第九話 上陸二日目の戦闘

 九龍にある師団司令部では前線からの報告があまりなく、進捗状況について不安にかられていた。

 二十日の午前十時頃にようやく東海林部隊長からの伝書鳩による連絡が入った。 発信時刻は〇七四〇後である。


 東海林部隊長より参謀長へ(〇七四〇)

一 弾薬は北角に於て補充する如く指示ありたるも目下交戦中にて運搬の処置な

 し 師団に於て補充手配ありたし 目下弾薬の大分を使用し尽したり

二 九龍に残置しある青木部隊(独立速射砲第五大隊)を至急追及せしめたれた

 し

三 連隊は「ジャディネス」看視山西南方約五〇〇の地点に於て敵砲台及高射砲

 「トーチカ」地帯を奪取し目下尚「ニコルソン」山に於て交戦中

四 将校以下二五〇の戦死傷あり当隊の衛生隊未だ到着せず

 至急追及方取計われ度

五 一同志気旺盛なり


 佐野師団長は九流で指揮するには不便を感じ、速やかに香港島に前進して各部隊の掌握を図り、的確なる戦闘指導を望んでいた。二十日昼、九龍を出発して大湾付近で大発に乗艇してブレーマー角南西側に司令部を進出させた。しかし、この際に敵砲台から砲弾の雨を浴び、舟艇は破損しながら人員は無事上陸に成功したが、揚陸物資は砲撃により炎上していた、師団長以下敵砲弾を避けるように逃れて司令部を設置した。

 

 孤立して弾薬も不足に陥った東海林部隊は、各自壕を掘って十数メートル先の英軍と対峙していた。すぐ隣には土井部隊がいたが、伊藤中尉を連絡将校として派遣したものの、土井部隊長には連絡できていない状況であった。雨も粛々と降っており、死傷者の収容もできない状況であった。

 阿部参謀長は午後土井部隊が布陣している赤柱山峡を訪れて、眼下の東海林部隊の方面を視察した。


 東海林部隊長は十五時頃、連隊副官の関谷大尉を伊東右翼隊長及び土井部隊長の下に派遣して戦況を伝えさせた。

 降っていた雨は夕刻になるに従い強さを増してきていた。そんな折、司令部から親泊参謀が東海林部隊の状況が心配になり、前線の部隊まで辿り着いたのである。


 親泊参謀が東海林部隊長に伝えたことは以下のことであった。


 ●師団司令部は大沽造船所南側にあり。

 ●師団主力の上陸及前進は英軍の予想外の抵抗に遭遇し、全般に遅延し作戦に

  錯誤を来している。

 ●伊東部隊長及土井部隊とは連絡がとれているが、田中部隊とは今朝から連絡

  が途絶えている。

 ●東海林部隊は黄泥涌五叉路付近に於て全滅せりと耳にした。師団長が心配し

  て自分を派遣したのだ。

 ●東海林部隊は師団上陸地の右側に相当の兵力を配置しているものと思ってい

  たが実際は配置がないために、掩護のために師団直轄部隊の一部を配置する

  よう手配した。

 ●死傷者収容のために衛生部隊を急派する。弾薬糧秣も至急手配補充する。

 ●東海林部隊は明二十一日有力なる部隊を礼屯山方面に派遣して同方面を占領

  する準備せよ。


 東海林部隊長は、礼屯山攻撃に関しては、死傷者の収容ならび弾力糧秣の補給が終わり次第行動する旨を師団長に意見具申されるよう参謀に依頼した。親泊参謀は之を了承した。


 二十一日連隊副官の関谷大尉が伊東部隊長及土井部隊長との連絡任務を終え帰隊し、以下の状況を東海林部隊長に報告した。


一 伊東右翼隊長、土井部隊長、岩淵工兵隊長は五叉路東北方約二粁の占領した

 英軍トーチカ内に在り。英軍による砲撃のため前進を妨害され、予定の如く行

 動し得ず。

二 土井部隊はニコルソン山を占領するため、今夜行動を開始す。

三 東海林部隊は現攻撃中の英軍陣地を突破し、土井部隊の前進に連繫しニコル

 ソン山頂北側高地を速に占領すべし。

四 衛生隊は五叉路東方約千五百の道路付近に繃帯所を開設する筈

五 師団及師団砲兵諸隊は香港島に上陸陣地占領中で、明朝から射撃を開始する

 筈

六 東海林部隊は速かに歩兵団司令部と連絡を開始すべし。


 日没後、第八中隊より

「競馬場付近に相当の英軍部隊存在あり」

 との報告を受けた東海林部隊長は、第二大隊の第六中隊と大隊砲一分隊を同地に派遣した。

 

