第二話 第三十八師団の作戦計画

 第三十八師団は、昭和十四年六月三十日名古屋で臨時編成された師団である。連隊は三コ連隊で次の地の編成である。

  第二百二十八連隊  名古屋

  第二百二十九連隊  豊橋

  第二百三十連隊   静岡


 昭和十六年六月二十五日初代師団長藤井洋治中将に代わり佐野忠義中将が着任した。

 第三十八師団は集結して対香港要塞に対する訓練を行なったが、当然対する戦線は香港であるとは知らされていない。

 第三十八師団(通称佐野兵団)は軍の作戦計画に基づき師団の作戦計画を策定した。


   佐野兵団香港攻略会戦指導計画

  第一 方針

師団は軍の企図に基き陸正面より香港を攻略す、之が為九龍半島敵兵力を捕捉撃

滅したる後、香港島に対する攻撃を行う

  第二 指導要領

一 開戦の機切迫するや兵団は軍の指示する所に基き努めて在石龍、石灘、広

 東、佛山間に在る部隊中所要の部隊を虎門寨付近に前進せしめ且虎門寨部隊中

 なるべく多くの兵力を密かに深圳付近国境線に集結せしむるに努め随時国境線

 方面に前進し又は国境線を突破して進撃し得るの準備に在らしむ

二 開戦と同時に虎門寨又は国境線付近に進出せる先遣部隊は主力を以て深圳東

 方地区より敵国境陣地を突破して先づ大埔西側同西南方高地線に突進す

 右の場合有力なる一部を以て寶安付近より海上機動に依り沙岡尾(錦田西方約

 一〇粁)付近に上陸したる後錦田平地に進出し、又別に有力なる一部を以て沙

 頭より沙頭角を経て大埔西方地区に進出せしめ敵の退路を遮断し敵を錦田平地

 以北の地区に捕捉撃滅す。其の各一部を以て大帽山東西を通ずる環状自動車道

 を成るべく遠く確保せしめ敵の道路破壊を防止す

三 敵を錦田平地に捕捉撃滅したる後は速かに先遣部隊の主力を以て油甘頭、白

 沙橋山、大帽山、草山及小湾山東西の線に進出し爾後の主陣地に対する攻撃を

 準備す

 東側地区より前進せる部隊の主力は師団主力の戦場進出に伴い草山の線を之と

 交代し大埔付近に集結し爾後の行動を準備せしむ

四 大帽山、草山の線に進出せる部隊は逐次其の占領線を前方に進めつつ敵主陣

 地に対する攻撃準備を完了す

 大埔付近に集結せる部隊は随時海上機動に依り九龍東北方地区に対し進発し得

 るの態勢を整えしむ

 大帽山西側地区に進出せる部隊の一部をして速かに青衣島を占領せしむ

五 大埔付近に集結せる部隊は準備完了と共に成るべく速かに大埔付近より海上

 機動に依り馬鞍山西北側地区に上陸し石塚付近の敵陣地を突破し九龍東方地区

 に進出せしむ

六 師団主力は攻撃準備の進捗に伴い重点を城門貯水池西側より金山に指向する

 如く当面の敵陣地を攻撃之を突破して速かに九龍北端の線に進出す、此の際一

 部を以て九龍南の線を占領せしむ

 攻撃に方りては努めて北島支隊の協力を期待す

七 九龍半島を攻略せば速かに香港島に対する攻撃を準備す

 香港島に対する攻撃は強襲に依り北岸に上陸し逐次戦果を拡張す

八 前各号実施に方りては特に海軍竝に軍航空部隊との協力を蜜にす 

   第三 兵団の部署

一 使用兵力別紙第一の如し

 別紙第一

  使用兵力

    第三十八師団

    独立速射砲第二、第五大隊

    独立山砲兵第十連隊

    独立山砲兵第二十大隊

    迫撃第二十一大隊

    独立工兵第十九、第二十連隊

    電信第十四連隊の一小隊

    野戦瓦斯第五、第十八中隊

    第十七防疫給水部

    第五十一師団衛生隊三分の一

    第九師団第一、第二架橋材料中隊

    独立輜重兵第三連隊の第三中隊

    独立輜重兵第十九、第二十、第二十一(一部欠)中隊

    兵站自動車第百八十七中隊の一小隊

    第十二師団第一建築輸卒隊の半分隊

    第二百十二野戦郵便局

二 主要各時期の於ける兵力部署別紙第二其の一乃至其の三の如し

    (別紙第二其の一、其の三 省略)

   第四 情報の収集

 情報の収集は其の重点を敵主陣地帯特に我が主攻撃方面城門貯水池西南側、南側、東南側地区及馬鞍山方面竝に之に関連する地形に指向し軍、軍直轄機関、海軍よりの通報、兵団の情報所其の他兵団各種の情報機関に依り行う

