第四十話 ビサヤ諸島・ミンダナオ島攻略

 まだ第二次バターン戦の準備に向けていた頃、中部フィリピンのビサヤ諸島、そして南部のミンダナオ島の攻略を視野に置いていた。ルソン島の戦闘は戦史によく出てくるが、それ以外の戦闘占領はほとんど表に出てこないのが現実でもある。ここでは簡単ではあるが紹介する。


 ミンダナオ島は面積的にはルソン島並に大きかったが、内陸は山岳地帯多く、また密林に覆われていた。南北四七〇キロ、東西五二〇キロ、東海岸、中北部、西海岸は二千メートル級の山脈があり、中央ミンダナオ高地には二、九五四メートルのアポ火山が聳えている。道路網も整備なく不便であった。しかし、米比軍はシャープ少将がデルモンテに司令部を置いて、ビサヤ諸島、ミンダナオを監視下においていた。

 軍は四月十五日、十六日の研究会でもって、川口支隊、河村支隊、三浦支隊を以てするミンダナオ島の攻略計画骨子を策定したが、さらに研究を重ねて攻略計画案を策定していった。

 四月二〇日頃、軍は把握していたビサヤ、ミンダナオ方面の敵情は次のようであった。


 「ビサヤ・ミンダナオ方面」

1 敵は焦土抗戦の指令を受けあるものの如く「バナイ」島に於ては在「イロイ

 ロ」「クリスチー」大佐は第六十三連隊長、在「キャビス」第六十四連隊長、

 在「アンチケ」州第六十五連隊長に対し焦土戦術を敢行し一物たりとも日本軍

 の手中に帰せしめざる如く十七日命令せり

 而して「イロイロ」及「セブ」市は重要部約三分の二を焼却せられたり

2 「ダバオ」西南方約三〇粁「ヂゴス」方面に於ては敵の一部我が陣地の後方

 に潜入したるも多大の損害を受け退却せり


 作戦を担当させる第四師団はコレヒドール作戦を担当しており、ミンダナオ方

 面の作戦遂行はその攻略が完了した後に作戦行動に転移することとなってい

 た。

 四月末刷新した作戦計画が立案された。それが次である。


「ビサヤ」「ミンダナオ」第二期作戦計画

    第一 方針

第四師団主力及永野支隊を以て川口、河村支隊の作戦に引続き五月中旬より六月乃至七月に亘り「ビサヤ」諸島未占領地区竝に「ミンダナオ」島の戡定作戦を行う

    第二 要領

    其一 永野支隊の行動

一、支隊は「サムバレス」地区討伐作戦を概ね四月末日迄に終了し爾後「サンフ

 ェルナンド」及「グアグア」付近に集結し「ビサヤ」諸島作戦を準備す

二、「コ」島要塞攻略作戦の進捗に伴い五月八日乃至十日頃迄に「オロンガボ」

 に到り乗船を準備す 支隊配属部隊等は「バタン」半島及「コ」島方面より

 「オロンガボ」に転進す

三、支隊は遅くも五月十五日頃海軍護衛の下に「オロンガボ」出港同月十八日頃

 一部を以て「パナイ」島「イロイロ」付近主力を以て「セブ」島「セブ」付近

 に至らしむ

四、作戦準備の進捗に伴い遅くも五月二十六、七日頃主力を以て「ネグロス」島

 一部を以て「ボホール」島を攻略す 其要領左の如し

 1、準備

  「ネグロス」島攻略部隊は夫々「ギマラス」島沿岸(状況により「イロイ

  ロ」付近)及「セブ」島南部沿岸に又「ボホール」島攻略部隊は全島「アル

  ガオ」付近(状況に依り「セブ」港付近)に待機企図を秘匿しつつ舟艇機動

  作戦の訓練を行う

 2、実施

  主として舟艇機動に依り各方面同時に急襲的に上陸す 即ち「ギマラス」島

  付近に待機中の部隊は「ネグロス」島「バコロド」付近に又「セブ」島南部

  に待機中の部隊は全島「ツマグェテ」付近に又「アルガオ」付近に待機中の

  部隊は「ボホール」島「タガビララン」及「ギンドルアン」付近に夫々上陸

  し一拠に其要部を占領し次で全島を戡定す

  此際敵の焦土戦術に先じ資源要域等を確保するに努む 戡定作戦期間を約一

  週間(遅くも六月二日頃迄と予定す)