 土井部隊は二十日朝からニコルソン山に対する攻撃を開始した。

 第一中隊は五叉路付近に進出してニコルソン山に攻撃を仕掛けたが、地形が険しく中隊の展開が困難で、さらに敵砲台からも砲撃を受けて第二小隊は死傷者が発生した。

 ただ日暮と共に濃霧が発生してニコルソン山一帯は何も見えなくなった。この霧こそ天の味方と土井部隊長は判断し、第一中隊に山頂をこの機に占領するよう命じ、第一中隊は険しい山を登り山頂を占領した。山頂の面積は狭く、付近には一コ分隊を配置し、主力は東側反斜面の死角を利用して壕を堀り夜を徹した。


 早川大隊は神戸中尉の第二中隊を山上に派遣しさらに右前方へ前進を命じ、間瀬中尉の第三中隊は中央山峡道を前進して、三七九高地東西の線を二二三〇に確保成功する。

 

 監物大隊は尖兵中隊を日下部中尉の第十一中隊として、工兵一小隊、速射砲一小隊を配属して前進した。

 大隊本部、第九中隊とこれに続いた。


 尖兵中隊は集水溝に沿う小径を前進していたが、だんだん道幅が狭くなり、一列縦隊での前進となり、さらに夜道の前進は遅々としたものとなった。約一キロほど前進したところで、突如断崖下の建物から照明を受けて射撃を受けた。日下部中隊長はその建物を排除すべしと思ったが、断崖下に降りるすべがなく、照明を避けるようにして前進した。だが、道はますます険しくなり、断崖絶壁の道を進んでいた。下にはゴルフ場と思われる地点であったが、降りていく道はなく、断崖の道をさらに南下した。

 後方の監物大隊長は急ぐよう励ましていたが、行進の速度は早くはならない。ホテル北側付近まで到達していたが、険しい道のりに行進は停止せざるを得ないほどだった。暗夜では狭い険しい道のりの集団行動は不可能に近いものだった

 主力部隊の杉浦中尉は監物大隊長の下に派遣され、

「速かにゴルフ場方向へ前進すべし」

 と伝えるとともに、後続部隊は小休止となった。空が明るみ始めると部隊は前進を開始したが、田中部隊長は前方を眺めると眼下には不夜城の一郭があり、前方には春炊湾が見えるではないか。監物大隊は目標とは反対方向に前進していると判断した。杉浦中尉が監物大隊から帰ってきて報告した。


一 第三大隊長はゴルフ場への降下地点の発見ができず、ホテル東北側にあって

 降下地点を捜索中である。

二 進路上には兵が充満し居眠りをしていて通行は困難。

三 眼下の大きな建物はホテルで、多数のパジャマ姿の民間人が泊まっている。


 第三大隊監物大隊長は〇五〇〇頃空が明るくなりつつあるのを見て、集水溝から海岸へ降下を決意して、大隊本部員と共に三二四高地南西側の崖を降り始めたが、高さは約七十メートルほどあり、容易なことではなかった。第九中隊も降下している。各個木々を伝い危険を冒しての降下であった。大隊長はホテル前に集合を命じ、ホテル前車庫に進出した。

 監物大隊長は集結が完了した第九中隊に対して、ゴルフ場西側高地に進出するよう命じた。


 一方先行していた尖兵中隊は、大隊本部と第九中隊が降下したことを知らずに、前進を続けて三二四高地に達してから海岸道に進出した。そして西へ向いホテル前に到着して後続を待った。

 監物大隊長は部隊集結を待っていたが、第九中隊が出発した後に、ゴルフ場方向に銃声を聞いた。情況を把握したい大隊長は、本部の一部を率いて銃声に方向に出発し、副官の青木中尉に各隊集合次第追及せよと言い残して出発した。

 其後ホテル前に集結していた第十一中隊を発見して、同中隊を率いて海岸道を西進した。午前六時頃であった。

 監物大隊長はペプリン高地西側付近に進出し、夜明けで明るくなり視界は開けてきた。

 周囲を捜索中に後方ホテル方向に銃声を聞き、ペプリン高地に英軍の姿を発見したので、尖兵中隊を率いて同高地に向け前進を開始した。


 第九中隊に続行していた第三機関銃中隊は、急斜面を降下しようにも、重火器の搬送は困難であり、他の降下地点を探す内に、敵の銃撃を受けるに至った。

 最後尾に第十二中隊は下方に銃声を聞きつつ、ホテル北東に達したが、敵の射撃を受けた。

 

