第六話 香港島上陸準備
軍は香港への攻撃を進めるにあたって、英軍が撤退により道路や港湾を徹底して爆破破壊していたことにより、海岸地区への集合がおくれる見込みであった。工兵隊の復旧作業を急いではいたが、二日ほどは必要であった。
十三日、軍は香港に対し降伏勧告の軍使を派遣することを決めた。十二日には英国側に対し軍使を派遣する件で砲撃の中止を依頼していたい。
十三日〇九〇五、「ピース・ミッション」と大書した白布を掲げた小艇一隻は、軍使多田督知中佐らと案内の英国婦人を乗せて香港に向かった。
その艇は数分すると香港島からの砲撃に見舞われた。が、白旗を確認したのか、射撃は止み、軍使らは無事香港島に到着し、英軍の情報参謀であるボクサー少佐の出迎えを受けた。
多田中佐は軍司令官から香港総督宛の親書を持参した旨を告げ、親書の総督への伝達を要望した。ボクサー少佐は当初その受領を拒否したが、同行の英婦人のとりなしで受け取り、少佐は親書を携えて総督官邸へと急いで向かった。
勧告書
今や我が攻城砲兵の善戦と勇敢無比なる我が空軍は香港島を指呼の間に望みこれが覆滅の準備完了せり。即ち香港市の命脈は既に決まり、勝敗の決は自ら明かなり。ここに貴軍の運命と在香港無事の民百万の上に思いを致す時、我が攻城軍は事態を推移するままに委すあたわず。開戦以来貴軍よく戦うと雖もこの上の抵抗は百万の老若男女と無事の民の生命を断つに至るべく、これ貴国の騎士道よりみるも将又我が武士道より云うもともに耐えざるところなり。総督深くここに思いを致し、直ちに開城会議の開催を承諾せられよ。もしこの勧告にして容れられんか、余は涙をのんで実力のもとに貴軍を屈服せしむる方途に出づべし。
返事の刻限は正午である。それを過ぎれば爆撃隊が襲来する。多田中佐ら軍使らはそれまでには香港から離れねばならない。多田中佐は、
「会議が遅れるのであれば、回答は香港時間の午後三時までに貴軍から九龍の司令部に届けられたい」と催促して、しばらくすると、ボクサー少佐が戻ってきた。少佐は言った。
「総督は、日本軍の勧告は全面的に拒否する。香港島上陸決行前に降伏するが如きは、大英帝国の面目を許さない。とのお言葉である」
そして、さらに付け加えた。
「我はまだ戦う余力と自信をもっている。なおまだ我々は大英帝国皇帝に対する忠誠の義務を果たしていない」
酒井軍司令官は十五日、香港攻略の命令を下した。
波集作命甲第二〇四号 十二月十五日一七〇〇
第二十三軍命令 深 圳
一 香港島軍事諸施設は我が砲(爆)撃により大打撃を蒙りたるものの如きも敵
は依然同島を固守せんとするものの如く其の海軍艦艇は巧みに我が砲(爆)撃
を免かれ同島の南側に退避しあり
第二遣支艦隊は軍の香港島上陸に策応し其の南岸に対し極力陽動及牽制を実施
する筈
二 軍は十二月X日夜香港島に強襲上陸し之を攻略せんとす
上陸部隊の主力の上陸地区は北角東南方突出部とす
三 佐野兵団は適時行動を開始しX日払暁迄に隠密裡に攻撃準備を完了し同日夜
主力を以て北角東南方突出部に上陸し先づ大坑東側高地、「ジャディネス」看
視山及紫羅蘭山の線を確保し、爾後成るべく速かに香港島に残存する敵を掃蕩
すべし
特に第一線部隊の進出に伴い機を失せず一小部隊を香港島市街地に進入せし
め、該地に在る重要施設並に物資の確保に任ずべし
尚有力なる一部を以て九龍市街の治安確保に任ぜしむべし
四 北島部隊は依然現陣地に於て密に佐野兵団に協力し主として敵砲兵の撲滅に
任じ特にX+一日払暁以後主力を以て佐野兵団の戦闘に協力すべし
尚機を失せず一部を啓徳飛行場東南方地区に陣地を変換せしむべし
明十六日以降直協機を協力せしむ
(以後省略)
十三日北島軍砲兵隊は香港への砲撃準備は整ったが、午前中は降伏勧告の為に射撃は禁止されていた。午後二時以降に射撃を開始しはじめたが、香港島全体は霞に覆われ、観測が不可能な為に、効力射撃に止まった。
軍の飛行隊も視界不良でこの日の出撃は見送りとなった。
十四日も天候不良による視界が悪く、射撃は天候が回復した午後遅くに始まっただけであった。
