第三三話  第二次バターン戦攻撃発起点へ

 第十四軍司令部は、三月二十八日攻撃に関する命令を下達した。

渡集作命甲第三七七号

    第十四軍命令    三月二十八日

              サンフェルナンド

一、「マニラ」湾口要塞に対する我が爆撃は絶大の効果を収めつつあり

 海軍は軍の攻撃に協力し依然「コレキドール」島其の他敵戦線後方要地を爆撃

 し且「マニラ」湾封鎖を強化すると共にバタン半島西海岸方面を砲撃す

二、軍はZ日当面の敵に対する攻撃を開始し重点を第四師団右翼正面に保持し

 「パンチガン」川より「サマット」山北麓に亘る第一陣地帯を突破し先づ「サ

 マット」山南麓東西の線に進出せんとす

三、第十六師団はZー三日より当面の敵陣地に対し主として火力を以てする陽攻

 を行い敵を「バタン」半島西海岸方面に牽制し軍主力の作戦を容易ならしむべ

 し

 軍主力方面の作戦進捗に伴い一部を以て「バガック」北方高地を占領して「モ

 ロン」方面を掩護せしめ主力は「リアング」西北方地区に転進する如く準備す

 べし 転進開始の時機はZ+五日頃と予定す

 「モロン」方面の掩護に任ずる部隊は四月中旬第十独立守備隊の一部と交代せ

 しめ師団に復帰せしむる筈

四、第六十五旅団はZー二日迄に「チアベル」川左岸台端付近の攻撃準備の位置

 に就きZ日攻撃準備射撃に引続き攻撃前進を開始し重点を左に保持し当面の敵

 陣地を突破して「パンチガン」川右岸台上を先づ「サマット」山西南側地区に

 進出すべし爾後引続き「マリべレス」山北方四叉路付近に向う前進を準備すべ

 し

 主力の攻撃に先だち一部を以て「パンチガン」川左岸台端付近の敵陣地を奪取

 せるに勉め主力の攻撃を容易ならしむべし

五、第四師団はZー二日迄に第六十五旅団に連繫し「チアベル」川左岸台端付近

 の攻撃準備の位置に就きZ日攻撃準備射撃に引続き攻撃前進を開始し当初重点

 を右翼正面に保持し「カトモ」川左岸高地及「サマット」山北麓の敵陣地を突

 破し同山東南麓地区に進出すべし、爾後概ね五号及六号道に沿い「ママラ」川

 左岸台上に向う前進を準備すべし

六、永野支隊は前任務を続行すべし

 軍主力の攻撃開始当日より概ね三日間夜間の一部の兵力を以て「バタン」半島

 東海岸道方面に陽動し当面の敵を欺瞞牽制するに勉むべし

七、軍砲兵隊は前任務を続行すると共にZー一日迄に主力を以て「バランガ」西

 方より「ナチブ」山東南麓に亘る地区に展開し左の任務に服すべし

 1、第六十五旅団一部の「パンチンガン」川左岸台端付近の敵陣地に対する攻

  撃に一部を以て直接協力

 2、軍砲兵司令官はZ日朝より効力射準備射撃を開始し之に引続き攻撃準備射

  撃を実施す

  之が為第四師団の野砲三大隊及第六十五旅団の野砲三中隊山砲一大隊を統一

  指揮す

  攻撃準備射撃に在りては主力を以て主としてX八二〇・五付近よりX八二

  二・五付近に亘る間の「チアベル」川以南概ね二十号道に至る区域の陣地諸

  施設の破壊に又一部を以て第一陣地帯に於ける他の要部の破壊、敵砲兵の制

  圧竝に指揮組織の崩壊に任ず

 3、第六十五旅団第四師団の攻撃前進開始以後に於てはZ日Z+一日は主力を

  以て「パンチガン」川「カドモ」川間の一部を以て「サマット」山北麓の敵

  陣地を制圧して第一線兵団に直接協力す Z+二日以後は主として第四師団

  に直接協力す

 4、戦闘進捗し第四師団概ね「サマット」山北麓の陣地を奪取せば機を失せず

  野戦重砲兵第一連隊(一中隊欠)を之に配属するの準備に在ると共に逐次

  「サマット」山北麓及「チアベル」川盂に陣地を推進す

 5、第一線兵団攻撃開始後に在りては一部を以て対砲兵戦を続行すると共に昼

