第八話 土井部隊・田中部隊の激戦

 右翼隊指揮官伊東武夫少将は、左第一線の歩兵第二百二十八連隊と行動を共にした。

 第二大隊の木村少佐は、二〇五〇に折畳舟一〇隻を以て大湾全を出発した。

 二一五〇頃、右から第八、第七、第五中隊の順にブレーマー角から大沽造船所付近に上陸し、続いて予備隊の第六中隊と機関銃中隊、速射砲小隊が上陸した。

 上陸地点の英軍陣地は日本軍の砲撃でほとんど破壊されており、一部で残っていたトーチカ陣地から反撃を受けた。

 上陸地点は峻険な山地であり、暗夜もあって前進はあまり進まなかった。


 足立中尉率いる第五中隊の第二小隊長代田中尉は、二コ分隊を率いて英軍兵営の突入してインド兵多数を捕虜にした。

 市野中尉率いる第七中隊は、砂糖工場辺りに上陸したあと、ブレーマー山麓及南側の射撃場の両側から激しい射撃を受けてあっという間に十数名の死傷者を出したが、どうにか制圧して貯水池付近まで進出した。

 藤田中尉率いる第八中隊も砂糖工場付近に上陸し、工場内を通り抜けて海岸道から貯水池脇の小径からジャディネス看視北麓鞍部付近で天明を迎えたが、その後部隊は英軍の砲火にさらされた。

 第二機関銃中隊は、大沽造船所付近に上陸して単独にて造船所南方の貯水池堤防沿いをブレーマー山脚に進出して英軍の迫撃砲陣地を発見したため、これを襲撃した。鉄筋コンクリート製掩蓋内にいた守備兵約六十名を捕虜とし、砲六門も鹵獲した。

 木村大隊長は上陸後の部隊の掌握を図ると共に、連隊命令に基づき貯水池南側付近を占拠して橋頭堡の確保をして、爾後の戦闘行動に備えた。そして後続予備の第六中隊に対して畢拿山付近の敵情捜索を命じた。

 

 第一波上陸成功を確認した土井連隊長は、第一大隊、歩兵砲隊、通信隊に対して第二波としての上陸を命じた。

 第一波の上陸を許してしまった英軍は、残存するトーチカ及探照灯を以て第二波に備ていた。そして、第二波に対して猛烈なる銃砲火を加えた。上陸作業隊はひるまずに航行を続け、ブレーマー角付近に上陸を成功させた。


 土井連隊長は上陸とともに部隊を把握するやブレーマー西方海岸への集結を命じた。

 岩井中尉率いる第四中隊は、暗夜の中をブレーマー貯水池から大潭山峡に通ずる山間の小径を探りながら、一列縦隊にて前進した。途中英軍の抵抗を受けて死傷者は出したものの、暗い小径を前進していった。熊沢少尉の第二小隊が先兵となって前進を続け、〇四三〇頃に畢拿山北方高地付近と思われる地に達した際、不意打ちに射撃を浴びた第二小隊は熊沢少尉は重傷を負ったが、小隊はひるまずに突撃してこれを撃退して同地点を確保して天明を待った。


土井連隊長は残存する部隊を集合すると、五時頃に第一大隊の早川少佐に対して、

「先遣中隊の戦果を拡張せよ」

 と命じて、自らも第一大隊の後方を畢拿山に向い前進していった。

 天明過ぎに、部隊は大潭貯水池南側に布陣する英軍野砲からの砲撃を浴びた。歩兵砲隊が敢然と射程に捉えるべく進出して、この野砲を沈黙させこれを制圧した。

 第四中隊は畢拿山上のウイニペグ・グラナダス中隊を攻撃し、第六中隊もこの敵を激しく挟撃したことから、敵は退却を開始し、両中隊は手をとりあった。

 

 土井連隊長は畢拿山に到達したが戦況を鑑みて、一一〇〇に第一大隊に対してニコルソン山方面への攻撃続行を命じた。

 土井連隊長は畢拿山北側を迂回しながら西進し、第二大隊に対してジャディネス看視山の攻撃を命じた。

 

 第二大隊長の木村少佐は正午過ぎに各中隊長を集めて、攻撃に対する指示を与えた。


  右第一線  第五中隊

  左第一線  第六中隊

  第二機関銃中隊、大隊砲は同高地にて展開支援

 第一大隊の早川少佐は

   左第一線  第四中隊

   右第一線  第二中隊


 の態勢にて並行して西進していた。この後、両大隊は英軍の砲兵隊からの砲撃を浴びて前進は阻害された。

 この英軍部隊の砲兵隊は、一旦若松大隊が制圧したものであったが、部隊が移動した後に、再び英軍が配備につき、残っていた砲を使用して反撃してきたものだった。


 日本軍は歩兵砲隊と山砲第二中隊を以て、さらに第五中隊は砲火を冒してジャディネス看視山の英軍砲兵隊陣地に突入してこれを制圧占領した。

 第四中隊は第六中隊の掩護をしつつ、一六三〇には黄泥涌貯水池に進出して、英軍の十榴砲三門を鹵獲した。

 第一中隊は銃砲火の中を前進し、黄泥涌北側の機関銃座を攻撃占領し、十七時頃には黄泥涌山峡に進出して若松大隊と会した。


 左翼隊である田中部隊は、十八日午後香港島の英軍の砲撃にさらされがら、渡海準備を進めていた。右乗船場のヤウトンワンは死角で砲撃の影響は避けられたが、左乗船場のチョングルイは敵陣営からは視界中にあり、敵の砲弾が落下している中での準備となっていた。