十五日、天候回復により香港島の北側の海岸方面の砲台は制圧したと軍砲兵隊は見込みを立てたが、南部砲台については観測が不可能なために制圧はできていないと判断した。
十六日も砲兵隊による砲撃と、航空隊による爆撃で香港の砲台を制圧すべく攻撃を続行していた。
十七日、軍は再び軍使を派遣して二回目の降伏勧告を行なった。軍参謀多田中佐と今回は海軍から後藤中尉が加わり、香港島に渡り、ボクサー参謀と会談した。午後三時に回答するとの返事て、再び香港に渡ったが、その回答は「降伏勧告には応じない」ということだった。
香港上陸攻撃は確実に決まった。
十七日一二三〇、佐野師団長は全幕僚を従えて、北島部隊長を訪問して砲兵の協力を要請したのち、九龍市内の歩兵団司令部に到着し、各部隊長を集めて、香港攻撃の命令を下すとともに、諸部隊の配置を発表した。
第三十八師団命令 十二月十七日一四〇〇
沙 田
一 (略)
二 師団は一部を以て依然九龍市街の治安確保に任ぜしめX日夜主力を以て大湾
及啓徳飛行場東側地区より北角「ブレーマー」角付近に 他の一部を以て鯉角
門角西側地区より東部水牛湾付近に強襲上陸し
先づ大坑東側高地「ジャディネス」看視山及紫羅蘭山の線を確保したる後、成
るべく速かに香港島に残存する敵を掃蕩せんとす
三 (略)
四 右翼隊長はX日Y時大湾及啓徳飛行場東側地区を出発
北角「ブレーマー」角付近に上陸し、先づ大坑東側高地「ジャディネス」看視
山の線を確保したる後、海軍工廠、扯旗山、西高山の線に進出すべし
特に第一線部隊の進出に伴い機を失せず一小部隊を香港島市街地に進入せしめ
該地に在る重要施設竝に物資の確保に任ぜしむべし
但し大坑東側高地「ジャディネス」看視山の線より進出する時機は別命す
五 左翼隊はX日Y時「ヤントンワン」及鯉魚門角西側地区出発、東部水牛湾付
近に上陸し、先づ紫羅蘭山南北の線を確保したる後、扯旗山、西高山の線に進
出すべし
紫羅蘭山南北の線より進出する時機は別命す
又特に並木山付近に一部を残置し左側背の警戒に任ぜしむるを要す
(以下省略)
軍隊区分
右翼隊
長 第三十八歩兵団長 伊東少将
第三十八歩兵団司令部(軽装甲車中隊欠)
歩兵第二百二十八連隊(第三大隊と補助憲兵百欠)
歩兵第二百三十連隊(第一大隊と補助憲兵百欠)
独立速射砲第五大隊
山砲兵第三十八連隊第一大隊
野戦瓦斯第五中隊
工兵第三十八連隊(一中隊欠)
師団無線一分隊
第三十八師団衛星隊の一部
第五十一師団衛星隊の三分の一
第十七防疫給水部の一部
左翼隊
長 歩兵第二百二十九連隊長 田中大佐
歩兵第二百二十九連隊(第一大隊と補助憲兵百欠)
独立速射砲第二大隊(一中隊欠)
独立山砲兵第十連隊の第五中隊
野戦瓦斯第十八中隊
工兵第三十八連隊第二中隊
師団無線一分隊
第三十八師団衛生隊の一部
第十七防疫給水部の一部
右砲兵隊
長 山砲兵第三十八連隊長 神吉大佐
山砲兵第三十八連隊(第一大隊欠)
師団無線一分隊
第十七防疫給水部の一部
左砲兵隊
長 独立山砲兵第十連隊長 澤本大佐
歩兵第二百二十九連隊の一小隊
独立速射砲第二大隊の一中隊
追撃第二十一大隊
独立山砲兵第十連隊(一中隊欠)
独立山砲兵第十連隊(一中隊欠)
独立山砲兵第二十大隊
師団無線一分隊
第三十八師団衛生隊の一部
第十七防疫給水部の一部
上陸作業隊
長 独立工兵第二十連隊長 鈴川大佐
独立工兵第二十連隊
第九師団第一、第二架橋材料中隊
折畳舟 二百、操舟機 十五
(以下略)
佐野師団は香港攻撃計画に関しての特に上陸時の問題点は次のように考えられていた。
上陸点について
香港島北岸に上陸点を選定することは、既に軍命令の示す所であったが、当時の英海軍の活発な活動ぶりは、ますますわが上陸点を北正面に限定した。北正面のうち、香港市方面は、英軍の水際防禦施設が堅固なうえ、戦果拡張上有利ではなく、また他方、東の鯉魚門方面は渡海距離最短という利点はあるが、上陸点の地形が嶮峻なため一部部隊の上陸適地に過ぎなかった。北角「ブレーマー」角間はこれという地形上の障害もなく、かつわが砲兵火力で十分に制圧できる距離にある。そこで師団は、主力で大湾、大湾全付近から北角「ブレーマー」角付近に、一部で鯉角門から水牛湾に上陸することを決定した。ただし、この主力の上陸点は、余りに広正面なので、果たして全部隊が英軍の大きな抵抗を受けずに上陸できるかどうかが心配された。