  夜に亘り敵陣内及敵後方交通要点に適時交通妨害射撃を実施主として敵の兵

  力移動及増援を妨害す

八、軍飛行隊は前任務を続行し且敵軍の企図後方状況を捜索するの外左の如く行

 動すべし

 1、Zー三日より三日間主力を以て「バタン」半島敵第一線後方の陣地諸施設

  及砲兵等を覆滅震撼すると共に有力なる部隊特に軽爆の主力を以て直接第十

  六師団に協力す又Zー三日以降一部を以て軍砲兵隊の気球を掩護す

 2、Z日攻撃準備射撃終了迄直協中隊の主力を以て軍砲兵隊に協力し爾後其各

  一部を以て第六十五旅団第四師団軍砲兵隊に協力す

 3、Z日攻撃準備射撃と協調し主力を以て第六十五旅団第四師団当面の第一陣

  地帯帯特に成し得る限り其前縁に近き陣地要部を破壊若くは制圧震憾し第一

  線兵団攻撃前進を開始せば直接之に協力す

 4、Z+一日主力を以て第六十五旅団及第四師団の戦闘に直接協力し敵の第一

  線を制圧震憾す

 5、Z+二日以降主力を以て第四師団の陣地突破に直接協力す

 6、Z日以降昼夜に亘り所要の兵力を以て敵砲兵を制圧す

九、軍砲兵隊及軍飛行隊の対砲兵戦闘に関する戦闘区域を概ね左の如く定む

   軍砲兵隊  Y一八五九以北の地区

   軍飛行隊  Y一八六三以南の地区

  但し地形目標の景況其他に依り相互協定し右区域の一部又は担任目標等を変

  更することを得

一〇、軍砲兵司令官の行う攻撃準備射撃開始の時機及第六十旅団第四師団の攻撃

 前進開始の時機は前者に在りてはZ日十時後者に在りては同日十五時とす

 歩砲飛協同の準拠別紙の如し(省略)

 Z+一日に於ける第六十五旅団及第四師団に二十号道付近の線よりする攻撃前

 進の時機は遅くも十二時とす

一一、独立工兵第二十一連隊は其砲艇隊を以てZ日夜より永野支隊の「バタン」

 半島東海岸道方面に於ける陽動に連繋し概ね「パンダン」岬「リマイ」に亘る

 間を海上より砲撃し敵の後方を擾乱するに勉むべし

一二、軍通信隊は主力を以て「オラニ」軍司令部と第十六師団、第六十五旅団、

 第四師団永野支隊軍砲兵隊及軍飛行隊間の連絡に任ずると共に一部を以て依然

 現任務を続行すべし

一三、軍道路隊は主力を以て第一線兵団後方道路の整備並に軍砲兵隊の展開及陣

 地変換援助に任ずると共に一部を以て現任務を続行すべし

一四、「マニラ」防衛司令官及捜索第十六連隊長は前任務を続行すべし

 軍「バタン」作戦間特に警備を厳にして治安の確保に遺憾なきを期すべし

 捜索第十六連隊長は速かに輜重兵第十六連隊の一中隊(二小隊欠)を原所属に

 復帰せしむべし

一五、予は三月三十日「オラニ」軍司令部に到る

      第十四軍司令官   本間中将


 軍砲兵隊は三十一日Z日の攻撃準備射撃に関し、射撃計画を示した。

  第一  方針

 攻撃開始の初動に当り軍主攻撃方面に於ける敵第一線陣地の防禦施設を破壊し

 且守兵を圧倒震駭すると共に敵砲兵及指揮機能を撲滅して全面的に敵の抗戦力

 を破摧し以て第一線兵団の攻撃前進を容易ならしむ

   第二  射撃部隊

 本射撃に参加する部隊は軍砲兵第六十五旅団の野砲三中隊山砲一大隊及第四師

 団の野砲(軽榴)三大隊とし軍砲兵司令官之を統一指揮す

   第三  射撃の時期

 X日一〇〇〇より一五〇〇に至る間効力射撃準備射撃に引続き実施す

   第四  射撃すべき目標

一 防禦施設を破壊すべき敵陣地は「バンチンガン」川「カトモ」川「チアウエ

 ル」川二十号道路間の陣地とし重点を「チアウエル」川南岸に指向すると共に

 若干の火力を其の周辺陣地に指向す

二 撲滅すべき敵砲兵及指揮機能は「サマット」山以東の地区に現出すべき敵を

 主眼とし状況に依り其の他の方面の敵に対し火力を指向す

      (以下省略)