五、戡定後は「ネグロス」島に歩兵約二ケ中隊「ボホール」島に歩兵約一ケ中隊

  基幹の兵力を残置し守備に任ぜしめ爾余の主力を「セブ」港付近に集結せし

  む

  右集結完了を遅くも六月五日頃と予定す

六、「セブ」付近に於ける作戦準備の進捗に伴い概ね六月十日頃「レイテ」島及

  「サマール」島を努めて同時に攻略す

  其要領は主として舟艇機動に依り「レイテ」島方面に在りては先づ「タクロ

  バン」付近又「サマール」島方面に在りては「タカバロガン」付近を占領

  す 次で夫々同島の要域を戡定す 

  戡定作戦の所要日数を約一週間と予定し遅くも六月中旬内に終了す 状況に

  依り全力を以て先づ「レイテ」島次で「サマール」島を攻略せしむることあ

  り

   其二、第四師団の行動

一、第四師団は「コレキドール」要塞攻略作戦終了せば主力を以て逐次「マニ

  ラ」一部「タガイタイ」付近に集結し戦力の恢復次期作戦準備を行う 但し

  第一梯団たるべき部隊は速に「オロンガボ」(状況に依り「マニラ」)に転

  進し乗船を準備す

二、第一梯団(歩兵団長の指揮する歩兵二乃至三大隊基幹と予定す)海軍護衛の

  下に「ミンダナオ」島東北部に上陸作戦を行う 其時機は「コレキドール」

  作戦進捗の景況に依り異るも「オロンガボ」出航を五月十七、八日頃「ミン

  ダナオ」上陸を同月二十二、三日頃と予定す 上陸点は主力を以て「ブツア

  ン」湾一部を以て「リアング」湾と予定す

  上陸後「ブツアン」及「リアンガ」付近の敵を撃破し引続き「ミンダナオ」

  島東部を戡定す

  三浦支隊をして為し得れば「ダバオ」方面より右作戦に協力せしむ 戡定所

  要日数を約一ヶ月と予定す

三、第二梯団(師団司令部歩兵三大隊基幹)は五月下旬より逐次「マニラ」出港

  海軍護衛の下に「コタバト」付近及「カガヤン」付近に上陸す 上陸後一部

  を以て速に「ミンダナオ」島西部半島地区の敵を掃蕩せしむると共に主力は

  逐次「コタバト」「ラナオ」「ブギドノン」各州に分散駐屯し討伐の為基礎

  態勢を整う。師団長「ミンダナオ」島上陸の時を以て在「ミンダナオ」島独

  立守備隊及三浦支隊を其指揮下に入らしめ又先に上陸せる第一梯団を其所属

  に復帰せしむ

四、討伐態勢整うるや山間に遁入せる残敵を同時又は逐次に諸方面より之を包囲

  し掃滅す

  右作戦は遅くも七月中旬中に之を終了するものとす

五、別に「パラワン」島攻略部隊(歩兵一大基幹)を五月末「マニラ」に於て乗

  船海軍護衛の下に同島「プエルト・プリンセサ」付近に上陸し同地付近飛行

  場を確保すると共に所在の残敵を掃蕩せしむることあり

六、爾余の諸隊(歩兵二乃至三大隊基幹)は当初「タガイタイ」付近に位置し第

  十六師団の他方面転進に伴い同師団の任務を継承し主として南部呂宋地区の

  治安警備に任ず

   其三 第十及第X独立守備隊の行動

一、第十独立守備隊の二ケ大隊は河村支隊と同行し「パナイ」島及「セブ」島の

  守備を河村及川口支隊より継承し同島の守備に任ず

