第四話 突入!若林中隊

 国境突破は順調な滑り出しを見せていることを受けて、佐野師団長は、九龍要塞の攻撃態勢を取ることに決して、新たな攻撃命令を下した。

  第三十八師団命令  十二月八日二十時

            深  圳

一 敵は我が急襲に依り大なる抵抗を試みることなく大帽山以南に退却せり

 伊東支隊は一部を以て本八日〇九〇〇頃主力を以て概ね一二〇〇国境線を突

 破 一六三〇頃水頭、竹坑、粉嶺駅の線に進出し敵を急追中なり

 又軍飛行隊は本八日朝啓徳飛行場を急襲し在飛行場十四機中其の十二機を銃撃

 炎上せしめたり

二 師団は主力を以て油甘頭、白沙橋山、大帽山、草山及小湾山の線に攻囲陣地

 を占領し金山東西の敵主陣地に対する攻撃を準備すると共に一部を以て馬鞍山

 方向よりする敵陣地の右側に向う攻撃を準備せんとす

三 青衣島攻略部隊は油甘頭付近に進出し青衣島攻略を準備すべし

 右攻囲部隊の砲兵をして其の攻撃に協力せしむ

 攻撃開始の時期は別命す

四 右攻囲部隊は油甘頭、白沙橋山、大帽山東西の線に攻囲陣地を占領し爾後の

 攻撃を準備すると共に将来其の攻囲線を圧縮し得るの準備にあるべし

 又其の砲兵を以て青衣島攻略部隊の青衣島攻略に協力せしむべし

五 左攻囲部隊は草山及小湾山の線に攻囲陣地を占領し爾後の攻撃を準備すると

 共に将来其の攻囲線を針山東西の線に圧縮し得るの準備にあるべし

六 両攻囲部隊の捜索竝に戦闘地域の境界は別紙素図の如く線上は左に属す

    (図省略)

七 左側支隊は左攻囲部隊の進出に伴い其の兵力を大埔付近に集結し大埔付近よ

 り沙田海を越えて馬鞍山付近に進出し敵陣地の右側に向う攻撃を準備すべし

 沙田海を越える時期は別命す

    ( 以降省略 )


 この命令に伴う軍隊区分は次のように改められた。

青衣島攻略部隊

  長 歩兵第二百三十連隊第一大隊長 江頭少佐

    歩兵第二百三十連隊第一大隊

    独立速射砲第五大隊の一中隊

    山砲兵第三十八連隊第三大隊の一中隊

    独立工兵第二十連隊の一小隊

    折畳舟    五〇

    師団無線一分隊

    第九師団架橋材料中隊の一部

    薮出部隊の自動貨車  四

右攻囲部隊

  長 歩兵第二百三十連隊長 東海林大佐 

    歩兵第二百三十連隊(第一大隊)

    独立速射砲第五大隊(一中隊欠)

    山砲兵第三十八連隊第三大隊(一中隊欠)

    工兵第三十八連隊の一小隊

    師団無線一分隊

    野戦瓦斯第五中隊(一小隊欠)

    薮田部隊の自動貨車  六 

    第三十八師団衛生隊(一部欠)

    第十七防疫給水部の一部

左攻囲部隊

  長 歩兵第二百二十八連隊長 土井大佐

    歩兵第二百二十八連隊

    独立速射砲第二大隊の一中隊

    山砲兵第三十八連隊第二大隊

    工兵第三十八連隊の一小隊

    師団無線一分隊

    野戦瓦斯第五中隊の一小隊

    薮田部隊の自動貨車  五

    第三十八師団衛生隊の一部

    第十七防疫給水部の一部

左側支隊

  長 第三十八歩兵団長 伊東少将

    第三十八歩兵団司令部(軽装甲車中隊欠)

    歩兵第二百二十九連隊(一中隊欠)

    独立速射砲第二大隊(一中隊欠)

    独立山砲兵第十連隊

    迫撃第二十一大隊の一中隊

    独立工兵第二十連隊(一小隊欠)

    第九師団架橋材料中隊(一部欠)

    師団無線二分隊

    野戦瓦斯第十八中隊

    第五十一師団衛生隊の三分の一

    第十七防疫給水隊の一部

砲兵隊

  (詳細省略)

工兵隊

  (詳細省略)

直轄部隊

  (詳細省略)

輜重隊

  (詳細省略)