一部の兵力を香港島西側或は西南側に上陸させる案も論議された。しかし、佐野師団長は、助攻といえども安心して独立行動できある兵力を割くのでなければ、かえって主力方面の不安動揺を招来するとして、この案を採用しなかった。
上陸時機
敵の機雷を設置する場合と上陸点付近が断崖をなせる場合を顧慮し最高潮時を選定す
渡海要領
大小発に依るべきか折畳舟漕渡に依るべきかに就て
前者に依る場合は速力大にして上陸効程大なるも大小発の発動機音にて企図を直前に暴露する処あるのみならず敵弾に依り一時に多数の損害を生ずる不利あり。後者による場合は此等の不利を除き得るも上陸効程小速力遅く且上陸後十五六名宛分散乗艇しある部隊の指揮掌握困難の不利あり。師団は特に鈴川大佐の熱心なる意見具申を容れ第一回渡海を折畳漕渡、第二回以降を大小発に依る如く決定す
企図秘匿と陽動
敵前僅かに二粁限られたる正面に於て第三国人の多数居住したる地域に於て企図秘匿して上陸を決行するは甚だ困難なり。之がため特に大小発の主力を荃湾付近に集結し屡々青衣島南端付近迄行動せしめ且計画的陽攻を実施する等の手段を採れり、又渡海数日前より九龍市内の交通遮断及第三国人の監禁を実施す
第三十八師団は香港上陸作戦については慎重であったが、上陸後の戦闘に関しては楽観視していた。香港攻略に当たっては全兵力は必要ないと判断し、九龍半島の治安維持にと二コ大隊を割いたほどであった。
歩兵第二百二十九連隊長田中大佐は、十三日に第二大隊長の宮澤少佐から、敵は大混乱にて香港島に逃走しており、大隊はこれに追尾して直ちに渡海攻撃したいとの申し出を受けた。が、田中大佐は上層部より計画以外の突発的作戦行動、特に奇襲攻撃は諌められており、許可することはなかった。しかし、香港島への渡海にしても、上陸地点の探索は必要不可欠であった。
十六日、田中連隊長は将校斥候を派遣することにした。第二大隊から粟村敬一少尉と、第三大隊から増島善平中尉が選抜されて、部下を選抜して準備を整え、十七日日没とともに出発し、上陸地点の適否を探索し、帰還したが、粟村少尉は敵に発見され戦死を遂げた。
この斥候により上陸地点の海岸の情況が判明したことは、上陸作戦当日に大きな利点となった。
十八日、佐野師団長は、出撃する部隊長を集め、次の如く訓示を行った。
訓 示
師団の真価を発揮し皇軍の実力を顕現するは此の一戦にあり今次の上陸作戦にして成功せんが勝を百年に決すべく師団連勝の歴史に更に一異彩を加うるを得べし
惟うに敵前上陸成功の要訣は堅確なる意志を以て断乎初一念ずを貫徹するにあり如何なる敵の妨碍も鉄石の決意を以て之を排除し断じて遅疑逡巡を許さず勇往邁進白刃以て敵の死命を師するの概なかるべからず 而も我は其の上陸点を眼下に睥脱し戦機の熟するを俟つや既に一週日将兵克く敵情に通じ地形を精にす之を師団が近き将来に負荷せらるべく生地に於ける上陸作戦の任務に比するに易々たるものと謂うべし、師団にして今日の事を為し得ずんば焉ぞ克く将来の資托に堪え得んや
諸子思を茲に致し勇奮死を以て第一回上陸部隊は後続部隊の為めに其の進路を拓き後続部隊は第一回上陸部隊の屍を乗り越え前進に次ぐに前進を以て一挙敵国世紀に亘る牙城を屠り以て皇軍の神武を中外に宣揚し上は 聖慮を安んじ奉り下は一億同胞の期待に副はんことを期すべし
右訓示す
昭和十六年十二月十八日
第三十八師団長 佐野忠義
部隊は先の軍隊区分により渡海準備を始めた。右翼隊のうち歩兵第二百二十八連隊は左第一線とし、歩兵第二百三十連隊は右第一線とした。左翼隊と合わせて、乗船場所は三箇所であった。
上陸部隊の出発時刻は、右翼隊右第一線部隊は二一二〇発。右翼隊左第一線部隊は二〇五〇発。左翼隊は二一三五発。と設定されていた。
上陸部隊作業隊は一九〇〇泛水作業を開始していた。
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