二、同守備隊の一ケ大隊は四月二十三日「オロンガボ」出港海軍間接護衛の下に

  同月二十九日頃「ダバオ」に到り三浦支隊長の指揮に入る

三、第十独立守備隊長の指揮する支隊主力(三大隊欠)は五月七、八日頃「オロ

  ンガボ」出港同月十一、十二日頃夫々「コタバト」及「カガヤン」に上陸

  「ミンダナオ」島の守備に任ず

四、川口、河村支隊転進に方りては在「ダバオ」独立守備の一大隊を之と同行せ

  しむ 該地区の警備は暫く三浦支隊を以て之に任ぜしむ

五、六月中旬到着予定の第X独立守備隊を左の如く行動せしむ

 1、一大隊を「パナイ」島に至り第十独立守備隊の大隊と交代後者を「ミンダ

  ナオ」島「スリガオ」「ブツアン」「アグサン」河谷方面に転進せしむ

 2、一ケ大隊(一中隊欠)を「セブ」島に到り第十独立守備隊の部隊を交代し

  後者を「ダバオ」付近に転進せしむ

  一中隊を「ボホール」島に到り該島守備の永野支隊の一部と守備を交代し後

  者を先づ「セブ」市に到らしむ

 3、一ケ大隊(一中隊欠)を「ネグロス」島に到り永野支隊の一部と守備を交

  代し後者を先づ「セブ」市に到らしむ

  一中隊を「パラワン」島に到り第四師団の一部をして同島を戡定せしめたる

  場合は之と守備を交代し後者を「マニラ」に到らしむ

 4、一大隊を「レイテ」及「サマール」島に到り永野支隊主力と其守備を交代

  す

  守備兵力は「レイテ」島「サマール」島各約二中隊と予定す

 5、永野支隊は「セブ」市に交代集結せる其一部を併せ「マニラ」に転進す

 6、一ケ大隊は呂宋島警備兵力増強の為直接「マニラ」に上陸す


 川口支隊はボルネオ作戦が終了していたので、三月二十三日ボルネオの北部ラブアン島を出発し、海軍の護衛の下に四月一日リンガエン湾に到着、作戦打ち合わせを行い、五日同湾を出発しセブ島へ向かった。

 川口支隊

  支隊長 陸軍少将 川口清健

    歩兵第三十五旅団司令部

    歩兵第百二十四連隊

    捜索第十六連隊の一コ小隊

    野砲兵第二十二連隊の一コ小隊

    野戦重砲兵第二十一大隊の一コ中隊

    独立工兵第二十三連隊の一コ小隊

    独立工兵第二十六連隊の一コ中隊(二コ小隊欠)

    第四十四碇泊場司令部の主力

    兵站部隊の一部


 川口支隊を護衛する海軍艦艇。兵力は次の通り。

  軽巡 球磨

  駆逐艦 村雨、五月雨

  水雷艇 雉

  特設砲艦 武昌丸

  特設水上機母艦 讃岐丸

  特設駆潜艇二隻

  第三十二特別根拠地隊陸戦隊

 

 川口支隊は四月十日未明、歩兵一コ大隊をセブ島西岸バリリに上陸させ、主力部隊は東岸アルガオに上陸した。

 バリリに上陸した大隊は米比軍を撃退してセブ市に向け進撃し、主力部隊はアルガオでの抵抗がないために、残余の部隊を以てさらに北方に向いセブ市の南西五粁地点のタリサイに上陸して、セブ市に進撃、夕刻にはセブ市内を占領したが、市内は米比軍により焦土と化していた。また、監禁されていた邦人約三百名を救出した。