 歩兵第二十連隊は第一次バターン戦で手痛い損害を受け、補充兵、兵器の補給を受けた上、密林内での戦闘法やその他の訓練を実施して次期作戦に備えていた。

 第二次戦闘についての第二十連隊の任務は、二六〇・七高地以西の敵に対し陽攻を実施する予定であった。第一大隊は左翼隊の位置へ、第二大隊は右翼隊の位置に進出する。左翼隊は歩兵第三十三連隊に連繋して松原台付近の陣地へ進出するために陣地を固めていた。

 この二十連隊の正面の米比軍は第十一師団と第三十一師団の第三十三連隊、そして第一師団の一部で約二万の兵力があった。

 歩兵第二十連隊長吉岡大佐は三十日連隊命令を出して、総攻撃に対する攻撃命令を下達した。


吉作命甲第九十三号

  歩兵第二十連隊命令      三月三十日 一七四四

                 笠置山 東麓

一、軍は総攻撃開始後機を見て師団の一部を残置し西海岸特に西海道を掩護し主

 力を東海岸正面に転進せしめついで新に四月五日頃比島に到着すべき独立守備

 歩兵約一大隊及砲兵の一部に師団残置部隊の任務を申継きたる後之を師団主力

 に追及せしむる事あるを予期す

 師団は新に到着する部隊のため「リムタン」川河谷以西笠置山を中心とする防

 禦陣地を施設す

二、連隊は主として西海道方面現砲兵陣地より「シランガン」山方面に通ずる請

 山系を扼止し得る如く「カバヨ」付近既設陣地より笠置山東南麓新自動車道路

 南側を経て△一一七四・六高地南南西約一二〇〇米稜線に亘る線を主抵抗線と

 する約一ケ大隊(砲四中編成)分を構築せんとす、歩兵団予備隊は当連隊の構

 築する陣地左翼に対する敵の迂回を防止し得る如く△一一七四・六高地東南方

 千米新自動車道付近に歩兵約一小隊の東南面する陣地を構築す

三、第三大隊は現任務を続行すると共に現既設陣地に連繋しX八〇九・八Y一八

 六四・八の閉鎖曲線に亘る線を主抵抗線とし海岸より△七三・八を経て概ね

 「リムタン」河左岸台上に沿い図上「リムタン」河N字に亘る間を射撃し得る

 如く陣地を構築すべし

四、第一大隊は右第三大隊の構築する陣地に連繋しX八一〇Y一八六五付近の稜

 線より概ね三〇〇の曲線の中間に沿い東北上し新自動車道南側を経て△一一七

 四・六南南西約一二〇〇米の稜線を主陣地とし図上「リムタン」河A字付近よ

 り概ね「タァヤウ」川左岸台上に沿い七〇〇曲線に亘る間を射撃し得る如く歩

 兵約二ケ中隊重機関銃二ケ小隊分の陣地を構築すべし

五、陣地設備は概ね四月五日頃迄に完了すべし

 其強度は重火器は掩蓋其の他は立射掩体主要部分の交通設備鉄条棚(主要部分

 は屋根型)の程度とす

六、細部は直接第三大隊は副官に第一大隊は現地において隊長に指示す

七、余は笠置山東麓に在り

             連隊長  吉岡大佐


 翌三十一日、吉岡連隊長は各大隊長らを引き連れて、周辺の地形偵察を行い、現地において指示を与えた。それを受けて、各大隊長は麾下中隊に対し細部に亘る大隊長命令を下し、四月一日よりそれぞれが陣地構築を開始した。大隊長は各陣地を視察して指示注意を与えた。陣地構築は四日正午頃まで続けられおおよそ完成した。


 歩兵第三十三連隊連隊長の鈴木大佐は三月二十七日、麾下部隊に対して次期作戦への準備を進める命令を下し、三十一日には次のように新たな攻撃目標を示した。

 