 各部隊は前進を開始し、いよいよ要塞地区への突入である。それを支援するため、軍砲兵隊は北島司令官の下に重軽砲百門

以上を準備し、九日には展開準備を整え、十日を期して猛撃を加えて要塞群を粉砕する予定であった。


 しかし、師団戦闘司令所に前線にいる土井部隊より電報が届けられた。


  土戦電第二二号、第二三号(〇一〇〇発)

「聯隊ハ第三大隊ノ二箇中隊ヲ以テ二一三〇城門川ヲ完全ニ渡河シ標高二五五ニ拠リ頑強ニ抵抗スル敵ニ対シ夜襲シ奮戦三時間ニシテ二三三〇之ヲ占領セリ

 走私背山西北方付近ニ「トーチカ」一アリ目下頑強ニ抵抗中ナリ」


 この一文で佐野師団長は、突入部隊全滅になる恐れを感じ、蒼白となった。二五五高地は敵陣地の中枢と考えられていたからである。最も強力なトーチカ陣地の前面に進出したのである。二五五高地のトーチカはほぼ十字形を成形しているトーチカであり、四つの鉄筋コンクリート製の銃座もしくは砲座を持ち、それぞれが交通壕で連絡路をもち、周囲には鉄条網を張り巡らせており、攻略は歩兵だけでは困難と思われていた。

 師団は土井部隊に対し、後退の電報を打った。


   沼戦電第五一号(〇四二〇)    

「城門川南岸ニ進出シ二五五高地攻撃中ノ部隊ハ速カニ同河北岸針山南西ノ線ニ収容後退セシムヘシ」


 この後、再び土井部隊から電報が届いた。


   土戦電第二四号(〇二〇五)

「針山ヨリノ攻撃ハ地形峻険ニシテ夜間ノ行動不可能ナリト判断セルヲ以テ城門貯水池方面ヨリ二五五高地〇〇方面ニ攻撃前進ス

城門川上流断崖ハ高サ約五米 目下調査中

木村大隊ヲシテ二四四〇行動ヲ開始 標高三〇三高地ヲ夜襲セシム」

 

 師団司令部は重ねて後退を命じた。

   沼戦電第五二号

「師団全般ノ企図ニ鑑ミ攻撃ヲ中止シ城門川北岸ニ後退スヘシ」


 軍の作戦計画そして師団の作戦計画は狂ってしまいかねない事態となった。前線部隊からの突然の報告は、後方の司令部を動揺させた。

  

 その最前線での動きは次のようであった。

 土井聯隊の尖兵中隊たる若林第十中隊は、九日午後五時ごろ鉛鉱峠付近に到達したのち、そぼ降る小雨の中をさらに歩度を伸ばして午後六時ごろには城門貯水池北端近く、その堰堤の手前五〇〇メートル付近の叢のなかに停止した。闘志満々たる若林中隊長はそこで中隊全員には食事を許し、自らは曽根正三准尉と望月仁美少尉を伴って城門近くまで前進し、対岸を望みながら、

「精鋭を選抜して、城門川を渡って敵陣地を捜索して来い。もし敵陣地が奪れるようなら、敵のトーチカを奪ってその中で頑張っておれ。敵陣地の要点さえ奪ってしまえば、あとは何とでもなる。中隊長も決して見殺しにはしないから」

と、敵陣地への潜入、捜索を両小隊長それぞれに命じた。


 斥候の役目は敵情を捜索し弱点を把握して帰隊して、中隊長に報告し、中隊長はそれに基づき攻撃計画を立案し方法を指示するのであるが、若林中尉は、敵陣地の弱点を把握し、その場の兵員で処理できるなが、攻撃して現場を奪ってしまえという

ことだった。


(若林東一中尉は、明治四十五年山梨県西八代郡栄村(現南部町)に生まれた。身延中学卒業。甲府の歩兵第四十九連隊に入営。昭和十四年陸軍士官学校を卒業し、静岡の歩兵第三十四連隊に配属され少尉となる。翌年新編の歩兵第二百二十八連隊に転属となる。昭和十五年十二月一日中尉となり第十中隊長を任ぜられる。)


 その頃、土井聯隊長も二時間に渡り敵情を視察した結果、夜襲を考えていた。夜襲は日本軍の得意とする所である。

 敵陣地線の地形は戦前に研究したとおりであり、しかも敵影も認めない。英軍の大半は後退したか、あるいは日本軍の攻撃はまだだと安心しているのであろうと判断された。そこで、部下大隊の士気が旺盛で夜襲を決行する戦意があるならば、師団の攻撃重点である「城門貯水池南側高地」に対して夜襲を実施しようと考えた。