 米比軍は、内陸部のサヤオサヤオ付近の山岳部にとウリン山付近に滞陣していた。支隊は十五日以降、包囲攻撃に入り、二十一日までに島内の掃蕩を完了した。


 パナイ島は河村支隊が攻略に向かった。支隊は四月五日リンガエン湾に到着して、作戦打ち合わせを行い、十二日出港した。

 河村支隊

   支隊長 陸軍少将 河村参郎

    歩兵第九旅団司令部

    歩兵第四十一連隊

    捜索第十六連隊の一コ小隊

    独立山砲兵第二十大隊

    野砲兵第二十二連隊の一コ中隊

    独立工兵第二十三連隊の一コ中隊

    独立工兵第二十六連隊の二コ小隊

    第四十四碇泊場司令部の一部

    兵站部隊の一部


 護衛艦隊

    軽巡 球磨

    駆逐艦 海風、江風、山風

    水雷艇 雉

    特設水上機母艦 讃岐丸


 河村支隊は十六日未明、主力部隊はイロイロ付近に上陸、一部をキャビス、サンホセに上陸させ、十八日には対岸のギマラス島に上陸させた。

 河村支隊は島内の平原を南北から進撃させ、二十三日までに米比軍を撃破して平原地帯を掃蕩し、二十四日、監禁されていた邦人約四百七十名を救出した。米比軍は我が軍との戦闘を避けて山岳地帯に立て篭もったため、河村部隊はこの米比軍の殲滅は取りやめた。米比軍の兵力はおよそ三千と推定され、以後治安部隊の独立歩兵第三十三大隊に委ねることになった。


 パナイ島には米比軍降伏後の米軍指揮官の訊問により、

  第一〇一師団

    師団長   代将 バション

   歩兵第百一連隊  兵力約一、七〇〇名

    連隊長  中佐 マクギー

    大隊  三

     中隊  三

     MG中隊 二

     迫撃砲中隊

   歩兵第百一野砲兵連隊

    連隊長  中佐 マクギー兼任

   歩兵第百三連隊

    連隊長  指揮官不詳

 が駐屯していた。

 

  川口支隊はセブ平定後、四月二十六日再び輸送船に乗り、海軍の護衛を受けてミンダナオに向った。

 二十九日ミンダナオ川を遡上して歩兵一コ大隊がコタバト市に上陸。主力はさらに北方のパランに上陸した。コタバトでは無抵抗。パランでは微弱な抵抗があったものの、米比軍は兵舎を焼き払って退却していった。支隊はピキットに監禁されていた邦人を救出解放した。

 支隊は米比軍がダンサラン地区にあるとの情報を得て急追し、途中にて米比軍と遭遇、これを撃退して五月四日〇四〇〇首都ダンサランを占領した。

 川口支隊長は三日に上陸する河村支隊を掌握下におき、マライバライにある米比軍を攻撃すべき命令を受け、六日カガヤンに到着した。 


 河村支隊は海軍護衛の下、五月一日にイロイロを出港し、三日未明ミンダナオのタゴロアン、ブゴに上陸し、一部はカガヤンに上陸したが、ここは米比軍が対上陸戦闘に備て防備を固めており、上陸戦闘は激戦となったが、かろうじて占領に成功した。

 川口支隊長は、カガヤンで歩兵一コ大隊を予備隊とし、他を主力として河村支隊に配属して、マライバライの米比軍を攻撃させた。

 ミンダナオ島のシャープ将軍は、ウエーンライト将軍からの降伏命令に接し、十日二一〇〇に河村支隊長に対し無条件降伏を申し出た。両将はマルコの小学校で対座して降伏調印を終わり、ミンダナオ島を占領したのであった。

 フィリピンの島々は多く、全部を占領するのは困難であり、代表的な島を確保することで作戦は終焉を告げた。あとは警備部隊による掃蕩作戦によらざるを得なかった。一部ではゲリラ活動により日本軍は治安維持に苦心することとなる。

 昭和十七年八月本間中将はようやく帰国し、十四日奏上のため宮中に参内する。天皇陛下は本間中将に対し次の勅語を下された。

「卿第十四軍司令官として重任を閫外に荷い重大の時局に善処して克く皇軍の威武を中外に宣揚せり朕今親しく復命を聴き更に卿の勲績と将兵の忠烈とを惟い深く之を嘉す」  

 (宮内庁編「昭和天皇実録第八」昭和十七年八月十四日条)

