ひそかに営門を出て、朝倉駅に向った。軍用列車は、午後十時に朝倉駅を静かに出発した。

 翌二十二日午前三時二十分、坂出駅に到着下車し、塩の倉庫のなかで仮眠して夜明けを待った。夜が明けると晴天で、すがすがしかった。

 わが小隊は、名誉ある軍旗護衛小隊を命ぜられたので、中隊と別れ、連隊本部の輸送船日美丸に乗船した。夕方、出帆した。二十三日、雨にもかかわらず静かな瀬戸内海を航行し、淡路島沖に碇泊した。私は、本日から一日交代で見張り隊長に服務するよう命ぜられた。二十四日早朝、紀淡海峡を通過した。本日は晴天にもかかわらず波浪高く、船がゆれ、私は見張序を巡察するうちに船に酔い、昼食は吐し、夕食はまったく食べれなかった。

 しかし、翌二十五日には波が静まり、海上が鏡のようで、気分が良かった。小隊にも船酔者が何人かいたが、総員、乗艇訓練が行われた。

 二十七日夜明け前に父島に到着、奇異な形をした岩の朝景色は、じつに美しかった。母島に到着して碇泊した。母島では毎日、索梯の昇降とか上陸訓練が行われたが、訓練の合い間には、勤務者以外はのどかに太公望などをしていた。」

 (柳場豊著「南海支隊グアム・ラバウル占領秘話」太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々所収、潮書房)


 航空支援を行う第十八航空隊は十一月四日以降数次にわたり高高度写真偵察を行い、グアム島の情報分析を行い、次のとおりその情報を陸海軍部隊に提供した。

 ⑴大宮港には油槽船及砲艦らしきもの各一隻外に小艦艇二隻程度在泊す

 ⑵陸上飛行場は存在せざるものの如し飛行機(水陸共)の発着を認めず

 ⑶陸上砲台の位置、数共に不明にして陸兵の数亦不詳なるも道路の急設状況等により推察し見張及砲台等は相当設備しあるものの如く警戒の要ありと推定す

 ⑷「澄崎」の兵舎、海底電信所、燃料「タンク」及「阿賀市」の海軍工場、無線電信所等の如き著名目標は偵知し得たるも其の他火薬庫、小兵舎等は不明なり

 ⑸付近敵艦艇の航行及飛行機の飛行するを認めたることなし


 十二月四日〇九〇〇、グアム島攻略部隊は、母島沖港を出撃していった。

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