第三四話 総攻撃開始

 四月三日の夜が明けた。軍の砲兵隊は射撃準備に向けて全員が怠りなく準備を進めていた。

 〇九〇〇効力射撃準備射撃の時間となった。各砲兵隊は一斉に砲撃を開始した。砲兵隊の戦闘詳報はほとんど見られないが、一部第六十五旅団にあった独立山砲第三連隊第一大隊のものから少しはわかるであろう。


『〇九〇〇大隊は一斉に「ハト」「キジ」の南部及び其の南方「アヒル」「サル」の要点に対し効力射準備射撃を実施し〇九四〇之を終了せり

一〇〇〇より攻撃準備射撃を開始し大隊全火力を以て一斉に「ハト」「キジ」各南部及「アヒル」「サル」に指向し之に集中猛火を浴せたり

殊に「アヒル」「サル」両陣地の重火器群に対する集中射に於ては之に完膚なき迄に破壊せり

又本射撃間「カモ」陣地南方付近より大隊陣地に対し敵砲兵の猛射を受けたるを以て第三中隊をして之が制圧に任ぜしむ

一三〇〇射撃中止。

一四〇〇より第二次攻撃準備射撃を開始し先づ第三中隊は再度「カモ」南方敵砲兵を制圧せしめ続いて「カモ」「アヒル」を又、第二中隊安曇小隊をして「サル」に対し第一中隊を「サル」「クマ」に各々集中射を実施せしめ主として陣地諸施設の破壊を目的とし射撃を実施せしめ其の効果極めて甚大なるを確認す

次で一四三〇大隊全火力を以て「ハト」「キジ」各南部に対し突撃支援射撃に極めて困難なる地形なるにも不拘急襲的確なる集中猛火を浴せ敵を圧倒せり

一五〇〇稍々ようよう第一線攻撃前進を開始の旨電話連絡ありたるを以て逐次射程を延伸し後方陣地に対し前射撃を反復せしめ頑強に第一線の攻撃前進を妨害する「アヒル」「サル」「クマ」「カモ」の敵陣地に対し極めて適切有効なる射撃を実施し敵を圧倒震駭せしめ以て両翼隊第一線大体の攻撃を極めて容易ならしむ

一八三〇より更に「アヒル」「イヌ」「ウマ」に対し第一中隊をして射撃せしめ一九〇〇射撃中止

本日の射撃に於て第一、第二中隊の「クマ」「サル」に対する射撃及第三中隊の「アヒル」に対する射撃は適切にして極めて有効其の効果甚大なるを確認す

之より先(第百四十一連隊第二大隊)の攻撃に直協せしむべく該方面に派遣せし第二中隊長の指揮する火砲二門は「リヤング」北方「ティアウエル」河南岸各端に点在する十数個の敵掩蓋火点の破壊に任じ一四三〇射距離百米内外を以て一斉に射撃を開始し至短時間に之が完全なる破壊に成功而して第一線大隊同大隊の攻撃前進を極めて容易ならしめたり

一五〇〇射撃中止と共に第一線大隊は戦車援護の下に渡河前進を開始し攻撃極めて順調に進捗し一五三〇には早くも対岸台地の敵陣地を占領爾後逐次戦果を拡張しありとの通報に接す

二〇〇〇第二中隊主力は大隊主力陣地に皈還す

是より先本早朝大隊長は右翼隊方面の攻撃に密接なる協力をなすべく〇七三〇第三中隊をして武藤中尉外通信一構成班並に所要の観測手等を以て連絡班を編成せしめ右翼隊正面「ティアウエル」河北側各端に派遣し第一線大隊たりし(第百二十二連隊第二大隊)長と歩砲協同に関し密に連絡せしむると共に爾後大隊(主として第三中隊)の右翼隊協力射の射弾観測に任ぜしむると共に併せて敵情捜索を実施せしむ