   第五 通信

 軍との通信は配属軍通信機関に依り海軍との連絡は主として軍を通じて之を行う

   第六 補給

 補給は軍に於て施設せらるべき寶安、深圳の補給点及大埔、錦田付近前進補給点に就き行う



 師団司令部としては、香港攻略の計画策定にあたり、注意すべき点がいくつかあげられた。

一、国境線ではさしたる抵抗はないだろうが、大帽山一帯の山地ではかなりの抵

 抗を受けるであろうと判断され、特に敵方斜面での攻撃準備こそ本要塞攻略の

 鍵をなすものと考えられた。夜間の前進、戦闘資材の推進について種々慎重に

 研究され、少なくとも三夜は必要と考えられた。

二、主陣地の攻撃では、地形上の観点から主攻を城門貯水池西南〜西海岸地区に

 指向した。その理由は、この方面は英軍も最も堅固に準備した正面ではある

 が、わが攻城重砲の協力および攻撃前進が容易である。これに反して城門貯水

 池東方地区は、針山等の山容が峻険で砲兵の展開地積も狭小、そのうえ城門川

 の断崖深く前進が困難、また鉄道線に沿う地区は沙田海方面の側面障害が予想

 される等によるものであった。この主攻の西方向から予想される英軍艦と青衣

 島要塞空の側防に対しては、空海からの攻撃、青衣島攻略部隊の特設等の対策

 が講じられた。また堅固な要塞陣地の攻撃の特性上、一点を穿貫突破するため

 には主攻に歩兵二コ連隊を重畳使用すべしと大いに議論されたが、「第二線連

 隊に甘んずることは軍旗を捧持する歩兵連隊の矜持これを許さず」と佐野師団

 長はこの案をしりぞけ、結局歩兵大隊を重畳使用することとされた。

三、沙田海方面は、主陣地突破後直ちに九龍市内に迫れる利点を高く評価されて

 いたが、その隔離した地形上、多くの兵力を使用することは許されず、当初は

 一ないし二コ大隊程度を考えられた。しかし師団長は主力から離隔して行動す

 る部隊に対しては安心できる兵力を付与すべしとし歩兵二コ大隊を基幹とする

 ものにされた。

四、左側支隊の沙田海渡海は、大埔付近から英主陣地の近くを夜間機動する案を

 採用した。そのためには、舟艇(折畳舟と大、小発動艇)の迅速な陸路運搬を

 必要とした。第九師団第一架橋材料中隊では早くから特別運搬車の考案に努

 め、大発運搬車七両、小発運搬車一〇両から成る特殊輸送小隊を編成して準備

 を進めていた。また通信は海底船の使用を研究していた。

五、国境線突破に際しては、まずすみやかに英軍の退路遮断を図るため、東西両

 海岸道にそれぞれ一部の部隊を分遣することにした。

六、香港島への上陸方面については、南方海岸の地形は上陸に適するが、本格的

 海岸要塞や水際障害が設備されており、また陸海協同の点からも不適当とされ

 た。東方海岸は上陸は比較的容易であるが、攻城重砲の協力が困難とされ結局

 北正面から正々堂々と強行上陸するを可とする事に意見が一致した。

七、支那総軍岡田参謀が担当する謀略部隊を、香港、九龍市内に潜入させて、内

 部から策応すべきことある旨の連絡に接し、ひそかに希望するところであった

 が、その程度については余り胸算することなく、兵団としてはあくまで実力を

 もって攻略するよう計画した。

八、軍は深圳に戦闘司令所を設け、各種兵站使節を開設して師団の推進を図る一

 方、後方警戒を担任するというので、師団はただ前進、占領あるのみという考

 えであった。

九、海軍は、英艦艇の脱出を最も警戒していた。南方海上では輸送の最中であ

 り、極力撃沈を希望し、少なくとも封鎖は絶対必要との主張であった。また陸

 戦隊を青衣島、ストンカッター島、九龍市内の占領に協力を希望したが、陸戦

 に積極的に参加するというのではなく、占領成功の際に第二線でもよいから海

 軍陸戦隊の一部が参加している事を示せば足るとの申し出であった。

十、攻略日数は一ヶ月以内と言い、二五日と言い、あるいは二〇日間とも言い

 区々であった。攻略後、損害が少なければ師団は南方のいずれかに転用される

 とのことであった。

 従って損害を少なくするためには、多少日時を擁してもよいとも考えたが、や

 はり兵団の名誉にもかかわることであるから短時間に攻略したい野心はあっ

 た。そこで、国境突破から大帽山地帯まで二日、主陣地攻撃準備三日、主陣地

 突破三日、九龍市内掃蕩一日に予備をいれて九龍地区占領を十日間と予想し

 た。香港島上陸準備が五〜七日、島内攻略が五日で予備をいれて十五日間、合

 計二五日間と考えていた。この時間をいかに短縮すべきかの研究も盛んにやっ

 た。

十一、香港市街は爾後の使用のため、なるべく破壊を少なくして攻略するよう軍

 から希望されたので、砲照準は特に注意して実施することを考えていた。

十二、中国要人も多数居住、また南方華僑の根拠地でもあること等、対南京汪政

 権の意思、対南方政策上、住民に対する処理が重要であるから憲兵の活躍を必

 要とし、兵には住民に対する粗暴な行為を厳禁していた。

   ( 前傾 「戦史叢書 香港・長沙作戦」より) 