鈴作命甲第一一三号

   鈴木部隊命令     三月三十一日二〇〇〇

              松南方約一粁 タクパオ河谷

一、歩兵団は別紙第一師団陽攻計画に基き奈良兵団右翼の攻撃に策応し一部を以

 て中山道、山陰道「ラバ」河三角地帯の敵前方部隊を駆逐すると共に西海道方

 面の敵を抑留す 其の要領別紙第二の如し

 奈良兵団は先づ一部を以て四月二日「テイアウエル」河ー「マルディガ」河と

 の合流点西南方の敵陣地の一角を奪取し次で主力を以て四月三日「パンチンガ

 ン」河右岸地区の敵陣地に対し攻撃する筈

二、連隊は四月二日奈良兵団右翼の攻撃に連繋し一部を以て「霰」及「雲」付近

 の敵陣地前方部隊を駆逐せんとす

三、第二大隊(欠除部隊如き故新たに第三大隊の歩兵一中隊及MG一小隊を配属

 す)は奈良兵団右翼の攻撃に連繋し四月二日重点を努めて左翼に保持し「霰」

 及「雲」付近の敵陣地の前方部隊を駆逐し「ラバ」河北岸地区を確保すべし

 攻撃前進の時機は別命す

四、第三大隊は直に歩兵一中隊及MG一小隊を第二大隊に配属すべし

 但し前記歩兵一中隊の一部を以て爆薬投擲班一を編成すべし

五、通信中隊は現任務を続行する外明一日正午迄に現第二大隊本部と野砲第三大

 隊本部間の有線網を構成すべし

六、爾余の諸隊は依然前任務を続行すべし

七、予は松南方約一粁「タクパオ」河河谷に在り

  四月二日早朝 △五六〇・一高地に至る

     歩兵第三十三連隊長   鈴木少佐


別紙第一

  師団陽攻攻撃計画の要旨

 第一次

  期日  三月三十一日ー四月一日

  要領 1、主として砲兵を以て行う

       砲兵射撃の実施の細部は別表射撃計画に依る

              (省略)

     2、歩兵は△二六〇高地に対し南面して之に攻撃を指向する如く攻撃

      準備を進むるも其の配置につく時機攻撃開始の時機は別に定む

     (歩兵射撃開始と陣地につく時機は四月五、六日)

     3、三月三十一日及四月一日夜大曲、小曲の中間付近に於て9iは信号

      弾を発射し敵を牽制す


 第二次

  期日  四月二日ー四月三日

  要領 1、奈良兵団の右翼の攻撃に連撃する如く「ラバ」川河畔の敵を攻撃

      す

     2、砲兵射撃の要領は別表射撃計画の如し

          (省略)

     3、歩兵は火力を主体とする部隊を以て藤付近の陣地に対し重点を指

      向する如く陽攻を実施す

       歩兵の攻撃前進の時機は奈良兵団の攻撃開始時機と同時と予定す(午後)

 第三次

  期日  四月四日以降

  要領 軍主力方面の攻撃の成果と当時の状況により之を定むるも概ね砲兵を

     以て第一次陽攻と同様の射撃を実施し歩兵を以て(9i,20iの各一部)△

     二六〇及其の西方敵第一線陣地に対し重点を指向する如く重火器を主

     体とする部隊を以て射撃す


 歩兵第三十三連隊の攻撃計画は以上のように定まった。


 第四師団の行動のうち、戦闘詳報が残置している歩兵第六十一連隊の行動を見てみよう。

 まず気象のところで、最高気温は三月下旬といえど、三十五度から三十六度であり、陣地構築は移動は暑気で相当大変であったと思う。地形も標高二百メートルの台上の地形で、南北に急斜面で河川が走る。竹藪や樹林密生して視界も甚だ悪く、敵情の偵察には困難を伴った。行動を阻害するもの多く、また目立つものもないため地点の掌握が困難であった。


 第六十一連隊は三月二十八日に奈良兵団の攻撃に策応して敵警戒部隊を駆逐して「タイ」河北岸に進出して敵情を捜索すべき命令を受けた。連隊長は本庄副官を「アボアボ」河畔にある第三大隊に派遣し、速やかに攻撃準備をするよう命じた。連隊長は師団司令部にて作戦遂行注意すべき事項を確認し帰隊し、第三大隊の残置部隊を早急に「アボアボ」に追及するよう命じた。また十七時頃本庄副官が帰隊し、第三大隊は既に警戒部隊駆逐戦闘を考慮して準備実施中で在るとし、対壕作業も二十八日迄に概ね完成するとした。