本日の戦斗に於て大隊観測所及各中隊陣地は「カモ」陣地南方と「オリオン」山付近の二方向よりする敵砲兵の砲撃最も熾烈を極め直接観測所及砲側付近に弾着し直撃弾或は破片陣地内に四散し悽愴を極め之がため大隊は相当大なる損害を蒙りたるも各隊長以下勇敢沈着上下一致必勝の信念に燃え闘志満々として志気極めて旺盛何等遮蔽物とてなき敵瞰制下の陣地に於て毅然として戦斗を続け常に正確主動の火力を遺憾なく発揚せり』


 砲撃は朝より夕刻まで続けられた。敵陣地にも相当な被害を発生させたであろうが、敵砲兵隊も果敢に打ち続けてきた。まさしく両軍乱れての砲撃戦であった。陣地間の通信線は砲撃で寸断され、補修し、また寸断、また補修という状況下での砲撃戦であった。またこの第一大隊では陣地に敵砲撃を受けて、戦死二名、負傷者十五名を出している。第一大隊が射った弾数は榴弾二、五三〇発にも上った。通常の掩護射撃より相当多くの砲弾を見舞ったのである。


 軍砲兵隊プラス各兵団所属の砲兵隊を含めると二五〇から三〇〇門の砲が敵陣地をほぼ一日砲撃したのであるから、サマット山一帯の敵陣地は砂塵が舞い上がり、上空は砲煙に包まれ視界は遮られた。

 日本軍の砲兵隊によるまとまった砲撃戦は数少ない。緒戦では香港、シンガポール、バターンである。その中で、一番砲撃戦で弾を注ぎ込んだのは、バターン・コレヒドール戦であったろう。陸軍が大規模な砲兵戦を展開したのは、後に沖縄戦でしかない。硫黄島でも砲撃戦を行ったが、大口径砲の使用からいえば、バターン戦と沖縄戦位であろう。


 砲撃による攻撃に拍車をかけたのが、飛行団により爆弾の雨である。

 飛行第十六戦隊は延五十九機を十二回にわたり出撃させ、第四師団、第六十五旅団正面の敵第一線陣地に対し五〇粁爆弾三四六発を投下爆撃した。

 飛行第六十戦隊は延五十四機を六回にわたり出撃させ、同じく第四師団、第六十五旅団正面の敵陣地に対し、一〇〇粁爆弾五三発、二五〇粁一〇八発、五〇〇粁一八発を投下爆撃した。

 飛行第六十二戦隊は延三十四機を六回にわたり出撃させ、第四師団正面の敵陣地に対し、一〇〇粁二〇〇発、二五〇粁二四発を投下爆撃した。


 第六十一連隊は砲撃と空爆の攻撃が終了した十五時過ぎ、第一線配置部隊は前進を開始した。戦闘詳報にある天候は晴れ、最低気温二十五度、最高気温三十六度。日本でいえば真夏の気温である。前線からは敵味方の重機関銃の音が乱れ飛んだ。第一大隊は十七時「タイ」河南側台上に進出を果たしたが、第三大隊の通信線は断線したため戦況は不明となった。

 敵の推定兵力は「タイ」河南岸付近に約一千名。「サマット」山西北方付近に六百から七百。「サマット」山北側には約七百の敵がいると思われた。

 第一大隊は十八時「さくら」陣地に向い前進し、一八五〇に同陣地に進出。

 一九〇五には右翼隊より入電。

「第一線は夜に入るも攻撃を続行し「カトモ」河左岸高地に進出し爾後の攻撃を準備すべし」


 連隊長は第一線部隊に対し態勢を整え前面の敵情地形を捜索して前進準備を命じた。第三大隊は敵陣地を突破して二十号道の線まで進出した。戦車第七連隊の第三中隊は敵陣地を蹂躙して二十号道の「カトモ」河橋梁付近に集結していた。

 二十一時各隊長は連隊本部に集合し、各部隊の戦況を把握すると共に、次の攻撃前進命令を下した。

 三日から四日にかけての戦闘で、歩兵第六十一連隊の参加人員は将校七十九名、准士官兵二、二三六名で、戦死将校三名、准士官兵四十二名。負傷者将校四名。准士官兵七十九名を出していた。捕虜は将校三名、准士官兵四十五名であった。


