第十一話 赤柱半島の激戦と総攻撃準備

 香港の南に突き出した半島が赤柱半島である。半島は咽喉部の正面は二五〇米だが、縦深は三キロにも及ぶ。咽喉部は平坦でその距離は短いが、逆に見通しはよく、頑丈な建築物はトーチカ代わりの陣地として十分に利用でき、後方には支援する砲台があり、鉄条網を張り巡らした要塞群も存在していた。

 英軍の一部は赤柱半島に退却したが、その陣地は強力であった。第一線陣地は赤柱山と石山を結ぶ線で頑強に日本軍の進撃を阻止しており、さらに英軍の重砲隊の射程距離内にあった。

 二十二日二一〇〇、佐野師団長は折田大隊と野戦重砲第十四連隊第六中隊の十五榴弾砲二門を江頭少佐の指揮下に入れた。

 

 江頭部隊は配属の山砲一中隊を糖塊山北方高地に配置して、二〇時を期して夜襲を開始し、二十二時に赤柱山を占領、翌二十三日三時に石山を占領した。

 しかし、二十三日天明後、英軍は逆襲を試みて赤柱山と石山を奪回してしまった。日本軍も同地に対して砲撃を加えたために、英軍部隊は陣地を保持できずに後退していった。

 この英軍部隊の攻撃は、赤柱村付近での陣地構築のための陽動作戦でもあったことは日本軍は知らない。

 この英軍部隊の反撃で、日本軍の急激な進撃は阻止されたために、英軍の陣地再編に大きな影響を与えた。

 ワリス旅団長は激戦で疲労しているロイヤル・ライフル大隊を赤柱要塞内まで下げ、ミドルセックス及び義勇隊の各ニコ中隊を最前線へと送り込んだ。

 

 佐野師団長は独立工兵第二十連隊第三中隊を江頭部隊に配属し、夜襲決行を期待して、激励文を送った。


師団主力方面は赤柱半島より射撃を受くること大なり 貴隊の赤柱半島攻略の如何は師団戦闘進捗の鍵をなせり 御奮闘大に多とす 更に一段の勇を奮い折田大隊重砲及山砲を確実に掌握し赤柱半島攻略に邁進せられよ


 しかし、江頭少佐は二十三日の夜襲は決行しなかった。これに対し少佐は次のように報告した。


江頭部隊長より参謀長へ

部隊は昨夜半行動発起の決心を採れるも状況に依り中止せり

本日中に後方を整理し更に半島入口付近の敵情地形を確認の上本夜攻撃を決行せんとす

 各配属部隊の掌握完了 腹案確立 満を持して待機中なり


 日本軍は

左翼隊 歩兵第二百二十九連隊第一大隊、軽装甲車中隊

右翼隊 歩兵第二百三十連隊第一大隊

砲兵  山砲兵一中隊、十五榴弾一中隊

其他  工兵一中隊、独立騎兵中隊

    師団無線一文隊、衛生隊及防疫給水部の一部


で陣容を整え、英軍は

第一線 ミドルセックス連隊第一大隊の二コ中隊

    香港義勇隊 二コ機関銃中隊

予備隊 ロイヤルライフル連隊第一大隊の三中隊

砲兵  二十四糎カノン砲三

    十五糎カノン砲四

    七・五糎高射砲六

の陣容で日本軍を迎えうった。


 二十四日の午後、山砲と十五榴砲は砲撃を開始した。山上からの砲撃は見事に敵の立て籠る建物に命中破壊するが、全てというわけにはいかない。山砲弾は威力が小さく跳ね返される。十五榴砲の射撃は二十分ほどで止んだ。

 日没と共に今度は英軍からのお返しの砲撃が見舞われた。日本軍の夜襲を恐れてか、照明弾の打ち上げと探照灯の照射により、昼間のように明るい。


 二〇時と共に部隊は行動を開始。第一中隊は赤柱山に向い、第十中隊の一小隊は石山に向かった。第一中隊は猛烈なる射撃を受けて、全小隊長が死傷することとなったが、どうにか両山共に二十四時頃には奪取に成功した。そして、半島の咽喉部三叉路に達したが、敵機銃の反撃のために、第二中隊長の長田中尉が負傷し、全員が路上に伏せて銃火を避ける形で身動きが取れなくなった。

 

 折田大隊は二十三時、装甲車を先頭として東海岸道を前進していったが、障害物の突破に際して装甲車三台が敵速射砲の餌食となってしまった。

 江頭部隊長は、第二中隊長を菅沼中尉に代理を命じて、手榴弾攻撃を命じたものの、効果はなく、大隊砲を呼び寄せて零距離射撃でもって敵機銃を沈黙させたが、しばらくすると、再び射撃を送ってきた。

 工兵隊は今度は爆薬をもってトーチカ破壊に尽力を捧げ、火焔放射機も使用して建物を攻撃したが、敵は敢然と反撃を維持していた。

 第二中隊は敵陣に挺身して手榴弾戦を演じていたが、払暁と共に英軍の十字砲火の中で身動きできず、中隊長代理の菅沼中尉も負傷したほか、死傷者の数も増えていった。


 第五中隊は第三小隊の鎌田少尉は二十三名を率いて尖兵隊として、西海岸に出て鉄条網の切れ目を求めて海辺を進んでいた。中隊主力からは千メートル程先に進み、鉄条網の切れ目を見つけた。だがその上は英軍陣地の中心部でもあった。敵の銃弾も注ぐなか、鎌田少尉は中隊長に対し