 その地区は、右攻囲隊の担任地域であることは良く知っていたが、成功すれば師団でも許してくれるものと考えた。また、この時、軍および師団の正攻法による攻撃計画も十分承知していたが、いやしくも敵に虚隙があるならば、奇襲を持って敵陣地を奪取したいとの願望をひそかに抱いていた。

 草山を降りた土井聯隊長は、その西側斜面で西山第三大隊長と会って敵配備の手薄なことを語り合い、

「いっちょう、やるか」

「やりましょう」

と、ごく自然に夜襲決行の意見が一致した。

 西山大隊長は、聯隊長のこの命令を受け、夜襲決行の決意に気負いたって尖兵中隊の位置に急行した。ふと気がつくと、蘆の茂みの中にガチャガチャ音がする。第十中隊の兵隊たちが飯盒を出して飯を食っているのである。

 大隊長も気が立っていたのか「こんな所で飯を食うやつがあるか」と怒って、

「尖兵中隊は第九中隊に命ず。二五五高地を奪れ。第十中隊は後からゆっくり来い」

と言って、第九中隊に二五五高地奪取を命じた。

 第九中隊は春日井由太郎中尉である。斥候から還った若林中尉は突然の交替命令を聞いて地団駄踏んで悔しがった。


 第九中隊は貯水池堰堤に前進、堰堤に爆薬が仕掛けられていると知らされていた春日井中隊長は、そこに一メートル角のただの箱を見つけて安心し、全員一挙に堰堤を通過して対岸の二五五高地脚に集結させた。続いて、第一小隊長山田正治少尉以下数名で頭上に切り立つ断崖上の鉄条網二線を切断するや、同小隊を先頭に急峻な斜面を全員が這うように稜線に登った。稜線に出た途端、西南方トーチカから猛射を受け、戦死二、負傷者十数名の損害を出して攻撃は一時頓挫。


 西山大隊長は尖兵の任務を解いた第十中隊に超越前進を命じた。そして、両中隊に工兵隊を各一分隊ずつ配属した。

 一方、図らずも先陣を奪われた若林第十中隊長は、第九中隊の攻撃が一時頓挫したとき、

「俺もだまっておれるか、要点を奪れ」と猛然と超越前進を開始した。

 第九中隊春日井中隊長は第二小隊の小関少尉に南西方のトーチカの攻撃を命じ、中隊主力はたまたま発見した交通壕の地下無掩蓋部に飛び込み、手榴弾を投じながらトーチカ陣地を攻略していった。


 第二小隊は十日〇二三〇には工兵隊と協力して南西の突角トーチカを占領したが、二五五高地のトーチカは銃眼を閉ざして抵抗を続けたため、工兵隊の藤森伍長以下三名がトーチカ換気孔から爆薬を挿入して爆破破壊して占領を果たした。

 第十中隊は曽根准尉の第一小隊を左第一線に、望月少尉の第三小隊を右第一線とした同中隊は、漆黒の闇のなかを鞍部で撃たれたりしながらも、最高点をめざして突進、あるいは地下壕にすばやく飛び込んでは、手榴弾で壕内を攻撃して司令塔を占領、〇〇一〇には守備隊長ジェームズ大尉以下を捕虜にした。

 若林中隊長が対峙するトーチカは銃眼を閉ざして抵抗を続けたが、工兵隊の井藤伍長以下六名が銃眼に破壊筒を投入して爆破した。頑強に抵抗するトーチカは配属の工兵が爆破し、二時三十分、約三~四百メートル四方に及ぶ五つのトーチカ群全てを爆破占領した。


 夜明けと共に、周辺の地形が判明し、若林中隊の最終占領地点は三四一高地であることも判明した。

 その間、西山大隊長の元には、連隊本部から「後退せよ」との催促が絶え間なく届いたが、西山大隊長は全く無視していた。が、大隊長は連隊本部からの退却命令をなかったとしている。


 十日天明後、前線に進出した阿部参謀長は土井連隊長から次のように説明を受けた。

「この夜襲は全般計画を破壊するものとして当初は同意しなった。しかし、若林中尉がその責任は一身に背負うから若林の独断行為としてやらしてくれという。西山大隊長は若林を見殺しにできないから、二中隊を率いて奪取したいとのことだったので黙認した。連隊長自身も視察しても成功の可能性が強いから許可した」