 第百二十二連隊第一大隊の前面も、同じように〇九〇〇より効力射撃準備射撃を開始し、一〇〇〇より攻撃準備射撃を開始した。それと共に上空には陸軍爆撃機が現れ、敵陣地に対し爆撃を加えた。

 〇九〇〇第一線部隊は「チヤハル」川を渡河し「ハト」陣地を右翼より席捲し之に突入該陣地前端を奪取し、一一〇〇頃敵兵は「ハト」陣地を退却していった。部隊は南端まで進んで次の「アヒル」陣地への攻撃準備を進めた。第一機関銃中隊は退却中の敵兵に対し射撃を浴びせた。しかし、敵の機関銃も日本軍の機銃陣地に対し反撃の射弾を浴びせてきたため、一名が戦死した。

 また「ワシ」陣地後方の敵砲兵部隊より「チヤハル」川左岸台上に展開する重火器部隊に対し砲撃を加えられ、兵二名が負傷した。


 第一大隊砲小隊と第一機関銃中隊は一五〇〇迄に射撃準備を完了し「キヂ」「アヒル」陣地の銃座に対し砲撃を加え沈黙させた。

 一八三〇頃前線部隊は突撃に移ったが、敵Q陣地の側方機関銃からの猛射受けたため、第一機関銃中隊はこの銃座に対し射撃制圧を行なった結果、敵からの銃撃は亡くなった。

 一八四〇には前線部隊は「アヒル」陣地北端を奪取し、さらに南下していった。

 四日〇一三〇には第一大隊砲小隊と第一機関銃中隊は前線部隊に追及し、〇三〇〇「アヒル」陣地南端を占領した。

 三日二一三〇連隊命令を令したことを受け、第一大隊長柳瀬少佐は部隊に対し命令を発した。


夏二ろ作命甲第五五号

   第一大隊命令      四月三日

               マルヂック河谷

一、第一線部隊は「ハト」「アヒル」「カモ」の諸陣地を奪取せり 右側支隊は

 道路屈曲点付近を確保しあり 左翼隊は後方より「キヂ」陣地を攻撃中なり

 右翼隊は第二大隊を第一線とし本三日夜先づ「バガック」ー「リアング」道南

 方二〇〇米林縁の線に態勢を整理し攻撃を続行し重点を左翼稜線に保持す

二、大隊(第二中隊欠)は第二線部隊となり一部重火器を以て「アヒル」陣地に

 推進し爾後の第一線の攻撃に密に協同せしめ主力は本三日夜半現在地出発「チ

 ヤハル」川北岸台上に進出し爾後の前進を準備せんとす 「チヤハル」川北岸

 発進の時期は別命す

三、第一機関銃中隊(大隊砲小隊欠)はなるべく速に「アヒル」陣地付近に陣地

 を推進し爾後の第一線の攻撃に密に協同すべし 陣地の細部に関しては第二大

 隊長と協定すべし

四、大隊砲小隊はなるべく速に「アヒル」陣地付近に陣地を推進し爾後の第一線

 の攻撃に密に協同すべし 陣地の細部に関しては第二大隊長と協定すべし

五、爾余の諸隊は本三日二四〇〇「チヤハル」川北岸台上に到る前進準備を完了

 すべし

  前進順序左の如し

    第三中隊ー大隊本部ー第一中隊

 第三中隊は之が誘導に任ずべし

六、島田少尉は第一機関銃中隊大隊砲小隊及第三中隊と大隊本部間の通信網を構

 成すべし

七、余は本三日二四〇〇主力と共に「チヤハル」川北岸台上に前進す

            大隊長  柳瀬少佐


 第一大隊の第三中隊、第一中隊、大隊本部は大隊命令に基づき、「チヤハル」川北岸に向い前進を開始した。敵の砲撃は「マルヂック」河谷「チヤハル」川北岸に集中していた。大隊本部は前進路付近の地雷を除去しての前進となった。