「二十五日〇五三〇を期して一六〇高地に対し突撃を敢行す 支援射撃を頼む」

 との伝令を派遣し、自ら小隊を率いて一六〇高地に突進した。敵陣からの激しい銃弾は小隊に注いだ。

 二十五日夕刻には両軍の銃撃は下火となったが、江頭部隊の前進は阻まれたままで、いわゆる両軍対峙となった。

 英軍が降伏後、戦線の戦場整理が行われたが、一六〇高地には、重傷の鎌田少尉の姿と小隊の戦死者十五名の遺体があったのである。


 師団司令部では、ようやくここに来て戦線の状況が把握できることとなったが、意外にも第一線部隊の死傷者が多く、特に将校の損害が大きかった。まして交代部隊もない故に将兵の疲労も限界に近かったのも感じ取れていた。しかも、予想外に英軍の陣地はこの先に強力な複郭陣地が存在し、天然の峻嶮な山地を利用したものであり、この先の作戦遂行に前途多難なるのを感じていた。

 佐野中将は新な将兵の追加はできないものの、第一線に必要な弾薬、糧食の補充を命じ、負傷者の収容も顧慮しなければならなかった。ここは師団の全兵力を集めて、英軍の半永久陣地を攻略しなければならなかった。

 司令部では、最重要の攻撃計画を第一次と第二次に分けて、総攻撃を実施するよう考えた。


第一次攻撃  二十五日薄暮より二十六日払暁

 二十五日薄暮展開を完了し、先ず湾仔山峡北西高地、二八一高地、鴨巴甸貯水

 池北西高地を奪取ののち、二十六日払暁までに歌賦山、奇力山を攻略する

第二次攻撃  二十六日朝より二十八日迄払暁

 二十六日敵情捜索、攻撃準備を整えたのち、二十七日薄暮攻撃前進して、二十

 八日払暁まで扯旗山、西高山を奪取する


 そして、この総攻撃に対しての注意点は次のように検討された。


一 攻略方法に就て

 国境突破以後数度の体験に基き各部隊は夜襲に関し絶対に自信を有し、此の自

 信は師団将兵間に於ては如何に堅固なる陣地と雖も夜襲を以てすれば必ず之を

 奪取し得べしとの信念に迄昂められたり

 従って爾後の攻撃に於ても毎夜一要衝宛逐次攻略するを以て最良の策とせり 

 尚香港島の如き狭地域に存在する要点に対しては爆撃并に砲火の威力特に大な

 るを以て昼間午後若くは薄暮より引続く砲爆撃の成果を利用し夜襲に移るを適

 当と認められたり 尚翌夜引続き敵要衝を攻略せんが為には前半夜攻略せる地

 点に後半夜に於て工事を実施し 昼間の敵火力に対応するの要あり 従って第

 一回夜襲は自ら前半夜に限定せらる


二 攻撃期日に就て

 攻撃は香港島に於て予想外に停頓せるに鑑み一日も速かなるを可とするは論を

 俟たず 然りと雖も砲兵隊をして競馬場付近及「ニコルソン」山南北の線に展

 開せしめ第一線に協力せしめる為には摩里臣山金馬倫山北側地区を確実に我が

 掌中に収むるの要あり

 而して二十五日迄には概ね該地域を確保すべしとの予想なりき 又赤柱攻略に

 使用しある兵力も此の攻撃に参加せしめ度き希望を有せしが 同半島の攻略を

 恐らく二十四日迄には完了するならんと判断せり


三 其の他本攻撃に於ては特に各種砲兵の威力を期待し攻撃準備間 某一定時間

 に全砲兵を以てする鉄槌射撃を実施し或は終夜間断なき擾乱射撃に依り敵を震

 撼せしめ其の神経を衰弱せしむる等各種の工夫を擬らせり 尚神経戦強要の好

 機を「クリスマス」前夜たる二十四日に求む

 又本攻撃間に使用すべき弾数を左記の如く準備す

   左 記

 イ 攻撃準備間  三基数

 ロ 第一次攻撃間 一基数半

 ハ 第二次攻撃間 一基数半


 佐野師団長は麾下部隊に対し二十三日夜命令を下達した。

   第三十八師団命令   十二月二十三日 二〇〇〇

               香港島北角

一 敵は依然最後の抵抗を企図しあるが如きも其の勢威逐日凋落しつつあり 其

 の防禦配備師団沼参乙情第五号情報記録の如し (第五号記録散逸)