 一四三高地占領の命を受けていた林小隊は、十九日日没と共に黄泥涌貯水池付近を出発し、夜暗に紛れて敵戦線内を進み、ニコルソン山南麓の小径に沿い香港仔方向からゴルフ場西側高地に到着した。其後一四三高地の英兵を急襲して二四〇〇頃に占領を果たし、林小隊は同高地を占領確保した。

 第九中隊は、ホテル前を出発して西進中ゴルフ場南東側で英兵と交戦撃退し、ゴルフ場を越えて西進を続けた。夜明け頃、香港仔南方三叉路付近で、突然英軍の自動車部隊と交戦してこれを撃退させたが、英軍陣地の集中砲火を浴びて死傷者が増加しはじめた。遮蔽物らしき物はなく、釘付け状態となり、死傷者も二十五名に達した。夕闇と共にやっとブルックヒル北側高地に移動して身を隠すことができた。

 

 左翼隊は険しい山道を進み、到着した地点はホテル周辺という意外な場所であった。

 夜明けと共に、ホテル周辺に陣を敷いていた英軍部隊と交戦することになり、日本軍部隊は予想外の戦闘に巻き込まれた。戦闘は最前線で起こるが、今回は後方を進む大隊本部が敵の射撃を受けることとなった。


 第三大隊本部の兵は警戒中、ふらりと現れた英兵を発見して発砲した。驚いたのは英軍も日本軍もである。ホテルとその南西にある建物から猛烈なる射撃を受けた。日本軍は十七名しかいない。指揮をとる青木中尉が早くも貫通銃創を受け重傷。戸倉中尉が代わって指揮をとったが、十七名のうち六名が戦死し、全滅は時間の問題であった。友軍部隊は付近には存在せず、すぐには知らせられない情況であった。


 左翼隊長の田中大佐は、ホテル北側を集水溝に沿い徐行中であったが、下方に銃声を聞いたが、朝靄のために情況が判明しないまま、前進を続けていると、部隊周辺にも敵弾が飛んできた。田中大佐は部隊を停止待機させ、周辺を探索させると、ホテル前で我日本軍と英軍とが交戦中であることが判明し、さらに別の建物からも銃撃を受けていることがわかった。

 大佐は部隊を展開させて、ホテル周辺をふさぐように配置した。

 その頃第三大隊監物大隊長は、第十一中隊を指揮してペプリン高地上の英軍を攻撃して、ホテル方向へ引き返そうとしていた。

 田中大佐は第三大隊に連絡将校を派遣して、直ちにホテルに立て籠る英軍の撃滅を命じた。


 英軍は八時頃、赤柱半島の海岸砲と高射砲で、三二四高地とペプリン高地に砲撃を開始してきた。赤柱山の北方高地からも重火器の射撃を三二四高地に集中してきた。

 一〇時頃には戦車を伴う自動車部隊が海岸道を前進してきた。ロイヤル部隊の約一コ大隊である。英軍としては東西両旅団の分断を阻止しなければならなかったのだ。

 ホテル車庫内に閉じ込められた状態の戸倉中尉以下は踏ん張っていたものの、英軍の銃砲火はますます盛んになり、暗号書及び無線機を焼却破壊し、車庫にも砲弾による被害が出たために、血路を開くべく脱出し何とか成功することができた。


 英軍の増援部隊は一〇三〇頃ホテルに到着し、両軍の銃撃戦は夕刻まで続いた。

 一七〇〇頃には左翼隊本部脇にあった無線小隊に英軍の放った砲弾が直撃し、小隊長以下一コ分隊が全滅した。

 田中大佐は一七三〇頃に本部を出発して、ペプリン高地上の第三大隊監物大隊長のもとに訪れた。

 監物大隊長は、田中大佐に

「目下各中隊長と連絡中で、本夜中に態勢を整え、明日払暁から攻撃を実施する予定であります。ご安心願いたい」

 と報告し、大佐は

「大隊諸子の健闘を祈る」

 と伝えて、本部に帰っていった。


 ゴルフ場東側への進出のため進軍していた竹田中尉指揮の第七中隊は、ペプリン高地北側からホテルー黄泥涌五叉路に向かおうとしていた時に、道路脇の建物に拠る英軍と交戦し、これを撃退。海岸道に出た際に英軍の大尉以下三十名を捕虜とし、

ゴルフ場、海岸道、敵情地形を探索した。


 第七中隊は夜間ブリックヒル攻撃の任務を受け、敵銃砲火を避けるようにブリックヒルに進出し、二十一日払暁には同地を占領確保した。

 戦線は交錯しており、日本軍はなんとか英軍を撃退していたものの、作戦計画通りには進行していなかった。日本軍は英軍は上陸に成功すれば、すぐ白旗を挙げるであろうと、楽観視していたのだった。英軍の予想外の奮戦に軍司令部は不安を覚えていた。

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