 第三大隊左第一線中隊たる第十一中隊中村少尉は二十五日七時三十分部下五名を率いて敵情地形偵察に出かけたところ、軽機二を有する約三十名の敵と遭遇し三十分の交戦に及び、敵は退却していったが、中村少尉は壮烈な戦死を遂げた。

 連隊長は第三大隊の左第一線中隊を第一大隊の一部と交代させ、第三大隊をして前面の敵を撃破して「タイ」河北岸台端に進出させ、第一大隊は第三大隊の左側背を掩護するよう命じた。

 三十日までの戦闘で、第六十一連隊は戦死将校下士官兵合わせて二十九名、負傷者は四十三名に達した。


 三十一日「タイ」河北岸に進出したあと、さらに前面の敵情地形を捜索した。戦車中隊が配属されたため、戦車隊と協力して敵情を捜索した。

 一日連隊長は早朝より歩兵団長と共に、第一線に進出して敵情把握に努めた。この日歩兵団からの連絡によれは左翼隊の第八連隊は「アボアボ」南方六百米片点線路付近に進出したとのことであった。

 この日米比軍は我が行動を阻害すべく砲撃を加えてきて、三十日から二日にかけて戦死八名、負傷者二十五名を出した。


 歩兵団からの命令に基づき、連隊長は攻撃命令を下達した。


淀七四作命第四〇号

    歩兵第六十一連隊命令

一、連隊正面の敵警戒部隊は第一線両大隊の攻撃に依り「タイ」河南岸に後退し

 又左翼隊正面の敵は逐次「サイ」河の線に後退しつつあるものの如し

 右翼隊は三月十五日攻撃準備射撃に引続き重点を右翼に保持しつつ先づ「タ

 イ」河南岸及「カトキ」河左岸高地の敵陣地を奪取したる後依然重点を右翼に

 保持して「カトモ」河南岸高地の敵陣地を突破し「サマット」山北麓敵陣地の

 後端に進出す

 第六十五旅団は三日十五時攻撃前進を開始し重点を左に保持し当面の敵陣地を

 突破して「パンチンガン」河右岸台上を先づ「サマット」山西南側地区に進出

 す

 左翼隊は三日一部を以て当面の敵警戒部隊を駆逐して「サイ」河北岸の線を占

 領し四日日没後攻撃準備位置を「サイ」河北岸の線に推進し五日払暁攻撃準備

 二日九時隷下指揮下各隊長を連隊本部に招致し右翼隊攻撃命令に基く連隊長の

 戦闘指導要領の腹案を開陳し之を徹底せしむると共に軍砲兵隊及飛行隊の協力

 要領及左の配属砲兵隊の射撃実行計画を明かならしめたり

 会議実施中師団参謀長及大石大沼参謀来会せるを以て連隊長は連隊の攻撃実施

 要領を説明せり

        (以下省略)


 第六十一連隊は総攻撃開始の時を待った。戦闘詳報に曰く。

『連隊は三月上旬「サマール」西南方地区に集結以来酷熱を克服し連隊打って一丸となり全智全能を傾け尽し敵殲滅の一念に燃えつつ猛訓練に精進し次いで「アボアボ」河畔集結と共に「サマット」山の瞰制下昼夜を分たざる敵砲撃下隠忍持久の敵情地形の捜索を敢行し茲に攻撃準備全くなり将兵一同必勝の信念を堅持し益々我が軍旗の威烈を輝すべく明日に控えたる総攻撃開始の時機を今や遅しと待機せり』


 第六十五旅団のうち、第百二十二連隊の第一大隊は三月二十六日第百四十一連隊右翼隊と第一線を交代して前線配備についた。二十七日古野見習士官を長とする将校斥候を以て敵情を視察し次の報告をもたらした。