 日本軍砲兵隊も英軍陣地に向けて砲撃を繰り返していたが、英軍の砲撃は止むことはなかった。

 そんな中、田中部隊は発進し、第一波は二一五八上陸に成功した。続いて第二波が発進したが、第一波の上陸で英軍は日本軍部隊の上陸に気付いて、反撃の銃撃を加えてきた。特に左第二波は敵の照射と銃撃を受けかなりの損害を出した。

 左翼隊長の田中大佐は軍旗を奉じて発動艇に乗り込み発進したが、航路の半ばほどで探照灯に捕捉され銃撃を受けた。船体は穴だらけになったが、木栓で穴を塞ぎながら浸水を防いで、対岸になんとかたどりつく有様であった。


 第一回上陸部隊配属の工兵第二中隊率いる岸中尉は、銃撃盛んに注がれる中上陸して、まずは砲台を沈黙させるべく部下を率いて砲台に近づいて突撃して砲台の占拠に成功。海岸を見ると探照灯がまだ味方の舟艇を照らし出しているのを確認して、探照灯を破壊すべく戻るところを負傷し、第三小隊長に命じて探照灯の爆破を命じた。

 小隊長は爆薬をもって投入し、トーチカの鉄扉を破壊し、内部の電䌫をさらに爆破して探照灯の光芒を消し去った。これにより爾後の部隊の渡海は順調に進んだ。

 第二中隊はこの活躍により戦後感状を授与された。


   感 状

            工兵第三十八連隊第二中隊主力

 右は昭和十六年十二月十八日香港島上陸戦闘に際し中隊長陸軍中尉岸秋正指揮の下に第三十八師団左翼隊左第一線たる歩兵第二百二十九連隊第二大隊に配属せられ上陸点付近の特火点障碍物及探照灯の破壊排除竝に砲台の占領を命ぜられ第一回上陸部隊として鯉魚門南岸砲台の一角に上陸を行うや 敵の銃砲火及探照灯の照明猛烈を極めたるも之に屈することなく或は白兵を揮い或は手榴弾を投じて敵の抵抗を破摧しつつ迅速機敏に敵防禦施設に近迫し 中隊長以下幹部の死傷続出したるも全員相励しつつ攻撃を続行して逐次敵砲台及特火点を占領し十九日一時堅固なる掩蔽部内に在りて左翼隊主力の上陸を妨害しありたる探照灯を爆薬を以て破壊し其の上陸企図を達成せしめたり

 是中隊長以下の旺盛なる責任観念と崇高なる犠牲的精神との発露にして真に工兵の本領を発揮せるものと謂うべく以て全軍の模範とするに足る 

 仍て茲に感状を授与す

   昭和十七年一月七日

 第二十三軍司令官  

         陸軍中将 従四位勲二等 酒井 隆 

 

 右第一線の監物少佐の第三大隊は、尖兵中隊の第十二中隊を市街南側高地に、速射砲を海岸道付近に配置して後続上陸部隊の掩護を命じ、後続上陸する部隊は海岸道に集結させた。

 十九日零時以降、上陸部隊は態勢を整えて前進を開始、第十二中隊を右第一線とし、第九中隊を左第一線として前進した。

 両中隊とも英軍の抵抗にあったが、大したこともなく前進を続けた。田中大佐は予備隊の集結を待って、第十二中隊の後方を百家山に向い前進を開始。暗夜の中、山道の前進は遅々としていたが、田中大佐が百家山北斜面の七合目付近まで来た時に、前方を進む第十二中隊の方向から激しい銃声が聞こえた。

 第十二中隊は大沽療養所付近に達した時に英軍陣地から銃撃を受け、中隊長中島中尉以下十名が戦死し、他に多数の負傷者を生じた。直ちに監物大隊長が予備隊を率いて前線に向い、この英軍部隊を制圧した。


 左第一線の尖兵中隊である第九中隊は同じ百家山頂付近の英軍を退却させた後、山頂を越えて急斜面を駆け下り、大潭貯水池東側に進出した。田中大佐は予備隊に同地へ向かうよう命じた。

 同じく左第一線を進む宮澤少佐率いる第二大隊は、第六中隊を左第一線とし、第八中隊を右第一線として前進した。

 第六中隊は上陸と共に二コ小隊を尖兵として、レームン砲台地域を柴湾山に向い前進した。左を進む一小隊は敗走する英軍を追って一気に高射砲陣地に突入してこれを占領。第六中隊の主力は柴湾山中腹の地下要塞に突入してこれを占領し、付近の英軍を掃蕩して柴湾山一帯を確保した。