               東京書籍 平成二十八年)

 しかし、本間は八月三十一日付にて予備役編入となった。

            (この章終わり)


※この章を執筆するにあたり、以下の参考文献のお世話になりました。

(参考文献)

ダグラス・マッカーサー著 津島一夫訳

 「マッカーサー大戦回顧録」 中央公論新社 二〇〇三

増田弘著 「マッカーサー」 中央公論新社 二〇〇九

歴史群像シリーズ 「決定版太平洋戦争 ②開戦と快進撃」

               学習研究社 二〇〇九

歴史群像 「フィリピン攻略戦」 通巻七三号 

               学習研究社 二〇〇五

伊藤正徳著 「帝国陸軍の最後 1」 角川書店 昭和48年

穴吹智著 「蒼空の河」 光人社  二〇〇八

坂井三郎著 「大空のサムライ」 光人社 昭和四十二年

神立尚紀著 「零戦隊長 宮野善次郎の生涯」

            潮書房光人社 二〇一六            

佐藤暢彦著 「一式陸攻戦史」 潮書房光人新社 二〇一九

巌谷二三男著 「雷撃隊、出撃せよ!」 文芸春秋 二〇〇三

角田房子著 「いっさい夢にござ候 本間雅晴中将伝」

               中央公論新社 二〇一五

中西泰夫著 「奈良兵団バターン攻略戦の苦闘」

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

太田庄次著 「第十六師団の比島攻略作戦」

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

和田盛哉著 「第十四軍と比島攻略作戦」

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

島川正明著 「台南戦闘機隊南方の空を征く」

 (『太平洋戦争証言シリーズ⑧戦勝の日々』所収 潮書房)

北島驥子雄著 「バターンに炸裂した巨弾の大鉄槌」

 (丸エキストラ版 第五三集『秘められた戦記』潮書房)