 阿部参謀長はその現況を佐野師団長に報告し、師団長は土井部隊の攻撃を承認して土井部隊に電報をおくった。


 沼戦電第五九号

「師団全般ガ斉整タル攻撃ヲ為サントスル企図ニ鑑ミ已ニ奪取セル二五五トーチカ高地付近ヲ 金山ヲ奪取シアラバ金山付近モ確保ノ上兵力ヲ集結態勢ヲ整ヘラレ度」


 こうして、用意した重砲隊を使用することなく、重要拠点の要塞を占拠したのである。

 しかし、問題も発生したことは確かである。広東にある第二十三軍の酒井軍司令官は、前線部隊の状況など理解できなかったのは当然といえた。西山大隊の二五五高地占領は、軍の統制を乱す行為として軍法会議の厳罰の対象とも激昂させたのである。西山大隊は前進することを差し止められたのも事実であり。西山大隊長は、続々と陣地変換のため後退する英軍部隊をただ眺めているだけとなった。


 佐野師団長の司令部を訪れた軍砲兵隊の北島司令官は、佐野中将より予期しない事態により、敵陣地を占領したことを報告されると、

「兵力も用いず、早くも敵主陣地の中核を奪取したことは、誠にめでたいことではないですか」

 と祝辞を述べている。軍砲兵隊はその力を発揮すべく万全の準備をしていただけに残念に思ったであろうが、逆に徒労に終わったことを怒ることなく逆に幸先よしと感じたのであろう。戦は運でもある。若林中隊長の進言を理解し攻撃命令を出した西山大隊長と土井連隊長を讃えるべきであろう。その上で若林中尉は殊勲を掲げるのであった。


 英軍の公刊戦史にも、この地区のトーチカ陣地群の喪失は痛手であったとされている。

『城門貯水池南側堡塁は、西方の全防禦陣地を瞰制し、かつ前進砲兵観測所を設置した戦術的に非常に重要な陣地であった。この堡塁は、鉄条網をめぐらした地表式及び地下式連絡壕により連絡された五つの特火点から成っていた。この陣地に関して、守備中隊長ジェームス大尉は作戦直後「古臭い地下陣地が気にいらないので、夜襲を受けた時は未だ配備についていなかった」と述べている。

 〇〇三〇ころ、ジェームス中隊長は「日本軍が堡塁に乱入、目下逆襲中」と報告した。約二時間後、彼は更に「日本軍の兵力は大きいが、払暁までは観測所を保持できる見込み」と報告した。その直後、電話連絡は切れた』

 英軍は逆襲する計画を立てたが、ロイヤルスコット大隊はその逆襲行動を無益とみて実施しなかったのである。


 最終的には西山大隊は作戦終了後感状を授与される。

    感状

          歩兵第二百二十八連隊第三大隊

          工兵第三十八連隊第三中隊の一小隊

 右は香港攻略戦に於て昭和十六年十二月九日第三十八師団左攻囲部隊中第一線大隊として大隊長陸軍少佐西山遼指揮の下に連日連夜の行軍に引続き草山付近の嶮峻を攀登し雨中人跡を見ざる城門貯水池東岸に進出して要衝二五五高地付近の敵情を捜索し敵の配備厳ならずを知るや機に乗じ之を奪取すべく連隊長に意見具申せり 而して其の認可を受くるや夜暗に乗じて貯水池堰堤にありしを急進し突兀とっこつたる岩山を攀じ敵の機関銃火を冒して数線の鉄条網を強行破壊し敵特火点に迫り或は手榴弾を投じ或は白兵を奮い果敢なる攻撃を実施し接戦格闘三時間余遂に敵陣地の鎖鑰さやくたる二五五高地及三四一高地の特火点群を攻略し守備隊長以下を捕虜として其の指揮を混乱せしめ敵の心胆を奪い敵本防禦線瓦解がかいの主因を作為せり

之れ大隊長以下積極果敢任務に邁進し克く戦機に投じ神速に敵の虚を突き疾風迅雷敵をして対応の策なからしめたるものにして其の武功抜群なり

 仍って茲に感情を授与す

  昭和十七年一月七日

   第二十三軍司令官 陸軍中将従四位勲二等 酒井 隆

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