 第八中隊は百家山東側を攻撃しこれを確保した。


 十九日午前三時頃には、英軍旅団長のワリス准将が、百家山を奪回する為に逆襲を計画し、砲兵支援の下にロイヤルライフル一中隊を派遣したが、第六中隊はこれを迎え撃って撃退に成功する。


 十九日未明、左翼隊の田中大佐は、暗さがまだ残っている中を進軍する途中、前方に激しい銃声を聞きながら、百家山南麓に達していた。第九中隊が貯水池南東側高地の敵陣地を攻撃中なるを見た。直ちに予備中隊を第九中隊の応援に派遣した。

 第九中隊が攻撃している英軍部隊はロイヤルライフル連隊の第二大隊と砲兵部隊であった。強力な部隊との戦闘であったが、敵勢力は不明であった。

 田中少佐は貯水池の東側道路まで進出したが、畢拿山南東側山道を西進する友軍部隊を見て、自軍部隊の進出が芳しいものでないことを痛感した。

 田中少佐は敵情を探索し攻撃計画を立てるべく思案していると、第三大隊が到着した。

 第三大隊の監物少佐には紫羅蘭山北方への進出準備を命じた。

 敵情を探索の結果次の様子を把握した。


一、英軍はニコルソン山を縦深にわたり堅固に守備し、その火力は大潭貯水池西

 南地区にまで及んでいる。

二、英軍砲兵は奇力山、金馬倫山方向から射撃中

三、右翼隊はニコルソン山を攻撃中で、黄泥涌五叉路付近に進出している

四 左第一線大隊とはまだ連絡がとれていない


 田中大佐は速やかに右翼隊に沿って攻撃前進し、香港仔東方高地線に進出することを決意し、第三大隊に前進を命じた。前進開始すると共に、第二大隊長からの無電に接し、大潭貯水池西南側にむけ進撃を急ぐよう命じた。

 第三大隊が前進を開始すると共に、ニコルソン山の英軍陣地からの反撃は第一線部隊に集中した。第三大隊は地形を利用して砲撃を避けながら前進を続け、一五〇〇には黄泥涌貯水池東側に進出したが、銃砲火が雨霰と襲い、部隊は釘付けとなった。


 一五三〇頃には監物少佐は

「現状では損害多数を招くので、夜暗を待ち攻撃前進するを有利とす」

 と意見具申を行うと共に、薄暮攻撃に準備をさせた。田中大佐は監物少佐の意見を許可し、第三大隊は薄暮攻撃に備えた。

 第二大隊も英軍部隊を駆逐して現場に急行してきた。

 

 第六中隊には左側背掩護の任務のために並木山に派遣し、同中隊は英軍が放棄した既設陣地を利用して陣地を構築して同地区の守備に任じた。

 田中大佐は戦闘の合間を縫って紫羅蘭山頂に登って敵情地形を探索し、仔東方山地は比較的低く、その南端の一四三高地が重要ポイントであると察知した。

 大佐は第九中隊の第一小隊長林少尉を召致して現地を示して、

「本夜薄暮と共に出発して一四三高地を占領せよ」

 と命じた。小型無線機一を付けた。

 

 夕刻頃には第一線からの報告で敵の情勢がわかってきた。


一、ニコルソン南側道路入口及その南方道路西側には堅固なトーチカがあり警戒

 は厳重。

二、紫羅蘭山西側山腹には南に通ずる溝及小径がある。

三、右翼隊は谷の中にあって、一部はニコルソン山腹に進出。


 薄暮が近づき、田中大佐は第三大隊に前進を命じ。第二大隊には残余を率いて第三大隊に続行するよう命じた。

 第三大隊は宵闇に紛れて隠密裏に前進をしていったが、突如として、黄泥涌貯水池南側の二階建ての建物から猛射を受けると同時に、ニコルソン山東麓裾からも曳光弾を合図に一斉射撃を受け、部隊は足止めをくった。

 監物大隊長は肉迫攻撃班を以て二回にわたり攻撃させたが、失敗に終わり、配属の工兵部隊に家屋の爆破を命じた。

 田中大佐は監物大隊長の元まで来て現状を聞いた。偵察の結果により、正面の敵陣突破は相当の時間を要するであろうと判断し、当面この敵の撃破に集中することとした。工兵隊により第一回目の爆破は不成功に終わり、依然敵からの射撃は絶え間なく続いた。


 二一〇〇になり、田中大佐は監物少佐に対し

「大隊は爆破と同時に出発し、紫羅蘭山西側集水溝に沿う地区をゴルフ場西側高地に向い南下すべし」

 と命じた。

 工兵隊は二二〇〇頃二回目の爆破により敵の立て籠る建物を爆破して制圧した。

 第二大隊はようやく南進を開始した。

 各地区は激戦の上に英軍を制圧し、二〇日の朝を迎えていた。

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