 右翼隊は本二十三日概ね金馬倫山南北の線を攻略し爾後の攻撃を準備中なり

 左翼隊は依然「ブリックヒル」を確保し本夜香港仔西側高地を奪取する筈

 赤柱半島攻略部隊は作二十二日夜夜襲を以て赤柱山、石山の線を奪取し 重

 砲、高射砲及戦車を有する敵と相対峙しあり 本薄暮を利用し攻撃に前進する

 筈

 軍砲兵隊及飛行隊は依然師団の戦闘に協力す

二 師団は明後二十五日夕迄に摩里臣山、金馬倫山、「ベンネッツ」山の線に展

 開し 重点を金馬倫山、歌賦山、扯旗山の方向に指向して敵陣地の要衝を逐次

 攻略し香港全島の攻略を完了せんとす

 其の攻略要領を概定すること別冊の如し

 但し状況に依り一挙扯旗山、西高山の線に進出し香港全島の掃蕩を迅速に完了

 すべきことあるを予期す

三 右翼隊は摩里臣山、金馬倫山の線に展開し 明後二十五日薄暮攻撃を開始し

 別冊攻撃要領に基き 湾仔山峡、倉庫山峡、歌賦山、扯旗山の敵陣地要衝を逐

 次攻略すべし

四 左翼隊は明二十四日「ベンネッツ」山を攻略し「ベンネッツ」山南北の線に

 展開し 明後二十五日薄暮攻撃を開始し別冊攻撃要領に基き、奇力山、西高山

 の敵陣地要衝を逐次攻略すべし

 尚一部を以て鴨巴甸市街地掃蕩の準備にあるべし

五 戦闘地境故の如し

六 赤柱半島攻略部隊は依然現任務を続行すべし

七 砲兵隊は別冊攻撃要領に基き 先づ主力を以て競馬場、「ニコルソン」山付

 近 一部を以て「ニコルソン」山南側に陣地を占領し 敵砲兵の撲滅竝に敵陣

 地設備特に湾仔山峡、倉庫山峡、歌賦山、奇力山、扯旗山及西高山陣地の破壊

 に任ずると共に主力を以て右翼隊 一部を以て左翼隊に協力すべし

  (以下省略)

  

  複廓陣地攻撃要領

一 攻撃準備(自二十三日朝至二十五日昼間)

 特に敵情の捜索、敵砲兵の撲滅陣地設備の破壊に勉む

 又鉄槌射撃終夜間断なき擾乱射撃に依る神経戦を強要す

  各部隊の関係次の如し

 ⑴ 両翼隊

  敵情捜索に重点を指向すると共に攻撃陣地を強化す

  特に敵の逆襲を顧慮す

  両翼隊重火器は特に敵の重火器を求めて撲滅す

 ⑵ 配属砲兵及師団砲兵隊

  湾仔山峡、倉庫山峡、歌賦山、奇力山、雑多利山峡、

  扯旗山及西高山の敵火力巣の撲滅竝に陣地設備破壊に任ずると共に攻撃準備

  中の我が両翼隊を射撃する敵砲兵の制圧に任ず

  又某一定時間に全砲兵を以てする鉄槌射撃を実施し或は終夜間断なき擾乱射

  撃に依り敵を震撼せしめ其の神経を衰弱せしむ

  特に其の好機を「クリスマス」前夜たる二十四日夜に求む

  師団砲兵隊の陣地を競馬場及ニコルソン山南北の線とす

  又此の期間の使用弾数を三基数と予定す

 ⑶ 軍砲兵隊に対しては特に敵砲兵ほ破壊制圧を要求す

 ⑷ 軍飛行隊に対していは敵陣地要衝の写真偵察竝敵砲兵及艦艇の爆撃を要求す

二 第一次攻撃(自二十五日薄暮至二十六日払暁)

 両翼隊は二十五日薄暮展開線を出発 先づ湾仔山峡西北側高地、二八一高地、

 鴨巴甸貯水池西北側約五〇〇米閉鎖曲線の高地を攻略し該線に於て隊伍を整頓

 したる後二十六日払暁迄に歌賦山、奇力山を攻略す

三 第二次攻撃(自二十六日朝至二十八日払暁)

 二十六日及二十七日昼間歌賦山及奇力山の線に於て攻撃を準備し両翼隊は二十

 七日薄暮該線出発概ね第一次攻撃の要領に依り二十八日払暁迄に扯旗山及西高

 山を奪取敵の死命を制す


 作戦に協力する北島砲兵隊は、保有する残弾が少なく、発射できる弾数に制限を設けざるを得なかった。

 即ち、重砲兵第一連隊は

  二十五日  一二〇発

  二十七日   三〇発

    独立重砲兵第二大隊

  二十五日  二八〇発

  二十六日  一九〇発

  二十七日  一三〇発

    独立重砲兵第三大隊

  二十五日  昼間一〇〇発

        夜間三〇〇発

  二十六日  二〇〇発

  二十七日  二〇〇発

 

 この総攻撃に使用する砲弾は、後のバターン戦、コレヒドール戦におけるものと比べたら如何に少ないかわかるであろう。

 だが、総攻撃開始は、第一線部隊の右翼隊と砲兵隊との協同作戦の歩調から、攻撃開始日を二十六日薄暮に延期せざるを得なかった。佐野師団長は、攻撃準備の周到を期することを第一として、第一線部隊の無理強いを避けたのである。

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