一、丁台陣地は相当堅固なるものにして前方約五十米の間射界を清掃し鉄条網を

  有す

二、障碍物は鉄線及竹雑木に依り形成す 高さ約一米二〇程度にして深さを有せ

  ず

三、丁台西方の疎林内には針金をはり廻し空缶を以て友軍の進入を察知する如く

  設備しあし

四、工事中なるものの如く盛に工事の器具音を聴く


 二十八日、第一機関銃中隊、大隊砲小隊は選定済の第一線陣地に進出し、第三中隊も第一線陣地に展開した。

 第一線部隊の各中隊長小隊長が大隊本部に集まり攻撃要領を確認した。一七〇〇には準備を完了し一九〇〇の攻撃開始を待った。

 一八〇〇には友軍爆撃機による敵正面陣地への爆撃と地上銃撃が始まり、そのあと野砲、迫撃砲、連隊砲などの一斉射撃を開始した。

 一九〇〇掩護射撃は止み、第三中隊、第六中隊は前進を開始。第三中隊は二〇三〇頃敵陣鉄条網前まで達したところ、敵陣より激しい射撃を受けた。中隊長は敵の左側背に進出しようとした。機関銃中隊は火力を敵陣地に集中し、第三中隊、第六中隊の前進を掩護した。

 〇五〇〇頃左側背部に迫ったが、敵も之を察知してか動揺が走り退避行動に移るように見えた。この機を逃さじと中隊長は突入を命じ、敵陣に突入するや敵は遺棄死体を残して東北方密林内に敗走していった。正面の敵陣地は占領した。敵遺棄死体は六名。第三中隊は負傷者五名を出した。


 第三中隊は態勢を整えて、敗走する敵を追い付近一帯を掃蕩した。丁台の占領は完了し、この報告を受けた大隊長はさらに状況を把握すべく村井中尉の指揮する二分隊の将校斥候を「チヤハル」川北岸に派遣した。斥候隊は「マルヂック」川と「チヤハル」川の合流点付近で敵の一小隊と遭遇し、機先を制して攻撃をかけると敵は敗走した。負傷一名を出した。

 この日における武功抜群者として記されているのは第三中隊では平野文雄中尉、古野大六見習士官、篠原東伍長、安部宗義上等兵、井上時政一等兵。第一機関銃中隊では、志波明軍曹、河野充伍長、宮脇英二兵長、岩本直文兵長、曽我部豊上等兵、白石秋義上等兵、池内春正一等兵であった。


 三十日、第一機関銃中隊は大隊命令により陣地を「チヤハル」川左岸台端に変更進出した。これは四月一日以降の第二大隊による「チヤハル」川南岸の攻撃に協力するためで敵情を監視しつ工兵小隊の援助を受け陣地を構築した。大隊砲小隊の観測班も第一線部隊の近くに位置を移動した。

 三十一日〇九〇〇神野少尉指揮の将校斥候は左部隊の連絡に任ずるとともにその正面の敵情を偵察した。その結果「チヤハル」川左岸にあった敵監視部隊を発見し、直ちに之を攻撃して排除し占領した。


 四月一日には古野見習士官の将校斥候を派遣し、大隊の進出路を偵察させ、報告を受けた。

一、「チヤハル」川は流速急ならざるも水量豊富にして所々淵をなし川底は礫石

 にして渡河点は橋梁及丁台東方台地にのみ発見す

二、「チヤハル」川北岸は急峻なる断崖を為し「マルヂック」河谷及丁台東方谷

 地以外は通過困難なり


 連隊命令により第一線部隊は第二大隊となり、第一大隊は第二線部隊となった。

 兵団は右側支隊を以て二日「パンチンガン」河左岸突角陣地を攻略し三日重点を左翼隊正面に指向して攻撃を開始し「パンチンガン」河右岸台上の敵陣地を突破し先づ「サマット」山西南側地区に進出するよう命令を下した。


 二日第一大隊は村井中尉指揮の将校斥候を派遣し敵情を偵察した。その結果、右側支隊は敵の集中砲撃を受けて身動きが取れずにいること、第二大隊は「チヤハル」川南岸断崖下に前進して攻撃準備中であること。「バガック」「バランガ」道北側付近には堅固なる敵陣地の存在することが判明した。

 これにより第一機関銃中隊は第二機関銃中隊と陣地を交代して東方w台に新陣地を構築した。大隊砲小隊は第一機関銃中隊の左に展開。

 一九〇〇には第一線各中隊小隊長は第二大隊本部に集合し明日三日からの総攻撃に対する打ち合わせを行った。

 

 各前線部隊は三日総攻撃の開始を待つだけとなった。

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