 香港は英軍の植民地ではあったが、居住する中国人も多数いるため、その攻撃に対しては、南京政府をあまり刺激しない方が対支那政策を考えると得策と考えてもいた。日本軍としては、あくまで英軍を屈服させることにあった。しかし、要塞化されていると考える以上は、ある程度の犠牲は見込まねばならない状況でもあった。


 主役となる第三十八師団の編成組織は次の様であった。 

    (一部判読しにくい字があり実名と違う場合あり)   

  

  第三十八師団編成

師団司令部

 長     中将  佐野忠義

 参謀長   大佐  阿部芳光

 副官    中佐  遠藤健治

歩兵団司令部

 兵団長   少将  伊東武夫 

 副官    中佐  松本昌次 

歩兵第二百二十八連隊   名古屋

 連隊長   大佐  土井定七

 副官    大尉  岩田誠一

 第一大隊長 少佐  早川菊夫

 第二大隊長 少佐  木村栄次郎

 第三大隊長 少佐  西山 遼

歩兵第二百二十九連隊   岐阜

 連隊長   大佐  田中良三郎

 副官    大尉  土屋幾太郎

 第一大隊長 大尉  折田 優

 第二大隊長 少佐  宮澤重蔵

 第三大隊長 少佐  監物本七

歩兵第二百三十連隊    静岡

 連隊長   大佐  東海林俊成

 副官    大尉  関谷栄治

 第一大隊長 少佐  江頭 多

 第二大隊長 少佐  若松満則

 第三大隊長 少佐  野口捷三

山砲第三十八連隊

 連隊長   大佐  神吉武吉

 副官    大尉  内藤英吉

 第一大隊長 中佐  佐藤三郎

 第二大隊長 少佐  浅野不二夫

 第三大隊長 少佐  菅野 勝

工兵第三十八連隊

 連隊長   中佐  岩淵経夫

 副官    大尉  石河兵作

輜重第三十八連隊

 連隊長   中佐  薮田秀一

 副官    中尉  大石藤吉

第三十八師団衛生隊

 連隊長   大佐  服部乙一

 副官    中尉  岩田亀雄

第三十八師団通信隊

 長     少佐  伊藤遼一

第三十八師団兵器勤務隊

 長     大尉  小出貞治

第三十八師団第一野戦病院

 長     少佐  鈴木敏美

第三十八師団第二野戦病院

 長     少佐  伊藤卓蔵

第三十八師団病馬廠

 長     少佐  林 次郎


 参加人員は、将校六三一名、下士官兵一二、八七八名、馬三、三九五頭となっている。


 一方、英軍の防衛はどうだったのであろうか。英軍も昭和一六年早々より日本軍に対する防衛強化を考え、香港指揮官のC・M・マルトピー少将は本国に要請してカナダ軍歩兵二個大隊が増強され、中国系住民の義勇隊も組織され、総兵力は一万二千名ほどとなっていた。別に海軍が駆逐艦、魚雷艇など二十隻。空軍は僅か五機を保有する程度であった。

 英軍守備隊の編成は次の通りである。

  軍司令官 少将 マルトビー

    参謀 大佐 ニュンハム

   歩兵旅団

     長 准将 ウオーリス

      ロイヤルスコット連隊第二大隊

      ミドルセックス連隊第一大隊

      ラヂパッツ第七連隊第五大隊

      パンヂャップ第十四連隊第二大隊

  王室砲兵団

    長 准将 マックロード

  カナダ軍

    長 准将 ローソン

      ロイヤルライフル連隊第一大隊

      ウイニペックグラナデス連隊第二大隊

  香港義勇防備軍

    長 中佐 ローズ

 海軍司令官 代将 A・C・コリンソン

   駆逐艦  スカウト

        サネット

        スラシアン

   第二魚雷艇隊  八隻

   河用砲艦 シルカ

        ターン

        ロビン

        モス

   武装徴用船  数隻


防禦の頼みである陣地は、十年の歳月を費やして九龍半島に築いたジン・ドリンカーズ・ラインで、ベトンのトーチカと地下壕が二十キロにわたって造成された複郭陣地であり、英軍はこれを「東洋のマジノ線」と自負していた。さらに香港島には海岸砲二十九門が睨みをきかせていた。

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