服部卓四郎著 「大東亜戦争全史」 原書房 昭和四十年

ジョン・トートランド著 「大日本帝国の興亡2 昇る太陽」

               早川書房 二〇一五

防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書 比島攻略作戦」

           朝雲新聞社 一九六六

防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書 海軍進攻作戦」

           朝雲新聞社 一九六九

防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書 陸軍航空作戦」

           朝雲新聞社 一九七〇

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020495700〜「渡集団(14A)作命綴 昭和17年3月1日~17年5月5日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020499800〜「呂宋島攻略戦跡視察並に「コ」島要塞攻略戦闘参加に関する報告(其1.其2)」 昭和17年5月18日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020501900〜「呂宋島攻略戦跡視察並に「コ」島要塞攻略戦闘参加に関する報告(其3)」 昭和17年5月18日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020503800、表紙「第16師団作命綴」 昭和16年12月15日~17年5月2日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020509800〜「第16師団通信隊 マニラ攻略戦戦闘詳報」 昭和16年12月8日~17年1月3日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020511400〜「第16師団通信隊 陣中日誌 昭和16年9月25日~17年1月31日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020515200〜「第16師団通信隊 第1次バタン攻略戦戦闘詳報」 昭和17年1月27日~17年2月24日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020516300〜「第16師団通信隊 第2次バタン攻略戦戦闘詳報 昭和17年2月25日~17年4月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020519800〜「第16師団 第2野戦病院業務詳報」 昭和16年12月12日~17年7月31日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020522700〜「第16師団軍医部 「コレヒドール」攻略戦業務詳報 昭和17年4月12日~17年5月7日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020527700〜「第65旅団 ナチブ山付近戦闘詳報」 昭和17年1月9日~17年1月27日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020531500〜「歩兵第9連隊戦闘詳報」 昭和17年1月9日~17年1月26日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020533600〜「歩兵第9連隊 第3大隊陣中日誌 昭和16年12月1日~16年12月31日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020645100〜「比島作戦記録第1期」 昭和21年6月調(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020534100〜「歩兵第9連隊 第3大隊戦闘詳報 昭和16年12月22日~16年12月24日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020535000〜「歩兵第9連隊 第3大隊陣中日誌 昭和17年1月1日~17年1月31日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020535700〜「歩兵第9連隊 第1中隊陣中日誌 昭和16年9月25日~17年2月28日(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020536900〜「歩兵第9連隊 第10中隊戦闘詳報 昭和17年1月9日~17年1月14日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020539000〜「歩兵第20連隊第1大隊 戦闘詳報 昭和17年1月26日~17年2月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020539000〜「歩兵第20連隊第1大隊 戦闘詳報 昭和17年1月26日~17年2月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020541000〜「歩兵第20連隊 第2大隊陣中日誌 昭和16年9月25日~17年3月5日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020542500〜「歩兵第20連隊第2大隊 戦闘業務詳報 昭和16年12月24日~16年12月31日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020544100〜「歩兵第33連隊 マニラ攻略戦戦闘詳報 昭和16年12月8日~17年1月3日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020545400〜「歩兵第33連隊 第1大隊戦闘詳報 昭和17年4月26日~17年5月20日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020546100〜「歩兵第33連隊 第3大隊戦闘詳報 昭和16年12月8日~17年4月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020547000〜「歩兵第33連隊 第3大隊陣中日誌 昭和17年1月1日~17年1月31日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020547300〜「歩兵第33連隊 第3大隊戦闘詳報 昭和17年2月22日~17年3月6日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020548600〜「歩兵第33連隊 第3大隊戦闘詳報 昭和17年3月25日~17年4月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020551000〜「歩兵第122連隊第1大隊 陣中日誌 昭和16年11月1日~16年12月31日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020552300〜「歩兵第122連隊 第1大隊戦闘詳報 昭和17年1月21日~17年4月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020554000〜「歩兵第122連隊 第1大隊戦闘詳報 昭和17年3月16日~17年4月11日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020554600〜「歩兵第122連隊 第1.第2中隊戦闘詳報 昭和17年1月~17年10月」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020593400〜「独立山砲兵第3連隊 第1大隊コレヒドール戦闘詳報 昭和17年」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020595000〜「独立山砲兵第3連隊 第2大隊戦闘詳報 昭和17年4月12日~17年5月7日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020622900〜「工兵第4連隊 「コレギドール」要塞攻略戦闘詳報 昭和17年4月12日~17年5月7日」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020638000〜「第9、20、33連隊 戦闘経過要図 昭和17年」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14020647400〜「比島作戦記録第1期 附録」(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13120042100、第1空襲部隊機密第2号~第11号 (昭和16年12月8日~昭和16年12月17日)(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051591800、昭和16年12月~昭和17年2月 高雄空 飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051601300、昭和16年12月~昭和17年1月 台南空 飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051613100、昭和16年12月~昭和17年2月 鹿屋空 飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051621100、昭和16年12月~昭和17年2月 1空 飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051624100、昭和16年12月 3空 飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030249800、昭和16年12月1日~昭和19年3月19日 第2根拠地隊戦時日誌(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030117600、昭和16年12月1日~昭和16年12月28日 第5水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030088000、昭和16年12月6日~昭和17年1月3日 第2水雷戦隊戦闘詳報(1)(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030657600、昭和16年12月8日~昭和17年2月6日 特設水上機母艦讃岐丸戦闘詳報(1)(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030042300、昭和16年12月16日~昭和17年2月28日 第5戦隊戦闘詳報戦時日誌(1)(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030620500、昭和16年11月20日~昭和17年4月30日 第1号哨戒艇戦時日誌戦闘詳報(1)(防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051585700、昭和16年12月~昭和17年8月 龍驤飛行機隊戦闘行動調書(1) (防衛省防衛研究所)」

「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030108100〜 昭和16年12月7日~昭和16年12月24日 第4水雷戦隊戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」

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