 一三〇〇に「アヒル」陣地の北端に達し部隊を集結して態勢を整えた。

 第一線部隊は一一〇〇「ワシ」陣地を突破してY一八六四の線まで進出した。第三中隊は残敵を掃蕩しつつ右側支隊に連携してY一八六四に至る間を西側を警戒しつつ連絡路を確保した。

 一六三〇には神野少尉を将校斥候として第二大隊に連絡を果たすと共に大隊の進出路を偵察させた。第一大隊主力は一八〇〇に前進をはじめ第二大隊付近の「ワシ」陣地前端に進出した。明日からの攻撃に備え部隊は現在地にとどまっていた。


 第四師団、第六十五旅団の正面にあたる敵第一線部隊陣地は日本軍の圧倒的砲撃により、一部は壊滅状態となり、陣地の維持が困難となり、第二線陣地に退却しつつあった。一部の第一線陣地は抵抗を見せていたものの、日本軍部隊の攻撃に圧迫され陣地を捨て後退しつつあった。


 第三十三連隊長の鈴木大佐は四日午前命令を下した。

鈴作命乙第六号

   鈴木部隊命令      四月四日 一〇四〇

               松南方一粁タクバオ河河谷

一、師団よりの通報に依れば軍主力の攻撃は目下概ね順調に進捗しあるものの如

 く奈良兵団右翼方面は本四日早朝其の第一線を以てX一九・二Y六五・四及X

 二〇・〇Y六五・四及X二〇・八Y六五・五付近迄進出しあるものの如く引続

 き攻撃準備中なり

二、連隊は奈良兵団との隣接部との連絡を確保すると共に師団将来の転進の為K

 道に沿う地区の道路を偵察す

三、第二大隊は有力なる斥候を以て成るべく速に奈良兵団最右翼部隊と連絡する

 と共にX一九・〇Y六五・九及X一八・五Y六五・三付近の敵情を捜索すべし

四、第三大隊は成るべく多くの斥候を以て明五日中に師団の将来東方に転進に際

 し利用し得べき梅ー「マルジック」河間に於けるK道以外の駄馬道の有無を偵

 察すべし

五、予は松南方約一粁「タクパオ」河河谷に在り

     歩兵第三十三連隊長  鈴木大佐


 第三十三連隊の各部隊は、砲撃開始後の四月五日中に前進すべき位置につくよう行動を開始した。

 歩兵第三大隊は連隊命令に基き複数の将校斥候を派遣した。岡部少尉、河口少尉らの斥候隊は駄馬道の偵察を行ったが、使用すべき道はなく、一五〇〇に部隊に帰還した。

 六日には連隊に対し軍主力部隊の攻撃は順調かつ有利に進捗している報告が入り、第三十三連隊の各部隊はK道確保に邁進した。

 七日には連隊は「松」付近に集結し、マリべレスへの追撃戦に備ることとなった。連隊正面に有力なる敵部隊の存在はなく、部隊は敵を押し包むような形で前進していった。


 歩兵第二十連隊は、五日第九連隊と警備地区を交代しその為に移動を開始した。第一中隊は木村台の第九連隊第五中隊の位置に到着したが、敵からの砲撃を受け、陣地引き継ぎ完了したのは一五三〇であった。同中隊は前面の敵情地形を捜索し敵と対峙しつつ夜を徹した。敵は夜間時々砲撃を加える共に、機関銃で掃射していた。日本軍の夜襲を警戒しているのかもしれなかった。


 三日日本軍砲兵隊の猛射で始まり、そして航空機からの爆撃、そして歩兵の前進が始まった。正攻法の攻撃法であった。

米比軍も砲兵を以て反撃を加えたが、流石に日本の砲兵隊に圧倒された。特に、第四師団、第六十五旅団の前面は米比軍の第一線の堅牢な陣地があり、砲撃で残った陣地からは反撃を受けて、日本軍も損害を受けたが、流石に米比軍は長期戦で疲弊しており、第一線陣地を放棄して第二線陣地へと後退を始めていた。

 マリべレス山西側の敵陣地は薄弱で、第十六師団の各連隊は反撃を受けたものの大した損害もなくジワジワと南下し、米比軍陣地を包囲すべく圧迫していった。

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